インフィニット・ストラトス―絶望の海より生まれしモノ―#71
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槇篠技研訪問の翌々日、八月も残すところ三日という………残暑というにはまだ早く、盛夏と言うには遅いその日―――

 

簪は、ある屋敷を訪れていた。

 

 

敷地に入り、扉に手をかける。

 

鍵は、掛って居ない。

否。

先ほど簪が自身で解錠した。

 

 

そして、引き戸になっている扉を開け、

 

「おかえりなさいませ、お嬢様。」

 

「…ただいま。」

 

出迎えてくれた青年に簪は応える。

 

この屋敷は、更識邸。

日本の暗部組織、『対暗部用暗部』と裏に名高い『更識』の本拠地にして、現当主である簪、そしてその姉の生家である。

 

 * * *

 

更識家その一室、着流しの老人の元に先ほど簪を迎えた青年が現れた。

 

「簪お嬢様が御戻りになられました。」

 

「ふむ、」

 

「それで、お嬢様から言伝が有りまして、」

 

「言伝?」

 

何を態々、と老人は思う。

この老人と簪の関係は、祖父と孫だ。

態々『会うために伝言で約束を取り付ける必要』など、普通は存在しない。

 

「はい。『十六代に、御目通り願いたい』と。」

 

それを聞いて、老人は納得した。

 

確かに、祖父、更識((空画|くうが))と孫娘、更識簪には必要ない。

が、第十六代"楯無"更識空画と、第十八代"楯無"更識簪には必要な事だ。

 

「判った。通してくれ。」

 

「ハッ、かしこまりました。」

 

青年が下がり、老人―空画は思う。

 

「一体、何を訊かれるのやら。」

 

思い当たる節は無い。

 

だが、態々帰省してまで訊きに来るような事だ。

ただごとでは無いだろう。

 

数か月前、IS学園に通い始める前ではあり得なかった事だけに、空画は少しばかり腹をくくる。

 

そして―――

 

「失礼、します。」

 

程なくして、戸が開き――

 

「おぅ、簪。元気そうじゃな。」

 

「……おじいちゃんも。」

 

現れた簪は、とりあえず祖父と孫娘の挨拶を交わしたのであった。

 

 

「((月櫛|つくし))は元気か?」

 

まずは何の変哲もない世間話から始まった。

話題に上がるのは、一人の人物。

 

 

「姉さんなら、時間があれば暴れて保健室送りにされる程度には元気だよ。」

 

空画が問い、簪が応える。

…その原因が『((過剰な|こじらせた))((妹愛|シスコン))』である事は伏せたままで。

 

「あの月櫛がなぁ……時が経てば人も変わるってモンか。」

 

昔から何事もそつなく、要領よくこなしていた長姉が暴れて鎮圧されて保健室送りとは…

 

人が変わった事に驚くべきか、仮にも暗部の長であった人物を鎮圧できる人物がIS学園に居る事を驚くべきか、空画は少しばかり迷った。

 

「それに、簪も変わったなァ。」

 

「…そうかな?」

 

「ああ、変わった。………年の初めごろには簪が『十六代に御目通り願いたい』なぞと言ってくるとは思えんかった。」

 

空画は思い返す。

ほんの一、二年前。

長姉であり、十七代"楯無"を襲名した月櫛が自由国籍権を取り、ロシア国籍を取得した時。

 

『日本の暗部組織"更識"の長である"楯無"がロシア国籍というのは如何』となり、第十七代"楯無"である月櫛は勘当、妹の簪が"楯無"を継ぐ事になった。

 

姉の事情で、姉が継ぐはずだったものを任される。

なのに、自分はまったくあてにしてもらない。

 

常日頃、何でもそつなくこなしてしまう月櫛と比較されてきた簪は失意のどん底に置かれていた。

 

それまでは燻っていた、苦手意識程度であった月櫛と簪の仲はその時、決定的な亀裂が入ったと言える。

 

おまけに月櫛は『簪に負担を掛けまい』、『家に縛られず、好きにさせたい』と奮闘していた。

それが逆に簪を誤解させ疑心暗鬼に近い思いを抱かせていた。

 

『自分は、姉にとって取るに足らない存在である。』

『時折見せる好意は、お情けだろう。』

 

そんな歪みを抱いたまま、二人は同じ学校へと進んで行った。

 

そこで再び『優秀な月櫛』を相手に比較される日々が来るのではないか。

長く持たないのではないかと、空画は心配したモノだ。

 

だが、戻ってきた簪の目は生き生きとしていた。

ふっきれた、とも言える。

 

「よほどのいい出会いがあったのじゃろうな。」

 

「う………」

僅かに頬を染めて言い淀む簪に空画は微笑を浮かべる。

 

惜しむらくはIS学園は事実上の女子高である事だろうか。

『いい相手』が居たとしてもそれはほぼ、いや絶対に同性の友人であるが故に。

 

まだ早いと思う反面、ひ孫の顔を見たいと思う心も空画にはあるのだ。

 

「それで、((先々代|ワシ))に訊きたい事があるそうじゃな。」

 

空画の言葉に簪の顔つき、目つき、纏う雰囲気、その全てが変わる。

 

『一女子高生の更識簪』から『暗部組織『更識』の長"楯無"』へ。

 

「はい、先々代。」

 

その纏う空気に感心しつつ、十八代"楯無"が何を問うてくるのか。

空画は場違いとは思いつつも楽しさを感じていた。

 

「今から十年ほど前。現在の槇篠技研の関係者と結んだ締約について。」

 

「ふむ、」

 

言われて、空画は記憶を掘り返す。

 

「そうじゃのう、」

 

今から十年ほど前といえば簪がそろそろ小学生になるという頃の話だ。

 

空画の脳裏に浮かぶのは一人の青年。

 

「わしから言える事は、信の置ける相手じゃったと言う事だけじゃよ。『更識の楯無として』ではなく、『更識空画として』、な。」

 

そう言われて、簪は思案する。

 

『更識の楯無としてではなく、更識空画として』

 

それが意味する処は暗部組織の長『更識楯無』ではなく一個人『更識空画』として、顔つなぎをしたという事になる。

 

「…つまり、個人的な繋がりだ、と?」

 

「そう言う事じゃな。――まあ、『余程の事で無ければ関知しない』という口約束は他の暗部組織にも伝えてはおるがの。」

 

実際の所、空画個人として賛同したから顔つなぎをしたし、『更識』としても利益があると考えたから色々と働きかけもしたのだが。

 

「とりあえず、判りました。今の処はこれで大丈夫です。」

 

「そうか。」

 

一礼した後に立ち上がる簪。

その拳は固く握られ―――

 

「なんで、そんな大事な事を代替わりの時に教えてくれなかったのッ!」

「ぼでぃっ!」

 

勢いよく繰り出された右ストレートに空画は腹筋をえぐられて悶絶する事になった。

 

ぴくぴく、と痙攣のように微かに動く程度になった祖父を簪は見下ろすように立つ。

 

「まったく、おじいちゃんも姉さんも、ここぞって時に限って私を退け者にしようとするんだから。」

 

頬を膨らませ、傍から見れば可愛くもある簪の怒り姿を眺めつつ、空画が思う事は一つ。

 

『年寄りは、大事に。』

 

蹲ったままの空画を放置して簪が『失礼します!』と言い放って退出してゆく。

 

そして足音が十分に離れた頃、空画は悶絶する振りを止めた。

……最初の一分くらいは本気で悶絶していたが。

 

「月櫛も簪も、血を分けた姉妹だと言う事か。………まったく、誰に似たのやら。」

 

空画が思い浮かべるのは月櫛と簪の祖母にして、空画の妻の姿。

 

良く言えば快活、悪く言えばじゃじゃ馬であった彼女の血は確実に継がれているようだ。

今頃、簪は彼女の元を訪れているだろう。

 

「さて、ここからどう世界が動くのやら。」

 

空画は縁側に出て庭から空を見上げる。

夏の日の青空。

 

 

 

「雲行きが怪しいのう。これは一雨来そうじゃな。」

空画の視線の先には立ち上る入道雲とその下の黒々とした雲があった。

 

 

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補足的な人物紹介

 

更識 月櫛(サラシキ ツクシ)

 IS学園生徒会長にしてロシア代表、簪の姉である『更識楯無』の本名。

正確にはロシア国籍取得時に『更識楯無』で取得している為、日本国籍であり十七代"楯無"であった頃の本名と言うべきか。

 

 名前の『櫛』の字は『妹が簪だから』共通する『髪飾り』というジャンルから勝手に設定。

 ちなみに『更識 月櫛』で姓名判断をやってみると先祖からの運以外は全部良いという何気に凄い名前だった。

 

 

更識 空画(サラシキ クウガ)

 第十六代"楯無"にして、月櫛(楯無)、簪姉妹の祖父。

そろそろ八十になろうという老体だがまだ現役(?)。

その度合いは簪が全力でストレートを腹に入れても数分で復活する程度。

割とファンキー且ついい加減な処もあるが『元暗部組織"更識"の長』であるだけに抑える処はしっかり押さえている。

むしろ、オンオフでキャラが大分違う。

槇篠技研の『彼』と政府の顔つなぎをしたのもこの人の判断。

説明
#71:簪の里帰り
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