夜空を眺める少女と猫の閑談。
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人々がもうすっかり寝静まった静かな港町の防波堤には、

三角帽子に外套を着込んだ年端も行かない娘が、

奇妙なバランスで座って、海を眺めておりました。

娘の隣には空を飛べる十分に大きな羽根を持った猫もおりましたが、

猫を認められるのはしかし娘だけでした。

 

「魔女の娘さん、身体が冷えてしまうよ」

「いいのよ猫さん、わたしはこうして夜は星座を眺めていたいの」

猫は、ははあと頷きました。

得心した猫を見遣ると、娘はささやくようにそっと言い足しました。

 

「山との約束ですもの

 それに高くて暗いところのほうが、きっと良くお友達が見えるわ」

 

猫は残念な風にして言いました。

「するとやはり、とうとう山は朽ちて崩れてしまったのだね」

「ええ、ほんの少し前に」

 

猫は娘の膝でねっころがると、ごろごろと鳴きました。

娘はいとおしそうに猫を撫で付けます。

傍目から見たそれはなんとも奇妙な光景でありましたが、

やはりそれは誰の目に留まる事もまたありませんでした。

 

「人の方は、魔女の娘さんにはさしたる事ではなかろうね」

「みんなあれは、本当はもうずっと昔に朽ちた山だって知っていたのよ

 立ち去ろうと思えば引き止めることもしなかったけれど、

 ほとんどが好んでそうしなかったわ

 わたしのお母様が仰るには、人間が生きるには

 いつだって心の器にたっぷりの幻想のぶどう酒がなくてはならないの

 山のみんなにとってのぶどう酒がただの夢だったなら、結末は知れてよ」

 

娘は星座のひとつひとつをそのガラスを溶かしたように透き通った

目に入れるようにして眺めておりました。

 

「ねえ猫さん、わたしが思うにね

 幻想で満たして潤った世界で幸せになるのと、乾いても真実の泉を探すのと、

 結局どちらが尊い生き方なのかしら

 わたしは結局、どちらを選べばいいのかしら」

 

「魔女の血とは、かくも成長を早めるが常なものかね」

猫はごろごろ鳴くのをやめて言いました。

「どちらに重きを置いたとて、結局はみな自分の中の法律にしか従順では居られないものさ

 勿論、吾々であろうともね

 それはつまり価値観や、正義や、信仰や、美学であるとも言えよう

 吾らが虹の橋を掲げる仕事を辞めぬのはつまりそれが吾らの役目であるという、

 また役目である限り、守り、子々孫々脈々と受け継いでいくべきだという、

 吾らの中に息づく法律と錯誤と、君のいう処の幻想でしかないのさ

 だがそれは君が今星座を眺めている行為とも、何一つ違わないことは解るね

 常世も幽世も、全ては己が持つ法律と幻想の中で生きている

 山と共に滅んだ人を誰が愚かだと言えるね」

 

娘は困ったように笑いながら空飛ぶ猫に笑いかけました。

「猫さんのお話は、相変わらず極論だからいけないわ」

猫も笑いながら娘を見ます。

「いまさら魔女の娘さんに汎論を説いたところで、意味など為さぬ」

 

「どちらもその本質は、結局のところ生きることであるのと変わらない

 柵の中で平和に生きようと、戦で命を賭そうと、

 やがて全ては朽ちるのだから同じであろう

 尊ぶべきは動機で、君のいう生き方なんてものはその結果なのだよ

 魔女の娘さんよ」

 

「つまり猫さんにとってわたしの杞憂は的外れだと言うことかしらね」

「そうだけれども、しかしそもそも吾らの幻想と君の幻想は、別物だからね」

「ああ、それなら」

 

穏やかで黒い海を、大きな風が跨いだとき、猫は娘の頬に軽く触れました。

猫はまるで、愛しい孫娘にそうするように諭すと、また遠い空へ消えて行ってしまいました。

それを見送ると娘はまた星座を、奇妙なバランスで眺めておりましたが、

幾らも経たないうちに空が白んでくると、

娘は夜の影を、つ、つ、と踏みながらまたどこかへ歩いて行きました。

 

 

説明
ガラスの山が崩れ去ったその後のお話です。ガラスの山のお話はこの3話で一先ずおしまいです。
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童話 不思議 オカルト 少女 ガラス 夜空 魔女の娘シリーズ 

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