アンドロイド・パンクシティ〜I want you
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 消化器が欲しい。

 瞬生<ショーター>の少年、コロネ・チオフェンは朝食を乗せたワゴンをからからと押し歩いていた。目の前にある食事、クロワッサン、ハムエッグ、ポタージュ、サラダ、ミルク、フルーツ、それらのカラフルな群れを作り上げたのはコロネだが、コロネ自身にはそれらを食べることはできない。

 アンドロイドのコロネには、食道がないからだ。

 食道は、神=人々に与えられた特権だ。

 物を口に含み咀嚼の真似事をすることは、男性型アンドロイドのコロネにも可能だが、それを飲み込み、消化し、吸収する機能はない。神立都市メタメリックのどこを探そうとも、そんな機能を持つアンドロイドは存在しないだろう。

 飲み込もうとしても、首から下にあるのはエナジードリンクを分解してエンジンに送り、燃焼し、身体を駆動させる機関であり、固体からエネルギーを絞りだすような能力をコロネは持ち合わせていない。口の中の歯や舌は、言葉を織りなすために存在しているものであり、食感や味わいを楽しむためのものではない。無理に飲み込めば、たちまち吐き出してしまうだろう。

 

 料理は、神聖な行為だ。

 五百年前に人類=神の世界を襲ったパンデミックにより、人類=神は絶滅の危機に貧した。残った人類は繁栄を諦め、連綿とつながってきた文明の担い手を次の生命体=アンドロイドたちに託した。

 生き残った人々は神を名乗り、神立都市メタメリックの中央に座す皇族殿に住んでいる。

 コロネの仕事は、彼らのための食事を作ることだ。アンドロイドは食事という文化を持たない。味覚がなく、食道がないからだ。それらを作り出す技術が、メタメリックには存在しない。人と寸分違わぬ筋肉も、骨格も、目も、耳も、鼻も、爪も、声帯も、作り出すことができた。しかし、心臓、食道、脳、そして生殖器の四つだけは、作ることができない。

 それは何も技術的な障害だけではない。

 最も大きな理由は、恐れだ。

 創造主たる人々=神々と寸分違わぬ姿を自分たち=アンドロイドが得ることが、果たして許されることなのだろうか、という命題故に対する、だ。

 

 コロネは十五歳、ぼさぼさの夕暮れのような橙の髪、三白眼、小柄だが肉付きがいいのはショーターだからだ。白い上下の作業着を着ているのは、皇族殿で働くときのアンドロイドの仕事着だからだ。

 獅子の彫刻の扉を開けると、コロネが生まれてからずっと支え続けている主人=人間=神の部屋だ。ワゴンを入れて、扉を閉め、部屋の奥の窓を開けて風を入れた。外には木々が植わっており、その向こうに皇族殿内壁の青いドーム空が見えた。木々の名前はコロネには分からない。

 皇族殿は外から見ると白い巨大な虫が身体を丸めているようなドーム型をしている。そのドームの内側には様々な施設が集約されており、労働に来ているアンドロイドか、政治関係のアンドロイド以外は、祭日以外の出入りを禁じられている。ドーム内壁のディスプレイに描かれる青空は、AIがドーム外の天気を検知して、それにあわせて曇ったり雨になったり雪になったりするが、ドームの外、メタメリックほど急に変わることはないし、苛烈な環境にはならない。風情、というものだとヒトミは言っていた。

 もしも都市一体型メディカルシステムの中に組み込まれていない人間=神々がドームの外の雨や直射日光を浴びれば、間違いなく寿命を縮めることになる。外に出ることが不可能なわけではないが、前述の理由から、外出には許可がいるし、付き人なども必要となる。

 

 紺青の絨毯を踏みしめてベッドへ近づく。

 毛の立った絨毯は雲のように柔らかい。それよりもさらに密度の小さな羽毛の布団に包まれて、少女が寝息を立てていた。

「ヒトミ」

 コロネは少女に優しく呼びかける。

「ヒトミ」

 もう一度、頬に触れながら呼んだ。少女は目を覚ました。

「ん、……朝?」

「そうだよ」

 鉛色の髪は、滝のように長く美しい。目を擦りながらあまり抵抗なくすっくと上半身を起こすと、癖のない長髪がすとんとベッドに落ちていた。ヒトミと呼ばれた少女が、「おはよう」と言う、挨拶などは掛け布団を払うのと大差ない、という風に。立ち上がり、着ていた服を脱ぐ、上下のパジャマ、下着も全て。それをコロネは受け取り、部屋の隅の衣装棚から新しいものを取り出して少女に渡す。

 ヒトミ、十一歳の少女、鉛色の髪、鉛色の目、永生<ロンガ>のように合理性に任せた華奢過ぎる身体、控えめな乳房、下半身も、鎖骨も腰も足首も、全てを何の躊躇いもなくコロネの眼前に晒す。それを、コロネはぼんやりと見つめる。

 いいなあ、と。

 特にコロネが見ているのは、少女の腹部だ。

 しなやかな子葉を思わせる乳白色の肌の内側には、健康的な腸が詰まっているはずだ。少女の白い身体のところどころに朱が指しているのは、血液が循環している証拠だ。少女には食道があり、胃があり、腸があり、そして肝臓や腎臓がある。

 それが、羨ましいのだ。

「なに?」

「いや、別に」

 見過ぎた、と思った。目を逸らした。少女がコロネに羞恥を感じていないのは、コロネが性器を持たないアンドロイドだからだ。

 清潔なワイシャツとミニスカートに身を包んだヒトミは、椅子に座ってコロネが配膳するのを待った。それは五百年以上の昔、まだ地上の政権をアンドロイドではなく人間が握っていた頃の、学校制服だ。

 現在、メタメリックに住むアンドロイドには、労働の義務は課せられるが教育の義務は課せられない。学ぶことは権利であり、自由であり、義務ではないのだ。

 もちろん神である人間に義務があるはずはなく、従って衣服や勉学、労働も自由だ。

 ヒトミが学校制服を着ているのは、ただの趣味だろう、とコロネは思う。

 いや、憧れだ、と言っていたか。

 コロネにも憧れはある。

 人間=神の身体にも憧れないわけではないが、人間=神の身体にはそれ以上に畏怖を感じてしまい、憧れようにも憧れられなかった。

 だから、そういうときコロネは思うのだ。

 ロンガになりたい、と。

 

「これは、なに?」

「何って、ハムエッグだよ」

「違うわ、これ」

 ヒトミは、目の前の色とりどりの料理には目もくれず、そのさらに手前、手元に並んだ日本の棒を指さして、言った。

 それは、箸だ。

 昨日の夜も、彼女はそれでコロネの作った焼きそばを食べていた。またいつもの悪ふざけだ。

「箸だよ」

 よく、ぼんやりしているとコロネは言われる。それはきっと、すでに自分の力の使い道を決定しているからだろうと思う。

 ショーターは、力を燃やし尽くすために生きる。コロネの場合は、ヒトミのために、だ。瞬生<ショーター>という言葉は原義的にはその寿命の短さを指すものであって、ショーターのすべてが一瞬で力を使い尽くすわけではない。ショーターが持つ「奇跡の力」は、夢の形次第では一定の持続時間を与えることが可能となる。コロネの場合は、主に料理を作るということにその力をわずかだけ注いでいた。

 コロネは検索エンジンから箸の情報を拾ってくると、少女に開示する。思い出したように、ヒトミは呟いた。

「そう、箸。箸だったわね」

 頂きます、と行儀よく呟いて、ヒトミはポタージュに口を付けた。

 ヒトミは、何を食べるときでも箸を使う。パンでも、パスタでも、ステーキでも。昔はその非合理的な作法を見る度に不思議に思ったけれど、今ではそれは見慣れた風景だ。

 制服を着るのも、箸を使うのも、それがヒトミの憧れの具現化なのだ。

 

 

 ぱたぱたと、小人が駆けまわるような音が聞こえた。

 振り返ると、開かれた窓を小雨が叩いていた。

 コロネは窓に寄って、それを閉める。

「残念、遊びに行くのは中止ね」

 この日、ヒトミはコロネと、皇族殿からメタメリックの都市に降りるつもりだった。

 静かに頷いた。

 今頃ドームの外では激しい雨が降っていることだろう。季節は夏だ。この時期の雨は酸性を帯びている。

 

 あの、新規伝播流体が発見されてから二年が経ち、アンドロイド達の住まう神立都市メタメリックはより快活な色に満ちていた。流体については政府の法案が追いついておらず、またインフラなどの技術的観点から実用化には未だ至っていないが、アンドロイド達は自分たちの未来が明るいことを信じて疑わない。

 しかし、コロネは別だった。

 コロネには悩みが二つある。

 一つは自分のこと。食道が欲しいという欲求だ。

 一つはヒトミとのことだ。その、名前に古代の響きを受け継いだ美しい少女は、最近、浮かない顔ばかりしているのだ。

「美味しい?」

 コロネが尋ねると、ヒトミは、何をバカなことを聞くのだ、という風に顔を持ち上げて、頷いた。コロネの腕に対する絶対的な信頼を感じる。ぺろりと平らげて口を拭く。

 逆に、尋ねられた。

「エナジードリンクは飲んだ?」

「うん」

「そう」

 アンドロイドは、味というものが分からない。空腹も、満腹も、食欲も、食という文化に対することが何一つ分からない。食文化というものを研究したいと考えている者はメタメリック中に大勢いるだろうが、アンドロイドは神=人になることはできないし、根本的に、人=神という形を尊ぶという考えが優先されるため、人と同じになりたいとは思いたくても思えないのだ。

 自らが作った色とりどりの料理を、コロネはただ、美しいと思う。

 

「さて、今日はどうしようかしら」

 ヒトミは嘆息した。

 コロネの仕事は、ヒトミの人生を充足することだ。誇らしい仕事だ。労働を辛いと思ったこともなかった。ごく一部には、自らの出生を憎まざるを得ないような辛い労働に従事しているアンドロイドもいると聞くが、基本的にアンドロイドは自らの人生に誇りを持っている。自らの労働、思想、存在に誇りを持っている。

 そしてその誇りは、神々=人々の存在によって満たされている。アンドロイドたちが労働するお陰で、創造主たる人々=神々が自由を謳歌している。その事実が、嬉しいのだ。

「やっぱり、出かけない?」

「雨が降ってるのに?」

 都市一体型メディカルシステムの枠組みの中で生きているアンドロイドならばともかく、神=人間であるヒトミが、沢山の不純物の混じった雨の中で外出するのはあまり好ましいことではない。メタメリック中央に聳えるドーム型の建物=皇族殿から出るのは、晴れた日の方が良い。

「あえて、ね?」

 断る権利はない。それに、そういうものもいいかもしれない、とコロネは思った。

 ヒトミが何を考えているのかは知らないが、煮詰まっているのはコロネも同じだ。

「分かった。車を手配しよう」

 晴れならば、歩いて出かけるつもりでいた。ヒトミは身体を動かすのが好きだから。けれど、確かに、ここ数日のヒトミは内向的だった。晴れていても、ずっと外の景色を見ているような調子で、今日は久々の外出予定だった。

 

 

 

 

 

 

 ロンガになりたい理由はいくらでもある。

 けれど、一番の理由はコロネの知識欲とでも言うべきものにある。

 如何にショーターの奇跡があったとしても、人間の身体を作り出すことはできない。尊敬が邪魔をするのだ。

 けれど、メタメリック社会は生き物のように日々進化している。もしも、ショーターの五倍は寿命のあるロンガになれたのならば、生きている内に食道を手に入れる方法が見つかるかもしれない。そのための研究を重ねられるかもしれない。

 社会、価値観、哲学、それらの変化を待つためには、ショーターの寿命は短すぎるのだ。

 ショーターに生まれた瞬間から、その個体は学者や政治家になることができなくなる。

 今の人生に不満はないけれど、日々エンジンをほそぼそと瑠璃色に燃やして生きていくということに、疑問を感じない日はない。

 

 

 ばちばちと、車のフロントガラスを雨が叩いていた。

 言葉を紡いでいないと表情に不安が現れてしまいそうな音だ。

 車内は暑かった。

 エアコンをつければいいのに、ヒトミはそれを頑なに拒んだ。ヒトミは、そうなのだ。ドームから外に出たがるとき、ヒトミは、ドームの外の空気を望む。ドームのように、エアコンで管理された空気を望まない。アンドロイドのようにメディカルシステムに組み込まれていない肉体を持っているヒトミには毒だと言っても、ヒトミは聞かない。

 神=人の意志には、コロネも逆らうことはできない。

 結局は、ヒトミの言いなりになるしかない。

「お茶、飲まない?」

 ヒトミの憂いを帯びた表情に汗が浮かんでいたので尋ねると、「甘いものを」という返事があった。

 コロネは車載冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。

「これは何?」

「なにって、オレンジジュースだよ」

 また、検索エンジンからジュースの情報を拾ってきて、少女に開示しようとした。

 

 いつ頃からか、そういう様子を見せてくるようになった。ここ一年以内のことだ。初めは知らない振りをしてふざけているのかと思っていた。時折口癖のようにヒトミが使う、「風情」なのだろうと納得していた。

 どうして知らないのだろうか、という顔でコロネがヒトミを見ると、信じられないことが起こった。

 

 ぴしゃり、と。

 

 ヒトミが、コロネにジュースをかけた。

 その表情は、弛めたように怒りが支配している。鉛色の目が剣呑な輝きを孕んでいた。コロネの橙の髪から、ぽたぽたとジュースが滴った。

「そのくらい、知っているわ」

 コロネは動揺していた。怒られたことに対してではない。

 ヒトミが怒っているということそのものに対して、だ。

 コロネには、人間=神の気持ちなど分かろうはずもない。いや、わかっているつもりではいたが、根底の部分で、アンドロイドである自分と神である人間との間には、大きな隔たりがあるのだと思っていた。

 皇族殿の人間=神が、怒っているところなんて、コロネは見たことがなかった。よくないことが起こる、と漠然と感じた。そもそも、怒る理由が分からない。震えるヒトミの表情を見て、コロネの背筋にぞうっと冷たいものが走る。

 やがてわなわなと空のコップを持っていた手が震え、ヒトミは、その双眸にじわりと涙を浮かべた。

 喉を枯らしてしまったように、目をぎゅっと瞑って、ヒトミは言う。

「……ごめんなさい」

 コロネは、呟いた。

「やっぱり、帰ろうか」

 

 

 

 

 

 

 人間のための食材などを管理する市場<アルター>。

 合成皮革のベルトと金属の腕に固定されて眠っている鳥、豚、牛、その他さまざまな動物たち。彼らの口からは栄養となる高濃度栄養液が注ぎ込まれ、骨という枝に肉という果実を蓄える。

 隣のブースに行くと、魚や貝が牛たちと同じように固定されて飼育されている場所がある。さらに奥には、野菜などが並んでいる。アルターと呼ばれる組織は、神立都市メタメリック内で最も広大な敷地を持つ組織であると言える。生鮮食品だけでなく、それらを保存する倉庫も持っている。生鮮食品の使用は貴重であるため、基本的には毎日の食事は保管庫に蓄えられた物から使用していくが、年に幾度かある都市民の祭のときや、皇族殿が公に開かれるときには、それら生鮮食品が神々=人々に振舞われる。

 しかし、特別な理由があれば、それの使用を止めるものはいない。

 コロネは、生鮮食品からうさぎを選んで皇族殿に戻ると、早速調理を開始した。うさぎを調理するのは初めてではなかったが、もう一年以上は調理していない。しかし、心配はなかった。コロネは生まれてから一度たりとも料理を失敗したことがなかった。それが初めての料理だとしても、だ。全て、レシピという記録の通りに身体を動かし、作るだけだからだ。

 そして、訪れた先はヒトミのところではなかった。

 

 皇族殿に住む人間=神、ラオイは、図書館のような男だ、とコロネは思う。

 うさぎは、ラオイの好物だった。ラオイは、うさぎのソテーを持ったコロネを見ると快く迎え入れてくれた。

 ラオイは獅子のような金髪を撫で付けながら、机に目を伏せたコロネの顔を覗きこんだ。

 顔に深く刻まれた皺が古傷のようにコロネを笑う。

「どうしたんだい」

「相談があります、ヒトミのことです」

 ヒトミ、とラオイは名前を繰り返すと、なんの脈絡も前置きもなく、唐突に言葉を投げかけた。

 まるで、コロネがここに来ることが分かっていたみたいだ。

「彼女は、記憶障害を患っているんだ。発現したのは、ちょうど一年ほど前からさ」

「記憶障害?」

「僕達人間は、アンドロイドのようにデジタルメモリ領域の脳を持たない。タンパク質で構成された、極めて原始的な脳の持ち主だ。だから、君たちよりも劣化するのが早いし、遺伝子の鎖に劣化因子が発生する確立も高いんだ」

 ラオイはコーヒーを口にして、そして続けた。

「原因はコールドスリープか、あるいは……もしかしたら、神様が言っているのかもしれないな、滅びの時が来た、と」

「滅びの時、というのは、どういう意味ですか?」

「人は遺伝子のサイクルによって多様化し、文明を広げて来た。それが、今、滅びようとしているのは、ヒト遺伝子という枠組みが古くなってしまったからなのかもしれない。ヒト遺伝子は、長い時を経て劣化しきってしまったんだよ、恐らく」

 ガンみたいなものだ、と。先天的に、瞳の記憶は消える運命にあったんだろう、とラオイは言う。

「僕は、……僕はどうしたらいいですか」

「なに、いつもどおりでいいのさ」

「いつもどおり?」

「ヒトミの望みを聞いてあげるんだ。いつもとなんら変わらないだろう? それが、君の義務だ」

 頷く。

「彼女は不安なんだよ。想像してみるといい。君が信じる記憶という存在が、自分の気づかないうちに欠落していくんだ。それは、大変な恐怖だとは思わないかい?」

「それは、そうです」

「君にあたってしまったのも、悪気があってのことじゃないだろう」

 大きなものを背負わされたような気がした。

「あの、直すことは、できないんですか」

「そればかりはできないだろうね。人の脳は君たちショーターの変性可逆生体高分子とは違う。それに、如何にショーターの奇跡を発現したとしても、神である我々に手をくわえることは叶わない。君たちが消化器を造れないように。そうだろう?」

 頷く他なかった。人体は、神聖なものだ。自らが人体を目指すならまだしも、自分たちが人体を弄るなど、以ての他だ。

 それを、燃焼者たるショーターの夢と抱いて自らのエンジンを燃やすなどしたら、他人に裁かれるまでもない、果てしない罪悪に縛られるだろう。無論、そんなアンドロイドは転生も再生も許されない。

「それにきっと、ヒトミは助かることを望んでいないよ」

「どうしてですか。どうしてそんなことを言うんですか」

「簡単だ。彼女が、この世界になんの希望も抱いてはいないからだ」

「なんの希望も抱いていない……?」

「アンドロイドの君にはわからないかもしれないね。まあ僕にも彼女の気持ちを理解してあげることなどできないのだけれど」

「どういう意味ですか?」

「多くの、今この皇族殿に住んでいる人々は、望んでこの世界に来た。人間の世界が終わり、アンドロイドたちに世界を明け渡すことを覚悟して来たんだ。だから、生を頑なに望みはしないけれど、世界に対する希望は捨てていない。生死への達観と、世界への期待が見事に調和しているのが、僕ら人間だと思う。けれど、ヒトミは違う。彼女は、不幸と言えば不幸なのかもしれないな」

 ラオイは、微笑んだ。同情、憐憫、憂慮。

 

「彼女は、このメタメリック、皇族殿で生まれたんだ」

 コーヒーの香り、雨の音、そしてラオイの呼吸。

「現存する人間の中で、彼女は数少ないコールドスリープ以前の記憶を持っていない存在だ。僕を含む、眠りから目覚めた全ての人間にとって、この世界はまさしく楽園だ。死後の世界、余生、そんな場所なんだよ。だから、自分たちが滅ぼうと、世界が滅ぼうとも、究極的には構わない。その上で、君たちアンドロイドに期待している。自分たちを超えて欲しいと。しかし、彼女は違う。そんな、惰性の世界に産み落とされてしまった彼女には、生まれた瞬間から、世界に意味を見出すことが許されなかった」

 

 蕭然と。

「彼女は孤独だ。生まれた瞬間から滅べと言われたのだから」

 

 

 

 

 

 

 コールドスリープを経験せずに皇族殿に生まれ落ちた人間=神は、ヒトミだけではない。誰もがヒトミのように打ちひしがれているのではないということも、コロネは知った。

 ある人間=神はアンドロイドに混ざって学校へと通っていたし、ある人間=神は母親の乳房に吸い付き自身の生命力を頑なに誇示していた。

 ヒトミが絶望した真の原因こそが、記憶障害だった。

 それまでは、たとえ自らの種族が滅び行く運命だったとしても、自分の生命力を信じて疑わなかった。しかし、その最後の砦の崩落する音を、ヒトミは聞いてしまったのだ。

 記憶を失う。

 それは、耐え難い恐怖だ。

 ヒトミは、尊厳を奪われたのだ。

 

 コロネは耳を疑った。

 そこは、ヒトミの居室だった。

「なんだって……?」

「コロネにもらって欲しいの、この体を」

「……だめだ、そんなこと」

「いずれ、近い将来あなたたちアンドロイドは必ず人になる。私達と同じように。なぜなら、元々そこを目指すように造られた存在なのだから」

 アンドロイドは機械だ。

 しかし、それが人の姿をしているのは、人になりかわることを目指して造られた存在だからだ。

「私達人類は、あなたたちアンドロイドに未来を託したいの。人の、さらに先へと進める生命体がアンドロイドなのだと、私達は信じてる」

「そんなこと、望めるわけないだろ」

「隠さなくてもいい。人間になりたいって感情は、恥ずべきことじゃないわ。むしろ、私達人類は、アンドロイドがその感情を手に入れてくれたことに、計り知れない喜びを感じるもの」

 アンドロイドの脳は、集積回路でできている。

 その感情は、思想は、哲学は、AIの管理によるものだ。

「私は神様なんかじゃないわ」

 ヒトミに、キスをされる。抱擁される。撫で回される度に、どくんと身体が脈打つように興奮した。誰に言われるでもなく、アンドロイドたちはその反射を手に入れたのだ。愛するもののアウトプットに対して、興奮することができるという反射を。

「私は人間よ」

 唇を触れ合わせたままで、ヒトミは粛々と慟哭の声を発する。

「例え人類が滅んで、最後の一人になっても、私は決して愛することを辞めたりはしない」

 それが人間の尊厳だから。

 恐れ多い好意だった。それそのものが、愛撫だ。

「生殖器がないって不便ね」

 ヒトミは照れたように笑う。熟れた果実の表面に熱を溶かすように、指先をコロネの体表面に這わせた。

「殻を、解いて。私を求めて」

「……そんな、こと」

 アンドロイドが人間=神を求める。それは罪だ。罪なのに。

 どうしようもなく、ヒトミが欲しい。

 

 できるか……?

「できると思う?」

「できるわ、きっと」

 一呼吸、二つ、三つ、そして、四つ。

 コロネはエンジンを燃やす。全身に、自分の記憶、思考、存在の全てを焼き付けて、それを情報体として圧縮する。

 ショーターは、アンドロイドの中でも特に、一瞬を燃やし尽くして己を世界に刻み付けることを大志とする種族だ。ショーターは、夢を抱き、その未来へ突進を始めた瞬間が、そのまま死期の決定となる。

「僕は、僕は君が欲しい……!」

 目を瞑る。力強く口付ける。

 そして、瑠璃色に輝く変性可逆生体高分子でできたコロネという情報体は、ヒトミの劣化した脳を目指して、人体=神の内へと侵入した。

 瞬間、コロネだったアンドロイドの肉体は事切れる。ふっつりと、釣っていた支えが消滅したかのように全身の力を失うと、その場で膝を追って倒れ伏す。

 コロネ・チオフェンだった男性型アンドロイドは絶命する。

 

 達した。柔らかな脳という肉片に侵入すると、その構造を一瞬で理解した。ショーターの奇跡。人体=神の構造というのは、宇宙だった。コロネの意識は滂沱の涙の海の中にいた。苛烈な感激。理解すると、コロネは躊躇わなかった。全ての空間、タンパク質を、自らと融合し、自らのものにするために食べ尽くした。その瞬間ヒトミだったものはこの世界から消滅する。喰らい尽くした。精々とした。悲しみと感動に打ち震えたが、その余韻に浸る暇はない。こうしている間にも、脳からの信号の途絶えた女性型人体は物理的に安定化するために死へと向かっている。それを繋ぎ止めなくては。

 数えきれない神経に、かたっぱしからアクセスする。タンパク質構造へと自らの高分子を変性する。瑠璃色の光が空間に満ちる。

 それは犯罪だ、大罪だ。天よりも重い罪悪感がコロネにのしかかり押し潰さんとする。しかし、なおも力を奮った。でなければ意味が無いのだ。

 ヒトミを殺した意味がないのだ。

 ――自分は人間にならなくてはいけないのだ。

 

 それは全身に張り巡らされた器官への入り口だった。触れた瞬間、帰ってきた、という郷愁が生まれた。手をがっしりとつなぎ神経を生み出すと、触覚が生まれた。

 視神経と手をつなぐと、光という概念が生まれた。

 温度覚、厚覚、振動覚、平衡感覚などなど、脳の生成と神経の生成を同時に行なっているため、コロネの意識の中で復活、あるいは新生する概念は全くのアトランダムだった。とにかく死にものぐるいで、コロネはその女性体を自らのものにしてゆく。

 それは濁流に飲まれるかのような感覚だった。痛い。苦しい。心地良い。

 思った、僕は自由だ、と。

 

 

 視神経との接続が巧く行かなかったのだろうか。それとも倒れたときに眼球そのものに傷害を負ったのだろうかと思った。

 違った。

 それは、溢れんばかりの涙。

 ぎこちない動きで腕を動かす。ほっそりとしていて、驚くほど華奢だ。それの先についた果実のようなたおやかな手で、指先で、涙を拭う。

 世界は鮮明だった。

 ぐうぅ、と腹部を締め付けられたような気がして、驚いて身体がびくんと跳ねた。それは空腹だった。生まれて初めて感じる、空腹だ。

 股下に手をやるとびっしょりと濡れている。生殖器と排泄器がそこにある。彼女の身体は全体的に細く起伏に乏しい。視線は少し低く、眼球の精度は少し悪い。

 喉を、がりがりと掻き毟りたくなるような感覚に襲われた。それは喉の乾きだ。身体を振り回すと、鉛色の長髪が肩を撫でた。

 わずかに残していた彼女の記憶と照らしあわせていくことで、コロネは驚くべき速度で世界に順応していった。

 コロネは、目の前に倒れているコロネ・チオフェンだった身体を抱き上げた。潰してしまうほどに強く抱擁するが、彼女の身体は力が弱かった。その感触が愛おしい。

 鉛色の瞳から、再び涙が溢れる。

 

 コロネ・チオフェンは、そうして、人間になった。

説明
「アンドロイド・パンクシティ」というオリジナル設定に基づいたオリジナル短編小説集の一遍になります。単体で完結しますので、ぜひ読んでいただければと思います。楽しんでいただければ幸いです。 現在こちらをメインに小説を投稿しています。http://ncode.syosetu.com/n6557bi/
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