天馬†行空 十八話目 四海に回る毒
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 ――最近は早起きするのが楽しみになった。

 

 皺の無い朝服を一部の隙も無く着こなしている栗色の髪の少女は、深い霧に包まれた空を見上げると胸一杯に朝の空気を吸い込んだ。

 僅かに垂れた新緑を思わせる瞳、ハの字に下がった眉は本人の意思とは無関係にどこか困っているような印象を与えている。 

 そのまま深呼吸を続けていた少女は、やがてゆっくりとした足取りで政庁へ向かって歩き始めた。

 途中、早い時間ではあるが彼女と同じく登庁していた同僚達と挨拶を交わす。

 しばらく前まで、彼女はこの霧のように心が晴れない日々を過ごしていた。

 ――これは、未だ少女が幼少のみぎりに母親から聞かされた話になる。

 

 先々代の帝、((桓帝|かんてい))は帝位に着いた際に宦官とはかり、権勢を誇っていた外戚(先帝の皇后に連なる一族)を一族皆殺しにして主権を回復した。

 尤も、帝から権力を与えられた宦官も以前の外戚同様、権力を握ると腐敗していく。

 宦官の専横を非難した清流派(宦官やそれに((阿|おもね))る勢力を濁流派と呼び、批判する徒党)の((李膺|りよう))らが桓帝に逮捕された。

 これに加担した儒学者や学生は釈放されたものの、終身禁錮(一生に渡る任官権の剥奪)に処される(((党錮|とうこ))の((禁|きん)))。

 一方、世情も不穏で、帝の即位から五年後に壊滅的な地震に見舞われ、その二年後にはイナゴの異常発生から全土に飢饉が広まり、各地で民衆の反乱が発生する。

 行政のたるみと腐敗は、農民救済制度を蝕み、中央政府は『天命』が去った事を示すこれらの凶事に対応することはできなかった。

(皇帝は巨大な行政制度の中心であり、全権を委ねられた天と地の仲介者。天の祭祀を主宰出来るのは『天子』のみ。ただし、国に悪い事が起こると、皇帝が天の信頼を失った証拠とされて革命が正当化される)

 このような事態にもかかわらず桓帝は宮中に閉じこもり、心ある者達は官職に就くのを拒み、中央から去っていく。

 さらに桓帝には三人の皇后がいたが、何れも世継ぎをもうけることが出来ず、桓帝の死後は後漢王朝三代目の皇帝、((章帝|しょうてい))の玄孫にあたる劉宏(霊帝)を新しい皇帝に選んだ(ちなみに桓帝は十一代目の皇帝)。

 

 この時、霊帝の摂政となった桓帝の皇后の父、((竇武|とうぶ))は宮廷を牛耳っていた宦官の追い落としを図り、宦官と対立していた李膺(この頃には許されて官職を得ていた)ら清流派の儒学者達を味方とした。

 ところが、不注意から計画が漏れ、警戒を強めた宦官たちは真夜中に皇帝を起こし、謁見の場で竇武は自害を強いられる。

 李膺らも殺され、その一族は官職に就くことを禁じられた(第二次党錮の禁)。

 この事件以降、二十年にわたって宦官の支配が続くことになる。

 霊帝は宦官を重用し、自然と腐敗していく官僚の所為で目減りする一方の税収を官職や称号を公売に付すことを認めた。

 おおっぴらに官職が金で売り買いされたのだ、しかも皇帝自らがそれを推進して。

 そこで得た収入は先帝の時代から危機に瀕していた農業への救済に使われず、霊帝は新たな宮殿の建築等に費やす。

 つまり、霊帝も先代の帝と同様に政を省みる事はなかった。

 その間にも起こる干ばつや洪水で流民が増えていき、社会不安が頂点に達してあの黄巾党が発生する。

 宮中内での策謀に長けてはいても、軍事に通じてはいない宦官や、その子飼いの将軍達では反乱をまともに鎮圧する事はできる訳もない。

 結局、乱を鎮圧したのは有力な地方軍閥で、中央はその腐敗と惰弱ぶりを天下に晒す結果となった。

 自然と民衆の心は頼りにならない中央よりも自分達を庇護してくれる地方豪族に向けられていく。

 

 黄巾の乱が発生した頃、成人していた少女――((荀攸|じゅんゆう))、字を((公達|こうたつ))と言う――は何進に召し出され、朝廷に仕え始める。

 何進は元々市井で((屠殺業|とさつぎょう))を営んでいたが、妹が皇后になった為に大将軍の位を得た。

 その為、心無い者や宦官からは成り上がり者、と揶揄されていたが、公達は噂とは違う何進の側面を覚えている。

 一市民から突然大将軍になった何進は、慣れないながらも自ら近衛兵を率いて都を巡回し、民衆を扇動しようとして潜伏していた黄巾党の幹部を捕縛した。

 また、蔵で埃を被っていた兵器を修繕して、宦官の息が掛かった先遣隊が全滅した後に出陣した皇甫嵩らに提供している。

 その一方で何進には短気な部分もあり、また優柔不断な面もあった。

 加えて軍務に関しては初心者も同然だった為に、袁本初らの言に決定を左右されることもしばしばで、結果的に十常侍からの偽勅に惑わされ、暗殺されてしまったのもその辺りに一因があったのではと公達は考えている。

 

 閑話休題。

 中原を混乱の渦に叩き込んだ黄巾の乱が収まった矢先、

 

 ――先だっての先帝崩御とそれに続く宮中での変事。

 ――世継ぎだった弁皇子と、その母である何皇后の急死。

 ――新たに帝位に着いた協皇子とその摂政となった董仲穎。

 

 と立て続けに事件が起こり、目まぐるしく情勢が変動していった。

 中でも軍を率いて洛陽に突如として現われて協皇子を保護し、そして翌日には非常設であった相国という地位に就いた董卓を公達は初め訝しんだ。

(相国に任じられた日にも新帝のお姿が無かった。董卓は幼い皇帝を操り、暴政を行ってきた十常侍らの後釜に座るつもりでは?)

 そう感じ、再び訪れる暴政の日々を予感して心中で溜息を吐いた公達の予想は、しかし良い形で裏切られることとなる。

 ――董仲穎は、公達が((唾棄|だき))する((汚吏|おり))たちとは天と地ほども離れた人物だった。

 相国と成ったその日の内に、董卓は自軍の兵をも投入して都全体の警邏に当たる。

 それが一段落すると、今度は十常侍ら腐敗宦官子飼いの武官と文官、役人の処断。

 そのいずれも素早くかつ的確に行われ、公達には淀みきっていた都の空気が厳しくも清々しい冬の朝の空気に入れ替わったように感じた。

 

 

 

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(――うげ)

 

 思索に耽りながら歩いていた公達は何かに気付き、ふと顔を上げる。

 霧が立ち込める廊下の先に見えた二つの人影、その顔が見えた瞬間、公達は表情を苦々しく歪ませた。

 

(なんだってこんな時間に…………ああそうか、年寄りは朝が早かった)

 

 一人は白髪頭と、蓄えた顎鬚も白一色の老人。公達と同様に朝服をきっちりと着こなしており、動作もかくしゃくとしている。

 もう一人はまだ黒い部分が多い頭髪以外、白髪の老人と似たような格好の老人一歩手前の男性。

 こちらはやや猫背気味で、白髪の老人のやや後ろを影のように付いて歩いていた。

 こちらへと歩いて来る二人に、公達は廊下の端に寄ると拱手しながら一礼する。

 

(さっさと通り過ぎてくれないかな……)

 

 二人と視線を合わせぬよう、深くお辞儀をしながら公達は心の内で溜息を吐いた。

 

「ほっほ、荀攸殿、でしたかな? 朝早くから随分と仕事熱心なことですな」

 

 お辞儀したままの公達の前を二人が通り過ぎ、安堵しかけたその時、白髪頭の老人が足を止めて向き直る。

 

(…………ちっ)

「はい、王司徒。中央に召されて日が浅い若輩者故、少しでも早くから出仕するようにと心掛けております」

 

 やけに明るい響きのその声に、心中で舌打ちしながら少女は丁寧且つ生真面目に返答した。

 

「ほっほ、これは見上げた心意気。他の者達にも見習わせたいですな……ふむ、どうですかな荀攸殿、一度我等の会に参加してみては?」

 

 そのままの姿勢でいる公達の目の前まで来ると、王司徒と呼ばれた老人は感心した風に声を掛ける。

 

「いえ、私如きが『清流派』の皆様に混じるなど((不遜|ふそん))もよいところです」

 

 公達は一層頭を下げると、恥じ入るように答えた。

 

「それに、未だ董相国の下で与えられた仕事にも四苦八苦しております。申し訳ありませんが、今はそちらに専念したく……」

 

「ほっほ、これは残念。じゃが、いつでも歓迎しますぞ荀攸殿」

 

「はっ! 有り難う御座います王司徒」

 

 顎鬚を撫で付けながら踵を返す王老人と、無言で公達に一礼をしてから彼に付いて行くやや影の薄い初老の男。

 その後姿が見えなくなるまでお辞儀したままでいた公達は、廊下から彼等の気配が無くなると眉間に皺を寄せながら頭を上げた。

 

(最低限の仕事しかしないくせに相国の陰口を叩くのだけは達者な老害共が。なにが『清流派』だ――)

 

 何進将軍と十常侍、宮中で権力を握っていた両者が相次いで倒れ、今まで閑職にあった『清流派』を自称する者達はついに表舞台に立てるのだとほくそ笑んでいたのだろう。

 だがそこに(彼らに言わせれば、自分達よりも学識も見識も無いであろう田舎者の)董相国が現れ、政務を取り仕切っている。

 

 ――奴等はそれが気に入らないのだ。

 

 緑の瞳に怒りの色を宿し、公達は足音も荒く霞む廊下の奥へと歩いていく。

 霧は僅かに晴れ、空に浮かぶ日輪の周りを虹の環が囲んでいた。

 

 

 

 

 

「((王允|おういん))様、荀攸殿はこちら側ではないようですな」

 

 荀公達と擦れ違った二人は彼女の姿が見えなくなると、先程まで一言も口を利かなかった男が王允に耳打ちする。

 

「うむ……だが、まあ良い。駒は既に揃っておる」

 

「では……?」

 

「とは言え、まだその時ではない。今は機を待て、((士孫瑞|しそんずい))」

 

 荀攸と話していた時の好々爺然としていた態度と違い、口調からは明るさが消えており、振り向いて士孫瑞を見る王允の目つきはまるで獲物を狙う猛禽類のように鋭く輝いていた。

 

「分かりました。では、今まで通りに」

 

「頼むぞ」

 

「はっ」

 

 一礼し、足早に去ってゆく士孫瑞の背を見送る。

 

「全ては、正しき御政道の為に――」

 

 その姿が見えなくなると王允は厳しい顔つきのまま、低い声で呟いた。

 

 

 

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 酒家での夜勤明け早朝。

 まだ薄暗い中を士壱さんの屋敷へと帰った俺は、皆が起きてしばらくしてからさっき浮かんだ考えを話してみた。

 勿論、『三国志』でそうなってるから、なんて言えないので士壱さんから以前聞いた袁紹さん達の話などから推測した、と断ってだけど。

 

「あ……そうか。事は内側だけじゃすまないか。外の袁紹殿に袁術殿、ね……それは、うん……ありえそうだね」

 

「まず間違いないでしょう。袁術の方は知りませんが、もう一人がどれほど((小人|しょうじん))であるかはよく知っていますから」

 

「ふむ、これは文遠殿にも話しておいた方が良いかも知れんな」

 

 話し終えると、士壱さんは渋い顔になり、稟さんは心底ウンザリしたと言わんばかりに眉間に指を当て、星は神妙な顔で頷いている。

 ……うん。皆の反応を見る限りはどうやら突拍子の無い想像でもなかったみた……あれ? 

 そう言えば風さん、やけに静か――って、

 

「「寝るなっ!?」」

 

 案の定、うつらうつらと舟を漕いでいた風さんに入る俺と稟さんの突っ込み。

 

「おおっ!?」

 

「起きましたか……まったく、昨日はあんなに早く床に入っていてどうしてそこまで眠れるのよ」

 

「……む〜、ふぁ……寝すぎて逆に眠いのですよー」

 

「……えっと風さん、さっきの話は聞いてた?」

 

「あー……風も稟ちゃんと同意見なのです」

 

 と言うと、風さんはまた小さな欠伸を一つ漏らした。

 

「……少しいいか? 今の話に関連するかは分からないのだが……一つ、私も気になる話を聞いた」

 

 欠伸が止まらない風さんの眠気覚ましも兼ねて、士壱さんが熱めのお茶を卓上に並べた辺りで、星が口を開く。

 見回す星に、皆が無言のままに頷いた。

 

「都の東門……ああ、街の入り口の方のだが、そこに居た兵が三名、行方不明になっているそうだ」

 

「行方不明? 子龍さん、それはいつ頃?」

 

「それがちと妙な話なのですよ士壱殿。気になって色々と聞き込みをしてみたのですが、いなくなった兵士は私と一刀がここに来た当日とその次の日は東門で職務に当たっていたらしいのです」

 

 眉を((顰|しか))めた士壱さんに星もまた眉を((顰|ひそ))めて返す。

 

「東門……ね。その二日間で変わった事と言ったら……あ! そういや、東門だけは商人に限って通行を許可してたっけか」

 

「あれ、そうなんですか? あんな事があったんだから門の通行は止められてると思ったんですが」

 

「出発直前だった商隊とかは都から出るのを許されてたんだ。勿論、怪しいところが無いか厳しく検められた上でね……まあ、私も又聞きなんだけど」

 

 あの日、外は兵士が走り回ってたりしていて結構な騒ぎだったから都は封鎖されていたと思っていたんだけど……。

 そう思って聞いてみると、士壱さんは合点が行かない、といった風に教えてくれた。

 

「私の情報は文、張遼殿に偶然聞いただけなのですが、どうも気になりましてな。その兵士達が勤務していた次の日からは、董卓殿の兵が全ての門の警備に就いているのですが……」

 

 ふむふむ、つまりそれまでは違う人の兵が配属されていたと。

 

「どうもその時点では何進将軍の配下で、袁紹、袁術とは違う系統で動いていた者が門の警備に兵を回していたそうなのですよ」

 

 そこまで語ると、星は歯切れが悪そうに続けた。

 

「警備の兵を回した者は先の官吏粛清で既に処断されておる上、その下にいた兵士達のだれもが、その二日間に東門に居た同僚を覚えていない……と言うより、『知らない』のだとか」

 

「……そりゃまた、妙な話だね」

 

「兵の数が多すぎて、誰も覚えが無いとか、どこか別の隊の人間が臨時で加わっていた……などとは違うのですね星殿。本当に『知らない』のだと?」

 

 士壱さんが相槌を打ち、稟さんが星に確認を取る。

 

「ああ、私が関係者の全員に直接問いただした訳ではないが皆が皆、知らぬと言ったらしい。兵を動かしたのも処断されたその人物だけで、他の部隊は動いていなかった事は判明している」

 

「あの日、洛陽で動いていた兵は外から来た董卓さん、宮中で暴れていた袁紹さんと袁術さんとその方だけですか? 星ちゃん」

 

「少なくとも私はそう聞いている」

 

 二日間だけ、三人の兵だけを動かした? その人はなんだってそんな事を?

 

「星殿、いなくなった兵士達がその二日間、門番以外に何かをしていたとか、勤務におかしなところが無かったかとかは分かりませんか?」

 

「それは私も気になったのだが……変事の日に通りを歩いていた者はいなかった。翌日、戸外に出た者はちらほらといた様だが……門番達はいつもより長めに検分をしていた、とだけしか判らなんだ。あと、その兵士達だが、初日は昼から門が閉じられる刻限まで、翌日は早朝から前日と同じ時刻まで門を離れてはいないらしい」

 

 そうですか、と稟さんが頷く。

 

「……正直、その兵士達が何だったのかは判らず仕舞いだ。だが、一刀の話を聞いて何故か話しておかねばならんと思ってな」

 

「星ちゃんは、誰がやったと思ってるんですかー?」

 

「……袁紹か袁術が連合を興すならば、自身の家柄からくる発言力を駆使するのは間違いない。そこにもう一つ、民の声、つまり風評も利用すると考えれば」

 

「つまり、袁家のどちらかが董卓さんの悪評を流布する為にやった事だと?」

 

「自分達の兵を密かに使ったのではないか? と思ったのだが……違ったな」

 

 顎に手を当て、俯きながら星は溜息を吐いた。

 そうだ、星は確かにこう言っている。

 あの騒ぎが起きた『当日』と、その翌日の二日間だけしか所属不明の兵士は門に詰めていなかった、と。

 董卓さんが相国になったのは騒ぎの日の『翌日』だ。正式な任命の式はお昼を過ぎてからあったと士壱さんに聞いた。

 加えて、袁紹さんと袁術さんは董卓さんが相国に任命された事を聞いて、その日の内に都を去っている。

 その不審な兵士が袁家の兵士だとして、二日目だけ門に居たのなら解る……だが初日も居たとなると事情が違ってくるように思う。

 

 騒ぎがあった当日、『全ての門は董卓さんが洛陽に入った直後に閉められている』のだ。

 

 董卓さんは日没直前に都に到着した、と士壱さんから聞いている。

 もし袁紹さんか袁術さんが星の考えた通りに動いていた場合、騒ぎが起こる前から相国になるかどうかも判らない董卓さんの悪評を流そうとしていた事になるが……。

 

「袁紹がそこまで先を読んで仕込みをしていたとは到底考えられませんね」

 

「袁術殿も袁紹殿と似たり寄ったりだと聞いたことがある。この二人がやったとは考え難いかな?」

 

 ……やっぱり、袁紹さんと袁術さんがやった訳じゃ無さそうだ。

 

「やはりそうですか、私からは以上です。……で、話を元に戻すが一刀、これからどうする?」

 

 

 

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「あ、うん。先ずは白……公孫賛さんと劉備さんに手紙でも書こうかと。洛陽の現状に俺の推測を多少交えて書くつもり」

 

「ふむ、牽制か?」

 

「そう。実際に袁紹さんが行動するか分からないけど……白蓮さん達の選択肢を増やそうと思って」

 

 史実どおりなら白蓮さん達は参加する筈……ただ、史実とは違い董卓さんは悪政を敷かなかったし、街も落ち着きを取り戻しつつある。

 

「しかし一刀殿、もしその通りに事が推移すれば、伯珪殿はともかく劉備は小勢力。袁紹の呼び掛けを断る事は出来ないでしょう――?」

 

 誰か来たみたいで、部屋の外から士壱さんを呼ぶ声が聞こえた。

 

「おっと、ちょっと中座するよ。続けてて、((成|な))る((丈|たけ))すぐに戻るから」

 

 軽く手を振りながら士壱さんは部屋から出て行く。

 

「……えっと、多分そうだろうね稟さん。桃香さんは義勇軍を率いてた時とは違って今は平原郡の相、治めている領地を危険に晒す訳には行かないだろうし」 

 

「伯珪さんも北の備えで忙しいでしょうから、中央の情報には疎いかもしれませんねー」

 

「風の言う通りだろうな……ふむ、では今日中に手紙を出しておくか。一刀、確か張世平殿が洛陽に居ると言っていたな?」

 

「ああ、三日前、都に着いたんだって。昨晩も酒家に来てたよ」

 

 張世平さんは以前、白蓮さんに物資の援助をした商人さんだ。彼女は桃香さんが独立した時に、そちらにも援助をしている。

 

「よし、では手紙はそちらに預けるとしよう。さて次だ……もし戦が起こった場合、我等はどう動く?」

 

「私と風は宵殿の判断で行動するつもりです」

 

「お兄さんが外の袁紹さんを気にしているように、宵さんは内を気にしておられるのでー」

 

 内側……そういやさっき、士壱さんは『事は内側だけで済まない』って言ってたな。

 

「ねえ風さん、董卓さんは宮中内にも敵が居るの?」

 

「みたいですねー。特にお年を召した方達がー」

 

「『清流』を標榜する官吏ですよ。尤も、彼等の志は初志からだいぶ逸脱しているように感じますがね」

 

「? ゴメン稟さん、その辺りを詳しく教えてくれないかな?」

 

「解りました。少し長くなりますよ」

 

 眼鏡の位置を直しながら、稟さんは居住まいを正した。

 

 

 

 

 

「……プラ、自尊心が高い人達ってこと?」

 

「概ねそう判断すれば良いかと。漢室への忠誠心が高じて、新参者への風当たりが強くなっている、というのが現状でしょうね」

 

 稟さんの話が終わって感じたのは、清流派と呼ばれる人達が随分と面倒な思考をしているなあ、ということ。

 彼等は、十常侍が支配していた政の場で生き残って来たという自負があるのだろう。

 多分だけど、十常侍や何進将軍が倒れた後には苦難を耐え忍んできた自分達が国政の場で広く意見を述べたい、と考えていたのではないだろうか?

 だが実際に最高の位に就いたのは(ずっと西涼の田舎暮らしで中央の情勢を知らなさそうな)董卓さん。

 その彼女がいくら善い政治をしようと頑張っても、彼等にしてみれば「田舎者が何を知った風に」ってなとこだろう。

 

「……ふう。どこにもその手の輩は居るものだな」

 

 星がこめかみを押さえて、呆れたように呟く。

 

「年を取ると頑固になるって言いますからねー……おや?」

 

 風さんが同じ様に呟いたその時、士壱さんが静かに部屋へと戻って来た。

 

 ……表情が固い。

 震えている右手には書簡らしきものが握られている。

 

「……宵殿、何があったのですか」

 

 問い掛ける稟さんの声色は神妙な響きを帯びていた。

 

「姉上から手紙が来た。…………最悪だよ、ゆっくりしてもいられなくなった。しかもこの手紙の内容、ここに居る皆以外には話せないと思う」

 

「――宵さん、劉表さんの件ですかー?」

 

 搾り出すような士壱さんの声。

 ある程度、事情を解しているであろう風さんの声はいつも通りだったが固く、緊張の色が混じっていた。

 

「うん。((蒼梧|そうご))に誰かを派遣しようとしてるらしいんだけど……今回はそっちの件じゃない」

 

 蒼梧郡は交州の都市の一つだけど……劉表が太守を任命? 朝廷でもないのにそれって越権行為じゃあ……。

 行き成り出て来た地元(に近い郡)の話に驚く俺をよそに、士壱さんの声は更に重くなっていく。

 

「話をする前に……子龍さん」

 

「む、何ですかな?」

 

「張遼殿とは親しいと聞いたけれど?」

 

「え、ええ、ここのところ毎日手合わせをしており、良く気が合いますが?」

 

 厳しい声で問い掛ける士壱さんに星は戸惑った様子で受け答えをしている。

 

「北郷が危惧した通りの事態になったとして、子龍さんは張遼殿に助力する?」

 

「無論」

 

 ――迷いが無い。

 星はその問いに間髪入れず、答えを返した。

 

「そっか…………ゴメン子龍さん、董卓さんの軍へは貴女一人で向かってくれる?」

 

 なっ――!?

 

「……理由を聞いても宜しいか」

 

 星の表情が厳しくなる。

 同じく、厳しい表情のままの士壱さんはすうっ、と息を吸い込んだ。 

 

 

 

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 ――北郷一刀と仲間達の会話があった日より一週間後。

 

 

 

 ――陳留、玉座の間。

 

「董卓……黄巾の乱の折、聞いた様な気がするが……((桂花|けいふぁ))、貴女は詳しく知っていて?」

 

「申し訳ありません華琳様、私もそれ以上の事は知りません……」

 

「そう。……ふむ、この檄文の内容からすれば、董卓はその無名さ故に麗羽の嫉妬を買ってしまった様ね」

 

 猫の耳を思わせる頭巾を被った軍師――((荀ケ|じゅんいく))、字は((文若|ぶんじゃく))――の沈んだ返事に、曹操は一つ頷きを返した。

(忌々しい事に)自分と同じ様な髪型で渤海を拠点としている幼馴染の、目を閉じて思い浮かべるまでも無い甲高い笑い声が脳裏に響いてきたように感じ、彼女は思わず溜息を漏らす。

 

「それに悪政とは言っても董卓は腐敗した官僚を粛清したと聞くわ。政が進まぬのは、無駄に自尊心の高い文官共を統制しきれていないからでしょうね」

 

「……? え、えーとじゃあ華琳さま、董卓って言う人は悪い人じゃないんですか?」

 

 以前に都に居た時に見た、卑屈なまでの臆病さで保身を図っていた年寄り達の姿を思い出して眉をひそめる華琳に、末席に控える桃色の髪を頭頂部で団子状に結った少女が疑問を投げ掛けた。

 

「そうね((季衣|きい))。確かに、董卓自身は悪くないのかもしれない。……だけどね、上に立つ者として部下に成った者達を使いこなせず、それが原因で政を滞らせるのは悪になるの」

 

 季衣に返す華琳の言葉は穏やかながら強さを感じさせる口調。そこには、自身がそうならない為にという自戒の意味も含まれているようにも響いた。

 

「華琳様。経緯がどうであれこの連合には天下の英傑が一堂に会します。この機会に大功を立て、名声を磐石にする良い機会かと」

 

「黄巾の乱に至り、巨龍は既に死に体となった……訪れる群雄割拠の時代の為にも、この機会を逃す手はないわね。桂花、我等は連合に参加すると返書を送りなさい」

 

「御意!」

 

 拱手して進言する桂花に首肯し、華琳は決断を下す。

 

「――春蘭! 秋蘭! 戦支度にどれだけ掛かる!」

 

「今すぐにでも!」

 

「いや姉者、今すぐは無理だ……申し訳ありません華琳様、三日程頂ければ」

 

「……二日よ。出来るわね、二人とも?」

 

「「はっ!」」

 

 主からの言葉を今か今かと待ち望んでいた長い黒髪と広いおでこが特徴的な女性――((夏侯惇|かこうとん))、字は((元譲|げんじょう))――の勢い込んだ返事に、隣に居た秋蘭――((夏侯淵|かこうえん))、字は((妙才|みょうさい))が引き止めて慎重な返事をした。

 華琳は二人の様子を見て口元に笑みを浮かべると、からかうようでいて、確かな信頼を篭めた暖かくも厳しい口調で二人に問い掛ける。

 果たして、問われた二人は息の合った綺麗な拱手をした。

 

「季衣は春蘭、((流琉|るる))は――そうね、秋蘭につくように」

 

「「はいっ!」」

 

 元気な返事と共に、夏侯姉妹の後に続く少女達。流琉と呼ばれた小柄な少女――姓名は((典韋|てんい))――は緑色の髪を揺らして季衣と共に走って行く。

 

「((凪|なぎ))、((沙和|さわ))、((真桜|まおう))もそれぞれの部隊の支度に取り掛かりなさい」

 

「はっ!」

 

「はいなの!」

 

「了解や!」

 

 三者三様の返事と、一緒に駆け出して行く三人の少女。

 凪と呼ばれた、肌の見える部分に多くの傷痕が残る少女――((楽進|がくしん))、字は((文謙|ぶんけん))――は、直立不動の姿勢から兵の手本となりそうな礼をする。

 沙和と呼ばれた、眼鏡と((雀斑|そばかす))が印象的な少女――((于禁|うきん))、字は((文則|ぶんそく))――は胸の前で合わせた手を緊張ゆえか、強張らせて。

 真桜と呼ばれた、暖かい南国にでも暮らすかのような格好の少女――((李典|りてん))、字は((曼成|まんせい))――は、その豊か過ぎる胸を揺らしながら。

 

「――さあ、時が流れ始めた。連合に集う諸侯達よ。この乱世で我と共に存分に舞おうではないか」

 

 己一人のみが残った広間で、曹孟徳は静かに玉座から立ち上がる。

 ――口の端は弧を描くように吊り上がっていた。

 

 

 

 

 

 ――寿春、玉座の間。

 

 寿春と最近になって汝南も治めることになった、天下でも有数の豪族でもある((袁公路|えんこうろ))は不機嫌だった。

 別段、朝早く目が覚めたことではない。

 早起きして、清々しい朝の空気を吸いながらの一杯(蜂蜜水)を楽しんでいたところを邪魔されたのが原因なのだ。

 

「なんじゃ孫策! こんな朝早くからとは失礼であろ!」

 

「ごめんなさいねー袁術ちゃん。でもコレはすぐに報せないとマズイかなーと思ってね」

 

 不機嫌のもとである孫策は、頬をぷくっと膨らませる袁術をしれっとあしらう。

 

「コレ?」

 

「そうコレ」

 

 小首を傾げた袁術に孫策は書簡を取り出して見せた(ちなみにこの時、袁術の側に居た女性は小首を傾げた袁術の姿を見て黄色い悲鳴を上げていた)。

 

「……んー……((七乃|ななの))、読んでたも」

 

「はいはい、差出人は袁紹さんですか。え〜と…………都で好き勝手してる董卓さんを皆で寄って集ってやっつけちゃいましょー、って書いてありますね」

 

「とーたく? はて、そんな名前の者が洛陽に居たかの?」

 

「あー、名前だけなら聞いたことがありますねー。ほら美羽様、麗羽さまが洛陽を出られる時にやたらと怒っておられたのを憶えてます?」

 

「――ぴっ!?」

 

 当時の出来事を思い出したのか袁紹の名が出ると、途端に袁術はガタガタと震え始める。

 

「(震えてるお嬢さまもイイですねー)その時に麗羽さまを出し抜いたのが董卓さんなんですよー。今では相国に就任しているみたいですね」

 

「ほう、あのくるくる女をぎゃふんと言わせた者かや。……で、七乃?」

 

「はい? なんですお嬢様?」

 

「しょーこく、とは何かや?」

 

 先程とは反対方向に小首を傾げる小さな主の姿を見て、七乃――((張勲|ちょうくん))――は緩んだ口元を隠すように手を当てた。

 

「三公、つまり太尉、司空、司徒よりも上の官位ですね。ちなみに、お嬢様や麗羽さまよりも上ですよー」

 

「なんじゃと! ……うぬぬぬ、麗羽を馬鹿にしたのは褒めてやりたいところじゃが、とーたくとやらが妾よりも偉いのは許せんのじゃ!」

 

 張勲の解説を聞いていた袁術は、自分よりも董卓が上の位、の部分に激しく反応する。

 その様子を見ていた孫策は、口元に微かな笑みを浮かべた。

 

「でしょ〜。行き成り出て来て袁術ちゃんよりも上の位、しかも洛陽から来る商人なんかは董卓の政治は酷いって言ってるのよ。だからわたしは袁術ちゃんがこの連合に参加すると良いんじゃないかなーって思った訳」

 

「むぅ……妾の子が目立ってるのは気に入らんが、そうも言ってはおられんの! 七乃、孫策、出陣の支度をするのじゃ!」

 

「は〜い」

 

「りょうか〜い。じゃあ、わたしは早速準備に取り掛かるわね、袁術ちゃん」

 

 頬を膨らませて、小さな握り拳をぶんぶか振り回す袁術に一声掛けると孫策は謁見の間を後にする。

 ――口元に浮かべた笑みを深くして。

 

 

 

「ただいまー」

 

「……随分と早かったな雪蓮?」

 

「ええ、袁術は説得するまでも無かったわ。向こうで勝手に盛り上がって参加を決めてくれたから……私はほんのちょっと水を向けただけよ」

 

 玉座の間を出た雪蓮はそのまま城の中庭へと向かい、その場に揃っていた全員の顔を見回すと、意外そうな顔で迎えた友人に笑みを浮かべた。

 

「ならば話は早い……しかし、ようやく機が巡ってきたな」

 

「ええ、袁術がバカなお陰でね……これで、やっと孫呉独立に向けて動き出せる」

 

 冥琳の言葉に笑みを浮かべ、蒼穹を思わせるその瞳に強い光を漲らせる雪蓮。

 

「ふむ、あの((孺子|じゅし))の我が儘に今まで我慢した甲斐があったというものじゃの」

 

 淡い紫色の髪を編み、腰まで伸ばしている長身の女性――((黄蓋|こうがい))、字は((公覆|こうふく))――が腕を組み、青い瞳を細めた。

 

「でも、それももうすぐ終わる。姉様、いよいよですね……」

 

 雪蓮をやや幼くしたような顔立ちの少女――孫策の妹、((孫権|そんけん))、字は((仲謀|ちゅうぼう))――は、表情を引き締める。

 

「そうね祭、((蓮華|れんふぁ))。でも連合に参加するのは功を立てるだけじゃなくて、参加する諸侯の動きを観る為でもあるわ」

 

「連合が終わった後――つまり、我等が独立してからの為だな」

 

「冥琳正解。……さて皆、ここからが正念場。頼りにしてるわよ」

 

「応っ!」

 

「はいっ!」  

 

 孫策の一声に、祭と蓮華が応えた。

 

「はっ!」

 

「はいっ!」

 

「はいっ」

 

 続けて静かに聴いていた者達が返事をする。

 

 短く応じたのは頭頂部で団子状に纏め、覆った布を紅い紐で留めた髪と切れ長の瞳も紫色で、日に良く焼けた褐色の肌の少女。

 袖が灰色、他は朱色の異常なまでに丈の短い旗袍に身を包み、黒いマフラーを巻いていた。

 細められた瞳と殆ど動かぬ表情から鋭い刃のような印象を受けるこの少女は、((甘寧|かんねい))、字は((興覇|こうは))、真名を((思春|ししゅん))と言う。

 

 甘寧に続いたのは集団の中で、一番小柄な少女。

 足元まで届く黒髪、暗紅色の瞳と同色の短衣。服は帯で留めてはいるがこちらも甘寧同様に丈が短い。

 草鞋を履いて、直立不動でいるこの少女、姓名を((周泰|しゅうたい))、字を((幼平|ようへい))、真名を((明命|みんめい))と言った。

 

 最後にのんびりとした返事をしたのは若草のような明るい緑色の髪の、鼻の上に小さな眼鏡をチョコン、と乗せた少女。

 冥琳と同じく、いや、それ以上にきわどい旗袍(当然のようにお臍は出ている、冥琳以上の胸はやはり半分以上露出している、丈は太股どころか股の僅か下までしかない)を纏い、少女――((陸遜|りくそん))、字を((伯言|はくげん))、真名は穏――は、和やかな笑みを浮かべた。

 

 彼女達の返事に一つ頷き、孫策は雲一つない空を見上げる。

 ――中天に浮かぶ陽が、雪蓮には何時もより近くに見えるような気がした。

 

 

 

 

 

 ――平原、玉座の間。

 

「わっ、ホントに来たんだ。一刀さん達の予想通りだね」

 

「お姉ちゃん、早速読んでみるのだ!」

 

「うん……えっとね」

 

 桃香が一言一句、ゆっくりと丁寧に読み上げると、彼女は苦笑いを浮かべた。

 それを聞いていた愛紗は眉根を寄せ、鈴々は頬を膨らませ、示し合わせたように怒気を漏らし始める。

 軍師の諸葛亮、鳳統も主君と同じ反応だ。

 

「……董卓の治世については、星と一刀殿から届いた手紙の内容と反していますね」

 

 呟く愛紗の声色は、白々としていた。

 

「董卓さんが洛陽に入ってすぐ、袁紹さんや袁術さんが領地へと引き揚げた事は放った間諜からの情報で確認していますから」

 

「……檄文が届いた時機からみて、袁紹さんが董卓さんを妬んで連合を興そうとしている公算が高いですね」

 

 諸葛亮、続いて鳳統と、二人の小さな軍師が意見を口にする。

 

「成る程、自分が権力の座に就けなかった腹いせか」

 

「ですね。袁家は三公を四代にわたって輩出した名門。おそらくは宮中の乱に乗じて皇帝の後見人と成るつもりだったのでしょうが……」

 

 冷めた口調のまま、愛紗は袁紹を((詰|なじ))り、諸葛亮は彼の者の思惑を推測した。

 

「蓋を開けてみれば、劉協陛下をお助けしたのは董卓さんでした」

 

「上手く行かなかったから八つ当たりするなんて、聞き分けの無い子供といっしょなのだ!!」

 

 諸葛亮の言葉を引き取って結んだ鳳統、それを聞いて鈴々は率直に怒りを表す。

 

「鈴々の言う通りです。桃香様、我等が袁紹に組する理由はありません!」

 

「……う〜ん。愛紗ちゃん、それがね、これにちょっと気になることが書いてあって」

 

 鈴々の言に強く頷きを返し、桃香へと強く進言する愛紗だが、肝心の主はやや困り顔で参加する諸侯の名が記された書簡を見ていた。

 

「ほら、ここなんだけどね。白蓮ちゃんが参加するって……」

 

「なんと!?」

 

 主が指差す先に記された同士の名に、驚く愛紗。

 

「白蓮お姉ちゃん、一刀お兄ちゃんたちの手紙を読まなかったのかー?」

 

「……いえ、違うと思います。桃香さま、お手紙は三日前に届いたのですよね?」

 

「うん……あ、そっか! この手紙、白蓮ちゃんのところにはまだ届いてないのかも……」

 

 鈴々の疑問に諸葛亮が答え、桃香がそれに頷く。

 

「参加した人達の名前には血印が入っています。もし今になって、公孫賛さんがこれを反故にしようとしたら――」

 

「――袁紹や連合のみならず、世評そのものを敵としかねない、か」

 

 小さな声で懸念を口にした鳳統に、愛紗は拳を握り締めながら声を絞り出した。

 

 

 

 満座が静まり返ったその時。

 

「……参加しよう」

 

「桃香様!?」

 

「((朱里|しゅり))ちゃん、((雛里|ひなり))ちゃん、私達が参加しない場合……袁紹さんは攻めてくるかな?」

 

 驚く愛紗の声をよそに、桃香は諸葛亮と鳳統へと視線を向けた。

 

「はい、先ず間違いなく。この平原郡は袁紹さんの領地に隣接していますから」

 

「袁紹さんの兵数はこちらの五倍以上です。それに比べて我が軍は兵の数は勿論の事、兵糧、装備共に乏しく、とても太刀打ち出来ません」

 

「――くっ!」

 

 朱里、雛里の言葉に愛紗はぎしり、と歯噛みする。 

 

「でもお姉ちゃん、鈴々は袁紹みたいなやつと一緒に戦うのはいやなのだ!」

 

「確かに、それは私も嫌だよ……でも、参加しないと平原が戦に巻き込まれちゃう」

 

「う〜……」

 

 全身で拒否を示す鈴々を桃香は穏やかに諭した。

 

「でもね鈴々ちゃん、悪い事ばかりじゃないよ……ね、朱里ちゃん?」

 

「ほえ?」

 

 そう言って鈴々に微笑むと、桃香は朱里に視線を向ける。

 

「はい、参加すれば公孫賛さんとも話す機会がありますし、洛陽に近づければそれだけ北郷さん達とも連絡が取り易くもなります」

 

「ふむ、では桃香様のお考えは……」

 

「うん、連合に参加して白蓮ちゃんとお話しする。それから、一刀さんや星ちゃんに協力しよう!」

 

「董卓に対しながら救う手立てを考える……難しいですね」

 

「はい。ですが、動かなければその為の情報などが得られませんから」

 

「……間者を派遣するのも大事ですが、袁紹さん寄りの諸侯に気取られないように防諜にも気を配らないといけませんね」

 

「鈴々達が全力で頑張れば大丈夫なのだ!」

 

 桃香の意思表明に、玉座の間はにわかに活気付く。

 困難な道を歩もうとする彼女達の表情に、しかし暗い影は浮かんではいなかった。

 

 

 

 

 

 ――北平、玉座の間。

 

「…………あちゃー、こりゃ失敗したかなあ」

 

「? どうなされたのですか我が君」

 

 玉座の間に入ってきた陳到は、二枚の紙を手にして溜息を吐いていた主の姿に首を傾げる。 

 彼女の格好は深い藍色を基調とした軍装のまま。服装と同じ色の瞳と、腰まで届く長髪を首の後ろで一つに纏めている。

 主の反応に戸惑い気味ではあるが、彼女はその豊かな胸を張り、凛とした佇まいを崩さない。

 

「おっ、出陣の準備で忙しいとこ呼び出してすまないな叔至。……いや実はな、ついさっき北郷達から手紙が届いたんだが」

 

「一刀殿達、と言う事は師匠からも……?」

 

「ああ、星からも届いてる。内容は殆ど同じなんだが……はぁ」

 

 そこで再び、大きく溜息を吐く白蓮。

 

「お待たせしまし……((斎姫|さいき))、何があったのです?」

 

「((柚子|ゆず))か。いや、私も来たばかりでよく分からないのだが」

 

 少し遅れてやって来た田豫も、白蓮の姿を見て眉を顰めた。

 陳到の胸に届くか届かないかの身長、動きやすそうな淡い緑色の半袖の服と膝までの黒いスカート。

 背中の半ばまでの青みがかった緑色の髪、くりくりとした深い緑色の瞳は困惑している同僚に向けられていた。

 

「おや、私が最後でしたか。斎姫さん、柚子さん、お疲れ様です」

 

「これは軍師殿、お疲れ様です」

 

「あ、((著莪|しゃが))さん。お疲れ様です」

 

 後ろから掛けられた声に陳到と田豫の二人は振り向く。

 三人目は、上背がある陳到と並ぶ背丈。切れ長の目と、頬の辺りまでしかない髪の色は黒。

 著莪と呼ばれた少女は、腰周りは括れてはいるが凹凸の少ない、すらりとした細い肢体を月白色で筒袖の上着と深い藍色のズボンで包み、一見すると男性にも見て取れる風貌をしていた。

 

「ご主人殿。((沮授|そじゅ))、参上しました」

 

「ふう……って、わぁ!? そ、沮授? 国譲も何時の間に!?」

 

「今しがた参りましたが」

 

「です」

 

 沮授は玉座でうんうん唸っている主に一声掛け、隣で田豫が頷いた。途端、白蓮は弾かれたように顔を上げる。

 

「落ち着かれましたか? それでご主人殿……一体、何事でしょうか」

 

「あ、ああ。えっと、叔至にはさっき言い掛けたけれど、洛陽にいる友人達から((文|ふみ))が来たんだ」

 

「――! ひょっとして一刀様達からですか!?」

 

 白蓮が紙の束を取り出すと、田豫は目を輝かせた。

 

「ふむ? ……おお、噂の趙雲殿と北郷殿ですか。それは興味深い」

 

 口元に手を当てて、柔らかな笑みを浮かべる沮授。

 

「我が君、お聞かせ願えますか?」

 

 陳到は姿勢を正したまま、主に視線を向ける。

 

「ああ、実はな……」

 

 足下に控える部下に向かって、白蓮は少し疲れたように事の次第を話し始めた。

 

 

 

「……ふむ、すると檄文に書かれていた董卓殿に関する事柄はでたらめもいいところ、だと」

 

 白蓮が話し終えると、沮授は口元に手を当てたまま口を開く。

 

「間違いないだろう。……あいつらの人柄は私が良く知ってるからな。この手紙に嘘は無いさ」

 

 白蓮がそう言うと、陳到と田豫は深く頷いた。

 

 ――叔至と国譲も短い期間ながら、一刀と星の人となりを感じ取っていたからな。

 

 白蓮は頷き合う二人に微笑ましい視線を向けた。

 

「……しかし名家でもある袁紹殿が飛ばした檄文の内容は、放たれた矢の如く天下に知れ渡りましょう。一方の董卓殿は無名の存在から行き成り相国へ就任。しかもそこまでが早すぎた上に、陛下が即位された詳しい経緯が未だ天下に知られていません」

 

 劉弁皇子が亡くなられた部分などです、と沮授は意見を述べる。

 

「都の情勢が不透明、ということですか?」

 

「はい、先帝が崩御されてから今日までが慌ただし過ぎて一連の出来事に関する情報を把握しきれないというのは大きいですね」

 

 小首を傾げる田豫に、沮授は穏やかに返事をした。

 

「うん、私達は北郷達からこうして情報を得られたけど、他の諸侯、特に中原の方に領地がある奴等は黄巾に荒らされた領地の事で手一杯だろうから……」

 

「成る程、情報不足から来る無知故に檄文の内容は真実として流布する、と」

 

 頷き、一刀と星からの手紙を大事そうに撫でながら言う白蓮に、陳到は苦虫を噛み潰したようにそれだけを口にする。 

 

「師匠は董卓殿の軍に加わられた……。我が君、ここは連合から脱――」

 

「――斎姫さん待った! 我等は既に連合への参加を袁紹殿に表明してしまっている。しかも二週間も前にね。それがどういうことか解らんでもないでしょう?」

 

 やや激情を宿す声色で白蓮に何かを言い掛けた陳到を、沮授は急いで止めに掛かった。

 

「何を――」 

 

「麗、袁紹が他の諸侯へ回す情報には既に私の名前が入っている。それに、いまさら連合に参加しないとあれば『公孫伯珪は、一度交わした約束を平気で破る人物』と吹聴され、或いは董卓よりも前に攻められかねない。だろ? 沮授」

 

「は、はい。加えて、我が領内の民にも根も葉もない噂をばら撒く恐れがあります」

 

 沮授に向き直った陳到が口を開くよりも早く、白蓮は苦笑交じりにすらすらと沮授へ向けて、陳到への問いの答えを口にする。

 その口調には先程までとは違い、どこか吹っ切れたような清々しさがあった。

 それを聞いた沮授だけでなく、他の二人も主の言葉に驚き、動きを止めている。

 

「だろうな。解ってるさ沮授。……連合参加は取り消さない」

 

「我が君!?」

 

「伯珪様!?」

 

 うろたえながらの沮授の言葉にふっ、と一瞬笑みを浮かべ、白蓮は表情を引き締めると固い口調で言い放った。

 

「――但し、参加するのは董卓を討つ為じゃない。北郷や星と連携して、事を治める為にだ」

 

 陳到と田豫が驚愕し、思わず叫んだその時。

 白蓮はニヤリと不敵な笑みを浮かべて、

 

「さて、忙しくなるな。柚子は洛陽へ間諜の手配! 著莪は入手した情報の分析! 斎姫は軍の防諜を頼むぞ!」

 

 さっきまでとは打って変わって、楽しそうな声で唖然とする仲間達に指示を出した。

 

 

 

 

 

 ――武威、玉座の間。

 

「ふむ……この((馬騰|ばとう))、連合に参加すると袁紹殿には伝えられよ」

 

「はっ! 確かに!」

 

 一礼し、退室する使者の背に一瞥をくれた妙齢の女性――馬寿成――は使者の姿が消えると、玉座に腰を下ろす。

 肩口まである栗色の髪を後頭部の半ば辺りで括り、垂らしている。

 服装は水色を基調として肩の部分は黒色の半袖、脹脛までの白いズボンと焦げ茶色の軍靴を履いていた。

 やや太めの眉の下、深い紫色の瞳を憂鬱そうに曇らせて馬騰は僅かに溜息を漏らした。

 

(士燮殿から書簡が届いてすぐにこれか。まるで機を計ったかのようだな……)

 

 眉間に人差し指を当て、馬騰は目蓋を閉じた。

 その様子を見て、控えていた二人の少女達が口を開きかけたその時、城の主はくわっと目を見開く。

 

「((翠|すい))!、((蒲公英|たんぽぽ))!」

 

「お、おう!」

 

「ひゃ! は、はい!」

 

 いきなり呼ばれ、控えていた二人は跳び上がって返事をした。

 足元まで届く長い栗色の髪を後頭部の高い位置で一つにまとめて垂らし、緑を基調とした黒い長袖の服と白の短いスカート、太股の半ばまでもある長めの白い靴を履いた少女が翠。

 

 肩より少し下まで届く翠と同色の髪をやや低めの位置でまとめて横に垂らしているのが蒲公英と呼ばれた少女。

 こちらは橙色で肩部分が黒の半袖に短いズボン、『福』の字が入った動きやすそうな靴を履いていた。

 

 二人とも顔立ち(紫色の瞳、太めの眉)が馬騰と似通っており、血のつながりを感じさせる。

 

「お前達は兵一万を率いて連合に合流しろ。大将は翠、副将は蒲公英だ」

 

「わ、分かっ――じゃなく、分かりました」

 

 返事の途中でぎろりと馬騰に睨まれ、翠は慌てて言い直した。

 

「……よし、では直ちに支度にかかれ。用意が出来次第、出発だ」

 

 馬騰が厳しい表情で言い切ると、二人は一礼し、玉座の間を出て行く――直前。

 

「……なあ母様」

 

 翠が振り返り、

 

「何だ?」

 

「母様は、出ないのか?」

 

 訝しげな顔で母である馬騰に問い掛けた。

 

「((武威|ぶい))を空にする訳にはいかんだろ。それに、私にもやることがある」

 

「五胡か? だったらあたしが――」

 

 それならば常日頃から相手をしている敵である。

 翠は表情を変えずに口を開きかけたが、

 

「それもあるがな、今回はそれよりも厄介な((山|やま))ざ……いや、相手に当たるやも知れぬ――今はそれ以上言えん。さあ、準備に移れ」

 

 馬騰の、低く静かに押し殺すようなその言葉の前に黙り込み、無言のまま踵を返して部屋を出て行く。

 

(……欺かねばならぬ、か。だが、これが陛下を、ひいては都を守るためであれば) 

 

 娘の姿が見えなくなると、馬騰は強い光を宿した瞳で何も無い宙を――いや、南西の方角を強く睨みつける。

 

(最悪、((韓遂|かんすい))にも動いて貰わねばならぬか――よし)

「((馬超|ばちょう))のとは別に、軍の編成にかかれ」

 

 馬騰は思案を終えると、広間に残っていた他の武官へ命令を出した。

 

「――董卓領、((天水|てんすい))を攻める」

 

 

 

-6ページ-

 

 

 

 

 

 時を遡り――再び、洛陽。

 

 

 

「それに答える前に、一番大事な事から言っておくよ。これから起こるかも知れない袁紹殿の挙兵……いや、((遡|さかのぼ))れば董卓殿の都入りを促し、ひょっとしたら何進将軍の暗殺さえも陰で糸を引いていたかもしれない人物の名前を――」

 

 

 

 

 

 息を吸い込み、束の間、瞳を閉じた士壱さんが放った言葉で、場に沈黙の((帳|とばり))が下りる。

 

 

 

 

 

「成都……いや、今は益州の((牧|ぼく))と称している」

 

 ――!!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「劉焉、字は((君郎|くんろう))。これが裏で何かを画策している者の名だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-7ページ-

 

 

 あとがき

 

 大変お待たせいたしました。天馬†行空 十八話目をお届けします。

 今回は檄文絡みと、宮中の裏事情、そして元凶の発覚までを書きました。

 次回で、士壱が星に一人で行け、と言った言葉の意味。

 劉焉の狙いについてと、集結する諸侯の様子についてお送りします。

 

 それでは次回、十九話目「大義の旗の下に」でまたお会いしましょう。

 

 補足

 ・桓帝と霊帝のくだりは『中国皇帝歴代誌(創元社)』を参考にしています。

 ・オリキャラについての解説は、反董卓連合が終了した辺りでまたオリキャラ紹介を書きますのでそちらに纏めます。

 ・また、元にした原作は真・恋姫†無双ですので、付けていた『恋姫†無双』タグを消しておきます。

  加えて、『天馬』タグを『天馬行空』に変更させて頂きます、ご了承下さい。

 

 

 

 

 

説明
 真・恋姫†無双の二次創作小説で、処女作です。
 のんびりなペースで投稿しています。

 一話目からこちら、閲覧頂き有り難う御座います。 
 皆様から頂ける支援、コメントが作品の力となっております。

 ※注意
 主人公は一刀ですが、オリキャラが多めに出ます。
 また、ストーリー展開も独自のものとなっております。
 苦手な方は読むのを控えられることを強くオススメします。
  
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コメント
>黒乃真白さん 本日、↓3つ目の私のコメントに酷いミスがあった部分に気付いたので訂正させて戴きます。(誤:王允の事を→正:王允が清流派に所属している事) 更に、董卓が史実とは正反対の人物だった為、三国志知識に対する信頼への揺らぎが生まれた、という事もあります。 大事な部分の抜けがあり、答えになっていないコメントを返してしまい申し訳有りませんでした。 (赤糸)
>PONさん 未だ舞台に役者が出揃っていない状況なので(苦笑)。結末は原作と全く違うものを用意しておりますのでお楽しみに。(赤糸)
色々もどかしい回でした。うまくいかないものだな。結局原作と大して変わってないし(PON)
>黒乃真白さん ご指摘の通り、『何で知っているか』を説明できません。前回の話で士壱は黄?の次に司徒になった王允の事を一刀と星には話していませんし(話し忘れていたとも言う)、宮中の情報は士壱経由でのみ仕入れていましたから。(赤糸)
袁紹らの関与は疑ったのになんで一刀は王允の名前は出さないんだろう? 三国志的には有名所だと思うけど、何で知ってるか言い訳が考え付かなかったのかね(黒乃真白)
>陸奥守さん こっそりと参入しております。そう、地味に。(赤糸)
>アルヤさん 覇王様の部分は原作魏√を参考にしました。清流派(笑)は……お察し下さい(笑)。(赤糸)
(続き)軍師を手に入れてた。地味に名。(陸奥守)
白蓮地味に(陸奥守)
清流派(笑)UZEEEEEE!覇王様がどうも敵サイドになるとムカつくんだよなぁ・・・・・・。(アルヤ)
>summonさん 次回も説明回になりそうな予感が……撒いた伏線をいくつか回収していきます。お楽しみに!(赤糸)
>patishinさん お久し振りです。そして、お待たせしました。(赤糸)
>狭乃 狼さん 予想が付いておられたかも知れませんが、閑話2の時点から劉焉は目に見える動きをしていました。連合戦は若干変化しつつも、途中までは原作に沿ったものになりそうですね。(赤糸)
おお、意外な名前が黒幕としてあがりましたね。一刀さんたちがどう動いていくのか、次回も楽しみに待っています。(summon)
お久しぶりです。更新お疲れ様です。(patishin)
最後に意外な名前が出てきたwさて、桃香も白蓮も、そして他の諸侯も、連合戦ではどう動くのか?一刀達に勝算はあるのか?次回も期待していますwww(狭乃 狼)
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