in vitro life |
あるところの、研究室でのお話。
「やあジェニファー君、研究の成果はどうだい?」
白衣と白髪の似合う、ご老体の男性が女性研究員に話しかける。
「あ、ルーク博士。おはようございます」
ジェニファーと呼ばれた女性が答える。
「おはよう。で、どうだいこいつの様子は?」
「はい、今のところ問題なしです」
その答えを聞いて、ルーク博士はククっと笑う。
「そうかい。いやしかし、人間っていうものはやはりわからないものだねえ」
そう言って、培養液に満ちた水槽をコツコツと叩く。水槽の中では水泡が時折音を立てている。緑色の溶液にピンク色の脳が、薄暗い研究室で不気味な存在感を放っている。
「こうして脳だけ隔離されていても、本人は全く気が付かないとはね」
水槽のすぐそばにモニターが設置されている。そこには朝食をとる男性の姿が映されている。
「実験サンプルとして彼は適任だったね。こうして、何気ない一日を何度も繰り返している。脳に刺激さえ送っていれば、彼はこのまま何事もなく生活を続けていくだろうね」
「そうですね。すでに味覚の刺激パターンも計測できましたし、あとはプログラミングが勝手に彼の動きに合わせて脳に刺激を送ります」
「相変わらず、仕事が早くて助かるよジェニファー君」
「恐縮です」
その時、ジェニファーのおなかが鳴った。
「そういえば、朝食はとったかね?」
「……いえ、まだです」
おなかを抑え、赤面した彼女が答える。
「私は先に済ませてきたので、食べてくるといい」
「すいません、それではちょっと行ってきます」
そう言って彼女は研究室を後にする。
研究室一人残された博士は自嘲気味に笑う。
「しかし、この実験もステップの一部でしかないのだよ」
そう言って、博士はポケットから小さな試験管を取り出す。そこには水槽の溶液と同じものが入っている。
「ジェニファー君、君も気が付いていないのだよ。自分の脳が隔離されていることに」
試験管を天井の明かりに透かす。そこには小さい脳が入っていた。
「圧縮した臓器が通常通り機能を果たすのかどうかという実験なのだよ。そして、この試験管の中にはナノマシンが入っている。彼らが君の行動を監視し、それに応じて刺激を送り錯覚させるのだよ。先ほど感じた空腹も、私が指示を送ったことだ」
圧縮技術の進歩により、機械だけではなく人間の臓器までもが圧縮可能になったこの時代。
様々な方面で今、ロボット技術と共に最先端技術を担っている。そのため周囲の関心は高く、いつしか文明を揺るがすような技術の確立も夢ではないとされている。
やれやれと肩を竦めながら、博士はデスクに座りコーヒーを淹れる。このコーヒーメーカーも一見何の変哲もないただの物だが、様々な技術が詰め込まれている。
「身近にいる人間の感覚を私が操っていると思うと、何だか不思議な気分になるよ」
博士はコーヒーを一口飲む。
「実験と銘打ってはいるが、これは私の独断なのだよ。私以外この実験について知っている者はいないのだよ。それにね、私はこの技術を活かして何かに役立てようという気は一切ないのだよ。単純に、知りたいという知的欲求が私を駆り立てるのだよ。たとえそれが身近な人間であったとしてもね」
博士がコーヒーメーカーを叩く。
「こいつと同じで、蓋を開けて見ない限り誰も気が付きはしない。そこにどんな技術や中身が入っているのか何てね」
博士はコーヒーを一気に飲み干すと高笑いする。
「ははは、しかし人間の欲求ほど怖いものはないね。留まるところを知らない。私は今、こうして一人の感性を自在に操っているのだ。これが笑わずにいられるか、本人は何も知らずにのうのうと生きて、それを何事もないように澄ました顔で私は応対しているのだ。傑作だよ、私は罪深き人間だ。でも、罪悪感よりも先に快楽を覚えてしまうのだよ」
自分の体を抱きしめるように博士が悶える。
「一種のカタルシスとでも言うのか、私は彼女のすべてをコントロールしたいとさえ思っている。いや、彼女だけではない。可能な限りの人間を手中に収めたいと思っているのだ。欲深いよ、研究者とは本来こうあるべきなのだよ。リスクや世間体なんかをいちいち気にしていたら何も始まらない。何を恐れているのか、人間など所詮は科学の礎となる生贄なのだよ。他人がどうなろうと私の知ったことではない」
博士の脳裏にはかつての過ちが映し出される。それは最愛の人を、自分の実験で亡くしてしまった時の事だ。博士が全て悪いというわけではないが、責任を感じてそれ以来彼は変わってしまった。妻の死で、何かを失ってしまったかのように狂ってしまったのかも知れない。
「待っていてくれたまえ、愛しのヘンリーよ。今この実験から君へとたどり着くヒントを得るよ。そして、また二人で一緒に研究をしよう。それまで待っていてくれ」
切なげに話していた彼だが、やがてそれは高笑いへと変わっていった。
アハハハハハという歪んだ叫びのような笑い声が研究室に響き渡った。
そんな様子をテレビモニター越しに見ていた二人組が顔を見合わせた。
「こいつ大分いっちゃってないか?」
「ああ、こいつはガチでやべえ」
二人は眉をひそめつつも、こたつ上のみかんを一つとって食べ始める。
「しかし、あれだな。本当に人間ってのはよくわからねえな」
「だな」
そんなやり取りをしていると、モニターに女性が映った。
「ちょっと、そんな適当なこと言ってないで、何か考察とかしてなさいよ」
腕を組み、明らかに不機嫌そうな顔でモニターに映る女性が言った。
「はは、悪い悪い」
「いやあ、みかんがおいしくてつい」
「ったく、こっちはただでさえあの気の狂ったじいさんの相手してるんだからさあ」
「悪かったって、ジェニファー君」
「その呼び方やめて」
さして詫びる様子もなく彼らはけたけたと笑う。
「で、逆にそっちはどうなんだよジェニファー」
二人は急に真剣な顔つきになる。普段お茶らけているように見えるのも、こういった表情にギャップが存在しているからだろう。
「そうね……。これといって新たな発見はないけど、今のところ上手くやっているわ」
「感づかれたりしてないのか?」
「その辺は大丈夫ね、あの人自分に酔っていて肝心の周りが見えてないもの」
それを聞くと、二人は表情を崩す。
「ま、無理もないわな。こちとらそういうことに関しちゃ、エキスパートと言うかプロフェッショナルだからな」
「お前まだその覚えた横文字使いたがる癖抜けないのかよ」
「今使ってた? 意識無くても使っちゃうのは仕様だから仕方ねえよ」
「正確には同類よね」
「だな」
理解ある二人に言いくるめられて釈然としていないが、説明を続ける。
「あの博士じゃなくたって気が付かないだろうよ。お前がダミーの脳を使わせて、反応の演技をしてるなんてな」
「だろうな。ナノマシンとかにプログラミングとかしたのも全部ジェニファーだし、機械に関しちゃ俺たちの方が一枚上手ってことだな」
もう一つみかんを食べ始める。
「そもそも、私たちがロボットだなんて一体だれが気付くのかしら」
「それもそうだな」
そう言って三人は笑う。まるで人間のように、表情豊かに。
「さて、そろそろ私は戻るわ。また時間になったら報告する」
「うい、頑張って」
「気を付けてな」
「オーケー、じゃあまた」
そう言うと彼女はモニターから消えた。
代わりにまた博士の映像が映し出される。自室の研究室からスイッチを押し、隠し部屋に移動したようだ。これも彼らにとってはもはや秘密でも何でもないのだが、博士にとっては秘密の部屋だった。そこにぽつんと置いてある水槽の培養液に浮かぶ女性と思われる肉塊に、縋るようにして何やら愛を囁いている。
愛しているよ、君は素晴らしい、必ずこの手で……。もう何度も聞いた言葉だった。
しばらくそんなことが続いた後、せつなげに彼女のもとを離れ、研究室に戻っていった。これもいつもの光景。
それから戻ったジェニファーと会い、何事もないように博士は笑顔で話す。
もちろん彼女も笑顔で。
もう、見飽きたような光景も一応見届け、モニターを消して、彼らはいつもこう言う。
「ああ、やっぱり人間ってのはわからねえな」
「だな」
彼らは自分たちの作り手よりも、今はみかんを味わう事の方が大切らしい。
そして、彼らは自分たちもまた監視されているということに、まだ気付いてはいない。
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タイトル頂いたので、思いついたままに書いてみました。ちょっと意識した作家さんがいますが、出来が悪くて失礼なので伏せます。SFって、こういうものなんですかね? | ||
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