恋姫異聞録162 |
金城に造られた馬騰の功績を称える楼閣の一室では、躯を縛られた関羽が一人
静かに目の前の少女から自分に下される言葉を待っていた
「馬良様、本当に曹操様に報告をせずとも良いのですか?」
関羽を前に、扁風に付きそうように隣で槍を構える二人の兵の一人が、華琳への報告をせずに居る扁風に疑問を投げかけた
彼が疑問に思うことは当然であろう。敵の王が魏の地で有る西涼を通っているのだ、普通なら報告して然り、黙っていれば
下手をすれば西涼全体の罪となるかもしれない。だと言うのにも関わらず、扁風は報告もせずに土地を通したどころか
追手すらかけてはいない。全く理解しがたい状況なのだから
そんな疑問を隣の兵も持ったのだろう、同じように扁風に対して怪訝な表情を見せいていた
【関羽殿を捕えた事で十分、蜀の王は恐らく羌族の兵を借りに行っただけ。ならば、此方が手を汚さずとも蜀の王は羌族に殺される】
「おお!つまりは、此方は手を汚さず、関羽を捕え劉備の首も手に入れる事が出来ると言うわけですね」
「そうなりゃ馬超様と馬岱様も、涼州に戻ってきてくれるってわけだ!羌族のヤツラが、馬超様と馬岱様を殺すわけ無いからな!!」
素早く文字を書き認めた竹簡を兵達に見せれば、二人は声を上げて喜び、あまりに大きな声だったのだろう
部屋の外で見張りをしていた兵達は、何事かと部屋の中を覗き見ていた
「こりゃ大手柄ですよ。敵の王の首をとって、敵将を捉えて、馬超様と馬岱様を魏に引き込んで!」
「もしかしたら、韓遂様も戻ってくるかも!下手に報告しちまったら、他のやつに手柄を取られちまう、だから報告しなかったんスね!」
此れなら魏の他の文官たちに西涼をとられる事は無いと大喜びする二人
盗み聞きしていた兵たちは、二人の話を聞いた途端、一斉にざわめき立っていた
無理もない、今まで扁風に付き従っていた兵たちだ、彼女の苦しみを一番近くで見ていたからこそ、今回の事は何よりも喜びなのだ
西涼を残すため、馬家を西涼の盟主として残し続けるため、扁風は魏の知識有る文官たちに負けぬよう
そして、父に託され兄とも呼べる夏侯昭の手を煩わせたくない今は戦中なのだからと、必死になっていたのだから
「・・・違うな」
興奮し色めき立つ二人に水を差すように、縛られた関羽はポツリとこぼす
視線はずっと扁風に向けたまま、縛られてなお威厳を損なわぬその姿勢で
「貴女は答えを先延ばしに・・・いいや、他人に委ねただけだ。自分で決めることが出来ないから」
「何を、ふざけたことを抜かすなっ!馬良様が、答えを決められないだと!?」
「何も知らん癖に、戯言を抜かすんじゃ無いっ!!」
関羽の言葉に、主を侮辱されたと見た兵は、槍の殴打を関羽の躯に叩きこんだ
自分達の主が今までどれほど苦しんできたのか、言葉を満足に話すことが出来無い劣った部分を工夫し、知恵を絞り
速記だけでなく、情報を集め記憶力で勝負をしてようやく王に認められこの地を守ってきた
そんなんことも知らずに答えを委ねただと?劉備や羌族などに委ねたというのか、侮辱するのも大概にせよと憤りながら
「お前たちこそ、何を見てきたのだ。知恵は回るかもしれぬが、まだ幼い少女ではないか。その小さき肩に、どれほどのもを背負っているのか
盟主として、魏に仕える太守として、お前たちの命を預かるには、一人では無理だ」
劉備も支えを必要としていた、一人では戦えぬと理解していた
其れは、魏の曹操殿ですらそうであるはずだ、最も強く支えているのが三夏
三夏無くして曹操殿は、誇りと心力の強さで民を率いる、魏と言う船の船頭足り得ないと関羽の眼が語る
「勿論、馬良殿の言った事もあるかもしれない。だが、本当の所は違うのでしょう?何方に着いたら良いか、心が揺れている
曹操殿に報告してしまえば、蜀の未来がなくなる、貴女の姉、翠の命がなくなる、勿論、蒲公英もそう。それは、馬家が消滅はせずとも
西涼の地を、貴女の父である馬騰殿が命を賭けて守った土地が他人のものになってしまう。かと言って、魏への義理も忠誠も捨てられない」
だからこそ、貴女は・・・と、そこまで言った所で再び関羽の腹に兵士に槍が叩きこまれ
関羽はくぐもったうめき声を漏らし床へ這いつくばっていた
「妄想もいい加減にしろよ。捕らえたアンタを傷つける事に躊躇いはねえんだ」
「曹操様が、お前に前ほど価値が有ると思っていらっしゃると思うか?いいや、無いね
恩のある魏に対し、寝首を掻くような襲撃、夏候淵様への騙し討ち。そんな事をするヤツラに価値なんか有るわけねえだろうが」
乱暴で吐き捨てるような言葉を関羽にぶつけ、槍を更に振り下ろそうとした所で扁風が兵の袖を掴んで止め
兵は、まさかコイツの言うとおりなのですかと振り向けば、扁風の深き紫色の瞳は怒りを顕にしていた
【勘違いするな、此れは慈悲だ。劉備殿に羌族の説得は無理だ。これ以上の問答は無用、曹操様へ報告を】
「劉備の事は、いかがなさいますか?やはり、羌族が手を下した後で」
「当たり前だろ、向こうから劉備の首と報告が有るはずだ。其れを待ってからでも十分だぜ」
書き認めた竹簡を兵に見せれば、兵二人は一礼をして部屋を出た
扁風も、関羽に先ほどとは違う冷たく冷えきった瞳を一度だけ向けて関羽の軟禁された部屋を後にする
残された部屋で、蜜蝋に点いた灯りが風にゆらぐ
「桃香様は、必ず生きて帰って来られる。お前たちの言うとおり、道に迷い己の信じるモノすら疑ってしまった
多くの兵も死なせた。だが、その事実から眼を逸らさぬから今の姿があるのだ。人は、間違いながら、失いながら
歩き続けなければ何も得ることは出来ないのだから」」
漆黒の壁を前に、冷たい刃を頬に突きつけられ、劉備は叫ぶ
「兵は何故戦に出るのか、兵は何故命を賭けて其れが間違った命だとしても死地へ向かうのか
勇気を持つことは簡単だ、命令に従い何も考えず死地に赴くことで、馬鹿にでも出来る。だが、誇りを持つことは簡単ではない」
頬に刃が深く食い込み、紅の液体が流す涙のように劉備の頬を濡らす
「誇りとは、自分の生きる道であり、自分は何者か、そして自分が何を護る人間なのかを理解していなくてはならない
ただ、命令に従い死地に向かうのではない。己が何者かを知り、何を生きる道とし、そして誰を護ろうとしているのか
其れを理解した時、人は誇りと勇気を持ち続け死地へと赴くことが出来る」
脳裏に浮かぶのは、夏候昭の舞を始めた見た時の光景。自分達の兵が討ち滅ぼされていく光景
「例え其れが間違った命令だとしても、そこに護るべき者の為の戦いがあるならば、人は、勇気と誇りを持ち続け、死の道へと足を踏み出す
人が従うのは地位や名誉じゃない、護るものがあるからこそ人はそこに誇りを見出し、勇気を持つ」
刻まれる傷痕、だが劉備は構うこと無く素手で刃を握り、己の首に当てる
「護るものがあるならば、人は戦い続けるだろう。だから、私は戦いを終わらせたい。誇りを持ったまま、勇気を持ったまま
人と人が戦うのではなく、人が手を取り合い、護るべきを護り、死地へ赴く程の勇気を人生というもっと大きな戦を戦うためにつかえるよう」
「ダカラ、力ヲ貸セト言ウノカ?」
貴様の命など、この手をずらせば直ぐに無くなる。それに、そんな話が自分達に何の関係がある
関係など無い、力を貸す理由も利益も無い。其れならば、利のある馬良に貴様の首を渡すほうが数倍得があると
殺気を漏らし、斧を握る手に力が篭るが
「私を殺したいなら殺しなさい。ただし、その瞬間、貴方は背負うことになる。私のこの背に背負った重責を」
瞬間、大柄で巨躯な迷当の目の前の少女の躯は数倍に膨れ上がる。瞳は赤銅色の燃えるような色を持ち
躯から溢れる覇気に、迷当は背筋が凍り、体中が粟立つ
劉備の言う意味、それは劉備に託された願い、劉備の理想に共感し命を賭けた者達、袁紹達、民の思い
部族の王であるからこそ、余計に感じることの出来る重圧、見た目通りの娘ではない事は明らか、己よりもずっと深く黒い
黒い泥沼を這いずり、運命に打ちのめされ血を流しても決して屈服はしない、激しい怒りと涙と苦悩の果てに恐ろしい死が浮かび上がるが
己自身の内なる声に、長きにわたる脅しを受けてなお劉備は再び這い上がる
己の見出した道の門がいかに狭かろうと、いかなる罰に苦しめられようとも彼女は膝をおることをしないだろう
「怖ク無イノカ?恐レハ無イノカ?」
「私が我が運命の支配者、全ての民がそうであるように、私が我が魂の王」
故に、恐怖など無い。蜀の民、全てが支配者なのだ、己の人生という大地の王なのだと言う劉備に、迷当は斧を地面に落としていた
「人ガ手ヲ取リ合ウ。ソレハ、俺達ニモ言ッテイルノカ?」
「はい、私は大陸から戦を無くす。勿論、貴方達とも手を取り合いたい」
だから、貴方達の力が必要なんですと深く頭を下げる劉備に、迷当は急に小さくなったように感じる目の前の少女に驚いていた
そして、そんなやり取りを見てたい後方の兵達が緊張から急に解かれたせいか一人、二人と小さく吹き出していた
「馬騰ノ娘ガ連レテ来タ王カ、ナルホド面白イ。俺達トモ手ヲ結ボウトハナ」
「はい、お願いします」
「良イダロウ、蜀ノ王ニ力ヲ貸ソウ」
斧を拾い上げ、背を向ける迷当。同時に劉備の感謝の言葉、そしてソワソワと心中穏やかではなかった蒲公英が劉備に飛びつき抱きしめた
「良いのか?力を貸してくれるって思わなかったよ」
「ウソヲ言ウナ、オ前ノ眼ハ馬騰ソックリダ。信ジテ疑イモセヌ眼」
「良くわかんないけど、父様に似てるんならいいや。でも、何の利益も無いぞ」
頭の後ろで手を組む翠に、迷当は笑う。知恵も父親に似れば良かったのになと、誂う迷当に翠は口を尖らせていた
「利益ならあるよ。遊牧の民と違って、こっちは地に根付いた民だからね。畑とかで収穫できる安定した食料の供給とか
生活の技術とか、例えば焼成窯を使う陶器とかってなかなか一箇所で住まない人たちには有難かったりするし」
蒲公英の説明で「ああ!」と納得する翠
よく考えれば、塩や薬など本来は取引し手に入れた物が大量にある遊牧の民にとって大陸の者との繋がりが出来る事は願っても居ないこと
利益は計り知れない、なにせ絶対に手に入らないで在ろう知識も自分達のモノに出来る可能性があるのだから
「ただし、兵器とかはダメだよ。先に言っとくね」
説得から直ぐ、西涼内を通り迷当を連れて戻った劉備に、金城の兵達は驚いていた。自分達が予想していた事と全く違っていたからだ
中でも、一番に驚き言葉を無くしていたのは扁風
劉備に付き従う羌族の王、迷当の姿はどう見ても同盟などではなく、主従関係そのものであったから
そして、劉備が此処へ来た時と違い、身にまとう羌族の鎧が語っていたからだ
迷当を引き入れ、全力できた道を戻ってきたのだろう、劉備は肩で息をして言葉もとぎれとぎれに扁風に駆け寄った
「愛称ちゃんを向かえに来たよ。私の、大切な妹を返して」
「・・・」
「貴女に支払った代価だけど、返してもらう。代わりに、貴女に・・・ううん、馬家にこの西涼の土地をあげる」
迷当は、扁風にお前が考える通りだと頷く。全てを劉備に委ね、馬騰すら成し得なかった事を、手をつなぎあい戦を終わらせる事に力を貸すと
扁風には理解が出来なかった。行ってみれば、こんなことは他人の家の事情に手を貸すようなもの
手を貸す家が泥沼ならば手伝うものも、泥沼に自ら進んではまるようなモノだ
「フェイ、答えは出たよ。もう、引き返せない。それでもまだ、魏に着くなら此処は戦地になる。羌族の通り道だから
魏は、曹操は、西涼を戦地にすることに躊躇いは無い」
先が見える?予想は出来てる?西涼がまるごと蜀の地に出来る事に、そう問う蒲公英
だが、扁風は青ざめるだけ
そんなことになれば、豪族の集まりである西涼はバラバラになる。馬家が太守をしていることでまとまっている西涼
未だ、馬騰を殺した華琳に恨みを持つものが居る。もし、蜀と羌族がこの地に踏み込めば魏によって西涼はバラバラに分解される
義理を通し魏に着くもの、そして未だ馬騰を支持し華琳に牙を向くものにだ
それほどまでに、馬騰の影響は大きく華琳が馬騰を殺した影響は大きい
「だから桃香様は、西涼を蜀の地にする。羌族の力を借りて」
「それでも嫌だって言うなら、アタシ達を殺すしか無いな。アタシは、もう覚悟してる。義兄様の事、大好きだろ?」
殺すなら受け入れる、そもそも涼州の兵に手を出したくない。其れに、兵に囲まれれば例え自分は生き残れるとしても
王を守り切ることは出来ないと、翠は扁風を自分の妹の言葉を待っていた。いかなることでも受け入れると
そして、扁風は行動を起こす。劉備が、自分の想像を超えて羌族を説得した事実に
「やっぱりか、そうするよな。アタシだってそうする」
起こした行動とは、兵より受け取った槍の穂先を劉備へと向ける事
揺るぎない忠誠心、そして義兄に対する愛情、その二つが扁風の心を強く支える
此処に居らずとも、それだけが少女の拠り所であると訴えるように銀色の鈍い光を放つ槍の切っ先が語る
踏み込み、槍の穂先を劉備に突き立てようとしたその時、金城の城へ駆け込む兵が一人
「お伝えしますっ!蜀の、韓遂様から文をあずかりましたッ!ご確認くださいっ!!」
踏み込む足を止めれば、まるで解っていたかのように関所から走ってきた兵の文を蒲公英が受け取り扁風に文を投げ渡す
「桃香様、すぐに蜀へ戻って。お姉様、出番だよ。定軍山へ叔父様が出陣した」
「どういう事っ!?私は、そんな命令出してないっ!!」
「うん、そうだよね。だから、これはきっと・・・」
韓遂の策だと言おうとした所で蒲公英は一度唇を噛み締め、言葉を飲み込む。韓遂の考えを受け継ぎ理解するからこそ、口にせずに
「朱里の策だよ。軍を動かしてるから、桃香様は早く蜀に。お姉様は、定軍山に向かって」
「おいおい、アタシ達は囲まれてるんだぜ。其れに、愛紗はどうするんだ」
心配する翠と劉備を他所に、蒲公英は扁風に竹簡を渡す。すると、どうしたことか扁風は、カタカタと肩を震わせてその場に立ち尽くして居た
「愛紗を連れて帰るよ桃香さま。蒲公英は、叔父様と居たから此処まで想像出来た。でも。フェイは違ったんだよね」
「・・・っ!」
「もう遅い、叔父様の意志は伝わったよね。桃香さま、早くしないと全部終わっちゃうよ。蜀がなくなっちゃうかも」
困惑する扁風に動揺する兵士たち、それを他所に蒲公英の脅しとも言える言葉に劉備は即座に反応し
兵から関羽の幽閉場所を聞いて迷当を連れて楼閣へと向かう
何が起こっているのか理解は出来無い。だが、此処まで着いてきてくれた信頼する自分の将が言っているのだ
迷う時間すら惜しい、蜀がなくなると言うのならばと、劉備は関羽を連れ出し翠に命を下す
「蒲公英ちゃんに従って、私は蜀に、朱里ちゃんの元に行く!!」
「了解、蒲公英っ!アタシはどうしたら良いっ!?」
楼閣から出てきてすぐに騎馬に跨ると、迷当を先頭に蜀へと走り去った
即座に蒲公英からの命令を受けようとする翠だが、蒲公英は、扁風の前に立って目線を合わせるように膝を少しだけ曲げていた
「叔父様、死ぬつもりだよ。解るよね、なんでそういうことするか」
「なっ!?」
驚くのは翠。扁風は、嫌だ、聞きたくないと耳を塞いで首を振る
「叔父様は、桃香様が私達が仕えるに値する王だと見たんだよ。だから、きっと自分の命を使って桃香様が戦わなきゃならないように
道を作った。和睦なんて、長く続かないもん。国の中で、絶対に納得しない人たちが武器を持つ。まだ負けてないって」
扁風の肩に置いた手が強く握りしめられる。頬を伝う涙は、死にゆく男達に向けたものなのだろうか
劉備の言葉の通り、死の道しか無いとしても、そこに向い躊躇わず足を踏み出す
それは、一体誰のためなのだろうか
「盟主だった鉄心叔父様の姿を見てたなら解るでしょ?違う思想の人たちをまとめる事がどれだけ大変か、今太守をしてる
フェイも同じ思いをしてるはず。そんなの、叔父様は十分解ってる。だから、もう戦わないで済むように、鉄心叔父様の理想に近い
ううん、もっと高い理想を現実と共に持つ桃香様に託したんだよ」
もう一人の父とも言える男、韓遂の意志を聞いた扁風は、膝から崩れ落ち空を仰いで大粒の涙を流し悲鳴のような声を上げて泣いていた
二つの陣営に馬家を分け、いずれが生き残っても馬家は滅びぬようにするために己を滅して父を殺した魏に仕えた扁風
だが、幼い心に次々に突き刺さる黒い刃に、扁風はもはや限界をとうに越していた
「蒲公英達は行くよ。もう一度言うね、フェイはもう戻れない。叔父様を殺すのは、叔父様が自分を殺す相手に選ぶのはきっとお兄さまだから」
もう既に、この地を通した時点でこの未来は決定していたと蒲公英は言い残し、扁風に背を向ける
「本当に叔父様は・・・」
「うん、間違いない。今なら、叔父様の考えが解る。叔父様が御役目を果たしたら、蒲公英が西涼の民を説得するお姉様も手伝って」
「解った、つまりアタシ達を守るため、アタシに託すために死地へ向かったんだな」
西涼の老兵達も、全て自分達の為に命を落とすのだと理解した翠の眼から一筋の涙がこぼれ落ちた
蒲公英と同じように、誇りと勇気を持ち死地へと足を踏み出す男達に捧げたものなのだろう
「アタシの前に立つな、同じ西涼の兵だとしても、今のお前たちと叔父様達の命は重さが違う。立ちふさがるなら斬り伏せる」
泣き叫ぶ扁風に、足が止まり動揺する兵達に、翠は卒倒してしまいそうな覇気を垂れ流し殺気を纏う
気圧され、まるで十戒のように道を開いた兵の間を、蒲公英と共に騎馬にまたがり走り抜ける
英雄たちの死を己の眼に焼付けるために
先導する迷当に導かれるまま、関羽と共に騎馬を加速させ城へ戻った劉備は、真っ直ぐ宮へと向い
軍師で在る諸葛亮を怒鳴るような声で呼んでいた
「どこっ!何処に居るのっ!!出てきてっ!!」
叫び、近くの兵に所在を聞くが何処にも姿は見えず、玉座の間に足を踏み入れた時
軍師、諸葛亮は竹簡を握りしめ、玉座の隣に一人佇んでいた
「説明してっ!!なぜ勝手に兵を動かしたのっ!!韓遂さんは、朱里ちゃんの言うこを聞かなかったのに、急に何故!?」
「申し訳ありません、全ては私の考えが足りなかったばかりに、全ての責任は私にあります」
顔を伏せ、申し訳なさそうにしていたが、本気の劉備の声と気迫を初めて身体で受けた諸葛亮は顔を青くして震えていた
だが、心を鼓舞し韓遂の意志を継ぐのだと竹間を劉備へと渡す諸葛亮
「援軍に焔耶さんと恋さんを向かわせました。策は恋さんに文で、恐らく韓遂さん達に伝わって」
「何故っ!!何故勝手な事をしたのっ!!私は力を、羌族の皆に力を貸してもらえるようにしたのにっ!!」
「恐れながら、定軍山は蜀にとって重要な拠点となります。呉と同盟を結ぶためには、魏の動きを素早く把握する必要が」
「そんな事は聞いてない、何故勝手な行動をしたか答えろと言っているっ!!」
激昂する激しい声が急に止んだかと思えば、今度は恐ろしいほどの重圧を感じる劉備の気迫が垂れ流された
細く細く細められる瞳。迷当の眼の映る劉備は、明らかに馬騰を超える気迫と殺気を持ち合わせていた
それを証明するかのように、後ろで見ていた迷当の手には汗がじわりと滲み出す
「魏は次の動きを起こせずに居ます。それは、夏候昭さんが身動きの取れない状態だから。今しか動く時はありません」
「そんなことをしなくても、私は力を手に入れた。無用に戦を広める意味は無い」
研ぎ澄まされ、刃のように尖る言葉が諸葛亮の小さな身体に突き刺さる
そして、震える諸葛亮の前で、劉備は腰の剣をゆっくりと抜く
無用に戦をすることに義はあるのか、無用に命を散らす事に意味があるのか、お前の口からは何処にもそれらを説明する言葉ないと
劉備の握り締める剣に力が篭り、濡れたように輝く刃はギラリと諸葛亮の姿を映す
「お待ちください桃香様っ!朱里を殺しても何も変わりません、既に軍は動いていしまっている。今は一刻も早く援軍を送り
兵を無事に国に帰す事を優先すべきです。裁きならばいつでも出来ます」
「どけ関羽、私は無用に命を散らした将を断ずる必要がある」
真名ではなく、名で呼ぶ劉備に関羽は萎縮してしまう。今まで名で呼ばれたことなど無い
何時も、自分の名を呼ぶ時の屈託のない笑顔などそこには無い。ただ、冷たい王の顔がそこにはあった
「報告しますっ!涼州の古参兵、並びに韓遂様が新城にて討ち死になさいましたッ!!」
剣を高く振りかぶり、諸葛亮の頭上に振り下ろそうとした時、玉座の間に響く韓遂討ち死にの報告
その瞬間、劉備の細められた瞳は大きく開かれ、動きは固まり、次に躯を震わせ、高く掲げた剣は地面に落ちた
「・・・うそだよ。だって、やっと韓遂さんに認められたんだよ。力を、私を信じてくれるって」
「桃香様っ!」
ふらふらと、報告のために玉座の間に入った兵に踏み寄る劉備。眼の焦点は合っておらず、茫然とまるで幽鬼のように
そんな劉備を止めるように、関羽は腰に飛びつくようにしてしがみつき、劉備の足を止めた
「ねえ、嘘だよね。嘘だって言って、冗談だって。怒らないよ、怒らないから」
「桃香さま、兵の顔を御覧ください。間違いではありません」
「愛紗ちゃん、何言ってるの?だって、韓遂さんは英雄で、片腕だってスッゴク強くて、私の間違いを教えてくれて」
「桃香さま・・・ッ」
「ははは・・・やっと、ちゃんとお話が出来ると思ったのに。どうしてだろうね、私は。何時も遅いの」
道を決めた時から一度も流すことが無かった雫が、劉備の頬を止めどなく流れ続ける
止めることすら忘れ、劉備は虚空を見詰め歪んだ視界の中で、嗚咽を漏らしていた
「何時もね、遅いんだ。気がついた時には、何かなくしてるの。大切なものを、大事なものを。何でかな・・・」
「もう、もうおやめください」
「今度こそは無くさないって、手放したりしないって決めたんだよ。決めたのに、何でかな」
堰を切ったような悲鳴に似た泣き声は玉座の間を埋め尽くす
声を上げて泣くことなど、疾うの昔に捨て去ったはずなのに、その双眸からは止まること無く涙が流れ落ちる
一体なにが間違って居たのか、己の何が間違って居たのか、ようやく心を寄せ合えたと思った瞬間に、手からこぼれ落ちた
何も解らず、劉備は泣き続ける。どうして何時も、大切な物が無くなっていくんだろうと
そして、叫びは次第に小さく、瞳を乱暴に拭う劉備は、まるで夏侯昭が定軍山で見せたような獣の殺気を見せる
醜く汚れ、幾つもの死肉を食いちぎったような牙を連想させる殺気。ゆっくり開かれる口元は、歪な笑を浮かべ咆哮にも似た声を上げた
「兵を集めよ、目指すは新城。殺してやる、皆、皆、全部、全員、殺してやるっ!!」
劉備の言葉に青ざめるのは関羽。大切なモノを奪われ、失い、怒りに支配される劉備の心
もはや何も見えていない。民から背負った愛する家族を殺された怒り、哀しみが劉備の躯を蝕み
敵の血でしか己の怒りは治めることは出来無いとばかりに、劉備の瞳は濁り腐敗した汚泥の色を映す
荒々しい一匹の獣の姿。子を殺された狼の親のようなむき出しの殺気にさすがの迷当も武器を構え
諸葛亮は、予想外の行動に恐怖で足がすくみ声を上げることは出来ず、兵は恐ろしさで卒倒しそうになっていた
それぞれに反応を示す中、関羽は腰に抱きついたまま、劉備を見上げていた
このままではダメだ、此処で手を離したら取り返しのつかない事になってしまう。主の怒りは痛いほどに解る
それほど、韓遂殿の存在はいつの間にか大きなモノになっていたということだ。だが。此処で主の言うままに軍を動かせば
取り返しの着かない事態になる。今度こそ、我らは立ち上がる事も出来無いくらいに打ちのめされてしまう
劉備の怒りに臆することなく、止めようとするが、関羽には止めるための言葉が何も浮かばなかった
この期に及んで、未だ主に言葉を諫言を言う資格が無いなどと思ってしまう自分が居る
あの時、袁紹殿に教えられたではないか、今言葉を発せずにどうする関羽よと心で叫ぶが、今までに見たことがない劉備の怒りの表情に
何も言葉が浮かばずに、口から出ることも無かった。だが・・・
「それがお姉ちゃんのしたい事なのか?」
聞き慣れた声、視線を向ければ燃えるような赤い髪、いつの間にか現れた小柄な体躯を前に、躯に似合わぬ長柄の武器を携え
「そんなの、おっちゃんが喜ぶわけないのだ」
ピクリと動く劉備の眉、目の前で頭の後ろで手を組む少女に、劉備の殺気は僅かに揺らぐ
「鈴々は、おっちゃんから大事な事を沢山教えてもらった。お姉ちゃんは、違うのか?」
垂れ流される殺気に怯むことなど無く、脅えた様子など微塵も見せず、劉備の道を塞ぐ張飛
「いま行って、皆が幸せになれるのか?それなら鈴々も一緒に行くのだ。でも、そうじゃないなら」
にっこり歯を見せて笑い、張飛は劉備の濁りきった瞳を見つめ
「お姉ちゃんは間違ってるのだ」
関羽に言えない一言を、躊躇うこと無く言い切って見せた
無邪気な笑顔の中に、少しだけ大人びた顔を覗かせるもう一人の妹の姿に劉備の足は止まる
覗かせたその表情には、確かに韓遂の意志を感じさせ劉備の怒りを削ぎ落とす
だが、それでも私を止めるには足りない。最早、火蓋は切られた。爆発する場所を求めるこの感情を、その程度で止められるものか
仲間を、私の躯の一部を、私の魂を傷つけた者を許しはしない。次は貴様らが絶望と哀しみを味わう番だと一度止まったはずの足が前へと進む
「なら、仕方ないのだ」
前へ突き進む劉備の前に立ちはだかる張飛は、後ろに回した手を解き、左手を前にし腰を落とし
右手に己の身長よりも数倍は在ろうかという長柄の得物、蛇矛を斜めに構え炎のような燃える闘気を漲らせた
「此処から先は通せないのだ。たぶん、おっちゃんが死んだ事が無駄になると思うから」
「どけ、張飛っ!どかねば義妹とて容赦はしないっ!!」
対峙する二人。蛇矛を構える張飛に両手には何も持たず、無手で前へ突き進もうとする劉備
殺気と闘気がぶつかり合い、玉座の間を異様な熱気が包む
張飛ならば止められる、幼いながらも一騎当千の猛将であるこの少女ならと誰もが思った
しかし、明らかに誰が見ても武器を構えているどころか、劉備よりも何倍もの武を持つ張飛が
関羽にして、武に置いて己よりも上だと言わしめる程の力を持つ張飛が
劉備を前に、躯を強ばらせ戦場さながらの緊張の走る肉体、構える蛇矛はピクピクと切っ先を揺らす
息は荒く、少しも隙を見せられぬ達人との立ち会いであるかのように、張飛は劉備の殺気だけに気圧されていた
「鈴々が斬れないって思ってるのならそれは間違いなのだ、鈴々も誇りが、護るべき物があるから」
「退がらぬなら、張飛の腕を貰い受けよう。我が怒りの指揮者は私、我が肉体の指揮官は私」
突き進む劉備だが、腰にしがみつき劉備の足を止める関羽は、張飛の言葉に眼を見開いた
何故、張飛が主に武器を向けてまで止めようと言っているのか
それは誇り、誇りとは己の道を知り、己が何者かを知り、己が何を護るべきかを知っているからこそ語れる言葉
張飛の口にする誇りとは劉備、道とは劉備の示した道、己は劉備の剣、己が護るべきは劉備とこの年にして悟り切ったからこそ吐ける言葉
ならば、自分は何だと自問する関羽。幼き張飛が悟った真理
勇気は馬鹿でも持てる、だが誇りと勇気を二つ持ち、三つ目に困難に、艱難辛苦に相対した時、何が出来るかで何者かが決まる
怖いのは皆一緒だ、だがそこで一歩踏み出し己が成すべきを成すことで、その人間が決まるのだ
張飛は劉備の剣。信頼し、己の命を委ねるに値する剣なのだ
だからこそ、関羽は腰に回した腕を解き立ち上がる。己は何者なのか、己の道は何なのか、己の護るものとは何なのか、その答えを示すために
「此処より先は、王が行く場所ではありません。戦は終わりました」
玉座の間に響く鋭く軽い叩く音、皆が緊張の中、躯を強ばらせる中、それぞれの瞳に映ったのは劉備の頬を叩く関羽の姿
「り、鈴々の言うとおり、私も韓遂殿の意志を無駄にすることかと思います。どうぞ、韓遂殿より託された書をお読みください」
予想外の衝撃に少々呆ける劉備、周りの者たちもあまりに衝撃的な光景だったのだろうか、王に対する行為を普通ならば咎める場面であろう
だが、皆の前で起こったことは誰ひとり、諸葛亮ですら関羽の予想外の行動に唖然とするだけであった
無理もない、関羽は特に劉備を盲目的に信頼し信用していたのだ、誰が裏切ったとしても彼女だけは裏切らない
彼女だけは劉備に手を出さないと思っていたから、彼女の行動は周りの者、特に諸葛亮には衝撃を与えるものであった
「わ、私は、貴女が王である前に、貴女の妹です。姉が誤った道を行くと言うなら、止めねばなりません」
「・・・」
「それが、それが妹の勤めです。姉妹としての、私の、わた・・・しの・・・」
呆ける劉備を強く抱きしめ、震える声で言葉を絞り出す
己の行動が、王である劉備に手を上げた行為が、関羽の忠誠心が己を責め立てる
己の行為に恥じながら、己の行動に身を切り刻みたい程の怒りを覚えながら
顔を顰め眉を寄せて瞳を濡らす関羽は劉備の躯をしっかりと抱きしめていた
「私は貴女の妹だっ、貴女を護るのが私の天命っ、私の姉を叱りつけて何が悪いっ!!」
責め続ける己の心の声を吹き飛ばすように、大声で吐き出すように叫び、ぼたぼたと大粒の涙を流し劉備の躯を強く強く抱きしめる
「桃香様が泣きたいのならば、私が代わって泣き続けます。貴女が血を流すなら、私が代わりに血を流します
手を汚すというならば、私が己の手を汚しましょう。ですから、姉者は死んではいけません。皆の命を背負って居られるのですから」
止めどなく流れる涙。初めて見る関羽の涙。劉備は、何度も何度も関羽の瞳からこぼれ落ちる涙を優しく手で拭うが
乾くこと無く、止まること無く頬を濡らし続ける
「・・・そうだね、ごめんね。間違えちゃった、ありがとう」
濁りきった瞳は、いつの間にか清流を思わせる色を持ち、大きく優しく細められ
まるで聖母のように暖かく、先ほどとはまるで真逆の劉備本来の空気が部屋を包み込んでいた
「泣かないで、私はもう怒っても泣いてもいないから」
「はい」
胸に押し込めるように逆に関羽を抱きしめた劉備は、ゆっくり、やさしく、慈しむように関羽の頭を撫でていた
大事な宝物に、己の妹に自分の愛が伝わるように
「鈴々も、同じようにして」
殺気など何処へやら、無邪気に笑を向ける張飛は羨ましいと素直に劉備の袖を引き
劉備は、少しだけ笑を漏らして優しく抱きしめていた
「どうぞ、桃香さま」
「うん、有難う」
改めて渡される韓遂からの書を広げ、眼を通せば劉備の手は強く握り締められる
【拝啓、劉備殿】
【此れを読まれて居られると言う事は、恐らく私は死んでいることでしょう】
【貴女はきっと私などの為に怒ってくれていることでしょう。有難いことです。ですが早まってはなりませぬ
そして、軍師殿を責めてはなりませぬ。此れは私が望んだこと、死ぬと解っている道を受けぬことも出来たのですから】
【友が逝き、死に場所を求めていた私にとって、この上ない戦場を用意して下さった軍師殿に感謝の言葉意外なにもありませぬ
ですから、私の死などは道端で年老いた犬が野垂れ死んだと同じに思って頂いて結構】
【唯、世話になった恩、そしてこれから馬家の者達、西涼の者達が世話になる恩を返しておこうと思っております
戦場へ連れた新兵達は、私達老兵の意志と覚悟を刻み付けました。曹操との戦で持てる力を遺憾なく発揮する事でしょう】
【それから、馬良に文を送りました。貴女の力になると思います。どうか、良くしてやっていただけると有難い】
【貴女が見つけ出した道は、とても尊い道。自身を持つことです。貴女の道は、蜀に住まう民に誇りを与える。
素晴らしい国だと心から誇ることが出来る。貴女が与えたものだ、何も無い者達に、持たざる者達に与えたものだ】
【民が己自身を王であると、誇りある者だと、民一人ひとりが国を創りあげていくのだと訴え続けなさい
それは、魏の曹操と似て非なる道。貴女だけの道】
【最後に、貴女に辛く当たって居たことをお詫び致します。客将のまま、身勝手に振舞い、随分と我儘を言ってしまった】
【何れ、再び会うことになるでしょう。それまで鉄心と心ゆくまで酒を煽って待っております】
【何時の日か、共に酒を酌み交わしましょう。敬具】
【韓遂 文約 銅心】
文を読み終えた劉備は泣くことはしない、怒りを表すこともない、唯、叫び続ける
涙の代わりに、怒りの代わりに、感謝と願い祈りを込めて劉備は天に向かって吠え続けていた
「桃香様・・・」
「朱里、お前がどのような考えを持って韓遂殿を逝かせたのか等はもうどうでもよい。ただ、我らは負けぬぞ」
「はい、負けません。私は、もう引く道など無いのだから」
その後、韓遂の文を読み、夏侯昭に殺された事を聞いた馬良は、再び蒲公英の説得を受け蜀へと寝返る
武都での内部工作を進めつつ、魏を打ち倒す策を練りながら、内部に蒲公英を招き入れ、涼州を少しずつ蜀の勢力へと引き込みながら
劉備は再び剣を取り、韓遂の弔いと願い出た軍師達の策を尊重し、国を安定に導く為に戦い続けた
韓遂の死と軍師達の策と考えに、和睦や同盟などと言う選択肢が永久の平穏には無いことを少しずつ理解しながら
木の上で劉備と関羽の剣戟音を聴きながら、脳裏に焼き付けた物語を瞼に映していた隠者は、劉備の頬に刻まれた
深い傷痕を見ながら影に溶けるようにその場を後にした
「礼を言いますぞ、御屋形様を此れほどの人物にしてくださったことに」
双剣を振り回し、関羽に一歩も引かない劉備の姿に厳顔は笑を零し、次に未だ癒えぬ傷を睨み迫る戦に闘気を溜め込んでいた
―新城 劇場ー
新城の中央、公衆浴場の隣に新たに建設された劇場
まだ建設されたばかりではあるが、連日ここに住むもの意外も足を運び賑わいを見せていた
そんな新設された劇場の個室、楽屋の一室では、一人の歌姫が瓦版屋の記者の質問を受けていた
「すいません、公演中のお忙しい時間に」
「別に、構わないわよ。そういうのも、皆が望んでいる事なら喜んで受けるわ」
「まさか、地和さんに直接お話しを伺えるとは思っていませんでした」
卓を一つはさみ、正面に座る記者は緊張した面持ちで筆を竹簡に走らせる。上司からは何でも良いから聞いてこいと叱咤されていた事もあり
緊張からか、文字は寄れてしまい、落ち着くために深呼吸をするが、改めて目にする人気の歌姫に余計に緊張が増してしまっていた
「少し落ち着きなさいよ」
穏やかな声で差し出されるお茶に、記者は眼を丸くする。まさか、気を使って茶を自ら出してくれるなど思っても見なかったのだろう
だが、驚くのは一瞬。憧れの歌姫から出された茶だ、直ぐに飲まねばと口をつけ、舌を火傷するというベタな事をしてしまい
自己嫌悪に陥って居た記者だが、地和は穏やかに笑って場を和ませていた
「馬鹿ね、そんなに緊張しなくても良いわよ。時間もあるし」
「・・・」
「どうしたの?」
「い、いえ。どうして、そんなに寛容でお優しいのかと思いまして」
みっともない所を見せたどころか、失礼にも緊張して気を使わせる。それどころかせっかく出してくれた茶も満足に飲めない
にも関わらず、貴女は笑って居るだけだ。いつの間にか、緊張等何処かに行ってしまったと記者は目の前に歌姫に見とれていた
「フフッ、貴方はちぃの歌、聴いてくれたことはある?公演に、お金を払って来てくれた事は?」
「は、はい!勿論あります!私は、元々黄巾党ですから。ずっと昔から」
「だったら、ちぃがしていることは当然で、貴方が特別なのは当然よ」
特別などと言われて赤面してしまうが、記者には理由が解らなかった
どうして、歌を聴いたことがあって、公演に来た事がある自分は特別なのか、それは同時に自分と同じような人たちも
目の前の歌姫にとっては特別な人物なのだろう。竹簡にようやく筆を走らせる事が出来るようになっていたが、筆は止まっていた
「不思議?」
「はい、良くわかりません。好きな歌を聞くのは普通で、好きな歌の公演に行くのは当たり前ですから」
「有難う。本当に嬉しい」
他愛のない言葉に、地和は輝くような笑顔を見せた。心からの微笑み、そして感謝
向けられた記者は、再び顔を真赤にして視線を逸らして仕舞う
「あ、あの、何故あたりまえのことで特別なのですか?」
「うん、それはね、ちぃ達は貴方達に生かされて居るから。私が着ている服も、食べている物も、皆貴方達がくれたモノだから」
「え!?」
驚き、顔を上げて眼を見開く記者。自分達が普通に思っていたことが、実は彼女達にとって普通では無いということ
「ちぃ達の歌を聴きに来てくれる人たちは、畑を耕したり服を作ったり、家畜を育てたり沢山の仕事をして人生の大切な時間を使って
お金を稼いでいる。生きるために働いて、貴重な時間を捧げて、日々の糧を手にしてる。そうでしょう?」
「はい」
「そんな、時間を捧げて手にした糧を、ちぃ達の歌を聴くために使ってくれる。それってどういう意味か解る?」
「どういう意味・・・」
「時間を、ちぃ達にくれている。公演を何回聴いてくれた?一回?二回?昔からだから、きっと沢山の時間をちぃ達にくれてるの」
長い人生の中で己の時間を削り手にする糧、それを支払うのは人生を支払っている事と同じ
其れがどれほど重いことか、そこまでして自分達の歌を聞きに来てくれている、そのおかげで自分達は生きて糧を得られている
つまりは、自分は皆に生かされて居るのだと言う地和
「まるで税を捧げられる王のよう。ううん、ちぃ達は王と同じだけの責任がある。だから、歌を歌う時は全て本気で歌う
少しも手をぬくことは許されない、大勢の人達の時間をちぃ達はもらっているんだから」
「王と同じ。そんな風に、だから私たちは」
「そう、特別なの。魏の王、曹操様もそうでしょう?ちぃも同じ、来てくれている人達は、もっと聴いてくれる時間まで
私達にくれる。だから、手は抜けない、抜くことなんか出来ない。例え自分の命を削ることになっても、私は歌い続ける」
公演は戦場、自分達の歌を聞きに来てくれる人達は、自分達に時間を、人生の大切な時間をくれる
だからこそ、その大切な時間をずっと素晴らしいものに最高のものにするために、忘れられない時間にするために
自分達は歌い続け、上を見続けるのだと言う地和に、記者は驚愕し、肩を震わせていた
「そ、そんな風に思ってくれていたんですか。私たちのことを、特別だって・・・」
「ええ、大切な人達。私達を生かしてくれている人達」
「私達も、御三方の歌が支えになっています。昔から、そしてこれからも」
有難うと微笑む地和に、記者は涙を拭って筆を走らせる。この事、全ての応援する人達に伝えるために
「・・・あの、どうしてそのような考えになったのですか?昔は、もっとこう」
「昔、言われたの意識せず人を殺すことは罪が深いって」
地和の答えにドキリとする記者。それは、黄巾党であった記者には耳に覚えのある昭が地和に放った言葉だ
「そうよね、何も知ろうとしないで歌って、無責任な言葉を言って、本当に酷いわよね。歌う資格なんか一つもない」
「い、今は違うじゃないですかっ!!」
「うん、そうよ。だから、私は歌うの。歌こそが誇り、歌こそがちぃ達の道だから」
胸を張って、今なら言える歌こそが自分の生きる道だとそう語る地和に、記者は手元の竹簡の最後の文を掻き消す
何も知ろうとしない、無責任、今の彼女に相応しい言葉ではない。今の彼女の姿で、歌で十分なほどに伝わるはずだと
「さて、それじゃ悪いけど、この辺で失礼させてもらうわね。まだ、聞きたい事があるなら、後で事務所に来て」
「えっと、これから何方に」
「友達の娘に歌を教えに行くの」
そう言って人差し指を立て、ウインクをする地和は記者に軽く手を振ってその場を後にする
「・・・だから、気に食わないのよね。ちぃが苦労して理解った事、あの劉備って奴が語ったって事が」
夏侯邸へと向う地和は、眉根を寄せて歯を噛み締める
「それは昭の道よ。昭が教えてくれた道。自分で見つけたんだかなんだか知らないけど、他人に語られるとイラつくのよね」
だから、絶対に負けてあげない。次にの戦には姉や妹に反対されても絶対に出てやると決意し、足取り早く目的地へと向かう
もう一人の娘、歌う女王蜂に新たな歌を教えるために
説明 | ||
遅くなりました、御免なさい 今回はちょっと長いです そんで、一応今回で劉備さんのお話は終わりとなります 次回は、ちょっと番外編を挟むかもしれません 題名は【弓の女王】かな?もしかしたら入れないかも そんで、いよいよ最後の戦いに入ります もうすぐ完結いたしますので、皆様最後までお付き合いお願い致します 眼鏡無双の方は楽しんでいただけたでしょうか? まだプレイしていないという方は、此方の献上物からどうぞ http://poegiway.web.fc2.com/megane/index.html フリーゲームですので、無料で楽しむことができます 感想などを送っていただけると喜んだりしますw 何時も読んでくださる皆様、コメントくださる皆様、応援メッセージをくださるみなさま、本当に有難うございます。これからもよろしくお願いいたします |
||
総閲覧数 | 閲覧ユーザー | 支援 |
5782 | 4285 | 31 |
コメント | ||
やっと追いつきました。蜀軍内でも色々な変化があったのだというのが分かりましたが、それでも魏の国の方が輝いて見える気がしますね。別に劉備が嫌いなわけではないのですが…。 そして地和の歌姫としての意識の高さと誇りに感動。地和、変わったなー…。 最終決戦は、やはり総力戦となりそうですね。期待してます。(hiyuu) 蜀側の変化、成長を見てきましたが、韓遂の背中がより大きく見えました。大きく変わった桃香以外にも様々なキャラが変化していくのが見れて、それが最終決戦で魅せられるのか楽しみです。 最後に地和の成長も見れて良かったです。地和に習った歌を師事する美羽の成長も。(Ocean) 張宝の考えは素晴らしいですね…。サービス業・・・いえ、仕事をする上でとても大切な事だと思います。私も日々の仕事で気を引き締めなければ〜^^(アーバックス) 劉備は毒を薬に変えたと赤壁決戦の時に稟が言っていましたが、どうやら薬は薬でも劇薬だったようです。そもそも馬良の真名は扁風、おそらく馬騰は?に通じて世に遍く風と言う意味にしたかったのでしょうが、結果的に劇薬にやられて身持ちの軽い小さな風になってしまいました。……どうやら大義は親を滅しなかったようです。(h995) たぶん贖罪の意も劉備の中には存在するんだろうな・・・過ちを自覚し、それを指摘してくれた師に対して報いるために・・・・また、それを見ていたにもかかわらず道を示してくれた人に報いるため。我を通すって言ってしまえばそれまでだけど、上の立場になるほど簡単には放り出せないよね。(patishin) いつも遅いんだと分かっていても我を通すのか、劉備よ。地和は良かった。本当に変わりましたね。出陣に対して昭がどんな対応をするのか楽しみにしてますね。(KU−) 無駄な戦?それを広げたのはどこの誰だよ・・・と思いました。地和可愛いすぎですね!!(破滅の焦土) 日本の真田家と比べるべくも無いですなぁ馬家は真田家は一応それぞれ仕えた主家に対しての義理・忠誠を果たしていたがその欠片も無い。華陀も診たけど生かしておくとこれ以上悲劇広がるとして殺しちゃうんじゃないかな?って思わせるくらい腐ってる。蜀及び馬家。(shirou) |
||
タグ | ||
恋姫†無双 恋姫 オリキャラ | ||
絶影さんの作品一覧 |
MY メニュー |
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。 |
(c)2018 - tinamini.com |