真恋姫無双幻夢伝 第七話
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   真恋姫無双 幻夢伝 第七話

 

 

 三年前、私たちは汝南にいた。当時、まだ議郎(官名の一つ)に甘んじていた私は、皇甫嵩将軍率いる征討軍に参陣していた。私たちにとって初陣に当たる。街道沿いの麦畑が緑色に染まる卯月の頃だった。

 隣で矢筒がかちゃかちゃと音を立てていることに気が付く。

 

「秋蘭。肩に力が入っているわよ」

 

 秋蘭は私に微笑んでお返ししてきた。

 

「華琳さまこそ手綱を強く握り過ぎです」

「あら?そんなことはないわよ」

「馬が少し苦しそうですよ」

 

 確かに、愛馬は引かれる綱に首を絞めつけられ、盛んに頭を動かしていた。知らず知らずの内に緊張している自分に、思わずクスリと笑みがこぼれる。

 あの頃、まだ私たちは幼かった。洛陽の名門塾を首席で卒業したとはいえ、実際に兵を指揮したことが無かった私。郡随一の弓の名手としてすでに名高かった秋蘭も、そんな私と同様、おかしいほど緊張していた。そして

 

「おっ。槍の先にテントウムシが止まりましたよ!」

「「……はあ〜〜」」

 

 私たちが思わずため息をついてしまうほど、春蘭は今以上に頭が悪かったわ。と言うか、この子、緊張したことがあるのかしら?

 この頃、“初陣”なんて言葉からしてあまり使われないほど、世の中はまだ平和だった。私たちは他の官僚たちが経験出来なかった機会に巡り会えたことに対して感謝していた。戦の前と言うのに、心は喜びに満ち溢れていた。率直に言ってしまえば、“旅行気分”であったわ。

 

「それにしても、汝南というのは遠いなぁ」

「姉者、もう少し気を張ったらどうだ。反乱軍とはいえ、官軍を二度も破った相手だぞ」

「でもこれだけの大軍だぞ」

「そうよ、秋蘭。気になり過ぎよ。一回目は近隣の県令の連合軍。二回目は汝南出身の袁氏の征討軍。今回はその何倍もの規模の皇帝直属の軍隊。負けることはないわ」

「…むう。それはそうですが…」

 

 汝南で発生した反乱軍。領主を排除して独立、恐れ多くも朝廷に対して納税を拒んでいる。それを正すために戦うのだ。これは朝廷側の正式な建前。その実情は、十常侍へ巨額の賄賂を払うことを拒んだために、彼らの怒りを買ったから。そしてこの汝南の事実上の支配者である袁家のプライド。この征討軍の原動力は、彼らの欲望そのものだった。

 そんなことはこの場にいる全員が知っている。朝廷の腐敗に憤る反乱軍の気持ちもすごくよく分かる。でもこの戦争に対する反対意見は生まれない、当然。なぜなら黄巾の乱が起きる前、皇帝陛下は神様だったから。朝廷は神殿であり、宦官は神官だ。そんな私も宦官の家に生まれた者。おかしいのはそんな世界を認めない者共であり、その秩序を守ることこそ私たちの正義だ。

 だからこそ正義の使者である私たちは勝つに違いない。そう思ってここにいる。足取りは軽く、表情は柔らかい。

 

「卯月というのに暑いですね」

「そうね」

 

 もう牡丹が咲き始めたに違いない。都に帰る頃には満開だろう。

 

 

 

 

 

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 汝南に入る前に行われた作戦会議は、単なる顔見せで終わってしまった。“大軍に兵法なし”とはよく言ったもので、作戦らしい作戦も立てず進軍することになった。要は数でゴリ押しにするというもので、行軍経路だけが唯一しっかり話し合われたことだった。

 私が率いる沛郡の軍勢は中央の遊軍を任された。先陣はここらの地理に詳しい豫州刺史の周昂。そして

 

「オーッホッホッホッホ」

「…馬鹿が出たわね」

 

 この討伐軍の実質的な総大将である麗羽は後軍の大将に任命された。塾の同期にして、何かと私に突っかかってくる袁家の跡取り。会議が終わって一番に耳に飛び込んできたのは、彼女の甲高い笑い声だった。

 

「殊勝にも“わたくし”の軍隊に参陣してご苦労ですこと、おちびさん。せいぜいその頭をわたくしのために使って下さいな」

「あら、まだ私に成績で劣っていたことを気にしているのかしら?」

「そ、そんなわけありませんことよ!」

 

 麗羽はむきになって否定してくる。図星であったことは明白だったわ。

 

「いいこと、華琳さん!今回の主催者はわ・た・く・し、ですのよ!何か言うことがあるのではなくて?」

 

 そんな馬鹿でも今回の総大将である。やりたくないが、とーーってもやりたくないが、しっかり挨拶しなければならなかった。

 

「今回は、よろしくお願いいたします」

「へ?…お、オーッホホ!頑張って働きなさい」

 

 自分でも驚くほど感情を込めなかった挨拶に満足した麗羽は、まるで勝ったように立ち去って行った。今回はあれの小型版の袁術もいるという。まったく、先が思いやられるわね。

 

 そんな私の心配は、不運にも、当たってしまうことになった。

 

 

 

 

 

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「抵抗らしい抵抗はないわね」

 

 敵地に入ったことすら実感がわかないほど穏やかな風景が続いていた。街道沿いの麦畑が風でなびいている。そんな中、敵兵はおろか、民衆までも姿を見せない。そればかりか、国境に関所の一つも作らないなんて、敵の思考がまったく読み取れなかった。

 

「おそらく城に籠っているかと」

「そうね…でも、援軍の無い籠城なんてするかしら?」

 

 敵の総大将は李民と言うらしいけど、どうも不気味ね。この道だってそう。しっかりと整備されているし、1曲(軍隊の単位)がちょうど通れる道幅。まるで私たちのために作られたような…

 

「?」

「なんですか?」

「変な匂いがしない?」

「さあ?しますか?」

 

 ちょっと焦げ臭い。風向きからして麦畑の中から…!

 

「しまった!」

「どうされました?華琳さま」

「秋蘭!急いで春蘭と本陣に伝達。周囲を警戒せよと」

「わ、わかりました」

 

 伝令に走りだす秋蘭。おそらく理解していないでしょう。同じように、私の周りにいる護衛兵たちは怪訝な表情で私を見ていた。

 

(必ず近くにいるはず!)

 

 私は麦畑に目を凝らした。緑一色の光景。風が心地よく吹いている。

 

 ところが、その瞬間“麦畑”が襲い掛かってきた!

 

「なっ!」

 

 麦畑だと信じていたものは、変装した兵士であった。私たちから見て風上に位置する畑は、あっという間に緑から黒に表情を変える。そして「放て!」という号令と共に、一斉に火が付いた矢が飛んできた。

 

「くっ!防げ!」

 

 あっけにとられていたわが軍は、私の声でやっと我に返り、あわてて盾を構えた。ところが敵の矢は私たちに当たることなく、手前で落ちてしまった。

 

(敵の練習不足に助けられたわね)

 

 しかし、それはあまりにも安直な考えであった。矢が落ちた所から、強烈な火が一斉に湧き上がった。今度は目の前が黒色から赤色に変わる。

 

(この勢いは、火薬!)

 

 火に巻かれ、目を覆いたくなるほど大混乱に陥る我が軍。火の壁からは無数の矢がなだれ込む。その一本が私の馬に当たった。

 

「あっ!!」

 

 愛馬は倒れ、私は地面に放り出された。ドンッと大きな音を立て、肩から地面につく。…痛い。おそらく痣になっているでしょう。でもそんなことを気にしている余裕はなかった。

 立ち上がって辺りを見回すと、すでに兵士たちは逃げ出し始めている。もう態勢を立て直すのは不可能。そう判断した私は仕方なく、徒歩で麦畑を抜け、森の中へと入った。

 

 

 

 

 

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 森の中は静けさとは程遠い様子だった。様々な旗が地面に捨てられていた。私は曹の旗を見つけ出すと、それを大きな木の枝に結んだ。そしてその木の陰に坐って待つ。……ズキズキと肩が悲鳴を上げていた。

 

 しばらくしてそこに春蘭と秋蘭が走り寄ってきた。

 

「「華琳さま!」」

「状況を報告しなさい」

 

 二人は膝をつき、報告を始めた。

 

「中央軍は壊滅。森の中で袁家の兵士も見かけました。おそらく…」

「後軍もね。秋蘭、将軍は?」

「運良く火の手が回らないところを行軍していたので、その場で立て直すと。そのことを華琳さまに伝えるようにとおっしゃられました」

 

 それを聞くと思わず私は立ち上がった。

 

「それは罠よ!李民と言う男はわざと本陣に手を付けなかったのよ!」

「で、では、李民の目的は…」

「将軍を討ち取ることか!」

 

 二人も勢いよく立ち上がった。すぐに行動を起こさなければ!

 

「将軍の命が危ない!急いで兵士を集め、助けに行くわよ!」

「しかしわが軍は散り散りになっています。この三人だけで突撃するわけには」

 

 秋蘭の言葉に私は頷き、春蘭の方に向いた。

 

「春蘭、歌いなさい」

「は?」

「あなたが酒の席でいつも歌う曲よ。早く!」

 

 慌てて春蘭は歌いだした。体が大きい分か、声は良くて声量もある。この曲は私たちの故郷、沛県の歌。そしてこれは“出陣式でも歌った曲”である。

 しばらくの間、歌わせていた。すると、その曲を聞きつけた我が軍の兵士たちが集まってきた。一緒に歌わせ、その歌を森中に響かせた。秋蘭に聞いた。

 

「秋蘭!今、何人集まったの?」

「合わせて52人」

「もう時間が無い。行くわよ!」

 

 

 春蘭を先頭にして麦畑に向かって駆け出した。麦畑はもう火の渦と化していた。見回すと、その中でぽっかりと火が回っていないところがある。

 

「あそこよ!突撃!」

 

 畑に散らばる兵士の死体を踏み越え、その空間へと一斉に飛び込んだ。近くに寄っていくと、百人ほどの敵兵の中で十数人の騎兵が戦っていた。

 

「将軍!」

 

 敵の囲みを打ち破り、奮戦する味方に近寄る。その中で一人、白髪の騎兵がいた。皇甫嵩将軍だ。彼の周りには数人の護衛と、それに相対する大柄な騎兵がいた。

 護衛が二人がかりでその騎兵に襲い掛かる。しかしあっけなくかわされ、一人は首筋を斬られ、もう一人は脳天から一撃を食らい馬から落ちる。…もう起き上がることはないだろう。騎兵は将軍に迫った。

 それを防ごうと秋蘭が弓矢を放つ。続いてもう一射。その騎兵は油断していたのか、最初の矢は避けるも、二射目を右腕に受けた。馬から落ちる。

 

「おりゃー!!」

 

 すかさず春蘭が猛襲をかけた。男は体勢を崩しつつも左腕一本でそれを受ける。

 

 一合、二合……

 

 私は自分の目を疑った。防戦一方になりつつも、彼は攻撃を全て受け止めていた。春蘭相手に!しかも片腕で!

 

「李民様!新手です!」

 

 反乱軍の兵士が叫ぶ。春蘭と男との戦いが続く最中、私たちと同じように囲みを突破して新たな隊が来た。『孫』の旗。確か…前豫州刺史の孫堅の娘、孫策…。

 その隊の先頭にいた武将がひらりと馬から降りた。そして剣を抜き、男に襲い掛かかった。私はその隙に将軍の下に駆け寄った。

 

「将軍、御無事で!」

「曹操か!奴が敵の首領、李民じゃ!」

 

 あれが…!と、戦いの様子を見る。孫策も中々の手練れと見えて、二人で攻めるこちらが明白に優勢となった。しかし連携が上手くいっていない。李民は春蘭に剣を振るった。悠々と後ろに避けたものの、孫策とぶつかってしまう。

 

「あっ!」

「ちいっ!邪魔よ!」

 

 男はその隙を見逃さず、馬に飛び乗った。そして官軍が続々と救援に来る戦場を見渡した。

 

「…どうやらこれまでのようだな。引くぞ!」

「李民!!」

 

 駆け出そうとする李民を、私は呼び止めた。戦いを挑む訳では無く、純粋に彼自身に対して興味を持っていたからだった。

 

「今投降すれば、あなたの親類は見逃してあげる。反逆罪としては異例よ」

 

 その言葉に振り向いた李民は顔を崩し、高々と笑った。

 

「クッハハハ!俺が反逆?誰に反逆したのだ?」

「何を言っているのよ?!漢皇帝に対してでしょう!」

 

 私が考えていたことと全く同じことを孫策が叫んだ。その途端、李民の表情が変わる。

 

「ふざけるな!民を裏切ったのは皇帝の方ではないか!」

「なっ!口を慎みなさい、李民!」

「貴様ら、勘違いしているようだな。皇帝とは神ではない。権力の一形態に過ぎん。『高祖』とは前の王朝を滅ぼしたものに与えられる悪名だ!」

 

 私たちは震えていた。怒りとは少し違うわね。そう、言ってしまえば“恐怖”。私たちの地面を崩されるような恐怖だったわ。

 去り際に李民が言った言葉が忘れられない。

 

「天が俺を滅ぼそうとするならば、それでもかまわない。俺が天を滅ぼしてやる!」

 

 李民についてはこれだけ。その後は蛇足よ。でもこれからが今の私たちの運命を変える出来事だった…

 

説明
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コメント
間違えました。確かに尤もな事ですな。この言い回し良いな。(5963)
>『高祖』とは前の王朝を滅ぼしたものに与えられる悪名だ!」(5963)
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