戦極姫4 武田家 川中島開戦 |
戦極姫4の武田家、上杉家のネタバレを含みますので未プレイの方はご注意ください。
その日の朝は気味の悪い程の濃霧が立ち込めていた。
恐れる必要はない、兵数においてもこちらが優勢。
自らに言い聞かせ気持ちを鼓舞しようとするが、眼前に広がる異常な霧やその冷え込みに気概が殺がれる。
「不穏ですね」
武田軍の軍師、天城颯馬は隣の御人に呟いた。
「敵が姿を現す頃には晴れる事でしょう。何の問題もありません」
我らが御館様、武田信玄様は相も変らぬ気品ある声を返したのだが……。
冷え込み故だろうか、心無しか信玄様の顔色が悪いように一瞬だけ見えた。
いや、この不穏な空気こそが俺にそう見させるのだろうか。
「体調の方はいかがでしょうか?」
念の為に聞いておくが、きっと体調が悪くても信玄様は教えてくださらないだろう。
考えている内にも分かりきった返答が返ってくる……「問題ない」と。
もう一度注意深く信玄様の御顔を拝見するが、やっぱり分からない。
「な、なんなのですか。先程から私に視線を向けやって」
「いえ、信玄様はいつも無理をなさいますからね。失礼ながら顔色を窺わせてもらいました」
「私は無理などしていません。それに、そのように見られていると落ち着きません」
居心地が悪くなったのか、信玄様は俺の視線から逃れようと御顔を背けられる。
その仕草を少し残念に思ったが、こちらから見える信玄様の片頬が微かに紅潮しているのが見えた。
ふと、いつぞや信廉様が信玄様をからかった時の事を思い出す。
『ふふふ、顔が赤いですよ、姉上?』
信廉様が仰られた時、信玄様は持病のせいとお答えになっていた。
あの姉妹の戯れは中々に可愛らしいものだった。そう思い返しながら俺も信玄様に問うてみる。
「顔が赤いですよ? 信玄様」
「くっぅぅぅ……き、気のせいです!」
流石は御館様。簡単に引っ掛かりはしないか。
苦笑を漏らしていると、今度こそ信玄様は後ろをお向きになってしまった。
つられて後ろを向くと、ここから少し距離がある本陣が小さく見え、次いで本陣の後ろへと意識を向ける。
ここからは見えないが、本陣の後ろには大きな輿がある。
「信廉の事が心配ですか?」
既にいつもどおりの凛とした表情の信玄様が問いかける。
そう、輿の中には信廉様がおられるのだ。
「……読心術でも心得ているのですか?」
「なに、簡単な事です。颯馬はずっと輿を気にしていましたからね」
気づいてないと思いました? と、してやったり顔の信玄様。
それに対抗するように、俺は少し言葉を変えて答える。
「正確には、『御二人の事が』です」
信玄様の体調が悪い際には、信廉様がその代役を務められてきた。
場内の隠し部屋で入れ替わるならまだしも、今回は開けた戦場だ。
ましてや戦の最中に武田信玄が二人いた、という事実が発覚してはどういうことになるか。
我が軍が混乱するのは自明の理だ。
信玄様はこのあたりはどうお考えか、そう尋ねる前に。
「大丈夫ですよ。信廉を戦場に出すまでもありません」
またしても思考を読まれたのだろう、信玄様は珍しくといっては無礼だが、慈愛に満ちた表情でそう仰られた。
普段は見せない、まるで信廉様のような御顔に不覚にも心がときめいてしまった。
あぁ、この御方もこんな表情をできるのだ、と。
信玄様と信廉様はやはり姉妹なのだ、と。
信廉様……か。
仕官当初、信玄様の俺を見る目は冷たかった。
勿論、信玄様との出会い方も最悪だったこともあるだろう。
暫くの間、いや、つい最近まで俺を見る信玄様の目は傍目にも冷たいと分かる程のものだった。
そんな俺をいつも気に掛けてくれた御人。
信廉様。
信玄様に外見はそっくりな、双子の妹君。
双子故に武田家の影としか生きる事ができなくなった少女。
決して、表舞台に立てない。
立つのは武田信玄の影武者として。
否、武田信玄として。
俺から見ればこの上なく不幸せな方。
その信廉様は、俺が信玄様に咎められ気落ちしている時には必ず……。
『颯馬? いますか? お話しましょう』
と、慈しむような笑顔を浮かべながら、俺の部屋を訪ね、慰めてくれるのだ。
俺が初めて信廉様の本質を知った時、なんて慈愛に溢れた方なのだろう。そう思った。
対するその頃の俺は、信玄様と信廉様の区別がつかず、失礼極まりなかった。
最初に慰めに来てくれた信廉様を信玄様と呼んでしまったことすらあった。
そんな俺の無礼に対して。
『ふふ、私は信廉ですよ』
と、咎める事もなく美しい笑顔を浮かべながら許していただいた。
今思うと、信玄様と間違えられた信廉様の胸中を思うと胸が痛い。
家中で数人しか自身の存在を認知しておらず、その認知している家臣にすら存在を間違われる。
……考えるのをやめよう。これ以上考えると腹を切って詫びたくなる。
ともかく、信玄様も心優しく素直な御方に間違いはなかったのだ。
俺に対する冷たい態度も当然だろう。
たかだか牢人風情の勝手な行動によって、愛しい妹の存在が脅かされたのだから。
故に、最愛の妹を慮る信玄様のこの御顔は美しい。
なんだかそんな信玄様の御顔を見蕩れていると恥ずかしくなり。
「出番がなければ、信廉様がまた拗ねてしまわれるのではないですか?」
冗談を言いつつ一息空ける。
ただの冗談のつもりが信玄様は目を閉じ
「ふふっ、拗ねている信廉も存外可愛らしいというもの」
「……」
「姉故の贔屓目も入っております。あれは自慢の妹ですから。しかし……」
「……しかし?」
「颯馬ならば、理解していただけると思ったのですが残念ですね」
先程の俺の無言を否定ととったようで信玄様が片目でこちらを見やった。
「我が妹の可愛さが理解できないとは、久しぶりに颯馬の評価を下げねばならぬようです」
本気とも冗談とも取れぬ声色で信玄様はそう仰る。
「いえいえ、理解できぬとは申し上げておりません。」
「ふむ」
「確かに、先の川中島の戦から戻った際の信廉様は確かに可愛らしかったですね」
「そうでしょう」
「更に、信廉様にからかわれた際の信玄様も可愛らしかったですよ?」
「……余計なことは言わなくてよいのです」
そう仰ると信玄様はプイと御顔を背けられた。
……やはり、信玄様と信廉様には大きな違いがあるのだと心の中で訂正した。
他愛もない話もそこそこに俺は視線を妻女山がある方向に向ける。
無論、視界は濃霧のせいで最悪だ。山であっても視界に捕らえることできない。
さて、戦が始まる前にもう一度情報を整理しておこう。
武田軍の兵二万、長尾軍の兵一万三千。
長尾軍は妻女山に陣取っている。
我が軍は兵一万二千と八千に分け、一万二千を別働隊とする。
別働隊は、山県殿、内藤殿、信春が率い、本隊は信玄様、虎綱さん、俺で率いる。
まず、別働隊が妻女山で長尾軍に攻撃を仕掛けた後、山から這い出てきた長尾軍を本隊で殲滅する。
この策を献じたのは他でもない、この俺だ。
つまりこの戦の勝敗は、俺の策が上手く機能するかしないかにかかってくるだろう。
このように大規模に兵を分けた事に一抹の不安は感じるが、致し方ない。
長尾軍を一網打尽に殲滅するには申し分ない策だ。
ここで長尾軍と雌雄を決すると、そう自分に言い聞かせた時だった。
「報告!敵軍に動きあり! 敵は既に山を降りきっている模様!」
「な、なに!?」
「敵軍は猛然とこちらに前進! 我が軍と接触するのも直ぐかと!」
「読まれたというのか!? しかし! なぜ?」
予想もしていない物見の報告に一瞬、頭の回転が鈍る。
そのせいで俺は、隣でふらついた信玄様に気がつけなかった。
「く……うぅぅぅ」
苦しそうな信玄様の声にハッとなり信玄様を支えようとするが、信玄様は俺の手を振り払った。
「その報告、真なのですか!?」
ふらつく体をなんとか建て直し、信玄様が鋭く声を吐く。
「この濃霧ではありますが、間違いありません! あれは長尾の軍勢であったとのこと!」
「長尾はどう動いているのです!?」
「それが、奇怪な動きを見せておるとのこと! 霧に迷っているのかぐるぐると渦を巻くかの如く!」
物見の兵が信玄様に情報を伝えている間、俺はようやく思考能力を失った脳を必死に呼び戻す。
「失策だったか……」
ただただ、そうひとりごちる。
武田兵二万、長尾兵一万三千。
兵力ではこちらが優勢。
……そのはずだった。
しかし現状は武田本隊八千に対し、押し寄せる長尾兵一万三千。
武田別働隊一万二千は今頃喪抜けの殻となった妻女山に襲撃をかけようとしているわけだ。
――失策。見事なまでの失策。
きっと俺は冷静ではなかったのだろう。
信玄様が信廉様のために先の戦で長尾との決着を急いだように。
俺もきっと御二人のために……。
考えても自らの未熟な策の言い訳にしかならないな、と俺は自嘲の笑みを浮かべる。
信玄様はこんな愚策を練った軍師をどう思っているのだろうか?
今度こそ本当に失望さなれただろうか。
女々しい考えのみが浮かんでくるが最早どうでもいい。
このような軍師など、武田には不要なのだから。
「心構えがなっていないまま、乱戦に突入してはなりません! 周囲を注意深く窺って――」
言いかけた所でまたしても信玄様の体がふらりと揺れた。
「信玄様!」
俺は今度こそ、そんな信玄様の体を支えた。
「だ、大丈夫です。急に怒鳴ったせいか立ち眩みが……」
周りの兵や物見の兵の視線が集まる。
何事かと、ぎょっとした表情で見つめているものもいる。
ただひとつ、それぞれが理解できることは好ましい事態ではないということ。
「んっ……。そ、そんな顔をしないでください、兵が動揺するでしょう? 私は……大丈夫ですから、颯馬」
信玄様は力のない笑みを浮かべられた。
笑みを作りつつも、普段の可憐な御顔とは程遠く、顔色が悪い。
「やはり、体調が……」
俺が兵に聞こえない小声でそう呟くと、信玄様は申し訳のなさそうな顔をした。
「あの子に……申し訳なく思います。私はなんて不出来な……」
――姉、とそう仰ろうとして信玄様は口を噤んだ。『あの子』はきっと信廉様。
周りの兵達に聞かれている事を思い出したのか、気を入れるため首を振られる。
この御方はいつもそうだ。
自身の事なんてまるでなんとも思っていない。
信廉様の事を不幸せだなんて言ったけど、信玄様も相当に不幸せだ。
くそっ! 俺がもっと早く信玄様の体調に気づいていれば!
一瞬だけ見えた顔色の悪さ。見間違いなどではなかったのに。
「報告! 右備えの隊が敵と接触!激しく攻め立てられています!」
悔いている間にも新たな伝令の兵がやってくる。
大した行軍の速度だ。あの勢いだと本陣まで食い破られるのは時間の問題か。
「信玄様を本陣までお連れしろ!」
俺はそう叫ぶと信玄様を近くの女の兵に押し付ける。
「……そ、颯馬はどうするのです?」
俺と共に本陣に戻ると考えていたであろう信玄様は驚きの表情でこちらを見やる。
目の前には力無く兵にしがみつきながら立ち上がろうとする信玄様の御姿。
「我が失策のけじめをつけて参ります」
「な、なりません!」
「山県殿の別働隊が合流するまで、なんとか持ちこたえさせます」
この劣勢な状況下で、たかだか軍師一人が加わったとしても戦況を覆すことはできないだろう。
無駄死に。
そんな言葉が浮かんでくるが、致し方ない。これは『けじめ』なのだから。
恐らく別働隊が山を駆け下るまでまだまだ時がかかる。
それだけの時を稼ぐことは中々現実的ではないが、耐えるしかないのだ。
ようやく立ち上がった信玄様がふらふらと手を伸ばし、俺の腕を強く掴んだ。
「待ちなさい! 言ったでしょう! 決戦の最中は軍師として常に『武田信玄』の傍に控えよと!」
信玄様の放つ『軍師』という言葉が重い。
まだ、このような愚策を呈した俺を軍師として扱ってくれるのか。
口惜しい……本当に口惜しいが、これ以上、信玄様の声を聞いていると未練が邪魔をしそうだ。
「申し訳ありません。信玄様」
俺はそう言い残すと、必死に俺を行かせまいとしている信玄様の手を無慈悲にも振り解いた。
きっと、どんな言葉を並べた所で信玄様は離してくれないだろうから。
こうしている間にも右備えが突破されようとしているのだから。
「あっ! ぐぅ……颯馬!」
きつく振り解いたせいか信玄様の体はまたしても地に落ちてしまう。
それを見た兵が慌てて抱きかかえようとしているのだろうが……見たくなかった。
言うまでもなく、最も無礼な行い。俺のせいで地に倒れ伏す信玄様を見る度胸は、俺にはなかった。
「颯馬! 命令です! 戻りなさい! 颯馬ぁ!」
信玄様の声に応えず、俺は中備えの隊へと赴きながら唇を噛む。
思った以上に、信玄様の俺に対する評価は上がっていたらしい。
……こんなにも俺を慮ってくださる時が来るとは……思わなかったなぁ。
――私は、最期まで無礼な男でした。お許しください、信玄様。
「我が隊は右備えの援軍に向かう! 左備えの隊には弧を描くように回り込み、敵の背後を突けと伝えよ!」
馬に飛び乗りつつ、中備えと伝令に指示を飛ばす。
「なんとしても本陣に敵を通すな! 死力を尽くし、御館様をお守りする! 往くぞ!」
そう声を張り上げると兵達がそれに呼応する。
――さらばです。信玄様、信廉様……山県殿、どうか御二人を!
俺は決死の覚悟を決めつつ、右備えへと馬を飛ばしたのだった。
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