Spring-Breath-Memory〜南風の街〜 〜V〜(前) |
生きるって何だろう、そんな事を柄でもなく考えてしまう事があるんです。
私の人生は、普通の人よりもきっと幸せな部類に入ると思います。
絶望の淵に居る自分に光明を与えてくれる先輩。
大した垣根も作らないでくれて、それでも此処ぞと言う時自分の事を慕い頼ってくれる後輩。
そして辛い事も楽しい事も分けあえる同輩の仲間たち。
こんなに素晴らしい人達に囲まれた自分はきっと幸せな人間なんだと思います。
だから、だからこそ私は自分がとてもずるい人間だと思うんです。
こんなにも持っているのに、私の一番欲しいと思っているものはその中には無い。
それを得ようとすれば私はきっと全てを失うと言うのに、それでも求める手を引っ込められない。
きっとその手が求める先に届いた時、私は深い絶望に叩き落とされると言うのに……
それは6月初旬の火曜の事。全三日間にわたって繰り広げられる試験という名の戦事、その二日目。弥生と椎名は今日終わった試験の余韻に浸りつつ雑談に興じていた。
「……誕生会?」
「そそ。明後日は麻子の誕生日じゃん?」
「そっか、じゃあ誕生会はうちでやろう。そうなると、プレゼント買わないとな……試験自体は明日昼で終わるけど、校則で部活しちゃいけないから明日買えば良いか。あの子何を貰うと嬉しいかな」
「じゃあ身体を差し出す事だ」
「それで喜ぶのはアンタだけだ」
「まあ良いや、実は私はもう買ってるんだ。会の買い出しは私がやるから、弥生はプレゼント選んでくると良いよ」
「ちなみに椎名は何を?」
「言っちゃうと面白くないよね〜……何だその目は」
「いや、嫌な予感しかしないなと思って」
「親しき仲にも礼儀ありだよ弥生、誕生日に碌でもないものをプレゼントしますかっての」
「あんたから礼儀という言葉が出るのか」
「まあ私のセンスに嘆息、もとい感嘆すると良いよ。弥生もセンス溢れるプレゼントを期待するから」
「……う〜ん」
……………
………
…
職員室で弁当を食べると言うのは当然だと思っていたけれど、意外とそうでもないと言う事をこの学園に赴任して知った。この学園は質の高い学食があるからだそうだけど。一度ついてしまった習慣と言う物は中々崩せない物で、今日も少数派ながら弁当である。
にしても、今日で試験も終わりか。センター試験も意識して俺の担当する物理学は最終日に行われるのだけれど、二三年全員担当しないといけない代わり理系しか選ばないうえに物理を選択しない子も相当数存在するので採点に時間がかかり過ぎると言う事はない。
思えば連日徹夜だったからな〜と硬化に硬化を重ねた肩をぐるぐると回す(軋む音の酷さに自分で引いた)、採点が終わったとてやる事は山積みなんだけどね(特に三年にはしっかり目をやる必要があるし)。
昨晩の内に付け込んで下味を付けておいた生姜焼きの弁当を軽く平らげ、テストの採点に入る。とりあえず三年のから……
……………
………
…
この街の桜は一般的な常識とかけ離れ、初春だけのものではない。5月から6月、年によっては7月頭まで咲いていると言うから色々心配になってしまう。
そんな桜に願掛けて、この街はいたるところに桜の木が植えてある。この街に住んでいて桜の花びらを見ない人間は居ないと言っても良い。生活を親に完全依存し永年部屋に引きこもっても居ない限りの話だけれども。
と言う事でほどほどに仕事を済ませた俺は家で私服に着替え(普通にTシャツにジャケットを重ね着、下はGパン)、翠蓮通りの南地区にやって来ていた。街に出るのも久しぶりだ。と言うのも普段多忙なせいで当てもなく人混みの中に飛び込んでいく事に辟易していただけなのだが、今日ばっかりはそうも言ってられない。にしても何を買おうか……
「あっ、せんせ〜」
人混みの中に居てもそのよく通る声と人目を引く容姿は気付かないはずはない。天地だった。そうか、今日は部活休みだった(と言うか休みにせざるを得ない)っけか。
人混みを丁寧にすり抜け、彼女は手を振りながら此方に走ってきた。普段は二つ結びにした艶のある髪を今日は後ろでポニテにしていた。服装はいつもの制服だけど。
「お久しぶりです。意外と私服も素敵ですね。いつぶりですか?」
「お前の中では俺が試験監督をしてた今日の物理試験は無かった事になってるみたいだな」
「あ、いや〜……もしかして採点終わってます?」
「点数は明日テスト返すからその時に分かるだろうけどな」
まあそこそこに親しい間柄だとは言っても、一人だけ贔屓するわけにはいかない。それにこの口ぶりだと大体分かっているのだろう(記述式の問題を多くしていると言う理由もあるが、基本的に物理は思ったより点数が出ない事はあってもその逆は滅多にない)。叱るのは明日まとめてやろう。平均点低かったし。
「んで、今日は何を?」
「あ〜、今日は調整に出してたトランペットを引き取りに来たんですよ。明日から部活ですし」
「そう言う事か。試験中でもないと調整出せないからな。俺は打楽器担当だったから管楽器のその辺の苦労は分からんけど」
「そう言えば先生も吹奏楽人でしたね。しかもその界隈じゃ相当な有名人だそうで」
「……知ってたのか」
「ええまあ。そんなに多くある名字じゃないですしね。知ってる人は知ってるんじゃないですか?」
多少狼狽するも、以前演奏会の選曲をしようと言う時に昔の曲を調べていたら行きついたらしい。特定された人間の心境ってこんな感じなんだろうな〜。
こう言う時ばっかりは彼女の鋭い目つきとにやりとした口元が恨めしい。
「まさか先生が課題曲作曲者とは……世の中って狭いですねぇ」
「まあ、あんまり広めないで貰えるか?」
「良いですよ、まあうちのブラスの人間全員知ってますから私一人の口塞いでも無駄だと思いますけど」
「」
人がごみごみしていなければ『orz』みたいな体勢でくず折れる所だったが、一応そう言う事をすると邪魔なので自重する。そうか、明日から色々めんどそうだな。試験中で良かった。と言うか試験勉強で詰め込んだ知識がその辺の記憶を排除してくれてると助かるんだけどな……
と、天地は急に神妙な顔つきになった。
「唐突ですが先生、今好きな人とか居ますか?」
「ホントに唐突だな……」
お前たち一人一人が大好きだよ、なんて下らないテンプレ聴きたいんじゃないなら、居ないよ……と素直に、しかし素っ気なくそう言った。教師だって人間だ、しかしそれでも俺みたいに仕事に傾倒するとどうしても恋愛より他の事が先に来てしまうからだ。誰かを好きになる余裕が無い。
「家と学園往復する以外ほとんどコミュニティ無いし、職場恋愛とか俺に出来ると思うか?」
「ええまあ。生徒に手を出すと色々問題ですしね〜。良かったですね先生、弥生がセクハラで訴えてたら教鞭をとる前に先生の教師生命終わってましたよ」
にまっと笑う彼女。日の光をその桃色の頬が照り返して輝かしい。やめてくれないかなそう言うの。
「あれは俺の所為じゃないだろ……まあ、そうだな。可愛い子は多いと思うんだよ、お前も含めてさ。ただ、どんなに可愛い子が居たって、その子に手を出してその子の人生を邪魔したくは無いんだよ。普段からそんな事思ってるわけじゃないけど、無意識にそうなってしまうらしい」
「人生の、邪魔、ですか……」
「珍しく考え込むな。俺の授業の時もそれくらい頭を使ってくれると嬉しいんだが」
「それとこれとは別なんですよ。まあ……いいです」
はぁ、やれやれと彼女はため息をつく。別に彼女に対する満点の答えを模索した訳ではなく、ただただ素直な感想を口にしてみただけなのだが。彼女が求める答えとは違っていたのだろうか。
「何かあれだな……もしかして、俺の事が好きな奴でも居るのか?」
「私は好きですよ、とりあえず。面白いですから。まあ他にも不特定多数いるんじゃないでしょうかね」
「何かテンション違くないか?」
「さあ? じゃ、これにて」
ぺこりと一礼し、彼女はとっとっとと駆けだしていった。いちいち行動が突飛だ。まあ知りあって二月くらいで生徒の事を理解しようなどおこがましいか。ましてや自分のような新人など。
……と、こんな事をしている場合では無い。買い物にどれだけ時間がかかるか分からない以上早くやってしまわないとまずい。特に店を探して無かったのは大誤算だ、何処に何があるやらさっぱりわからない……あ。
そんな俺の目に飛び込んで来たのは長い髪を青いリボンで一つにまとめた女性徒の姿。何と言う僥倖。行き恥をさらすだけの事はある。
「お〜い、弥生〜」
「あ、先生……」
手を振りながら彼女の元へ駆け寄っ……て行くわけにもいかないので、淡々と彼女の元へ歩み寄った。
説明 | ||
当初の予定よりも一話分長くなってしまったので、今回は前後篇と言う事で。 | ||
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