天馬†行空 二十八話目 始まりの意志
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 ――洛陽城外、袁紹の陣。

 

 城門付近にある天幕の中、椅子に座る軍の主は不機嫌だった。

 

「まったく! 漢の名族たるわたくしが都に訪れたというのに、誰も彼もが"天の御遣い"と! あんなどこの馬の骨とも知れない男に熱を上げるなんて信じられないですわ!」

 

 肘掛を指でトントンと叩きながら、麗羽は愚痴を漏らす。

 洛陽にしばらく滞在していたものの、都の話題は新しい天子と"天の御遣い"の事ばかりで自分の事は一切触れられなかった為、麗羽はさっさと城外の自陣に引き上げていた。

 

「…………」

 

「挙句には九錫を賜るなど! ……陛下も陛下ですわ!」

 

「………………」

 

「はっ! よもやあの男、陛下が幼いのを良いことに…………ちょっと猪々子さん! 聞いてますの!?」

 

「…………ヌメヌメがヌメヌメがヌメヌメがががががが」

 

「ちょ……」

 

 上の空に見えた猪々子は、よく見るとカタカタ震えている。

 

「…………斗詩さん、猪々子さんは一体どうなさったんですの?」

 

「……罰が当たったんです。かなり壮絶な」

 

「はあ……。大方、どこぞで拾い食いでもしたんですのね」

 

 困った方ですわね、と肩をすくめて麗羽は椅子から立ち上がった。

 

「まあ、御遣いとやらは何れ馬脚を現すに決まってますわ! それよりも、渤海と平原から徴兵しませんとね」

 

「あれ? 麗羽さま、また戦ですか?」

 

 未だ回復しない文醜の代わりに、斗詩が尋ねる。

 

「ええ、韓馥さんのような頼りない方に、豊かな?郡の統治は任せられません。漢の名門たるわ・た・く・しが治めた方が民の為になりますわ!」

 

 おーっほっほっほ! と高笑いを上げる麗羽を、天幕の陰から一対の目が冷ややかに見つめていた。

 

 

 

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 ――同じく洛陽城外、袁術の陣にて。

 

「うははは! ((妾|めかけ))の子よりも沢山褒美を貰えたのじゃ!」

 

「よっ! さすがお嬢様、たいして旨みの無い褒賞に喜ぶ姿も可愛いぞっ!」

 

「うははは! もっと褒めるのじゃ!」

 

 子供用サイズの椅子に腰掛け、蜂蜜水を飲む袁術は上機嫌だった。

 反董卓連合では総大将にこそなれなかったものの、兵の被害もほとんど無く引き上げることが出来、且つ領地の加増もあってか美羽の笑いは止まらない。

 

「それで七乃? ろこーとじょなんはどうしようかの?」

 

「そうですねー……廬江は誰か適当な人を太守にしておきましょう。汝南は荒れ放題ですし……面倒なので孫策さんにやらせましょうか?」

 

「うむ! 面倒なところは孫策にやらせれば良いのじゃ!」

 

「はい〜。それでは手配しておきますね〜」

(治安が回復した頃にこちらが別の方を派遣して、孫策さんの手柄を横取りすればいいですしね〜)

 

 腹の中で黒い算段をしながら、七乃は一心不乱に蜂蜜水を飲む美羽の姿を見つめていた。

 

 ……天幕内の様子を窺う人影の存在に気付かぬまま。

 

 

 

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 ――袁術の陣より少し離れた孫策の陣にて。

 

「汝南へ行け、か」

 

「成る程のう。汝南は未だに賊が跋扈する土地。面倒事は全て儂らに片付けさせるつもりか」

 

「ええ。そしてある程度治安が改善したところで別の者を太守として派遣するつもりなのでしょう」

 

「くっ! 袁術め、どこまで我等を便利屋扱いするつもりだ!」

 

 つい先程、”汝南へ赴き、治安を回復せよ”との通達を受けた孫家の面々は天幕の中、では無く外で話し合っていた。

 冥琳、祭が命令に込められた意図を看破する中、蓮華は怒りを顕にする。

 

 反董卓連合で、孫策軍は思った以上の被害を被っていた。

 虎牢関の戦いにおいて、相対した華雄と徐晃を袁術にぶつけ、勢いが衰えたところで董卓軍を討ち、あわよくば徐晃と華雄を捕虜としようというのが当初の策であったのだが。

 一当てした後、兵を退きながら董卓軍を釣る段階において、敵将が予想を上回る速さで突撃を敢行、袁術軍を巻き込んで孫策軍もまともにそれを受けてしまったのである。

 しかも、肝心の袁術と袁術主力の軍は別に動いており、袁術軍は雑兵のみに被害が出たにすぎなかった。

 連合においての収穫は、孫策が故孫堅の盟友、朱儁に認められた事ぐらいだろうか。

 尤も、これを上手く喧伝すれば、未だ孫策の器量を測りかねている豪族達を味方につけられるかもしれない。

 

「……しかし、これは好機でもある。雪蓮……どうした雪蓮?」

 

 廬江の豪族には、以前から調略の手を伸ばしている。

 汝南で治安回復に功を上げる事で、民の支持と廬江や汝南の豪族の取り込みを図りたいと冥琳は考え、友人に声を掛けるが反応が無い。

 

「な〜に〜?」

 

 物憂げな様子で返事をする雪蓮。

 

「なんだ、まだ痛みが取れないのか?」

 

「違うわよ〜」

 

 朱儁と戦ったときの傷は殆ど癒えていた筈だが、と訝しむ冥琳に、雪蓮はひらひらとだるそうに手を振った。

 

「冥琳。ほれ、あれじゃ、あれ」

 

「祭殿? あれと申され――ああ、”あれ”ですか」

 

 思わせぶりに声を潜めて耳打ちしてきた祭の言葉で、冥琳は親友の元気の無さに思い至る。

 

(……そういえば一年間は酒を呑めぬのだったな)

 

 朱儁が裁定に従って酒を断っていると聞かされた雪蓮は、自身もまた酒を断っていたのだ。

 

「汝南に行くんでしょ〜。解ってるわよ〜」

 

「重症だな。……まあ、これに懲りて戦場では無茶をするな」

 

「冥琳の言う通りです、姉様」

 

「あ〜う〜」

 

 弱り目に祟り目で、冥琳と蓮華から釘を刺される雪蓮。

 

「――周瑜殿、”耳”が」

 

 冥琳が、脱力する親友に苦笑していると、控えていた思春が耳打ちしながら視線をやや離れた位置へと向ける。

 どうやら袁術が監視を寄越して来たらしい、思春とは雪蓮を挟んで反対側に控えていた明命も冥琳の視線に頷き返した。

 

「ふむ、結論は出たな。では、明朝にでも出立する事にしよう。雪蓮、それで良いな?」

 

 張勲あたりが差し向けたのだろうが、雪蓮達が袁術に対して含むところがあるのは公然の秘密のようなものであるから、監視が差し向けられるのは珍しくも無い。

 とは言え、こちらの内情をわざわざ聞かせることも無かろうと冥琳は一同を見回しながら会議の終了を告げる。

 

「い〜わよ〜」

 

 相変わらず調子が出ない雪蓮の返事で、その場はお開きとなった。

 

「あ〜……でも帰る前に天の御遣いには会っておきたかったわねぇ」

 

 誰もが出立の準備へと取り掛かろうと解散する中。

 雪蓮は天を仰いでぼそりと呟いた。

 

 ――この会議の最中、監視していた者の存在を看破していた思春と明命は知らない。

 ――陣の近くに潜んでいた監視者が、袁術の手の者ではなかったことに。

 

 

 

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 ――洛陽、とある邸宅にて。

 

「成る程……ご苦労だったな翠、蒲公英」

 

 馬騰は伝えられた反董卓連合の顛末に驚くでもなく、静かに翠たちの労をねぎらった。

 ちなみに、馬騰はしばらくの間天水に兵をとどめるようにと劉協から言い付かっている。

 表向きは、近く中央から派遣される軍が到着するまで天水を守備する為となっているが、実のところは劉焉が北征に踏み切る可能性を考慮した結果の命令だった。

 

「……なあ、母様。母様は初めから劉焉が怪しいって知ってたのか?」

 

「ああ」

 

「っ! ――だったら!」

 

「連合に参加せず劉焉を攻めるべきだった、とでも言うつもりか?」

 

 蒲公英は知っていたのに自分には情報を知らされていなかった憤りから、翠は馬騰に食って掛かる。

 興奮する娘を、馬騰は静かな口調で遮った。

 

「あの時点での劉焉は、限りなく疑わしい存在であるとは言え疑いの範疇を超えなかった。故に私は武威に留まり、お前達を連合に行かせたのだ」

 

「だから、それはなんでなんだよ!?」

 

 憤懣やるかたない表情で、翠は半ば怒鳴り返す。

 

「決まっておろうが。劉焉から天水を守る事と、連合諸侯の中に奸物共と繋がっている者がおらぬか探る事だ。……尤も、お前は隠し事が出来ぬ故、蒲公英に命じておいたがな」

 

「……じゃあ蒲公英だけ行かせれば良かっただろ」

 

「馬鹿を言うな。私が動かぬ上、五胡の間で錦馬超と呼ばれて恐れられているお前も行かぬのでは、劉焉から不審を抱かれ、策が御破算になっておったわ」

 

 自身が単純だと言われて拗ねる翠に、馬騰は本心を語った。

 

「おばさま、策っていうのは天水を落とした時の?」

 

「そうだ。天水の留守居役と密かに連絡を取り、一日で落城したように見せかけたのだ」

 

 蒲公英の疑問に、馬騰は事も無く顛末を語りだす。

 同盟関係にある韓遂に事を打ち明けた馬騰は、韓遂の提案で五胡の抑えを彼女に任せることにした。

 劉焉が五胡を焚き付けてくる可能性を見抜いた韓遂の提案を受けて後顧の憂いが無くなった馬騰は、連合軍に馬超らが到着する頃を見計らって天水に入る。

 

「天水が我らに押さえられたと知ると、武都に駐屯していた劉焉の兵に動揺が見られた。だが、攻めては来なかったな」

 

 てっきり逆上した劉焉が兵を繰り出すと思ったのだが、と考えていた馬騰は肩透かしをくらう形になった。

 

「それなんだけど、一刀様が言ってたよ。劉焉は後から天水に攻める可能性も有ったって」

 

「ほう……件の御遣い殿が。して、その理由は?」

 

 蒲公英の口から出た名前に、興味を惹かれた馬騰は微かに感嘆の吐息を漏らす。

 

「うん、ええっと確か――」

 

 そう言って蒲公英が語った御遣いの推測は、馬騰を感心させるものだった。

 劉焉の狙いは、反董卓連合を結成させた時点でほぼ達成されていた、と御遣いは考えていたらしい。

 すなわち、董卓が連合に勝った場合でも、連合が董卓を破った場合でも、大乱を招いた王朝を非難する名目で兵を挙げるつもりではなかったか? と。

 尤も、これは士壱が推測した考えで、一刀も翠達に話す際にそう断った上で話していたが、蒲公英は一刀が謙遜していると考えたようだ。

 

「だが、御遣い殿が都の民を介し、王朝の健在を天下に宣言したことで山猿の目論見は外れた」

 

「一刀様が宣言された日から、都も活気が蘇ってたみたいだし。あの様子なら劉焉が天子様の悪口を言ったとして、誰も相手にしないと思うよ! ね、お姉様?」

 

「あ、ああ。そ、そそそそうだなっ!」

 

 馬騰がにやりと笑い、蒲公英がそれに追随する。

 いきなり話を振られた翠は、一人顔を真っ赤にして頷いた。

 

「ほう……蒲公英、御遣い殿は良い男だったのか?」

 

 娘の様子にぴんときた馬騰が、にやついたまま蒲公英を見る。

 

「うん! お姉様が一目惚」「蒲公英っ!!」「きゃーーっ!!」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべた蒲公英が弾んだ声で答えかけると、翠が大声を上げて蒲公英の口を塞ごうとして、追いかけっこが始まった。

 

「あのじゃじゃ馬が年頃の娘の顔になるとはな…………ふっふ、これは面白くなりそうだ」

 

 すぐに追いかけっこが本格化し、二人が部屋を駆け出して行く。

 一人残った馬騰は座ったまま、満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

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 ――洛陽の中心街、酒家「陽楽」にて。

 

「むぐむぐ…………おかわりなのだー!」

 

「あいよ。嬢ちゃん、いい食べっぷりだねぇ……ウチの料理、そんなに気に入ってくれたかい?」

 

「うん! 次はいつ来れるかわかんないからいっぱい食べておくのだ!」

 

 張飛の前に積まれた皿の山を見て、陽楽の女主人は目を細める。

 

「……相変わらず、よく食うなぁ」

 

 鈴々の前へ大皿に盛られた炒飯が運ばれてくるのを見ながら、白蓮は一口サイズの餃子を口に運ぶ。

 店内奥の卓には劉備陣営と公孫賛陣営、それに盧植が昼食を取っていた。

 鈴々が次から次へと皿を空にしていき、他の面々はゆっくりと料理に舌鼓を打っている。

 

「やはり、こちらで頂く方が美味しいわね。店主、餃子を一皿追加で」

 

「あいよ。盧将軍も久し振りぶりだねぇ、一杯食べていっておくれ!」

 

「ここ、先生の行きつけのお店だったんですか?」

 

「ええ」

 

 嬉しそうに料理を口に運ぶ盧植は、桃香の問いに頷いた。

 

「……二人共、明日には出立すると聞いたけれど?」

 

「「はい先生!」」

 

 箸を置いた盧植に問われ、白蓮と桃香は背筋を伸ばして返事をする。

 

「白蓮は烏丸、桃香は徐州の豪族が注意すべき要素となるでしょうね。……あと、”南”も」

 

「「はいっ!」」

 

 いくら奥まった席とは言え大勢が食事をする酒家。

 師がわざとぼかした言い方をした対象が袁紹と袁術であることは、自軍の軍師のみならず一刀からの忠告でも察している二人は、迷う事無く師に頷き返した。

 

「……その様子では心配は要らないようね」

 

 そんな二人の様子を見た盧植はふっ、と柔らかな笑みを浮かべる。

 

「ごちそうさまなのだ! ……お姉ちゃん! 鈴々、今日中にやらないといけないことがあるから出掛けてもいい?」

 

 話が一段落するのを待っていた鈴々が、今にも外に走り出していきそうな勢いで桃香に一声掛けた。

 

「? やらないといけないことって?」

 

「うん! 一刀お兄ちゃんにコレ貰ったから、全部回ってみたいのだ!」

 

 問い返す桃香に、鈴々が竹簡を開いてみせると、

 

「か、一刀様からですっ!?」

 

「鈴々! か、一刀殿から、何を戴いたのだ!?」

 

 よく見ようと顔を寄せかけた桃香よりも早く、柚子と愛紗が鈴々の前に躍り出る。

 

「え〜っと……? これ、何かの地図? 丸印の横に……あれ? このお店の名前も書いてあるよ?」

 

 二人の間から竹簡を見た桃香は首を傾げた。

 竹簡には簡単な地図のようなものが書かれており、その中にいくつも丸印が付いている。

 印の横には文字が書かれていて、その一つには酒家”陽楽”の名前もあった。

 

「……全部で二十程は印が付いてますね」

 

「ですね。一刀様が洛陽で回られたお店の名前、でしょうか」

 

「……鈴々ちゃんが貰って喜ぶ地図だから、この印はひょっとして料理店、かな?」

 

 軍師三人も、桃香の後ろから覗き込んでいる。

 

「雛里の言う通りなのだ! じゃあ、早速行って来るのだー!!」

 

「待って下さい鈴々さん! 一刀様お勧めのお店ならば私も行くです!」

 

「――! そう言う事なら私も行くぞ!」

 

 満面に笑みを浮かべて元気よく店を出て行く鈴々を追って、柚子と愛紗が駆け出して行った。

 

「私が聞き間違えていなければ、印は二十ちかくあると聞こえたのですが……」

 

「いや、私もそう聞こえたぞ斎姫。鈴々は兎も角、あの二人は大丈夫なのか……?」

 

 静かに食べていた陳到は、鈴々が居た席に積まれている十を越える空の皿を見て戦慄し、白蓮は茶碗を傾けながら呆れたように呟く。

 

「先生、さっきの印の中に甘味のお店がありました! この後行きませんか?」

 

「そうね……。うん、行きましょうか桃香。白蓮と、皆さんも一緒に行きましょうか?」

 

 全員の支払いを済ませた盧植の提案に、全員が縦に首を振って椅子から腰を浮かした。

 

 

 

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 ――昼下がりの洛陽城にて。

 

 初夏の日差しが差し込む宮殿の廊下を、華琳は夏侯姉妹を伴い女官に着いて歩いている。

 淀みなく歩を進める女官は、長い廊下の中ほどにある部屋の前で立ち止まると、室内に声を掛けた。

 一呼吸ほどしてから振り返った女官に「どうぞ」と促され、華琳は静かに扉を開く。

 一礼して顔を上げた華琳は、部屋の中央に置かれた円卓に白い衣を纏った目的の人物を認めると口元に薄く笑みを浮かべた。

 

 ――”天の御遣い”

 今や洛陽で知らぬ者は居ない存在。

 そして先頃、新帝劉協から九錫を下賜され、また、都を去る董卓について荊南へと赴く旨が布告された時の人だ。

 布告が広まるや否や、洛陽の町民は誰もが御遣いと董卓が都を去ることに残念がった。

 だが、街の古老に御遣いが話をした後は、南へ旅立つ董卓と御遣いへの感謝と祝いの気持ちを示す為に祭りが催されるのだという。

 また、中原の商人達は、荊南での商いにも乗り出さんと動き出しているのだとか。

 にわかに活気づいた都は、董卓が行った汚職官吏の粛清に始まり、十常侍張譲の処刑、旧き体制に囚われている清流派の文官達の失脚を経て新たな風が吹き始めようとしていた。

 

「曹操さん、それと夏侯惇さんに夏侯淵さんですね? 北郷一刀です、どうぞ座って下さい」

 

 ――これより先、天下の様相が変わる。

 反董卓連合の裁定後、帝に謁見する機会を得た華琳は、劉協のまだ子供らしい笑顔に何故か射抜かれるような戦慄を感じた。

 ――死に体の龍が、古き皮を脱ぎ捨てて新たな生を得ようとしているのか?

 此度の騒乱で、王朝の権威は完全に失われるものと見ていた華琳にとって、それは予想だにしなかった展開。

 年齢に見合わない威圧感を漂わせる劉協の様子に畏怖を覚えた華琳は、漢王朝が変化する予感を感じ、今後の情勢を占う為にもと御遣いとの謁見も望んだ。

 今や劉協に次いで天に近い存在である筈の少年のやけに丁寧な物言いに虚を衝かれたものの、驚いた素振りは毛ほども見せずに華琳は勧められた席に腰を下ろした。

 

「御遣い様、此度はこちらの急な申し出に快く応じて頂き、この曹孟徳、深く感謝致します」

 

「いえ、こちらこそ。所用があったとはいえ半端な時間に来てもらってすみません」

 

 ――調子が狂う。

 社交辞令の挨拶に対し、心底申し訳無さそうな口調で返事をする御遣いに、華琳は怪訝そうな表情になるのを抑えられない。

 思わず目を瞬かせた華琳の耳に、押し殺した笑い声が聞こえてきた。

 

「――くくっ。一刀よ、曹操殿が呆気に取られておるではないか。だから、もう少し尊大な物言いをすればと言ったのだ」

 

「……いや、星? いくら立場が変わったといっても、一日二日で話し方は変わらないと言うか、偉そうな喋り方に抵抗があるというか……」

 

 それまで一言も口を利く事無く御遣いの斜め後ろに立っていた趙雲が、笑いを堪えながら気安い口調で御遣いをからかっている。

 苦笑しながらそれに答える御遣いの姿を見て、華琳はふっ、と柔らかな笑みを口元に浮かべた。

 

「あ〜……お見苦しいところをお見せしました。口調は崩してもらって結構ですよ? こっちもそうしますから」

 

「そう、なら遠慮なくそうさせてもらうわ」

 

 向こうがそう言うのであれば――。

 

(――天の御遣い……さて、どれ程の者か)

 

 ごく自然体でこちらを見る少年の裡を見透かさんと目を光らせる華琳。

 

「早速だけど、聞かせて貰っても良いかしら?」

 

「どうぞ」

 

「公孫賛の下で客将をしていたあなたが、今は皇帝に次ぐ名声を得た。それが何故、今都から離れて南へ?」

 

 少年と趙雲が共に公孫賛の下を去った事実は掴んでいた。

 趙子龍は”昇り竜”の二つ名で知られた豪傑、黄巾の乱で主だった諸侯の戦果を調べていた華琳は、当然その名を知っている。

 そしてもう一人、民や商人を介して公孫賛の活躍を広めた人間――北郷――が居たことも。

 水関で趙雲が董卓軍として出撃してきたのを知った華琳は、或いは北郷も董卓軍に所属しているのではと疑っていた。

 だが、その予測は果たして当たっていたのかどうか――。

 ――仮に、今も公孫賛と繋がりを保っていると仮定してみる。

 幽州の牧となった公孫賛は、御遣いを通じて董卓とも友好関係を得た?

 ……どうだろうか。公孫賛と董卓の間に同盟が結ばれたという話は聞かない。

 それに大きな名声を得ている存在を、董卓の下に派遣しておく意味が分からない。

 御遣いが幽州に降りれば、その名を慕って多くの人材が集まるだろう……華琳が使っている張三姉妹がそうであるように。

 ――ならば、御遣いを名乗ったのは董卓を救う為であり、洛陽に来た時から董卓の配下であったのか?

 これもどうだろうか。董卓の配下であるなら、主従揃って都から離れる意図が無い様に思える。

 ……御遣いが民を鼓舞したあの時の宣言は、おそらく劉焉への牽制であろう。

 都を混乱させ、王朝の権威が失墜した事を見届けてから劉焉は兵を挙げるつもりだったのだろうと華琳は考える。

 その謀略を破った今、逆に劉焉を攻めるにしても中央の力を駆使すれば事は楽に運べる筈だ……その利点を捨てるような真似をするか?

 何故、中央の政に手を加えられる立場を得ながら、中原から見れば田舎も同然の荊南に出向くのか。

 少年の目を真っ直ぐに見つめながら、稀代の名臣、或いは乱世の奸雄と評された少女は思索を巡らせる。

 

「――董卓さんを補佐して、荊南四郡を発展させる為に」

 

 少年は端的に答えを返してきた。

 ――嘘は言っていない、しかし、肝心な部分も言ってはいない。

 確かに、この少年は言葉通りに董卓の側で荊南一帯を富ますだろう。

 北郷一刀は、公孫賛配下で北平の内政の要と華琳が見ている田国譲とも密接な関わりが有ったと言う。

 客将の身分では十全に振るえなかったであろう内政手腕を、荊南では存分に発揮出来る筈だ。

 ――案の定、劉焉については公にしない、か。

 既に今回の騒乱は張譲が首謀者とされている……つまり、劉焉は仕掛けた謀略の証拠を上手く消してしまったのだろう。

 故に、皇帝はあの裁定の場で劉焉については何も触れなかった。

 だが、王朝の預かりとなった天水には、しばしの間馬騰の兵が駐屯すると聞く。

 表向きは中央から太守と兵が派遣されるまでのつなぎ、その真意は劉焉が北進する恐れがあるからだろう。

 

「ふうん、私はてっきり…………」

 

「てっきり……何?」

 

「益州の劉君郎を討つ為に、南へ向かうのかと思ったのだけど?」

 

「――!」

 

「討つ」の部分をやや強調して言うと、御遣いの眉がぴくりと動いた。

 

(僅かだけれど反応が有ったわね――やはりそうか)

 

 劉焉は、成都に赴任した直後から朝廷との連絡を断ったのだという。

 その行動から、劉焉は腐敗していた中央から遠ざかり、独自の道を歩まんとしたことが容易に読み取れる。

 自身が抜擢した精強な部隊を使い、成都とその周辺の郡を早期に支配下に置いた手腕は華琳も認めていた。

 ――が、その後がいけない。

 中央の政治から解き放たれ、腐敗とはかけ離れた政を行うのかと思いきや、劉焉が行ったのは恐怖による統治だった。

 統治の手助けをした豪族を、自身の権威を高める(独裁政治)為に殺害。

 それに怒った他の豪族達は反乱を起こしたが、劉焉は五胡を使ってこれを鎮圧し、彼等を全て殺害した。

 そして、豪族が治めていた土地を接収し、重い税をかける。

 集められた税は宮殿の建設や、まるで天子が乗るような豪華な馬車の作成などに使われたそうだ。

 また、劉焉を初めその親族や重臣の貴族らは奢侈を極めているという。

 当然、民は不満を持つが、無残に殺された豪族達の例もあり反乱など起こせる訳も無い。

 黄巾の乱以前、益州方面に放っていた密偵からその報告を聞いた時、華琳は不快感を覚えた。

 ――劉君郎は英傑たる器ではない。

 何れ蜀に出征した暁には、叩き潰す腹だったのだ。

 加えて、今回の騒乱では袁紹ら諸侯だけでなく自分さえもいい様に使われた、との思いがあり、劉焉に対しては腹立たしさを通り越して殺意さえ覚えている。

 

(劉焉にはきっちりと返礼するつもりだったけれど……どうも、その役目は私ではないようね)

 

 北郷は公孫賛だけでなく劉備、そして馬超とも繋がりがあると聞いた。

 よって官軍の盧植、天水を防備した馬騰らと対劉焉の為に連絡を取っていた可能性がある。

 今後はおそらく南の御遣いと董卓、北の馬騰で劉焉を攻めるつもりなのだろう。

 自らの手で、穴蔵に篭ったままの卑怯者に引導を渡してやれないのは残念だがやむをえまい。

 そこまで思考を巡らせた華琳は、先程よりも視線が鋭くなった少年を見て、自身の推測に確信を抱いた。

 

「……敵わないね。まさかとは思うけど、曹操さんも”こちら側”だったのかな?」

 

「いいえ、”どちら”でもないわ。私が気付いたのは終わり際よ……腹立たしい事にね」

 

「そう…………劉焉はこっちでやる。悪いけど、曹操さんの出番は無いよ」

 

「へえ……」

(――なかなか良い目をするじゃない)

 

 少年の声と視線に、華琳は揺るぎない意志を感じ取る。

 

「……なら、お手並みを拝見させてもらうとするわ」

 

「ええ、期待して貰っていいですよ」

 

 挑発とも取れる華琳の台詞に対して、北郷一刀は落ち着きを取り戻したのか、穏やかな口調で切り返してきた。

 

「曹操さん。俺からも一つ、質問していいかな?」

 

「なんなりと」

 

「これから先、曹操さんはどうするのかな? 北? 南? ……それとも、西?」

 

(――――!)

 

 北が袁紹、南が袁術、西が――洛陽。

 

「もし、そのどちらでもないなら……しばらくは領地でのんびりしてると良いかも」

 

 黒い闇が、蒼を射抜く。

 

「……どういう、ことかしら?」

 

 ――試しているのか、この私を。

 

「そのままの意味だよ。二月もすれば分かるとは思うけど……洛陽の様子を見逃さないようにしていればね」

 

 華琳の鋭い視線を真っ向から受け止めても動じることなく、一刀はあくまで穏やかに言葉を継ぐ。

 

「――忠告、有り難く頂戴するわ」

 

 劉焉の名に激し掛けたときとは違い、まるで霧がかった山林の如く態度や表情が読めなくなった少年を前にして、華琳はそれだけを口にするのがやっとだった。

 

 

 

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 ――それからしばらくの後。

 

「華琳様に向かって何て物言いなの! 華琳様、そんな無礼な男の戯言などお気になさることはありません!」

 

 宮殿を後にして、城門の外にある自陣へと帰ってきた華琳は早速軍議を始めていた。

 天の御遣いとの会談内容を話すと、案の定桂花がまなじりを上げて顔を紅潮させる。

 会談中は珍しく静かだった春蘭はそんな桂花を見て首を傾げ、秋蘭は俯き気味に何か思案していた。

 季衣や流琉、凪達は突然怒り出した桂花に目を白黒させている。

 

「桂花」

 

 激する桂花の声を右から左へと聞き流しながら、瞑目していた華琳はやにわに目を見開いて軍師の名を呼んだ。

 

「――な男なんて! …………は、はいっ!」

 

 未だに続いていた御遣いへの罵詈雑言を止められ、桂花は弾かれたように顔を上げる。

 

「北平へ密偵を放ちなさい……調べる内容は”公孫賛の客将になる以前に北郷一刀がどこに居たのか”よ」

 

 ――ただの一客将をしていた者が、自分と真っ向から視線をぶつけられる筈はない。

 公孫賛に仕えるより以前、北郷一刀はどこにいたのか? 或いは師がいるのか?

 華琳が考えていたこれから取るべき道筋……袁紹、袁術に関しての推測は驚かなかった。

 だが洛陽、すなわち、王朝に対しては――。

 

「もう二つ。――洛陽と董卓の下にも密偵を潜り込ませなさい。調べた情報は細大漏らさず報告すること」

 

「ぎ、御意!」

 

「後の者は陣払いを。陳留に帰るわよ」

 

「「「はっ!」」」

「「はいっ!」」

「了解!」「はいなの!」

 

 ――今打てる手はこれで全てか?

 命を受け、各々が慌しく天幕を出て行くのを見ながら、華琳は自問を続ける。

 

(皇帝についても、御遣いについても……まだ、情報が足りない)

 

 幾多の難を潜り抜けてきた華琳の勘は「今はまだ動くべきではない」と囁く。

 

(御遣いの思惑に乗せられるのは癪だけど……今だけは乗ってあげるわ。――今は、ね)

 

 ――情勢を見極めた後は……さて、どうするか。

 天幕から出て、少女は高い天を仰いだ。

 

「新たな天子に、天の御遣い……ふふ、良いじゃない。実の取れない連合に参加したかと思っていたけれど、思わぬ収穫があったわね」

 

 空よりも深い蒼の瞳が、日の光を受けて強く輝く。

 

「その才、いずれは私が――ふふ」

 

 宮殿がある方角に視線を向けた華琳の唇が弧を描いた。

 

 

 

-8ページ-

 

 

 ――曹操が一刀との会談を終えて一時辰(約二時間)後。

 

「陛下、諸侯に潜り込ませていた密偵から報告が上がっております」

 

「ご苦労様、董承。では、早速……」

 

 洛陽の玉座、董承から書簡を受け取った劉伯和は、無言で目を通す。

 書簡には、袁紹に袁術、孫策、韓馥らその他諸侯が陣中で行っていた会議の内容が事細かに記されていた。

 

「――くすくすくす。思惑通り、です」

 

 書簡に目を通していた伯和は、読み終えると口の端をやや吊り上げて笑う。

 

「それと、こちらが御遣い様と曹操との会談内容です」

 

「…………む、忠告をされるとは……一刀様は随分と曹操を高く評価されていますね」

 

 董承が差し出した二つ目の書簡に、先程よりも速く目を通した伯和は瞳に驚きの色を浮かべた。

 

(何れまた、曹操とは話をする機会を作る必要あり……かな?)

 

 次はもう少し曹操の腹の内を探ってみよう、と伯和は考える。

 ――あと、自分と話すときと違って、敬語を使わない一刀様と喋ってたのも気になるし。

 

「曹操に関してはまた後程。今はやらないといけないことが山積みですからね――董承、例の件は」

 

「はい、準備は滞りなく進んでおります」

 

「宜しい。解っているとは思うが、試験に携わる全ての者には命令を徹底させるように」

 

「御意」

 

「差配は董承に任せて大丈夫。公布には……大体二週は掛かると見ていいか」

(爺、王允、士孫瑞。貴方達の死は決して無駄にはしない……漢王朝は必ず蘇らせます)

 

 齢十の少女とは思えない程の大人びた顔で命を下した劉協は、董承が退室すると軽く溜息を吐いて宙に視線をさまよわせる。

 

「――あ! 一刀様は、明日発たれるんだった…………どうしよう、ぅう」

 

 ぼうっとした様子の少女は、小声でなにやら呟くと頬をりんごのように真っ赤に染めて俯いた。

 

 

 

-9ページ-

 

 

 曹操との会談から三日後――士壱が借りていた屋敷にて。

 

「準備完了っと」

 

 置いていた私物(あんまりないけど)を風呂敷に包み、笠と羽織を背中に引っ掛ける。

 ここも結構長く居た気がする……部屋を出て振り返り、頭を下げた。

 

「律儀だな」

 

 頭を上げたタイミングで、横合いから星の声。

 振り向くとそこには旅支度を終えた星と風さん、稟さんがいた。

 

「ん……まあ、お世話になったしね」

 

「お兄さん、風達も準備できましたー」

 

「董卓殿達も、まもなく宮殿前に集られるとのこと。我々も急ぎましょう、一刀殿」

 

「了解、じゃあ行こうか」

 

 屋敷の門を潜り、城の方角を仰ぐ。

 日差しが少し強いけど、雨が降りそうにないのは有り難い。

 旅立ちには良い日だ。

 

「あ、お兄さん、出掛ける前にお願いがあるのですがー」

 

 早速行こうか、と一歩踏み出したところで風さんに裾を掴まれた。

 

「どうしたの?」

 

「これからは、風のことを呼び捨てにして欲しいのですよー」

 

「当然、私もです」

 

 振り返ると、風さんと稟さんが俺の正面に並んでいる。

 

「? え、っと……?」

 

「これから風達はお兄さんに仕える身ですからねー」

 

「臣下に敬称をつけて呼ばれると周りに示しが付きませんから」

 

 返事に詰まった俺に、二人は畳み掛けるように言葉を続けた。

 

「ちょっ――!?」

 

 し、臣下って、ええっ!?

 

「何を不思議そうな顔をしているのですか一刀殿。今や天下の目は貴方に注がれているのですよ。そんな御方が一人の臣も持たないと言うのはおかしな話でしょう?」

 

「天子様のお命を救った上に、九錫まで頂いてますからねー」

 

「で、でも何だって俺の? 董卓さんの方が――」

 

「風はお兄さんに仕えたいのです」

 

「これから天下を大きく左右する方の下で知恵を絞って働く……私にとって、一刀殿はこれ以上ない主なのですよ」

 

 荊南四郡の州牧として、これから大きくなるであろう董卓さんの方が仕えるには良いのではと言おうと思ったが、ばっさりと断ち切られる。

 風さんと稟さんの目は真剣だ。決して冗談等ではなく本心から言ってくれている――。

 

「先んじられた、か」

 

「――え」

 

「――一刀、いや、我が主よ」

 

 二人の目に宿る真剣な光に驚いていると、その声が聞こえた。

 

「我が槍を貴方のためにこそ捧げよう。これから先も共に……そして乱世を治めましょうぞ」

 

「――!?」

 

 ――――っ!?

 

「うええええ!!?」

 

「――まあ、余人を交えぬ時は今まで通り一刀、と呼ばせて欲しいがな?」

 

 目を白黒させる俺を見て、星はニヤリと笑う。

 

「星ちゃん、後から出てきてずるいのですよー」

 

「ふふ、なんのことやら」

 

「……二人共、一刀殿が完全に固まっていますが」

 

 ――――はっ!?

 

「せ、星まで!? で、でもなんだって皆急に!?」

 

「急に、ではないぞ一刀、以前に白蓮殿や桃香殿達と共に乱世を正さんと誓い合った事があったろう? あの時の誓いを忘れたとは言わさんぞ」

 

「そ、そりゃあ、忘れてなんかいないけど――」

 

「――お前は、天子様をお救いした功さえも、洛陽の民に生きる――いや、活きる力を蘇らせる為に惜しげもなく与えた。例えそれが、劉焉の謀略を潰す為であったとしてもだ」

 

「――あの時のお兄さんは、本当に天から降りて来られた様に思いました」

 

「――一刀殿、貴方は、ご自身の行動を持って天下に大義を示されました。我らが心服し、その第一の臣たらんと願うこの心、受け止めては貰えませんか」

 

 ――。

 ――――。

 ――っ、くそ、目が霞んで――。

 ――みっとも、ない、なぁ……交趾を出た時も――っ、今回、も。

 

 でも、でも――。

 

「――有り難う、星、風、稟。俺は天下一の幸せ者だよ……っ!」

 

「お兄さん――やっと」

 

「一刀殿……」

 

「ふっ」

 

 間違いなく、ぐしゃぐしゃになっているだろう顔を拭ってから、やっとの事で声を絞り出した。

 視界がぼやけてよく分からないが、みんなの嬉しそうな声が聞こえる。

 

「――これからもよろしく! 星! 風! 稟!」

 

「ああ、頼りにしてくれ、一刀」

 

「お兄さん、風はどこまでも着いて行きますよ」

 

「こちらこそ! さあ、これから忙しくなりますね……ふふ」

 

「……ご一緒出来ないのが残念です」

 

「「「ぅわあっ!?」」」「のおおっ!?」

 

 みんなの顔を見回して、真名を呼びながら――って!?

 

「「「「劉協様っ!?」」」」

 

 本気で吃驚した! と言うか全然気配がなかったよ今!!

 

「一刀様、皆さん、見送りに来ました」

 

「一刀様、皆様、陛下を、そして都をお救い頂き、誠に有り難う御座いました。このご恩、董承、決して忘れは致しません」

 

 そして、董承さんは小声で「張譲殿と王允殿の志も遂げさせて頂き、感謝の言葉もありません」と頭を深く下げた。

 董承さんに一礼すると、劉協様に裾を引っ張られる。

 

「何でしょうか?」

 

「――え、ええっと、一刀様、お耳を……」

 

 声を潜める劉協様に合わせてしゃがみこみ、言われた通りに耳を傾ける。

 

「――そ、その……わ、私の真名、あ、((愛蓮|あいれん))です。わ、私も皆さんと同じ様に、真名で呼んで下さいっ」

 

 と、殿方に真名を預けるのは父と義兄を除いては初めてです……と益々小さな声になる劉協様の突然の申し出を聞いて、もう混乱どころか一周廻って頭がやけにクリアになったみたいだ。

 

「陛下の真名、確かに受け取らせて頂きました。……ですが、流石に大勢の前では呼べませんよ?」

 

「――あ! は、はい! こ、これからもよろしく、です!」

 

 さっきの俺の真似をした陛下が、花が開くような笑顔を浮かべた。

 

「――うん、よろしく、愛蓮」

 

「――っ!」

(か、一刀様に真名を呼んで頂けた! 嬉しい――! はっ! ど、どどどうしよう、わ、私、変な顔になってないよね!?)

 

 真っ赤に染まった顔を両手で隠す愛蓮を見て微笑ましく思っていると、街の方から太鼓や鉦の音が聞こえて来る。

 どうやら、お祭りが始まったようだ。

 

「ちょっと! どれだけ待たせ――へ、陛下!?」

 

 太鼓の音に僅かに遅れ、怒鳴りながら通りを駆けて来る賈駆さん。うわ、だいぶ時間が経ってたみたいだな、申し訳ない。

 

「へぅ!?」

 

 賈駆さんに遅れてやって来た董卓さんは陛下を見て目を丸くしている。

 

「…………街の皆、来るの待ってる」

 

「急ぐのですぞー! って、こ、皇帝陛下ー!?」

 

 沢山の動物たちを引き連れて歩いて来た呂布さんと陳宮さんが手を振り……あ、陳宮さんが固まった。

 

「ええい霞、年寄り扱いするなと言うに!」

 

「やかましいわ! 腰をやられとんのに無理に見送りに来んな爺さん!」

 

「むう、丁原殿は相変わらずだな」

 

 白髪のお爺さん――丁原さんって聞こえたな――に肩を貸しながら歩いて来た文遠と、呆れたように呟く華雄さん。

 

「ええと、あれも持った、これも大丈夫……な、何か忘れ物は」

 

「公達殿……大丈夫ですよ、これでもう十七回は荷物の確認をしておられるのですから」

 

 肩に掛けた鞄の中身を気にしている荀攸さんと、苦笑いしながら宥めている徐晃さん。

 

「すみません賈駆さん、董卓さん、遅れました」

 

「へ、陛下が居られたのなら仕方ないわよ! で、でももうそろそろ出発しないと……」

 

「私の事は気にしなくて良いです。一刀様と皆さんに新たなる地での武運があらんことを」

 

「へ、へぅ。劉協様、有り難う御座いました!」

 

「一刀様、荊南へは定期的に胡車児を遣わしますので、何か御座いましたら文や言づてをお願いします」

 

「有り難う御座います董承さん。……陛下にはちゃんと手紙を書きますので、安心してください」

 

「……宜しくお願いします。陛下にとってはなによりの便りとなりますので」

 

 愛蓮に聞こえないように耳打ちしてきた董承さんに小声で答える。

 幸い、董卓さんや賈駆さん達と話していた愛蓮には聞こえなかったようだ。

 

「お兄さん、董卓さん、向こうもあまり待たせてはいけないですよー」

 

 裾を引く風が、街の方向を指差す。

 

「おっと、そうだね。……董卓さーん! そろそろ出発しようかー?」

 

「あ、はい一刀さん!」

 

 董卓さんに声を掛けると、彼女は輝かんばかりの笑顔で振り返った。

 

 

 

 

 

 ――遠くから、祭囃子が聞こえてくる。

 ――さあ、行こうか。

 

 

 

 

 

 

-10ページ-

 

 

 ――一刀達が洛陽を出発してから一週間後の話。

 

「――であり、天の御遣い、及び董卓が荊南四郡の統治に当たる事となった。交趾太守士燮、そなたは交州の牧に任ずる。謹んで勅命を受け取るがよい」

 

「はっ! 士威彦、非才の身ではありますが、謹んで交州牧の任を勤めさせて頂きます」

 

「また、使者である士壱はそなたの下へ遣わす故、交州の統治に励むがよい。また、蒼梧郡を不法に占拠する((呉巨|ごきょ))と申す輩の討伐を命じる――っと。ふ〜……いやー、使者の口上とは言え、姉上に偉そうな口調で喋るのは緊張するわ〜」

 

「ふふ、お疲れ様、宵」

 

 交趾の城、玉座の間。士燮の前で勅書を読み上げた士壱は大きく息を吐くとにやりと笑う。

 

「けど、これでようやく私も姉上の下で働けるね! ――で、早速だけど」

 

 と、士壱が文官や武官などとは別にこの場にいた数名の者達に目を向けた。

 

「ええ、紹介……と言っても宵は藩臨さんと黄乱さん、((薛綜|せっそう))さんは知っていますよね?」

 

 姉の言葉に、宵は頷き返す。

 宵がそちらに目を向けると、藩臨がオウと頷き、黄乱が小さく手を振り、薛綜――ケイ――が目礼した。

 

「後の方には自己紹介してもらいましょうか。――では、どうぞ」

 

「では私から……姓を((?|かく))、名は((昭|しょう))。字は伯道と言います。以後、お見知りおきを」

 

 普段の雰囲気とは違って、姿勢と口調を正したハクが士壱に挨拶する。

 

「次はオ、じゃなくて私ッ……ですね。姓を馬、名は鈞、字は徳衡。こ、今後とも宜しくお願いします」

 

「ああ宜しく、私は士壱だ」

 

 ?昭に続いて、馬鈞がしどろもどろに挨拶すると、士壱は胸を張って二人に名乗った。

 

「藩臨さんを初めとした五名の方達は、交州平定にお力を貸して頂く運びとなりました。ここで、重ねてお礼を述べさせて貰いますね。有り難う御座います」

 

「いやいや大将、こっちが勝手に参加する事だ。そんなに頭を下げられちゃあ、むずがゆくっていけねえ」

 

「主人の言う通りですよ士燮様、お気になさらないで下さいな」

 

 頭を下げる士燮や、文官、武官に藩臨は照れくさそうに頭をかき、とても夫婦とは思えない程体格差のある黄乱が気さくな口調で場を和ませる。

 見た目には親子のような夫婦の言葉に顔を綻ばせた士燮は、一同へ順に目を向けてから真っ直ぐに前を向いた。

 

「それでは交州の平定に掛かります。先ず劉表殿配下の呉巨殿ですが――では敬文殿、伯道殿、頼みます」

 

「はっ! では、先ず蒼梧に駐屯する呉巨の戦力について薛敬文が報告いたします。敵兵力は一万五千。当初は二万を率いて蒼梧に入ったらしいのですが、山越や賊との戦闘で目減りしています」

 

 竹簡をすらすらと読み上げた薛綜は、一旦息を吐くと顔を上げて士燮を見る。

 

「なお、呉巨は現在も山越との小競り合いに気を取られている為、先ずは((鬱林|うつりん))(交州の郡の一つ、交趾の東隣り)、((珠官|しゅかん))(交州の郡の一つ、交趾からは鬱林を挟んで東に位置)、((高涼|こうりょう))(交州の郡の一つ、珠官の東、蒼梧のすぐ南)に連絡しつつ兵を進め、蒼梧を包囲されれば宜しいかと思われます」

 

「藩臨だ、敬文に補足するぜ。呉巨が南海(交州の郡の一つで一番東に位置し、揚州と接する)へ逃げるかもしれねえ。その場合、知り合いに頼んで先回りして押さえられると思うが……大将、どうする?」

 

「ではお願いしましょう」

 

「了解だ、じゃあ、今から取り掛かるぜ」

 

 師匠が頷くと、藩臨は大股で玉座の間から出て行った。

 

「――では。?伯道、交趾の戦力について報告します! こちらの兵力は向こうと同様に一万五千、親方……藩臨殿の集めた義勇兵が二千」

 

 ケイが目で促し、ハクが頷いて竹簡を広げる。

 

「また、組み立て式の大型拒馬も準備は出来ております。組み上げ手順は街道警備隊が熟知しており、今は全部隊に習得させている最中です」

 

 薛綜に負けず劣らずすらすらと竹簡を読み上げる?昭を見て、馬鈞が「いつもと違いすぎッス……」と小さく呟いた。

 

「ふふ、確かハク丸城でしたね……あれの、第一の門、ですか?」

 

「お、お恥ずかしい話ですが」

 

 柔らかな笑みを浮かべた士燮の言葉に、?昭は赤面して答える。

 

「ですが、設置に掛かる時間は陣を建てるより早く、高さも陣のそれと変わりありません。戦の折には必ずやお役に立てると自負しております!」

 

「はい。期待していますよ、?昭さん」

 

「はっ!!」

 

 穏やかな口調ではあるが、射抜くような視線を向けられた?昭は身震いしながらも力強く返事をした。

 

「細かい事項については明朝に通達します。それでは各自、準備に取り掛かるように――解散!」

 

『はっ!!!!!』

 

 士燮の一声で、居並ぶ文官、武官達は己が役をこなすべく整然と退室していく。

 玉座の間には士燮と士壱、会議の記録をとっていた程秉の三人が残った。

 しばしの間を置いて、三人以外誰もいなくなったのを確認した士壱が口を開く。

 

「……しっかし、姉上も徳枢も、北郷が天の御遣いだった事は知ってたんだな」

 

「うーん……正確にはあの服や北郷君の身の上話を聞いて”そうではないか”と推測していただけよ? 本人の口からはっきり”そうだ”と聞かされた訳ではないわ」

 

「でも、それが当たってたんだよな。姉上、せめて私ぐらいには教えてくれても良かったのに……」

 

「御免なさいね。でも、北郷君の安全にも関わる大事だったから」

 

「むぅ…………仕方ないか」

 

 唇を尖らせる妹に、威彦は申し訳無さそうに眉を寄せた。

 

「徳枢は、北郷が”こっち”に来た時に初めて会ったって言ってたけど……その、北郷が降りて来るところ、見たのか?」

 

「はい、士壱殿」

 

「そっか……ねえ、やっぱりその、凄かったのかな?」

 

 士壱に問われた想夏の脳裏に、あの日見た光景が鮮やかに蘇る。

 

 ――白く、ただ白く。蒼天を二つに分かつかの如く走った一筋の光。

 ――光の落ちた地に仰向けに寝ていた眩しい少年。

 ――心の動揺を必死で隠そうと、ぶっきらぼうに応対してしまった事。

 ――初めて会った人物、それも異性に、不思議と心が安らいだあの日。

 

 そして一刀が交趾から旅立つ前の書庫でのひと時と、その時感じた想いも一遍に蘇り、想夏の顔が朱に染まる。

 

「え、ええと、その、ですね」

 

「あ〜……ゴメン。なんか、徳枢の顔見ただけで予想がついちゃった」

 

 か〜っ、あっちいわね〜、と襟元をパタパタと手で扇ぎながら言う士壱の顔もまた、僅かに朱に染まっていた。

 

 

 

-11ページ-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初夏の日差しが、南へと向かう若者達を明るく照らす。

 

 ――都を覆っていた陰謀の陰は、白き光に照らされ消え失せた。

 ――そして今、強き光を裡に宿した将星がこの国の未来を照らさんと集う。

 

 

 

 

 

 少年の背を見つめていた星は、ふと足を止めて目を擦った。

 

 少年の白い衣に掛かった黒い羽織。

 それが一瞬交わり、大極を描いたように――。

 

 

 

 

 

 ――星には、見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-12ページ-

 

 

 あとがき

 

 大変お待たせしました。天馬†行空 二十八話目をお届けします。

 今回で、黄巾の乱直前から反董卓連合終結までの中原編(黄巾の乱終結までを一章、反董卓連合が二章)が終了となります。

 思えば、かなり長くなってしましましたが。

 

 さて、次回からはオリキャラ紹介をはさんで荊南へと舞台が移ります。

 そして、南中メンバーとの再会の時が――。

 

 

 では、張譲さんが作中で語っていた隠語についてタネ明かしを。

 

 三番……胡車児

 石……董卓(その器や才能を、磨けば光る宝石の原石に例えて)

 羽虫……十常侍

 玉……劉協

 猿……袁紹

 小猿……袁術

 三将……皇甫嵩、朱儁、盧植

 昼行灯……王允(敢えて老害を演じる王允の意を汲んで)

 二番……士孫瑞

 傀儡……十常侍の操り人形・そのままの意味

 生贄……中原諸侯らの嫉妬の的となる事

 

 以上となります。

 

 

 では、次回二十九話目でお会いしましょう。

 それでは、また。

 

 

 

 

 

 雪蓮「お酒が切れて力が出ない……」(←ア○パ○マン風に)

 

 

 

 

 

 九頁目の愛蓮様の台詞が「男性みたいな真名ですけど」になっていたのを修正。

 実は直前まで劉協様の真名を”愛蓮”と”玄黄(げんこう)”のどちらにするかを迷っていた為です。

 男性みたい、になっていた部分は玄黄でいこうと思っていた時の文章がそのままだったのを失念していました。

 読者様と劉協様に、深くお詫び申し上げ――あ、愛蓮様? そ、その黒い笑いは(文章はここで途切れている)

 

 

 

 

 

説明
 真・恋姫†無双の二次創作小説で、処女作です。
 のんびりなペースで投稿しています。

 一話目からこちら、閲覧頂き有り難う御座います。 
 皆様から頂ける支援、コメントが作品の力となっております。

 ※注意
 主人公は一刀ですが、オリキャラが多めに出ます。
 また、ストーリー展開も独自のものとなっております。
 苦手な方は読むのを控えられることを強くオススメします。


 ※9ページ目の表現におかしなものがあったので修正しました。
  詳細はあとがきの一番最後に記載しております。
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コメント
>リョウさん そうですよね生涯k(ゴオッ←炎の渦に飲み込まれる音)(赤糸)
最後に全部持って行かれたw もうこのまま生涯禁酒d(ドスッ)(リョウ)
>summonさん 愛蓮様(十歳)、乙女してますね。一刀が南へ行っても、陛下の出番はちょくちょくある予定です。(赤糸)
>牛乳魔人さん ハハハ、いやいやまさかそんなことは(棒)(赤糸)
星達が配下になってくれましたね。しかし、この陛下かわいすぎます! 続きがものすごく楽しみになってきました。(summon)
着々と外堀を埋められてる気がする一刀さん。「皇帝の真名を呼んでいいのは親族か、その夫になる者だけですよ」とか言われたらどうするのか一刀さん(牛乳魔人)
>PONさん 暗号の役目>ですねwわりとわかりやすくしました。石については……シマッタw よし! 雪蓮、みりんを飲むんだ!w(赤糸)
うーん今後の展開が楽しみ。正直、あの暗号はなんとなく想像がついちゃうのであんまり暗号の役目果たしてないですねw石だと磨けば玉になっちゃうので天子の座を狙う者みたいだしw雪連、新しい酒よ!⊃みりん(PON)
>陸奥守さん 現段階では「二月後」の「ある結果」に華琳がどう反応するかを一刀は気にしている、とだけ言っておきましょう。詳細は今後の話で……。(赤糸)
歴史を知ってる一刀は華琳がどれだけやばいか知ってると思ってたけど、実際どう思ってるんだろう。(陸奥守)
>黒乃真白さん 南に移ってからは割と一刀が動き回る展開にする予定です。劉焉関係は思ったより早く決着する……かも?(赤糸)
この先のことを考えるだけでwktkが迸る……。凄いんだか凄くないんだかな一刀がらしくて好きです、今後の活躍にも期待ですな! 陛下に立ってるフラグ的な意味でも(黒乃真白)
>Alice.Magicさん 原作の酒好きを見るに、ふた月くらいで禁断症状が出るのではと予想ww(赤糸)
>メガネオオカミさん 案外、余計な力が抜けて強くなるかもしれませんよww(赤糸)
>アルヤさん YES! アル中!ww(赤糸)
更新乙ですー 徳枢さんかわええなぁ さてはて雪蓮は一年耐えられるのかどうかw(Alice.Magic)
一刀と華琳の顔見せ、諸侯達の今後、劉協様の黒い一面、愛蓮様のカワイイ一面、一刀の臣下になった星達……と、気になる内容ばかりでした。でも一番気になったのは…………酒断ちした雪蓮の性能は上がるのか、それとも下がるのかということですね!www(メガネオオカミ)
最後、ただのアルコール依存症じゃねwww(アルヤ)
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