とある武術の対抗手段《カウンターメジャー》 第一章 脳髄盗取:四
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 廷兼朗《ていけんろう》が次に目にした風景は、荒廃したビルの立ち並ぶ、スラム街のような場所だった。最先端科学で統治された学園都市に、このような場所は僅かにしか存在しない。

「ストレンジ。ということは、第十学区?」

 学園都市の管理が行き届かず、廃棄同然の扱いを受ける場所を、通称してストレンジと呼ぶ。確か第十学区内に存在していると、廷兼郎は記憶していた。だがそれは同時に、第七学区の風紀委員が他学区で活動することを意味していたため、廷兼朗は心配そうな顔を白井に向けていた。

「ここは第十学区ではありませんの。第七学区内のL地区ですわ」

 それを聞いて、今度は違う心配が廷兼郎の頭に浮かんだ。学校施設の密集するこの第七学区にもストレンジがあるというのは、気持ちの良い話ではなかった。

「L地区って、ウチの高校にわりと近いな。こんなのがあったなんて、気付かなかった」

「廷兼さんは、高校一年生なのに世間を知らなすぎではなくて?」

 格闘能力は確かにずば抜けているのだろうが、それ以外のことがまるでなっていないと、白井は他人ながらに廷兼郎を心配していた。

 特に科学に対しての知識は、学園都市において致命的と思えるほどに低い。

「手厳しいなあ。でも僕、学園都市に来てから三ヶ月しか経ってないんですよ。まだこの町のこととか、よく分からなくて」

「三ヶ月?」

 それは確かに短い。外から来た人間なら三ヶ月でここに慣れろというのは少々酷な話だが、そういう事情は別にして三ヶ月という期間は短すぎる。

「三ヶ月って、先月から風紀委員《ジャッジメント》になったと言ってましたけど、風紀委員になるには四ヶ月の研修が必要なんですのよ」

「そうなんですか。学校のほうから是非入りなさいと言われて入っただけでなんで、細かいとこまで調べてないんですよ」

 風紀委員の研修をパスすると言うことは、それほどの身体能力が既に備わっていると言うことを現しているのかもしれない。白井は廷兼郎との模擬戦を思い出し、身体能力に関しては彼女の常識外にあることを改めて確認した。ならばこうした特例的な対応も有り得るのか、と白井は納得した。

 

「そういえば、廷兼さんはどこの高校ですの? 校章もつけていらっしゃらないですし」

「えっと、何て言ったかな。長くて変な名前だから、未だに覚えてないんですよね」

 廷兼朗は携帯を取り出し、電話帳を確認した。その中には、自分が通っている高校の電話番号と名前を登録していたはずだ。

「そうそう。長点上機《ながてんじょうき》学園です」

「長点上機学園!?」

 思わず白井が声を上げて驚くほど、その学園の名前は学園都市に響き渡っていた。

 長点上機学園。能力開発において学園都市随一を誇る超絶名門高校である。強能力《レベル3》以上の能力者しか入学を許されていない常盤台に対して、長点上機学園は能力者以外にも門扉を開いている。だが能力者以外の枠で入学する彼らは、生半な能力を持つ学生を遥かに上回る技能や知識を有している。例えば、最先端科学が集まる学園都市の、その開発分野において第一線で活躍できる程度の人材が、無能力の場合でも入学を許可される。

 ちなみに、白井の通っている常盤台は、学園都市における体育祭『大覇星祭』において長点上機学園に敗北しているという、因縁浅からぬ相手でもある。

 隣で歩いているとっぽいニーチャンが、どういった理由で長点上機学園への在籍を許されているのか。まさか科学分野においてだったら、もうこの都市は終わりだと、白井は一人で学園都市の未来を憂いた。

「ど、どうやって入学しましたの?」

「強いて言えば、スポーツ推薦というやつですな。僕の家は、天羽根《あまばね》流っていう古流柔術を継承してきましてね。その長点上機学園の関係者を名乗る人がスカウトに来まして、折角だから受けてみたんです。

 その試験がまたすごかったんですよ。空手、柔道、ボクシング、ムエタイ、バーリトゥードにレスリングと、他にも色んな格闘技者の方たちと手合わせして、その人たち全員に勝ったら入学できるという形でした。百人組手を想像してもらえたら、分かりやすいかな」

 白井は色々な意味で、それはもうスポーツでも推薦入試でもない気がしていたが、その様子を語る廷兼郎の顔はこれまでにない恍惚さを宿していた。

「試験と言われて緊張したけど、あれは楽しかった。オリンピックの強化選手や現役のムエカッチャーも呼んでもらって、一日丸々試合三昧でした。本場ムエタイのローキックとか、空手の体躱わし突きとか、食らってみると効くんですよ、やっぱり! レスリングのタックルなんて、本当にすごいんですよ。打撃の速度で踏み込んでくるから、もう堪らないんですわ」

 興奮気味に話す廷兼郎を宥め、白井は携帯端末で資料を見せながら、これまでの捜査の進捗を説明した。

 

「この辺りに、被害者の友人が住んでいると言う情報がありましたの」

「彼女は、スキルアウトだったんですか?」

「というよりは、スキルアウトが友人にいただけのようですわ。彼女自身はレベル2の能力者ですもの」

「……そうですか」

 被害者の友人を探して、ストレンジを闊歩する。先ほどから嫌と言うほど視線を感じるが、それも無理からぬことだろう。ただでさえ見たことのない連中が歩いているのだし、そのうちの一人は常盤台の制服を着用している。常盤台の制服は、それ自体が高位能力者の証である。

 学園都市からあぶれ、ストレンジに住み着くようになった住人が、高位能力者をどう見るか、廷兼朗は容易に想像できた。

 ここの住人が不必要に絡んでこないよう祈りながら歩いていると、廷兼郎の携帯端末に連絡が入った。画面には、網丘《あみおか》の文字が表示されていた。すぐさま通話ボタンを押すと、焦りながらも押し殺した声が聞こえてきた。

「廷兼郎? あなたに頼まれてた薬の件だけど、えらいことになってるわよ」

「もう分かったんですか。さすがだなあ。それで、えらいこととは?」

「五年前に禁止された薬なんだけど、それの研究はここの中だけで続けられてたみたい。より効能を強力にした新薬の開発に成功したと書いてあるわ」

「より効能が強くとは、具体的にどんな?」

「文字通り効き目が上がって、副作用も少し変化したようね。他人の、それも能力者の脳を食べさせるように要求してくるようになり、それが叶わないと暴走を起こすこともあるってよ」

「何て無茶苦茶な薬だ。てか薬かそれ?」

 

「薬に関してはこんなところ。それでね、研究所の連中がようやく情報出したから、患者の行動予測も済んだわ。ローラーで今のところ見つかってないことを考えると、第七学区のL地区が第一候補かな。もう警備員が向かってるから、先越されちゃうかもよ」

 廷兼郎は警備員より先に犯人を捕まえようとは考えているが、別に安治並甲佐《あじなみこうさ》を発見したくないわけでもない。安治並の捜索が、犯人確保に繋がらないというだけである。

 安治並の行方など聞いても仕方なかったが、網丘の言った座標だけは気になった。

「第七学区の、L地区ですか?」

(どうしたんですの?)

(どうもあの脱走した患者、この辺りにいるかもしれないそうです)

 白井が通話中に小声で話しかけ、廷兼郎も小声で答える。

「網丘さん、今その第七学区のL地区にいるんですが……」

「あらそうなの。じゃあついでに捕まえちゃえば?」

 いたずらを思いついた子供の無邪気さで、網丘が薦めてきた。

 廷兼郎が安治並を発見・保護したとなれば、警備員に対して最高の意趣返しになるが、それでは本末転倒と言うものである。

「まあ、病人ですからね。早く見つけるに越したことはないけど……」

 網丘との通話中に何気なく覗いた廃墟の一室を見て、廷兼郎は硬直した。そして釣られるように、その暗い室内に走っていった。

 

「もしもし、廷兼郎、聞いてるの?」

 紺一色のパジャマを目撃してから、網丘の声などいちいち聞こえていない。

 廷兼郎が黙ったのは、安治並を発見したからではない。発見した安治並の行動が、彼を釘付けにした。

「やっぱり、網丘さんはすごいんだなあ」

「はあ? 何のこと?」

 感動に震える声で、廷兼郎は網丘に言った。

「安治波甲佐を発見しましたよ。……野郎、目の前で、脳みそ食ってやがる!!」

 淡い灰色のそれを、安治並は大事そうに抱え、ゆっくりと愛でるように咀嚼していた。

 

 廷兼郎《ていけんろう》の後を追って来た白井の顔が強張る。人間が、人間の脳を食らっているようにしか見えないその状況は、風紀委員として数々の修羅場を潜り抜けた彼女にとっても異質極まるものだった。

「食うな……」

 静かに、厳かな声音で廷兼朗が言った。

「それを食うんじゃねえ!!」

 次の瞬間には、胆力の限りを以って目の前のカニバリストに警告した。

 廷兼郎の声で、夢から覚めたように安治並《あじなみ》が顔を上げた。髄液と脳組織をべったりと付けた口をあんぐりと開けている様は、有名な絵画を思わせる。

「……食わせろ」

 フランシスコ・デ・ゴヤ作『我が子を食らうサトゥルヌス』である。

 自分の息子に殺されるという預言を恐れ、五人の息子を一人残らず喰らい殺したローマ神話の神。それを題材にした、『黒い絵』の中で最も有名な一枚。

「お前の脳を、食わせろ!!」

 

 安治並は一直線に、白井に向かって飛びかかった。彼の軌道上に割って入ろうとした廷兼郎をすり抜け、白井は前進した。

 もう先ほどの動揺は、白井の中に無い。安治並は脳を食べている。その事実だけでも彼を拘束するに十分な理由となる。

(空間移動《テレポート》で体位を入れ替え、地面に叩きつけますの!)

 触れただけで相手の体を空間移動《テレポート》させ、任意の場所に出現させる。それが傍目には、白井が相手を投げているように見える。柔道家にとっては夢のような能力だ。

 強引に掴みに来る安治並の右手を取り、十一次元座標演算を完了する。

 そしてなす術も無く、白井は安治並によって地面に押し倒された。

(空間移動《テレポート》が出来ない!?)

 演算に間違いはなく、白井は十分に落ち着いていた。それでも、転送は起こらない。

 白井の顔から、一気に血の気が失せる。

「白井さん!」

 廷兼郎は、圧し掛かる安治並の腰を前蹴りで強打し、白井から引き剥がした。

 白井の前に立ちはだかり、安治並に対して構える。

「何をボーっとしてるんだ」

「あの方に空間移動《テレポート》が効きませんの」

 一瞬疑念が浮かんだが、警備員からの報告や会議でのことを思い出すと、すぐに得心がいった。

「そういえば、犯人は空間移動《テレポート》能力者だったな。空間移動《テレポート》能力者は、同系統能力者の身体を移動出来ないって聞いたことがある」

「ええ。恐らく、各々の持つ十一次元座標が干渉し合い、空間移動《テレポート》をキャンセルさせてしまうのでしょう」

 まだその分野の研究は進んでいないが、その事実が分かれば今は十分である。

「体は空間移動《テレポート》できなくとも、体に空間移動《テレポート》は出来ますのよ」

 白井は太ももに巻きつけた革ベルトから、金属矢《ダーツ》を取り出す。

 安治並は、今度は飛びかかろうとはせず、じいっと白井を見つめていた。

 

「??危ない!!」

 突然、廷兼郎は白井の肩を押して弾いた。思わぬ方向からの攻撃に、白井は転びそうになりながらたたらを踏んだ。

「な、何するんですの!?」

 抗議する声に、廷兼郎は応えない。そんな余裕は、彼に一片も残っていない。

 廷兼郎の視線の先、安治並の手には、茶色い帯のようなものが見える。白井にとってそれは、とても身近な色と質感だった。

 右側頭に手を当て、白井の顔が引きつる。彼女の自慢のツインテールの一房が喪失していた。

 大抵の空間移動《テレポート》能力者は、白井のように、自分の体を起点に空間移動《テレポート》を行う。それは慣れ親しんだ自分の体の座標が、最も演算しやすいためだ。しかし中には、己の体以外の座標を起点として空間移動《テレポート》を行う能力者も存在する。

「手に触れているものを遠くへ動かすのではなく、遠くのものを手元へ動かす。まるで誂《あつら》えたような能力ですわ。そうやって、他人の脳を取り出しましたのね、安治並甲佐!!」

 白井が声高々に相手の能力を喋っている。相手が尋常な理性の持ち主なら、それも威嚇行為になるだろうが、目の前の能力者は明らかに特殊な精神構造を持っていることが伺える。

(『脳髄盗取《ブレインスティール》』たあ、ぴったりなネーミングだったってわけだ。初春さんのセンスはたいしたもんだよ)

 それでも廷兼郎は、安治並の能力が彼の嗜好に合致していることだけは、心の中だけで大いに賛同した。

 基本的に廷兼朗は、闘いの間は無口になる。勧告などの必要性があったり、会話することによって相手を操作する意図がない限り、滅多なことでは戦闘中に喋らない。

 素手で、しかもたった一人の無能力者《レベル0》が能力者と戦う上で、喋ることは非常に危険な隙となる。そのような隙を晒すことを極力控えた先にこそ、単独にして無手の無能力者《レベル0》による、能力者の打倒という結果が見えてくる。

 決意というより、最早それは信仰と言っていい類の心理状態だった。

 廷兼郎が幼少より習得している天羽根流《あまばねりゅう》では、相手とは一触、一合の間に、一手を放ち、一撃にて決する。これは、隙を作らぬよう初撃で倒し、戦う時間を短くするという意味合いもあるが、戦闘という濃密な事象のなかでは、初撃のみでは終わらない場合がままある。それでも戦闘を終わらせる際には、相手との一触一合の間に放つ一手一撃を大切にし、勝負所を見誤らぬようにすると言う心構えを表している。

 

 安治並は既に標的を廷兼朗に絞っているらしく、血走った目でぎっと睨み付けていた。息を荒く吐きながら、両手は何かを掴むように掲げられていた。

 

 廷兼郎の体が、前触れなくふわりと揺れる。そのまま彼は止まることなく、ゆらゆらとその場で踊り始めた。

 まさか踊りで相手を混乱させるつもりなのかと白井は心配したが、ここに至ってその冗談を真に受けることは無く、不気味な行動の目的をすぐに看破した。

 あの踊りは、安治並からの攻撃を避けている、もしくは狙いを逸らしているのだ。人間の脳を取り出せるほど正確な空間移動《テレポート》を行える能力者である。無能力者《レベル0》の廷兼朗は、本来なら一瞬で体の部位を切り取られ、致命傷を負っているはずだが、その瞬間はいつまで経っても訪れない。

 安治並の放った遠隔空間移動《テレポート》が発動していない。もしくは発動しているのに成功していない、と言うべきか。

 白井は既に傍観の体であった。この状況で横合いから攻撃を加えることは、廷兼郎のリズムを阻害する恐れがあった。そして何より、自分を倒した無能力者《レベル0》が、この程度の能力者に負けるはずはないと確信していた。

 動きながらも体幹を崩さず、静かに構えを取る廷兼郎は、正に抜き身の刀だった。周囲にいる人間を緊張させずにはおかない、冷ややかで致命的な気配。それでいて彼自身に緊迫した様子は見られず、その挙措はあくまで緩くしなやかだ。

 むしろそのしなやかさこそ、危ういものを感じさせる。

 臍の前に置いていた右手が、いつの間にか掌を上にしていた。次の瞬間、白井は音を聞いた。琴の弦を弾いたような旋律は、断じて人間の腕を振るって発生する音ではなかった。

 

 廷兼郎が右手刀を下から振り上げた形で静止していた。まるでコマ送りの映像の途中を取り除いたように、いつ近づき、いつ放ったのか、一部始終を目撃していたはずの白井には皆目見当がつかなかった。

 少し間を置いて、安治並の喉から一滴の赤い雫が垂れてきた。

 天羽根流当身、喉断ち。斜め下から振り抜かれた手刀が、相手の喉の薄皮を裂く。だが、この技の目的はそれではない。全身のスナップを効かせ、高速で振り抜かれる手を顎に擦過させ、確実に脳震盪を誘発する。

 顎の先端を狙う関係上、まるで喉を断ち切るような軌道を描くため、この名が冠せられた。

 廷兼郎の一撃で、完全に意識を喪失した安治並は、まるで軟体動物のように力を抜いて、その場に崩れ落ちた。

 

 人間を一撃にて昏倒せしめる打撃は驚嘆に値するが、何より白井が驚いたのは、廷兼郎が、目には見えない能力行使を完全に把握しているとしか思えないことだった。

 安治並が廷兼郎の体に向かって行った空間移動《テレポート》を、彼は風船のように揺れ動く体術を駆使し、全てを未遂に終わらせていた。

 白井の空間移動《テレポート》蹴りや、報告書で読んだテレキネシストとの戦闘、そして今回の特殊な空間移動《テレポート》による攻撃も、この無能力者《レベル0》の体に触れることすら叶わなかった。

(いいえ、触れるだけなら、私がやってみせましたの。でも……)

 確かに白井は模擬戦の際、廷兼郎の左手を握るに至ったが、むしろそれを利用され、左手を引かれて体が流れたところに、入れ違いの膝蹴りを食らった。だからあれは触れたのではなく。

(触れさせたに、過ぎない)

 カウンターで、より威力の高い蹴りを与えるための布石に過ぎないのなら、白井はそれを触れたと表現する気にはなれなかった。

「これが、『対抗手段《カウンターメジャー》』……」

 単独で無手の無能力者《レベル0》による、能力者の制圧。目の前の男は、それを非常に高い次元で体現している。

 横たわる安治並に手錠をかけ、二人は警備員の到着を待った。

説明
東京西部の大部分を占める学園都市では、超能力を開発するための特殊なカリキュラムを実施している。

総人口約230万人。その八割を学生が占める一大教育機構に、一人の男が転入してきた。
男の名は字緒廷兼郎(あざおていけんろう)。彼が学園都市に来た目的は超能力ではなく、武術だった。

科学と魔術と武術が交差するとき、物語は始まる
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バトル とある科学の超電磁砲 

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