恋姫異聞録166 − 平舞 − |
眼を覚まし、心地良い重さにふと顔を横に向ければ、愛しい人の顔が瞳に映る
腕に感じる重みは命の重み、心が暖かく桜色の唇に締め付けられるような感覚を覚える
胸には、重さを微かに感じる程の小さな我が娘が可愛らしい寝息を立て、男は優しく頭を撫でた
朝を向かえ、初めに目にするのが愛する人達。これ程の幸福が他にあろうか、願っても、望んでも簡単に手に入れることは出来やしない
「先に眼が覚めるなんて、珍しいな」
静かに、だが優しさが溢れる声が耳に入り、顔を向ければ、青く美しい髪を顔に垂らす愛しい人は
男の腕を枕にしたまま微笑み、顔を寄せて胸にうずめていた
娘にするように秋蘭の頭を撫でて、男は一人、鋭く瞳を細めていた
消える腕を元に戻した時から、男は深く眠る時間が減ってきていた
同時に、戦が近づくたびに神経がガリガリと削られ、細く鋭く尖っていく
妻と娘が目を覚まし、食事を終え、男は娘の相手をしていた。無論、娘二人のだ
長女にあたる美羽は、男の心を察して素直に甘えていた。もう、二度と甘えることは出来ないかもしれないと
「ねえ、真桜ちゃん」
「なんも言わんと解っとる。仕事は、片付いとるし」
「隊長は、今まで殆ど休暇を取ることが無かった。たった数日休暇を取るくらいで誰も文句を言うわけがない」
遠くで男が娘二人と戯れる姿を見ながら、まだ、自分たちにはやるべきことが残っているとばかりに凪達三人は屋敷を後にした
「お兄さん、もうすぐですね」
「そうだな、美羽と涼風を頼む」
「はい、お任せ下さい。命にかえても護ります」
少し離れた場所で、蹴鞠をする三人を見ていた七乃は、三人の姿を眼に焼き付けるようにして眺めていた
そして心に刻み込む、己の使命は、二人の幼き魂を護るためにあるのだ、刻み込め己の心に、深く大きく
決して消えぬ傷のように、我が天命はこの生命を護るためにあるのだと
「兄者、私も混ぜてもらっても宜しいですか?」
「おかえり、じゃあ一馬は俺と一緒に、美羽は涼風とだ」
開かれた門から聞こえる砂を踏む音、静かで落ち着きのある音。彼の性格を表しているようで、蹴鞠の音が満たす庭に控えめに響く
仕事を終えて、家に戻った義弟の一馬が遊びに加わり、二対ニに別れて鞠を蹴り合う
特にルールなどはない、ただ地面に落とさないように蹴り合うだけ。それだけだが子どもたち二人は嬉しそうに笑い
昭は、そんな娘二人とこんなことでも一生懸命で真面目な義弟を優しく微笑んで見ていた
「なあ、一馬」
「はい、何でしょう兄者?」
「有難う、俺の弟でいてくれて」
少し高く蹴りあげてしまい、こぼれた鞠がトントンと遠ざかる
子どもたちは、昭に父様達の負けじゃと言いながら転がる鞠を追いかけていた
「何を仰っているのか、感謝をするのは私の方ですよ兄者」
背を向け、子どもたちの方を見ている昭に、一馬は首を振る
心を救い、魂を救い、家族を与えてくれた兄に、誇りを与えてくれた人に、感謝をするのは自分の方だ
何をいまさら言うのか、己の命は兄が救ってくれたに等しい、魏王が与えてくれたに等しい
「昭、休暇の所悪いが付き合ってもらえるか」
「ああ、一馬、七乃、二人を頼むよ」
屋敷に訪れたのは、具足を着けた春蘭。門の前から声をかける春蘭は、一馬に視線を送れば
一馬は、全てを察したのだろう。涼風を抱き上げて、美羽の手を繋ぎ七乃と屋敷の中へ入る
すると、入れ違いに秋蘭が屋敷から姿を表し、昭の一歩後ろに静かに歩み寄っていた
「涼風は、泣かないのだな」
「全てを理解してるのだろう、強い子に育ってくれた」
「美羽も、真に夏侯の人間と成った。七乃も同様、何の心配もなかろう」
「心配なんかしてないさ」
姉としての心配から出た言葉であったが、当の昭は、どこ吹く風、寧ろ他人ごとのように平然としていた
いや、普段よりも落ち着いていて、盾や城壁といった言葉がそのままに当てはまるかのようであった
昭の雰囲気がそうさせるのか、市内を歩いているというのに誰も声を掛けず、普段通りの喧騒があるだけ
何時もならば、市を通るだけで人々が声をかけ、進むことすらままならない時すらある
だが、今日に限っては誰も近寄りもしない。まるでそこに昭が居ないかのように
「で、姉者。昭は何処に行けば良いのだ」
「ああ、兵達を見てくれ。練兵を見てほしい」
「珍しいな、昭に練兵を見せてどうする?」
「いや、眼に焼き付けて欲しいと思ってな。我らの精兵を、魏の大剣を」
普段は練兵など見せはしない、というよりも、見せる必要が無いから見せない。其れほどの信頼があるからだ
にも関わらず、練兵を見せると言うことは、最後の戦が近づき春蘭が感傷的になっていると言うことなのだろうか
盾が弟である昭と修羅の兵ならば、我らは剣。王の振るう一振りの剣。剣と盾は常に共に在る
我らが盾を忘れぬように、盾も剣で在る我らを忘れないでいて欲しい。そういうことなのだろうか
珍しい春蘭の行動に、秋蘭は誰にも解らぬほどに表情を変えた
気付いた昭は何も言わず、喧騒を抜け、城壁へと近づき、積み上げられた石段を一つ一つ登れば、城壁に叩きつけられる男たちの気合
ビリビリと服を揺らし、身を震わせるその声は、戦場さながらの殺気を漲らせ天高く切っ先を掲げていた
「あれが剣だ、王の振るいし百壁の、いや万を超え重ねられ鍛えられた美しい剣」
「凄いな、此れなら負けないさ。俺達、盾も負けていられない」
瞳に映し、焼き付けるように兵達の練兵を見る昭に、春蘭は首を振っていた
「そうじゃない、盾が王を護るように、我らも王を守っていると言うことだ。そして、盾が我らを守っているように我ら剣も、盾を護り、盾を支えているのだ」
春蘭がこの光景を見せた意味は、秋蘭が思ったこととは違っていた
感傷的になったからなどではない、我らを忘れるな等と弱い意志ではない、盾と一対になるように我ら剣は共にある
「この私もだ。忘れるな」
あの扁風との戦を聴いたからだろうか、劉備の変化した姿を見たからか、春蘭の瞳はその紅玉のような朱の光を炎のように紅々と強く光らせていた
「忘れたことなんて無いさ、春蘭が俺達をどれだけ思ってくれてるかも、華琳をどれだけ愛しているかも」
柔らかく微笑む昭に、春蘭は一つ頷く。決して感傷的になどなっては居ない、此れは確認であり契約だ
戦場で、剣は盾と在る、盾と共に戦を駆ける。昔、昭に言った言葉は嘘ではない、華琳に危険が迫れば昭を打ち捨ててまでも華琳の元に駆けるだろう
だが、それ以外であるならば己はお前と共に在る、我らは王を護る武具であると確かめたのだ
其れに対する答えなど一つ、昭の出した答え以外に何があろうか
「春蘭は、俺に力をくれた。この腕の傷が何時だって教えてくれる。俺には、護るべき者がいるのだと」
握る真っ白な布に包まれた拳が音を立てる
「俺には力がある。小さく、僅かなものだ。だが、剣と同じく万を超え練り上げ重ねれば、俺は誰にも負けない」
はっきりと言葉に出す、誰にも負けぬと言う珍しい言葉。昭の顔は、春蘭が好きな昔の屈託がない明るく優しい笑顔であった
「そうか、わざわざすまない。休暇中に余計な事をした」
「いや、嬉しかったよ。俺の盾は、春蘭達が居るから強くなれるんだ。ちゃんと確認できてよかった」
姉の気遣いが嬉しかったのだろう、昭は再び訓練をする兵達に視線を移し姉の言葉を身体に染み込ませるようにして眼に刻む
兵の気合、兵の槍が姉の言葉そのものであるとばかりに
「む・・・」
兵の顔を一人ずつ覚えるようにじっくりと見ていた昭であったが、腕を絡める秋蘭の力がほんのすこしだけ強くなり、秋蘭を見れば
落ち着いた透き通るような声が頭に響く。この兵達の気合の中で、まるで孤立した船のようにハッキリと聞こえてきた
「僥倖。好い顔をしてるわね」
「水鏡先生でしたか、あまり妻を驚かさないで下さい」
「あら、驚いていたのね。表情が変わりませんから、気が付かなかったわ。ごめんなさい」
気がついていないなど嘘だとまるわかり、謝罪の言葉もただ口から出ているだけ、感情などこもっていないとよく解かる
そして、少しもそのことを隠そうとしない。だからだろうか、魏の将達は、とらえどころがなく他人の真似を完璧にこなす彼女を敬遠していた
特に、秋蘭は己の隠す心を覗かれるのを嫌っているのだろう、平静を保っているが内心はあまり好い印象を持っていなかった
「謝罪をするならば、感情を込めていただけると助かる。美羽もそういうのは苦手です」
「苦手、フフッ、其れも好。全ての人に好かれるなど雲を掴むような話、貴方とてそれは同様」
水鏡の言葉に春蘭は、一理あるとは思うが仲間に対してもそれはどうなのかと首をひねる
が、水鏡の言葉は表面で捉えてはいけない、今までの彼女の行動が全てを物語っている
彼女の眼は遠く、何処か違う場所を常に見つめているからだ
「劉備の事を仰られているのか水鏡先生」
「さてどうかしら」
敏感に反応する秋蘭。心を覗かれる行為を嫌がるはずだが、水鏡の心の奥底を覗くような瞳に怯まず、寧ろ少しだけ心の中に余裕を見せていた
すると、水鏡は望んだ反応であったのか「好、好」と眼を細めていた
「彼の隣であれば、貴女は何時でも新たな強さを魅せるのね。とても興味深い」
水鏡の言葉は、劉備が昭を真似ていると言う話から来ていると判断する。徳があり、民にとって魅力的な人物に成ったとはいえ
隙はあり、人から好まれぬ要素もある。昭と同様に、付け入る隙は必ずあるのだと
「華琳様に隙など無い。稟は、敵が華琳様を傲慢で在る等と言ったらしいが、我らに慈悲をもって接してくださる華琳様の何処が傲慢だと言うのか」
それでも隙が在るというならば我らが居る。我らを信頼し身を預けてくださる。隙があるならば我らが埋めて補おう
秋蘭の自信溢れる言葉に水鏡は、喉の奥でくつくつを笑う。言い返す気になれば幾らでも言い返せるのだろうが
言葉と心の色が水鏡にとってとても心地が良いものだったのだろう口元を羽扇で隠していた
「私塾では、生徒にも同じように接していたのですか?」
「生徒たちにはそれなりに、あまり可哀想な事をしてしまったら、あの子達は泣いてしまうもの」
ならばと言葉を繋げようとした昭だが、水鏡先生は口元から羽扇を放し、崩れた顔で微笑みを向けていた
「だめね、やはり貴方は私の心を乱す。他の者ならばこの心は曇らず、波紋など起こらない」
「だめでしょうか?」
「ええ、好と言いたいわ。でも、貴方の言葉は熱を帯びていて、とても熱い。言い返せなくなってしまうもの」
常に本気で、真っ直ぐすぎる昭の言葉は、水鏡には少々騒がしい。心を揺さぶり、揺らがぬはずの感情が動き出す
生徒にすら動かされた事はない、人物評を願った者達にすら揺らされた事のない心は、王に対する信頼と同じモノを向けられては揺らいでしまう
「では、共に手を取り合う私達に対してくらいは、好かれても良いのではありませんか?」
「言い返せないと言ったばかりなのに、狡い人ね」
「お嫌ですか?ですが、私は万人に好かれる器用な人間ではありません。ですから、好かれる為には手段を選びません」
「フフッ、本当に言い返せない。好好、私の鏡に映せないのは貴方だけよ。故に模すること能わず」
素の自分しか出すことが出来無いと羽扇を口元に置き、恥ずかしがっている水鏡の様子に春蘭と秋蘭は驚き
昭は、ただ微笑んでいた。水鏡は、殺気を当てられ肌で感じる感情とは別の、己の湧き上がる感情に楽しんで居るようであった
「さて、楽しかったわ、有難う。そろそろ時は満ちる、雲は厚く赤雷を孕む積乱の雲に、日輪は天高く威光を轟かせ
龍は数多の哀惜と怒りを喰らい、天を目指す。果たして雲と日輪は、龍を調伏することが出来るかしら」
意味深な言葉を残し、羽扇を優雅に仰ぎ、ゆったりとした足取りで階段を降りていく水鏡
少々あっけに取られていた春蘭と秋蘭であったが、入れ替わるように階段を登ってきた稟に表情を固くした
稟は、それだけで大体、何があったのかを悟ったのだろう、ため息と共に前髪を掻き上げた
「華陀が帰って来ました」
そして、唇は亀裂のように裂け、口角が釣り上がり瞳はキリキリと細められ、恐ろしく美しい仮面に変わり
纏う空気は一変する。切り裂くような軍師とは思えぬ殺気混じりの空気
「最後の舞台です」
用意は良いかと悪魔の嘲りが城壁に木霊する。城壁の下で兵達の手が止まる
「さあ、殺し合いを始めましょう」
稟の鳴らした嘲りの鐘、それを合図に兵たちは一斉に城門から城内へと移動を始めた
熱狂的な声を上げるでもなく、武器を打ち鳴らすでも無く、静かに淡々と歩を進め兵舎へと集う
市井の者達も同様に、兵達の姿に戦の匂いを感じ取ったのだろう、火を消し武装する男たちの元へ物資を集め始めた
「華琳様がお待ちです。挨拶が終わり次第、御前に参上されますようお願いいたします」
「解ったよ。先行っててくれるか春蘭」
「無論だ、早くしろよ」
春蘭も同様に、一歩一歩華琳の元へ進むに連れて向けられた背が巨大に膨れ上がる
稟とは逆に熱く、陽炎のように春蘭の周りの空気が歪む、無理矢理に押さえ込んだ春蘭と言う入れ物が今にも溶け出しそうなほど
後を腕を組んだまま着いて行く稟は、炎に焚き付けられるように亀裂を深くし、既に予測を初めて居るのだろう
額には青筋が浮かび上がっていた
「子どもたちと遊べるのも今日までか」
「終われば好きなだけ遊べるだろう。仕事も、好きな事をすれば良い」
「そうだなぁ、でも警備隊をやめることは出来無いよ」
「そろそろ李通と一馬に任せても良いだろう。自衛隊も組織するのだろう?」
「自衛隊は、春蘭の為に考えた。春蘭の才能は、戦いでこそ発揮される。相手は人じゃ無くたって良いんだよ」
先ほどとは違って、台風が去ったかのように静かな空気の中、暖かな日差しを受けながら階段を降りる二人は、寄り添うようにして市へと進む
来た時の喧騒など何処へ行ったのか、人の姿など何処にもない。まるで賊に襲われた後の邑のように静寂に包まれていた
「人の次は天変地異か、随分と巨大な敵を相手にするのだな、姉者は」
「俺達の姉、魏武の大剣に相応しいだろう?」
確かに、そう頷いた時、静寂に包まれた市にジャラジャラと小銭が打つかる音が響く
桂花の長衣と同じモノを羽織、衣嚢に手を突っ込む。左右非対処の髪型、長身で整った体型、少々男装に近い衣装の長身の女
隣には、紫の重鎧と短槍、長い黒髪を風に揺らし、兵としての訓練を長きにわたって受けてきたとわかる、立ち居振る舞いの少女
二人の女が道の前で昭達に視線を向けていた
「始まっちゃいましたね昭様。此処は任せてくださいね、りっちゃんと一緒にちゃーんと守りますから」
「はい、後方の護りはお任せ下さい秋蘭様!身命を賭してでも、皆様の帰る場所は必ず護ります」
猫のように眼を細める桂花の叔母、鳳は、隣で直立不動で礼を取る李通と肩を組む
「戦には出ないのか」
「はい、コワ〜イ軍師様から後方に居ろとの命令です」
「稟か、総力戦だろうから二人も出すと思ったのだがな」
人差し指で自分の口の端を広げる鳳。先ほどの稟の亀裂のような笑を真似ているのだろう
秋蘭は、小さく微笑み、それは残念だと眼を伏せた
「えっと、うーん。えいっ、えいっ」
すると、隣の李通は、残念がる秋蘭が気になったのか、一生懸命に昭の方を向いて自分の眼を向けていた
「こらこらりっちゃん、ダメだよー分り易す過ぎ」
「あうっ!」
呆れ気味の鳳から軽い手刀を額に受け、李通はごめんなさいと顔を真赤にしていた
「まあ頑張ってください、此方まで来られたら私は逃げますから。まーたこの間みたいな戦はごめんです」
「そうだな、だが逃げる前に宴会の用意だけはして行ってくれるか?」
「カッコイイですねぇ、必ず勝って事ですか。そういうことなら喜んで」
猫のように細めた眼がより一層細くなり、鳳はくるりと背を向け李通の手を掴んだ
「ではでは〜」
「失礼致します。一馬さんをよろしくお願いします」
風の真似をして手を振る鳳と深く頭を下げる李通は、二人をそのままにその場を去って行った
「次は、何処に行く?」
「華琳の所」
「皆に挨拶せずとも良いのか?」
「鳳と李通に会いたかっただけだからな、もう良い。皆はもう華琳の所に集まってるだろうし」
戦になるならば、幾らでも皆と顔を合わせる。最後の戦とて、今までの戦と何ら変わりない。手を抜いたことなど一つもない
結局、昭にとって護るべき対称も最も大事なものも何一つぶれては居ない。変わらず子供だけにしか昭の思考は向いていないのだ
殺されればどうなるか、敗れればどうなるか、己の子供、魏に住む子供の未来意外に昭の戦に対する考えなど無い
敵の未来などどうでも良い、敵の子供達の未来まで背負えるほど万能などではない、全てを救える神ではない
敵を前にすれば殺すのみ、天の御使などでは無いのだから
戯れで彼にこう聞くとしよう、敵がもし少年兵を戦場に連れてきたらどうすると
その時、彼は、ただ一言こう答えるだろう【殺す】と
淀みなく、淡々と、粛々と答え、彼は、実行に映すだろう。コレが現実だとばかりに
「怒るなよ、夏侯の血はお前に入っていない」
「ああ、一緒に居れば俺も怒らないし秋蘭も頭に血がのぼる事はない」
だから一緒に居てくれよと手を繋ぎ、秋蘭は優しく握り返した。契約を交わした腕に、更に契約を楔のように打ち込んで
「お兄さんはもう怒りに蝕まれる事は無いですよ〜」
「風、いつの間に」
「先程、鳳ちゃんと李通ちゃんがお兄さんに声をかけた辺りからですかねー」
少々驚く秋蘭。つまり、最初から居て話を聞いていたということらしい。あいも変わらず形容しがたい独特の雰囲気を纏い
波がかった髪をユラユラと揺らして飴を口に咥えていた風は、それでは行きましょうとばかりに二人を導くようにして前を進み始めた
「先の戦でお兄さんは将として完成を見せました。理想と現実の融合。炎と氷、何方も併せ持つ雄として」
「今度はどんな詠をうたってくれるの?僕は何時でも準備できてるわよ」
メイド服ではない、軍師の服装の詠が孤児院のある方角から自然と合流する
拳は既に完治した。問題なく振るう事が出来ると見せつけるように拳と拳を叩き合わせた
「お待ちしておりました隊長」
「沙和達は、もうバッチリなのー!」
「ウチの新兵器を魅せたるで、楽しみにしててな隊長」
宮に入り、玉座の間の入り口で凪達三人が昭を待っていたのだろう、迎えるようにして扉を開き昭と秋蘭を中へ招き入れた
玉座の間には、既に将が全員揃っており、華琳の前には既に報告をしたのであろう華陀が此方を向いて立っていた
昭と華陀は、無言で近づき互いの右拳をガシガシと打つけあい、最後に互いの胸を軽く握り閉めた拳で叩いた
「帰ったぞ親友」
「有難う、そしてお疲れ様」
「なに、何てことはない。お前にとって次が最後だ、俺も行かせてもらう」
「頼むよ。華陀にとっては、始まりになる。約束が果たされるまでもう少しだ」
コレが何時もの挨拶なのだろう、華陀の表情が心なしか柔らかく変化していた
どうやら、いくら華陀といえども敵地に一人足を踏み入れた事で疲れがあったようだ
友人の姿を見てようやく帰ってきたと実感したのであろう、昭の肩をポンポンと叩き、俺の準備を始めると振り返らず部屋を出て行った
「華陀からの報告で、此方に帰還すると同時に劉備の軍が動いたようです。出発地点は金城。華陀が治療を開始すると同時に金城に兵を集結を開始
北からの騎馬民族、特に羌族を中心とした部族が集結するには調度良い場所だったのでしょうね」
「一応、偵察がてらに敵地を探ってきた。騎馬隊がぎょうさん集まっとったで」
「感謝しますよ霞、お陰で敵が想像通り南蛮兵の使う象を舞台に組み込んでいると知ることが出来ましたからね」
扉が閉じられ、人一人入れぬよう堅牢に扉は締められると、昭が定位置に、秋蘭が華琳の側に春蘭と共に立つのを確認しながら
玉座に座る華琳を見上げ稟が説明を開始した。どうやら、霞は稟の指示で既に行動を開始していたようで、敵地の情報を掴んでいた
「象兵、耳にしたことは有るわ。兵科としてはどうなの稟」
「非常に強力であると言えます。騎馬のような旋回能力は無いに等しいですが、突撃力、破壊力、そして攻城兵器としても使用出来ます」
「遠くからでも変な鳴き声は聞こえた。ほんで、アホほどでかい。なんせ、城に入れられんで外で彷徨かせとったからなー」
「城に入れられないって、一体なんなのよその象って生き物」
報告に呆れる桂花。象と言う生き物は知っていたが、実際に眼にしたことは無いのだろう、せいぜい鳳のチョーカーの飾りで見ただけだ
他の将達も、想像は着かず首をひねるだけ。ただ、稟という神機妙算の軍師が強力だと言う言葉に警戒心だけが大きくなっていた
「昭、貴方、見たことはある?」
「一匹が水車小屋ほどの大きさで、暴れだせば城門ぐらい簡単に壊すんじゃないか?」
「騎馬兵に象兵、向こうが先に動いたのは、兵科を活かせる地で戦をするためか」
「だろうな、ただ象兵だけは森だろうがなんだろうが関係無い。戦えないのは船に乗れない水上戦くらいなものじゃないか?」
木々すらなぎ倒して前へ進むとの言葉に、将達はざわつき始めた。無理もないだろう、見たことがあり知っている人物がいう言葉だ
信憑性がある。たとえそれが、嘘のような力を持っていてもだ
「そんなのどうしようも無いじゃない。何か弱点とか無いの?」
「さあ、俺は知らない。あの生き物に弱点とかあるのか、足を狙うくらいじゃないか?狙えればだが」
「使えないヤツね、敵がどれだけ揃えているのかにもよるし、足を狙うにしても先に敵が動いてるなら罠を用意する暇も」
「だろうな、此方が罠を用意してる場所まで絶対来ないだろう。だから先に出たんだろうし」
宣戦布告は既にしてある。今更どのタイミングで出陣しようが互いの都合のみ。蜀は既に約束通り華陀を返した
城から出れば、約束は既に履行済み。ならば、敵である魏が準備をする前に、出来る前に戦を仕掛けるのが一番
戦地の選択も、開始も終わりも全ては蜀が決めると言うことなのだろう
桂花の質問に他人ごとのように答える昭は、信頼する軍師に眼を向ければ
そんな事は予想済み、想像の範疇だと稟は笑う
「象兵を使うことなど、南蛮を制した時から既に想定済。いくら揃えようが私には雑兵が増えた程度にしか感じない」
「フフッ、いいわね稟。水鏡先生はどうかしら?」
「特に・・・私のするべき事は既に決まっておりますから。私の鏡に天稟を映すのみ」
ゾクゾクと背筋が凍るような笑を魅せる稟に、将達は息を飲むが、華琳は楽しそうに眼を細めるだけ
同じく水鏡も、羽扇で優雅に仰ぎ、艶のある唇を僅かに緩めていた
「例え万を超える象兵を用意したとしても、私は華琳様に確実なる勝利を捧げましょう」
「期待しているわ。続けて頂戴」
「は、兵数はやはり此方と同数近く集めたようです。つまりは三十万。我らも同じく、魏と呉の兵を合わせ三十万
士気も高く、涼州の兵は亡き馬騰と韓遂を想い、華琳様を仇と思っております。羌族の方は、詠、貴女の方が良く知って居るでしょう?」
突然話を振られた詠だが、昭の隣で片眉を釣り上げたまま腰に手を当てる何時もの姿
将達の眼が集まる。何故、羌族の事など知っているのか?今までそんな事を聴いたことはないと
しかし、隣の昭は、天の知識を持つ彼は知っている。董卓の友である詠が羌族を知らぬわけがないと
「そうね、アイツラは馬鹿みたいに惚れた相手に忠義を尽くすわ。それこそ、命を賭けて戦い抜く。月の時もそうだったから」
「それは初耳ね、詳しく教えてくれるかしら」
「元々、金城の下の隴西の地を修めて居た時に、羌族の奴らとやり合う事があって、月は戦いなんてしたくなかったから饗したのよ。
お腹が減ってるアイツラに、あの時、禁止されてた牛を殺してね」
その昔、まだ帝の力が各地に及んでいた後漢の時代は、牛を盗んだものは死罪に、自分の牛ですらみだりに殺せば死罪となる
だが、月は私財も何も無く、唯一持っている牛を、戦を回避するため殺し羌族達に振舞ったのだ
己の命を賭けて戦を止めようとする気概に羌族はいたく感心し、月が洛陽入りするまで力を貸していた
「お陰で、洛陽に入るまで簡単だったわ。宦官共に騙されて、羌族が月の元を離れてからは散々よ。内政はぐちゃぐちゃにされるわ
何進は野望と嫉妬の権化だったし」
「だから騎馬を赤壁で使うなんて思いついたのか」
「考えては居たけど、実際に使ったのは僕じゃないわ。悔しいけど僕じゃあんなふうに騎馬隊を操ることは出来ない」
赤壁で船上をまるで平原のように走り抜ける様子を思い出した春蘭は、なるほど兵科を深く知ればそういう見方、考え方もできるのだなと腕を組み
春蘭を見本にする季衣は、一度見上げて流琉に教えを請うていた
「好、好。魏は片時も眼を離すことが出来無い、楽しくて仕方が無いわね」
評価の通り、自分の見た通りの成長を続ける春蘭の姿が嬉しいのか、それとも背を見続け追い続ける季衣の姿が眩しいのか
水鏡は、目を細めつい口に出てしまったつぶやきをかき消すように羽扇で口元を隠す
「過程はわかりませんが、羌族は劉備に力を貸すとの腹づもり。ならば士気がどの程度かなど語るに値しません。
此方の兵に匹敵する、それこそ命を賭して華琳様を仕留めるつもりでしょう」
「稟でも想像が着かない?だとしたらそれはとても面白いわね、あの子がどれほど強大に成ったのかを羌族の騎兵が示してくれる」
戦は全て士気が決める。士気を失えば巨万の兵を揃えたとしても、強力な将を従えたとしても烏合の衆以下だ
試しに士気が下がりきった賊の前で一人を捕まえ首を切り落とせばわかる
蜘蛛の子を散らすように、等と出来るはずもない。その場で崩れ落ち、命乞いをして地べたに頭を擦り付けるだろう
士気が落ち、恐怖に心を喰われれば人は動くことが出来無い
だが、逆を言えば士気さえ高く保ちつづける事が出来れば、士気の下がった万の兵を千の兵で叩き潰すことすら容易い
「ねえ流琉。士気ってそんなに大事なの?」
「うん、季衣だってやる気が無ければお仕事だってちゃんと出来無いし、何も頑張りたく無いでしょう?」
「ああ、士気ってやる気のことなんだね、じゃあ兄ちゃんに舞ってもらえば良いんだよ」
確かに昭の【戦神】は最高にして最強の鼓舞と言えよう、兵の士気を極限まで高め、死すら超える兵へと姿を変える
意志すら一つに纏めあげてしまえば最早恐れるモノなど何もない
「ダメよ季衣。また、傷だらけの兄様の腕を見たいの?」
「あ、ごめんね、そうだよね」
申し訳なさそうに昭に視線を送る季衣に、昭は気にするなと微笑んだ
「どうせ止めてもやるのだろう」
「必要とあればな、出し惜しみなどしてられる余裕など無いし」
「腕が動かぬようになったら、私がお前の腕になってやる」
「良いのか?腕が傷ついても」
「ああ、死ぬよりはマシだ。だが、蜀の人間を許せるかは解らない」
昭の腕が傷つく所を想像してしまったのか、秋蘭の怒りの表情が少しだけ表に現れ、直視してしまった流琉は少々涙目になっていた
「やはり、そう仰ると思っておりました。だからこそ、敵に傲慢である等と言われるのでしょう」
「稟っ!アンタ、華琳様に向かって!!」
「敵の望む場所で戦をするのでしょう?馬騰がしたように敵の力を知りながら、敵の強さを知りながら、敵に全てを曝け出させ
敵の罠、そして思惑、敵の理想の全て握りつぶす。あの時、馬騰殿は我らに負けましたが、病がなければどうなっていたか」
挑戦するような態度で王を喰らうかのような稟に、華琳は静かに覇気で答え、桂花は飲み込むように口を噤んだ
「そのとおりよ。私は覇王、誰の挑戦でも受ける。馬騰をこの手で殺した時から、私は彼の王としての器を継承し超えた
ならば逃げることなど出来ないわ、例えそれが罠だと解っていても、王者は全てを受け止め噛み砕く」
「愚かな選択だとご自分でご理解されていると思いますが」
「王と民の戦よ。それに、私は貴方達を信じている。信頼に答えてくれるわね?」
「無論、其れが王の望みであるならば、我らは身命を賭して王の望みを叶えましょう」
激しい音を立てて拱手を取る稟。同じくして将達は一斉に拱手を取り、頭を垂れた
皆、解っているのだ。敵が先に出たこと、まだ動かぬ事、敵より後手にまわり、それでも勝利を勝ち取ろうとしていること
稟の言うとおり、愚かな選択だと言えよう。だが、華琳はあくまで王なのだ
華琳の前で、己は王では無い、民の一人であると言った劉備に対し、王である華琳は、民の挑戦を受けねばならない
全てを出しきらせ、全ての思いをぶつけさせ、受け止めねばならないと華琳は言っているのだ
「敵であろうと民であるならば、思いを受け止め言葉を聞き、剣を交えねばならぬならば、私は喜んで剣を振るおう
血が流れ、嘆きの声が響き、私を恨む声を上げるだろう。だが王として、その全てを私は受け止めねばならない」
玉座がら立ち上がり、掌を天にかざす華琳は遠く蜀の方角を見つめる。その瞳には、既に戦の火が映っているのだろう
「全てを雪ぐ事は出来ぬだろう、だが私はこの生命が続く限り、全ての民の安寧と平穏の為にこの身を捧げることを改めて宣言する」
何かを掴むように握りしめ、己の胸元へ引き寄せる華琳は瞳を閉じる
「さあ、戦を始めよう。民の声を受け止める王の戦いを」
開いた瞳、強き言霊に将兵は咆えた。敵を民と呼び、敵ですら受け入れ其の身を捧げると宣言した王の心に
偽りなど無い、既に呉との繋がりで証明した。その道程がいかに困難で在るかなど、王の影を見ればわかる
身体で示し続けた昭の背を。だからこそ皆は咆える。我らが命を燃やす時が来たのだと
「夏侯惇隊、張遼隊、出撃します。輜重隊の手配は既に済んでますね桂花」
「当たり前よ、典韋隊、許?隊、華琳様本隊と共に出撃するわよ」
「では、私は、輜重隊の方でのんびりと後を追わせて頂きます」
稟の号令で即座に春蘭と霞が玉座の間を飛び出し、続いて流琉と季衣が桂花の命令で走り出す
そんな中、水鏡は優雅に華琳の手を引いて部隊へと導いていく
「兄者、作戦などは良いのですか?」
「此処じゃ言わないんだろ、既に戦は始まっている。誰が聴いてるか解からんしな」
「僕は、もう聴いてるわよ。勿論、風もね。稟からどういう動きをするか頭に入れてあるから安心して」
兄に駆け寄る一馬であったが、詠の説明で腹が決まったのだろう。春蘭のように熱い熱気のような殺気を纏い始めていた
「気合入っとるなー、でもウチらかて負けとらへんで」
「そうなのー!隊長!沙和ね、前よりもっと役に立ってみせるのー!」
「既にご存知かと思いますが、私も隊長のお陰で新たな力を得ました。もう、何者にも負けることはありません」
真桜は少々大きい長柄の武器に布を巻きつけ、沙和は自然石の腕輪を幾つも付け、凪だけは変わらずだが身につけたものに
余程の自信があるのか、自然体で戦前の緊張など微塵も感じさせることは無かった
「ふむ、なにかこう感慨深い気持ちになりますねー」
「ホントか?一番、緊張感が無いように見えるぞ」
「お兄さんほどではありませんよー。それでは、叢雲隊、出陣と行きましょう」
扉の前で待つ、統亜、苑路、梁は、風に言われ一足先に準備を整えていたのだろう、三人とも既に戦装束で武器を手に皆を待っていた
「良いのか、最後に涼風と美羽に会わずとも」
「最後なんて言われたら、絶対に戦に行かないぞ」
「そうだな、確かにそうだ。では、早々に済ませて帰るとしよう。娘が泣く前にな」
全くだと頷く昭に、どこか安心を覚えた秋蘭は、自然と手を繋ぎ玉座の間を出る
必ずこの場所に、子どもたちの待つ夏侯邸に戻ってくると、そう心に固く誓うのだった
説明 | ||
遅くなりました。ごめんなさい なんというか、色々と手を出すとダメですね、進みが遅くなって 本当に申し訳ありませんm(__)m えー、いよいよ最後になりました。今回から最後まで副題は全て舞になります それで、説明は特にありません。最後までもう少し、とりあえず読んでいただければと思います 最後にどういう結末になるか、あれーあの伏線は?あれってどうなったの―?というのが多々あると思いますが、最後まで見ていただければきちんと回収出来るはずです それでは、完結まであと少し、宜しければ最後までお付き合い下さいm(__)m 眼鏡無双の方は楽しんでいただけたでしょうか? まだプレイしていないという方は、此方の献上物からどうぞ http://poegiway.web.fc2.com/megane/index.html フリーゲームですので、無料で楽しむことができます 感想などを送っていただけると喜んだりしますw 何時も読んでくださる皆様、コメントくださる皆様、応援メッセージをくださるみなさま、本当に有難うございます。これからもよろしくお願いいたします |
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コメント | ||
静かですね…決戦前が静かであればある程、動いた時、決戦の時は荒れるのでしょうね…楽しみにしています(アーバックス) 決戦前夜の静けさと言ったところですね。改めて自身の在り方を見つめ直している様で何よりです。問題は、天を翔けることなく奈落に墜ちた雛鳥が「兵器」として使ってくる天の「道具」。私の想像が正しければ、彼女は未来の冥府へ詫びに行かねばならなくなるでしょうね。その思いを知れば、尚更に。(h995) 真桜のセリフ なんも言わんと解っとる→なんも言わんでも解っとるではないでしょうか? 魏蜀の死力を尽くした攻防の開幕ですね 終幕まで片時も目が離せません 最後まで頑張ってください 応援しております(雪月) お待ちもうしておりましたー さてさてどうなっていくのか期待しておりますー(shirou) いよいよ最終決戦ですね。完結まであと少しですが最後まで応援させていただきます。(破滅の焦土) 更新お待ちしてました。遂に劉備との最後の戦い、続きが楽しみです。(咲実) ついに最後の戦が始まる、勝利を得るのは王たる曹操か民たる劉備か。続きも楽しみに待っています。(kuorumu) 昭さまはやはり舞いますか。 なんにせよ、無事に帰ってきて、涼風ちゃんや美羽ちゃんと穏やかに過ごせる日がくればいいんですけどね(神余 雛) |
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