ミラーズウィザーズ第一章「私の鏡」16
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 本当に自分が情けない。バストロ魔法学園は欧州だけに留まらず、世界中の有望な魔法使い候補生が集まる場所だ。学園内の競争で他の生徒に負けるのは仕方がないのかもしれない。ただ自分は違う。根本的に魔法が使えないのだ。魔法の実力で争う以前の問題だ。

 こんな不甲斐ない自分が魔法学園にいていいのだろうか。場違いにも程がある。こんな人間が魔法使いを目指すなんて間違っているのかもしれない。

 魔法を使えない魔法使い。こんな自分に存在意義はあるのか。エディの心中は澱み、そんなことまで考えてしまう。

「あの人のようになりたかっただけなのにな……」

 夜空を見つめ、エディは独り心地で呟いた。

 もう何年前になるだろうか。エディはスイス南部の山間部に住んでいた。村民全員合わせても百人にも満たない小さな村だ。その村を土石流が襲ったことがあった。上流で大雨が降り、土砂崩れが切っ掛けとなって川が荒れ狂った。

 小さな村の護岸整備など何の役に立つだろうか。村全てを飲み込み、押し流す程の土石流。あまりに突然で村民の避難も間に合わなかった。全員が死を覚悟した、そんな絶望的状況を救った一人の魔法使いがいた。

 それはエディの母親だった。世界中を飛び回り、ほとんど家にいなかった母。いや、正直、あの人が母であるという実感がエディにはない。たまに帰ってきて、都合のいい笑顔を振りまいて、そして直ぐにいなくなっていく女。エディは母にいい印象を抱いてはいなかった。

 そんな母が見せた本当の顔、エディの知らなかった魔法使いとしての顔を見てから、彼女の中で何かが変わった。迫り来る岩をも巻き込む濁流から村を守る為に一人立ちはだかった母の背中が、ただ純粋に格好いいと感じた。

 その後ろ姿が今でも瞼(まぶた)の奥に焼き付いて離れない。それは憧れとは少し違う、ただなんとなく母と同じ所に立ってみたい。村をも飲み込む災害をこともなげに受け止めて見せた母と同じ場所から同じものを見てみたい。そう思ったのがエディの魔法使いとしての起源だ。

 それから必死に勉強した。独学で魔学の基礎を覚え、魔法学園の門戸を叩いた。もちろん学園長である祖父を頼ったわけではない。それどころか、エディは祖父が学園長であることすら入学するまで知らなかったのだ。

 家に寄りつかぬ母の所為で、エディは母方の家系のことを全く知らない。それは母が魔法使いという秘密主義の世界に身を置いていたと知れば納得がいった。それでもあの女性のことは母親としてより、目指すべき魔法使いの姿としかエディは捉えていない。

 エディは入学審査で独学の『魔弾』を使ってみせ、合格を果たした。それは今でも語り種(ぐさ)だ。魔法構成が無茶苦茶な『魔弾』を発現させて、学舎を半壊させた暴走女。エディは入学当初そんな風に呼ばれていた。

 それが今では落ちこぼれと呼ばれる毎日だ。入学以後は独学では知る術もなかった魔法構成を学び、魔法を制御出来るようにと努力しているのに、それは全く実っていない。

「まだ、努力が足りないのかな……」

 エディは祖父、母とみるに魔法素養のある家系に生まれることが出来た。しかし、才能はない。彼女には努力しかないのだ。諦めないこと、エディ・カプリコットに出来る唯一の可能性。

 雲一つない月夜に、幾度目になるかもわからない不退転の誓いを立てて、エディは起きあがった。

「今日はもうあがろっか」

 まるで誰かに帰宅を誘うかのような言葉。静かな夜だった。それなのに妙に落ち着かない風が吹いていた。それが居心地悪く、エディはまん丸の月下を寮への帰途に着くことにした。

 魔女達の魔宴(サバト)が行われる夜。月が満ちる夜はあらゆるものにとって特別な時間だった。動物達は活気づき、霊場は幽星気(エーテル)を強める。まるで祭りのような一晩の賑わい。エディも魔法使いの端くれとして薄々ながらこの夜が特別な夜だと感じていた。

 それは闘技場での特訓を追えての帰り道、学園から寮への近道に使っている雑木林の中でのことだった。林とはいっても森に近い鬱蒼(うっそう)とした木々が月明かりに闇を落としていた。

「誰?」

 エディが突然に誰何(すいか)した。それに返事はない。雑木林は夜の闇に沈黙を保ったままだ。

 誰かいたような気がした。いや、誰かに呼ばれたのかもしれない。エディ自身何があったのかわからないのに、口からは誰何の言葉が出ていた。誰かの気配を感じた気がしたのに、どこかはっきりしない感覚が頭に靄(もや)をかける。

 林は静かなまま、いや、静か過ぎる。満月の夜だというのに虫の音すら聞こえない。夜天に吹く風だけが林を揺らす。

 エディが突然振り返った。そこには何もない。林の暗がり。しかしよく見れば、寮への獣道のように細い林道をさらに脇に入る、それこそ道無き道。もはや道とは呼べぬ空間にエディは気が付いた。満月だというのに闇が占める真っ黒な暗がりが、ぽっかりと口を開けていた。

 違和感と言っていいのだろうか。この雑木林の近道を何度も通っているのに、始めてその脇道に気が付いた。本当にそれが道なのかもわからない。それなのに下草をかき分けて、エディの足が自然と暗がりに分け入っていた。

 林の奥へと誘(いざな)う何がが聞こえたのだろうか。エディはなぜそちらに行かないといけないのかもわからぬまま真っ暗な雑木林の奥へと踏み入った。

 どれぐらい歩いただろうか。長くもあり短くもある。距離感も時間感覚も狂わされる夜の森。突如現れた本物の人の気配にエディは身を伏せた。

 どうして隠れないといけないのかもわからない反射的な行動だった。草の臭いが鼻につく。それを我慢し息を殺す。

(誰かいる。こんな林の奥、こんな時間に……)

 気配の主は直ぐに見付かった。林の中で仁王立ちする後ろ姿。契印を結び、何やら呪言(スペル)を紡ぐ人影が見える。それだけではない。人影の足下にはエディには見慣れない魔法円が、魔法の光によって秘儀(ルーン)文字を綴っていた。

 何かの魔術儀式であろうか。満月の夜である今夜ならそれも納得である。

 背は高くない男性。こんな森の中でも堅いタキシードで正装している。痩躯というよりは覇気のない肉の落ちた後ろ姿だった。月明かりに浮かぶ白髪がその男が高齢であることを示していた。。

(あれは……。学園長?)

 意外な人物にエディは息を呑む。バストロ魔法学園の学園長はエディの祖父だ。しかしエディとは関係性があまりに薄い。幼い頃数回会った以外、学園内では学園長と生徒という立場を崩さぬ彼は、エディと親しげに会話することは全くない。それはまるで他人。エディにとっては学友よりも知らない人間といえる。

 だから、こんな夜に学園長の姿を見えても驚くばかりで、声を掛けるだなんて発想が頭に浮かばなかった。

 エディが潜み観察を続ける間も、学園長はずっと呪文と印契(いんけい)で何かの魔法を施行していた。

(かなり長い呪文。呪言(スペル)魔術というより儀式魔術かな。相当高度な魔法だ)

 しかし何の魔法であるかエディには見当も付かなかった。落ちこぼれ魔法使いに魔法学園学園長の魔法を見抜けという方が酷だ。

 印を切っていた学園長の手が下ろされる。呪文の演唱もいつの間にか終わっていた。そして辺りを窺(うかが)うように学園長がぐるりを見回した。

(やばっ)

 目が合った気がした。なんともいえない罪悪感に、エディは息を潜ませる。

 学園長はエディに気付かなかったのか、身を沈めると跳躍し、宙へと身をひるがえす。急激な加速度。人間とは思えない身の軽さで、学園長はあっという間に木々を飛び越え去っていった。

「速っ! 今の何?」

 思わず声が出た。慌てて口をつぐむが、当の学園長の姿は遙か彼方、既に見えなくなっていた。

「……『飛翔』の魔法には見えなかったけど『肉体強化』で足の筋力を操作したのかな。でも、魔法構成が全然わからなかったし……。いえ、それより」

 草むらをかき分け這い出すと、エディは学園長がいた場所に近付いた。特に何かあるわけでもない、変哲のない林の窪地。何かが残されているわけでもない。

「ここで何してたんだろ?」

 そんなことエディにわかるはずもなく、「なんだつまんない」と呟(つぶや)いて、踵(きびす)を返そうとした。

 それは薄い耳鳴りのような、漠然とした感覚。一瞬の頭痛のような、エディは振り返らずにはいられなかった。そして学園長が立っていた場所から今度はは目が離せない。

「……まさか、これって」

 よろめくように数歩前に出て、エディは無造作に手を突き出した。そこには何もないはず、手は空気の中をただ進む。

 何もないはずの空間にエディの手は毛羽立った。何かに触れそうな触感に咄嗟に手を引く。

 結界だ。エディはこれによく似た感覚を知っている。毎晩のように魔法特訓の為に抜け出す寮の『警備結界』、いや、あれよりももっとずっと濃い何か。目には見えないのに、エディにはなぜか触れたと感じることが出来た。

 エディは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。そして今度は両手で結界らしきものがある空間を触りにいく。

「……すごく、ねっとりとしてる。これ、とっても強い『不可侵結界』だ。……それなのに触りたくなくなるような……、これが『不可認結界』、それに『警報結界』も、……あれ? 『魔力遮断結界』もあるの? うそ、一体何重に結界張ってるの?」

 エディは結界の専門家というわけではない。ただなんとなくそんな気がしたというだけ、肌で結界を感じただけで勝手にそう判断した。

 何より、こんな厳重な結界をエディは始めて見たのだ。学園の呪物庫でもこんな結界は張っていない。おそらく先程の学園長が使っていた魔法は、この結界を維持する類(たぐい)の魔法だろう。満月という特別な夜にだけ魔法儀式を行って結界を保持するといったものなのかもしれない。

 エディの首筋に嫌な汗が流れた。本来誰にも見られてはいけないものをエディは見てしまったのだろう。その緊張感もある。

 それ以上にエディは気付いてしまった。こんな厳重な結界に拒否反応を起こさせないで触れる自分に。

 普通なら『不可侵結界』には近付けないし、『警報結界』に触れば結界に拒絶され、術者に警報がいくはずである。それなのにエディは平気で結界に触れていた。

 魔法の使えないエディには、『霊視』の他にもう一つだけ魔術的特技があった。毎晩抜け出す女子寮には『警報結界』『不可侵結界』が張られている。女子寮の警備の為という二つの結界。エディは『警報結界』を起動させることなく『不可侵結界』に侵入して自分の部屋に戻ることが出来るのだ。

 理論はわからない。ただ、こうすれば警報がならない気がするという感覚だけで、侵入を拒む結界の隙間に分け入ることが出来るのだ。

 おそらく『霊視』の応用なのではないかとエディは思っている。無意識に『霊視』で結界にある隙間を見出している。そんな気がする。

 エディは、それを寮を秘密裏に抜け出すことぐらいしか出来ない特技だと思っていた。しかし、今はどうだ。学園長が維持している厳重な多重結界に触れても、寮のと同じく、警報は作動していない。

 エディの心に一つの思い付きが浮かんだ。エディは魔法使いとして落ちこぼれだ。実状を見るにそれは誰にも否定出来ない。

 そんなエディにも、もしかしたら、誰にも負けない魔法技があるのではないのか。結界抜けという特技は、もしかするとエディだからこそ出来るエディだけの才能なのではないか。

 自然とエディの頬が緩んでいた。もし、この学園最固にも思える結界に侵入して見せたなら。それが出来たなら、誰がエディを馬鹿に出来よう。

 エディはこの林の奥地に張られた結界に侵入する決意を固めるのだった。

説明
魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。
その第一章の16
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魔法 魔女 魔術 ラノベ ファンタジー 

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