真・恋姫†無双 転生劉璋は王となる3 |
成都城で最も絢爛な部屋は飛鳥の自室ではなく、諸侯や王朝の使者を客人として招くことも多々ある大広間である。柱には彫刻が、床には塵一つ無い。成都にいる武官や文官が一同に集まった光景は息を飲むぐらい圧倒的だ。史実や演義にて、約千八百年後でも燦々とその名を輝かせている者たちもいる。
そして毎回思うのは、そんな彼らを率いるのが二十一世紀から転生した人間である飛鳥で良いのかということ。後世の歴史家は大変なんだろうな、と他人事のように彼らを案じつつ、飛鳥は玉座に腰掛け、隣に佇む文官筆頭の男に言った。
「貴嶺、始めろ」
「御意」
後ろ首付近で一本に纏めている長い黒髪。知性の溢れる切れ目の瞳は飛鳥と同じ高みから、広間に集まった武官と文官を眺める。青と白が入り交じった服を着て、手には黒い羽毛扇が握り締められていた。
――うん、やっぱり司馬懿にはこれだろ。
「季玉様に遣えし臣下の方々、良く集まってくれました。急な召集に驚かれたかと思いますが、これは季玉様もお認めになられたほど深刻な問題だからです」
基本的に、飛鳥はあまりこういう場で言葉を発しない。殆ど全てを司馬懿という鬼才の親友に任せてあった。それを快く思わない人間もいることは確かだが、事前に打合せしているため、司馬懿の話す内容は飛鳥も承認したこと。故に表立った反論はほとんど無い。文官はいざ知らず、裏で武官に貶されているのは二人とも知っている。
「ほう、またも戦が始まるのかのう紫苑。今回は儂を連れていってもらわねば困るぞ。ここ最近、調練しかしておらぬしな」
「この間、益州で黄巾賊を討伐したばかりよ、桔梗。滅多なことをいうものではないわ。それに調練も立派な仕事よ?」
「お主は良かろうがな、紫苑。儂は半年もの間、南蛮方面の警戒などに当たっておって色々と欲求不満なのじゃ」
「あらあら、戦をするとなるとまた兵糧の計算をしなくてはならないわね、と。大変大変」
先代から仕えているために武官の最前列に座る黄忠に対し、その隣の厳顔が楽しげに話し掛ける。顔が僅かに赤い。また調練をサボって酒を飲んでいたな、と飛鳥は苦笑い。昔からなので今さら注意するのも憚られた。
黄忠――紫苑が直ぐに親友をたしなめ、厳顔――桔梗が反論する。そんな中、文官の最前列から、眉が白いことが特徴的な馬良が頬に手を当ててニコニコと話に割り込んだ。いずれも母性溢れる女性たちばかりだ。彼女らは黄忠と厳顔が武官で最も偉く、馬良は貴嶺の補佐役として文官の中で二番目に偉い地位にいる。
「で、どうなのじゃ、貴嶺」
「戦は確かに始まります。しかし起こるのは益州ではなく、雍州。黄巾賊別動隊の討伐です。数は約三万五千。敵将は波才と呼ばれている男らしいです」
黄巾賊は本来河北で猛威を奮っている獣《けだもの》だ。雍州、益州、荊州、楊州では比較すると数が少ない。それでも、三万以上の数の賊が連続して発生したのは些か不審に思う。
――波才ってあんなとこにいたっけ?
そもそも波才がどうやって死亡したのか覚えていない。特に何かをした男だったのかすら。怪しくはあるが、今はおいておくのが上策か。
「……雍州? 確かに益州と隣接した州ですが、だからといって季玉殿が赴かなければならないわけでもないと思いますぞ」
趙雲の当然すぎる疑問にも、司馬懿は顔色一つ変えずに答える。最初から予想していた問いだったから。
「子龍殿の言う通り。当然、雍州の賊は雍州を治める諸侯、もしくは漢王朝の軍勢が叩くべきです」
「あらあら。つまり、わたしたちに白羽の矢が立ったのは、そのどちらもが黄巾賊の別動隊すらも叩く力を失ってしまったからなのね、と。大変だわ」
「そんなにも雍州を治めている諸侯は力が無いのか? 全く、情けないことこの上ないな! 賊ぐらい蹴散らすのが当然だッ!」
「こら、焔耶。仕方あるまい。そもそも漢王朝に力があれば、黄巾賊など生まれやしなかったのじゃからな」
馬良の的を射た答えに憤慨した魏延を叱ったのは厳顔だった。魏延の師匠とも言える彼女の言葉に、どこか男の子を連想させる黒髪の少女は顔をしかめたまま黙り込んだ。
「音々が思うに、それは漢王朝からの通達なのですか?」
「紛れもなく漢王朝からです。季玉様は天子様の血に列なる存在。弱まった王朝にしてみれば、野心溢れる諸侯が多い中では唯一頼れる存在と言えましょう」
「ハッキリ言い過ぎではなくて、貴嶺殿」
漢王朝への反逆とも受け取れる台詞を真顔で吐く司馬懿に、黄忠が顔をしかめる。まかり回って、司馬懿の発言が飛鳥の王道を妨げることを危惧しているのだろう。当然あり得る。どこに、様々な人間の目と耳があるのか解らないのだから。
だが、当の本人は玉座にて臣下の声を聞くだけで、何も反応を示さない。親友に任せてある。不安などなかった。今さっきの言葉も、ギリギリで語彙を変えたに違いない。二人で話すとき、いつも口にするのは何時ごろ漢王朝が死に絶えるか。危険さの度合いがまるで異なる。
「それで、季玉殿は雍州に赴かれるのですかな? その際は是非この趙子龍も連れていって欲しいものですが」
「待て。先ずは儂を連れていってもらおう。一番槍もな。こればっかり例え誰でも譲らんぞ」
「いえ、飛鳥様が赴かれるのなら護衛としてわたくしも行かなければならないわ」
「桔梗殿、紫苑殿。私も最近戦に参加していないのです。ここは私も参るべきでしょう」
「……恋も、行く」
趙雲、厳顔、黄忠、魏延、呂布がそれぞれ行くとやる気十分な声色で断言する。何故己が行かなければならないのか、その理由を語る武将には形容しがたい熱気が渦巻いていた。
――好戦的な連中ばかりだな、うちは。
苦笑が伝わったのか、司馬懿がソッと耳打ちする。
「取り合えず、連れていく武将はまだ秘密にしとく?」
「それがいいな。ここで発表したら偉いことになりそうだ」
「ボクもそう思うよ」
二人して眺める先は、見目麗しい女性たちが戦いたいと闘気を迸らせれている光景。あんまり長い間見ていたくないと思わせるには充分なものだった。
「貴嶺殿。結局、雍州に赴かれるのですか?」
「ええ、音々音殿。ここで漢王朝の頼みを断るのは愚策と判断しました。四日後、二万の兵士を連れて出立する予定です」
「あらあら。二万ですか? 一ヶ月の内に計五万の兵士の兵糧を集めないといけないなんて。大変ねぇ」
「すまない、結風《ユンフェイ》」
「あらあら、飛鳥様にそう言われたら大変なんていえないわね、と」
実際、改革半ばのせいで貧乏所帯の益州が、表向きは簡単に遠征できるのも馬良がいるから。白眉の名は伊達ではない。内政担当として類い稀なる才能を発揮する彼女がいてこそ、万を越す軍勢をスムーズに動かすことができる。感謝しているのだ、本当に。
「して、貴嶺! 誰を連れていくのじゃ!?」
「それはまだ検討中です。南蛮と荊州に睨みを効かせるため、必ず二人は残ってもらいます」
南蛮からの侵攻は九分九厘無いと判断しているが、警戒すべきは荊州からの賊である。中に入れてから殲滅しても、やはりその間に近くの村や町が荒らされるのは事実。自警団を結成しても、四桁や五桁に近い獣を相手にしては農民では勝てない。
故に、有能な武将を南と東に配置しておくしかない。一応、それなりに名の知れた者たちを定期的に交代させながら防衛に当たってもらっているものの、やはり黄忠などがいればその効果も自然と高くなる。
「――さて、一つ目の報告はこれにて以上です。何か疑問点などがありましたか?」
返答は沈黙。
「なければ、二つ目の報告に移ります。我々にとって、この二つ目の方がより深刻な内容となります」
「深刻……? 貴嶺殿、何があったのかしら?」
黄忠が眼を光らせた。
「何、ですか。将来において悩まされる存在が生まれました」
「なっ、まさか……。お館様に世継ぎができたのか!? あ、相手は一体誰だッ!?」
「世継ぎとはめでたいのぅ。お館様もようやりおる。全く、中々抜け目無いからの」
「ほう、この趙子龍の目を盗んでヤることはちゃんとヤっておられたのですな、主。驚きましたぞ」
「……ヤ……る……?」
「恋殿は純粋なのが一番ですぞ!」
「あらあら。こう言うときは何て言えばいいのかしら? 考えるのが大変だわ」
「……飛鳥様。……今すぐお聞きしたいことがあります」
何やら容認できない仮説で盛り上がる武官、文官を睨下し、飛鳥はこれ見よがしに溜め息を吐いた。
まさか十七歳で世継ぎ云々の心配をされるとは思わなかった。そもそも童貞なのに子供ができてたまるかと叫びたい。第一段階を越えていないのに、第二段階に至った気分。賢者になれというのか。
飛鳥は低い声で、言った。
「天の御遣いとやらが現れた」
「ここが、成都なのね」
「はっ」
「噂に聞く通り、凄いぐらいの活気ね。名君、劉季玉。出来ることなら会って行きたいわね」
「しかし……」
「解ってるわ。突然押し掛けても会えないぐらい。でも、聡明な方ならどうかしらね」
「……はっ」
従者が瞼を閉じて、首を縦に振った。一見強そうに見えない華奢な身体付きでも、四方へ放たれる威圧感は己が認めた主君を護るために絶え間無く発せられている。武に自信がある者なら、その凝縮した闘気に頬を緩ませることだろう。
だからこそ、彼女の主君は安心して人混みを進むことができる。活気に渦巻く街並みを眺めることができる。ガラス細工のような髪の毛を風に靡かせながら、頻りに感心の溜め息を溢す。
「それにしても、どうやったらこんな街を作れたのかしら?」
「調べた限りですと――」
従者の淡々とした説明に相槌を打ちつつ、二人は成都城へ続く大通りに馬を歩ませる。突然現れた身なりの良い二人組に、露店を出している商人や成都に住む民が指をさしてヒソヒソと話す。生まれながらにしてこういう扱いを受けているため、ほとんど気にせず、ただ街の様子を観察していく。隠れるようにして益州に来たのは、現在大陸で最も安全な場所と言われる成都を視察するためだからだ。
「そういえば、姉様たちは大丈夫かしら?」
「問題ないでしょう。賊ごときに遅れを取るとは思いません」
「そう。――そうよね。頼れる臣下もいるのだし」
「はい」
そうこうしている内に、二人は成都城の入り口へ着いていた。門兵が二人、怪しむような眼で女の二人組を眺める。例えどんなに身なりが良くても、来訪者の予定は知らされていない。つまり、今門兵の前にいるのは予想せざる来客。万が一を考えて行動しなければ。
「止まれ!」
だから、手にした槍を相方のそれと交差するように構え、これより先を通行するなと意思表示した。
「ここから先は我らが主君、劉季玉様の居わす場所」
「勝手な出入りは禁止されている」
「当然そうよね。解っているわ」
「劉州牧と面会を希望したい」
薄い褐色肌の美少女が頷き、隣の寡黙そうな武人が低い声音で主君の台詞に被せるよう言った。
「劉季玉様にお目通しだと? 名を聞かせてもらおうか」
「一応、耳に届けるぐらいはしてやろう」
そもそも、普通は皇族の一人でもある劉璋に突然会いに行っても面会してもらえるとは思っていなかった。今回の目的は成都、もしくは益州内部の視察だけ。袁術の眼が黄巾賊に少しでも向いている間に、最も天下に近い人間の治める場所を直に観ることが第一目標だっだ。しかし、ツキはこちらに向いている。褐色肌の少女は内心喜んだ。
多くの場合、門前払いを受けても良さそうなほどの急な訪問。会える可能性が一パーセントでもあれば良い方だろう。しかし、劉璋の耳に自分の名を入れさせてもらえるのなら余程良い対応と言える。ここで、劉璋が自分に会うと判断すれば聡明であるという証拠を得られる上に直接対話できる。第二目標を達成できる。もし会わないと判断しても、孫家が独立を果たした後なら幾らでも会える機会はやって来る。このような突発的なものではなく、事前に使者を送り、ちゃんとした形で。今はまだ、袁術の客将に過ぎないため大っぴらに会談できないが。
――姉様に頼まれたのだから。
失敗は許されない。
「姓は孫、名は権、字は仲謀。江東の虎の娘が、名君と謡われし劉季玉殿に会いに来た」
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