BADO?風雲騎士?過去 |
『・・・・九十八、九十九、五百!』
森の中で、一人の少年が誂えられた木刀で素振りをしていた。顔と髪を濡らす滝の様な汗の量で、何時間も続けていた事が伺える。手には血が滲んだ包帯が巻かれており、木刀の柄に巻かれた布にもその血が染み込んでいた。木に立て掛けられたもう一本の木刀を拾い上げると、再び素振りを再開しようとしたが、突如凄まじい風が巻き起こり、少年は尻餅をついた。
『凪。十分だ。少し休め。』
幼い凪の目の前に現れたのは、父親の雲平旋風だった。三十代半ばとは思えない様な若々しい顔立ちで口ひげを生やしていても二十代後半に見える程だ。黒髪の中には若白髪が幾らか混じっており、凪と同じ様に雨雲の様な薄い灰色の透き通った瞳をしている。膝まである黒と紫のコートはそよ風にはためく。手には書物が詰まった大きな袋が握られていた。
『父さん・・・・』
『二刀流を極めようとするその意気は認める。だが、今のお前は膂力が足りない。もっと体を鍛えろ。』
革製の酒袋から木製の杯に赤い薬湯の様な物を注ぎ込むと、凪に差し出した。震える手で杯受け取った凪はそれを一気に飲み干すと、袖で顔の汗を拭う。
『これから我が一族に伝わる闘破の法術を伝える。しっかりと覚えろ。風と雲は変幻自在。何物にも捉えられない、分裂と合併を繰り返し、』
後ろに引いた右掌を力強く押し出した。ごうと風が唸り、掌から旋風の頭程もある放電する雷の球体が発射された。それは巨大な大木に穴を開通させ、次の一撃は木その物を跡形も無く焼き尽した。
『時には天をも引き裂く雷を呼ぶ。法術の事は母さんから教えを受けただろう。あれは初歩だ。やってみろ。』
凪も同じ様に集中して精神を統一すると、両手を押し出した。すると、旋風が放った物とは雲泥の差では会ったが、小さなボール程の大きさの雷が撃ち出され、凪の太腿程の太さがある若木を倒した。
『やった!出来た!』
『そうだ。その感覚を忘れるな。書物でしか読んだ事は無いが、更に技を磨いた結果、我々の先祖の何人かは天候をも自在に操る事が出来たそうだ。』
『じゃあ、晴れの日に雨を降らせたりとか!?』
『それだけでは無い。お前の祖父は、雲一つ無い蒼天から巨大な嵐を生み出し、その嵐で無数のホラーを一撃で葬った。・・・・話し過ぎたな。続けるぞ。次の術だ。』
再び数時間が経過し、凪は地べたに大の字で寝転がっていた。練習用のソウルメタルで出来た剣も手を離れている。しかし旋風は汗一つかかず赤い薬湯を注いだ杯を傾けて凪の練習する様子を見物していた。
『では、今から魔戒騎士が使うソウルメタルの剣を用いた修行に進む。』
旋風は凪が持っている木刀と同じ大きさの鞘に納まった剣を取り出し、彼に差し出した。今まで使った物差しの様な平らな物ではなく、手持ちの木刀と同じ様に誂えられた物だ。
『抜いて持ってみろ。』
凪は何の迷いも無く柄に手を伸ばし、剣を引き抜いた。
「うわっ?!」
だが、まるで大木を持ち上げているかの様に剣はその重さで凪を地面に引き摺り下ろそうとする。
『心を静めろ。ソウルメタルは心の在り方によってその重量が変化する。時には羽毛の様に軽く、時には隕鉄の様に重い。心の中で剣とはどう言う物かハッキリと思い描け。ソウルメタルとは心の中を映し出す鏡だ。心が乱れれば、剣を構える事は疎か、持ち上げる事すらままならないぞ。揺らぐ事無き鋼の心を持て。』
剣を持ち上げようと躍起になっていた凪は旋風の言葉を聞いて剣を一旦置くと、目を閉じて深呼吸を繰り返した。再び柄に手をかけると、ゆっくりと剣を持ち上げた。今度はまるで枯れ枝を持上げるかの如くいとも簡単に持ち上げる事に成功した。
『よし。その感覚をしっかりと刻み付けろ。』
旋風は己の魔戒剣を抜くと、演武を始めた。凪もそれに倣って動きを真似る。
『貴方、もうそれ位でいいでしょう?』
しばらくすると、旋風と同年代の金髪の女性が木々の中から姿を現した。
『ルカ。もう戻ったのか?』
『思ったより速く片付けられたから、ちょっとお弁当も作って来たの。』
そして凪が泥だらけになっているのを見ると口をへの字に曲げて尖らせた。
『あー、もう。凪ったらまた泥だらけになっちゃって。休憩したい時はしたいってちゃんと父さんに言いなさいって何度も言ってるのに・・・・!』
『・・・・・良いではないか。自ら精進しようと言うその心意気は、後々益をもたらす。だが、お前が風雲騎士の称号を受け継ぐにはまだ早い。お前はまだ未熟だ。足りない物が多過ぎる。』
『貴方、上げて落とす様な真似はしないでって言ってるでしょ?』
『・・・・すまん・・・・』
堅物の父親と優しい母親。そんな二人の夫婦漫才を見て、凪は思わず吹き出してしまった。
『旋風よ、流石のお前もルカには頭が上がらん様だな。だが、恥じる事は無かろう?女の魔戒法師が騎士に勝つ事などあり得ない訳ではない。お前が初めてではないしな。』
『ふん。』
ふて腐れたのか、鼻を鳴らして旋風はそっぽを向いた。
『ほ?ら、食べましょう?ね?』
その細やかな、しかし満たされる幸福も長くは続かなかった。
翌年、凪が十二になった時、元老院から黒い封筒が送られた。
『黒い指令書・・・・・・ホラー喰いの魔戒騎士バラゴを討ち取るべし。』
旋風は何時にも増して厳しい表情で空中に浮かぶ幾何学的な魔戒文字を読み解いていた。その様子を見ていた凪は、部屋に飛び込んだ。
『俺も連れて行ってよ!』
『駄目だ。お前に何が出来る?』
『俺はもうソウルメタルも持ち上げられるし、術も使える!だから』
『ならば、これを持ってみろ。お前が持っている剣と同じ様に使いこなす事が出来れば同行を許す。』
旋風は己の魔戒剣の一本を差し出す。凪はそれを引き抜いて持ち上げようとしたが、修行を積む以前と同じ様に満足に剣を構える事は出来ない。顔を真っ赤にしながら懸命に奮闘するが、全く剣は動かなかった。
『これで分かっただろう?』
そう言うやいなや、旋風は鞘を剣に向かって突き出して納刀した。そしてそのまま柄の先端で凪を突き飛ばし、鳩尾を鞘の先端で殴り付ける。
『これがお前の実力だ。確かにお前の成長は目を見張る物がある。だがお前には暗黒騎士を倒す力など露程も持ち合わせていないと言う事だ。今のそのザマが、力不足の証だ。今のお前の使命は、俺の代わりにルカを・・・・母を守る事だ。』
旋風はそう言い捨てると、悔しさのあまり泣き喚く凪に背を向けて立ち去った。
『旋風よ、良いのか?息子をあの様に捨て置いて?』
『ああ。生まれた瞬間から直感していたのだ。凪は強い。いずれは、この俺をも凌ぐ騎士となるだろう。だが、そこに到達する道程は長く険しい。まだ先の未来だ。凪の時代は、これから何年も先に在る。俺はそれを示す一陣の雲、一陣の風に過ぎない。ゲルバ、俺が死んだら、息子と契約してくれ。いつかはお前の判断に任せる。』
『遺言のつもりか?』
だが、旋風はゲルバの質問には答えず、自身の体に札を貼り付けると瞬天翔でその場から姿を消した。
それから、元老院から旋風が戦死したとの報せが来たのは三日後だった。凪はそれからと言うもの日の出から日暮れまで、全身が悲鳴を上げるまで厳しい鍛錬を続けた。それも四六時中涙を流しながら。ルカは愛しき伴侶が死別してしまった事により心に癒える事の無い傷が出来てしまう。その悲しみのあまり病に臥せり、容態は徐々に悪化して行った。亡き父が法術の師として仰いだ竜清法師ですら彼女の苦しみを和らげる事は出来なかった。
『ハッ!ハッ!デヤァ!フンッ!』
父に何があろうと必ず守ると誓った母の為に何もする事が出来ない。凪はその事実に苛まれ、自らを常に追い込んで行った。少しでも速く遅々と肩を並べ、いずれは超える様な強い騎士にならなければ。それが、父の供養に、母の励ましになる。今の凪の頭の中はそれで頭が一杯だった。
『・・・・覗き見とは良い趣味をしているな。出て来い。』
木陰から頭を少し覗かせたのは、金髪碧眼の少女だった。
『これ、ララ。行儀が悪いぞ。』
『竜清法師。おはようございます。』
白髪が混じった灰色の頭髪と髭を蓄えた小柄な男の姿を見て、凪は一旦構えを解くとお辞儀をした。身の丈程もある細長い魔導筆を杖代わりについている男の名は竜清と言う。我雷や阿門法師とも面識がある古参の法師だ。
『うむ。少しは休んだらどうだ?体を壊しては元も子もないぞ?』
『休んでいる暇は無いんです。俺には果たすべき使命と、己に課した誓いがあります。それより、先程から稽古の最中に何時も彼女が見に来ているのですが。』
『これはな、私の孫娘だ。娘夫婦の忘れ形見よ。これ、挨拶をせんか、無礼者が。』
『あぅぅ!』
杖で背中を小突かれたララは可愛らしい悲鳴を上げると、遠慮がちに右手を差し出した。
『私、ララ。よろしく・・・・・』
『・・・・・・雲平凪だ。』
数秒の間凪は微動だにしなかったが、このままでは埒が空かないと諦め、差し出されたララの手を握った。それが余程嬉しかったのか、ララの表情は花の莟が開くかの様にパアッと明るくなる。その笑顔に触発されて、凪も自然と頬が緩む。
『では、彼女もジンケイの歌を?』
『うむ。元々歌が好きでな。娘に似て元来歌の才能があるそうだ。たまに聞きに来てやってくれないか?』
『法師が、そう仰るのでしたら。』
それからと言うものララと凪は度々顔を合わせる様になり、幾らか親交も深まった。ララを臥せっているルカに会わせると、そこでララは彼女を元気付ける為に何度かその美声で歌を披露した。僅かにだが、ルカの心がその表情と共に明るくなるのを凪は感じた。
それから更に二年後、凪は竜清の紹介で老練の魔戒騎士の元へ修行に行った。男の名は道寺と言い、凪の亡父、旋風の弟弟子である事が明かされた。そして、そこで凪は出会ったのだ。弟分となる男と。
『俺は銀牙。』
『雲平凪だ。』
『雲平って・・・・風雲騎士か!』
『ああ。』
『スッゲー!!やっぱり強いんだろうなぁ?。』
『ああ。強かったさ。』
凪の表情と過去形の言葉で真相を察したのか、押し黙ってしまう銀牙。だが、木を取り直して再び口を開いた。
『じゃあ、一緒に強くなろうぜ!二人でどこまでも!』
『二人で、か・・・・・断る。』
『え?』
『俺は強くなりたい。風雲騎士は西では最強と言われた騎士だ。だから、俺はお前を追い抜く。そしてもっと上を目指す。』
『じゃあ、競争だ!ぜってーお前より先に一人前の魔戒騎士になってやるからな!』
二人は競い合い、高みを目指して日々技を磨いた。その努力により、ようやく凪はゲルバとの契約を許され、代々受け継がれる風雲剣を自在に操る事も出来る様になった。
だがそんな時に、凶報が訪れた。凪の母、ルカが、ホラーに憑依されてしまった事を。凪は制止を振り切って我が家に急いだ。だがそこで見たのは冷める事の無い悪夢の様な光景だった。耳まで裂けた不気味な口、死人の様な白い肌、そして薊や荊の様にぼさぼさになった金髪。両腕も人間の物ではなくなっている。優しさも、美しさも、全てを失い変わり果てた母の姿を見て、凪は愕然とした。
『そんな・・・・・』
まただ。今度こそ、本当に誓いを破ってしまった。母を守れ。旋風は確かにそう言った。だが、凪は修行に没頭するあまり母の容態が知らずに悪化していっている事に気付けなかったのだ。
『凪・・・・!!』
『ララ、来るな!!』
だが、ララの存在に気付いたホラーは、彼女に向かって隈の様な巨大な鉤爪がついた手を伸ばした。だが、凪は寸前でララを突き飛ばし、自分も避けようとしたが、鉤爪は凪の右の目尻から顎にかけて深い裂傷を残した。
『母さん・・・・母さん・・・!!
襲いかかる母に無駄と分かりながら何度も呼び掛けた。意を決した凪は、剣を引き抜き、獣の様な咆哮を上げて襲いかかる母の胴を真っ二つに切り裂き、首を刎ねた。母の亡骸が消滅するのを見届けると、凪は頬から流れる血を魔導火で焼灼して止めた。
それが、凪の世界から笑顔が消えた瞬間だった。
説明 | ||
今回は凪の過去、ララとの出会いを描きました。竜清法師もチョイ役ですが、登場します。 | ||
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