GIOGAME 20
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第二十話 突入

 

布深家(ふみけ)は所謂第二次世界大戦後に現れた戦争特需による成り上がりの一族と言える。

 

その原動力となったのは昭和から平成に掛けての海運・貿易。

 

日本を牽引する大財閥と比べれば小さな企業体を管理しているに過ぎなかったが、時代の流れに逆らった経営方針と柔軟な対応をした資本家の一族として有名と言えるかもしれない。

 

会社をあくまで株式会社ではなく有限会社として育て、法改正が行われるまで株式会社の形態を取らず、更に全ての有限会社が株式会社化されて久しい現在も保有株式の全てを一族が握っている。

 

株式市場にも上場せず、頑なに一族の理念を反映する貿易会社はやがて時代の最先端を行く古風な総合商社という奇妙なものとなり、あらゆる時代の荒波を乗り越えてきた。

 

バブル期には投資ではなく蓄えを作り、効率化と経営の大規模化の時代に少数精鋭の人間を永続的に抱えて大規模化を避けた。

 

時代遅れの理念に柔軟な発想で一つの事業を深く開拓し、新規事業は十年単位でのリサーチと地盤固めを行った後に実行された。

 

儲けは二の次。

 

重要なのは永続的な経済活動。

 

厳しい時代も儲けられる時代も大当たりを期待せず、淡々と存続の二文字を守り続けた。

 

その結果、二十一世紀の半ばを過ぎた現在、日本有数の大財閥とまでは行かなくとも小規模にして堅牢な資産運用を行う財閥として十二分な地位を確立するまでに到っている。

 

一族の殆どは高学歴のインテリであり、天才は輩出せずとも秀才は幾人も出した家。

 

現代日本において最もお堅い家柄。

 

そう言われるまでになった近頃の布深家が抱える最大の問題は次期当主の交代。

 

時代に対応する為、企業のトップである当主は六十五歳までに定年。

 

同時に当主の座を次代へと受け継ぐ。

 

しかし、布深家本家筋には子女しか生まれていない。

 

次代の当主は分家筋からの養子を取るか何処かの家から婿を取るか。

 

そう言われ始めて十年の月日が流れた。

 

「・・・・・・」

 

そんなよくある世代交代の話を悩まなければならない現在の布深家当主『布深海造(ふみ・かいぞう)』はその日、本当にどうすればいいのか解らず、額を揉み解しながら使用人達から話を聞くこととなっていた。

 

主に可愛い一人娘の身柄が何故か得体の知れない中国人に確保されているらしいと知ったからだ。

 

過度な装飾の無い無味乾燥とした一室の中、部屋の中央に位置する革張りの椅子が軋んだ。

 

「それでお前達はオメオメと戻ってきたわけだな?」

 

白いものが混じり始めている髭を撫でメガネを外した当主に睨まれてSPのリーダーである男が土下座した。

 

「申し訳ありません。お嬢様の命を守る為には身柄を渡すしか・・・」

 

六十四歳。

 

未だ衰えを知らない痩身の海造は土下座する男に立てと促す。

 

「それで敵の武装は?」

 

「はい。基本的には機関銃やアサルトラフルでしたが、幾つかの武装は車体ごと吹き飛ばせる重装備でした。車両に横付けされた時点で朱憐様に身柄を渡すようにと言われ・・・申し訳ありません!!!!」

 

土下座こそしないものの男は腰を九の字に折った。

 

グレーのスーツ姿のまま海造が立ち上がる。

 

「直ちに銃器の出所を探れ」

 

「はい。それはもう始めています」

 

「なら、今日一日もう社は閉じて構わん。相手からの連絡に対しての逆探知準備。それと南口の倉庫からDコンテナを開放。SP各自は完全武装で待機だ」

 

「了解しました」

 

「あと」

 

敬礼した男が頭を下げ、部屋から出て行こうとした時、背後から海造が呼び止める。

 

「なんでしょうか!?」

 

「あの男を呼べ」

 

「は・・・あの男とは?」

 

僅かに困惑する男に海造は不機嫌そうに告げた。

 

「あの胡散臭い経歴の男だ。資料は見た。少しは役立つだろう。私は外務省と警務省を当たる」

 

「はッ!!!」

 

GIO日本支社から明け方に帰った久重とソラが叩き起こされたのは寝てから十三分後。

 

馴染みの顔が何故か朝食を作りに来る途中で誘拐されたとの報を聞かされての事だった。

 

 

『宮田坂敏(みやた・さかとし)』はその道を今日も急いでいた。

 

警察官僚。

 

五十二歳。

 

単純に言えば幹部クラスのエリート。

 

本庁からテロリスト捜索本部を任された事で一気に株を上げた宮田に今や追い風の吹かない日はない。

 

根っからのインテリである宮田が現場の最前線へと送られテロリスト捜索本部に入ってからと言うもの、都市部には大きなテロの予兆らしき事件が多発している。

 

それを機に上層部から大幅な権限の移譲、更には現場レベルでの高度な捜査も許されるようになっていた。

 

事件が起これば起こる程に宮田の辣腕は冴える。

 

そう上層部は重く信認している。

 

不気味な程に沈黙していると他の部署からは懐疑的な目で捜索本部は見られていたが、水面下での巨大な戦果は警察官僚達を震え上がらせる大規模な事件を未然に防ぐ結果に繋がっていた。

 

その捜査上の戦果が実際の空間ではなくネットの電子空間上であるという事実が無ければ、正に巨悪と戦う警察官僚と宣伝に利用できたかもしれない。

 

契機となったテロリスト包囲事件。

 

結局のところ全てはそこに集約される。

 

上層部から突如として案件を押し付けられた宮田にしてみれば、不可解な事件ではあった。

 

指名手配のテロリストが公安によって発見され、大規模な避難誘導をして包囲するという馬鹿げた話。

 

普通では考えられない対応だったが、上層部からの絶対に逃がすなとのお達しに宮田は全力で事に当たった。

 

結局、テロリストには逃げられて捜索本部が設置されたが、それすら何故専門の部署で行わないのかと疑問は尽きなかった。

 

よく解らない上層部からの命令も多く、何か得たいの知れないものを感じていたのは何も宮田だけではない。

 

それでもそんな疑問を覆い隠して宮田は全力で捜索本部を指揮した。

 

本部のマンパワーを半分以上電子空間上に割く事でテロリストの発見に全力を注いだ。

 

結果はサイバーテロ対策に躍起となっていた警察の威信を十分に満足させるだけのものだった。

 

移民達による大規模テロ計画。

 

同時に発生させられるはずだった騒乱と暴動。

 

中国からの覚せい剤・銃器大規模密輸ルートの摘発。

 

暴力団に浸透する外国勢力の内情。

 

指名手配のテロリストを追う過程で何故か面白いように引っかかった別案件の情報は未然に事件を防ぐ柱となった。

 

別件のテロ計画の中核人物を根こそぎ逮捕し、準備されていた騒乱と暴動の加担者達を逮捕国外追放し、密輸ルートを壊滅させて、非合法の外国勢力から資金源を断ち、暴力団のパワーバランスの調整にも一役買った。

 

将来の事を考えるなら、正に警察官僚のトップまで上り詰める事も出来るだろう成果。

 

しかし、その大きな結果を一番醒めた目で見ていたのは他でもない宮田自身だ。

 

宮田は内心でそれらの戦果を冷静に分析し続け、一つの結論に到っていた。

 

自分は誰かに動かされている。

 

(・・・・・・)

 

大きな事件を幾つも未然に防いだ事は確かに喜ぶべき事だった。

 

それでも情報の収集結果には疑問が尽きない。

 

何処か不自然に思える。

 

本来ならばするはずの無いミスをした犯罪者達。

 

普通ならば知れる事の無いはずの僅かなヒント。

 

それらの情報から細い糸を手繰るように証拠を固めて事件の全容を看破し続けた自分。

 

まるで最初から仕組まれていたように辿り着く犯罪の数々。

 

世界中で資源の枯渇と砂漠化が進む現代。

 

政情不安は内乱とテロ戦争を進める。

 

それを好ましく思う勢力がいるのは確かで、その状況に漬け込もうとする者は必ずいる。

 

だから、そんな悪は必要悪だと見逃されがちだ。

 

悪が栄えた例(ためし)はないと言うが、それにしても『正義が勝ち過ぎる現状』は不気味だった。

 

まるで他国の工作した後を通り過ぎていくようで。

 

(・・・・・・)

 

国家単位での間接侵略は二十一世紀に入ってからと言うもの、激しさを増している。

 

日本は一時期それらの侵略に対し無防備で、数多くの犠牲を払った。

 

ネットを中心とした報道勢力の拡大により、侵蝕を受けていた政治家、政治団体、企業、広告会社に自浄作用が働きだした頃には目も当てられない惨状ではあったが、弱者利権を食い物にする他民族の勢力という図は日本の誰もが知るところとなった。

 

勃興したナショナリズムの台頭は諸外国に比べれば大人しい方だと時の政治家や評論家達は言うが、それは殆どの場合詭弁と言わざるを得ない。

 

大人しいナショナリズム。

 

直接的な暴力ではなく、あらゆる経済的法律的日本人の復権によって為された戦争。

 

レイシストと謗られながらも多業種に渡る国籍条項の強化と外国人勢力に対する規制と監視の強化を行った政治家が幾人も出た。

 

内政干渉を明確に規定し、日本人が日本人を統治するという基礎を打ち立てた男達がいた。

 

外国人からの反発は当たり前の話だっただろう。

 

それらの政策は諸外国との摩擦こそあったものの、極東の島国がまだ己の利権を追及する為なら、戦争が出来る国家なのだと世界中の人々は知ったのだ。

 

『小さく静かな戦争』(リトル・サイレント・ウォー)。

 

グローバリゼーションと多民族国家を否定した日本という国のナショナリズムの勃興はそう呼ばれる。

 

兵器も武器も使わずに文化と法律と人間によって行われた戦争は日本にしか成しえないものだった。

 

それ以来、隣国との摩擦は激しくなるものの、逆に様々な面で日本が安定したのは皮肉な話だろう。

 

領土問題も移民問題も貿易も全ての面で日本の立ち位置が明確になった。

 

あの曖昧な笑顔の日本人が怒った。

 

それが他国に与えたインパクトはアジアの権力者層を密かに震撼させた。

 

笑っている内は静かな友人が怒ると銃を醒めた瞳で見ている。

 

そんな例え方をした外国の有識者も多い。

 

それからの外政・内政は成功こそしなかったが失敗も少なかった。

 

財政再建こそ不完全にしか出来なかったものの、厳しい緊縮財政や財政規律の強化が国債バブルを安定させ、デフォルトなども起こらなかった。

 

弱者利権に群がっていた外国人勢力から日本人は乖離し、その殆どの外国人勢力も衰退した。

 

艱難辛苦の道ではあったが、現在の日本は低成長のまま緩やかに滅亡していく安定した国家と言えた。

 

そんな時代を戦ってきたのは別に現場の人間だけではない。

 

宮田もエリートとしてあらゆる事件・犯罪の場に立ち会った。

 

テロ、移民、新興宗教、外国企業。

 

様々な悪と断じれられた全てと戦ってきた。

 

正にそんな自分は国家の手先で相手側から見れば日本人の悪(ナショナリズム)そのものだろうと自嘲した事は数知れない。

 

(・・・・・・)

 

もはや年老い、激動の時代を戦いきった後、安らかな間にある国。

 

そんな見方が世界中からの日本への評価だったというのに、近頃宮田には緩やかな流れが急激に荒波を孕み始めていると見える。

 

その原因は何なのか。

 

宮田には予測しようもない。

 

超少子高齢化も半ばを過ぎた時代。

 

移民の子供の活力と日本の子供の少なさが目立つ時代。

 

今一度、揺り返しが起こる前兆なのか。

 

それともまた別の波が来るのか。

 

自分は流れの中でどんな場所にいるのか。

 

もしも、いるとすれば波紋を起こせるものなのか。

 

全ては何もかもが終わってから解る事だろう。

 

ルルルルルルル。

 

やけに今日は懐かしい時代を回想したものだと宮田が自分の歳に苦笑しながら端末に出る。

 

『ああ、宮田君?』

 

『これは警視総監?! こんな時間にどうかされましたか!?』

 

驚いた宮田に警視総監が続ける。

 

『うん。僕なんだけど。ちょっと、緊急に頼みたい事があるんだよね』

 

『は、どういったご用件でしょうか!』

 

『それがね。ちょっとマズイ事になった。今から迎えの車を寄越すから、そうだな・・・自宅で待機していてくれるかな? それから信頼出来る部下で荒事が得意そうなのを二人か三人くらい集めておいてくれると嬉しい』

 

『わ、解りました!』

 

『本当なら僕も君みたいな苦労人の睡眠を邪魔するなんてしたくないんだけれども、どうやらそうもいかないみたいでね。状況はこちらに来たら話すから』

 

『了解しました』

 

幾つかの連絡事項を受けてから端末の通話が切れる。

 

(荒波か・・・それとも日本を転覆させるような嵐か。どちらにしろ私にはまだ何も出来ない)

 

宮田は自宅へと急いだ。

 

その背中は歳を反映してか僅かに細い。

 

しかし、確かに大きなものがその背中には背負われていた。

 

 

少女は夜気に篭る熱気と湿気を吸い込んで空ろな視線で溜息を吐いていた。

 

戦略兵器搭載型少女シャフだった。

 

一人ビルの淵に座り込み足をブラブラさせながら湿度の高い日本の夏を憎々しく思っていたシャフは突如として視界の片隅に発生した爆炎と黒煙に目を細める。

 

「?」

 

爆発など都市部でいきなり発生する類のものではない。

 

僅かに作り物の瞳孔が収縮し、レンズがテロの標的にでもされたような惨状のビルを映し出す。

 

「・・・拡大、サーバーに接続、記録」

 

監視役としての役目を思い出したシャフはだるそうに呟く。

 

視界にはRECの文字が浮かんだ。

 

ビル全体を眺めていたシャフは内側から吹き飛んだ硝子の無い窓の中で人がワラワラと動いているのを確認する。

 

人相や風体からサーバー内の人物を参照するも該当する人間は一人もいなかった。

 

そのまま見続けていると不意に窓の一つに黒い影が横切る。

 

「――――――グリッドE12を拡大、補正、明度上昇」

 

不穏なモノを見た気がして、その窓の中に一瞬映った影の正体を明確にしようと画像に補正を掛けて鮮明にしていく。

 

幾度目かの補正を掛けた時、小さな体が震えた。

 

(【大香炉(ポタフメイロ)】?!!)

 

顔を顰めたシャフが今まで記録していた情報を全て破棄して、その方角を見る事を辞めた。

 

(もう此処まで来てるなんて・・・【連中】は全部消す気? いや、でも、それならこちらの情報も漏れるような監視任務なんてさせたりしないはず・・・そう言えば報告に対しての次の指令が遅かった・・・まさかGIOとのGAMEで散逸する情報の抹消準備でもしてるっての?)

 

影の正体を知っているシャフは視界に映し出された記録の中の影を睨む。

 

黒い獣のように四つん這いになった何か。

 

頭部は人間のように見えるものの、目も鼻も耳も口も無い。

 

全身は黒く滑らかな皮の服でも着ているように見えるがまったくそんな生温いものではない。

 

人間のように見えるが人間ではない。

 

その悍(おぞま)しい中身を知れば、大概の人間は吐き気を覚えるか、卒倒するだろう。

 

「・・・・・・」

 

シャフはその場から飛び降りる。

 

これからあのビルの中で起こるだろう惨劇とその惨劇を引き寄せた情報が如何なるものなのか知る必要がある気がした。

 

一瞬、本当にアレに関して情報収集するべきか迷うものの迷いを振り切る。

 

出来る事なら関わり合いにはなりたくない。

 

しかし、放っておけば好き勝手に自分の持ち場を荒らされる可能性があった。

 

(今のアタシの性能なら、あのケダモノにも劣らない)

 

地面を陥没させ着地したシャフが小豆色の外套の埃を払う。

 

普通ならば地面に何もかもをブチまけているはずの衝撃をいなしたNDが体に掛かった負荷をすぐに軽減し回復していく。

 

(まずは様子見。それから情報収集・・・後は臨機応変にってところかしら)

 

行き当たりバッタリの行動ではあったがそう決断した。

 

(それにしても【連中】が何を考えてるのか読めない。あれをこの盤面に放り込んだのは【連中】の誰? 少なくともターポーリン(あいつ)からの連絡は・・・)

 

全ての疑問を振り切るようにシャフがその場から走り出す。

 

祭りでも始まったような喧噪へと。

 

 

彼は小さな教会の司祭だった。

 

彼女は大きな会社の社長だった。

 

その子は死に掛けた女の子だった。

 

彼らは大工、医者、貿易商、画家、作家、脚本家、小説家、放蕩息子、宗教家、老人、幼子、青年、淑女、童貞、娼婦、政治家、商人、葬儀屋、殺人犯、放火魔、兵隊、海賊、船員、船長、添乗員、その他諸々の個人であり、それぞれの名前で呼ばれていた。

 

大工としての彼はとある工事を受け持った為に彼らとなった。

 

医者としての彼はとある治療を行った為に彼らとなった。

 

貿易商としての彼はとある品を扱った為に彼らとなった。

 

他も全て同じような理由で彼らとなった。

 

彼、あるいは彼女、その全てである彼らは基本的に犠牲者でありながら加害者だった。

 

彼らは選ばれた者だった。

 

禍々しい息を吐く彼らからはもう個性が消失している。

 

彼らにとって至上の喜びは彼らを増やす事だけだ。

 

彼らの上に降る祝福の音色は管弦楽の響き。

 

彼らの内に積もる声は主の御言葉。

 

産めよ増やせよ地に満ちよ。

 

彼らの増え方は哺乳類より形の無い単細胞生物に似ている。

 

【力となる源】(ぎせいしゃ)を得て、増え、分かれる。

 

宗教家である彼が信者である彼を、信者である彼は可愛い孫である幼子を、幼子は父親である青年を、青年は妻である淑女を。

 

そんな調子で彼らは増える。

 

彼らの通った後には何も無い。

 

彼らとなった彼あるいは彼女達の痕跡は風化していく。

 

蒸発したのだと言う人間がいれば、自殺したに違いないと勘ぐる者もいる。

 

他国に旅行に出たと思われている者もいれば、誰にも疑問に思われない者もいる。

 

ただ、彼らの姿を見た者は一人として彼らの事を喋りはしない。

 

いや、出来ない。

 

彼らの姿を目撃した電子機器も同様だ。

 

何故なら、それが彼らの力だからだ。

 

彼らの吐息を吸えば当然そうなる。

 

彼らの吐く息は彼らの為に働く。

 

脳の中枢。

 

海馬にはまるで薬で受けたような傷が付いているだろう。

 

電子機器の全ては彼らを映した時には役立たずになっている事だろう。

 

彼らは人知れず世界中にいる。

 

喜びを満たす為に働き続けている。

 

彼らの主は彼らの頭の中で言う。

 

彼あるいは彼女を仲間に、と。

 

【………】

 

彼らの歩いた後には何も無い。

 

彼らは頭の中の主が言われる通りに増え続けていくだけだ。

 

山を越え、川を越え、都市を渡り、砂漠を抜け、夜に走り、朝に眠り、海を掻き分け、国を駆ける。

 

今日も彼らは選ばれた人々の上に降臨し、増えようとしていた。

 

目の前のドアから入って、階段を降り、出くわした彼を彼らは抱き締めた。

 

【ああ、主よ】

 

【ありがとうございます】

 

【また一人、彼方の下僕が】

 

バチュン。

 

そんなトマトを潰すような音がして、彼らは増える。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!!!!!」

 

彼らは喉から耳から目から鼻から肛門から性器から人体にある全ての孔から侵攻を開始する。

 

ドロドロに解けていく黒い彼らは血液に乗り、内臓を掌握し、脳に到達すると前頭葉の特定部位を破壊し、五感の全てから信号を送る。

 

それは時に言葉であり、図であり、音楽であり、熱さであり、匂いであり、感触である。

人が畏れずにはいられない神の威光である。

 

言葉は優しく、図は莫大であり、音色は心地良く、温もりは安く、匂いは芳しく、感触は母のもの。

屈さぬ人間はいない。

 

人はそのように出来ている。

 

一万と五千四百六十七人分のデータから最も効率的な催眠誘導方法は確立されている。

 

【おお、神を畏れよ】

 

【おお、人を捨てよ】

 

【おお、彼らは祝福されている】

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛ああああ・・あああ・・・ああ・・・」

 

産めよ増やせよ地に満ちよ。

 

彼らの脂肪はより効率的に燃焼されるようになる。

 

彼らの骨格はより優れた耐久性を持つようになる。

 

彼らの関節はより嘗めらかに連動し回るようになる。

 

彼らの筋肉はより柔軟な運動が出来るようになる。

 

ならば、脂肪はドロリと融けていても問題ない。

 

骨格は人の形をしている必要が無い。

 

関節はどれだけ回そうと血管なんて傷つけない。

 

筋肉は幾らでも伸びて縮むはずだ。

 

神の威光を持ってすれば容易き話。

 

彼らはそのようになる。

 

脂肪は全て対衝撃防御に優れた液体へと変わり、骨は鋼よりもタングステンよりも硬く、関節は幾らでも可変し曲がり続け、筋肉は体の数倍も伸びては縮む。

 

口で食べる必要が無いから口は要らない。

 

目で見る必要が無いから瞳も要らない。

 

鼻で嗅ぐ必要が無いから鼻腔も要らない。

 

耳で聞く必要が無いから鼓膜も要らない。

 

肌で感じる必要が無いから皮膚も要らない。

 

その全ての代わりとして主から授けられた黒い衣がある。

 

黒い衣は万能だ。

 

獲物に喰い付き栄養を補給する。

 

無数の目となって標的を見逃さない。

 

嗅がずとも成分を分析し、相手を嗅ぎ分ける。

 

聞かずとも最適な方法で振動を検知し、居場所を知る。

 

感じずとも空気の流れを把握してあらゆる攻撃を避け、弾体に対して無類の強度を誇る。

 

【………】

 

彼らは新たな彼らを祝福する。

 

頭の中を染められ続ける事を、喜びに満ちた人生を祝福する。

 

二体となった彼らはものの五分でビルの屋上から五階までを制圧した。

 

彼らの前に等しく全ての彼は無力だった。

 

ある者は叫び声を上げながら突撃した。

 

ある者はありったけの重火器を発射した。

 

ある者は漏らしながら背を向けた。

 

ある者はこれは夢だと壊れた。

 

ある者は拳銃で己の頭を撃ち抜いた。

 

ある者は勇敢に素手で立ち向かった。

 

彼らとなった者は十五名。

 

彼らとなれなかった者は十二名。

 

【………】【………】【………】【………】【………】

 

総勢十七名の内五人である彼らは一枚の扉の前にいた。

 

扉へと殺到する。

 

ベキベキと電子錠は壊され、鋼鉄製厚さ十センチの扉が拉げていく。

 

彼らとなるべき者を求めて、彼らはその扉を壊し、中へと飛び込んだ。

 

【【【【【?】】】】】

 

彼らは一斉に首を傾げた。

 

誰かいるはずの場所には誰もいなかった。

 

キョロキョロと辺りを伺う仕草をした彼らの一人が不意に天上近くを見つめる。

 

【………】

 

そこにはダクトに続く換気口がぽっかりと口を開けていた。

 

 

久重が招かれた場所で言われた事は三つ。

 

布深朱憐は誘拐された。

 

生死は不明。

 

居場所はほぼ特定されている。

 

対して久重が招いた者達に言った事は二つ。

 

居場所を教えろ。

 

オレが行く。

 

招いた者達が難色を示した中、誘拐された娘の父親は記しの点けられた地図を渡して言った。

準備が出来次第に突入する。

 

リミットは突入準備の完了する十一時五十五分。

 

久重は頷いた。

 

それから諸々の準備を行った久重とソラがそのビルの傍まで来たのは午後十一時四十五分。

 

ソラが傍受した情報によれば、犯人グループは交渉の場を用意しろと言い、まだ人質は無事との事。

 

二人が人通りの無くなった道を歩きビルの手前まで来た時、ソラが顔を強張らせた時点で、もう事態は急転直下を迎えていた。

 

突如の爆発。

 

炎と煙が上がり始めるビル。

 

更にはビル周辺百メートル圏内においての停電。

 

そこまでならば、まだ久重にも余裕があった。

 

ソラの支援を受ければ、取り戻せる範囲だろうと思っていた。

 

後方に控えている突入部隊は混乱して今にも突入を始めようとしているかもしれないが先行する事は出来る、はずだった。

 

ズダンッッッッッ。

 

そう、ビルの上から合計五体の黒い何かが落ちてくるまでは。

 

【………】

 

全身を黒い皮のような質感で包んだ人間のような何か。

 

「ポタフ、メイロ?!!」

 

驚きに固まったソラの呟きを聞く暇も無く。

 

久重はソラを抱いて横っ飛びにその黒い人型から伸びる腕を回避していた。

 

「ソラ!!」

 

久重の叫びで我に戻ったソラが周辺を氷に閉ざすNO.00“closed jail”を咄嗟に展開した時点で、待機していた警察と布深家のSP達は完全に混乱のどん底に叩き込まれた。

 

突然の爆発、停電、異常気象、そして部隊を襲う謎の黒い人型。

 

全ての現象が場を地獄へと変えていく中、一人ビルへと突入した男がいる事をまだ誰も知らない。

 

永橋風御は表での騒動が大きくなりつつある事を感じながら一人ビルの全自動ゴミ処理用パイプの点検用通路から内部へと侵入を果たしていた。

 

「ホント、だるいよね。まったくさ」

 

早く帰りたい本人はいつものスーツ姿にトランク一つという気軽さだった。

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