黄金の翼と銀の空 四章
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四章 再会の翼

 

 

 

 人は地を歩き、物を作る生き物だ。

 誕生から長い間、自分に与えられた仕事だけをしていた人間だが、やがて海を安全に航行する手段を確立させ、陸に続いて海までもその生きる領域とした。

 海を活動の場としながら、陸でも何の不自由もしない生き物は他にいないから、いよいよ人は唯一無二の特別な種となり、種族としての春を謳歌し始めて、どれだけの時間が経ったのだろう。

 そうした時間の中で、遂に空を飛ぶ翼をも得てしまった。お得意の発明ではなく、柔軟にして野性的な発想により、他の大型の飛行生物を使役することによって。

 昼間の青い空。夜の闇と星達の煌き。黄昏や暁の赤や白、オレンジと複雑な色に満ちた空。天上の芸術を知ってしまった人は、それまでの母体とも言えた地上を慈しむより、あまりに空を愛し過ぎて、ほとんど中毒のような症状にかかってしまった場合が圧倒的に多い。

 僕もアイリも、そうした一人だと言えた。

 神の作り出した人の次に偉大な芸術品の馬よりも飛竜を愛し、更に僕は荒々しくも美しい翼獣を知ってしまった。鳥であり獣であり、動物であって異形でもあるこの生き物は、優雅な空の旅を提供してくれることについて、他に比類するものは絶対にない。だからこそ、観光のために騎乗するのには都合が良い訳で、ましてや気ままな飛行をするのならば、最上の生き物だった。

「……脱走、という話だったんだけどな」

 無事にリンジーさんへの情報提供を済ませた後、僕は友人(彼も輸送部隊の仲間で、しかも多くの飛竜を有しているので、今頃はきっと軍人が護衛に派遣されていることだろう)から手紙の返事を速達でもらった。それによると、なんとレッグはいきなりいなくなってしまったのだという。前にも一度あったのだが、その時はいつの間にかに戻っていたのに、今回は中々戻る様子がない。完全に野生に帰ってしまったのだろうと予想され、彼はしつこいぐらい謝罪の言葉を連ねてくれた。

 少なからず残念ではあるけれど、レッグ自身が人の手を離れることを望んだのなら、それは仕方がない。乗り物としての生活から解放してあげるのも、彼女にとって出来る償いの一つだ、と諦めていたのに、それから二日後、何事もなかったかのように彼女は街の入り口に降り立ち、ちょっとした騒ぎを呼んだ。

 街にはリンジーさんが用意してくれた、僕や郵便局が保有する飛竜の護衛の兵士がいるので、これはきっと僕のものだ、と気付いた彼等は家まで知らせに来てくれた。それから彼等は、野次馬を押さえ込んだりと大変な本来の任務外のことをしてくれている。本当にお疲れ様としか言いようがない。

「わー、本当にレッグだね。怪我とか、ないよね?」

「うん、大丈夫みたいだ。一人でここまで来れたなんて、偉いな、お前は」

 頭を撫で、喉を撫でてやる。久し振りの黄金の羽毛の肌触りは極上で、改めて惚れ直してしまうようだ。

 しかし、こうして自力で僕の住む街を探して来れるだなんて、本当に不思議なことだ。だけど、翼獣は飛竜に比べると鼻がよく、地を歩きながら僕の匂いを辿って来たのであれば、あるいはそういうことも可能かもしれない。ただ、かなり日は経っているし、本当にそんなことが出来るのかと考えればちょっと微妙だ。

 疑問は残るけど、ともかくこうして僕のところに戻って来てくれて良かった。後で平謝りしていた彼に手紙を出しておかないと。

「ともかく、これで飛べるね。アイリ、早速行こうか」

「うん!レッグに乗るの、久し振りだなー。楽しみ」

 日に日にアイリは元気を取り戻して、今ではほとんど以前と同じ調子になっていたけど、最後の一押しはやっぱり、空を飛ぶことだ。空の魅力に取り付かれた人に付ける薬はこれしかない。

 ともかく、大きな翼獣をこのまま衆目に晒している訳にもいかない。兵士達には、とりあえず郵便局の小屋を使わせてもらう、と伝えて手綱もそのままな彼女を引っ張っていく。人の付けたこれ等の「拘束具」を付けたままということは、明確な意思を持って僕のところに来てくれたのだろう。人ではない彼女と言葉のやりとりは出来ないけど、心が通じ合っているという気がして嬉しい。僕は決して、特別優れた主人ではないのだろうけども。

 小屋の前まで来て、さて、と悩んでしまった。やはり小屋を借りる以上、きちんと許可は取らなければならない。だけど、この翼獣は配達に使う訳ではないし、そもそもアイリは休業中の身だ。あまりにも厚かましいお願いなので、さすがにためらってしまう。

 結果、ここまで一人で飛んで来れるほど知能が高く、僕を好いてくれているレッグを信用して、何にも繋がずに街の外で待機していてもらうことにした。もしもこれで逃げられたりしたら、僕はその程度の飼い主だったということだ。諦めも付く。

「待っていてね。すぐに準備して、思い切り空を飛ばせてやるから」

 当初の予定通り、一度飛んだら最後、数日は戻らないつもりだ。保存食の準備をして、全財産を手に持っておく必要がある。

 とはいえ、大荷物を抱えてのアクロバット飛行なんて考えたくはないし、そんなことをしたら荷物の口が開いて、全部下に落ちてしまうのは必至だ。身に付けられるだけの荷物に留めておいて、後はお金を対価に旅先で買っていくしかない。もちろん、何者にも襲われないのが一番良いのだけど、まさか自分は賊に襲われたりはしないだろう、という神話は先の事件で既に崩壊している。

「よしっと、これで良いかな。久し振りの空だから、ちょっと緊張しちゃうなー」

 アイリは長袖の服に着替え、丈夫な乗馬用のズボンをはいた。空路は陸の悪路よりずっと揺れが少ないけど、あまり薄手のものではやっぱり破れてしまう。夏とはいえ半袖が推奨されないのは、今更説明をするまでもない。

 僕もいつもの上着を羽織って、部隊の制帽も荷物に入れておいた。上空の空気は冷たくても、日差しは逆に強くなる。なんらかの対策は欲しいところだ。

「あっ、帽子だね。うーん、これ、落ちないかな」

「どうだろう。あんまり風が強いと怪しそうだけど、気を付ければ大丈夫かな」

 アイリの新しい帽子は、結局こっちの街で選ぶことになった。彼女の好きなボーイッシュなもので、深さがあまりないので、強い風にさらされるのは具合が悪いだろう。ただ、薄い水色のそれは彼女にすごく似合っていると思う。

「じゃあ、風が吹いてきたら押さえてようかな。そしたら不安定になっちゃうから、フレドの体を掴ませてもらうね」

「う、うん。それでもいいよ」

 飛竜や翼獣の背の上で体が触れ合うのは自然なことだ。ただ、特別な理由がなければアイリほどに熟練した飛竜乗りであれば、何かに掴まらずとも、足の力と上体のバランスだけで体を安定させることは出来る。なので、彼女と一緒の空の旅の中で体を密着させることはそうなかった。……今、このタイミングでそんな経験をすることになるかもしれない、と考えると妙にドキドキする。

 アイリが顔には出さないけど弱っていて、国の情勢としても不安定な今の時期だからこそ、僕本来の思惑を外れた何かが起きてしまいそうだからだ。

「なんか、新婚旅行みたいだね、これって」

 仕上げに貴重品の入った引き出しを開け、お守り代わりにしているのだろうか。二つの品に黙礼をしたアイリが、ふと呟いた。

「そう……かもね。結婚する前に済ませてしまう人もいるって聞いたけど」

「婚前旅行、ってやつだね。色々とバタバタしちゃうだろうし、そういうことにしちゃって良いんじゃない?きちんとお休みが取れるかわからないしね」

 あまりにも気が早過ぎる気もするけど、今日から始まる行く先も決めていない旅は、一生の思い出に残るものになるような気がしていた。それならば、一生に一度の旅行として申し分ないだろう。

「じゃあ、そうしようか。――よし、出よう」

 飛竜乗りの計測員の尽力により、信ぴょう性が非常に高い地図は出来上がっていて、それはある程度は僕の頭に入っている。行く宛がないとはいえ、どのコースをどれぐらい飛び、この街に戻って来るのかの計算はあった。少なくとも僕の目を介して見る空の世界には、おぼろげながらも航路が出来上がっている。

 そんな皮算用のコースが大きく書き換えられることとなったのは、ドアを開き、外に出る。その時だった。

「あっ」

 間抜けな声と共に、ドアの前で立ちすくんでしまう。ぶつかるまいと、後ろでアイリが急に立ち止まったのがわかった。

「どうしたの?」

「いや……」

 家の目の前にいて、睨むように僕を見る男性がいた。いや、少年と呼んでも良いのかもしれない。まだ年若い海兵だ。茶色の短髪の彼はゆっくりと僕の方へと歩いて来る。

 明らかに不味い状況だった。彼等はリンジーさんの指示によって配備された、街の飛竜、そして僕の護衛の兵士だ。そして、僕達は今から再び空へと舞い戻ろうとしている。この物騒な時期に、彼等が空を行こうとする人間を見過ごすだろうか?しかも、それはどこかの見知らぬ誰かではなく、護衛の対象である僕なのだ。更に言えば、レッグがいきなりやって来たことについては、街の大半の人が既に知っている。兵士ならば尚更だろう。それに乗って行こうとしていることぐらい、簡単に思い当たることだ。

「フレドさん」

 海兵は優しく。しかし、たしなめるように言った。海の男であり、軍隊の一員でもある彼等は、決して粗暴な言葉遣いはせず、初めから威圧的な話し方もしない。ただ、言外に圧力をかけるだけだ。

「買い物に出るだけです」

 適当な出まかせを言うにしても、まだ言いようはあっただろう。この発言を受けた海兵がどう返すか、ある程度の予想は出来たはずなのだから。

「同行させてもらっても?」

 まさか断る訳にもいかないだろう。普通ならば。

「アイリ、行こう」

 日常的に使うような言葉は、しかし、国家の保有する武力に対する反抗の声明だった。

 細く華奢なアイリの手を取って、走り出す。アイリが捕まらないかは賭けだったが、僕は二分の一の賭けに勝利することが出来た。兵士は僕が人の多い大通りの方へと向かい、人ごみの中に紛れようとすると考えたのだろう。対する僕は、人のまるでいない住宅街をまっすぐ突っ切り、街の外に出ることを急いだ。

 初動の遅れた兵士は、すぐに体勢を立て直すと追跡を開始する。僕はともかく、アイリはすぐに立ち止まってしまうだろう。それに、思い切り走るのは僕の古傷を痛ませる行動でもある。すぐに腰が血を滲ませるような痛みを訴え始める。これでは体力自慢の兵士の捕捉を免れることなど、絶対にありえない。僕達が自分の力だけで逃げようとするならば。

「レッグ!」

 さすがに僕の声は届かないだろうけど叫び、上着のポケットから小さな笛を取り出して口にくわえる。本来、飛竜乗りには、笛の音を聴かせて騎竜を操るという習慣はない。なぜならば、竜騎兵ならば滅多に騎竜を降りることはないし、輸送部隊は必ず目の届く場所に騎竜を泊めている。僕がレッグに笛の音を覚えさせていたのは、戦後だからこそやろうと思ったことの成果だ。特にサルビアの街は全体的に道幅が広かったため、どこにでも彼女を呼ぶことが出来たという事情もある。

 笛はかなり高い音色の遠くまで届きやすいものを使っているが、厚い市壁を隔てた状況でレッグが聞き取ってくれるかは微妙であり、一つの賭けだった。でも、こうするしかないし、彼女を信じたかった。

「待ってください!」

 お決まりのような台詞を言いながら、必死に兵士も追ってくる。すぐ後ろから聞こえて来たことから察するに、もうアイリに手が届く距離だろう。それが出来ないのは、女性に手荒なことは出来ないからか?

 紳士的な兵士の優しさに感謝しようとしたが、すぐに耳へと飛び込んで来たたくましい翼の音に、見ず知らずの他人への感謝の気持ちは薄れてしまった。

「アイリ!しっかり掴まってて」

 まもなく、黄金の聖獣がやって来る。上空から影が落とされた瞬間、僕はアイリを抱きかかえ、そのまま降下して来たレッグの背に、投げ捨てるようにして乗せた。すぐに体勢を立て直したアイリは、僕を乗せようと手を伸ばしてくれる。だが、それは兵士が僕の腕を掴むのと同時だった。

「ごめんなさい。一週間の内には戻ります。説教はその後で聞きますから」

 レッグがあくまでゆっくりと突っ込み、兵士を一撃で跳ね飛ばす。船の上で揺られるのに慣れている海兵だから、きちんと受け身を取ることは出来ただろう。そう信じて僕はさらわれるようにしてレッグの足に掴まり、必死に這い上がって彼女の背に飛び乗った。

 建物にぶつからないように、自分の判断でレッグは上空へと舞い上がっていく。ほんの少しの間だったけど、彼女の傍を離れて改めて気付かされた。きっと彼女達翼獣は、きちんと友好関係さえ結んでいれば、手綱なんてものは必要ない。乗り手が何か指示をする必要はなくて、その心を感じ取って空を飛んでくれる。今が正にそうだし、今朝、彼女がこの街にやって来たことだって、何か伝わるものがあったからなのだろう。

 ことによると、伝説によってのみ伝えられる「魔法」の技術を、聖獣は身に付けていて、それを駆使して人とのコミュニケーションを取っているのかもしれない。突拍子もないことだけど、今日起きた一連の出来事を考えてみれば、それは十二分に考えられる話だと感じられた。

「上手くいったね。正に愛の逃避行、いいねー。ロマンだねー」

「もう、アイリは呑気だなぁ。……今度はもう、街に入れないかもしれないよ。間違いなくこのことはリンジーさんにも伝えられるし、きっとその上官にだって。そうしたら、僕は海軍中尉の婚約者から一転、軍全体のお尋ね者だ。……はぁ」

 頭が重くなり、更に痛くなって来る。よりにもよって、こんな旅立ち方になってしまうなんて。

「まあまあ。今、帰ってからのことを嘆いても仕方ないよ。それよりさ、久し振りの空なんだから楽しもう?」

「まぁね、そのつもりだよ。こうなったらヤケだ、まずは思い切り飛ばそう!」

「りょーかーい。レッグ、飛ばしてね」

 空中で無理なく大人二人が位置関係を入れ替えられるほど、翼獣の背中は広く出来ていない。その関係から、手綱を握るのはアイリとなっている。それでもレッグは彼女によく慣れているし、頭が良いから誰に手綱を握られているのかなんて関係なく、自分がよいと思う通りの飛行をしてくれるだろう。実際、アイリが軽く手綱を引く合図だけで、空を打つ翼の力強さは一気に増した。

 まもなく飛行速度はぐんぐんと増して行き、後ろに座る者――偵察員の役目として眼下の景色を見ても、それがすさまじい速度で流れて行くのがわかる。アイリは右手で手綱を持ちながら、左手で帽子を押さえていて、実際、そうしなければ風に帽子がさらわれるほどの勢いだ。風がアイリの黒髪を激しく揺らし、僕の体から上着を剥ぎ飛ばそうとするほどの力で烈風が駆け抜けていく。自分自身が風になったかのようなこの爽快感は、飛竜乗りだけの特権だ。将軍でも、王様でも味わうことは出来ない。

「気持ちいいね!あたし、こうやって飛ばすのが一番好きなの!」

「そうだね!……僕もだよ!」

 ここまで速度を出していると、声も瞬く間に流れてしまう。出来るだけ大声を出して、なんとか伝わるほどだ。ちなみに、新米の飛竜乗りは、操縦だけで手一杯なので声が小さくなりがちで、空中で雑談を楽しむことすら出来なかった。……アイリは飛竜に乗り始めた当初から、平気で大声でお喋り出来ていたのだけど。

「もう、ダードリーは見えないね。もう追っては来れないだろうし、ゆっくりにしよう!」

「はーい!」

 手綱を緩めると共に、翼の運動速度も落ちて行く。実は飛竜にとっての減速というのは鬼門で、かなり前もって命令をしなければ、指定の地点にぴったりと降りることは出来ない。その主な理由としては、飛竜の翼というものは意外に空を飛ぶのに都合の悪い作りでホバリング――空中での静止をすることがとても難しい。自分の体を浮かし続けるのが難しいということは、実は彼等はほとんど滑空のようにして飛んでいるということで、自分の翼だけでは中々速度を落とせないのだ。

 その点、鳥の翼と全く同種の翼を持つ翼獣は、速度調節が得意で、打からこそ飛行を楽しむのに最適だ。今も、景色の移り変わりは緩やかになり、もう声を張り上げなくても安心なほどになった。

「あたし達、不良さんだね」

 他人事のように笑いながら言う。僕ももう、笑っているしかない。

「今だから言うけどさ。僕、実はこういうのに憧れてたんだよね」

「あははっ、フレドが?」

「笑わないでよ。僕にも一応、悩みぐらいはあったんだから。疑問なく戦争に加担していて良いのか、何度も本気で悩んだ。でも、出会う軍人はその多くが感謝してくれて、褒められて、その内に僕はなんとなく正しいことをしている気になってた。――正に子どもの心理だよね。ご褒美のお菓子があるからこそ、家のお手伝いをする。そこにはお母さんの家事を楽にさせてあげよう、みたいな褒められるべき考えはないんだ」

 三年の月日が経った今、ようやく冷静になり、先の戦争の批判をする者が出て来ている。では、今正に戦っている時はどうかと言えば、戦勝ムードの中で人々は大いに熱狂し、わが軍の勝利を喜び、その先には素晴らしい未来があると信じて疑わなかった。なんとも単純で、ある意味で良い時代だったのだろう。兵士以外にしてみれば。

 ――前に僕は、先の戦争は民衆にとって、スポーツ感覚でしかなかったと考えた。当時の人々を皮肉ったつもりの言葉だったけど、あれには多分に自己批判も含まれている。僕が正に生業としていたのは、“駒”のような兵士に物理的にも、精神的にも慰めを与えることだった。正にスポーツとしての戦争を煽っているような人間で、葛藤はあってしかるべきだったのに、僕はその悩みを捨てていた。

「フレド」

「ごめん、すぐ暗いことを考えてしまうね。でも、なんだかすっきりした気分だよ、今は。こうやって権力とか、規律とかを蹴り飛ばすのって、楽しいものだね」

 仮に僕一人が部隊をやめる、あるいは届けるべき物資を海上に捨ててしまったとしても、大きくは世の中の流れは変わらなかっただろう。下手をしたら処罰を受け、意味もなく犬死にをしていたかもしれない。

 つまり、戦争の中に生きている限りは、僕には反抗をすることの自由も、また、そうすることの意味もなかった。それが今、終戦を迎えてみると、僕は自己責任で賊が狙っているかもしれない空に飛び出し、当面の間は軍からの折檻からも逃れることが出来ている。加えて僕は絶賛、無職の身だ。アイリの恋人であるということ以外に、一切のしがらみはない。

「今の僕は、本当に自由なんだな」

「あたしがいっぱいわがまま言っちゃうけどねー」

「そんなの、不自由の内に入らないよ。君のために時間やお金を使うのは、欠片も嫌なことじゃないんだから」

「むっ、でも、前も言ったよね。あたし、何もフレドにお金を使ってもらいたくて彼女してるんじゃないよ。そんな尻軽じゃないもん!」

「は、はい。わかりました」

 こうなってしまったら、僕は言われるがままでいないといけない。でも、彼女が言おうとしていることが全くわからないほど、僕はニブい奴じゃないはずだ。……いや、以前は確かに朴念仁で、今でもそれからの脱却は完全に出来ているとは思わないけども、日々着実に鍛えられている。

「アイリと時間を。いや、人生を、かな。――うん、人生をシェアする。それは幸せではあっても、苦じゃないよ。君に支配されてしまう、ということはね」

 前にアイリも、手紙に似たようなことを書いていた。きっと誰かの愛の詩の引用なんだろうけど、人生のシェア。それこそが男女が結ばれるということなのだと。

 普段はロマンチックな情緒なんて持ち合わせていない僕だけど、既にアイリと長く付き合っていた僕には、その言葉の意味がわからないでもなかった。距離を感じていないとはいえ、遠距離恋愛の中。二人が真に信頼し合っていてこそ、存続する関係なのだと思っていた。それはつまり生き様が一繋ぎになっている、ということなのだろう。中々に胸を打つ一文だった。

「う、うはーっ……。言うねぇ、フレド」

「ちょっと、キザ過ぎた?でも、前にアイリも言ってたことだよ」

「い、言ってないよっ。書いただけっ」

「でも、嘘は書かないよね」

「……今日のフレドは、ちょっと普通じゃないよ。このあたし、アイリちゃんともあろうものが、ちょっと押されてるじゃないですか」

 顔中を赤くしていることが、染まった耳からも容易に想像することが出来る。

 確かに、今日の僕は少し気が大きくなっているのかもしれない。兵士に追われるという、なんとなくかつてを思い出される事態の後だから、興奮をしているんだろう。もう一つの理由は、まだアイリが本調子じゃないことか。いつものアイリなら、もっとパワフルに。そして意外なほどに詩的に理知的に、攻められたらやり返してくれるのに。

「さて、進路はアイリに任せるよ。一度降りて交代しても良いけど、久し振りにレッグを乗り回してみたいんじゃない?」

「いいの?フレドがそうさせてくれるなら、喜んでそうさせてもらうよ」

「一応、計画がなかった訳ではないんだけどね。まず、街から西に向かうつもりだったのだけど、まず出鼻をくじかれちゃったし、なんとなく縁起が悪いからなし。アイリの好きなように飛べば、きっとそこが僕にとっても行きたいところだろうから」

「う、うへぇ、なんか今日のフレド、やっぱりいつもと違うよ。でも、そういうのもいいな。このまま南に行って、お父さんお母さんに紹介しよっかな」

「そうか、南東は牧草地だったね。アイリの実家もその辺りにあるんだ」

 先の戦争の主戦場は敵国であり、僕も何度かそこまで踏み込んで飛び回ったことはある。だけど、それ以上に僕は東、および西の臨海部へと海軍の物資輸送、それから陸軍に関しては本土防衛のための基地、倉庫への輸送を主に行っていた。その中で空から、一面の蒼い草の原を見ることがあったことを記憶している。

 陸軍が陣を敷いていたのは言うまでもなく首都、および副首都であるダードリーで、この二点の防衛戦はその数自体は少なかった――つまり、前線の優秀な部隊が足止めをしてくれたのだが、確か合計で三度、強襲を受けたことがあり、そのいずれもが両軍に大きな被害を出す大戦となった。

 それによってどちらの都も傷付き、一部の民間人は戦争を生のものとして知ることになったのだが、逆に国防のための要所とされる地点以外は、敵軍の攻撃目標にもされなかった。南東の言ってしまえば「田舎」は、戦争が起きているということすら、まるで実感を覚えはしなかっただろう。

「のどかなところなんだろうね。……行ってみたいな」

 貧しくても街暮らしだった僕には、少し農村暮らしが羨ましい。農作業の過酷さと、街の人間からの差別の深刻さも頭ではわかっているのだけど、僕自身が特に人を差別する考えを持たないので、その辺りを楽観視しがちなのだろう。

「いいよー。本当に紹介してもいい?――だって、結婚、するでしょ?」

「アイリは、その話ばっかりだね。逆にさ、ここまでしておいて結婚しないほど、僕が意気地なしか、酷い男に思える?」

「酷くはないけど、意気地なしはどうかなー。だってさ、このままあたしをさらって、帰らなくてもいいんじゃないかなー。その方が男としてカッコイイと思うよー」

「無計画な飛行は、飛竜乗りの命を危険にさらすだけだよ。色々な話も聞く中で学んだ、僕の人生哲学かな」

「フレドは無難な人生送ってるなぁ。あたしがしっかり、ぐちゃぐちゃにしてあげないとね!」

 その言葉を体現するように、アイリは急旋回の指示を出す。九十度の方向転換が行われ、眼下の世界も少しだけその様相を変えたようだった。

 南に進む場合、首都近辺以外に大きな街は存在しない。貿易である程度の収入を得ているちょっとした町と、残りは大小の農村、それから臨海部には漁村があるだけだ。 そして、その格差を狭めさせまいとするように、街道の整備は不十分で、馬車による商品の輸送をする行商人は、この悪路を嫌う。通商の機会は減り、町々は決して都市に成長することはなく、首都の圧倒的な財力が保たれる、という仕組みだろう。結局、この態勢が戦争によって変化したとは聞かない。

「僕は、変化が少ない日々でもそんなに問題ないんだけどなぁ」

 残念ながら、アイリがそれを許してはくれない。だからこそ、彼女との日々はエキサイトで、決して飽きることがないのだろう。さすがに、最近は少し事件が起き過ぎているけども。

「でも、自分から動いて何かを起こさないと、人生損かなぁ、ってあたし思うよ。長生き出来て七十年かそこらなんだし、どうせ同じ時間を生きるなら、若い内にやれることやらないと。で、お婆ちゃんになってから、孫に色々とお話してあげるの。中々いいプランでしょ」

「いいね。アイリにはそれが似合っているし、きっと出来るよ。僕はきっと、終戦と共に老後みたいな気でいるんだろうな。思い出話はいくらでもあるし、足りないのはそれを語って聞かせる相手だけだ。……あっ、もちろん、自分より小さな相手、だけど」

「たった数年の経験だけで、人生がほとんど終わったー、なんて考えていいの?あたしだったら、体が動く内は何にでも挑戦したいけどなー」

 本当に、僕は彼女にバイタリティーではまるで敵わない。女性の中でも小柄で、その見た目だけなら非活動的で、とてもお淑やかそうに見えるのに、不思議なものだ。僕が一番わからない人は、一番身近にいる彼女なのかもしれないな、とそんな風に考えてしまうほどに。

「アイリがそうするなら、僕一人がご隠居さんでいる訳にもいかないよ。まだまだ健康なんだし、一緒に……。アイリ、ちょっと止めて。下に何か……」

 飛竜乗りとは、勘が鋭くなるものだと思う。編隊を組んでいたとしても、操縦と索敵を一人でこなし、自分の飛竜を被弾から守らなければならない。偵察員が同乗することもあったけど、輸送部隊員は例外だった。やがて視覚だけではなく、第六感のようなものも鍛えられ、不吉な予感というものは感じられた。

 つまり、今がそうだ。なんとなく地上から嫌な予感がした。敵襲かといえば、そうではない。非戦時の今となっては、それ以上に不吉な出来事が待っている、そんな気がする。

「白い服、かな。……海軍?」

「さすがの視力だね。僕にも、そう見える」

 今の飛行高度は、ほとんどダードリーの街の市壁と同じだ。飛び立った時から上げても下げてもいない。地上にいるのが人であることはわかっても、何者かを特定するのは難しいので、ゆっくりと下降していく。もちろん、これも相手が賊であれば危険なことだけど、アイリはあえてこの緩やかな降下を選んだ。相手がどうやら動いている様子がないので、負傷兵か、さもなくば……という可能性がある。不必要な恐怖を与えないよう、その意識があるならば徐々に大きくなる影で僕達のことがわかるようにしたのだろう。

 地上近くになり、完全にその人の姿が確認出来た。白い軍服はリンジーさんが着ていたものとおおよそ変わらない。いくらか地味なのは、兵士か下士官だからだろう。ついでに言えば、夏に適した通気性の良いグリーンの防暑服ではないことから、彼が戦闘態勢にあったことがわかる。そして周囲には、大小の血溜まりがあった。その内のいくつかは東へと伸びて行っている。ここで負傷した何者かが逃げ去った跡だろう。

「フレド……」

 空中にも関わらずアイリが手綱を離し、僕の方を振り向く。僕は黙ってその手を握って、レッグが完全に着陸するのを確認してから飛び降りた。

「大丈夫ですか。……聞こえますか!」

 白い服には付いた血の赤は、嫌というほどよく目立つ。倒れている人の服の血は、その多くが返り血であることがわかるけど、問題はうつ伏せに倒れた彼の腹部に、どう考えても彼の体から流れ出てたであろう血溜まりがあるということだ。素人目で見ても、かなりの重症だとわかる。彼の意識を覚醒させるために体を揺さぶるのは、どうもその傷を悪化させることに繋がるとしか思えない。

 だからといって、わずかな望みを頼って大声を張り上げて呼び続けても、深く沈み込んで行った彼の意識が戻るはずもなかった。仕方なく、怯えて真っ青になっているアイリには酷だけど助けを借り、ゆっくりとその体をひっくり返した。アイリには足の方を持ってもらって、絶対に胴体は見ないように注意している。

「アイリ、あっちを向いてて」

「うん……。どう?酷い?」

「どう、だろう……」

 僕が前線で戦う兵士だったなら、怪我の深い浅いや、その応急処置の心得もあったのだろうけど、基本的に落ちて死ぬか、無事に帰って来るかの二択しかない飛竜乗り。それも戦地に深く関わることはしない立場にいたので、怪我人を見た経験自体が不足している。

 それでも、一般常識的から推察するに、彼は今にも亡くなってしまうというほどの傷ではないように見えた。簡単に言えば、腹部に刀傷を受け、そこから血と、いくらかの中身が零れ落ちている。悲惨な傷なのは確かだけど、他に外傷はなく、傷さえ塞ぐことが出来れば助かりそうではあった。幸いなことに、刀傷とはいっても突き刺されたのではなく、比較的浅く切り裂かれただけだ。出血も冷静に見れば、死に至るほどのものではない。

「何か応急処置の出来るものがあれば、近くの……いや、小さな町や村じゃ医者がいないか。全力でダードリーに戻るとして、半時間もかからないはずだから――なんとかなりはすると思う。思いたい」

「な、何があれば手当て出来るの?」

「布……かな。出来るだけ清潔なものが良いと思う。多分、雑菌が入るから服を使ったりするのは駄目だ。気休めかもしれないけど、出来るだけ奇麗なものを使いたい」

 とはいえ、包帯か何かを僕達が持ち合わせているはずもない。本当に必要最低限の荷物だったから、途中怪我でもしたら、治療用品を現地でお金で買うつもりだった。だけど、近くの村を探してそこで治療用品を買い、そこで応急手当をして都に引き返す……だと、どう考えても時間がかかり過ぎだ。時間が経てば経つほど怪我人は衰弱し、治るはずの怪我でも命を落とすことになるのはよく知られている。

「仕方がない、よね……。これ、大丈夫?洗ったばっかりの服なんだけど。外側はカバンに詰め込んでたから汚れてるかもだけど、裏返せば少しはマシと思う」

 アイリが怖々と後ろを振り返りながら僕に手渡しのは、真っ白なスカート……いや、ワンピースだ。リンジーさんと別れた日、僕が彼女にプレゼントしたものだと一目見てわかった。旅の着替えとして、用意していたのか。

「良いの?」

「目の前の人がそれで助かるのなら。フレドにはまだまだいっぱいプレゼントしてもらうつもりだし、惜しくはないよ」

「そっか。……ここまでするんだから、助かってくださいよ」

 見よう見まねで腹部をしばると、一瞬にして白い布が汚れていく。白い服を部分的に赤くした兵士の姿は不気味に見えて、既に死者の世界に逝ってしまっているように思えた。慌てて脈を確認すると、意外なほどしっかりとしていて安心する。

「急ごう。またアイリが前に乗って」

「う、うん」

 血まみれの怪我人を彼女に任せるのは忍びなく思えた。レッグを操ることにより長けているのは僕だけど、ひたすらに飛ばすだけならアイリの方が得意かもしれないし。

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 ほとんど馬のような体格の翼獣の背中に、人間を一人寝かせるのは難しいことだ。

 馬より少しは背中が広いし、強風さえなければ陸路よりずっと安定しているので、落としてしまうようなことはないけど、中々いい体勢で固定することが出来ない。

 加えて言うならば、まだ新人なのだろうか。この十代であろう海兵は若さの割りには高い身長を持っていて、どう寝かせても体を余してしまう。結果、僕がずっとその足と腕を持っていることになってしまい、中々心が休まることはなかった。怪我人に触れていると、それだけで僕の気力も削がれてしまうようだ。

 彼は本当に助かるだろうか。もしも亡くならせてしまえば、その罪を問われはしないだろうけど、遺族にどう接すれば良いのか。それから、脱走した都に引き返した僕は、どうなるのか。

 最後のは個人的なことだったけど、僕にしてみれば中々に重大な問題で、これからの生活にも大きく影響して来る。かと言って、小さな町の、決してヤブとは言わないけど、戦傷者を見たことのないような医者にこの人の命を託す訳にもいかない。

 とにかく、彼の無事を願いながらも、数々の不安に内心では冷や汗をかきながら飛び、もうまもなく古都がその姿を見せる距離にまで迫った。その時、僕のものでも、ましてやアイリのものでもない唸り声がして、兵士が意識を取り戻したことに気付いた。

「うっ、あっ……ここは」

「気が付かれましたか。ここは翼獣の背の上です。危険ですし、怪我にも響きますから、動かないでください」

「翼獣……。僕は、あなたに助けられて?」

「はい。まもなく医者のところに着きます。もう少しの辛抱ですから、どうか気を確かに持ってください」

 遭難者が救助される直前になって力尽きた、という話はよく聞いた。今はとにかくこの人に生き残ってもらうため、腕を固定する手の力も強めた。

「助かったのは、僕だけですか……?他の仲間は……」

「いえ、あの場所に倒れていたのはあなただけでしたよ。他の人は誰もいませんでした。あなた方を襲った敵すらも」

「そう、ですか。海軍の者が後二人と、名前や階級は知りませんでしたが、陸軍の下士官らしき方と、その部下の一名がいたはずです。……この程度の怪我で気を失ってしまうとは、全く不覚でした。しばらく戦闘を離れていたとはいえ、誇りある海軍の名折れです」

 兵士は本当に悔しそうに歯噛みすると、再び意識が朦朧として来たのだろう。その後も何かを言ったようだったが、呂律が回っていないので聞き取れなかった。

 僕は軍人ならば上から下まで色々と会って来たけど、海兵の多くは彼のようにその誇りを何かにつけて口にしていた印象がある。やはり、海軍に入るのが最も厳しかったという事情が関係しているのだろう。そのため、新兵であってもエリート思考が強く、士官学校を出たばかりの新米士官は、必要以上に部下をいびったという。

 個人的にいえば、誇りがあるということは決して悪いことではないと思う。自分しか頼れない戦場で、すがり付くべきものがあるのは大いに心の助けになるし、自らの仕事と立場に誇りを持っていれば、間違ったことをすることもないだろう。

 ただ、同時にそういうものがあるのは窮屈なんだろうな、と少しだけ同情に近い……憐憫のような気持ちもあった。

「フレド、病院のある通りは道幅があるし、直接降りられそうだから、直行するよ」

「うん、お願い。今の感じだと、余裕はありそうだけど、なるべく早く楽にしてあげたい」

 兵士と話している内に翼獣は、街の上空にまで来ていた。そこからやはり緩降下で街中へと下り立つ。周りはきちんと確認しているけど、万が一、人や物を下敷きにしてしまったら大変だ。

「……アイリ。あの場所は覚えているよね」

「う、うん。大体は」

「じゃあ、彼を運んだらまたあそこに向かおう。……街の兵士に捕まっても、無理やりにでもまた空に出るから、そのつもりでいて」

「この人の仲間を、探すんだね」

「今、喜んで空を飛んでいくようなもの好きは僕達以外にいないからね。けどもう、婚前旅行じゃなくなっちゃったな」

「いいよ。別にそんなのじゃなくても」

 アイリならそう言ってくれると思っていた。頷きを返し、海兵を肩に背負って、なんとか病院にまで連れて行くことが出来た。そこまで重さを感じなかったのは、うっすらとでも意識が残っていたからだろう。医者の見立てでも、十二分に治る怪我だったようだ。……応急手当の甲斐もあって。

 病院を出ると、やはり騒ぎを聞き付けた兵士。それもなんとも気まずいことに、出発の際に吹き飛ばしてしまった人が詰めかけていた。ああ、なんとも顔を合わせづらい。

「逃げられてしまった時はどうしようかと思いましたが、まさかこうして帰って来てくださるとは」

 どうせ嫌みを言うなら、もっと気の利いた文句がよかったな。たとえばアイリなら、「そんなに西風(僕達は東に逃げたので、その向かい風だ)は使ったですか?」とでも言ってくれたはずだ。いや、これもそこまで上手い言葉じゃないか。

「事情はご存知かと思いますが、ここから南東のある場所で、海軍兵三名、陸軍兵二名が、賊と交戦し、逃げた相手を追撃したのか、その内の四名が姿を消しています。現場にはいくつも血溜まりがあったので、どちら負傷をしているはず……。彼等を救うために、再び飛んでも良いですよね」

 人命がかかっている以上、簡単に許可は出ると僕は確信していた節がある。それだけに、次の返す言葉は呆気に取られるものだった。

「そういう訳にはいきません。賊が現れたのであれば、空を行くことこそ避けるべきです。我々が独自に陸路で調査をしますから、あなた方はどうか自宅でお待ちください」

「陸路では遅過ぎます!僕なら、一時間もあれば追い付けることでしょう。僕のような戦えない者が行くのが不安ならば、あなた方を乗せて行くことも出来ます。対空砲火の回避が難しいというリスクは高まりますが、既に一往復を無事に出来ているので、少なくともここからあの地点までは安全でしょう」

「あなたは民間の、しかも翼獣を用いることを職業としている訳でもない、本当にただの一般人です。軍への過度の干渉は、法にも抵触することになります」

 僕は可能な限り、軍を擁護する立場に回りたい。だけど、この言葉に関しては、悲しいながら否定的な受け取り方を禁じえない政治的な理由があるのだと、軍に関わっていたからこそわかってしまった。

 つまるところ、メンツの問題だ。先に僕が思った通り、海軍は特にエリート意識が強く、自分達の尊厳が傷付けられることを嫌う。よって、ここでもしも僕が海軍の一員の救出に成功してしまえば、彼等は自らの仲間すら自分達で守ることの出来ない組織だ、と酷評されることになってしまうと考えている。そして、それを全力で阻止したい。

 そもそも僕のレッグは、空軍より引き取ったものだ。結果的に僕は空軍の延長線上にいる人間な訳で、僕が海兵を助けることは海軍の尊厳を傷付けるだけではなく、反対に空軍の有能さを明らかにすることでもある。何度も重ねるが、海軍は自分が一番でなければならないと考える。空軍のような新参者や、陸軍のような「海軍に入れなかった落ちこぼれ」に手柄が渡ることを何よりも嫌っているのだった。

「……わかりました」

「それから、今回の飛行に関しては裁判にかけられる可能性も大いにあります。間違ってもこの街から出られることなど、考えられないように。罪の厳罰化は免れませんよ」

 返事はしないで、首を縦に振ることに務めた。

 アイリにもよくわかったことだろうけど、これが軍隊という組織の縮図だ。僕は本当に大佐のことを慕っていて、過去にこれほど信頼出来る人物がいただろうか。彼の元で働ける海兵は幸せだ、とすら考えた。また、リンジーさんに関しても素晴らしい人物と尊敬している。彼女は海軍が持つ何よりの財産だ、と思うほどに。

 でも、内側から見た時に目立つのは、それ等の美しいものよりも暗黒――あるいは漆黒の、人の欲望の世界だ。命をやりとりするためか彼等は、人が本来は内に秘めている動物的な欲望を外にさらけ出すことを、自然にやってのける。あまりにも日常的なことのため、それが他人に与える感想を考えることすらしないのだろう。

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「何あれ!信じられないんだけどっ」

 家に戻ると、アイリはいきなり大声を上げた。負傷兵の発見から彼女は、ずっと怯えているようだった。その反動が出たようで、彼女のやり場のない怒りは熾烈を極める。もしもアイリが男性だったなら、より口汚い罵り言葉も出て来ただろう。

「身内を助けるのに、より良い方法を取ることを自分から断るなんて。あんなので本当に国民を守れると考えてるの?あの一丁前のサーベルと、銃と、お艦は何のためにあるんだか!」

「アイリ」

「……あたし、初めて会った軍人がリンジーちゃんだったの。だから、緊張してたし、フレドのこともあってピリピリしてたけど、あの子は普通のいい子だと思った。でも、あんなの……!」

 最初に出会ったのが最良の軍人だったものだから、アイリのショックはさぞ大きいことだろう。しかも残念なことに、この街に配備された兵士は、彼女の指揮下か、あるいはそれに近しい部隊の者のはずだ。もっとも、中尉程度の階級の者が持つ影響力は、大きいようで小さい。部下が彼女の望む通りの行動を取ってくれないのは、十二分にあり得る話だ。

「ねぇ、フレド。まさか本当にこれで終わりなんて言わないよね?確かにあの人は助かっただろうけど、まだ傷付いて苦しんでる人がいるはずなのに……」

「もちろん。レッグはマークされてるだろうけど、この家のすぐにもう一頭、自由に飛ばせる飛竜はいるよね。彼の力を借りよう」

「そっか、マルスがいるよね!」

 瞬間的な速度ならば、赤飛竜に頼るのが一番だ。アイリの騎竜が輸送任務の主流派である黒飛竜ではなく、この快速の竜であったことは、急を要するこういう時に助かる。

 既にこの街に戻ってから、十分から二十分は時間が経過している。しかも家の前にはきちんと兵士が置かれていて、彼は捜索隊が街を出てからもこの場に居残り続けることだろう。堂々と家を出て、郵便局に併設された竜舎には行けない。

「アイリ、窓から外に出れるよね」

「んー、やったことないけど、頑張れるとは思う」

「じゃあ、頑張ろう」

 一部を除けばほっそりとした彼女なので、きっと上手くいくだろう。まずは僕が手早く木窓をすり抜け、アイリを受け止めるように腕を広げる。すぐにアイリはその腕の中に落ちて来て、相変わらず心配になるほどの軽さだった。

「なんかあたし達、いよいよ不良だね」

「毒を食らわば皿まで、だよ。一度軍に不信を買ったんだから、もう一、二度は良いよ。いざとなれば文字通り、高飛びをしてさ」

「あはは、今日のフレドは、珍しく積極的だよね」

「本当はもっと、消極的にいたいんだけどね。本当に」

 窓があるのは地理的に言えば東側で、通りには面していない。つまり、隣の家との狭い隙間に出る形となった。このまま路地を通って、兵士の目に入らないように遠回りすればマルスのところに辿り着ける。

 この辺りの道にはアイリの方が間違いなく詳しい。彼女に先頭を任せて、僕は周囲に気を配る役目を担当した。幸運なことに、僕のこの役目は成果を挙げず、問題なく小屋から飛竜を連れ出すことが出来た。

「今度は僕が前に……いや、アイリの方が良いか。久し振りのマルスとの空だもんね」

「ありがと。それにさ、急ぐんならあたしの方が都合いいよ」

「へぇ?」

「だって、お利口さんなフレドには、こんな飛ばし方出来ないでしょ!」

 僕が後ろに座ったことを確認した瞬間、力強い翼を持つ飛竜は信じられないほどの速度で地面から離れた。滝が流れ落ちる以上の速度で天へと昇り、翼は風を裂いて南東へと巨体が滑り始める。赤飛竜で速度を出すことにある程度慣れていた僕でも、こんな速さは初めてだ。思わずアイリの細い腰に手を回し、後ろへと引き剥がされそうになる体を、必死に飛竜の上に固定する。

「こんな飛ばし方、どこで覚えたのさ!?」

「自然とだよ!さすがに配達中にこんなの出来ないけど、帰る時とかさ!」

 アイリはきっとそう言ったのだろうけども、彼女の髪が乱舞するほどの速さなので、大声もすぐにかき消され、耳には風の音ばかりが聞こえる。口を開けばその中に空気の塊が突っ込んでくるので、それ以上は喋ることも諦めた。こんなに飛ばせば間違いなく竜は疲れてしまうけど、捜索する段に来たらゆっくり飛ばせば良い。直線を進むだけなら、とにかく速ければ問題はないだろう。

 やがて速度と高度が落とされる。目的の辺りにかなり近付いたので、後は地面にある血痕を辿って行くだけだ。気付けば、アイリは帽子を被ってはおらず、あの速度で飛んでいる内になくしてしまったのだろうか。それとも、家を出る時から被っていなかったのか、ちょっと覚えていない。

「アイリ、一度降りて交代しよう。もしかすると、僕等も襲われるかもしれない」

「……うん」

 素直に返事をしてくれたけど、アイリの顔は晴れなかった。彼女の身代わりになる気でいる僕を心配してくれているのがわかる。

 もしも僕がもう少しだけ配慮の出来る人間なら、ここで彼女の不安を和らげることも言えただろう。だけど僕はこの状況にあって、とてもではないけど気を回すことなんて出来なかった。

「僕が倒れるようなことがあったら、すぐにダードリーまで引き返して」

 武装なんてしていないので、応戦することは出来ない。僕が出来るのは逃げることだけだ。それでももし負傷をするようなら、アイリには僕を蹴落としてでも逃れて欲しい、そういう意味も込めたのだけど、アイリに言うには非情過ぎたことだろう。彼女は更に怯えてしまったようだった。

 速度と高度の両方を最低にしたまま、追跡を続ける。赤飛竜は地面を歩かせるより、低速でも飛ばした方が体力の消耗が少ない。頭でっかちならぬ“翼でっかち”なこの竜は、歩くにはあまりにも足腰が弱過ぎた。

 病院に運んだ負傷兵を含めると、海軍三、陸軍二。この兵達はそれぞれが別々に警備任務を遂行していたのだろうか。いや、それにしても人数が少な過ぎる。いくら夜盗の類が相手で、兵士はきちんとした戦闘訓練を受けているとはいえ、無法者ほど群れたがる。圧倒的な数の不利は実力だけでは中々ひっくり返せない、ということを考えると三人程度の部隊はあまりにも無用心だろう。

 では、彼等は仲間からはぐれたか、少人数での哨戒を行っていたのだろうか。すぐに意識を失ってしまったため、負傷兵からきちんと話を聞けなかったのが悔やまれる。少なくとも海兵が戦闘服だったので、全くの遭遇戦ではなかったはずだ。初めから戦闘服を着て、警戒していたということも考えられるが――。

「……この辺り、あたしの故郷も近いかも」

 どれぐらい行ったのか。三十分も経たなかったはずだけど、アイリが呟いた。

「確かに、自然が多くなって来たね」

 大小の木々が周囲には増え始め、低空飛行を続けるのは厳しくなって来た。飛竜の巨体では、木々にぶつかる危険が出て来る。

「高く飛ぼう」

 地上からも、木々が邪魔になって空の様子が見えづらいはずだ。仮に賊が潜んでいたとしても、いくらか対空砲火を受けるリスクは低くなっている。

 手綱を引こうとした時、耳を叩く大声が届いた。木々の間からその鋭い声は飛んで来たので、まるで木が叫び声を上げたかのようだった。

「待て!飛ばずに降りろ」

 叫び声だったので、声の主の本来の声とは少し違っていたけど、聞き覚えがある気がしたので、その言葉通りに地面に下り、声の方へと歩いて行った。アイリはマルスの背に残そうかと思ったけど彼女は自発的に僕の後ろに来ていた。

「やっぱり、フレドだったか」

「ロイ?まさか、敵に襲われたのは……」

「俺じゃねぇ。だが、俺の同僚とその部下だ。ちょっと別行動を取っていてな、迂闊だった」

 低木に姿を隠していた荒々しい軍人は、つい最近になって再会を果たしていた友人、ロイだった。ただしその目は完全に武人のそれとなっていて、少しも油断がない。

「後ろの子は、件の彼女か?こんな物騒なところへデートに来るとは、感心しないぜ」

「来るなと言っても来る娘だよ。彼女は」

「えへへ。あたしはアイリっていいます。あなたは、フレドの友達?」

「そんなとこだ。戦争の時のな。ロイとでも呼んでくれ。……しかし、飛竜で来るとは、さっき駆けて行った伝令が不憫だな。もうちょっとゆっくりしていたら、同乗出来たってのに」

「今から追いかけようか?」

「いや、お前はもう下手に竜を飛ばすな。この先にいるのは、先の戦争でも戦った正規兵の奴等だ。戦争が終わって、今は復讐のためのゴロツキに身をやつしてるとはな。落ちたもんだ」

「正規兵か……」

 武器だけを頼りに暴れる素人ではなく、訓練を受けた兵士となると、いよいよ危険度は高まって来る。よくよく辺りを見回してみたところ、ロイの他にも陸軍兵はいるようだけど、突入をしないということは兵力が足りないのだろう。そのための伝令という訳だ。

「ロイ達も、血痕を追ってここに来たんでしょ?なら、その負傷兵は?」

「一人は見つかった。軽傷だったから、手当をして寝かせてある。わざわざお前に医者のところまで連れ帰らせるほどじゃない。後は行方がわからないが、この辺りに姿がないってことは、そういうことなんだろう。同僚の士官と、残りは海兵だ。残念だが、名誉の戦死には違いねぇ」

「そもそもどういう状況だったのかはわかる?海軍の方に一人の負傷者が出て、彼は意識を失ったというのに、それを置いて残りの兵士は敵を追撃したんだ。敵が数の上で有利だったのに撤退するのは不自然だし、兵士達もどうして深追いしたのかがわからないんだけど」

「ああ、海兵を連れ帰ったのはお前か。……俺が負傷兵から聞いた話によれば、大体の流れはこうだ。まず第一に、最近の賊の横行は、この国に対する敗戦国の報復のためのものだ。奴等はこの国の財産を奪って自国に持ち帰ろうとしたり、もっと単純にこの人間を苦しめ、果ては殺すことで憂さ晴らしをしようとしたりしている。それはお前にもわかっていることだよな」

 頷く。アイリもこくこくとやってその反感を明らかにした。

「その一環として、少ないながら人さらいってのがあるらしい。対象は大概が子ども、それも士官か、民間の有力者の子どもだ」

「身代金目的?」

「まあ、そういうことだ」

 耳に入れて気持ちの良い悪事なんてないけど、さすがに顔をしかめてしまう。もしかすると僕は、単純な暴力よりもこういった人の弱みを利用した悪業こそを、真に心から憎んでいるのかもしれない。先の戦争は、いわゆる“殺戮”というものの起こり得ない、実力の拮抗した両軍の大戦だったためだろうか。殴ったら殴り返される、という基本的な因果応報の成り立たない自体が、たまらなく気持ち悪く思える。

「それで、俺とその同僚は以前いた街――ぶっちゃけて言えば、ダードリーの近くにあるソールズの街で、ある陸軍少将が頻繁に脅しの手紙を受け取っていることを聞いた。その人には海軍にいる大きな息子と、まだ十歳にも満たない小さい息子がいて、どうやらその下の息子をさらうという予告状みたいなものだったらしい」

「なるほど。じゃあ、ロイ達はその息子さんを北に連れ出して守ろうと?」

「正しくはその同僚の方だ。あいつが先に行って、俺は予定通りにその街を発ったからな。ともかく、北の街にあいつとその部下は息子を匿うことにした。その後も住処を転々として、しばらくは親の元には手紙も届かなかったそうだから、もう安心かと家に戻そうとしたんだがな。……後はお前のことだし、なんとなくわかるんじゃないか」

 いや、突然そんなことを言われても。と返そうとして、しかし彼が言おうとしていることは、僕自身にも関係していたことであったものだから、言う通りになんとなくわかってしまった。

 僕はこの街で偶然、リンジーさんと出会うことになった。本来ならば大佐の葬儀の際に顔を合わせているはずだったのに、それが出来なかったのは、郵便が届かなかったという事故があったからだ。そして、その被害が起き始めたのは数週間前からだ。ロイが直接そのことを教えてくれたのだから、二つの時期が被っていることは説明を受けるまでもない。

「郵便事故で脅迫状が届かず、こちらには伝わっていなかったけど、犯人側には子どもがいないことも伝わっていて、いよいよ拉致が実行に移された……?」

「どうやって子どもを捕捉していたのかはわからないがな。ともかく、陸軍の二人と子どもが襲われ、子どもは敵の手に落ちたということだ。海軍の兵士は、近くに配備されていた連中だ。陸軍と海軍が積極的に手を組む訳ないが、普通の道徳ってやつを持ち合わせているなら、さすがに手を貸さない訳にもいかないからな」

 おおよその事情は把握することが出来た。今の膠着状態は、相手に人質がいることで手が出せないから起きているのか。では、伝令はご両親を呼びに行ったのだろう。

「ああ、それからロイ。きっとそう遠くない内に、ダードリーの兵士が来ると思う。何の力にもなれないかもしれないけど」

「そうか。人数がいるのに越したことはないから良い。子どもを引き渡した後、ぶっ潰すのに兵力は必要だからな」

「……上手くいきそう?」

「さぁ、こればっかりは博打みたいなもんだ。先手を打つ、ってのが出来ない状況だからな。やることをやった以上、すぐに相手は逃げるに違いねぇ。本当はもっと高圧的に金をゆすり取りたいかもしれないが、兵士が多少なりともいるのは、相手にもプレッシャーになってるからな。少なくとも俺達が来たのは、交渉を有利にするのに役立っているだろう」

 口ではそういうものの、ロイは歯がゆそうにしている。戦いこそが本分である彼にとって、圧力をかけることしか出来ない立場にいることは、たまらなく悔しいのだろう。部外者である僕から見ても、なんともすっきりしない状況ではある。下手をすれば本当にお金を取られるだけで終わるのだし、ほとんど完全に相手の言いなりになっているのだから。

「さて、フレド。それから……アイリちゃんか。これで状況は説明してやったぜ。お前等がどうこう出来る状況じゃないってこともわかったはずだ。わざわざこんなところまで来たガッツは認めるが、その心意気だけで十分だ。折を見て帰れ。しばらく歩いて、それから一気に飛んで行けば危険もないはずだ」

「待ってよ、ロイ。これだけ事情を理解した上で、僕等に黙って帰れって言うの?それはあんまりに水臭いんじゃないか」

「お前が死ぬほど仲間思いで、見ず知らずの兵士や子どものことも大事にしようとしている、とんでもない聖人だってのはよくわかった。けどな、本当にそのために死ぬってなら、そいつはただの馬鹿ってもんだぜ。お前は兵士としての訓練を受けていないし、今まで一度も武器を手にしたことなんてないはずだ。そんな奴がたとえ飛竜に乗っていたとしても、何が出来る?犬死するか、相手を刺激して人質を危険にさらすだけだ。わかるだろ?」

 確かに、僕が出来ることを考えても、今は何一つとして良い案が出て来ない。それでも、ここで引き下がる訳にはいかないと思った。二回目の脱走をした手前、成果なしで帰りたくない、という薄弱な動機ではなく、これは僕の信念や信条に関係する、大切な問題だ。

「それでも、このまま帰りたくはない。何をするでもなく、ここにいさせてもらうだけで良いんだ」

「……ったく、三年の間に頑固になりやがったみたいだな。なぁ、彼氏がこんな調子なんだが、彼女としてはやっぱり、危ないことに首突っ込んでもらいたくなんかねぇよな?」

「あたし?あたしは、フレドに賛成だよ。正直、今までは軍隊のこととか無関心だったけど、フレドとから色々な話を聞いたり、実際に軍人の人と触れ合ったりする中で、無関心じゃ駄目なんだな、って思うようになったの。あたしはフレドよりももっと出来ることがないけど、せめて見届けることぐらいはさせてもらいたいな」

「は、はぁ。類は友を呼ぶってのはこのことか?いや、フレドの馬鹿に影響されちまったのか。……無理やりに引っ張って行っても、お前等ならまた戻って来るだろうし、いたけりゃ勝手にしろ。ただし、安全の保証は全く出来ないからな」

 ロイは突き放すように言い、だけどもマルスを隠すのに都合の良い茂みを教えてくれて、僕達もその辺りに待機することとなった。今は膠着していても、何かの折に発砲するような事態にならないとも限らない。そんな時にすぐ逃げられるようにという配慮だ。

「ロイさんって、いい人だね」

「そうだね。でも、前はもっと社交的じゃない……って言うか、本当に戦いのことばっかりの人で、お酒が入らないと雑談すらまともに出来なかったんだよ。彼も、変わったんだな」

 声が届かないのを良いことに、思い切り友人のことを話す。彼が丸くなった一方、僕はより辛気臭くなってしまったのかもしれないな。なんとなく、これが実際に戦い、それを終えた者と、戦争の深いところに立ち入ることは出来ず、しかしその悲惨さを知っていた者の、戦後の受け止め方の違いかもしれない。

「この後、どうなるのかな。上手くいくといいね」

「僕には……どうも、丸く収まりそうには思えないな。だってさ、子どもをさらわれた後、それを追った兵士がおそらく殺されてしまっただなんて、少し変だと思わない?身代金を得るためにさらったのなら、そのことを親に伝えるメッセンジャーが必要なんだ。なのに、目撃者を皆殺しにしようとした。あべこべじゃないか」

「素直に子どもを返すつもりじゃない、ってこと?たとえば、偽物の子どもを用意して、もう一度身代金を要求するとか?そのために、すぐに取引には入りたくなかったんじゃないかな」

「なるほど、そういうのも考えられるね。ただ、どうも僕には相手が今までの周到さの割には、ずいぶんとずさんなことをやったものだな、と思えるんだ。言うなれば詰めの段階で、五人の兵士に邪魔されるほどの兵力しか用意しなかったんだ。もっと大集団で襲撃してさ、その場で兵士も皆殺しにして、ゆっくりと取引に入るのが筋だと思う。なのにそれをしなかった、あるいは出来なかった」

 人員不足、それは確かに考えられる。現在、ロイ達とにらみ合っている集団は、ついさっきまでは別のところで破壊活動をしていて、急に呼び寄せられた人達なのかもしれない。いや、それにしても、彼等の中でこの作戦は優先順位の高いものだったのだろう。僕が指揮官の立場にいれば、他の小さな金稼ぎなんか捨て置いて、一番儲けることの出来る作戦に専念する。

 なら、相手の指揮系統が混乱しているのか?軍の尽力で他の賊が討たれたり囚われたりして、その中にこの作戦の責任者がいたかもしれない。そしてその形勢不利を悟って、国に帰ろうとする者や、やはり罪の意識から悪事をやめとうとする者が出てもおかしくはないだろう。どうしても僕は理想論を捨て切れないでいるが、相手は血の通った人間だ。僕が信じる通りになる人も絶対にいると思う。

「今は様子を見るしかない、か。あれこれ考えても、答えはあたし達だけじゃ出ないもんね。

 それよりさ、フレド。さっきの話の子どもにさ、心当たりってなかった?あたしはさ、なんとなーく、あの子なんじゃないかな、って思い当たる子がいたよ」

「ああ、それね。僕も、不思議な縁だな、と思ってた。きっとその通りなんだろうね」

 僕とアイリが同時に知る、特徴のある子どもと言えば、サルビアで一度、それからダードリーでもう一度出会った少年だ。中でもサルビアでの初対面の時は、前もロクに見ないで走って、アイリとぶつかってしまっていた。あのことは鮮烈に覚えている。

 サルビアとダードリー、距離のある二つの都市にどうして同じ子どもがいたのか。まさか生き別れの双子とか?と僕は想像力を働かせてみたりもしたものだけど、実際の事情はもっと複雑で現実的だった。

「今思うと、サルビアで初めて会った時の彼は、誰かに追われているようでもあったね。……ロイに伝えておくべきかな」

「あの時は兵士の人も一緒にいたはずなのに、おかしな話だね。でも、あそこからずっと付けられていて、油断したところをさらった、なんてことがあるのかも」

 相手方が子どもの位置を捕捉していたことの不思議については、それで納得いく説明が出来る。何かの参考になりはしないかと、ロイに伝えることにした。……が、本当にあの少年がそうなのだろうか。身体的特徴を挙げれば、彼もわかるだろうし、それでも心配ならば負傷兵に聞くことも出来る。だけど、今改めて思い返してみると、僕はあの子の姿をきちんと見ていなかったのがわかった。

 もしも、僕があの子と一人で歩いている時に会っていれば、その姿をしげしげと見ることもあっただろう。だけど実際は、アイリと一緒にいた時。それも最初のあの時は、アイリが転んでしまったものだから、彼女の心配ばかりをしていた。二回目は本当にただすれ違う程度の出会いだったので、ゆっくりと観察する暇なんてもっとなかったため、実のところ、僕はほとんどあの少年のことがわからない。もう一度会えば、彼がそうだとわかるのだけど……。

「ロイ、その、さらわれた少年の容姿を教えてくれないかな。もしかすると、僕等は彼に会ってるかもしれないんだ」

「なんだって?……いや、そうか。その可能性は普通にあるんだよな。えっと、確か……髪は茶、目はほとんど黒に近いこげ茶。あの年齢にしても、ちょっと小柄かもしれないな」

「う、うーん、確かにそういう子だった気もする。確証は持てないけど」

 さすがに、特徴を並べ立ててもらって人物を特定するには、相手がよほど特徴的な見た目でないと無理だ。結局、おそらくはそうなんだろう、としか言えないでいる。

「まあ、ともかく三週間ほど前、サルビアの街でそれらしい子に会うことがあったんだ。その時、彼はアイリにぶつかって互いに転んでしまったんだけど、謝りもせずに駆けて行ってね。まあ、気難しい年頃の子なのかな、って思って流したんだけど、今思うと追われていたのかもしれない。だから、もしかするとその時点でもう賊に居所を掴まれていたのかもしれないんだ」

「そうか……。わかった、わざわざありがとうな」

「何かの役に立てば良いんだけど。ああ、それからこれも話しておこう。無関係じゃないかもしれない。

 ……その、アイリが経験したことなんだけどね。つい一週間ほど前、アイリは郵便配達の途中、賊に襲われたんだ。ある人に助けてもらって、大きな怪我をすることはなかったけど、今思うと彼女を助けてくれた女の人は、軍人なのかもしれないな。格好が普通だったし、どうやら近くの農村の人のように話していたけど、冷静に考えて兵隊くずれの賊を、ただの女性が撃退出来ないよね」

「ああ、いくらか油断もあっただろうが、相手は複数だったんだろ?なら、ただ者には思えない」

 こちらの女性については、きちんと記憶している。当初はリンジーさんかと見間違うほど、彼女によく似ていたからだ。ついでに言えば、アイリと一緒にいる姿は、まるで姉妹のようにも見えた。髪の色は明らかに違うけど、どこか似た空気を感じたためだろうか。……スタイルが良いという点で共通していたから、とは言いたくない。

「長い金髪の、長身の人だったよ。髪の長さは……腰ぐらいまでだったかな。瞳は茶色だった。楽な服装だったから際立ったのかもしれないけど、ロイ、君が好きそうなスタイルの女性だったよ」

「おい、暗に自慢してんのか?お前の彼女だって大概だろうが」

「ははっ。ともかく、見覚えはない?」

「そうだな……女の軍人は珍しいから、知っていれば覚えているはずなんだが、金の長髪だろ?新任のリンジー中尉ぐらいしか出て来ないぞ。確か、お前と面識があるんだったよな」

「うん。彼女には直接会ったから、同一人物じゃないと断言出来るよ」

「なら、よくわかんねぇな。海軍かもしれないが、少なくとも今回の件に関係している訳じゃなさそうだ。ま、ともかく覚えてはおこう」

「じゃあ、この辺りで。気を付けて」

「いきなり攻め込まれたら、お前まで一緒にやられるだろうけどな」

 笑えない冗談を言って笑う。かつての彼も、こうして戦場で笑っていたのだろうか。

 もしかすると、戦闘に専念していた時代こそ、この手の笑いを戦場で追求していたのかもしれない。今の彼が戦後になって急に現れたのなら、それは不自然というものだ。どこかにそのエッセンスはあったものだと思う。

「アイリ、ただいま」

「うん、おかえり」

「結局、あの子が人質の子と断言は出来なかったけど、伝えてはおいたよ。それから、勝手なことだけど、あの夜のことも伝えさせてもらった。……許可をもらうべきだったね、ごめん」

「ううん、いいよ。そんなの」

 彼女の心の傷は、ようやく癒えようしていたのだから、これ以上その話を蒸し返すつもりはない。きちんと思い出せば、ロイがあの女性を軍人なのか、そうじゃないのかを判断する手がかりも出て来るかもしれないけど、今するべきことは推理より、これから起きることに備える心構えだと思う。下手な探偵ごっこのために、アイリを苦しめるつもりなんてない。

 推理が心に安心と余裕を与えるかもしれないけど、僕やロイの安心のためにアイリに不安を与えていてはなんにもならないだろう。

「とんだ婚前旅行になったね。全く……」

 改めてアイリと顔を合わせると、予定していた小旅行の趣旨が思い出されて、ひどく申し訳ない気分になった。行き当たりばったりながらも、楽しい旅行にしたいと考えていたのに……。

「大丈夫だよ。フレドと一緒になるって決めた時点で、こんな感じになるだろうなー、とは思ってたしね」

「どういうこと?」

「フレドにはまだ“戦後”が来てないんだ、ってしばらく話したらすぐにわかったんだ。多分、ロイさんとかリンジーちゃんもそう。それに関わった人にしてみたら、最期の時まで戦争は生のもので、簡単に関係が断ち切れるものじゃないんだと思う。……もしも今みたいなことが起きなかったとしても、あたしもどこかしらで戦争に触れてたんだと思うよ」

「戦後が、来てない……か」

 それは違う、とは反射的に思った。確かに引きずるものはいくつもあるけど、あのことを記憶しながらも前に進まなければいけない、と務めて明るくして来たつもりだった。飛竜やレッグを引き取ってからも、それを戦争のような“非日常”ではなく、“日常”の中で生かせることで、可能な限り戦いの残滓を見せないようにした。

 それでも、アイリはそんな僕を外から見続けて来ていた。ロイのように戦争を経験していない目で、真っ直ぐに見守って来た。だからこそ彼女の目に入ったものは、きっと正しいものなのだろう。子どものように拒む訳にはいかない。

「アイリは、そのことが嫌じゃない?」

「どうして嫌になると思うの?」

 彼女は笑っていた。まるで僕が、空は青色だと思う?というような、誰にでもわかることを聞いているかのように、僕の質問を笑い飛ばしていた。

「今日みたいなことが何度も起きるのはあんまりに危険だし、きっと僕は何度も辛気臭く戦争のことをほじくり返してしまうと思うから」

「そんなの、全然問題なんかじゃないよ。――何度も言ってるけどさ、あたし、フレドの見た目とか上っ面だけの性格とか、何でも買ってくれることとか、そういうことだけに惹かれたような安い女じゃないよ。フレドの弱い部分とか、ネガティブなとことか、こういうことになっちゃうような責任感の強いとことか。そういうの全部含めて、それが“あなた”であたしが愛してるのはそういう“あなた”だよ。そんなあたしに気を遣うなんて、逆に失礼じゃない?」

「……そっか、ごめん」

「すぐに謝るのも、フレドの癖だね。そういうの、世間では頼りないって不評なんだぞ?……なーんてね、あたしは大好きだよ」

 おどけたように言ったアイリは、恥ずかしそうに顔を赤くしながら笑みをこぼした。

 それを見た僕は、今更のようなことを思う。彼女に出会うことが出来なければ僕は、今のような生活を手にしてはいなかった。僕は彼女の人生を滅茶苦茶にしまっているのではないか、と思ったけども、彼女もまた僕の生き方に大きな影響を与え、互いの平坦であったはずの“道”を波乱に満ちた、しかしそれだけに互いの絆を確認し合える素晴らしいものにしているのだろう。

 きっと多くの人が既に知っていることなのだろうけど、僕には彼女との交流の中でやっと理解することが出来たことだ。人は関係性の中で生きている。一人で生きているつもりの人はそのことに気付かないだろうけど、無意識の内で人を求めているのだと思う。たとえば、僕がアイリのような人を求めていて、彼女によって人生を美しく彩ってもらうことが出来たように。

「ね、フレド」

「うん」

「あたしはどこまででも付き合うから、一緒にいようね」

「アイリ……」

 この林にはもしかすると、今にも銃声が響き渡るかもしれない。そんな危険な場所なのに僕は、彼女が伸ばした手を取り、固く握手をした後、柔らかく抱きしめ合った。改めて肌で感じた彼女の体はやはり細くて華奢で、だけど決して頼りない感じはしなかった。むしろ、彼女がいるからこそ、僕の心は支えられている。そんな確かな安心感を覚えることが出来るほどだ。

「これから何が起きたとしても、一緒にいよう。僕は絶対に君の手を離さないから」

「んー、プロポーズの言葉としては、七十点ぐらいかな?」

「プ、プロポーズって。そういうことなら、もっと気合入れて何か考えるよ。さすがにこんなところでプロポーズはないでしょ」

「どんな気の利いたこと言ってくれるの?」

「それは……内緒だよ。良いのを考えとくからさ、楽しみにしておいて」

 とはいえ、きっとアイリに比べれば負けてしまうだろう。彼女の所蔵している本をこっそりと開いて、参考にさせてもらおうか?

 そんな取り留めもないことを考えながら、どこか緊張感に欠けた二人の時間を僕達は過ごしていた。もしかすると二人共、不安と緊張とが入り混じっていて、それを紛らわせるのに必死で、言ってしまえば恥ずかしいことを続けたのかもしれない。

 

 ――そして、もうすぐ静寂は破られる。

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ぷぇー
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黄金の翼と銀の空

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