わたしの、最高の…… |
「さあ、叶えてよ、インキュベーター!」
わたしは、高らかに叫びました。
天空に向けて、魔法少女となったわたしは弓を引き絞ります。
放たれた無数の矢は、無限の世界、無限の時空へとわたしの意識を乗せて飛び立ってゆきます。過去と未来と、すべての魔法少女たちの最期のときへ。彼女たちの祈りを祈りのままで終わらせてあげるために、ソウルジェムを満たした濁りと呪いを開放し、受け止めてゆきます。
目の前に浮かぶワルプルギスの夜の巨大な身体が、次第に崩れてゆきます。
「もういいんだよ、こんな姿になる前に、あなたもわたしがうけとめてあげるから」
ワルプルギスの夜が完全にその呪いから開放されたとき、放たれた凄まじいまでの光が、わたしたちの周囲のすべてを呑みこんでゆきます。
光のなかで、わたしは世界のすべてと繋がった感覚が自分の中に生まれるのを感じました。
これまで起きたことの全てが、時計を逆回しにしたようにわたしの目の前を流れてゆきます。単に光景だけじゃなく、そこで誰がどんな気持ちでいたのか、どんな喜びを、苦しみを、幸せを、悲しみを味わったのかまで。まるで、みんなの気持ちを逆回しで追体験しているような不思議な感覚が、わたしを襲いました。
マミさん、杏子ちゃん、さやかちゃんたちの希望と絶望と、喜びと悲しみもわたしの心を通り過ぎてゆきました。やがて、彼女の記憶がわたしの眼前に姿を現しました。
そう、暁美ほむらちゃんの記憶が。だけど。
「嫌あああああああっ!」
それを目の当たりにしたとき、わたしは、わたしの心は絶叫をあげていたのでした。
「そんな……そんなことって……」
ほむらちゃんの歩んできた軌跡、そしてほむらちゃんの想い、ほむらちゃんの……苦しみが、わたしの中を切り裂くように流れてゆきました。
それは、無限の絶望の中を、たったひとつの希望があることだけを信じてあてどもない旅を続けるのに似ていました。繰り返せば繰り返すほど、希望は指先から遠くへと離れていくような、それでも、いつかたどり着くことを信じて。
信じることだけを心の支えにして。
ほむらちゃんの歩んできた一つ一つの道が、わたしの心を絶望に染め上げてゆきます。
そして。
なによりも、ほむらちゃんが繰り返してきた道の、戦いの中でわたしがほむらちゃんにしてきたこと、言ってきたことが、どんなことよりも私の心を切り裂いていったのでした。
「ほむらちゃんは、どんな願いごとをして魔法少女になったの?」
「忘れない、絶対に忘れたりしない」
「え……っと、変わった名前だよ……ね」
「ほむらちゃん、どうしてそんなに冷たいの?」
「嫌、いや、もうやめて……」
わたしの口にしたひとことひとことが、ほむらちゃんにとってどれほど残酷な言葉だったのか、どれほどほむらちゃんの心を深くえぐっていたのか。
今こそ、わたしは、自分自身が……わたし、鹿目まどかこそが、この世界の誰よりも、なによりも……インキュベーターなんて問題にならないくらいに、ほむらちゃんを苦しめ続けて来た張本人だということを、思い知ったのでした。
なのに。それなのに、ほむらちゃんはわたしのために、何もわたしに告げることなくその苦しみを受け容れて、果てしないまでの繰り返しを続けて来たのでした。
でも、わたしは、あのワルプルギスの夜が来る直前のあの夜になるまで告げられなかったとはいえ、あまりにほむらちゃんの想いに気付けなかったのです。そう、彼女の口から告げられるまで気付いてあげられなかったのです。
「やめて……もうやめて……わたし、あなたにそんなにまでしてもらえるような子じゃないの……」
繰り返し遡るなかで、わたしはほむらちゃんの力の秘密も知ることになりました。ほむらちゃんの力は、わたしと出会ってからワルプルギスの夜によってわたしが死ぬまでの一ヶ月間をやり直すこと。不思議な力だと思っていたのは、その一カ月のあいだだけ、時間の流れを止めることができること。
つまり、もしも、ほむらちゃんがわたしを救い、繰り返しの一カ月を越えたとしたら、ほむらちゃんの力はそのほとんどが失われてしまうということ。そうなってしまったなら、ほむらちゃんはその戦う力のほとんどを失ってしまうのです。
それは、ほむらちゃんは私を救うことと引き換えに、自分自身の未来をも失うことと同じことなのです。
なによりも私を絶望させたのは、ほむらちゃんの盾のなかに、そのずっと奥の方に、一丁の大きなピストルがしまってあるのを知ったときでした。
そのピストルは、何度目かの繰り返しのときに、私のソウルジェムが濁りきり、魔女になる寸前に、よりにもよって私が、私自身がほむらちゃんにお願いし、それを撃ち砕いてもらったときのピストルなのでした。
私は、なんて酷いことをさせてしまったんだろう。もし私が同じ状況になり、ほむらちゃんを射ってくれ、などと頼まれたりしたならば。私にはそれに耐えられる自信なんてひとかけらもなかった。
そして、それは、ほむらちゃんが私を救うことが出来た後、魔法少女としての戦う力を失い、魔女狩りをして生きてゆくことができなくなったときに、自分自身のソウルジェムをそれで私のものと同じように撃ち砕くためのものなのだとわたしは知りました。
知って、しまいました。
それだけではありません。そのときこそ、本当にほむらちゃんがこの絶望の無間地獄のなかに本当に深く、ふかく入りこんで行ったきっかけであり、それは、そのときの、わたしと交わした、交わしてしまった、わたしが、交わさせてしまった約束のせいだということもまた、知ってしまったのでした。
「ほむらちゃん……過去に戻れるんだよね、歴史を変えられるって、言ってたよね……」
やめて……馬鹿……やめて……。
「キュゥべえに騙される前の、バカな私を、助けてあげてくれないかな……」
「約束するわ、何度繰り返しても、必ずあなたを救ってみせる」
馬鹿だ、わたしはなんて馬鹿だ。キュゥべえに騙されたときなんて、問題にならないくらい、このときのわたしは馬鹿だと思った。
わたしこそが、ほむらちゃんを無限の地獄へと突き落とした張本人なんだ。
遡る記憶は、とうとうほむらちゃんの契約の瞬間へとたどりつきます。
ワルプルギスの夜の暴虐の跡、わたしの水に浸された骸の前で。
「わたしは、鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい!」
だめ……! ほむらちゃん、だめ! わたしなんかのために、あなたの未来を投げださないで!
もちろん、私の声はほむらちゃんに届くはずもなく、彼女の魂は、彼女の身体から抜き出されてゆきます。
わたしは、今まさにほむらちゃんの繰り返し感じて来た絶望を思い知ります。何も知らない馬鹿なわたしが、いい気になって魔法少女になろうとするとき、何度も何度も味わってきた絶望。
わたしの主観のなかで、時は無情に遡り、巻き戻ってゆきます。
「それでも、わたしは魔法少女だから」
「クラスのみんなには、内緒だよっ!」
一体なにを調子に乗っているんだろう、この馬鹿な女の子は。
やめて……ほむらちゃん、こんな子、あなたが憧れてくれる価値なんてないの。わたしなんて、相手にしないで……。
そんなわたしに対して憧れをつのらせてゆくほむらちゃんの気持ちを感じるたびに、わたしないたたまれなくなってゆきます。
そして、わたしは、わたしとほむらちゃんが初めて出会った、あの教室へとたどりついたのでした。
「あ、あの、暁美、ほむら、です」
内気でおとなしい、自信のなさげな態度の、でもとっても優しそうで可愛らしい女の子が、自己紹介をしています。なんとなく、その姿に、魔法少女になる前の自分自身と似たものを感じ、そう、そのときわたしは、思ったのでした。
「お友達に、なりたいな」
それは、ほんとうに、ちいさくてささやかな気持ち。でも、わたしだって、ほむらちゃんのことが好きだったんだっていう確かな証。
そのときはじめて、私のなかに、ほんとうに温かなものが生まれるのを感じたのです。
とめどなくわたしの心を押し流してゆく絶望の奔流のなかに打ち込まれたちいさくて、でもしっかりと立った一本の楔。
それを中心にして、わたしはわたしのなかで何かが大きく回りだすのを感じました。
わたしは、きっとほむらちゃんを怖がっていました。
マミさんの死んだあと、マミさんの部屋を訪ね、喪失感を抱えたまま帰ろうとしたとき。
さやかちゃんと杏子ちゃんの戦いを止めるため、契約しようとするのを止められたとき。
さやかちゃんを捜していた夜、キュゥべえを撃った後、わたしに激情を叩きつけてきたとき。
さやかちゃんのお葬式のあと、ほむらちゃんの部屋で、彼女の想いを聞かされたとき。
いったい、どうしてほむらちゃんはわたしなんかにこれほどの想いを抱いてくれていたのか。その想いの大きさに、深さに。わたしは、いつも圧倒されていました。
いったい、わたしなんかのどこにこれほどの献身を受ける価値があったのか。そんなものは、わたしの中のどこを探したってあるわけがないのに。
けれども、杏子ちゃんが見せてくれたように、想いの大きさも深さも、きっと時間とは関係ない。
わたしだって、ほむらちゃんが私に向けてくれたのに負けないくらい大きく、深く、ほむらちゃんのことを想うことだってできるはず。
そう思ったとき、これまであまりのことに気持ちを閉ざしかけていたわたしのなかに、これまでの大勢のわたし自身の想いがどっと流れ込んできたのです。
わたしは、ようやく気付きました。これまでの「わたしたち」はこんなにもほむらちゃんのことが大好きだったんだって。
ほむらちゃんに、あなたと友達になれて嬉しかったと言ったとき。
ほむらちゃんの頑張りで一緒に魔女を倒したとき。
杏子ちゃんを撃ち、ほむらちゃんをも撃とうとしたマミさんをわたしがその手にかけてしまった後で、ほむらちゃんが泣きながら無理やり作った笑顔でわたしを励ましてくれたとき。
わたしと一緒に魔女になろう、と言ってくれたときでさえ。
わたしは、どれほどこの、誰よりも弱いのに誰よりも強い、誰よりも優しい女の子に救われてきたのだろう。
わたしは、これまで存在した、これから存在するすべての魔法少女たちのために祈りました。でも、ほむらちゃんは、こんな私のため、わたしただ一人だけのために、自分自身のすべてを捧げて、祈ってくれたのです。
そのときです。多くの魔法少女たちの呪いを受け止めただけでなく、わたし自身の絶望でも濁りきろうとしていた、わたしのソウルジェムを見上げて顔を覆うほむらちゃんの姿を認めたのは。
なにをしているの、わたしは。こんなところにまでついてきてくれたほむらちゃんを、今またさらに絶望させようっていうの? そんなこと、許されていいはずがない。
「ううん、私の願いは、すべての魔女を消し去ること。もし、それが本当に叶ったのなら」
マミさんが、ひとりぼっちで戦ってきた孤独から逃れたかったことも。
さやかちゃんが、上条くんのために祈ったことも。
杏子ちゃんが、さやかちゃんを救える可能性を諦めなかったことも。
たとえ、それが叶わなかったからって、それが間違っていたはずなんて、ない。
祈りの価値を、それが叶ったかどうかで計るなんて、それはぜったいに間違っているんだって、そう、みんながわたしに教えてくれたんだ。
だから、たとえこの祈りが叶おうと叶わなかろうと。そんなことは、祈りの価値とは全く関係ない。
だから、だからこそ、いまこそわたしはこう言うんだ。
「わたしだって、もう、絶望する必要なんて、ない!」
わたしの射った矢が、巨大な魔女を撃ち砕きます。そう、私自身の呪いを、絶望を。
でも。最後にわたしに残されたたった一つの心残り。 それは、ほむらちゃんの願いだけは、もう二度と叶えられなくなってしまったことでした。
こんな私と友達になりたいと。
こんな私と一緒に日々を送りたいと。
たったそれだけの。だけど、ほむらちゃんにとってはなによりも大切で、ひたむきで、強い願い。
それを、私の祈りは、永遠に踏みにじってしまったのでした。
でも、ふと気がつくと、ほむらちゃんがそこにいたのでした。小さな肩を震わせて、わたしのために、泣いていたのでした。わたしは、こんな小さくてか弱い肩に、どれほどの重荷を背負わせてしまったのだろう。そして、これから先も、その重荷を背負わせつづけていかなくてはならないのだろう。
わたしは、最後のお詫びに、せめてこれからのほむらちゃんのために、元気を分けてあげたいと、そう思いました。
そして、わたしのことを憶えていてくれるように、わたしの髪からリボンをほどき、ほむらちゃんの手にわたしてあげました。
わたしが、ほむらちゃんのことを大好きだ、というせめてもの証しとして。
そして、いつかくるその日、きっとわたしがほむらちゃんを迎えに行ってあげるという約束として。
ごめんね。そして、ありがとう。こんなわたしのためにがんばってくれて。こんなわたしのことを好きになってくれて。
ほむらちゃん。
あなたは私の、最高の、そして永遠の友達です。
説明 | ||
冬コミにて発行しましたまどか新編語りつくし本に収録した小説です。内容的にはTVシリーズ(あるいは劇場版後編)の方のサイドストーリー的なものです。 あのまどか概念化のときの彼女の内面で起きたことを妄想してみたものです。 http://www.tinami.com/view/644512 http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/17/66/040030176654.html |
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