屍食教典儀 (Cults of the Ghouls) 下編 |
屍食教典儀 (Cults of the Ghouls) 下編
快楽としての食人
人肉嗜食とは、特殊な心理状態での殺人に時折見られる人肉捕食等のことで
緊急性がなく、かつ社会的な裏づけ(必要性)のない行為である。
多くは猟奇殺人に伴う死体損壊として現れる。文明社会では、直接殺人を犯さずとも死体損壊等の罪
に問われる内容である。それ以前に、倫理的な面からも容認されない行為タブーである食のタブーとされる。そしてタブーとされるがゆえに、それを扱った文学・芸術は多く見られる。
(フィクションでは青頭巾、スウィーニー・トッド、ハンニバル・レクター)等。
またカニバリズムはしばしば性的な幻想として受け止められる場合がある。またそのようなフェティシ
ズムを持つ者も多数存在する。実際に性的なカニバリズムを行った例としては、連続殺人者であるアルバ
ート・フィッシュ等があげられる。性的なものをベースにしながら、より「食人」を重視したゲオルク・カール・グロスマン、ニコライ・デュマガリエフは犠牲者も多数となった。ほか、パリ人肉事件がある。犯人の佐川一政は自著の中で、女生徒の肉を「まったり」と
「おいしい」と記述し被害者に憎しみはなく憧れの対象であり、事件時の精神状態は性的幻想の中にあったと記述している。
2001年にはドイツに住むアルミン・マイヴェスが、カニバリズムを扱うインターネット上のサイトで
自分に食べてもらいたい男性を募集し、それに応じてきた男性を殺害し、遺体を食べている。
2007年には、フランス北部ルーアンの刑務所で35歳の男性受刑者が、別の男性受刑者を殺害し、あばら
の周辺の胸部の肉と肺など遺体の一部を監房に備え付けられていたキッチンやストーブで調理して食べた
とされる事件が起きている。
近年はロシアの若年層に頻発しており、2008年には、悪魔崇拝を標榜する少年少女8名が同年代の4名を
惨殺してその肉を食する事件が、2009年には、メタルバンドを組むユーリ・モジノフら青年がファンの少
女を殺害してその肉や内臓を食する事件が起きている。
いずれも犯行動機は要領を得ず、「悪魔から逃げたかった」「酩酊して腹が減っていた」などと不可解な
供述に終始している。
悪魔崇拝を異形の神々の信仰の点からみると古代においては、死者との性交が魔術的な意味を持っていた
と考えられる場合もある。モチェ文化(Moche)は、ペルー北海岸にそそぐモチェ川から名称をとられた
紀元前後からA.D.700頃まで繁栄したインカに先行するプレ・インカと呼ばれる高度な文化のひとつで、
廃墟で生者と交わる骸骨の死者が描かれた陶器が出土しているという。
ここまで、歴代の有名な食人鬼たちの証言から判明することは
@ 人肉は日持ちがしない。
A 臭みのあるイノシシ肉(ブタ肉)と似てる。
B 古くなったら腸詰にするといい。
C 性欲と食欲を同時に満たすことが美味しく食べる秘訣。
D 子供や女の肉は柔らかい。
E 塩・胡椒などで味付けをして、手の込んだ調理(たとえば香辛料を多く使った料理や
シチュー等)をすること。
F 睾丸は硬くて噛み切れない。
人肉を美味しく食べるには、「食べることで性欲が満たされるような変態である」ことか、
「きちんと味付けをして調理して食べること、とくに腸詰のように香辛料などで臭みを消すこと」
がポインと考えられる。
Chapter.2食材調達とその調理方法について
人食いを風習とする部族においても「食べてよい人間」と『食べてはいけない人間」に区分される。
これを前者を「アンドカニバリズム」後者を「エクゾカニバリズム」という。
「アンド」とはギリシャ語由来で「内部・中で」という意味である。このことから身内の死者をその
親族が食べる集団をいう。オセアニア・アフリカの部族は埋葬の儀式のあとで死体を掘り起こし食べる
習慣を持つ。しきたりは様々でパラグアイのグアヤギ族は集団内の死者を食べるが。集団の掟によって
血縁関係(父親が娘を食べる、兄が妹を食べる等)が禁じられている相手は食べない。
オーストラリア南部ディエリ族には禁忌は存在せず、ただ親子で人肉の奪い合いをしてはならないと
されている。更にラテンアメリカ・アフリカのある部族においては食べられることに恐怖を感じず、死
ぬ直前に家族や部族の有力者に自らの体を割り当てておく部族もある。
ニュー・ギニアのフォレ族の場合には死者の親族がその肉を食べる権利をもつが、瀕死の人がその両
親への配分まで決めておく。また両親が食べることを禁じている場合には、この食材を放棄することは
残念なことから近隣の部族と物々交換をすることで問題が解決されている。
千夜一夜物語にでてくるアラビア半島のグールの生態においては、交易をするキャラバンの中で死者
が出た場合、高貴な人の場合には次の都市に到着するまで死者は蜂蜜で防腐処理され、一般の場合には
その場で埋められる。
グールは色は黒く、丈が高く、駱駝のような首、象のような顔、牡牛のような脚、梟の様な眼、驢馬
のような耳をもつ、夜間に活動をしてキャラバンが寝静まった夜に死体を掘り起こしたり、蜂蜜漬けの
遺体の壺を奪いに来る。
グールにとって人肉は過酷な砂漠において貴重な食料である。グールは長期の飢餓にも耐えられる身
体構造により、腐乱した肉を好み新鮮すぎる肉は受け付けない。そのため日光に照らし十分に人肉を腐
らせてから吐き気を催すような腐敗した肉になって初めて食べる。
食べる順番としてはリーダー格が脳と心臓を喰らい、次にグーラ(メス)・子供、最後に若いオスが
食べるという順番になっている。
グールの中でリーダーに挑戦して事故死・死亡等をした場合には死者の親族が死者の頭を取り、他の
部位は集団内で食される。そしてその頭は綺麗に食べられ頭蓋骨を安置される。
イスラムではグール避けの伝承も数多くある。預言者ムハマンドはグールから逃れるにはアザーンを
繰り返し唱えると良いと述べたとハディースに記されている。
また、鉄を恐れるとも言われているため常に鉄剣を帯びていれば良いとされる。
アザーンの唱句
アッラーフ・アクバル アッラーフ・アクバル アッラーフ・アクバル アッラーフ・アクバル
「意味:アッラーは偉大なり」(唱える回数:4回)
(この句は「タクビール」と呼ばれる。宗派によっては4回でなく2回)
アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラーッラー アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラーッラー
「意味:アッラーの他に神は無しと私は証言する」(唱える回数:2回)
(この句は「シャハーダ」と呼ばれる)
アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスールッラー
「意味:ムハンマドは神の使徒なりと私は証言する」(唱える回数:2回)
(この句も「シャハーダ」と呼ばれる。上の句と合わせて「シャハーダターニ」と
呼ばれる)
ハイヤー・アラッサラー ハイヤー・アラッサラー
「意味:いざや礼拝へ来たれ」(唱える回数:2回)
(この句は「ハイアラ」と呼ばれる)
ハイヤー・アラルファラー ハイヤー・アラルファラー
「意味:いざや成功(救済)のため来たれ」(唱える回数:2回)
(この句もハイアラと呼ばれる。上の句と合わせて「ハイアラターニ」と呼ばれる)
アッラーフ・アクバル アッラーフ・アクバル
「意味:アッラーは偉大なり」(唱える回数:2回) (タクビール)
ラー・イラーハ・イラーッラー
「意味:アッラーの他に神は無し」
(この句は「タフリール」と呼ばれる)
「エグゾ」とは離れていることを意味し、エクゾカニバリズムは自分の属する集団以外の人間を食べる
人食い人種をさす。食べる相手は戦死・捕虜・部族間交換等を食べた。
ブラジル沿岸地域のインディアンの総称とされていたトゥビ族の場合、親族や同盟者は互いに食べる
ことはないが一旦敵となった場合には捕虜は例外なく食べた。
ニーカレドニアのカナク族・ウアレル族・ブパリ族・ウマ族等、その他多くの部族はいかなる捕虜も
決して許さずかまどで煮られた。
また、上記のカテゴリーに分類されない例外もあり、セネガルのボボ族は身内の人間が病気になると死
ぬのを待たず食べる。この部族は用意周到で敵の捕虜をとっておいて酋長の死等の特別な機会に食べる。
また、必要な場合には近隣の部族から 「買う」 などの行為をしていた。
人食い人種の大部分は多食性で、新生児から老人も食べる。しかし、特定の嗜好性があり伝統・宗教心食べてきた経験等
によりその好みは異なってくる。女の肉の方が柔らかい、男の肉の方が味がいい等とあるが両者で共通しているのは子供(それも10歳以下)の肉が美味しいとのことである。
その為、アフリカのモンブトゥ族は捕虜にした敵の子供をしばし お菓子とみなし、王の料理用にとっておく。
また、ドイツの冒険家シュヴァインフルトによればこの民族の小王達は毎日昼に子供一人を要求してくるとの報告があった。また中央オーストラリアのぬ族は中絶した胎児を焼いて食べることにより母親・兄弟姉妹が丈夫になる為に食べるとのことで他にもユニ族・ピンデュリ族・ヌガリ族・ナンブシ族では食料不足が原因で胎児を食べることが度々あった。
中国では12〜13世紀頃には人肉市場というものが形成されていた。一方で人間を捕らえる
狩人(中国ではこれを餓族という)がいて、その人肉を食べたい需要者があることから必然的に
人肉市場は形成されていった。
なお、当時の価格で人肉は犬の肉の5分の一から6分の一の値段で売られていたことからその需
要の高さが伺えられる。売買の方法については単に屠殺するのではなく、食用人間の手足に杭を
刺し売主が食用人間の体の上のチョークで予約済みの部分を書いていきほぼ全てが売れると解体となる。
また三国志の時代では食人はタブーではなく、美談の対象として扱われる。三国志の食人では2シーン
あり、劉備をもてなす為に猟師の劉案の話と程cの兵站の人肉問題が挙げられる。
○3世紀の中国(三国時代)の中の食人について
戦に負け、敵将である曹操のもとへ落ちのびる道中、劉備は猟師である劉案という人物の家にかくまってもらいったとき、
劉案は疲れた劉備たちをもてなそうと夕食に肉料理を出した。
劉備はその肉料理をとても美味で「何の肉ですか?」と劉案に訪ねたところ劉案は「オオカミの肉です」と答えた。
翌朝になり、劉備は台所で劉案の妻の死体を発見。死体の一部の肉が削ぎ取られていたため、昨日の肉料理が劉案の妻のものだったことに気づく。現代だったら、死体をみて驚き、吐くなどの行為をするが妻を殺してその肉を供した劉安の恩の深さを知り、劉備は妻を殺してまでもてなしてくれた劉案に感謝する。(恋姫無双でも話としてでてきています)
さらに感謝の意をこめて、劉案の息子を養子にします。 後に、この話を聞いた曹操もたいそう感動し、劉案に金を送る。
程cの人肉事件については「世語」の三国時代(3世紀頃)に、魏の重臣として名高い程cが、軍の備蓄食糧に「干した人肉」を混ぜたということで、主君の曹操に疎まれたというエピソードが出てくる。上記の
劉案では褒賞を与えたが程cには厳しかった理由として下記の逸話が原因と考えられる。
1.「史記」の春秋時代(紀元前7世紀ごろ)の覇者、斉の桓公が、料理人の易牙に勧められて、易牙の息子を食べるという話で桓公は次第に勢力を失い滅びたこと。
2.逃亡途中で飢餓に苦しんでいたとき主君・文公に自らの腿の肉を削ぎ落して供した忠臣・介子推、自分の腿の肉を切り取りスープにして重耳(文公)に与え、その危難を救ったと伝えられています。
(これが史上有名な「割股奉君」の故事です)
曹操の性格から自分はしてもよいが、家臣に厳しく介子推のような忠臣を求める結果、程cは曹操に
疎まれるようになった為に出世が遅くなったと考えられる。
唐代(8〜10世紀ごろ)までの記録には、かなりの頻度で人肉が食されていたという記述が残されているものがあります。 普通の市場でも売られていたほどに普通であったことから三国時代では人肉は家畜の部類に入るぐらい一般的で安価な食材であったことが伺える。
また、腿の肉は百薬の長であり、西太后は皇后が病気になったときに自分の肉を切り皇后に献上した
という話がある。(もちろん西太后のことだからその肉は別人の肉であると憶測される)
続 く
なかがき
この編訳をしてPCのHDがクラッシュした為、貯めていた画像がなくなりました。。。くすん ( ノω-、)
星辰の導きが、汝に幸があることを。。。
説明 | ||
この本書は、アジア最大の古本屋街神保町で発見した書の翻訳・編集したものである。世界の真実を知り、精神が耐えられない者は本書を閉じ、この本の存在を忘却すべきが最善である。だが、世界の秘密を知り、一時的発狂を受けてでも本書の禁断の知識を知りたい者は本書の禁断のページをめくるべし。Ia! Shub-Niggurath! The Black Goat of the Woods with a Thousand Young!! 汝に幸あらんことを…… |
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