【ダメ悪シリーズ】あくまのサイクリングにはつちょうせん |
暁美ほむらの朝は……へばっていた。バテバテだった。
まるで六十分一本勝負を闘い抜いたかのような疲労と筋肉痛がほむらの全身を被っていた。
思えばそう、慣れないことに不用意に手を出したりしたのが間違いのもとだったのだ。それがたとえまどかのためであったとしても。
あの〈叛逆〉によって人間のまどかを取り戻してから数カ月が経った。今は初夏。もうすぐ夏休みになる。この事実は、まどかを見守るというほむらの自分に課した役目においては重大な問題となる。ここ数日、彼女はこの問題に頭を悩ませていたのである。
一度はまどかの転校初日のやりとりにより彼女に引かれてしまったものの、ほむらの自称悪魔の化けの皮がだんだん綻びつつあるせいか、まどかの方から歩み寄ってきてくれたため、次第に親密な関係を築きつつはある。
とはいうものの、夏休みの間中彼女のそばに付きっきりになれるほど親密かといえば流石にそれは無茶というものだろう。
だが。そう、だが、である。
なんと、その問題への突破口が、他ならぬまどかの側から提示されようとは。
サイクリングデート。
一言でいえばこういうことになる。
どうやら、まどかとその家族はアメリカにいた頃よくサイクリングを楽しんでいた(ことになっている)ようだった。そのため、夏休みに入ってすぐ、家族でサイクリング小旅行の計画を立てていたのだが、突然のまどかの母の仕事の予定のため、家族旅行の方は流れてしまったのだという。だが、楽しみにしていたまどかのため、もしよければ自転車を貸すから友達を誘ってサイクリングくらいは行って来なさい、と言ってもらえたそうだ。
そのことを小耳にはさんだほむらは、てっきりまどかは美樹さやかや巴マミを誘うのだろうと思っていた。
それが。
そう、それが!
まさか、まどかが、このサイクリングにほむら一人だけを誘って来ようとは想像だにしなかったと言えよう。
そのときのほむらの心理描写などするだけ野暮というものだろう。天にも昇るとはまさにこのことだと言ったところで、彼女の気持ちの何分の一も描写できてなどいるわけもない。
もうこれは、デートとでも言うほかないんじゃないかしら。
もしこのデートが上手くいけば、夏休み中毎日とまではいかないにせよ、まどかの覚醒を防ぎ、見守るため、かなりの日数をまどかと共に過ごすための足がかりになるであろうことは見やすい道理だろう。そうでなくても、まどかと二人きりの小旅行という状況そのものが、ほむらにとってどれほど心躍らせるものか、ということである。思わず毎夜丘の上に出てはダークオーブを宙に浮かべてくるくると踊りだしてしまうほどと言えば判りやすいだろうか。
そんなこんなで浮かれきっていた暁美ほむらは、とある重大な問題を忘れていることにしばらくの間気付かなかったのであった。
そう、その問題とは。
こともあろうに、暁美ほむらは、自転車に乗れないという事実なのであった。
考えても見てほしい。
見滝原中学に転校してくるまで、ずっと病弱で入院していた暁美ほむらが自転車に乗れただろうか。
魔法少女となって健康な身体を手に入れた後であれ、まどかを救うための戦いを何よりも優先した彼女が、そのため必要であったとは思われない自転車の練習などしただろうか。
その後もまた、それまで必要としなかった自転車を改めて必要としなかったのならば、あえて自転車の練習をしようなどと思っただろうか。
暁美ほむらがそれに気付いたのは、期末テストも終わり、いよいよ夏休みを待つばかりになったある日のことであった。
「ねぇねぇほむらちゃん、サイクリング楽しみだね」
「そうね、まどか。わたしも楽しみだわ……とても」
ほむらの顔に、悪魔(自称)になる以前を思わせる穏やかで優しい笑顔が浮かべられる。それだけ素直にまどかとの旅行を楽しみにしていたのだ。なにこの悪魔かわいい。
「ほむらちゃんは運動神経もばつぐんだもんね、きっと自転車もとっても速く走らせられるんだろうなー。わたし置いて行かれないようがんばらなくちゃティヒヒ」
まどかが特徴的なはにかみを含んだ笑い声をまじえてほむらに語りかける。
「自転車……」
ほむらが一瞬ぽかん、としたような表情を浮かべ、次いでだらだらと脂汗を浮かべ出したのはそのまどかの言葉を聞いた直後のことだった。
「じ……自転車って、どうやって乗るのかしら?」
「ふぇ?」
まどかは、一瞬その言葉の意味を理解できなかった。
どうやらこの自称悪魔さんは、まどかから誘われたことで舞い上がっていて自分が自転車に乗ったことがなことを綺麗に忘れていたようであった。
ほむらは、自分の間抜けさ加減がまどかを失望させてしまうことを想像し、くしゃっと泣き顔に変わってしまう。だが、まどかは、ほむらの想像とは逆に、両の眼をむしろ爛々と耀かせて言った。
「それじゃ、ほむらちゃん、自転車にのる練習をしようよ!」
「まど……か?」
ふんす、と鼻息も荒く一緒に頑張ろうオーラを全力で放出しているまどかに、ほむらは気押されつつも、ただまどかを失望させずに済んだことに安堵を覚えていた。
翌日。休日を利用してほむらの自転車の練習をしようと、公園へとやってきた二人。まどかと二人きりの外出は嬉しいものの、自転車の練習というこれまでの自分にとっては無縁だったアウトドアな活動にほむらは戸惑いを隠せないでいた。
もっとも、普通の一般の人たちが普通に乗りこなしているようなものを、魔法少女として身体能力が強化されている自分がまったく乗れないとまでは、流石に思っていない。ただ、乗り方を覚えるのにどのくらい時間がかかるのかが少しばかり不安だった。
ともかくも、まどかの自転車に跨ってみる。ちなみに、まどかは軽快な短パン、ほむらはあろうことか制服姿である。彼女がいかにアウトドアに無縁であったかが伺えよう。サドルの上に、丁寧にスカートのお尻を乗せ、ものはためしとペダルをこぎ出してみる。だが、その次の瞬間。
がしゃん。
「きゃあっ!」
がんばれー、と呟きながら横で見ていたまどかが反応することも出来ないほどあっという間の出来事であった。ほむらは、自転車をこぐときの力の入れるべき個所を全く理解できていなかったのだ。即ち、ペダルに力を入れた瞬間、腕にまるで力が入っておらず、ハンドルを大きく切り損ねてそのまま転倒してしまったのである。
「ほ、ほむらちゃん、大丈夫!?」
「な、なに、なんで転んでしまったの?」
ほむらは、あまりに一瞬で転んでしまったため、その原因を理解する暇もなく、衝撃と膝や手の痛み、さらにそれをまどかに見られてしまったことに混乱し、半ばパニックに陥っていた。
「も、もういちど」
動顛したほむらは、そのまま立ち上がると、何が悪かったのかを考えもせず同じ失敗を繰り返す。
がしゃん、がしゃん。
「あ痛……」
「ほむらちゃん!」
まどかが悲鳴のような声をあげる。ほむらの黒いストッキングの膝が破れ、露出した膝小僧にすりむいてにじんだ血を認めたせいである。
「ほむらちゃん、血が! はやく手当てしなくちゃ!」
「だ、大丈夫、このくらい、それよりはやく自転車に乗れるようにならないと」
ほむらの妙なところで頑固なところが発揮される。だが。
「駄目!」
「まど……か?」
「ダメだよほむらちゃん、ほむらちゃんが傷ついたままなんてそんなの耐えられないよ。わたしだってサイクリングは楽しみだけど、ほむらちゃんが傷ついてまでなんてそんなの全然嬉しくないよ」
ほむらの頑固ささえ押し流す勢いでまどかはほむらに迫り、公園の水道で膝の傷を洗わせると、自転車の荷台に座るよう命じ、ほむらを乗せて自ら自転車をこぎ出したのだった。
「まどか……」
横座りに荷台に腰かけ、まどかの腰に両手をまわしてつかまりながら、ほむらはまどかの小さいはずなのに、今の自分にはとても広く感じる背中に身体をゆだねていた。
「二人乗りなんて、ほんとはイケナイことなんだけどねウェヒヒ。でもケガしちゃったほむらちゃんのためだもんしょうがないよね」
力強くペダルをこぎながら、背中のほむらにそんなことを話しかけるまどか。そんなまどかに、ほむらは初めて魔女に襲われ、まどかに救われたあのときのことを思い出さずにはいられなかった。
「……まどかの背中、好きよ……」
「えーなにー? なにか言ったほむらちゃん?」
ほむらの呟きは、風に流れてまどかの耳には入らなかったが、ほむらはこの背中に触れているだけで幸せな気持ちで胸がいっぱいになっていたのだった。
ほむらがまどかに連れてこられたのは、大方の予想通り、まどかの家の自室であった。膝の破れたストッキングを脱がされ、膝のすり傷をきちんと消毒して絆創膏を貼ってもらっている。悪魔(自称)であるほむらにとって、この程度の傷であれば、魔力で治すことくらいはさして難しくはないのだが、まどかに治療してもらっているという事実がそれをさせなかった。
「はい、これで大丈夫だよ」
転校してきて間もなく、まどかはかつてのようにクラスの保険係になっていた。そういえば、かつて眼鏡をかけていた頃は、こうして幾度かまどかに傷の治療をしてもらったっけ、とほむらは思い出す。
まどかの自室のベッドの上に腰かけさせられ、ストッキングも脱がされて、自分の膝に消毒薬を塗って絆創膏を貼ってくれるまどかの姿をほむらは落ち着かない気持ちで眺める。それにしても、自分は身体を使うことがこんなにも苦手だったろうか。たしかに、魔法少女になる前、そしてなってからしばらくの間はそうだったと思う。
だが、〈もう誰にも頼らない〉と心に決め、自らの心の甘さを切り捨ててからは、魔法少女の力の一環である身体強化(ほむらのそれは魔法少女としてはかなり弱いものではあったにせよ)の力をかなり効果的に使えるようになり、かなり克服できた、と思っていたのだが。
とはいえ、考えてみれば、銃器を使って戦うことも、体育の授業でするような運動も、血のにじむような絶え間ない反復によって身につけてきたものだった。つまり……。
「わたしって、初めてのことは苦手みたいね……」
そう思いいたり、ほむらはため息を落とした。
ふと気付くと、そんな自分の顔を、いつのまにか横に座ったまどかがじっと見つめている。
「ど、どうしたのまどか?」
「ウェヒヒ、初めてのことが苦手だったら、わたしが教えてあげるね。こんどは手取り足取りじっくりとね」
「そ、そう。ありがとう……」
「それじゃ、さっそく……」
そう言いながらまどかはほむらの手を握る。まどかの座った側の反対側の手を。
「ま、まどか?」
「え? そんなのもちろん……」
「な、なに?」
「はじめてのこと、教えてあげちゃおうと思って」
「え? え?」
「だって、いつも格好良くて何でもできると思ってたほむらちゃんにこんな弱点があったなんてかわいくて」
「まどか?」
まどかの視線に熱いものが混じる。それとともにほむらの背筋に冷たいものが伝う。
「ウェヒヒ、もう、がまんしなくてもいいよね?」
「ま、まどかー!?」
自分に向ってかけられてくるまどかの体重が、ゆっくりと自分の身体をベッドに押し付けてゆくのをほむらは半ばパニックになりながら自覚した。
「ほむらちゃん、かーわいい。いただきまーす」
後日。じっくりねっとりとまどかの個人指導を受けたほむらは、無事自転車に乗れるようになったということです。それまでに何度まどかに乗られたかは自称悪魔の名誉のために伏せることとする。
おわれ
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#ダメだこの悪魔はやく何とかしてあげないと〜シリーズ第三弾、「あくまのサイクリングにはつちょうせん」であります。メルシさんにネタの取っ掛かりを頂いて書く書く言いつつなかなか出来あがらなかったのですがようやく形になりました。 | ||
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