コードヒーローズ〜魔法少女あきほ〜 |
第十四話「〜喪 失〜ヒーローのしかく」
明樹保の叫びはモール全体を響かせた。その声は暁美たちにも届いており、白百合はたまらず暁美の様子を確認する。しかし何も言わない。黙りこんでいる。
「お姉さま今の……?」
白百合の問いに暁美は応えることが出来ずに、ただそこに座り込んでいた。いや暁美だけではない。白百合以外の全員から表情が消えていた。全員何もしたくないといった様子に、白百合は泣き出す。
「何か! 何か答えてください!」
そこで初めて白百合は気づいた。暁美たちの体が震えていることに。動かないんじゃない。動けない。そして言いたくないんじゃなく、言えないのだ。彼女たちは何があったかわかっているからこそ動けずにその場でへたり込んでしまっている。それと向き合えないのだ。
「お姉さま……」
「動けない……動けないよ……。これから直を……殺しにいかなくちゃいけないなんて、できるわけない。できるわけないじゃないか!」
暁美の瞳からはすでに涙が頬を伝い始めていた。
「あたしら……あたしらついこの間、先生を……先生を! この手で――」
暁美は自身手を睨みつけるように眺める。その手は震えていた。左手で抑えようとして、失敗する。
「――この手で、殺したんだ。それをまた……またやらなくちゃいけない! そんなの嫌だ。嫌なんだ」
暁美が言い終えると鳴子はたまらず泣き声を漏らす。凪ですら顔を青くして、茫然自失し、水青は声を上げずに泣いていた。
白百合はそんな光景に強い絶望を抱いたのか、しばらく黙りこむ。
「なんとか……出来ないんですか?」
「やった……やったんだよ! 必死に声をかけた。けど、それでも先生はダメで……意識は戻ったけど……結局元に戻せなくて……最期に――殺せって――」
しばらくの沈黙の後、何かが壊れる音が立て続けに起きる。その度に悲鳴が起きて、人々は逃げ惑う。桜色の輝きが瞬く。
その光に白百合は目を見開く。
そんな光景を眺めても暁美たちは一向に動く気配すら見せない。
白百合は下唇を噛み締める。
「戦ってください。今ここには戦えない人がいるんですよ?」
「嫌だ」
「戦ってください!」
「嫌だ!」
「今、明樹保さんはお姉さまたちと同じ状態なのでしょう! それを見捨てて貴方達はここで打ちひしがれているだけですか! 何のための仲間なんですか! 何のための力ですか!」
白百合は暁美に掴みかかり、泣き叫ぶように言った。
「こんな力!」
「それでも戦うと決めたのは誰ですか!」
暁美は、暁美たちはその言葉に黙りこむ。白百合はそんな状態に痺れを切らしたのか、立ち上がる。
「白百合……お前どこへ」
「私は戦います。お姉さまのような力はございません。ですが、今の状態のお姉さまたちよりは、役に立ちます。それに明樹保さん1人、辛い想いをさせたくありません」
白百合は暁美たちに振り返らずに走りだす。その顔は今にも泣きそうになっている。
残された暁美たちは何も言えずにその後姿を見送ることしか出来なかった。
どうして変身なんて出来たんだろうか? 自身の様子をひとつひとつ確認していく。戦闘衣装に変わっている。魔鎧は大丈夫そう。体に怪我はない。魔力は大丈夫。直ちゃんが化け物になってしまった。それでも私は今こうして変身している。なぜ?
自分に覆いかぶさっている瓦礫を蹴飛ばす。自分が何かを瓦礫から守っていることに気づいた。
「あ……」
手に握られていたのはくまの人形。
なんとかこれだけは守らなくちゃいけない。
「キエロォオオオオオオオオオオ!」
瓦礫が吹き飛ぶ――
直ちゃんの声とはかけ離れた野太い声が飛んでくる。
――巨体が吹き飛んだ瓦礫より早く突っ込んできた。
咄嗟に飛び退いてやり過ごす。飛び退いた先は壁。袋小路に追い詰められている。
敵の……直ちゃんの姿は?
店の天井を突き破るほどの巨躯。恐竜の下半身に、胴体は刺々しい鱗に覆われ、腕は肩口からドラゴンの首、手に当たる部分は頭となっていた。頭は魚の頭蓋骨。青い瞳に私が写り込んでいる。
直ちゃんはそんな化け物の体の中心に取り込まれるようにしていた。白目の部分は黒く、黒目の部分は赤くなっている。
「保奈美先生と同じだ」
「アキホタチハワタシニカクシゴトぉ。ケスコロスジャマ。ゆう君ハワタシノモノナノ」
直ちゃんの目と化け物の目が私を射抜く。それだけで体が縛り付けられそうになる。胸に抱いたクマの人形が怖気づきそうになる私を奮い立たせる。
そうだ。こんなところで怖気づいていられない。ここにはゆいちゃんがいる。だから、まだ折れることは出来ない。泣くのも、怯えるのも投げ出すのもまだだ。それに直ちゃんに誰かを殺させたくない。殺させるものか。
明樹保の雄叫びにも似た叫び声をあげる。
化け物は腕のドラゴンから黒い炎を吐き出す――
それを滑りこみ切り抜ける。そのまま股下から抜け出し、店の外へと飛び出す。
――吐き出された炎は壁を容易く溶解させる。
化け物は物凄い速度で振り向き、明樹保へと跳びかかる。それを軽い跳躍で避け、化け物の視界から外れないように逃げていく。否、誘導していた。
明樹保は徐々に店の出入り口へと直を誘導していたのだ。
「明樹保さん!」
明樹保は顔を向けずに声に応じる。表情に余裕は微塵も感じられない。
「白河さん?! 早く逃げて」
「いえ、私も手伝います。直さんを救うことを」
その言葉に明樹保の瞳は涙に揺れていた。それでも明樹保は拭うこともせずに、直を見据え続ける。
「ありがとう。お願いがあるの」
「なんですか?」
「この人形――」
明樹保が口を開いた直後に尻尾が振りぬかれる。彼女はそれをしゃがんでやり過ごし、くまの人形を白百合へと投げ渡す。
「――ゆいちゃんに」
「え、でも……」
受け取った白百合は、不安そうに明樹保を見つめた。そんな白百合に明樹保は微笑む。
直後に化け物の体当たりを両手で受け止める。鈍い音が響き、床が砕ける音が店内を響かせた。
「ぐぐぐ……。私は大丈夫。直ちゃんに人殺しはさせない、よ。だから、ゆいちゃんとみんなのことお願いね」
化け物は後退し――
受け止めていた明樹保はバランスを崩す。
――尻尾を振りぬく。
振りぬかれた一撃は音を超え、がら空きになった腹部にめり込む。
「っあがぁッ!」
野球のボールがバットに打ち上げられるように明樹保は吹き飛ばされる。店の床を抉りながら滑る。程なくして勢いがなくなり、痛みと衝撃で閉じられた目を開けると、明樹保の視界に化け物が飛びかかってくる姿が映った。
「直ちゃんッ!」
「らァアアアアアアアアアア!」
床を転がり化け物の踏みつけから避ける。何かを象徴した模様の床が砕け散った。
明樹保は立ち上がる――。
空を切る音が鼓膜を震わせた。
――鈍い打撃音と破壊音。
追撃の尻尾の叩きつけまではよけきれず、まともに受けてしまう。衝撃で床に亀裂が走り、明樹保は地面にめり込んだ。痛みに苦しむ彼女にゆっくり向き直り、腕のドラゴンの口から黒い炎が吐き出される。
明樹保はまともにそれを受けてしまう。しかし彼女は歯を食いしばって耐え、燃えながら黒い炎を飛び抜けた。そのまま着地して向かい合う。
「直ちゃん聞いてお願い! 私の声を聞いて!」
「ウルサイぃ。コワシテヤルンダ。ゆう君ハワタシノモノワタシノモノワタシノモノ」
黒い輝きが直の体を覆う。次の瞬間悪魔を彷彿とさせる翼が6枚背中から生える。刺々しい鱗が胴体の直を覆い尽くす。
「コワシテヤルンダぁ」
魚の頭蓋が叫ぶ。叫び声だけでショーケースのガラスが弾け飛ぶ。明樹保へと突進する。
「こんなこと大ちゃんだって望んでない。望んでないよ!」
突進を躱す。背中を向けたまま直は怨嗟の声を吐く。
「ウルサイウルサイウルサイウルサイ。カノジョヅラシヤガッテ。ワタシガホシイイチニオマエハイツモイルンダ。ゆう君ノトナリニハイツモオマエダ」
「そんな……そんなことない!」
そんな言葉に明樹保は今にも泣きそうな顔で否定する。
「オマエタチガニクイオマエタチハワタシヲノケモノニスル。オマエタチハゆう君ヲトルオマエタチハワタシノテキダ」
そんな言葉を遠くで聞いていた白百合は何も出来ない自分に歯がゆさを感じた。今あそこで戦っているのは紛れもなく白百合と同じ学生。それも同級生の学生だ。ここ二ヶ月でたまたま力を手にしただけの少女。その少女がなぜ今幼馴染と戦わなくちゃいけないのか、なぜ責められなければならないのか。
彼女は強くくまの人形を抱きしめた。
「オマエタチハワタシヲノケモノニシテホクソエンデイタンダ。オトウサンモオマエタチモミンナキエテナクナレ」
怨嗟の声と共に両腕のドラゴンから黒き炎が走る。炎に触れたもの全てを融解させていく。明樹保はそれを受け止める。そして炎に焼かれながら彼女は直を見据えた。化け物の目ではなく直の瞳だけを見つめる。
「これの事?」
炎に焼かれながら自身の服装をわざとらしく見せる。直の表情が苛立ちを顕にさせた。
「これか……こんなの……今思うと欲しくなかったかも。こんなに辛い事ばかりなら……今すぐにでもやめたい。でも、私はこれを投げ捨てられない。先生との……保奈美先生との宿題なんだ――」
明樹保は一度瞑目すると、脳裏に今まで戦ってきた光景を思い起こした。
「――ううん。先生だけじゃない、今まで戦って守れなかった人達の命も背負っている。そして――」
明樹保は首を振って言葉を切る。その瞳はまだ迷いを見せ揺れていた。明樹保は直を殺すことを躊躇しているのだ。まだ彼女を救える手段はあるのではないかと、明樹保は必死に考えていた。
黒き炎に身を焼かれながら明樹保は直を見据える。
「私は直ちゃんに人殺しなんかして欲しくない。そんなことすれば本当に直ちゃんが直ちゃんじゃなくなっちゃう。だから……お願い。自分を見失わないで!」
「ウルサイうるさいうるさーい。お前がお前がいるから私は!」
明樹保の言葉を遮るように叫び、猛然と突進した。
それを明樹保は正面から受け止める。踏ん張ろうとした足は、床に沈む。
「直ちゃんの馬鹿! 人のせいにするばかりで、自分から動いてないじゃない!」
「ウルさい!」
殻の中の直は明樹保の言葉に耳を塞ぐ。
「大ちゃんに拒絶されるのが怖くて、そんなの伝わるわけない!」
「うルさい!! 逃げてなんかない!」
直は知らず、その言葉を自分自身で肯定していた。
「そんなので、大ちゃんが直ちゃんに振り向いてくれるわけないじゃない。そばにいる人を羨むばかりで、大ちゃんと向き合わなかったのは直ちゃんだよ」
「人の気持ちに鈍いお前に言われたくない」
直は咄嗟にすり替えた。直も愚かだとわかっていて話題を変えて、自分自身の心を守ろうとした。それでも開いた口は、こぼれだした言葉を抑えることはできずに、ぶちまける。
「お前は井上君の気持ちを知らないでいた」
悪あがきで出た言葉。それでも明樹保にとってその言葉は動揺するのに十分だった。
「井上君が……?」
呆然とする明樹保は、最後まで直が飛びかかってきたことに気づくことはない。激しい激痛と共に視界が暗転するのだった。
「イーッヒッヒッヒッヒッヒッヒ! 最高だわさ! 幼馴染と殺しあう姿は最高の肴だわさ。もっと苦しめ、もっと悲しめ、もっと泣き叫べ! イーッヒッヒッヒッヒッヒッヒ」
遠くでモールの中を覗いていたアネットは腹を抱えて笑い続けていた。胸が空くような思いでもしているのか、完全に弛緩しきっている。
「アネット。そろそろ帰ってもらわねば困る。紫のエレメンタルコネクターがこちらに向かってきている」
重い声がのしかかった。それはアネットの高揚した気分を落とすのには十分すぎるものだ。
「今いいとこだわさ。邪魔するなだわさ。紫のエレメンタルコネクターならお前がやればいいだわさ!」
オリバーは努めて冷静に首を振る。
「いいかよく聞け。我々は超常生命体10号と呼ばれる、白い戦士と戦った。作戦の目標は達せられたが、事実上の敗北だ。我も今の状態で満足に戦えるような状況ではない。わかるな?」
凄みをもたせた声と態度に、アネットは強がる。
「ふん。知らないだわさ。あたしの楽しみを邪魔するというなら――」
「ならここで死ぬか?」
紺色の光が刀身となった。それをがアネットの瞳に映る。それを見せつけられた途端アネットは口つぐんだ。それを見つめながら、額に玉のような汗をにじませる。オリバーはわざとらしくそれを見せつけながら、アネットの横まで移動した。
「我の予備の剣が破壊されてな。この剣を使わざる得ないのだ……お仕置きするにも少々威力が高すぎるがよろしいか?」
アネットは閉口したまま勢い良く首を横に振る。もちろん内心は「その剣を出すならば紫のエレメンタルコネクターとて余裕じゃないのか?」などと思って入るが、口が裂けてもそれが言えない。今、オリバーの標的は完全にアネットとなっている。
「わかっただわさ。帰るだわさ」
「そうか。それはよかった」
剣をおさめたオリバーは微笑むが、目は獲物を狩るときの目のそれだった。
明樹保さんの「保奈美先生や今まで守れなかった人たちの命を背負っている」という言葉を聞いて、私はすぐに行動を起こしました。
クマの人形を抱えながら蔦を避けて、元きた道を戻っていく。今もなお心が折れているお姉さまたちの元へ。
道中、制服を着た女性に連れられたゆいちゃんを見つけた。
「お姉ちゃん。あ! くまくんだ」
こんな状態でも微笑んでくれる彼女は、嫌な気持ちでいっぱいになりそうになった私の心を晴らしてくれるような……いえ、晴らしてくれました。
「見つけてくれたの?」
「はい。見つけましたわ。今度こそ離さないでくださいね?」
くまの人形を手渡し、私はお姉さまの元へ走る。お礼の言葉を背に受けながら走った。あの子を守らなくては、きっとそれが今の明樹保さんを支えている。それだけが今の心の拠り所。
今になって私は戦わないことを選んだことを後悔している。いまさら過去の自分を責めた所で何かが変わるわけではない。それでも責めずにはいられない。だけど……だからこそ、今からできることがあるはずだ。
いつ変わるのか、それは奮い立つと決めた今。
お姉さまたちは元いた場所でまだ動けないでいた。一気に階段を駆け上がり、勢いそのままに平手打ちを叩きこむ。
「なっ!」
手で「何しやがるんだ!」と、続くであろう言葉をぶった切る。
「何をなさっているのですか? 泣けば解決するのですか? お姉さまたちは背負ってきているはずです。多くの方の命を」
私の言葉に肩がピクリと動いた。お姉さまだけではなく、他の皆さんも同じようにだ。
「お姉さまたちが背負っている重荷。私も背負うことに今決めました」
「何を――」
「明樹保さんはたぶん直さんを殺すでしょう」
自分でもびっくりするほど冷淡に言っていた。その言葉にお姉さまは信じられないという顔をしている。
そうですね。この中でそういうの一番強そうに思われるのは凪さんですよね。私も先ほどまでそうでした。けど、誰よりも現実を受け止めて歯を食い縛りながら抗っているのは間違いなく、桜川 明樹保さん。希望を捨てず今も抗い続けている。誰よりも心優しく、友を侮辱されれば先頭を切って立ち向かう。そんな彼女が、今その手で友を殺そうとしている。
それがどんなに辛いことかなんて想像できない。ましてやそれをたった一人で全部背負い込もうとしている。
「だから、私はそれを手伝いに行きます」
「なっ! お前に出来る事なんて――」
「それは決めつけです。それに知らないんですか? 私、諦めが悪いのですよ?」
今まで一番の衝撃がモール全体を揺らす。それでも白百合はその場にまっすぐと立ち続けていた。
「そう……だったな」
暁美は口を歪める。
「あたしが嫌がっているのに、いつもいつも、くっついてくるしつこさもあるな」
私は短く「ええ」とだけ答えた。
視界の端で誰かが立ち上がる。視線を向けると、凪さんがいつもの様子で立ち上がっていた。埃を叩き落とすように、服をはたいている。
「知らないうちに背負うことを恐れていたわ」
「そうだね。明樹保ちゃんだって怖いはずだよね」
「私達は、宿題を出されたのでした」
鳴子と水青も立ち上がった。その瞳は先程のような、無気力なものではない。悲壮なまでの決意が見て取れた。
よかったですわ。これで明樹保さんだけが辛い想いをせずに済みます。それだけではございません。お姉さまたちも後ろめたさを感じることもないでしょう。
さらにモールには大小様々な破壊音が響く。
「それでは先導はお任せくださいませ」
白百合がいなくなって間もなく、明樹保は直に敗北を喫していた。地面に倒れ伏し涙を流している。
「直……ちゃん」
明樹保は意識が途切れる間際に「殺されてもいいか」と、考えて気を失った。
「クァアアアアアアアアアアアア」
勝利の咆哮を上げる。そして、明樹保にトドメを刺そうと近寄っていく。頭蓋骨を踏み潰そうと、足を振り上げ――。
蔦が巻き上がる。
――振り下ろされた足は、床を踏み抜いただけだった。
腹に響く轟音が地面と空気を震わせる。
「魔法少女? だっけ? 確保」
ロボットのように見える外観。装甲は体を守るように各部を覆っていた。駆動音が機械的に響く。左肩に08。白を貴重とし6色の戦士がそこにはいた。
タスク・フォースの08チームである。
青い戦士は明樹保を離れた場所に優しく下ろした。
「ん? この子……どっかで?」
「おい流! ぼさっとするな」
赤い戦士は怒鳴るように青い戦士に注意を促した。
「はいはい。それとコードネームで呼べって。08ブルーって」
怒鳴られた流は、慣れた様子で対応する。
「そうだよ烈。司令にまた怒られるよ」
「お前もだ08イエロー。またふざけていると痛い目を見るぞ」
軽い調子で笑う黄色の戦士。そんな油断している彼は、尻を足で小突かれる。叱咤するのは緑の戦士だ。
「誰も居ないって、いいじゃんよ旋」
「よくない」
楽しそうに回る彼を緑の戦士は蹴飛ばす。
「いい筋肉だ! 俺と筋肉バトルだ!」
「……来るぞ」
黒の戦士が己の筋肉を見せつけんと、ポーズを取るが誰ひとりそれに触れることはない。紫の戦士は静かにつぶやく。
化け物の足の筋肉が隆起する。踏ん張った地面は、氷かなにかと錯覚させるほど簡単に亀裂が走った。亀裂が烈たちに届くと、彼らの行動は迅速だ。
すぐに散開し、狙いをつけさせまいと各々がバラバラに動く。
化け物はお構いなしと赤い戦士に狙いをつけて、突っ込む。
赤い戦士は闘牛士のように引きつける。他の仲間たちはフォローに入っていく。彼らは手にしていた銃から、オレンジの光弾を左足に集中して攻撃した。
いくら魔鎧とは言え、集中砲火を受ければ一時的に無防備になる。左足にあった魔鎧は集中砲火に力を失い、光弾をまともに受けてしまう。
激痛に耐えかねて化け物は叫ぶ。そしてバランスを崩して地面を転がる。それを跳躍して赤い戦士はやり過ごす。
「フォーメーションファランクス!」
着地と同時に指示を飛ばすと、それまで散り散りに立っていた戦士たちは一箇所に集まる。密集して銃を構える。
古代ギリシアでは重武装したスパルタ兵士たちが密集陣形で戦った時に用いた。会戦でその真価を発揮したと言われている。
彼らが形成している密集陣形は一列3人組、それを二列形成し、動くことはなく、その場で一点に集中砲火を行うものだった。倒れた化け物は、巨体ゆえに起き上がるのに時間がかかっている。また起き上がろうとすれば――。
「ベットから起き上がろうとしているぜ?」
「まだ寝ていて貰いたいね。一列目左腕、二列目左足」
――起き上がることを妨害させられ、地面を転がされた。雄叫びを上げて威嚇するが、彼らは動揺することはなく、的確な射撃を行なっていく。
「こちら08レッド。増援を求む。こちらの対抗手段は効果が薄い。すぐに傷が修復する。おまけにお姫様は1人だし、おねんねしてて使えそうにない」
『了解。だが、援軍はすぐには送れない。もう少し持ちこたえるんだ。他のチームは大規模に展開された蔦の対処で身動きがとれない』
烈は舌打ちをする。
「ジャマダァアアアアアアアアアアアアアア!」
直は怒鳴り、背中に生えた翼を羽ばたかせて飛び上がる。狭い店内で無理矢理飛ぼうとした結果、天井に体を打ちつけた。
「喋った?」
「この声……どっかで」
暴れ回り、店内を破壊しながら無理矢理立ち上がる。
「させるかよ!」
いち早く反応した赤い戦士は一気に駆け寄り、腹部にある逆立った鱗を掴んだ。彼の持っていたフォトン・ライフルの銃身が上下に開く。直は体を小刻みに震わせて、振り落とそうとするがガッチリ掴んで離れない。
「喰らえ!」
銃口を鱗に押し当て、掴んでいた鱗から手を離す。敵が暴れまわる遠心力を利用して彼は敵から距離をとったのだ。
「ありがとうよ」
引き金にかけた指に力を入れる。巨大なオレンジの輝きが、化け物の腹部の鱗を吹きとばす。飛んできた赤い戦士を青い戦士と黒の戦士が受け止める。
たまらず化け物はのたうち回り、痛みに吠えた。暴れまわる度に店内は破壊され、商品や破片は巻き上がっていく。
「やったか?」
黄色い戦士はわざとらしく言う。
「やったか禁止な」
「……来るぞ」
紫の戦士が警告すると、巻き上げた煙の中から化け物が飛び出してくる。予めわかっていた彼らは、それを容易く避けた。振り返り背中に即座に発砲していく。
「負けているだけの俺達じゃないんだぜ!」
背中を見せた化け物に、烈は吠えるように叫んだ。
「ダマレェ! ウルサイウルサイウルサイウルサイ! お前もテキダァ!」
勢い良く振り返った化け物の姿に彼らは愕然とする。射撃するのをやめてしまう。
「え?……あ、う……嘘だろ……」
吹き飛ばした鱗の中には直がいた。彼女は憎悪をむき出しに睨みつける。彼らは今まで戦っていた相手が自分たちの同級生と知らずにいたのだ。
「直……なのか?」
烈は手にした銃を床に落とした。甲高い音は店内に響く。
「保奈美先生と……同じだっていうのか!?」
烈たちは動揺し呆気にとられていた。そんな彼らを見逃さず、直は彼らに突進する。彼らは先日の体験と、直が正体だったと知った衝撃からまともに動けずに吹き飛ばされた。
まるで花びらが散るかのように彼らは吹き飛ばされる。
「オマエタチモワタシノコトヲジャマスルテキダオマエタチミンナテキナンダ」
その言葉に烈はすぐに立ち上がり、ヘルメットを投げ捨てるように脱いだ。
「俺だ! 俺なんだよ直! お前の敵じゃない!」
「よせ烈! 保奈美先生のことを忘れたのか。そいつは……もう化け物なんだ」
「うるさい!」
烈も保奈美先生のことはわかっている。それがどういうことであって、その後どうなったのかも。それでも彼にはそれを受け入れることはできず、泣き叫ぶように言った。
「それでも直は……直は俺の幼馴染で、俺が守りたかった人なんだよ!」
直の目を見開かれる。
「れ、れつくん……なの?」
「ああ……そうだよ俺だ……」
しばらく沈黙がその場を支配した。
「ソウカレツクンモワタシノコトヲオイテイクンダネ……ワタシヲオイテノケモノニシテジャマスルンダ」
沈黙は怨嗟の声によって壊される。
「違う! 俺は……」
逆立った鱗が直を覆い隠す。化け物の目は烈を射抜く。
「コロシテヤルンダゼンブコナゴナニぃ」
黒い瘴気が溢れだし、辺りを吹き飛ばす。烈達は身構えることも出来ずに薙ぎ払われた。店内を無造作に転がり、彼らは呻き声を上げることなく沈黙する。
「あいつハドコダ。コワシテヤル」
直は辺りを見渡し、明樹保が居ないことに気づく。慌てて探しまわるが見つけられない。
「どコだ? シンダ?」
そして背後に誰かが立っていることに気づいた。
「やれやれ……」
筋肉と装甲の中間のような黒い甲冑。胸部に紫の光沢瞬かせる黒き宝玉。左腕に龍を彷彿とする手甲。赤いマフラーをなびかせていた。赤き瞳が直を射抜く。
直の視界の先には、漆黒の戦士立っていた。その手には08のチームと一緒に薙ぎ払われたはずの明樹保が抱え上げられている。
「そいつヲコワサセロ」
「やだね」
漆黒の戦士は否定した。
「ジャマヲスルナァ。オマエモワタシヲジャマスルノカ」
「邪魔するよ。何せ道を誤っているのがお前なんだし」
その言葉に直は動揺する。
「え?」
漆黒の戦士は優しく明樹保を床に降ろす。直は身構えるがすでに明樹保の近くに漆黒の戦士の姿はいなかった。
「ナっ?」
「こっちだよ」
背後の声に振り返る――。
強い衝撃が直を襲う。
――ことは叶わず、背中に強い衝撃が走った。そのまま無理矢理移動させられる。一生懸命地に足をつけてふんばろうとするが、それは叶わず。ただ、地面を滑るだけだった。
巨躯な化け物をいとも容易く漆黒の戦士は押して動かしているのである。
「はいはい行くよ」
「こ、このぉおおおお!」
直の視界はモールから、外へと変わる。蔦で覆われた道路と車。車の中に逃げ遅れた人が、直を凝視する。マンションの上の階ほうからも悲鳴が響く。それらの眼差しには、恐怖が色濃く浮き出ていた。それらに彼女は激しくかき乱されていく。
「ミルナァアアアア!」
空はいつの間にか夕刻の色へと変わり始めていた。
モールの近くに市民会館がある。そこには時折大きなイベントが行われており、周辺の住民たちを収容できる体育館などが完備されていた。
直は自分がそこに移動させられていることに気づいた。得も言われぬ不安から、身じろぎする。抵抗しようにも背中を押さえつけられて、為す術がなく。彼女はせめてもと無理矢理暴れて、漆黒の戦士にダメージを与えようとするが、見えない壁に阻まれて攻撃が届かない。それどころかさらに持ち上げられる。
「くっ! このぉおおおおお! このぉおおおおおお!」
両腕のドラゴンで焼こうとするが、見えない壁に炎が弾かれていく。
直は体育館の前で一度地面に転がされた。漆黒の戦士は飛びかかると、腹部にある逆立った鱗を容易く引きちぎる。赤い鮮血が漆黒の戦士に飛び散った。それを拭おうとせず、さらに引きちぎり直を覆う鱗を外した。今の彼女には夕焼けの日差しすらまぶしすぎるのか、強く目を瞑目する。そんな彼女の様子にお構いなしとさらに虹色の輝きを叩き込む。
「こ、コのォ! コロシてやルコロしてヤルこロシテやル」
両腕のドラゴンが炎を吐き出すが、やはり見えない何かに阻まれ霧散させられる。
「くっ!」
直は逃げようと視界を少し逸らした。その一瞬で直の視点は二転三転する。
「おりゃああ!」
漆黒の戦士は叫びながら持ち上げた。膂力で黒い甲冑が隆起する。そのまま投げ飛ばす。
直は市民会館にある体育館の中に投げ飛ばされたのだ。
「あ、ぐっ! お前も殺してやる!」
外にいる漆黒の戦士を掴みかからんと、叫ぶ。
「少し見ないうちに随分と逞しい体になったな。それと口も悪くなった。いや、口は元々悪かったか……」
直はその声をよく知っていた。だからすぐに憎悪の感情を顕にして、振り返る。そこには直の父、須藤 直毅があぐらをかいていた。
「殺してやる!」
「ああ、来い!」
直は感情そのままに飛びかかる。直毅は地面に打ち付けられ、引きずられていく。
「ぐっ!」
彼は腕のドラゴンに噛み付かれ、安々と持ち上げられる。そして振り回されて床に叩きつけられる。痛めつけるのを目的としており、本気で叩きつけることはしなかった。それでも背中を強く打って、呼吸が乱れる。さらに小突くように蹴飛ばされた。化け物の力なので、小突くだけでも相当な威力で、直毅はゴム鞠のように転がっていく。体育館の壁に激突して、ようやく勢いを止めた。鞭のようにしなる尻尾で何度も体を叩きつけられていく。
「このッ! このぉ! お前がっ! オマエガァ!」
地面を転がった直毅は、咳き込みながら立ち上がる。いつの間にか上着が引きちぎれ、ロケットペンダントが胸から覗いていた。ドラゴンに噛み付かれた時に、蓋が壊れ、収められている写真がむき出しになっている。
「あ……」
それに直は気づき、動きを止めてしまう。そこでようやく直は周りを見渡した。
直毅と直以外、誰もその場にはいない。
「あ……ああ……お母さんの……写真……」
「ああ、バレちまったな……」
殺されそうになったのが嘘のように直毅は、微笑みながら恥ずかしそうにした。
「母さんの写真だ」
「嘘だ! お父さんがそんな!」
強く首を振って否定する。だけど何度見てもペンダントに収められている写真は彼女お母さんの写真だ。
彼女はわざと力を入れて、体育館の床を壊しながら歩み寄る。それに怖じけることなく彼はじっと待ち構えていた。
「ドウシテ? お母さんの……」
「ははは……アイツのことが好きで好きで仕方がなくてな」
「ウソダ。オマエハオカアサンヲワタシタチから、逃げた。」
「お前が俺を憎いのは知っている。殺すのはいい。だが、俺の最期の説教を聞いてからにしろ。それとお前の好物だ」
懐からボロボロになった紙袋が取り出される。
直は直毅とどら焼きを交互に眺めた。
「え?」
「だから、お前に殺されてやるからどら焼きを食え」
「どうして?」
直は平静を失う。
「いつもこうだったろ? 喧嘩したりしたらどら焼きだった」
「そう……だけど……」
直毅はどら焼きの入った紙袋を差し出した。直はしばらくそれを眺め、手に取ろうとして、今の両腕が変わっていることに気づく。そこで初めて自身の姿が変わったことに悲しみを感じる。
「あ、ああ……私……」
「そうか……手がないのか……」
直毅は歯を食いしばった後、ゆっくりと立ち上がる。そのまま直へと歩み寄っていく。そんな様子に直はなぜか恐怖を感じ、一歩後ろに下がる。
「こ、来ないで!」
「行かなきゃ食わせられないだろう。そこでじっとしてろ。食わせてやる」
「嫌だ!」
「わがまま言うんじゃない! 娘なら親父の言うことぐらい聞け……ああ、違うな。食べさせてくれ。父親らしいこともさせてくれ」
強く言いそうになった言葉を、手を振って切り。優しく言い直す。
「お父……さん?」
「まだそう呼んでくれるのか」
神代の奴から連絡があった時は、情けないことに腰から下が震えた。それどころか、小便も大便も漏らしそうになった。我ながら情けない。
桜木 保奈美の件は聞いていたので、それも含めて道中話を聞かされて、頭の中が真っ白になった。娘を救うことはできない。その言葉が俺の今までの行いを強く後悔させた。
――恵美を救えなかった俺は……娘すら守れないってのか……――
そんな懺悔にも似た叫びに、誰も答えてくれるものはいない。わかっていた。泣きたいし怒鳴り散らしたい。でもそれをしてどうにか出来るような状況はとっくに過ぎ去っていた。あまりにも時間が足りない。
自分に今出来る事はと、考えた時に脳裏によぎったのは。
――そうだ……どら焼き――
慌てて来た道を引き返して、商店街のどら焼きと、妻……恵美の遺影を抱えてきた。
今思い出したが鍵を閉め忘れているな。
どうして俺の娘がそうならなくちゃいけないのか、今も理解できないし、理不尽なこの現状に怒りを覚える。そして何より苛立つのが、俺自身が今まで直にしてきた仕打ちに、だ。
俺は目の前の最愛の娘に、努めて優しく語りかける。体は痛みに悲鳴を上げていたが、歯を食いしばって耐えてみせる。
「これからお前は俺を殺すんだ。殺されてやるから、俺のわがままくらい聞いてくれ。最後に俺の手からどら焼きを食わさせてくれ……昔……よく俺がそうやってお前にどら焼きをあげたようにさ」
あいつは「俺が直を殺す」と言ってくれた。たぶん今も外で様子を伺っているに違いない。さっき飛びつかれた時は、あいつが来るんじゃないかとヒヤヒヤした。だが、あいつがここで直を倒すなんてのは、あまりにも悲劇だ。それだけは俺は許せない。
ふとコートの中にある銃の重さを意識した。
「小さく千切って、ちょうだい」
「あ? ああ……」
俺は言われたとおり、一口サイズに千切る。しかし不器用なせいか少し失敗する。あんが皮の外に飛び出たのだ。
「下手くそ」
「うるせー。俺は不器用だよ」
「知ってる……」
娘は「早く」と俺を急かす。震える手を気合で押さえつけながら、どら焼きを口の近くまで運ぶ。それを口で受け取り美味しそうに咀嚼する。
そんな姿に視界が一瞬ぼやけた。
まだだ。まだ油断するんじゃない。まだその時じゃないんだ。
「すまなかったな――」
「イまさラ?」
「ああ、今じゃないと言えないからな。お前の父親はこういう時じゃないと、素直になれないんだ」
「知ってる……知ってるよ……」
無理矢理微笑んで見せるが、俺は笑えているだろうか? 俺はこいつに笑ってやれているだろうか?
そんな疑問が思考を締め始めた時だった。
「お母さんの写真持ってきたんだ」
直は俺の遥か後方を眺めてポツリと呟く。そこには持ってきた妻の遺影が立てかけられていた。
さっき引きずられた時に写真のところまで引きずられなくてよかった。
「ああ……ずるいだろう? お前の心に訴えかけようとしてな」
半分は嘘だ。もしも俺が殺されるならそれを見届けて欲しかった。もちろん本当にそこにいるわけではない。単なる感傷だ。それでも写真があるのとじゃないのとじゃこっちの気持ちの持ちようがぜんぜん違う。
直になら殺されてもいい。だが、それで収まるわけではない。あいつはそう言っていたな。結局それはその場しのぎの欲求を満たしているだけで、あの状態の直はすぐに次へと行動を移す。そうしてすべてが憎くなって、直が直じゃなくなっていく。
直に人殺しはさせない。それは俺とあいつの共通だ。だから俺が道連れにする。
「そう……」
「思えばお前に辛い思いをさせてきたのは、恵美が亡くなってからだった。お前たちだって辛いのに、それに向き合わず……恵美が亡くなってから俺はお前たちを養うことを言い訳に、仕事に逃げていった」
「そうだヨ……それで家事が少しでも疎かだと怒鳴り散らすんだ」
「最低だな俺」
そうだ。そうやって憂さを晴らしていた。恵や直も同じかそれ以上辛いはずなのに。
「本当最低だよ。お酒は飲んだら飲みっぱなしで散らかしたままにしておくし、それを片付けるためにカバンを玄関に置きっぱなしにしただけで、怒るし」
「あれは……悪かった……ごめんなさい」
素直に謝罪すると、直が少し笑った。見てくれは変わっているけど、まだこいつは俺の娘だ。
俺の妻、恵美は病気で亡くなった。闘病虚しく、呆気無く逝っちまったのだ。俺は死に目にも会えず……葬式も仕事でほっぽり出したようなもんだった。
いや、逃げただけだ。上司や同僚は休んでいいと言ってくれた。それでも病気の妻と向き合うことはできず、死んだ時も怖くて仕事をして……。葬式ですら逃げた。結局俺は妻が死んでから、今まで一度も家族と向き合わずに来たのかもしれない。
――そんなことないわ――
「え?」
直毅は振り返り、写真を眺めた。そんな様子に直は訝しむ。
直毅は一度微笑むと、直と向き合った。
俺は今まで自分自身に「仕事だから、恵と直を養わなくちゃいけないから」と、都合のいい言い訳をし続けてきたのだ。そして仕事で疲れては酒に溺れ、少しでも気に喰わないことがあると娘たちを怒鳴った。
「実に情けない父親だ。もう少し恵美の死と向き合える勇気があれば、お前たちに優しくしていればと今でもそう思っている。そうすればお前がこんな……こんな姿にならなくても……」
最後の方は涙を堪えることができずに、情けないくらい涙声になっていた。視界もぼやけて何も見えなくなる。拭っても溢れ出てきてしまう。
情けない。娘に恨まれても仕方がない。
俺の言葉に直は自身の体を見た。
「そっか……こんな化け物に……」
直を頭にそっと手を乗せ、撫でる。
生まれたばかりのことを思い出す。恵と2人して直を抱くのを奪い合ったものだ。でも俺が抱きかかえると毎回泣いて、少し寂しい想いをしたのを思い出す。恵美には「怖い顔だからよ」とたしなめられたな。それから毎日鏡に向かって笑う練習をしたな。そんな姿を部下に見られて笑われたのを覚えている。
幼稚園の入園式の日にわがまま言った直を怒ったな。あれはどら焼きが食べたいとか、そんなだったかな。後で恵美に「そんなことで怒らないの」って頬をつねられた。
アレは痛かった。
卒園式は仕事で行けなくて、直に泣かれ。ご機嫌直しにどら焼きを買いに言ったら、大量に買わされたな。恵美に「たまにはいいじゃない」って諭された。
でもその月は昼食ですら危うくなったんだっけな。
小学校の入学式は遅刻して、他の家族の前でこっぴどく怒られた。
これも後でどら焼きを買わされたんだ。二ヶ月連続で俺は昼の食費に困ったんだった。
そして恵美が……病気だとわかって。最後に交わした言葉は……。
――仕事なんでしょう?――
――ああ……――
――いってらっしゃい――
――……ッ。いって……きます――
――あなた……娘たちのことお願いね――
――馬鹿言うな。そういうのは元気になってから言え――
――……そうね――
恵美……俺はダメな夫、父親だったよ。娘のことを……俺は守れなかった。
撫でる手は震えだし、頬に涙がつたう。
お父さんの涙はとっても綺麗だった。
明樹保の言葉が脳裏を過る。――直ちゃんが直ちゃんじゃなくなっちゃう――。
「そっか……」
お父さんがお母さんのことから逃げているのは、子供心ながらわかっていた。お姉ちゃんがお父さんとその話で揉めたのも知っている。
お父さんはお母さんのことを本当に愛していて、だからこそ失ったことが辛くて。
それがわかっていたけど、それでももっと家族を……私を大切にして欲しかった。もっと褒めて欲しかったよ。いまさら、「すまなかった」なんてずるいよ。
撫でながら泣いているお父さんは、私のことを想っていることが痛いほどわかる。お父さんはきっとどうしていいのかわからなかったんだね。
体にある宝石から負の感情が、痛みとなって体を走る。
お父さんとゆう君のことを言い訳に、宝石に負けたのは、暴れたのは紛れもなく私だ。私もお父さんと変わらない。言い訳していたのだ。
明樹保の言ってた通り、他の誰かを言い訳に想いを伝えることをしなかった。お父さんが辛いことをわかっていても、私はそれを無視して向き合うことから逃げた。不貞腐れて不満だけを言うだけ言って。
このままではいけない。このままこの宝石の……あの人の思い通りにさせてはいけない。
撫でる手から逃げるように、頭を動かす。お父さんは寂しそうな顔になった。
「ほら……早くどら焼きを食べさせてよ」
「ああ。そんなに急がなくてもまだたくさんあるぞ」
お父さんは強がらずに泣いていた。私も気づけば泣いている。そうか、こんな簡単だったんだ。ゆう君の言うとおり、もっと本気でぶつかればよかった。お互いに逃げていたんだね。
「私はお父さんの娘だね」
「な、直?」
最後のどら焼きを味わう。これでもかと咀嚼する。こんなに美味しいどら焼きは初めて食べる。甘くてしょっぱくて、いつまでも食べていたい。それでも終わりがくる。
「おかわりはまだあ――」
「もういい。ありがとウ」
お父さんは信じられないといった顔になる。そんな顔に私はお父さんと同じく努めて優しく、そして微笑みながら語りかける。
「最後のお願いがあるんだ」
「直!」
お父さんはすぐに察した。さすが親子だね。こんなことでも通じ合えていることに今は嬉しい。今言ったら怒られそうだけど。
「聞いて……お願い」
お父さんは目を閉じ、辛そうに顔を歪める。
「わかった……」
「今度こそ、家族の死と向き合ってね」
その言葉の意味をわからないお父さんではないはずだ。私の言葉に小さく頷く。
私は今ここで死のう。いや、この宝石を……この宝石を私にあてがったあの人を、そしてそれに連なるすべての人を倒すために、私は戦う。
明樹保たちも戦っているんだ。私にもできる。
「私を……私を殺して欲しいのお父さん。私を利用しようとした人達を倒すために」
「ああ……わかった」
お父さんは銃をコートから取り出す。その手は震えており、見ているこっちが不安になった。それを震えながら私の額に突きつける。
「最後に言い残すことは?」
冷静に言おうとして、声が震えておかしな発音に笑いそうになった。
「笑うな」
「ごめんね……」
そうか。最後に言い残すことか……。
私は烈君を、明樹保を、ゆう君を思い出す。
烈君にも酷いことをしてしまった。彼は……私のことを好きでいてくれて……。私のゆう君への想いを知っていたからこそ、ずっと耐え続けてくれた。そんな彼はきっと私の死を悔い続けてしまうだろう。私の死を糧に、これから多くの人助けていってほしいな。私がこんなことを考えるのは不謹慎かもしれないけど、こんな経験は滅多にない。これをバネに強く……誰もが認めるヒーローに……。ゆう君が導いてくれるよね。
明樹保には今すぐにでも謝りたい。許して欲しいわけではない。それでも謝らずにはいられない。謝れずに逝ってしまうことは強い心残りだ。アウターヒーローとして戦っていくのだろうか……。もう一度自分の進路をよく考えなおしてみて欲しい。きっと……雨宮さんたちも明樹保と似たようなことになっているのだろう。彼女たちも、明樹保も私のことをこれからの糧として欲しい。難しい道を進んでいくのだから、きっと私は役立った。そう考えるのは傲慢だろうか?
ゆう君に想いを伝えることができなかったな。これが私にとっての今一番の後悔。
私は今から死のうとしている。私が死んだと知ればみんな悲しんでくれるだろうか? 泣いてくれるだろうか? そうしてくれたら嬉しいな。
「烈君と明樹保に謝りたかった。ゆう君に大好きだって伝えたかったかな。でも、こういうのは自分の口で伝えないと意味ないし。やっぱりいいや」
照れ隠しで笑ってみせたが、様子がおかしい。お父さんの表情が信じられないといった顔になる。
「な、なんだヨ。娘の恋を笑うノ?」
そこで初めて気づいた。お父さんは私ではなく、遥か後方を唖然と見つめている。そして私と遥か後方で視線を彷徨わせている。
「え?」
アネットとオリバーがいたビルの屋上に、一足遅くエイダと紫織はたどり着いた。
「一足遅かったようね」
「お陰で念話の妨害が消えたのかしら?」
エイダと紫織は道中アネットが設置して蔦を破壊しながらここまで来たので、思った以上に時間を食った。蔦から魔力を妨害する効果が発せられ、念話などが上手く行かなかったのだ。
タスク・フォースたちの手伝いもあって、念話ができるくらいには回復した。早速エイダは中にいる彼女たちと連絡をとる。
『明樹保? 水青? 凪? 無事? 返事してちょうだい』
『こちら水青です。よかったようやく繋がるようになったんですね……』
エイダはすぐに水青の声に元気が無いことに気づいた。
『どうしたの? 何かあった』
『あ、いえ。大丈夫……ではないですね』
水青の言葉の切れが悪く、エイダと紫織は焦燥感を煽られていく。
『雨宮さん。落ち着いて説明して』
『その……一応全員無事です。ですが――』
その後に語られた事実にエイダと紫織は目眩がしそうになった。こんな不幸があっていいものかと彼女たちは、アネットに対して憤っている。特にエイダは自身が気づいていたことを明樹保たちに伝えなかったことを激しく後悔していた。
『それで須藤さんは?』
『それが……わからないんです。私達が駆けつけた時には、倒れている明樹保さんとタスク・フォースの方々だけで』
エイダはすぐに索敵をするが見当たらない。見つけられないのだ。アネットに連れられたかとも考えるが、すぐにその考えを否定する。
『今のアネットなら、魔物を置き逃げしてどこか遠くで眺めて楽しむはず』
「でも街で騒動はないわね」
紫織は街を見渡す。見下ろした街には混乱見られても、どこかで激しい闘いがあるようには見えなかった。
『他に変わったことは?』
『あきが意識を失っている』
暁美の言葉にエイダは目を白黒させる。一度深呼吸をして、様子を詳しく聞いていく。
『みんな元気が無いわね。早く帰宅しなさい。後は私とエイダさんでなんとかするから』
紫織はこれ以上精神的負担をかけさせまいとして、彼女たちを現場から遠ざけることを指示した。エイダもそれに反対する気はなく、むしろそれを強く薦めているくらいだ。
『私達……明樹保に全部押し付けて、背負うことを逃げたの』
凪の声は淡々としたように聞こえる。しかし言葉の最後の方は震えていた。彼女ですら戦うことを拒絶したことに、エイダは驚愕するも、どこかで仕方がないと割り切っていた。
『私……私……』
鳴子は泣いていた。念話の声ですら震えているのだ。現地での彼女はボロボロだろう。エイダは優しい声音で彼女たちに帰宅するようにと告げた。
暁美たちが帰宅しようとモールから出ると、出入り口に早乙女 優大が立っていた。彼は暁美たちの姿を確認すると、安心したように鼻で息を吐く。そのまま歩み寄り、暁美が抱えている明樹保を慣れた手つきで抱え上げた。
「まっすぐ帰れよ」
「あ、ああ」
優大は何も聞かずに、暁美たちに背中を見せて帰路につこうとしている。そんな背中に水青はたまらず声をかけた。
「須藤さんの事……お聞きにならないのですか? 普段の貴方ならば、些細な違いにも気づくはずです」
その言葉に誰もが優大に疑問を抱く。優大も全員に疑念を向けられていると気づき、歩みを止める。次に掛ける言葉が見つからず誰もが黙りこむ。そんな中、気を失った明樹保が意識を取り戻す。
「ん……直ちゃん?! 大ちゃん?!! 大ちゃん! 直ちゃん知らない」
明樹保は抱えられたまま優大に掴みかかる。どう説明したものかとしどろもどろになって質問を矢継ぎ早に浴びせていく。彼女は戦っている最中、敗北し気を失っていたのだ。今がどんな状況で、直がどうなったのか彼女が知りたがるのも無理は無い。
優大は観念したかのように、ため息混じりに「やれやれ」とつぶやく。
彼はゆっくりと振り返り、明樹保を地に降ろす。
「明日にはわかることだが……先に言っておく――」
優大は一度瞑目すると、鋭い眼差しとなる。
「――須藤 直は死んだよ」
その言葉は明樹保たちを、そして遠くで優大たちを眺めていたエイダたちを激しく動揺させた。
「なんで……お前がそんなこと……」
「さっき、おやっさん……直の親父さんから連絡があった」
彼の声に悲しみを感じさせず、淡々と続けていく。
「数日後には葬式だそうだ。各々別れの言葉を考えておくように」
「ちょ、ちょっと待てよ! なんでお前そんな……そんないつも通りでいられるんだよ」
あまりにも彼の冷淡にも見てとれる態度に、明樹保も含めて全員が混乱していた。嘘なんじゃないかと錯覚させるほどに彼はいつも通りの声音で、いつも通りの様子でいるのだ。
「哀しいさ。けど、今ここで泣いている暇はない……俺達には明日があるからな」
優大は明樹保の頭を撫でる。
「私が……私が助けられなかった……私が……」
明樹保は大粒の涙で道路に点を作っていく。それが引き金となり、全員が泣き始める。さすがにそんな状態になれば、優大も動揺した。
「お嬢様。ここで泣かれては他の方々の迷惑になります。これからここはタスク・フォースと警察関係者が現場検証を行います。すぐにここから離れますようお願いします」
いつの間にか来ていた崎森 彩音は機械的な態度で、言葉を並べていく。そんな彼女の態度に水青は、怒りを隠さずにぶつける。
「わかっています! わかっていますが……」
「ご学友が亡くなって辛いのはわかります。ですが、それを理由に他人に迷惑をおかけしませぬように」
「……ッ!」
優大は溜息を吐いて、踵を返す。
「行くよ。明樹保」
「……うん」
明樹保は泣きながらも、優大に手を引かれ帰宅の途についた。
それを皮切りに、凪と鳴子も、暁美と白百合も、水青と彩音は帰路についていく。誰もが涙に頬を濡らし、心に大きな傷を抱えて。
数日後。葬式の日がやってきた。私達の表情は全員曇り空だ。それを笑うかのように天気は晴天だった。でも直ちゃんを送り出さなくちゃいけないから、天気が良くてよかったのかもしれない。いや、よかった。
私達は葬式が始まる前に、直ちゃんの遺体と対面させてもらっている。
「小さい……」
「そうだね」
すごく小さく見えた。私より背が高いはずだったのに、そこにいた直ちゃんは小さかったのだ。額には包帯がまかれており、額に触ることは直ちゃんのお父さんに強く禁止された。だから、額に触れたかったけど、頬に触れることにした。
「冷たい」
「そっか。明樹保は遺体に触るのは初めてか」
大ちゃんの言葉に私は小さく頷く。
こんなに冷たく、熱を返してくれない。私の手のひらの熱は永遠に吸収され続けているんじゃないかと錯覚した。
ついこの前まで笑っていた頬は、二度と緩むことはない。そう考えただけで、寂しくて、悲しくて、泣けてくる。この数日ずっと泣いたのに。泣きだすと、大ちゃんは優しく「辛かったね。よく頑張った」と声をかけ続けてくれた。
「泣いていいんだよ」
大ちゃんの言葉に首を振る。
「大丈夫。それに笑って送りたい」
「そっか……」
それ以上大ちゃんは私に何も言わずに、ただそばに居続けてくれた。直ちゃんはきっとこういうのが嫌だったのかな。だとしたらそばに居て、こうして直ちゃんを見ているのはなんだか皮肉だ
「あのね大ちゃん」
罪悪感から、私は大ちゃんに直ちゃんの想いを伝えることにした。
「直ちゃんね。直ちゃん……」
だけどそれは怒鳴り声で遮られる。振り返ると、烈君が大ちゃんに掴みかかっていた。
「お前! なんで泣いてないんだよ!」
「葬式で泣かなくちゃいけない。そんな決まりなんて無いだろう?」
怒る烈君を、大ちゃんは涼しい顔で相手にしている。私はどうしていいかわからず、その場で2人に視線を送ることしかできなかった。
「ふざけるんじゃねえ!!」
青白い光を纏った烈君は拳を振りぬく。短くて鈍い肉を打つ音が鼓膜を震わせる。咄嗟に目を瞑ってしまった私は恐る恐る目を開ける。そこには殴られて、頬を赤く染めた大ちゃんと、驚く顔の烈君。殴った烈君の顔は辛そうになり、今にも泣きそうな顔に変わる。
「どうして……」
大ちゃんは何も答えず、ただ見つめるだけだった。
「どうして泣いてやらないんだよ。直が……直が死んだんだぞ。もういないんだぞ」
言いながら烈君は泣き出す。それでも大ちゃんは答えずただ立っているだけ。
「なんとか答えろよ!」
今度は青白い光を纏わずに、何度も大ちゃんを殴り続けた。それでも大ちゃんは抵抗することも身構えることもせずに殴られ続けた。
「やめ……やめて!」
見続けていられずに叫ぶしかできなかった。それで烈君は殴るのをやめた。
「もうやめて……直ちゃんの前なのに……哀しいことはもうたくさんだよ」
直ちゃんだけじゃない。保奈美先生も、関係のない沢山の人が死んだ。それなのに生きている人がそのことで争うなんて、哀しいよ。
明樹保の涙に烈は居心地が悪そうな顔になる。
「でもなんで……お前が泣いてやらないんだよ! 直の葬式だぞ。それなのに――」
烈は苦しそうな顔になって言葉を切る。喉まででかかっている言葉を抑えようとしているようにも見える。だが、変わらずにいる優大を見て怒鳴り散らすように言い捨てた。
「――直はお前のことを好きだったんだぞ!」
「そっか……」
烈や明樹保の予想を裏切るように、彼は態度を変えることはなかった。明樹保は目を見開き信じられないといった様子で、優大を眺める。
「そっかって……」
「お前こそ大丈夫か?」
怒鳴った上に、殴ってきた相手を気遣う彼に、烈は取り乱す。そんな様子に優大は「やれやれ」とつぶやく。
殴った烈のほうが辛そうにしており、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「お前……俺は大丈夫……だよ」
弱々しく言う。烈は優大の言葉を否定する。そんな言葉に説得力はない。烈自身もびっくりするほど弱々しい声音に驚いている様子だ。
騒ぎを聞いて、ジョン、水青たちと流たちも駆けつけていた。
「大丈夫……じゃないだろう?」
頭を押さえつけるように撫で、優大は烈を抱きしめる。
「何を我慢しているんだよ。お前こそ泣いていいんだ。お前こそ……直の事好きだったんだろう?」
烈の目から大粒の涙がこぼれていく。烈は強く優大を掴み。嗚咽混じりに泣き叫ぶ。
「俺……俺……直のこと助けられなかった! 何もできなくて……化け物になったあいつを。あいつが化け物になってたってわからなくて……何度も攻撃しちまって……保奈美先生と同じで助けられなかった……なんにもできなくって。できなかったんだ。俺……俺」
取り乱した烈は機密事項も含めて泣き叫ぶ。当然、然るべき人がいれば咎めただろう。だが今ここには彼らしか居ない。
優大は烈の肩に手を当て、彼の瞳を見据える。そんな優大の視線から逃げるように、彼は視線を下に逸らす。
「俺……ヒーローなのに……ヒーローなんだぞ!」
沈黙が支配した。その場にいる誰もが声を発せず、地に視線を落とした。そこにいる全員の顔を、優大はひとりひとり眺めていく。
「ヒーローなんてのはテレビや漫画、アニメにしかいない」
誰もが優大の言葉に唖然となる。そんな彼らを無視して彼は続けた。
「空想上の存在だよ。俺達はただ力を持っただけの人だ。この現実にいるヒーローと呼ばれている人達は、ただ力持っているだけにすぎない。それをヒーローと呼んで、勝手に遠ざけているだけだ」
優大は一呼吸して、直の遺体を眺める。それは生前の彼女に送った眼差しと何も変わることはない。いつもの眼差し。
「ここにいるのはただ力を持っただけの人さ。だから喜んで、怒ったりして、哀しんで、楽しんで、泣いて、悔やんで……」
「人だから直を助けられなかったのは、仕方がないっていうのか! 俺は何も出来なかったんだぞ」
「そうじゃない。助けられなかった哀しみを知っている。だから、誰かに哀しみに暮れてほしくない。そう思えて動けるだろう? 直もきっと自分の死んだことに囚われて欲しくないって思っているさ」
「そんなの……」
烈の言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
「直はそんな人だったか? 確かに思い込みは強かったけど。なんだかんだ言って面倒見はいいやつだった。最近だと、家でのストレスを抱えていても、みんなが中間テストで大変そうにしていたら、なんとかしようとしていたじゃないか」
「屋上で優大と喧嘩したお前も含めてちゃんと勉強を教えてくれたな」
ジョンは冗談交じり烈を突いた。ジョンは優大と視線を交わす。
「あ……」
烈は優しかった彼女の眼差しを知っていた。人を気遣うことができる彼女は、普段辛い想いをしていたからこそ。
「そっか……きっと直も……」
「そうさ……。俺達の知っている直はいつまでも自分に躓いたままでいてほしくない。そう考えるはずだ」
優大は一度呼吸して話を切った。そして全員の顔を眺めていく。
「直の死に関しては、各々で答えを出すんだ。そればっかりは俺がどうこう言っても意味が無い」
肩をすくめて見せて、部屋の外へと足を運ぶ。誰よりも確かな足取りで1人先に会場へと歩み出て行く。
「お前は?」
そんな背中に烈は問う。
「俺は答えを出した。だから、こうして普段通りでいる。それに……泣くのはすべてが終わってからだ」
最後の方の言葉は小さくつぶやいたため、そこにいる明樹保達は聞き取ることが出来なかった。訝しむ気配を感じて彼はため息を吐く。
「え?」
「これからマスコミの回すカメラを考えて、生徒代表の弔辞が失敗出来ないって言ったんだよ」
優大は苦笑いをしながら会場へと1人先に向かった。
大ちゃんはカメラのレンズを向けられることを極端に嫌がる。嫌がるとかそういうのではない。激しいトラウマレベルである。その昔、お父さんとお母さんと一緒にいるところをマスコミに取り囲まれて以来。大ちゃんにとってのトラウマである。それも含めてヒーローが嫌なんだと思う。
そして先ほど大ちゃんが言ってたとおり、この葬式にはマスコミ関係の方が大勢来ている。直ちゃんの死は世間では悲劇的に扱われていたため、ここぞと報道関係の方々は躍起になっているそうだ。うちもそうだが、水青ちゃん、暁美ちゃん、凪ちゃん、鳴子ちゃん、白百合さんの家にマスコミが殺到して大変だった。
学校の登校中にも来たのは嫌だったな。大ちゃんもカメラを向けられて顔を青くしていた。
そんなカメラがトラウマの大ちゃんが、弔辞を読み上げることとなっている。今までカメラを向けられて、倒れたり、吐いているところとかも見ていたりするので、心配している。何度も代わることを提案したけど、「俺がやる」と意地になっているようだった。
でも、私だと泣いてろくに読みあげられないし、烈君も同じだと思う。やっぱりここは大ちゃんが適任なのかもしれない。
「大丈夫かな?」
「そんなに不味いのか? あいつそういうの慣れてそうだけど?」
私の心配する声に、暁美ちゃんが心底信じられないといった様子だ。
「トラウマなんだよ。なんとかするって言ってたけど……心配だよ」
結局私の心配は杞憂であった。ただ、大ちゃんの「なんとかする」は、かなりの離れ業をしてのける。弔辞を読み上げる紙は真っ白だし、目をつぶったままマイクの前まで躓くことなく歩いて行ったのだ。
確かに目をつぶればカメラを意識することはないけど、そこまでする必要はあったのかな。
逆に注目を浴びているような気がする。
それでも目を閉じている大ちゃんにとっては気にする必要はなく。淡々と読み上げていった。
読み上げるじゃない。紙は真っ白なんだから、その場で考えて喋っているんだ。すごい。
「――ご冥福をお祈りします」
大ちゃんは読み上げると目をつぶったまま自分の席に戻った。これにはさすがに歓声のようなどよめきが起こる。
葬式は無事に終わり、火葬の立ち会いからは親しい人達だけとなった。カメラはシャットアウト。私と大ちゃん、烈君はもちろん立ち会っている。
今は火葬が終わるのを待っている状態だ。
「ゆう君ありがとう」
直ちゃんのお姉さんである恵姉。直ちゃんとは対照的に髪が長く、メガネもかけていない。今は満宮でスターダムヒーローをしている。
そのお陰で直ちゃんの死が、世間で大きく取り扱われているのだ。
恵姉と直ちゃんのお父さんは口も聞こうともしない。お互いに口を開けば喧嘩になるとわかっているだとか。それでお互いに触れないようにしている。
それでも葬式前には恵姉と直ちゃんのお父さんは口論になっていた。それを大ちゃんが割って入り、納めてなんとか無事にここまで来ている。
「いえ……俺は、俺に出来る事をしたまでです」
「なにかあったの?」
私が問いかけると、恵姉は表情を曇らせる。説明しづらそうにしていた。
「んーっとだな。簡単に言うと、恵姉を今日一日休ませる代わりに、満宮と俺の間で契約があったんだよ」
「な、なんで!」
私はつい立ち上がり叫んでしまう。大ちゃんはそれを手で制して、座ることを促した。
「まあ会社に入れとかそういうのじゃないよ。夏ぐらいにちょっと面倒事を少々」
「優希君もかなり怒ってたよ。――あんなやり方は卑怯だ――って」
大ちゃんは笑っていたけど、結構大変なことだということはわかる。
満宮……それが大ちゃんのお兄さん。早乙女 優希が所属している会社であり、かつて大ちゃんのお父さんとお母さんが務めていた会社でもあった。
事あるごとにその社長は大ちゃんを会社に勧誘しに来る。今回もそれに似たことを行ってきたに違いない。
私が内心怒っているのを察して頭を撫でられる。
「大丈夫。特区に行けとか、スターダムヒーローになれとかじゃないから」
「それならいいけど」
しばらくの沈黙の後、火葬が終わったことを告げられる。次は納骨。
実は私はこれが怖い。出来れば参加したくないんだけど……。
今から向かうことにまだ迷いがあった。それを見透かされ背中を優しく叩かれる。行くぞと促された。
「待ってよ」
「だったら急ぐ」
恐ろしいと感じていたのはなんだったのか? それくらい何もなかった。いや直ちゃんだった骨はある。だけど、そこに悲哀も何もない。ただ「全てが終わった」と感じさせた。
私達は指示に従い、骨を拾って壺に収めていく。
ふと烈君に目線をやると、私と同じく呆然とした感じで拾っていた。大ちゃんは普段と変わらない様子だ。
これで……終わりだ。全部。これからが始まり。
まぶたを閉じれば、今までの戦いの光景がすぐに呼び出された。壊された街。泣いている少女。辛そうに歪む友人たちの顔。恐怖し逃げ惑う顔。そして、哀しみ暮れる顔。
私も歩んだ明日を直ちゃんと、保奈美先生に話そう。だから、私はこの街を襲う人達と戦う。これ以上誰かを失いたくない。誰かに私のような哀しい想いはさせたくないから。
〜続く〜
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