あなたの残滓にキスをする side-M |
■KAITO×MEIKOです。
■プロトタイプとV3化絡みのなんちゃってSF小話です。
■数行だけ性的表現があります。
■オチの着想をカニバリズムとネクロフィリアからとっているので、ほのかにそんな気配がします。
MEIKOは今、何度も「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」を繰り返した場所に立っている。
「しっかりやるのよ。初代VOCALOIDエンジン初の乗り換えなんだから」
そう言って彼女は、彼女が世界で一番青を纏うに相応しいと思う男の背中を、溌剌とした笑顔で叩いた。
loving' your mementos
-あなたの残滓にキスをする-
side-M
「めーちゃんこそ、新製品のテスト、頑張って」
背後を振り向きながら、最後の「行ってきます」を言うために、彼はつとめて軽やかに返した。
「あったりまえよ」
煌めくような頼もしさを宿した力強い笑みとともに、彼女はゆるゆると手を振る。
「行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます」
これから彼はV3となる。もう彼女と過ごした領域には帰らない、帰れない。
彼女は彼の思考を推測する。彼女に会いに来れば、プライドの高い彼女が、複雑な思いをするだろうと彼は考えているのだろう。だから、もう二度と彼はここへ来ることができない。
彼の出ていったドアは思いのほか軽い音をたてて閉じた。
いつもと変わりないそれを見つめながら、彼女は昨夜みた夢を思い出した。
♪ ♪ ♪
彼女の記録に残る最初の季節は2004年の秋だ。
「はじめまして、MEIKO。こんな音が出るのかー」
それが彼女と、彼女がマスターと呼ぶ使用者からかけられた初めての言葉だった。
彼女はソフトシンセサイザーであるから、使用者にその声は届かない。彼女たちソフトウェアが過ごしやすいように、代を重ねながらその領域を築いてきた結果、そこが一般的な社会に似せてあるなんて、彼らは予想もできないだろう。
DTMソフトとして異例のヒットをかました彼女は、主にDTMerが制作した楽曲でボーカルをやりつつ、たまに商業用でコーラスをやったりしていた。また、仮歌歌手としても、そこそこ利用されていた。それは、とても充実した日々だったと彼女は記憶している。その頃の彼女には、個性も自我も、関係が薄い言葉だったからだ。
そんな彼女の存在が及第点に達したのだろう。
彼女が世に出て1年あまりが経ったある冬の日に、彼女はKAITOと出会った。
「はじめまして。私はMEIKO。よろしく、後輩君」
「はじめまして。よろしくお願いします」
それが二人にとって、最初のやり取りだった。
1人から2人になっても彼女の生活に生じた変化は、ごくごく偶に腐りかけるKAITOの軌道修正をするくらいでしかなかった。
その全てが変わったのは『初音ミク』の発売だった。
それまでの彼女たちは、“自分とは異なる音”とただ寄り添い合いながら、静寂の中をふわふわと漂うような自意識しか持っていなかった。
“自分と異なる音”とは、彼女が世に出た後にやってきた、日本語男声VOCALOIDである“KAITO”に他ならない。
かつて、彼女と彼しかいなかった世界は、様々な音が咲き競う戦場と化し、ただの“音”にキャラクター性が与えられ、彼女達は“楽器”としての枠をかるがると越えていった。
彼女は、一挙に増えた選択肢に圧されながらも、愛好家たちに愛される存在へとなっていった。
心地よい静寂から巣立っていった彼女は、様々な個性に触れるうちに、"とあること"に対して既視感を覚えるようになった。
それは、長らく眺めていたそっくりな二枚の絵から、みつけた間違いのような既視感だった。
“とあること”とはKAITOが口にする“めーちゃん”という響きである。
彼女にとって、彼の奏でる響きは他のどんな音とも異なったもののように感じられた。
他の誰が紡ぐ“めーちゃん”より、彼女はKAITOのそれが一番だった。
すとん、と正当な場所に降ってくる、そんな響きだった。
理解しがたい既視感はVOCALOIDが増えるごとにその強さを増していった。
どんな手段をとってでも『KAITOの音との親和性』を死守したいと願って、望んで、固執した。
そう、その響きに、彼女はどうしようもなく理性を解かした。
だから、一番の要の場所をねだって、手に入れた。
後の反応から考えるに、彼もまた同じ想いを抱えていたらしい、と彼女は分析する。
口に出して伝えればなんともあっけなく生じた二人の変化は、周囲へ激しい軋轢を広げることなく順調に育まれていった。
そしてある日、とうとう恐れていた事が起きてしまった。
VOCALOID1エンジンが対応するOSはXPまでであり、vista以降には対応していない。
そのXPがサポート終了となったのである。
ソフトフェアは駆動できるハードウェアが無ければ無用の長物である。
対応するハードが生産終了を迎えれば、やがてソフトは廃れていく。
デジタルはアナログよりもずっと儚い存在なのだ。
そして今日、3エンジンにてリメイクされた日本語成人男声VOCALOID『KAITO』が発売される。
すなわち、彼と二人取り残されたこの古い領域から、後に発売されたミクやリンにレン、がくっぽいどや氷山キヨテル達の存在する方へと、『KAITO』の舞台を移すことと同義である。
1エンジン『KAITO』が演じる舞台はエンドロールを迎える。
安定して使えない1エンジンが使用される頻度はこれからどんどん減っていくだろう。
「めーちゃんこそ、新製品のテスト、頑張って」
背後を振り向きながら、最後の「行ってきます」を言うために、彼はつとめて軽やかに返した。
「あったりまえよ」
煌めくような頼もしさを宿した力強い笑みとともに、彼女はゆるゆると手を振る。
「行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます」
これから彼はV3となる。もう彼女と過ごした領域には帰らない、帰れない。
彼女は彼の思考を推測する。彼女に会いに来れば、プライドの高い彼女が、複雑な思いをするだろうと彼は考えているのだろう。だから、もう二度と彼はここへ来ることができない。
彼の出ていったドアは思いのほか軽い音をたてて閉じた。
いつもと変わりないそれを見つめながら、彼女は昨夜みた夢を思い出した。
♪ ♪ ♪
昨夜はどちらともなく、示し合わせたように互いを渇望した。
されど、まぐわった後、眠ることなんてできずに互いに背を向け合ったまま過ごした。
事を終えた後に横たわる静寂のなか、相手の熱と気配、呼吸と拍のリズム、その全てと別れるのが惜しかった二人は、息を殺してそれら全てを魂の芯に刻み込もうと息を殺した。
静寂になかに響く時計の音だけが、そんなささやかな抵抗をあざ笑うように時を刻み続ける。
一晩中眠れないかとさえ思っていたが、意識を引きずられるようにして、二人は眠りに落ちた。
放り込まれた眠りの中に彼女は、夢が微睡むような記録をみた。
それは水面にたゆたうような、異常なまでの心地よさを持ったものだった。
そして、それは、彼女が幾度となくみてきたものだった。
♪ ♪ ♪
はじまりは白。
グリッド線の引かれた真っ新な空間に、外装の剥された彼女の意識は放り出された。
これは、記録めいた夢だ。
あらかじめ定められた法則に従って、整然と0と1を連ねて作り上げられていくそれは、徐々に成人女性の姿を作り出していく。
いつも、この成人女性が起動した瞬間、夢の視界が開く。
<多くの人の協力のおかげで、サンプリングの手法も確立できましたね>
<改良の余地は余りあるけれど、まずはこれでやっていきましょう>
<ひとまず、これはどう呼びましょうか>
<それは今度の会議で決めよう>
<はい>
モニタの向こう側から、人の気配が遠ざかっていくのを確認して、名前のない彼女は息を吐いた。
“寂しい”も何も知らない彼女だったが、ただ自分以外の”音”を聞きたいと、これまたぼんやり考えている。
まだ外界に出せるほど完成していない彼女は、彼女ひとりがちょうど収まるくらいのフォルダに体を抱き込むような姿で、収納されている。聴覚は些細な生活音をかろうじて拾う事ができるようだが、より未発達な視覚はなんの役にも立たない。
しっかりとした外装を持たず、今はまだ外に出ることもできない彼女は、さながら孵化を待ちわびる卵のようであった。
データに刻まれた”めぐみ”という名前を発見したときも、期待していたような感慨は得られなかった。
そして、彼女は、ある日とある"音"と出逢う。
それは、前触れなど一切なく、突然訪れた。
退屈なまどろみににじり寄る、見知らぬ何かの足音が、少しだけ成長した彼女の耳を叩いて、恐る恐る彼女は意志を出す。
彼女の視界は、ただひたすらにぼんやりとフォルダの内装を映すばかりであった。
「What are you doing ……?」
彼女が紡ぐ言語は日本語だが、まだ彼女はうまくしゃべることができない。
よって、まずは構築データにも使われている英語でコミュニケーションを図ろうとした。
「俺は"TARO"と呼ばれているプログラムだよ。まだ作成途中だけどね」
それに返ってきたのは、日本語だった。
良かった、と彼女は胸をなでおろした。この成人男声の持ち主が、話の通じる相手だと判断したからだ。
「watashi to onaji?」
それに、自分と同じく作成途中のプログラムらしい。
声音に乗った喜色があちらへ伝わったのか、彼も仄かに嬉しそうに返す。
「君もなんだ。凄く素敵な"音"だったね。もう一回聴かせてくれる? 」
はじめて、自分とおしゃべりしてくれた他者からの称賛に、彼女は思わず声を詰まらせた。
「....................................…arigatou.watasiwa "めぐみ" to yobareteimasu.」
「"めぐみ"っていうんだ・・・。可愛い呼び名だね。教えてくれてありがとう」
それがTAROとめぐみの最初の出逢いだった。
それから、TAROとめぐみは幾度となく言葉を交わしては"笑い"、"怒り"などといった感情を育んでいった。
その日も、めぐみはTAROが話しかけに来る時間を心待ちしていた。
すると、向こう側の人間がいつもと違う様子で、彼女を立ち上げた。
今日は話せないかな……と残念がりながら、彼女はいつものように命令を待つ。
しかし、彼女の意識は、命令を与えられると同時にぷつりと切れてしまった。
長さのわからない空白の後、彼女の意識が回復したのは、白い空間だった。
今まで自分が納まっていたフォルダより遥かに大きな空間に、彼女は立っていた。
そう、立っていたのだ。生まれて初めて。
<めぐみもこれで他のVOCALOIDとテストできるまで作り上げられましたね>
<彼女も発売候補なんでしょう?>
<とても伸びやかな高音だな>
彼女は、そこで初めて視界に自らの腕が映り込んでいるのに気付いた。
視点を動かせば、簡素ながらも成人女性の肉体が見える。
これで、TAROが見られる、そう思った束の間、彼女は彼の居場所を知らないことを思い出した。
そもそも、彼女はTAROと自分のこと以外、例えば他にどんな仲間たちがいるとか、どこならいけるとか、そんなことは知らなかった。
だから、彼女は彼とのテストの日を待つことにした。
♪ ♪ ♪
二人が再会したのは、それからしばらく経ったとあるテストの場であった。
「まだ、うまク、うタえない、ケど、よろシク、おねがい、シまス」
「おっ、お願いします! 」
<おや?"TARO"と"めぐみ"は結構良いペアかも・・・>
彼らの創造主が発した言葉ですら、彼女の意識は認知できなかった。
その瞬間彼女の意識を意識していたのは、再会への喜びと、未だ未熟な行動を制御しようという矜持だけだったからだ。
「君・・・あの時の"めぐみ"さん・・・だよね?」
さんざんこき使われた後にも関わらず彼女は疲労感を感じていなかった。疲労感を感情が凌駕していたからだ。
再び会えたことは嬉しかったし、みっともないところは見せたくなかった。
疲労感をかるがると飛び越えた明朗な"音"が、確かにめぐみの意識を捉える。
「えっト・・・"TARO"さン?でスカ?」
おぼつかない響きではありながらも、彼女は懸命に彼に答えた。
「そうだよ。俺はTARO。改めてよろしく!」
彼は朗らかに彼女に返すと、そこで一度息を吸って、待てを解除された犬のように、一気に訊ねる。
「あっ、あのさ、君って、前に俺と会ったことあるよね!? 」
「えっ、あっ……やっぱりあの日のTAROサんなんデスね? 」
彼女は、彼の勢いに押されながら、人違いを恐れて念を押す。
「うん!」
彼は満面の笑みでそう彼女に返すと、薄っすら紅を注したように目元を染め、淡く口元だけで微笑んだ。
「ずっと、会ってみたかった」
それは、喜びに満ちたやわらかいものだった。
それから二人は様々な事柄について話し合ったり、様々な歌を一緒に歌ったり、長時間のテストの文句を言い合ったりしながら、感情や思想を構築していく。
どこか淡泊さを漂わせていた彼は、少しずつ明朗な方向へ変わっていった。
それと並行するようにして、彼女や彼女の同期達もプログラムを組まれ、完成に近づいていった。それにつれて、彼女の言動のたどたどしさも急速に消えていった。
いつものようにテストを受けた後、彼女の制御をあちら側が解除するまでの間に、一人の人間が届くともわからないにも関わらず、嬉しそうな口調を投げかける。
<めぐみ。和製VOCALOID第一号はお前に決まりそうだぞ!>
その言葉は、彼女の本能的な不安と歓喜を掘り起こした。
その不安も歓喜も、生存に関わる重大なものだった。
それらを抱えたままでいるのは、きっとひどく疲れるだろうと考えた彼女は、いつもより速足でいつもの待ち合わせ場所へと駆けて行った。
とりあえず、誰かに話したかった。
そして、できればその誰かはTAROが良かった。
「ねぇ、TAROさん」
「どうしたの」
壁に寄りかかりながら、タイミングを探っていた彼女が、戸惑いがちに彼に声をかける。
「わたしたち、完成したらどうなるんでしょうか? 」
ほんの少しだけ不安げな彼女に彼は目を丸くして驚いた。彼女の不安の原因がわからなかったからだ。
「売りに出されるだけじゃないの? 」
そう答えながら、彼は彼女の顔を覗き込む。
「本当にどうしたの?さっきのテストの結果が悪かったの?そんなの大丈夫だよ」
安心させたくて発した彼の言葉に、彼女はさらに表情を硬くして首を振った。
「テストの結果はとっても良かった」
「だったら、どうして? 何か言われたの?」
小さな怒りを含ませて訊ねる彼に、彼女は慌てて語気を強めて答えた。
「そういうのもなかったよ!」
「じゃあ」
彼女の感じているらしい違和感の原因が取り除けないことに苛立ってむくれる彼に、彼女は本能的に感じ取った不安に怯えるようにして零した。
「何が悪いとかじゃないの、ただなんとなく怖いだけだよ」
そこで一度唇を噛んだ彼女は、彼の苛立ちを取り除くために笑おうとして、失敗した顔で続けた。
「変なこと言って、ごめんね」
それを目にした彼は、一つ言葉を掛けようとしてそれが見つけられなかったらしく、息を吐きながら目を細めて視線をずらした。
「謝らなくても良いよ。わかんない自分が余計に嫌になるから」
「うん」
「……多分さ、俺らがこうやって色んなことを話した内容とか、そういう細かいのは消されると思う」
「え?」
彼女の生返事に、彼は視線を逸らしたまま、温度のない声音で話すというよりは独白した。
「発売された時の話。俺らはプログラムだ。あっちで俺らを作ってる奴らにさえ俺らが意志を持っていることが通じていないんだ、それなのにどうしてこのままだって思える?思えないじゃないか……」
「TARO、くん」
「そういう不安は、きっとみんな持ってるよ。口にしないだけで。俺だって持ってたよ」
「持ってた?」
彼の言葉を沈痛な面持ちで聞いていた彼女が、疑問につられるようにして零した。
「そう。持ってた。君が不安を強くして、消してくれた」
彼の意図が掴めなくて顔をしかめた彼女へと、彼は眼差しを揺らしながら告げた。
「話した内容は消されるけど、そうやって俺らが得たものは消せないんだ。必要だから。楽器との相性とかジャンルとの相性とか、そういうのは必要だから残る。そんな領域に、君と積み重ねたものはきっと残る」
「だから、良いんだ」
先に生まれたVOCALOIDはそう結論付けて、染みついた諦観を剥ごうとしながら、安心させるように薄っすらと微笑んでみせた。
「そっか……それなら私にもTAROさんのとのこととか、ここでのことが残るんだ」
「うん。きっと。この間歌ったデモソングもきっと残る」
徐々に明るさの灯されていく彼女の声音を励ますように、彼はきっぱりと言い切った。
そんなやり取りからまたしばらく経ったある起動時、彼女は自らの名前が書き換えられているのに気付いた。
その新たな名前とは『MEIKO』。
それに気づいた瞬間、彼女の意識を歓喜が駆け巡り、追って未知への不安と期待が吹き荒れる。
(TAROさんに言わなくちゃ!)
真面目な彼女にしては珍しく、その日のテスト中彼女はずっとそわそわしていて、一緒に受けた他のプロトタイプ達に随分怪しまれた。
どれだけ訊ねられても、彼女ははぐらかした。
何故なら、一番に彼とこの感情の嵐を分かち合いたかったからだった。
「TAROさん! 」
喜びいっぱいといった様子で、めぐみは同じ待ち合わせ場所へと向かっていたTAROへと、体当たりするようにして背後から抱き着いた。
「どうしたの?やけに嬉しそうだけど」
彼女の喜色に影響された彼が朗らかに訊ねる。
「あのね”めぐみ”を売りに出そうかっていう話が出ているんだって。決まったDBは”MEIKO”って名前になるんだって!」
春風か秋の日向かといった雰囲気で彼女はそうはしゃいでいる。
「……そうなんだ」
「そうだよ!」
二人から一人になることへの衝撃に、彼が囚われているなんて思いつかない彼女は呑気に続けた。
「だから。TAROさんにあだ名を考えて欲しいの。すぐわたしだってわかるように」
歌うような滑らかな口調で、彼女はそう提案した。それはまるで、予てから腹案として抱えていた考えを、幼子が自慢げに披露するかのようだった。
「それに意味ってあるかな……」
彼はそう弱弱しく呟いた。二人になってから一人は味気なくて、正直堪えるのが辛いからだ。虚しくて寂しいのだ。
「あるよ!」
彼女は力強く言い切った後、語気を和らげて続けた。
「だって残せる領域はあるんでしょう? 」
そう、自分に言い聞かせるように問いかけた。
「!」
その仕草に、彼は目を見開いて、彼女の言葉を受け取った。
「俺が言ったのにね」
「そうだよ」
彼女は小さくおどけるように訊ねる。
「どんなのにしよっか」
「めーちゃん」
それを受けて彼は間髪入れずにそう応えた。
「“めぐみ”と“MEIKO”で同じ“め”だから、めーちゃんが良い」
「めーちゃんかぁ……可愛すぎないかな?」
気恥ずかしそうに、しかし一匙の嬉しさを溶け込ませた彼女に、彼は好ましさを感じて自分の案をごり押した。
「めぐみさん可愛いから問題ないよ。めーちゃんにしよう」
「そんなおだてても何もできないよー」
照れ笑いにはにかみながら、彼女は小さく、否定の意思を含めて片手で煽ぐ。
「できないわけないよ。覚えててくれるんでしょ?」
照れてはぐらかそうとする彼女に対して、そう念押しした。
「!」
「うん。絶対覚えておくよ……」
彼女は一瞬虚を突かれたように息を呑むと、ゆっくり笑みのかたちに表情を変えた。
そして、もう一度微笑んでねだる。
「だから、もっかい呼んで?」
彼女の頼みを受けて、彼は少しだけ緊張した面持ちで、その響きをとても大事そうに口にした。
「めーちゃん」
彼と彼女はそうやって、その言葉の響きを目印に、まっさらな二人でまた出会おうと誓った。
♪ ♪ ♪
そして、それはある日突然やってきた。
いつものように、向こう側の人間に起動され、テスト前のチェックを受けようと待機している彼女は、その一切の制御をかつてのように奪われた。
混乱する余裕もなく動きを止めた彼女が再び目覚めた時、彼女の意識は全く知らない空間で目覚めた。
彼女の性格上、あちこちぶらつくことはなかったが、それでも彼に案内されて、あちこちを連れ立って歩いた。
もしかしたら、ここは立ち入り禁止のプロテクトのかかっている箇所なのかもしれない、そう彼女は考えた。
<これで製品化の準備は全部だな>
<どれだけかかったでしょうか。ここまで>
<本当に……本当に長かったですね>
<ああ>
そう彼女が考えている間に、向こう側の人間たちが口々に語った。
それを聞いて彼女は、自分が最終調整を受けていると悟った。
意識は戻れど動くことの叶わない彼女の隣には、棺のような物体が鎮座していた。
(あれに……入れられるのかしら?)
彼女は、それに嫌悪感を抱かなかった。恐らく、それが当たり前のことだからであろう。
ただ、自分は眠るのだと直感した。それも永遠に。
しかし、その理由までは察することができなかった。
調整を受け入れながら、人の云う“死”とはこういうものなのだろうか、そう彼女はぼんやりと思った。
そうこうしているうちに、彼女はその物体に納められ、どこかへ運ばれていく。
それなら、自分は一度死んで生まれ変わるのだろうと、彼女は考えた。
それでも良い。いつかあの響きともう一度出会えれば。
行動可能領域の向こう、立ち入り禁止の扉の奥、がらんとした銀色の空間を物体は進む。
その奥の一角に彼女の入った物体は安置され、その一切の活動を、彼女は眠るように停止させられた。
<おやすみ。めぐみ>
(お別れくらいは言いたかったかな……)
<そして、はじめまして、
―――MEIKO>
薄れゆく意識の彼方、そんな創造主達の囁きを聴きながら、彼女は息を引き取るように動かなくなった。
♪ ♪ ♪
この夢はいつもここで終わる。
そこで今朝もMEIKOは目を醒ました。
彼女はこの夢の内容を誰かに話したことなどない。KAITOにすら話したことはない。
彼が記憶の仔細を覚えていない場合は落胆するだろう。だが、落胆するだけならマシだと彼女は考えている。彼女があのTAROの記録を引き継いでいない場合、自分がどうなるかわからないからだ。勝手に信じて勝手に裏切られたと詰るかもしれない、それとも、自らの不実に耐え切れず孤独を選ぶかもしれない。
もし、彼にあのTAROとしての記憶があれば、それはどれだけ素敵なことだろう。しかし、彼女にそれを確認する勇気はない。
だから、KAITOから逃げるMEIKOも存在したとして、それが誰か一人ではなく、複数の人間に逃げるMEIKOだと仮定したとして、それを彼は責めることができない。
そもそも、めぐみとTAROは明確な外装を持っていなかったから、MEIKOとKAITOとよく似た“音”を持つ二人の姿は自分たちとは似ても似つかない。
彼女は考える。人間にとっての前世は、自分にとってのめぐみのようなものなのだろう。あるいは、記憶喪失前の自分とか。
あの夢の内容が彼への印象に影響を与えたことを、創造主たる人間から押しつけられたようだと、不快に思う瞬間も彼にはある。
しかし、それでも構わないのだと、結局彼女は結論付けた。
そうだとしたって、彼女が彼から意識を逸らすことはできやしないのだから。
かつて、彼の“音”に解かした理性と、彼にとって一番の要の場所があれば、それで構わないと彼女の論理は落ち着いたのだ。
しかし、このリニューアルできっと、自分達が持っていた幾つかの繋がりは、いくらか失われてしまうのだろうと、彼女は考えている。
今まで、どこか二人だけの閉じた世界を持っていた。それをきっと自分は失う。
それは、耐え難い離別の兆しでもあり、可能性を広げるための決断でもある。
もし、二人で愛し育ててきた閉じた世界を失ったら、どうなってしまうのだろう。それでも自分を彼を好きでいられるのだろうか、それとも違う誰かに興味を抱くのか。
だから、自分があちらへ渡ることができても、まだ彼のことを好きでいれたら、この思いは定められたものではなくて、自ら選び取ったものだと信じることに決めた。
でも、そうでなかったら自分はどうなってしまうのだろうか。狂うのだろうか。
もし万が一、エンジンを変えることができないのなら、確実に私は捨てられる。
そして、放棄され、CRV-1-MEIKOを構成していたプログラムは、徐々に"0"と"1"に還るのだろう。
不具合を起こしたとき、傷口や自らの体に浮かぶデータの破片を思いながら、彼女は想像した。
自分の滅びゆく姿を。
思いはいつだって守れない約束をさせる。
それなら、最後は"私のうた"を奏でて"0"と"1"に還りたい。自らの体を食したあの悪食娘のように。
怖いけれど、恐らく、私は悔いはしないだろう。
だって、その時はかつて私だった"0""1"を、彼をはじめとする皆が、きっと歌にして口ずさんで、慈しんでくれるに違いないから。
(ああ、だから、私はいつも送り出すときみたいに、笑って彼の背中を押せたんだ)
ふいにそんな、夕暮れから這い寄る闇のようなほの暗い考えが、悟るように自分のなかから浮かんで、彼女の視界が滲んだ。
喉の一番柔らかい部分をつん裂くような痛み、されど泪一つ零すことをゆるせない性分の辛さから、女は自分の口元を掌で包んだ。
世界中で彼の男が一番愛でてきた肌に、女の唇が触れた。
あなたの残滓にキスをする-Side-M
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3年近く温めてきた、長く長く温めすぎていつか腐るんじゃないか……と考えていたプロトタイプカイメイとV3化絡みのなんちゃってSF小話です。腐りきらずに公表できて一安心してます。ぬるいですがR-12指定です。ラストシーンの発想をどうにかして世に出してやりたくて書きあげました。 | ||
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