恋姫†無双 八咫烏と恋姫 6話 雑賀人、天下一の心得のこと
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恋姫†無双〜孫市伝〜

 

 

 

 

 

 

洛陽から黄河を伝って東にある陳留は洛陽から比較的に近い位置にある。古来よりここは交通の要所として栄え、この町は他の町に比べると人も多くとても平和である。賊は少なく、町で悪行でも働けば徹底的に絞られる。裏にいる者たちまで連れ出されるほどの徹底ぶりである。それもここ陳留の刺史である曹操の手腕によるものである、彼女はまさに立つべき為に生まれてきたような稀代の人物であった。彼女の下にいる者たちは曹操にさえ付いていけば間違いはないと思うほど彼女を信頼しており、彼女の戦や政の才は他に類は見ないと評価している。優秀な者には優秀な者が仕えるのは世の理であり、彼女の配下も他に類を見ない者たちである。夏候姉妹を筆頭にする将たちは武勇や知勇を誇っていた。陳留はそんな完璧ともいえる者たちに統治されているが、その曹操は悩んでいた。

 

完璧ともいえる曹操が悩むのかと言われれば確かに彼女は悩んでいる。隣県の土地、今そこは無政府地帯となっていた。前任の太守が賊の手によって追い出されたのだ。何とも情けない者であろうか、曹操は隙あらばその土地を自分の手中に収めてやろうと企んでいた。いわば空き巣のようなものではあるが、役人も討伐軍も派遣されていないのである。ここで曹操が治めれば彼女の株も上がり、太守や州牧の位でも手にしてやろうと画策していた。が、そうも簡単に事が運べはしない。まだ前任の者が統治していることになっており、曹操がその土地に軍を率いて入れば戦争を仕掛けたと見られてしまうのである。少々強引ではあるが何かに理由でも付けてやろうと考えていた。

 

それともう一つ、黄巾党と呼ばれる者たちが今世間を騒がせている。頭に黄色の布を巻き、大勢で集まっては騒ぐのである。何か悪いことをする訳では無く、ただ騒ぐ、老若男女問わず集まり騒ぐ、何かの祭りのように見えるが未だに実態が掴めていない。そのような者たちが全土におり、冀州はかなり酷いらしい。その黄巾党は悩み事では些細な分類ではあるが今は隣県をどうにかして手に入れたいと悩んでいた。

 

 

どうしたものかと、曹操は執務室でただ一人考えていた。上から来る書簡もそっちのけで手も付けず、兵数は兵糧はどうするか、どのような理由で入ろうかと考えている。その静かな部屋に、華琳様、と扉の外から声ががした。

 

「入りなさい」

 

おそらく彼女だろう、と椅子に深く腰掛けた曹操は外にいる者に応じた。入って来たのは軍師の荀ケであった。

 

「華琳様、例の件ですが」

 

それは隣県に関することであった。間者や知り合いを駆使して、それで得た情報を曹操に伝えに来たのだ。賊の様子や、中央から別の者が派遣されてこないか、念には念を入れなければこの考えは上手くは運べない。曹操はその報告に耳を傾け、動向に変化がないと分かるとほっとした。

 

曹操は強行策を取るような者ではない、事前に下準備を行い念には念を、失敗すれば後に来るであろう乱世の開幕でつまづいてしまうのである。それだけは何としてでも避けたかった。

 

「ありがとう桂花。下がっていいわ」

 

「はい」

 

荀ケは一礼すると背を向けて部屋から出ようとした所に別の者が部屋に入ってきた。

 

「失礼します華琳様」

 

水色の髪の女性、夏侯淵である。少し慌てているような表所に見えた。

 

「どうしたの秋蘭?」

 

日頃冷静な彼女のその顔を見て曹操は何かが起きたのか、重要な情報でも持ってきたのだろうと考えた。

 

「はい、それが町で少し騒ぎがありまして」

 

「騒ぎ?」

 

「喧嘩と言うべきですか・・・」

 

「たかが喧嘩如きで華琳様に報告しなくてもよいのではなくて?」

 

荀ケの言う事は最もであるが、問題なのは喧嘩があったというより喧嘩をした者たち重要であった。夏候淵は黙々と続けた。

 

「以前から眼を付けていた盗人たちとある者が争いまして」

 

陳留では盗人の被害が横行していた。曹操たちはその主犯格やその仲間たちには既に眼を付けており、夏侯淵はその問題を担当しているのである。縄張り争いでも起きたのだろうかと曹操は思った。

 

「ある者?」

 

「はい」

 

しかしある者とはどういうことだろうか、夏候淵にしてはもったいぶった話し方をするので二人は怪訝に彼女の顔を見ていた。

 

「それが天下一と書かれた旗を背負った男で、それを種に笑った盗人たちと喧嘩にまで発展しまして」

 

「天下一? 可笑しな男ね。そんなこと警邏の兵士に任せればいい話じゃないの」

 

「それが、盗人共々その者に伸されてしまいました。すぐに応援と姉者を送りましたので今はどうなっているか分かりません」

 

「・・・それにしても天下一ね?」

 

天下一とは酷く自信家の男である。そんな喧嘩の種になるような物を持ち歩くなんて何と大胆な者であろう、それか大馬鹿者か。

 

「秋蘭。それが何か華琳様に重要なの?」

 

荀ケはそう言った。

たかが喧嘩である、そんなことはよくある事であり、何ら重要性を見出せずに彼女はいた。夏候淵は軽く咳払いをすると話を続けた。

 

「桂花の言う通りだが、実はその旗に続きがありまして」

 

「続き?」

 

「はい、華琳様。天下一の下に孫市という名が書かれていまして」

 

「天下一孫市? 孫市・・・孫市・・・・・」

 

曹操はその名を繰り返して呟いた。何処かで聞いたことがある、そして思い出した。冀州での賊退治の後、袁紹の下に訪れた際に彼女がその名を口にしていたことを。他の二人は既に気づいている様子である、かつて共闘したこともある者であった。不思議な武器を扱い、曹操が会いに行くと逃げるように入れ違いになった。孫市のことなど頭の片隅に置かれていたのだが、まさか向こうから会いに来てくれるとは思いもしなかった。ならば会っておかなくてはならないだろう、孫市の持つ武器のことも気になる曹操は夏侯淵に、孫市の場所へ案内しろと命令した。

 

 

 

天下一。それはその字の通り、天下で一番を意味する言葉である。似たような意味で天下無双という言葉あるが孫市はそれを使わなかった。天下無双とは自分に居並ぶほど優れた者がいないということであるが、無双とは強い、自分より戦いが強い者などいないという意味に取られてしまうからである。孫市のいう天下一とは天下で一番強いと言う意味ではない、何かの一番なのだ。なら何の一番なのか。

 

 

 

陳留に来る前、孫市は董卓の居城にいた。

 

 

「のう賈駆」

 

時刻は昼頃、皆が腹が減ってくる時間帯であった。その時孫市が居たのは賈駆の政務室。いわば彼女の仕事場なのだが孫市はそんなこと知ったことではないという風にこの部屋に入り込み、あまつさえ彼女にしつこく話しかけていた。

 

「さっきからボクは忙しいって言ってるでしょ」

 

賈駆の自分の事をボクと言う事に、孫市はもう慣れ始めていた。人の国の文化にどうこう言う資格も無い、逆に孫市はその国の文化を存分に楽しむような男である。もう城主が女だろうが帝が女だろうが、驚かない自信を持ち始めていた。

孫市は書簡に眼を通しながら喚いている賈駆の隣でどこからか見つけてきた椅子に腰を掛けている。孫市はただ少し話をしたいだけなのだが、彼女は仕事中だ。それでも何とか話をしたいと孫市は続ける。

 

「少しだけじゃから」

 

「そんなに話がしたいならボク以外にしてくれない?」

 

「少し話が聞きたいだけじゃ」

 

繰り返し繰り返しされるのに嫌気が差すのは一瞬であった。賈駆は身体を孫市の方に向けると吠えるように言うのである。

 

「それで黙ってくれるなら、何が訊きたいの?」

 

「おう、洛陽とやらについてなのじゃが」

 

洛陽とはこの国の都である、孫市はそのことについて少しだけ聞きたかった。

 

孫市のいう都といえば京のように華やかな町なのだろうと考えていた。京には何度か遊びに行ったことがあり、その華やかさは片田舎の雑賀には無いものであった。故に孫市は京が心底好きである、中でも遊郭の女性の美しさなど言葉に表すのも難しいものだ。だが洛陽に女遊びに行く訳では無く、そろそろ自分の名を天下に広めようと画策していたのである。八咫烏の孫市はここにいるぞと天下に轟かせるため洛陽に出向くのだ。

 

孫市はそれを賈駆に言ってみるとものの見事に一蹴された。

 

「馬鹿じゃないの」

 

「馬鹿とはなにか」

 

賈駆は孫市を八咫烏とは認めようと一切しなかった。証拠も何も無く、天の力や知識を持っているようにも見えないからである。そもそも性格に難がある時点で彼女は孫市のことをただの狂人として見ている。

 

「まあ良い。でじゃ、洛陽に行こうと思っておるのだが」

 

「何をしに?」

 

「じゃから孫市はここにおると」

 

都ならば話は面白いように全土に散らばるだろうと考えての事であった。何故そう考えたかだが、孫市はこの国の地図を見せてもらったが何とも広い。現代の中国ほどではないが当時も日本など比べ物にならないほど大きいのである。幽州からこの地に来るのにもどれほど時間が掛かったか思い出し、その何倍も掛かると思うと回っている内に毛が白くなってしまうと孫市は考えてしまった。では手っ取り早く都で名を売れば向こうの方から誘いが来るではないかと思いついたのである。そんな突飛な発想に賈駆は返す言葉が出なかった。賈駆ではこの男を言い包められる言葉が見つからず、じゃあどうやって名を売るのか訊いてみた。

 

「そうじゃな、何か変わったことでもやれば噂にでもなるじゃろ」

 

本気でそう言うのである。物事を深く考えていない孫市に賈駆は呆れ果て、もう何処か好きな所にでも行ってしまえと言い放った。

 

「おう、ならば洛陽へどう行けばよい」

 

「それなら洛陽に向かう商隊があるわよ、なんなら私が口添えしてあげようか?」

 

商隊とは商人たちが徒党を組み、道中の賊などに商品を奪われないように協力しあい目的地に向かう集団である。日本では隊商とも呼ばれている。賈駆はこの商隊に、孫市を護衛として付けて一緒に連れて行ってもらおうと考えた。厄介払いもできて一石二鳥である、賈駆はこんな男が愛する董卓の近くにいるだけで嫌であった。そもそも仕える気も無いのになぜ城に訪れている、そんなことを追及していけば限がない。賈駆は使いの者を走らせて商人たちと連絡を取ることにした。

 

「ありがたい」

 

「ふん。洛陽に行ったらもう戻ってこないでよね、あんたみたいなのが居ると月に悪影響を及ぼすから」

 

「むむ、酷い言いようじゃな。少しは優しい物の言い方ができぬか? それでは男に見向きもされぬぞ」

 

「あんたなんかに関係ないでしょ! ほらもう出て行って、仕事の邪魔だから」

 

孫市の肩を叩いて立たせると、賈駆はその背中を押して部屋の外に押し出した。

廊下に押し出された孫市は振り返り、何とも口調の荒い女だろうかと思いながら大きな音を立てて閉ざされた扉を見詰めた。

 

孫市の時代の日本といえば男尊女卑の真只中であった。そんな時代の男である孫市は、改めて賈駆のような女性と会話してみると何とも不思議な感覚に襲われるのであった。この国は男女平等の思想を持っている、日本に居た時など気にもしなかった孫市であったが過ごしてみるとこの国には日本女性、撫子のようなただ愛でるだけのような女が何とも少なかった。いるとすれば董卓のような儚げな少女、少し違うが呂布のような強かな女性だけであろう。

 

「これもなかなか」

 

孫市は部屋の扉の先にいる少女のことを考えながら小さく呟いた。男女共に同じ地位を最初から持っており、出世の機会も同じく持っている。何とも良い国ではないかと孫市は感心した。

そういえば、かかあ天下という言葉を聞いたことがあったな、と孫市は思い出した。この国はそういうことが自分の国よりも多いのだろうと考えると、孫市は気の強い女に手を出すのは慎もうかと考えた。

 

賈駆が商隊と連絡を取ってくれるまで多少の時間が掛かるであろう、それまで何をして過ごそうかと考えながら孫市は城内を回った。飯も食べた、酒を飲む気にはならない、廊下を歩きながら思想を巡らせながら、ここから見える外の広場をふと見てみた。普段は練兵などに使われる広場であるため何とも味気のない雰囲気である、敵兵に見立てた人形や弓の的が隅に置かれている。その隣に何かが蹲っているのが見えた、誰であろうかと孫市が眼を凝らすとそれは呂布のように見えた。しゃがみ込んで何かをしている様である、それが気になった孫市は彼女の下に向かった。

 

大股で呂布の背後に歩み寄り、その背後から喚いた。

 

「何をしておる」

 

呂布は振り返ると孫市の顔を見上げる、いつものように何を考えているのか分からない顔である。

 

「孫市も見る・・・?」

 

彼女は自分の足下を指差しながらそう言った。

 

「む?」

 

彼女は何かを見ていたようだ。孫市はそう訊かれて、何かの正体も知らないが暇潰しにはなると思い呂布の頭上からその何かを覗き込んだ。見るとそこには黒い粒が列を作ってわらわらと動いている、蟻だ。蟻が自分の前を通り過ぎていくのを呂布は眺めている、ちょっかいを出して遊ぶこともせずただ眺めているだけだ。

 

「おもしろいのか?」

 

「・・・おもしろい・・・・・」

 

呂布は身体に見合わずまだまだ子どもっぽい事をする、その点は孫市に似ていた。蟻を見る彼女の顔は何処か笑っているようにも見える。孫市も同じように、呂布と蟻を挟むようにしてしゃがみ込んだ。

 

蟻を暫く眺めてから、孫市は呂布の顔を見た。

 

その顔はこの世の悪いことなど何も知らないほど、無垢な表情だ。ある意味、簡単に言ってしまえば呂布は世間知らずな女とも言えようか、世間の物事も何も知らず自由に生きてきたのであろう。ここ数日一緒にいた孫市はそのことがよく分かっていた。何も知らない、常識外れな行動を起こしそうである、孫市は呂布のその無知の部分が好きであった。身体だけ立派に育った子どもである、そこに何とも言えぬほど愛嬌を感じていた。

 

「どうしたの・・・?」

 

じっと見過ぎて呂布に気づかれた。孫市は何も無いと手を振ると彼女は蟻に視線を戻した。孫市もそれに続いて視線を戻そうとしたその時、あることに気づいた。呂布の裾の奥にある秘部が見えそうであった。当然孫市はその中を見ようとした。裾の短い服を着ている呂布が悪いとは言わないが孫市という男の前でしゃがみ込むのが悪いのである。孫市は何とか見ようとするが腿だけで、その先は見えない。

 

呂布はそんな孫市に未だ気づいておらず、蟻の観察を続けている。少し大胆に動いても気づかれないだろう、孫市は大きな背を折り畳み、首を下げた。

 

しかし、それでも見えはしない。

 

孫市は、この時ほど自分の背丈を呪ったことは未だかつて無かった。

 

(あと少し)

 

ならば、と孫市はさらに首を下げた。しかし見える気配はしない。もう少し、さらに身体を下げるが見えてはこない。孫市はもうこのさい呂布に気づかれても良いと考え、己の身体を下げ続けた。

 

孫市の頭がどんどん下がっていく。足の位置も変え、地面に手をつき孫市は身体を下げやすい体制を整えた。

 

そして遂に見えたのである。孫市の大きく見開いた眼には、白い衣に包まれた秘部が映し出されていた。この国に来て、初めてに強い達成感を感じた瞬間であった。

 

この国では女性たちは不思議な物を身に着けている、それは自分たちの大事な部分を隠す布である。孫市の国にはそんな物は無く、男が褌を巻くだけであった。ならこの呂布の身に着けている純白の衣は褌のような物であろうか、にしては変わった形をしているのである。孫市はこの国で何人もの女性の服を脱がしてきたが皆が一様に呂布のような変わった締め込みを着けているいた。孫市にしてみれば、おあずけをされているものであるが何故であろうか。孫市はこの光景を見る度に不思議と性欲を掻き立てられる、この女性たちが付ける締め込みには謎の魅力があると孫市は感じていた。

 

「・・・孫市、どこ見てるの・・・・・?」

 

呂布がそう言ったとき、孫市は地面に這いつくばって呂布の秘部を覗いていた。

 

「見えるぞ、見えるぞ」

 

孫市はギラギラした目付きでそう呟いた。

 

「そんな所で寝たら蟻の邪魔・・・寝るなら自分の部屋で寝る・・・・」

 

「おっとそうじゃな、これはすまぬ」

 

呂布は気づいていないようだ。まるで警戒心が無い、このおなごを一人だけにするのはとても不安だ、と孫市は思う。近い内に自分はこの地から離れるのである、まだ呂布には友と呼べる者はおらず、気にかけてくれるのは董卓や賈駆だろうがその両者も自分たちの仕事で忙しそうである。呂布は董卓に仕えたばかりでちゃんとした職務はまだ与えられておらず、どの様な立ち位置なのかも決まっていない。どんなことも言えば素直に聞いてくれそうで良い娘ではあるのだから、彼女を上手く使いこなせる者が居れば董卓の力は一気に跳ね上がるだろう。

 

孫市は出来るだけ怪しまれないように自然な感じで、腕立ての要領で起き上がると着物と頬に付いた土を払った。そして蟻と呂布を交互に見た後、わざとらしく腹を撫で始めた。

 

「蟻を見ておったら腹が減ってきおった。どうじゃ呂布、飯でも?」

 

この男は何を言っているのだろうか、軽く呂布をナンパするように軽口を言うがヘンテコな誘い文句であった。孫市は思いついたことを直ぐに口に出してしまう癖があったために変な事をたまに言う。

 

「・・・・・」

 

「もう食ったのならよいが」

 

「行く・・・」

 

「おおそうか、なら行こうかよ。わしが奢ってやろう」

 

二人は立ち上がり、城下の町に飯を食いに出かけた。孫市は呂布と食べるのは初めてであった。

食事を共にすれば彼女との仲も深まるだろう、月に聞いた話だが呂布はかなりの大食いとの事であるがそこはおなごである、高が知れているだろう。孫市は自分と比べ物にならない身長の呂布を見下ろしながらそう思った。胃袋も自分の方が大きいだろう、大食いなら自分方が自信のある孫市であったがそんな考えは飯屋の席に着いた瞬間に消え失せた。呂布は普段の様子とは違って饒舌になり、飯の名前を次々に述べていく。孫市は呆気に取られて自分の何を頼むのかも考えず、呂布の動く口ばかり見ていた。注文を聞く店員の女性はちゃんと記憶できているのだろうか疑問に思うほど長い注文であった。店員が厨房に注文を伝えに行くと厨房内は喧嘩でも起きたのかと思うほど騒がしくなり始めた。

 

「食えるのかお主?」

 

孫市は珍しく苦い顔をして呂布の顔を睨んでいた。呂布は質問の意味が良く理解できていない風に首を傾げる、孫市は溜息をついて自分の懐具合を確認した。件の化物騒ぎを治めた礼として董卓にかなりの額を貰っていたが、未だにこの国の金銭感覚が分かっておらずとても不安になってしまった。孫市が唯一注文していた茶を飲んでいると机の上に次々と呂布の注文した物が運ばれてきた。山のように積まれた何かが孫市の前に鎮座する。

 

「いただきます・・・」

 

山のように積まれた飯が呂布の口に運ばれていく、孫市は再び呆気に取られた。余程に空きっ腹であったのだろう、速いのなんの、山がどんどん消えていく。それにつれて注文した物がどんどん運ばれてくる。孫市は茶を飲みながら端っこの点心を掴んでちびちびと食べていた。

 

なんと旨そうに食べる娘であろうか、しかも食べている姿が何とも愛くるしいさまである。何か一種の愛玩動物を見ている気分になった孫市は呂布にもっと食べるように勧め始めた。

 

「呂布よ、旨いか?」

 

「もぐもぐ・・・おいしい・・・・」

 

「そうかそうか」

 

何故か孫市が嬉しそうであった。

 

(食べる姿が何とも愛くるしい奴じゃ・・・)

 

孫市は心底呂布の事が好きになり始めていた。黙りこくり、ただただ食べ続ける呂布を眺めるだけと化した孫市に悪いと思ったのか、呂布はラーメンを差し出しながら小さく呟いた。

 

「恋だけ食べるの悪い・・・孫市も食べて・・・・・」

 

「む、これは?」

 

一見すると茶色汁に蕎麦が入っている食べ物であるラーメンは孫市にしてみれば変わった物に見えたが、鼻腔を擽る匂いに誘われて孫市は呂布からラーメンを受け取り、箸で汁の中に沈んでいる麺を摘み上げた。

 

「変わった蕎麦じゃな、しかし旨そうな匂いじゃ。これはさぞ旨かろう」

 

麺を口に入れ啜る、ずるずると気持ちのよいテンポの音を出して食らうと、孫市の口の中で鳥の味が広がった。

どうやらこの汁は鳥などから出汁を取っているのだろうか、こんな食い物があるとは世はまだ広いのう、これならばいくらでも食える。孫市は未知の味に舌を震わせ、頬を零した。味わったことのない食文化に酷い感銘を受けた孫市であった。孫市は料理人ではないが未知なる味に対する探究心が芽生えてしまい、丼に入れられたラーメンをぺろりと平らげてしまった。

 

胃袋の底から温まる感じに孫市は一種の幸福感に包まれる、まだまだ食らいたい。食欲が湧き上がってくる感覚に孫市は抗う事が出来なくなり、眼の前の山に手を付けた。

 

 

 

 

 

「あぁ、旨かったのう呂布」

 

「孫市、恋の肉まん勝手に食べた・・・悲しい・・・・」

 

「追加で頼んでやったろう、おかげでわしの懐は寒くなったわ」

 

二人の食事風景は他の席と違い、現代でいうフードファイトであった。呂布が熊とすれば孫市はそれに無謀にも戦いを挑んだ大食いの人間。戦いではなかったが呂布の方が孫市の何倍も食べ、孫市は呂布の無限の胃袋に恐怖した。それでもまだ七分目と呂布は言う、孫市の金が尽きてやっとこの食事は終わったのであった。

 

「しかし、肉や脂っこい物ばかり食って胃がもたれそうじゃ。少しは魚を食いたかったのう・・・」

 

「魚・・・恋は魚も好き・・・」

 

「お主は何でも食らうな、わしは海の魚が好きじゃ。呂布は何じゃ?」

 

「海? 恋、海に行ったことない・・・」

 

「それは本当か?」

 

呂布の言葉を孫市はにわかには信じられなかった。海と山に挟まれた土地で育った孫市、暇を潰すとすれば山で狩りをするか海で釣りをするかであった。彼は海の育みに育てられたと言っても過言ではない、それ故に呂布の言葉が信じられなく、それと同時にこの国の広さを改めて思いしった。もしこの地から海に向かうとしたらどれほどかかるのだろうか、堺から小田原までだろうか、いやそれ以上かもしれない。

 

「ならばタコを食らったことは?」

 

「無い・・・」

 

孫市はタコが大の好物であった。食い方はもっぱら踊り食い、口の中で踊り狂う脚が大好物である、あの内頬にくっつく吸盤の感触が堪らなく大好きだった。

 

「そうじゃ呂布。機会があればわしが海に連れて行ってやろう。そしてタコでも食おうかよ」

 

孫市は思いついたことを呂布に言った。呂布はそう言われると嬉しそうに頷いた。

 

「楽しみ・・・」

 

ここで孫市は洛陽に向かう事を思い出した。

 

おっと自分の悪い癖だ、勝手に動いた口を手で撫でながら孫市は反省した。もしかしたらもう呂布とは二度と会えないかもしれないのである、軽く口走ってしまって悪いと思ってしまうが、どうせまた何処かで会えるだろう、と楽観的に考えた。

 

 

賈駆にお願いしてから暫く経った。孫市は呂布にまた後で会おうと伝えて別れると賈駆の政務室に向かった。外から彼女の名前を吠えると入ってくるように中から聞こえたので孫市はあまり音を立てないように部屋に入った。賈駆は真昼間のころと比べるとやや落ち着いた仕事振りである、孫市は置いていった椅子に腰を下ろすと商隊の件を訊いた。

 

「喜びなさいよ、ボクのお陰で洛陽に行けるんだから」

 

「おお、おお。感謝しておるよ」

 

そう笑って応えた。賈駆は本当に感謝しているようには捉えず、ジトッとした眼で孫市を見ながら話を続けた。

 

「明日早朝、西の門から出るから」

 

「明日じゃと!?」

 

「何? 不満なの?」

 

「いやいや、思うておったより早かったのでな」

 

「そう、なら直ぐに荷物纏めて出て行く準備しなさいよ、分かったわねこの狂人!」

 

「分かったから、そう声を荒上げるな賈駆よ」

 

孫市は彼女の性格を理解しているので軽く罵られても怒ろうとは思わなかった。もしこれが男であったのならその者の頭は割れていただろう。

 

孫市はそそくさと部屋から出て行くと董卓が用意してくれた部屋に戻り、身支度を始めた。といっても荷物など鉄砲以外には無いに等しかった。あるとすれば赤兎馬だけだろうが、今はその姿が見えない。時期にひょこっと姿を現すであろう、それより重要な後始末があった。呂布にどう別れを告げようかである、孫市は旅に出る時は誰かに告げて出て行くと言うのは極稀であった。誰かに付いて来ては止まられるのは嫌であるし、誰かを連れて旅に出るのはもっと嫌であった。董卓は言わなくても分かってくれるだろうが、呂布はどうだろう。日頃何を考えているか分からないがそこの所の常識は孫市よりはある気がするのだが、ふらっと町を離れて孫市に付いてくるのではないかと危惧した。ならば綺麗に別れを告げて董卓にきちんと仕えて、彼女にちゃんと奉公させねばならない。

 

まずは呂布を探そうと孫市は外に出かけた。

 

城を中心に城下を探していると犬たちとを連れて歩いている呂布を見つけた。一緒に散歩だろうか、きちんと列を組んで歩いて呂布の後を続く犬たちの姿は壮観の一言であった。最後尾にしれっと赤兎馬が続いている。

 

「おい、呂布よ。お主何をしておる」

 

孫市はきちんと呂布の言う事を聴く犬たちに感心しながら彼女に話しかけた。

 

「みんなでお散歩・・・」

 

「まあそうじゃな」

 

見方を変えれば犬たちのパレードに見え、孫市にしてみれば何とも楽しそうに思えた。

 

「孫市も一緒にお散歩する・・・?」

 

正直言って孫市はそういう気分ではなかった。だが女性の誘いを無下に断ることは出来ない性の男であったので、若干気後れしながらも孫市は呂布の隣に陣取り、彼女の歩幅に合わせて歩き出した。

出来れば呂布と二人っきりで星空が広がる空の下、呂布の肩を抱きながら歩きたかったがそうもロマンチックにはいかない。それはまたの機会に取っておこう、今はこの一時を堪能しようと隣で静かに歩く呂布の顔を優しげに見下ろす、何も会話を交わしていないが孫市は心が満たされていくのを感じた。やはり孫市は呂布のことが好き、なのだがこれはもはや不治の病とも呼べる孫市の悪い癖だ。いとも簡単に女性に惚れてしまう、特別な出会いだと思えば思うほど孫市は惚れやすくなる。が、それはいつものことであった。

 

呂布に惚れたのも孫市にしてみれば一種の酔狂なのかもしれないのだが、訳はどうあれ好きになってしまったものは仕方がないのだ。この好色は棄てることはできない。孫市は自分はつくづく馬鹿者だなと思った。

 

 

 

時刻は過ぎた。孫市は城の自室で静かに呂布を待っていた。窓際に卓を寄せ、その上に町の銘酒を用意している。開け広げられ窓には城下が見える、まだ寝静まるには早く人も出歩いている時刻である。孫市の部屋は小さな灯りによって照らされており、孫市の顔には陰が出ていた。

 

ガチャ、と部屋の扉が急に開いた。それを聞くと、ああ・・・呂布が来たか・・・、と孫市はそちらを向かずに二つの盃に酒を満たして、片方を対面の席に置いた。

 

「待っておったぞ」

 

呂布は何も言わず、孫市と向き合うように座った。

 

「腹は空いておらぬか、肴が欲しかったら用意するが」

 

呂布は受け答えせず、孫市が置いた盃を傾ける。銘酒の辛口が呂布の口の中に広がり、少し頬が朱に染まった。

 

「旨いか」

 

「・・・おいしい」

 

孫市は自分の事のように嬉しそうに笑い、その涼しげな笑顔のまま自分も酒を食らう。喉に染み渡る感覚に大きな息を吐いて旨さを噛みしめた。

 

「なかなか・・・この酒ももう飲めぬか・・・」

 

「?」

 

呂布は知らされていない様子だ。孫市は城下に眼を向けながら言葉を続ける。

 

「明日にはこの町からいなくなる、じゃから最後にお主だけには別れを告げようと思うてな」

 

「何処かに行くの・・・?」

 

「ああ、野暮な用じゃ。なになに、しばしな分かれよ」

 

「・・・すぐに会える?」

 

呂布は孫市の横顔を見てながらそう言う。辛い別れでしんみりというよりも何処か孫市の顔は笑顔である。

 

「あっはは、何を暗い顔をしておる。お主も笑え」

 

しんみりとした別れなど孫市は大嫌いであった。天下広しといえど、存在が消えてしまう訳では無い、いずれまた会える。好いた女に会うためなら山も川も越えて会いに行ってやろう、ここで孫市はふと思った。自分がこれほど女にのめり込むのは何時以来であろうか、観音の身体を持つ星の時はそれほどでも無かったのにこの呂布に対しては、なぜこうも夢中になってしまうのであろうか。

 

 

そうか、彼女もまた観音の魅力を持つ女であったのか。

 

 

その恋という真名を持ちながらも恋をしたことが無いであろう、恐らく恋という意味さえ分かっていないのではなかろうか。いかに自分が彼女に対して色目を使おうと彼女はそれに気づきもしない、ああ・・・この態度がまたそそられるのではないのか。呂布に孫市という男の魅力を教え込んでやりたい、じゃが今ここで彼女を抱けば果たして自分はこの町を出て行けるだろうか。

 

「無理じゃな」

 

心中に秘めていた言葉が口から零れてしまった。その言葉に我に返ると孫市は盃を空にした。

 

「どうしたの・・・?」

 

「何でもないぞ」

 

お主も飲め、と孫市は呂布の盃に酒を盛る。まだ少ししか飲まれていない呂布の盃からは酒が零れた。

呂布を伏し目がちな眼差しでそれを追う、それと同時に呂布の心の中でも何かが零れそうになる。孫市がこの町を出ると言った時から、何かが彼女の身体の中で溜まり始めていた何かである。それが今、それと同時に零れた。

 

「恋も行く・・・」

 

呂布の口から言葉が零れ始めた。

 

「・・・ダメじゃ、われは董卓に恩を返せ」

 

「恋も行きたい・・・・」

 

「ダメじゃ」

 

「孫市と一緒にいたい・・・」

 

「・・・・・・・」

 

孫市は黙りこくった。呂布から顔を隠すように酒が入った甕を呷りに呷り、それが空になると顔を赤らめながら孫市は席を立った。その足取りで寝台の縁に座り、その上に畳まれていた白い布を手に取り呂布に見せるように広げた。そこには黒々と天下一孫市とこれでもかと大きく書かれていた。

 

「これを洛陽に着けば身につけようと思っている」

 

しかし、天下一孫市とは語呂が良いと思うのは筆者だけだろうか。

孫市はこれを旗にし、背に背負って都を練り歩くのだと言う。自分の名を売るにしても大変である、難癖つけられて喧嘩に発展するかもしれないが派手でなければ誰も見向きもしないではないか。

 

「・・・天下一?」

 

「そうじゃ、わしは天下一の男よ」

 

「・・・でも孫市、恋に負けた・・・・」

 

「いやいや、誰が天下一強いと申した。そうなれば呂布の方が天下一よ、いや天下無双と賞そうか」

 

「強くないなら何・・・?」

 

「くっはは、それをお主に言っても分からぬだろう」

 

孫市は笑うと天下一の布を畳むと、元の席に戻り呂布の耳を舐める勢いで耳元で囁いた。

 

「わしはお主に見合う男であるが、世が世じゃ。わしは色々なことが知りたい、お主も色々な事を知る為に董卓に手助けしてやれ」

 

呂布は逃げるように後ろに仰け反ると悪戯っぽく笑う孫市の顔を睨む、さすがの呂布も変な感じがした。囁かれた方の耳を押さえながら呂布は言う。

 

「董卓も好き・・・孫市も好き・・・・・・・・」

 

「なら、好きな董卓を助けてやればよい」

 

「孫市が何処か行くのイヤ・・・・」

 

「嘘を言うな」

 

孫市はいつになく真剣な眼差しであった。孫市も本当を言えば今にでも呂布を抱きたかったが、それは孫市の我儘になってしまう。そうなれば呂布の為にも董卓の為にもならない。

 

「違う・・・・・」

 

呂布の顔がどんどんと曇っていく、孫市は優しい言葉を掛けてあげたいがこれも好きな女たちの為である。

 

「お主が何度言おうと既に決まったことじゃ、わしも変える気は無い。呂布よ、ここに残れ。董卓にはお主が必要なのじゃ」

 

「恋と孫市が一緒になればもっと強くなる」

 

「それはぬしの我儘ぞ、わしは董卓に仕えるつもりは無い。今のところはじゃが」

 

その言葉を聞くと呂布の顔の曇りが一旦は晴れたが、孫市の真剣な眼差しを見るとまた曇り始めた。

 

「時勢が来れば・・・もしも董卓が世の英傑たればわしは喜んで仕えよう。だが、まだまだ熟さぬ実。稔っている果実は董卓だけではない」

 

天下は広い、真に仕えるべき英傑は必ずやいる、それが天が八咫烏たる孫市に望んだ事である。八咫烏は英傑を導かねばならない、それこそが八咫烏の本分。ならそれに従うのが孫市の使命なのか、だがまだよく分からなかった。

 

呂布は何も言葉を発さなかった。もう何を言っても無駄だと分かったのか、意気消沈して出そうと思っても出ないのか、呂布は孫市の眼を見たまま動きが止まってしまった。その姿を見ると孫市は心を痛めた。ああ、やはり別れは告げる物ではなかったのだと改めて思い知らされる。呂布とは比べ物にならないほど恋焦がれている自分が、気持ちのよい別れなど出来るはずがないのだ。

 

「もう・・寝る・・・・・孫市嫌い」

 

呂布は小さく呟いて部屋から逃げるように出て行った。孫市は彼女の背を見送ると酒の片付けもせずに崩れるように寝台に倒れ込む、眠りに落ちていく最中に孫市はああ言えば良かった、こう言えば良かったのではないかと考えるも、呂布の最後の言葉がなかなか頭から離れなかった。

 

 

 

 

 

翌朝、孫市は準備していた荷を赤兎馬に載せて西の門に向かっていた。賈駆に言われた通りに西の門に辿り着くと、そこの門は開かれており商隊が馬車を一列に並べていた。孫市は近くにいた髭面の男に話しかけた。

 

「わしは雑賀孫市じゃ、護衛の任を買って出たのじゃが」

 

「おお、護衛の奴は最後尾の車に乗ってくれ」

 

「うむ」

 

孫市はその言葉通りに最後尾の方に向かうと馬車に乗るのを躊躇った。横から見て一列に見えたがその実は二列になっていたのである、どちらに乗れば良いのか悩み、左側に乗っていた男に訊いてみた。

 

「こっちが洛陽行きかのう?」

 

彼も同じように護衛担当なのだろう、薄い鎧を着けている。その男は言霊薄く、そうだと言った。まだ眠いのだろう、孫市もまだ眠い。その言葉を鵜呑みにし、赤兎馬の尻を押して先に馬車に乗せると孫市も続いて乗った。縁に付けられている椅子に腰を下ろしながら赤兎馬の背から天下一の布を取り出し、用意していた木の棒に括りつけていく。隣にいた男がその様子を不思議そうに見ながら訊いた。

 

「あんた、天下一なんて余程腕に自信があるんだな」

 

少し小馬鹿にしたような言い方であった。他の男たちも少し笑っている、ここにいる男たちはどれもこれも荒くれ者である。戦いの中で鍛え上げられた肉体とその身に負った傷痕が彼らの誇りだ。孫市は頭一つ分高い目線で彼らの顔を見渡しながら、旗にしたそれを立ててこう言った。

 

「たれも天下一の強者なぞと申してはおらぬ、これは天下一の色男という意味じゃ。勝手に天下一の強者と思われるとは心外じゃな、わしよりも強き者はおるぞっ」

 

そこに居た者たちは孫市に喰われたような錯覚を覚えた。それと時同じくして先頭の馬車を操る男が、横に並べる馬車に乗車している男と話していた。

 

「じゃあ、先に陳留行きから出るからお前らは後で出ろよ」

 

「おう、気を付けろよ」

 

男は任せておけと笑うと馬を歩き出させる。それに後続の馬車たちが続く、不幸にもそれは孫市が乗り込んだ列であったが孫市は陳留に着くまでその事態に気付くことはなかった。

 

 

 

 

かくして孫市は陳留に到着した。洛陽より遠い場所であったために思っていたよりも時間が掛かったが、まあこんなものだろうと思い込んでいた。それが仇となり、洛陽の近辺を通り過ぎている事にも気づかなかった。幸いとしては一度も襲われなかったことだろうか、護衛としての報酬もきっちりと支払われたが孫市としては、この馬車が洛陽行きと申した男を一度殴ってやりたかったがもう見当たらなくなっていた。

こうなっては仕方がない、これも何かの縁であろう。旅にいざこざは付き物、いかに面倒事でも見方を変えれば楽しみに変わるのが孫市である。陳留で遊んでから洛陽に行ってもいいだろう、時間などいくらでもあるのだから。

 

天下一孫市の旗を背に背負い、孫市は赤兎馬と共に陳留の町に入った。入った瞬間になんとも良い雰囲気を感じる、よく統治された町である、治める者が余程に優秀なのだろうが、孫市の視界にはその雰囲気を乱す者たちの姿があった。旅の者たちからスリや強盗を行う盗人たちである、陳留きっての凄腕集団であるが最近は監視の眼が厳しく大胆に行動は出来ていない、こうしている今も人知れず監視の眼が付いていた。

 

「おい天下一さん」

 

男の一人が孫市に話しかけた。孫市はその男を視界の端に捉えながら無視するように脇を通ったが他の男たちが通せんぼをする。

 

「なんじゃい」

 

何処に行っても馬鹿の一人や二人はいる、今の孫市は少しの事でも頭に血が昇る状態であったのが彼らには分からなかった。孫市の右手は既に握り拳が作られている。

 

「派手な服でおまけに天下一だ? この町でそんなデカい面できると思うなよ兄さん」

 

「この道は通れぬのか」

 

「ああ、通りたいなら俺たちに通行料でも払いな」

 

そう言った男は掌を孫市に差し出す。この上に金を載せろ、ということだろう。孫市はその手首を摘まむと背負うように放り投げた。あまりの勢いに黒旋風が舞う、それを合図に血気が昂った男たちが孫市に飛びかかった。孫市はその渦中で手振り可笑しく舞っていた。

 

この町の警備部隊が来たのは少しばかり経っての事であった。孫市は男たちと乱闘を続けており、その周りを兵士たちが取り囲むが孫市たちは騒ぎを止める様子は無く、強行策に出るしかなかった。兵士たちは持っていた槍の石突きを武器に男たちを突いて動きを止める、しかし孫市はその槍を掴むと兵士の男を天高く、弧を描くように投げた。

 

「おっとしまった」

 

そう言ったのは孫市である、彼は見境がつかなくなっていたようで誤って兵士を投げてしまった。気付くと喧嘩をしていた男たちの身体は兵士たちに封じられており、最後に残った孫市を取り囲んでいた。捕まれば牢に入れられるだけでは済まないかもしれない、ならば力付くでも逃げるか、と考えた。

 

脇から突いてきた槍を掴み、その持手ごと反対側の兵士に放り投げる。孫市は兵士相手でも喧嘩となれば暴れるだけ暴れた。鎧を着こみ、良く訓練された兵士と戦っても孫市の戦闘力は比較にもならない。千切っては投げ、千切っては投げて子どもたち相手に相撲の稽古をつけている様な光景であった。そうこうしていると捕らえられた盗人たちの仲間らしき男たちが乱入してきた。もう場は大混乱、孫市は誰を相手にしていいのか分からず手当たり次第に殴り飛ばしていた。もうこの大乱闘を止める手段は無いのではないかと思われたその時、誰かが叫んだ。

 

「誰か夏候惇様を呼んで来い!」

 

孫市の地獄耳には確かに聞こえていた。

 

「む? 夏候惇じゃと?」

 

確か曹操の部下の美人のおなごじゃったな、と孫市は頭の中にあった夏候惇の顔を思い出していた。黒くて長い髪に広い額が特徴的だったのを覚えている。するとここは曹操の、そう思うと兵士たちの鎧にも記憶がある。不味い者の下で暴れてしまった。孫市はそれに感付くとすぐにこの場から離れた方が良いと判断し、掴み合う男たちの間を通り抜けると隅に逃げていた赤兎馬の方へ駆け寄った。

 

「赤兎、逃げるぞ」

 

通じたのか、赤兎馬は軽く頷きながら唸った。

孫市は赤兎馬の手綱を握ろうとすると大乱闘が繰り広げられている向こう側から何かが迫って来ていることに気づいた。男たちが邪魔で良くは見えなかったがそれは人、髪の長い女性である、確かにそうであった。もしやあれは、と孫市が思った時にはその女性は剣を手に大乱闘の場に飛び込もうとしていた。

 

その者が雄叫びを上げながら剣を振るうと男たちの身分問わずに彼らは宙を舞った。孫市はあまりの惨状に気を取られてしまう、十を超える男たちが宙に吹っ飛んだのである、これが見れずにいられるだろうか。

 

「派手なおなごじゃ」

 

その女性は夏候惇。過去に孫市と共に賊退治を行ったことのある女である。

 

「貴様ら! 華琳様の街で暴れるのなら容赦はしないぞ!!」

 

「夏候惇様、俺たちは違いますよ!?」

 

「相手はあっちです!」

 

夏候惇の蛮行に兵士たちの文句が飛び交う。

 

「やべ! 夏候惇だ!!」

 

逆に彼女の姿を見た盗人たちは我先に逃げ出そうとする、それほど夏候惇の武名は高いのだろう。このまま夏候惇のことを見物していきたいのだが首を斬られては仕方がない、自分の方に押し寄せてくる人波に混じり、孫市は広い陳留の町に姿を消した。

 

 

 

 

時刻は昼を過ぎ、もう少しで早い夕食といったところ。腹を空かせた孫市は町の中を徘徊していた。ここは街外れ、いくらかは油断してはいるが警戒はしながらである。竹筒の茶を飲みながら孫市はどんな料理屋があるか赤兎馬と見て回っていた。

 

何度も申すが先の騒乱を別とすればとても良い町なのである。料理屋も多く、孫市の腹の音は鳴り止まない。良い匂いを追いながら孫市はある店の前で止まった。

 

「む、ここは」

 

そこは料理屋ではなく、怪しい雰囲気が漂う雑貨屋のような店であった。何故だろうか、強い興味を引かれる。良い匂いが出ている店はもう三軒先である、なら先にここに寄ってからでも遅くはないだろうと孫市は考え、赤兎馬を店先に置いていくとそのに入店した。

 

思った通り、中も怪しげな雰囲気に包まれており、妙に薄暗い。陳列する商品も胡散臭そうな物ものばかりだ。何を目的としている店なのかさえ、分からない。孫市は目の前にあった鳥が付いた滑車のような物を手に取り、何に使うカラクリなのかも考えずに元に戻した。そのまま誘われるように店の奥に入っていく、動物の骨が陳列されている棚の脇を通ると声がした。

 

「こっちに来い」

 

その声は老婆の声、それか若い男が無理して老婆の声を出しているようにも聞こえる。孫市はその声がした方に足を進めた。店の奥に進むと椅子に腰かけた人の姿があった。室内だというのに頭から布を被っており、見えるのはその者の細い眼だけ。卓に肘を立て、いかにも怪しい人物であったが孫市は警戒する様子も無く、気軽にその者に話しかけた。

 

「邪魔しておる、ここは何の店かのう。変な物が沢山あるわ」

 

「どれもこれも良い物ばかりじゃ、御一ついかがかな?」

 

「いらぬわ」

 

人の良い笑顔を浮かべながら孫市はその老婆らしき者を見据えている。

 

「まあ、そこにお掛け下され」

 

老婆がそこと手を差し出すと、孫市の背後に椅子があった。一体いつの間に置いたのだろう、先ほど孫市の眼にその椅子は入ってなどいなかった。孫市は少し不審に思いながらもその椅子を引っ張り、老婆に近寄りながら腰を下ろした。

 

「面白いモノが見えるの・・・こんなモノは見たことが無い、なんとも面白い・・・・」

 

深く被られた布のせいで、どうな表情で言っているのかは分からない。

 

「なんぞ、われは占い師か」

 

孫市は占いなど信じはしない、この世で信じるのは己の腕と眼、あとは良いおなごだけである。が、この国の占いというものに興味が出た孫市は占い師に付き合ってやることにした。

 

「何が見える、言うてみよ」

 

「三本足の鴉が見える」

 

「三本足、それは八咫烏か」

 

「そう、お主の頭上を飛んでおる。その鴉はどちらに飛んでいけばよいのか、それか何も考えずに飛んでいこうか、腹が空いているから餌でも食べに行こうか・・・迷っている様じゃ・・・・・」

 

この占い師、八咫烏を用いて孫市の心境を言い当てた。孫市はこの占い師に少し感心しなが首をわざと傾げた。

 

「わしが悩んでおると?」

 

事実、孫市は悩んでいる。自分はこの国で誰の下に行けばよいのか。だが孫市は自由を愛する男、八咫烏だから誰かを導けと言われても孫市としては誰にも仕えたくないのが本音であった。それに腹が空いているのも当たっていた。

 

「そう、この国にはお主の好きな女が大勢いる」

 

「・・・大勢とはどれ程かのう?」

 

孫市、好者の笑いを作ると占い師に訊いた。

 

「数え切れないほど・・・」

 

「それ程か」

 

大きく息を吸うと孫市は鼻孔一杯に息を放出した。

 

「ますます迷うのう」

 

おなごこそ我が人生。天下など興味無い、おなごのためにこの孫市は生きているのだ。どうせ仕えるのなら男などよりも女の方が良いと考えている、そちらの方が面白そうだし、何よりもおなごが好きだからだ。

 

そう言いながら占い師の眼の前で鼻の下を伸ばす孫市。

 

「二つの道が見える」

 

占い師はそんな孫市の眼の前に手を持って行き、指を二本立てた。

 

「一つは八咫烏として生きる・・・一つは自由に生きる。どちらに進んでも良かろう・・・八咫烏の本分を通すか、自由に生きるか。いずれにせよ、お主は女に仕える」

 

顔を正して黙って聞いていた孫市であったがその話が終ると、どっと笑った。

 

「あっはっはっはっはっは!」

 

腹を抱えて笑う孫市、椅子から転げ落ちそうになるのを堪えると目尻を拭いながら占い師の細い眼を覗き込んだ。

 

「先ほどから聞いておれば何を可笑しなことを申しておるんだ。わしは八咫烏の神孫なるぞ、わしの意志は八咫烏の意志、八咫烏の意志はわしの意志よ」

 

占い師をマネて孫市も指を二本立ててそう言う。

 

「違う、お主はただの人じゃ。神などと自惚れるでない」

 

「言うたな!」

 

孫市はバネで弾かれたように立ち上がると占い師に食って掛かった。今にでも掴み上げて投げ飛ばしてしまいそうだ。

 

「落ち着くがいい。何もお主を馬鹿にしている訳では無い、生き方を良く考えねば先の世は生きていけぬと申しておるのじゃ」

 

占い師は暴力を振るわれると思ったのだろう、慌てて孫市を落ち着かせようと座れと手振りする。いくら孫市でも老婆を殴るほどの乱暴者ではない、いくらか冷静になって腰にぶら下げていた竹筒の茶を一口飲むとケロッと怒っていたことを忘れた。椅子に静かに腰を下ろす。

 

「身の破滅じゃ、適当に生きておればじゃが・・・」

 

「わしが死ぬ、とな?」

 

「そうじゃ・・・」

 

「わしは死など恐ろしくはない」

 

孫市は何も占い師の言葉を本気で信じている訳では無い。あまりにも適当な事を言っていたのなら最初の方で怒っていた。

 

この男にはどれほど論じても効果など無く、最終的にはその時その時に答えを出す男である。占い師の独自の理論を申しても無駄であり、この男は自分の感情を重点に生きている。ここで何を言っても孫市には通じない、とすればこの男に少しでも自分の言葉を覚えていてもらおうと簡単に結論を言った。

 

「好きな女を見つけることが先決じゃ」

 

「好きなおなごじゃと?」

 

いやいや、好きなおなごとはどのおなごだろうか。孫市の頭の中では今まで会ってきた女の顔が湧いて出てきた。この先さらに多くの者たちと出会えるのだとすれば惚れっぽい孫市はどうすればいいのか本当に悩んでしまう。

 

「お主は好きな女の為ならば何だってするじゃろう?」

 

「おう、わしは愛するおなごたちのためならば何だってしてやろう」

 

「たち・・・お主にはそれが合っておるようじゃ・・・」

 

占い師は呆れ果てた。

 

「はっはは、そうじゃな!」

 

対し孫市、軽快に笑い飛ばした。

 

「ほれ、見てやったのじゃ・・・」

 

そう言うと占い師は卓の上の茶碗を孫市の方に摺り寄せた。孫市は茶碗を見ると察したのか、腰の方に手をやった。

 

「少しだけじゃぞ」

 

眉間に小さな皺を作りながらそう言って、竹筒の茶を茶碗に淹れると孫市は軽く礼を述べながら店から出て行った。占い師は占い損だと茶碗の茶を飲み干しながら思ったが、孫市という男の未来が気もなるのも事実である、しかし霞むようによく見えないのだ。あれが予言の八咫烏なのは一目見た時から分かってはいたが、ああも傍若無人な男だとは思いもしなかった。

 

ならば曹操とどちらが強大な者となるか、占い師は過去に占いを行った曹操の顔を思い浮かべる。

対極に位置する二人だが、どちらも大きな魅力があった。もしも孫市が曹操の味方となるのならば曹操の後の天下は確実な物となるだろうが、あの男は行動が読めない。もしかしたら独自の軍を立ち上げて天下に覇を唱えようとする可能性は少なからずあると占い師は思った。

 

「どう転ぼうともあの男は遅かれ早かれ流れに飲み込まれるでじゃろう・・・・・・蒼天は既に死んでおる・・・」

 

誰もいない店内を見渡し、占い師は誰に言う訳でなく小さく呟いた。

 

 

店を出た孫市は腹を空かせていたのを思い出し、数軒先の店に入り込んでいた。

同じように店先に赤兎馬を繋ぎ、邪魔だったので天下一の旗を赤兎馬に付けてやった。意外と様になった気がする、きちんと荷物を守っていてくれよと頭を撫でて孫市は店に入った。

 

店内は意外と混んでおり、街外れの名店と言ったところだろう。店員に案内され四人掛けの席に一人座らされた。店が混んでいるので他の客が据わるかもしれないと店員は孫市に伝える、孫市はそんな事は気にしないと了承して店のおすすめと酒を注文した。暫くお待ちください、と店員は答えた。孫市は店を見渡して混みあっているのだから仕方ないだろう、頬杖を突きながら無料の水を啜る。この中の水が無くなる前に食事と酒が来れば万々歳だ。

 

 

 

曹操は遅い昼飯を取ろうとしていた。その曹操に付いているのは夏候姉妹、姉の夏候惇は町で暴れた男たちの鎮圧に出向き、夏侯淵は曹操を現場に案内する為に付いてきた。孫市は夏候惇が現れた混乱に乗じて逃げてしまい。結局曹操らは彼に会えずじまいであった。

 

「なあ、秋蘭。その孫市というのは誰なのだ?」

 

「姉者、鈴木のことだ。ほら、以前一緒に戦っただろう?」

 

「ああ、あのいけ好かない奴か。あいつの事なら覚えてるぞ」

 

覚えの悪い夏候惇でも孫市のことは覚えていた。最初から悪印象を覚え、戦いでは馬鹿にうるさい筒がとても印象に残っていた。更に曹操が直々に会いに行くと逃げたというのにも腹を立てていたのを覚えている。

 

ああ、思い出すだけで頭に来る。夏候惇は依然孫市のことが嫌いであった。

 

「ここね、秋蘭の言っていた店は」

 

先頭の曹操がとある店先で立ち止まり、その店を覗き始めた。中は混雑してはいるが何席かは空いている、三人ほどなら一緒に座れるだろう。二人を連れていざ店に入ろうと足を歩めると傍に小さな馬がいる事に気付いた。この辺には住んでいない種類だ。旅の者がこの町に寄っているのだろう、曹操にしてみればとても喜ばしいことであった。旅人が寄るとということは治安が良いということでもある、自分の行いが目に見えているのは曹操でなくても嬉しいことだろう。

 

「ん?」

 

曹操はその馬が旗を差していることに気付いた。何処かの商人だろうか、そういえば昼頃に商隊が着いていたはずである。その中の一人だろうかと思い、彼女は旗の文字を読んだ。

 

「天下一孫市。ふーん・・・・」

 

なおさらこの店に入店しなければならなくなった。

 

「おお、華琳様。この馬はもしや鈴木の馬では!」

 

隣の夏候惇が分かりきったことを教えて来るのを流しながら曹操は入店した。その後を追うように夏候姉妹が入店する。

 

「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」

 

「三人よ」

 

「あちらの方と相席になりますが宜しいでしょうか?」

 

店員が奥の四人掛けの席に座る孫市を指しながら言うのに曹操は快く了承した。今日は曹操にとって運が良いようだ。それか孫市の運が悪かったかだ。

 

その孫市は酒を食らいながらほろ酔い気分であった。長い護衛の任の間は酒を一滴も飲めず、その分面白いように酒が進む。傍から見れば昼間から酒を飲むダメ人間のように見えてしまう。猪口を傾ける孫市の眼の前の席に曹操が座り、その隣に夏侯淵が座った。残った孫市の隣には夏候惇がどんっと音を立てて座る。

 

「久しぶりね、鈴木」

 

曹操が開口一番にそう言った。

 

「ん?」

 

久しぶりにその名を聞いた孫市は妙に懐かしさを感じた。孫市、猪口を置き自分の席に座った三人を見渡して夢か現かと目を擦った。どうやら酔い潰れた訳では無いと気付くと空の猪口に酒を注ぎながら挨拶を交わした。

 

「われは曹操ではないか、久しぶりじゃな。それに夏候惇、おお夏侯淵も居たか、二人ともさらに美しいなったのう」

 

「貴方も変わりないようね」

 

「どうじゃ、酒でも飲もうかよ」

 

と孫市は言いながら徳利を差し出すが、曹操はかぶりを振って断った。まだ昼で彼女たちには仕事がまだ残っている訳である、現在、浮浪者と同等の孫市とは違うのである。

 

「酒なぞ高野山の猿でも飲むぞ」

 

もう少ししか残っていない徳利に口を付けると、隣の夏候惇が孫市を睨み付けている。

 

「貴様、華琳様を猿などと一緒にするな!」

 

腰の刀に手を掛けながらそう言う。孫市はその様子を見ながら悪びれるといった訳ではないが夏候惇の方を向きながら言った。

 

「おなごというのは真面目じゃな、つい口を滑らせて言ってしまっただけじゃ。そう怖い顔をするでない」

 

「鈴木、私の可愛い部下を虐めないであげて」

 

「わしは同席のよしみで酒を奢ろうとしただけなのじゃが、夏侯淵はどうじゃ?」

 

孫市は変わりない様子で次に夏侯淵に徳利を掲げながら訊いたが彼女は無言の威圧で断った。

 

「どうやらわしはお主らには好かれとらんようじゃな」

 

美人姉妹に嫌われているのを知ると孫市はうら哀しげに炒飯を一口食べた。そんな孫市に曹操は軽く笑みを浮かべながらこう投げかけた。

 

「ねえ、鈴木。私の言うこと聴いてくれないかしら?」

 

「何ぞお願いかのう?」

 

曹操はただ単に孫市と話に来た訳では無い、曹操は孫市を利用しようとしていた。現在抱えている悩みを彼を利用すれば、もしかしたら解消できるかもしれないからである。

 

「ええ、お願いでもあるわね」

 

「なぜわしがお主のお願いを聴かねばならんのじゃ? そこの二人に迫られれば聴いてやったもしれぬのに」

 

孫市にしてみれば曹操など小娘である、例え立場が上であろうと乱世の奸雄であろうと見た目というのは変わらない。お願いされるのならば夏侯姉妹の色仕掛けを所望する訳である。

 

「いいえ、貴方は私の言う事を聴かなければならないわ」

 

「なぜじゃ?」

 

「ついさっき、街で乱闘騒ぎがあったの知っているわよね。当事者なんだから」

 

「ああ、そんな事もあったな」

 

孫市は昔の思い出を語るかのように言った。まるで気にしている様子ではない。

 

「私はこの町の治安維持も任されているの、この意味が分かる?」

 

「なんじゃ、わしを牢屋にでもぶち込むのか」

 

孫市は心地のよい酔いに顔が綻んでいる、その内心面倒なことになったと考えていた。曹操にどんな難題を言われる溜まったものではない、賊退治に力を貸せと言うのなら貸すが曹操の考えている事が読めずにいた。

 

「そうね、今すぐに春蘭に命じて貴方を取り押さえてやってもいいけど、私の言う事を聴けば罪を帳消しにしてあげると言っているのよ」

 

「華琳様。こんな下賤な男などすぐに叩き斬りましょう! その方が良いです!!」

 

「姉者、華琳様には考えがあるのだ。ここは黙って聞いておこう」

 

曹操の邪魔にならないように黙っていた夏侯淵は己の姉の行いを止めるために口を開いた。

 

「うむ、そうか秋蘭」

 

妹の言うことは間違いが無いので夏候惇は黙った。

 

「話だけでも聴いてやろう」

 

孫市がそう言うと、三人は頭に来るのを耐えた。今の状況を分かっていない馬鹿なのか、偉そうにふんぞり返る孫市に曹操が応えた。

 

「単刀直入に言う、賊として隣県に行ってもらえるかしら?」

 

「む、それはどういうことじゃ?」

 

酒により頬が赤い孫市は途端に真剣な顔付きになると曹操を睨んだ。何をふざけた事を言っているのだと眼の前の小娘を見る。曹操はそれに気圧される様子も無く、凛として説明を始めた。

 

孫市はその説明に耳を傾けるていると、酔いが浅かったのか少し目が覚めた。

要するに隣県に侵入する大義名分を得る為に賊である孫市をその地に侵入させると言うのだ。いささか無理矢理な気もするが既にその隣県は賊が溢れており、迂闊に手も出せない状況なのである。それに合わせて自分の土地の賊がその地に逃げ込んだので追わせてもらう、そのついでにその地の賊たちも退治してやろうという魂胆であった。この策は以前から考えていたことであったが如何せん踏ん切りがつかずにいたが孫市の登場でやっと踏み出せた。

 

「わし一人でやれと?」

 

たかが一人だけの賊を追う為に軍を出すと言ったら笑い話であったが、そこは曹操も考えていたようで他に捕らえている罪人も連れて行けと言うのだ。

 

「ふざけておるのかお主?」

 

この町の刺史だからといってもそれはやり過ぎだろうと孫市は抗議の声を上げたが曹操はそれを一蹴した。

 

「貴方に断る権限は無いわよ、今ここで貴方の首を跳ねてやっても良いのだから」

 

「喧嘩しただけで打首か、生きにくい町じゃな」

 

孫市は隣から殺気を感じた。夏候惇が刀に手を掛け、刃が鞘の内から見えていた。今すぐにでも抜いて振り上げてしまいそうであった。孫市は胆を冷やした。どうやら本気のようである、心地よい酔いなど何処かに行ってしまった。大概にしろ、と言いそうになったが夏候惇の手元を見てその言葉は失った。

 

「・・・・隣県に行けばよいのだな」

 

「あら、私のお願い聴いてくれるのかしら?」

 

「守備範囲じゃないが聴いてやろう」

 

「一々癪に障る物言いね」

 

「咎人になってやるのだから許せ」

 

「なってやるじゃなくて、もうなっているのよ。ついでに反逆罪でも付けてあげようかしら」

 

「よせよせ、本当に打首になってしまうわい。心得たゆえ、乱暴はせんでくれ」

 

曹操は目的の為ならば何だってやる。犯罪者だろうが何者だろうが使えるのならば使う、曹操は孫市のことは認めてはいた。この件が終わればちゃんとした報酬も渡そうと考えてもいる、だが今は非常な振る舞いが孫市にはとても有効的であったから使ったまでだ。誰に嫌われようがそれが後の道に繋がるのならば躊躇などしない。

 

「そう、なら私たちも何か食べましょうか」

 

やっと話が終わったかと曹操は一息付いた。夏候姉妹も同じように腹が空いており、こちらも安堵している。三人は注文をして飯を食うのを孫市はただ眺めていた。自分の立場がどんどん悪い方に行っている気がしてならないが、犯罪者の気分になるのは初めてであったためか初心な気持ちなり、段々と楽しい気持ちになってきていた。賊として生きるのも良いかもしれないと思ってしまうが、それもある意味で自由を失ってしまうと考えると、無いと決め付けた。

 

曹操の覇道の第一歩を手伝うことになるのかと考えると、途端に震えが来た。何か自分は恐ろしいことの片棒を担いでいる気分になってしまう、こんな気分になったことなど今までに無かった。この少女は乱世の治めるのか起こすのか、孫市はどっち付かずで答えが出なかったが、時代が曹操という少女を求めたのであれば自分は彼女の手伝いをするべきなのだろう。

 

孫市が複雑な気分になってしまうと、眼の前の曹操から少女の面影が消え失せた。

 

 

説明
天下一の色男にて戦国最大の鉄砲集団、紀州雑賀衆を率いる雑賀孫市は無類の女好きにして鉄砲の達人。彼は八咫烏の神孫と称して戦国の世を駆け抜けた末に鉄砲を置いたが、由緒正しき勝利の神を欲する世界が彼に第二の人生を歩ませた。

作者自身、自分の作品を良くしたいと思っておりますので厳しい感想お待ちしております。

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