とある 3人目の当麻 |
とある 3人目の当麻
「インデックス。テレビもいいけど、食べたものをちゃんと台所まで持って来いよ」
7月27日午後7時45分。食事が済んで15分。台所から上条当麻の非難めいた声と水の流れる音が聞こえてくる。同居人は食器を洗っているらしい。
「超機動少女カナミンが終わったら持ってくってばあ!」
番組が良い所だったのに水をさされたインデックスの返答は不満に満ちている。少女シスターは気分を取り戻すべく、右手で無造作にバナナを掴みながらテレビ画面に再び見入ることにした。画面の中ではカナミンと敵組織の大幹部の決戦が映し出されていた。
『これで勝負を決めるわよ、完璧魔神始祖キルグミオンっ! カナミン・タワーブリッジ・ネイキッドッ!!』
『ぐわぁあああああああああぁッ!!』
相手の背中を自分の頭で突き刺すようにしてアルゼンチンブリーカーの要領で相手の体を持ち上げる。魔法少女は自分の腕を交差させながら敵の首と足を締め上げる。腕を交差させた分たぐり寄せる動きになるので締め上げる力はより強力になっている。
全身に包帯を巻き、右目には眼帯をしたクマの姿をしたタフさで知られる敵幹部の口からも思わず悲鳴が漏れ上がる。
だが、敵もまた最強の名を冠する魔神に連なる者。すぐさま反撃に打って出た。全身を激しく上下動させることにより魔法少女の首と両腕に大きな負荷を掛けていく。少女の腕が引き千切られかねない状況で顔が苦痛に歪む。どちらが技を掛けているのか、どちらがより大きなダメージを受けているのかわからなくなる激しい攻防戦。
「カナミン頑張れぇ〜〜〜〜ッ!!」
応援するインデックスにも熱が入る。持っていたはずのバナナをどこへやってしまったのかわからなくなるぐらいに。
そして番組は、魔法少女が敵幹部の背骨を粉砕したはずなのに、何故か反撃を仕掛けられてきたところで終わりを告げ次週へと持ち越された。
「あ〜〜っ! 来週が気になるんだよぉ〜〜〜〜っ!!」
番組が終わってもインデックスの興奮は収まらない。テーブルをバシバシ叩くことで身体の中を駆け巡る熱い迸りを放出している。
「もう夕飯の後片付け全部終わっちまったんだぞ。早く食べ終えた皿を持って来いっての」
不機嫌な表情の当麻が部屋へと戻ってきた。
「カナミンが終わったら持って行くってさっき言ったでしょ」
「終わっても持って来ないじゃないか」
「今持って行こうとしてたんだよ。う〜」
せっかくいい気分に浸っていたのに当麻のお小言のせいで台無し。
インデックスの頬が膨れる。
「大体、お前もこの家に住んでもう1年以上……1年経つんだから、もっと積極的に家事をやったらどうだ? 働かない穀潰しシスターって最悪だろうが」
当麻は1年以上という表現のところで言葉を詰まらせた。けれど、腹が立っているインデックスは当麻が何故言葉を詰まらせたのか深く考えることができなかった。
「わたしは24時間この家を守ってるんだから、それ以上の労働は必要ないんだよ」
「自宅警備員を気取るのは止めろ。それはRoad to NEETだぁっ!」
当麻の機嫌が瞬時に悪化していく。
「大体なあ、お前だって女の子なんだから料理の1つも、裁縫の1つも覚えたらどうなんだ? 毎日毎日ゲームばっかり無駄に上手くなりやがって」
「女の子なんだからという言い方は現代社会においては男女差別的な表現なんだよ」
「社会で生きる者として最低限のスキルは身に付けろってんだ。御坂や姫神なんてスゲェ料理上手なんだぞ。アイツらならいつでも嫁に行けるっての。俺がもらいたいぐらいだ」
「…………どうしてここで短髪や秋紗の名前が挙がるのさ」
インデックスの機嫌も急速に悪化する。そして2人の少女の名を出して持ち上げた本人は少女シスターの機嫌が悪くなっていることに気が付かなかった。
「御坂も姫神も生きていくために必要な家事技能をみんな持ってるってことだよ。インデックスも見習えっての」
「フンッだ!」
インデックスはテーブルに背を向けて皿を下げることを拒否する態度を示した。
「あのなあ……」
背後から当麻の不満に満ちた声が聞こえる。けれど、インデックスもまた苛立ちが最高潮に達していた。
「とうまは短髪なり秋紗なりをお嫁さんにもらって一緒に家事をやればいいんだよ」
「何を無茶苦茶言ってるんだよ」
「フン」
後ろを向いたまま当麻との対話を拒否する。
嫁候補として2人の少女の名前が挙がった。自分ではなく。
とうまの一番近くにいる女の子はわたしなのにっ!
インデックスの内面は悔しさと腹立たしさでいっぱいだった。
「なあ、インデックス」
「フンッフンッ!」
「ハァ〜。仕方ねえなぁ……」
大きなため息が聞こえた。ため息は当麻が折れた際の合図。
部屋主は居候少女を説得することを諦めて自分で皿を片し始めた。
当麻の行動が無言の内に戦力外と語っているようで心苦しい。
けれど、当麻への苛立ちは大きくインデックスは手伝う気にもなれない。結局何もできないまま当麻の手が動く音だけが聞こえてくる。
積み重ねられた皿が持ち上げられる音がした。当麻は無言のまま台所へと去ろうとしている。
「う〜う〜」
インデックスの中にジレンマが走る。手伝いを申し出る最後のチャンス。けれど、身体はどうしても動いてくれない。
そして、それは起きてしまった。
「うわぁああああぁっ!?」
突如当麻の悲鳴が背中越しに聞こえてきた。それと同時に空気が裂かれる音と、食器がガチャガチャと擦り合わさる音が鳴り響く。
どうしたんだろうと思ったインデックスが振り返る。すると、バナナを踏んでバランスを崩した当麻が頭から床に倒れる瞬間が見えてしまった。
「とうまぁ〜〜〜〜っ!!」
叩き付けられた食器が次々に割れていく音が室内に鳴り響く。けれど、そんなことは些細な事でしかなかった。インデックスは慌てて当麻の元へと駆け寄る。
「とうまっ! しっかりしてっ! とうまぁ〜〜っ!!」
インデックスは耳元で必死に呼び掛ける。しかし、当麻から返事は一向にない。目を瞑ったまま倒れている。
「わっ、わたしがバナナをちゃんと片付けなかったら……」
テレビに夢中でバナナの在処を疎かにしてしまった。それが原因で当麻が転んでしまった。インデックスは強い後悔と自責の念に駆られている。けれど、自分の失敗よりも今大事なのは当麻の状態だった。
「どっ、どうしよう……」
当麻は一向に目を覚まさない。インデックスの瞳に大粒の涙が溜まっていく。何をすればいいのかわからない。治癒魔術を上手く扱えない自分が悔しくて仕方ない。当麻のために何もしてやれない自分が悲しくて仕方ない。そして、当麻の容態が危険なことが何より辛かった。
「大きな音が立ったけど何があったんだにゃ〜?」
サングラスを掛けた金髪アロハシャツ男が部屋の中に入ってきた。
隣の部屋に住む土御門元春が様子を見に来たのだった。
当麻の友達の顔を見て、インデックスの瞳から遂に大粒の涙が流れ出す。
「とっ、とうまが、とうまがわたしのせいで転んで頭を打って……」
「カミやんが頭を……っ!?」
土御門は慌てて駆け寄り当麻の意識がないことを確認する。
「わたし、どうしたら……」
「今救急車を呼ぶから心配要らないにゃ〜」
土御門はインデックスを宥めながら携帯を取り出して素早く連絡する。
「とうま……とうまぁ……」
インデックスはその間に意識のない当麻の頬に触れようと手を伸ばす。
「頭を打っている時は、素人が下手に触ると危険だにゃ〜。救急隊員が来るまでそっと見守るんだにゃ〜」
「…………うん」
土御門に言われて伸ばし掛けていた腕を引っ込める。当麻に触ってさえやれない自分が悔しくて悲しくて切なくて仕方ない。
結局インデックスは救急隊員が部屋に到着するまで当麻の隣に座って泣き続けた。
当麻が病院のベッドの上で目を覚ましたのは翌日の早朝だった。
目を覚まして最初に見えたのは、ベッドにもたれ掛かって寝ている修道服姿の中学生ほどの年齢の銀髪の少女だった。
ここ、日本だよな?
自分の見ている存在の意味がわからなくて顔を天井へと向ける。知らない天井だった。情報を得るべく室内のあちこちを見回してみる。ここが病室であるらしいことはわかった。けれど、それ以上の情報は得られない。
改めて天井へと視線を向け直しながら情報を整理してみる。何故、自分が病室で寝ているのかと。そして、情報を分析し始めて一つの事実に気が付いた。
俺って一体誰だ?
自分が何者かわからないことに。
住所どころか名前さえも思い出せない自分に気が付き、改めて眠っているシスター少女に顔を向ける。
この子が誰だか全く思い出せない。目の前の少女に関する情報も何も覚えていない。病室のベッドに付き添っているぐらいなのだから、ある程度縁の深い人物であることは予測できる。けれど、それ以上の関係の推測が全くできない。
何故、西洋人のシスターが自分と知り合いなのか全く想像が繋がらない。ここが日本であると感じ取っている自分さえもよくわからないのだが。
「う……ん……」
シスター少女が目を覚ました。寝ぼけ眼が自分を見ている。
「おは……よぉ……」
半分眠ったままの声が届く。少し幼い感じはしたけれど綺麗な声だった。
自分に敵意を持っていないのを確認するのはこの一言だけで十分だった。
「あ、あの……」
自分の味方に違いないと根拠を抱くと後はもう止まれなかった。
「どうしたのぉ?」
目を擦る少女にどうしても尋ねておきたいことを質問する。
それが、少女にどんな衝撃をもたらすのかまるで知らないまま。
「俺が誰であなたが誰なのか、教えていただけないでしょうか?」
「へっ? ええええぇっ!?」
シスター少女の全身が固まってしまった。
「知識はある程度残っているのに、自分に関するエピソード記憶が抜け落ちてしまっている。全生活史健忘の症状だね、これは」
「それって……」
「まあ、世間一般で言う記憶喪失の症状だね」
「そう……なんだ……」
カエル顔の医者の説明を聞いてインデックスは気分が重くなるのを感じずにはいられなかった。
そんなインデックスの落ち込みを察してカエル医師は少女の肩に手をおきながら続きを話した。
「去年の丁度同じ日の彼は脳の物理的損傷が激しくてそれまでのエピソード記憶を失ってしまった。それは残念ながら僕の力では回復できない症状だ。でも、今回は違う。早期に回復する確率も高いし、治ったら再発する可能性も低いよ」
インデックスが涙目で医師を見上げる。
「とうまの記憶……戻るの?」
「ああ、大丈夫さ。必ず戻るよ」
医師は力強く頷いてくれた。その言葉にインデックスは少しだけ救われた気分になる。でも、救われた気になるほど却って良心の呵責が彼女を責める。
「でも、とうまは……わたしのせいで2度も記憶を失って……わたし、どうしたら……」
胸が苦しくて息を吸うのも満足にできない。
去年の7月28日。当麻はそれまでの人生に関するエピソード記憶を全て失った。過去の思い出はもちろんのこと、自分の名前さえも全て。インデックスを救うために。
事故後、当麻は記憶喪失になったことを誰にも言わなかった。そんな彼の意思を尊重して少女もずっと気付かないフリをしてきた。
そして1年間互いに隠し事に気付かないフリをしながら同居生活を続けてきた。
既に1年間気付かないフリができたのだから今後もずっと同じように暮らしていける。インデックスと当麻の間に交わされていた言葉に出したことのない不文律な密約。
だが、その夢想は簡単に砕かれてしまった。インデックスのちょっとした不注意と当麻の不幸発動によって。
「君は、彼とどういう関係なんだい?」
カエル医師は少し困った顔でインデックスに尋ねる。当麻が入院する際には常に付き添ってきた。けれど、インデックスは自分の身分をカエル医師に伝えたことはなかった。学園都市において彼女は今でも公的には名乗り出られない身分にいた。
「とうまには……ずっといっぱい助けてもらってる。昔も今もずっとずっと……わたし、とうまの何の役にも立ってない……」
当麻との私的な関係について語っている内に涙が零れそうになる。普段は意識していない当麻との関係。対等以上に振舞っているけれど、何から何まで世話になっているのは彼女の方だった。こんな事態に陥って初めて自分がどれだけ当麻に迷惑を及ぼす存在になっているのか気付いてしまう。そんな自分が許せない。
「それに気付いたのなら今からでも変わればいいさ」
「変わる?」
インデックスがカエル医師の目を覗き込む。医師は力強く頷き返してみせた。
「そうだよ。彼は今大変な状態にいる。だから君が彼をサポートしてあげるんだ。今までお世話になってきた分心を込めてね」
「心を込めてサポートする……」
カエル医師の言葉はインデックスの心に染み入った。自分が何をすべきかハッキリと理解する。けれど、同時に不安も募る。自分の家事スキルに全く自信がない。
『社会で生きている者として最低限のスキルは身に付けろってんだ。御坂や姫神なんてスゲェ料理上手なんだぞ。アイツらならいつでも嫁に行けるっての。俺がもらいたぐらいだ』
昨夜当麻に腹を立てた言葉が脳内でリフレインする。
短髪か秋紗を呼んだ方がいいのかな?
弱気の虫に駆られてくる。
「大丈夫。君が精一杯サポートすれば、彼はきっと君の気持ちを受け取ってくれるよ」
「そう、なのかなあ……」
「1年前、記憶を失った彼が真っ先にしたことは、君の心を守ろうと記憶があるフリをすることだった。彼は優しさを記憶よりもっと深い部分に持ち合わせているよ」
去年の今頃を思い出す。目が覚めた当麻は最初記憶喪失であることを告白していた。けれどインデックスがそれで悲しんだのを見てすぐに記憶喪失のフリであると言葉を変えた。
当麻の言葉にはどう考えても無理があった。記憶の欠落は隠しきれるものではなかった。でも、その嘘がインデックスへの優しさからくるものであることが明らかだった。だから少女は少年の嘘を受け入れた。
「さあ、悲しい顔をするのはもう止めにしなさい。彼が検査を終えて戻ってくるからね」
「うん」
気分を切り替えるべく大きく深呼吸する。
今度は、わたしが頑張らなくちゃ。
カエル医師の言う通り、どんなに罪の意識が深くても当麻に悲しい顔を見せてはいけないと思った。
若い女の看護師に連れられた当麻が診察室へと戻ってきた。
当麻の表情には不安が見え隠れしている。何と声を掛けるべきか。必死に頭を巡らす。けれど、結論を出すよりも先にカエル医師が口を開いた。
「検査結果について知らせる前に紹介しておかないといけない人がいるんだ」
医師はインデックスへと当麻の注意を向けた。
「彼女の名前はインデックスくん。君の恋人だよ」
恋人という紹介の仕方に思わず声を上げそうになってしまう。
「えええっ!? 彼女、俺の恋人なんですか?」
事実、当麻の方は驚きの声を上げた。
けれど、インデックスは声を上げずに医師が何故恋人という紹介をしたのか考えた。答えはすぐに出た。そして納得した。
「インデックスくんが恋人では不満だと言うのかい?」
「とっ、とんでもない。こんな可愛い子が俺の恋人だなんて……スッゲェ嬉しいです。でも、とても信じられなくて……」
当麻はインデックスを見ながら頬を赤く染めている。
「君たちは同じ部屋に住んでいるとても絆が深い恋人同士なんだよ」
「一緒の部屋って…………ほっ、本当なんですか…………?」
当麻が信じられないという瞳でインデックスを見る。少女は静かに頷いてみせた。
「そういうわけなので、君の生活は彼女がサポートしてくれるよ。良かったね」
インデックスは立ち上がり、当麻に小さく一礼してみせた。
この展開に持っていくためには、当麻とは恋人同士と説明される方が確かに都合が良かった。恋人でない人間と一つ屋根の下で暮らしていると説明されれば、この当麻がどんな拒否反応を起こすかわからない。当麻のお世話をするためには医師の嘘を受け入れるのがインデックスにとっても良かった。
「たとえ記憶がなくてもとうまはわたしの一番大事な人。だから、お世話は任せて欲しいんだよ」
優しく朗らかに笑って当麻の両手を上から握る。恋人という設定には嘘がある。けれど、当麻を助けたいという気持ちには本当の心で満ち溢れている。
「その……君みたいに可愛い子が、俺の恋人で一緒に住んでるなんて今でも信じられないけど……よろしくおねがいします」
「うん。こっちこそ、よろしくなんだよ」
嘘と本当をひっくるめて当麻を助けたい。
少女は少年の手を更に力を込めて握った。
「ここがわたしたちの家だよ」
「へぇ〜。ここなんですか」
検査を終え、当麻を案内して男子寮の当麻の部屋へと戻ってきた。1年前に病院から帰宅した時は当麻の記憶がないのを誤魔化すために2歩前を歩きながらさり気なく誘導した。けれど今回は手を繋いで並んで帰ってきた。
当麻は物珍しそうに室内を覗いている。これも記憶があるフリをしていた前回にはない行動だった。当麻は部屋の内部を見ながらいちいち不思議がっている。2人で少しずつ増やしていった家具、ゲームの類に覚えがなくなっているのが見て取れる。同居人が記憶喪失になってしまったことを改めて痛感する。
室内はインデックスが覚えていたよりも片付いていた。昨夜当麻が倒れた際に割れて散乱した食器類の類がない。病院まで付き添って先に戻った土御門が処理してくれたようだった。
ベッドの上に見慣れない衣服、そして封筒が置いてあるのが見えた。流れから土御門のものであると推測できた。
当麻が部屋の作りに気を取られている間に封筒を確かめてみる。
カミやんの世話は任せたんだにゃ〜
白い修道服じゃ汚れが気になるから私のお下がりの服をいくつかプレゼントするぞー
P.S.軍資金の援助だにゃ。割れた食器や食費にするといいんだにゃ
土御門元春・舞夏
封筒の中には短い文章が書かれた手紙と1万円札が2枚入っていた。
「ありがとうなんだよ」
友の気遣いに感謝する。当座の生活に足りないものが何なのか土御門兄妹はインデックス以上に把握していた。
「その、本当にインデックスさんは俺とこの部屋で一緒に生活を?」
当麻は顔を赤くしながら未だに戸惑っている。
「そうだよ。わたしはとうまとここで1年間生活しているんだよ」
「そ、そうなんですか」
インデックスが認めたことで当麻の頬が更に赤くなる。彼女には何故当麻の顔が赤くなったのかその理由がわからない。
「どうしたの?」
首を傾げながら同居人の顔を覗き込む。
「えっと、その。俺が本当に君と同棲……いや、何でもありません」
当麻は百面相しながら意見を慌てて取り繕った。
「その、女性と一緒に暮らしているのに随分素っ気ない部屋だなって思って」
「わたしは一応シスターだから。清貧は立派な徳なので部屋を飾り付けるのはあまり好きではないのです。えっへん」
本当のところ、シスターとか清貧とか関係ない。部屋の飾り付けという女の子らしい趣味に元々あまり興味がないだけ。部屋を飾るならおかずを豪華にして欲しいのが彼女流。
「そのわりにゲームは充実しているみたいで、俺ばっかり趣味に生きちゃってるのかと思うと悪くて……」
「そのゲーム、ほとんどわたしがプレイしてるんだよ……」
当麻が固まりインデックスは落ち込み気まずい沈黙が立ち込める。
「そっ、そうですよね。シスターにだって息抜きは必要ですもんね」
「そっ、そうなんだよ。シスターだって人間なんだからストレス発散は大事なんだよ」
2人は揃って乾いた笑いを発した。
「とにかく、わたしと当麻はこの部屋で1年間一緒に暮らしてきた。わたしたちは恋人同士なんだから、何でも頼ってくれていいんだよ」
胸を叩いて誇ってみせる。自分の言葉に嘘を吐いている心苦しさと当麻にとっての特別な立場であることを公言できる優越感を同時に感じる。
「そこが、その、いまいち信じられないんです。君みたいな可愛くて心も綺麗な子が俺の恋人だなんて……」
「可愛くて心も綺麗って……」
思わず赤面してしまう。当麻にそんな褒め言葉を言われた記憶はこの1年間ほとんどない。インデックスと当麻は互いに褒める習慣を持たなかった。それは彼女たちに人を積極的に褒める習慣がなかったからであり、今となっては意識しなかった別の理由に気付く。
褒められると、とうまのことを意識せずにいられなくなっちゃう。
男女関係に踏み込まない同居生活を続けるためには必須のスキルであったことに。
意識していなかっただけで、当麻との同居生活にはきめ細かなルールが存在していたことに今となって気付く。
「とうまはね……わたしの命の恩人なんだよ」
「えっ?」
当麻が口を開いてきょとんとした表情を見せる。
「自分の身も顧みず、命を懸けて何度もわたしを助けてくれた。そして、それを少しも気取らない。そんなとうまの優しさに……わたしは惹かれたんだよ」
「命を懸けて助けるって……俺ってそんなキャラなんですか? 普通の高校生にしか見えないんですけど?」
「普通っていうか、とっても運が悪い高校生だよ。わたしが絡んでいなくてもしょっちゅう死んじゃうかもしれない危険に遭遇してる。入院だってしょっちゅうしてた」
話を聞いている当麻の表情がげっそりしたものに変わる。
「でもね、とうまは自分の正しいと思えることを貫き通せる人だから。人のために全力を尽くせる人だから。そんなとうまだから……わたしは大好きなんだよ」
昨日までの当麻が相手だったらとても言えない恥ずかしい言葉が口から出た。けれど、全部本心なので悪い気は少しもしない。それどころか、普段は言えない感謝と愛情の言葉が素直に述べられて気分が良かった。
「俺って……結構スゴい奴なんですかね」
当麻の当然とも言える分析にインデックスの額から汗が流れ落ちる。そして唸り声が出てしまった。
「う〜ん。学校の成績は下から数えた方が早いし、能力至上主義のこの都市で無能力者だから色んな意味で底辺を彷徨っている男の子なのは間違いないかも」
「えぇええええぇっ!?」
当麻はわけがわからないという声を上げている。その気持ち、インデックスにもよくわかった。
当麻の功績を考えるともっと良い待遇にいてもおかしくないと彼女も思う。一方で、この学園都市で誰よりも有能さを誇りながら日常生活はまるで冴えないというのも理解できない。爪を隠しているのではなく全力でもダメ。総じて言えば漫画のキャラクターとしか思えない不思議なあり方を当麻はしていた。
「はっきり言えばとうまは色々な勢力から体よく利用されている。いいように搾取されてる。でも、とうまはそれでも目の前の人を助けるのに全力を尽くせる人だから。とうまに助けられて幸せになった人は世界中にいるんだよ」
「自分がそんな大層な人間だとはどうしても思えない……」
「記憶喪失だもん。仕方ないよ」
今の当麻に以前の当麻と同じ生き方をして欲しいとは思わない。インデックスの目から見ても自分を顧みず他人を優先し過ぎる当麻の生は時々酷く歪に見える。戦いの最中に命を落とすのではないかと危惧したことは1度や2度ではない。
そんな生き方を記憶喪失中のこの当麻にして欲しいとは思わない。むしろ、危ないことに首を突っ込んで死なれてしまうのは絶対に嫌だった。
「でも、君っていう可愛い恋人がいてくれるのなら……危険に身を投じる対価は十分過ぎるほど受け取ってるって言えますね」
「…………そう言ってくれると、嬉しいかも」
昨日までのとうまはわたしをどう思っていたんだろう?
恥ずかしさに目を背けながらインデックスは以前の当麻の気持ちが知りたくなった。
そして同時に自分がとうまのことを知っているようで意外に知らないことに気が付いた。
「…………記憶喪失なのはわたしも同じなのかも」
少女の唇から大きな息が漏れでた。
「えっと……今午後1時半だから、ちょっと遅いけどお昼ごはんにしよっか?」
舞夏の貸してくれた服に着替えたインデックスは時計を見ながら昼食を提案した。
レーヨンの七分袖の紺色のブラウス、膝上20cmのクリーム色のフレアスカート。舞夏の準備した衣服に着替えたのも食事の支度に挑むためだった。インデックスの修道服は袖が長すぎて家事には不向きだった。衣装替えは彼女の決意の現れでもあった。
「そ、そうですね」
燃え上がるインデックスを見て当麻は若干引いている。
「今日は、超難関なお素麺に挑戦したいと思うんだよ」
「おっ、おう……えっ? 難関?」
上条家では財政事情の関係で、夏場は素麺に麺つゆを付けて食する割合が高い。麺も麺つゆは常時大量のストックがある。麺を茹でるだけなら1年間全く台所に立たなかった自分でもできる。インデックスはそう作戦を練っていた。
「さっ、台所に行くよ」
「う、うん」
当麻を従えて台所に入る。台所は並んで入るとかなり手狭だった。
考えてみると、インデックスはつまみ食い目的にに毎日のようにここに来ても料理したことはほとんどない。どこに何が置いてあるのかさえもよくわからない。
「まずお湯を沸かすんだよ」
素麺が入っている箱に調理方法が書いてあったのでそれを横目で見ながら料理手順を謳い上げる。大きな鍋をシンクに置いて水をアバウトに貯めようとする。
「素麺とはいえ計量した方がいいんじゃ?」
横からもっともなご意見が飛んできた。
当麻は個人に関連するエピソードの類は全て忘れている。が、知識に関しては驚異的な割合で残っていた。素麺を作った経験は全く覚えていなくても、知識としての素麺作りは知っている。
「わたしほどの玄人になると、目分量で水の量がわかるんです。えっへん」
インデックスは胸を張りながら嘘を吐いた。この1年間、全然料理をやって来なかったことを当麻に知られたくなかった。
「麺は2人分で200g」
説明書に書いてある通りに麺を準備する。麺は50gごとに束ねられているので2人分の分量を準備するのは難しくなかった。
「水はこれぐらいなんだよ」
偉そうに宣言してしまった手前、計量を行わず水道の蛇口を適当に捻って水を流す。
麺100gに対して水は1L必要とされている。麺200gに対しては2L以上の水が好ましい。
けれど、普段台所に立たないインデックスにとって2リットルの水がどの程度のものであるのかよくわからなかった。
仕方なく、ペットボトルを思い浮かべて2Lをイメージする。そして、そのイメージに従って水を止めた。
「あの、水がちょっと少ないんでは?」
当麻が控え目に異議を唱える。インデックスが鍋の中身を確かめる。確かに、少ない気がした。2Lというより、1L、下手をすると500mLな気がしないでもない。思い浮かべるペットボトルがいつの間にか途中で小さいものに変わっていた。
「素麺は芯がなくなるまで短く茹でればそれで十分だから。水は少なくても十分なんだよ」
インデックスは強がる道を歩み続けることにした。
その結果……
「ああっ! 麺が水を吸って鍋内の水が足りなくなったんだよぉっ」
「火を止めないと、焼き素麺になっちゃいますよっ」
「水を追加してこのまま続けるんだよっ!」
「でも、それじゃあ生煮えになっちゃうんじゃ?」
「芯がなくなるまでじっくりたっぷり茹でるんだよっ!」
コシのない伸びきった麺となってしまった。
予想より酷い出来になってしまい内心で落ち込むインデックス。けれど、当麻がいる手前、落ち込んではいられなかった。持ち前のポジティブ性を発揮して再度トライ。
「…………茹でた麺を水で洗ってシャッキリさせれば全然大丈夫なんだよ」
「って、下に水切りかごでもザルでも置かないと流されちゃいますってば!」
立ち直っても料理の腕前が上がるわけでなかった。結局最後までインデックスは右往左往しっ放しだった。
そして予定よりだいぶ遅くなった昼食。
「………………この手製の麺つゆ、スッゲェ美味しいっす。インデックスさんはやっぱりお料理上手なんですね」
「………………その麺つゆはね、とうまが作ったんだよ」
少女は見栄を張ることの虚しさを知った。
そして、料理を一生懸命練習しようと心に決めたのだった。
昼食の料理作りに失敗したインデックスは落ち込んでいた。最も簡単な調理といえる素麺に失敗したのだからそのダメージは大きかった。しかも、無駄に見栄を張った結果被害が拡大してしまったのだから自己嫌悪はより大きくなっていた。
けれど、記憶喪失状態の当麻を前にしていつまでも落ち込んでいられないのもまた事実だった。しかも、時計を見ればもう5時近くなっている。
「買い物に、行かないと駄目なんだよ」
おやつ目当てでしか行ったことのないスーパーに自主的に行かないといけない。使命感と不安が少女の内面でない混ぜになっている。
「不安だからとうまにも付いて来てもら……とうまにもスーパーの場所を知ってもらうのは大事だよね。うん」
同居人へと顔を向ける。食後に一緒に部屋の掃除をした後、当麻は疲れが吹き出たのかベッドにうつ伏せの姿勢で居眠っていた。
インデックスは当麻がベッドで寝ている姿を本当に久しぶりに見た気がした。当麻は普段、風呂場で寝ている。自分に気を使っているからだとは知っている。
過剰で無用な気遣いだと思っているものの、硬派とか紳士という自分像を大事にしている当麻に直接言ったことはなかった。
けれど、こうして改めて当麻がベッドで寝ている場面を見ると、自分が当麻に酷い境遇を強いていることを再確認してしまう。
「……同じベッドで寝ちゃいけないって誰が言ったんだよ。わたしはとうまだったら一緒に寝た……あっ」
自分の発言が過激だったことに気が付いて慌てて頭を横に振る。
「神の使徒であるわたしがなんてハレンチなことを……そういうのはとうまがちゃんと覚悟を決めてくれるまで考えちゃダメなんだよ」
同居生活についてちょっぴり深い意味を考えてやっぱり考えを打ち消す。
「とうま〜。起きて。一緒に買い物に行くよぉ」
背中を前後に揺れるように擦る。当麻が反応して薄目を開く。
「うぉっ!?」
少年は大げさに飛び起きた。
「どうしたの?」
「目を開けたら銀髪美少女が背中を擦っていたなんて漫画みたいなシチュエーション。誰だって驚くに決まってますよ」
「そう、なのかな?」
美少女と言われたことに照れるべきなのか、当麻らしくない反応を訝しむべきか。
インデックスがうたた寝している当麻を起こす時は大抵ご飯をねだる時。雰囲気はいつも殺伐としていた。色気より食い気を地でいっていた。そしてそれが2人の日常だった。
記憶喪失中の当麻はインデックスをちゃんとレディー扱いしてくれる。それが却って彼女の調子を崩していた。
「いくら記憶を失う前の俺とインデックスさんが恋人同士とはいえ、記憶がなくて女の子に免疫がない俺にやられると心臓もちませんって」
「前のとうまは全然気にしなかったけどね……」
昨日までいたとうまって誰なんだろう?
そんな哲学的なことをちょっと考えてみる。
インデックスは今日まで3人の当麻に出会ってきた。
一番最初に出会った当麻は、それまでの16年間の人生をどっしりと基盤に据えて来訪者である自分と接し助けようとした。
二番目に出会った当麻は、記憶喪失であることがバレないようにフランクなキャラを自分で最初に作り上げ、それが素になるまで固い信念で演じ続けていた。
そして今目の前にいる当麻は、記憶喪失であることが自他共に公認であり、一つ一つの場面に素直な感情を表出させている。
そう考えると、自分が一番良く知っている当麻は、自分への配慮が成分となって人格が構成されていたと言えなくもない。
「……とうまが記憶喪失だってわたしは知ってるよって言ってあげていたら……とうまはもっと違う生き方をしていたのかな?」
わたしがとうまの生き方を縛ってしまったのかも?
当麻の人格はインデックスに強い影響を受けた。それがいいことなのか悪いことなのかわからない。ただ、今の当麻を見ていると、彼にはもっと様々な生の可能性があったことだけは間違いないと思った。
「あの、インデックスさん? 固まってしまってどうしたんですか?」
いつの間にか心配そうな瞳に覗き込まれていた。
「ううん、何でもないんだよ。一緒にお買い物に行こう♪」
インデックスは笑顔で当麻の手を取った。
「はい。お伴します」
「お願いするんだよ、わたしのナイトさん♪」
今はこのとうまを精一杯お手伝いしよう。
少女は今すべき最優先事項を定めた。
「その、手を繋いで歩くのって恥ずかしいですね」
この近所では一番大きなスーパーへと向かう道すがら、手を繋いで隣を歩いていた当麻が頬を僅かに染めながらポツリと呟いた。
「わたしたちは恋人同士なんだから照れる必要なんてないんだよ」
当麻以上に顔が真っ赤になっているインデックスは焦って返した。
流れで手を繋いで家を出てしまった。けれど、当麻と手を繋いだことなどこの1年ほとんどない。まして、手を繋いだまま歩いた経験なんて1度もない。
インデックスの初体験。
猛烈な恥ずかしさに身を焦がしながらインデックスは歩き続ける。
「……恋人同士って設定はやっぱり恥ずかしいかも」
今になって自分で了承してしまった初期設定を恨めしく思う。けれど、今繋いでいる手は明らかに当麻のもので。心の奥底から幸福感が湧き上がってくる。
「その、記憶を失う前の俺って、毎回インデックスさんと手を繋いでいたんでしょうか?」
「あっ、当たり前なんだよ。わたしたちは誰もが羨むラブラブカップルなんだから」
自分でハードルを上げてしまっているのを感じる。何故、見栄を張ってしまうのか自分でもよくわからない。けれど、当麻と親密だった。自分は有能だったとアピールしたくて仕方がない。
「こんなスッゲェ可愛い子とラブラブカップルだとか、俺ってば本当にスゴいんだな」
「そうなんだよ。とうまは私と一緒にいられること幸せをもっと享受すべきなんだよ」
このままでもいいかも。
この1年間、味わったことのないロマンスの波動にインデックスはのぼせていた。
当麻と2人、スーパーへと到着する。その入口のガラスの扉には大きな宣伝が描かれていた。
カナミンショー カナミンVSキルグマー
日時:8月2日(土) 午後3時 会場:スーパーマッスル屋上
「カナミンショー……これは、これはスゴいんだよっ!! 絶対見るんだよ」
お手て繋いで青春に頬を染めていたインデックスの瞳がキラキラと光り出す。
「カナミンって何ですか?」
戸惑った声の当麻。当麻の知識が自分自身のこと以外にも部分的に破損していることを思い出す。
「魔法少女ってわかる?」
「小さな女の子と大きなお友達が見るアニメのことですよね」
上級者向きの答えが返ってきた。そしてインデックスは自分が前者なのか後者なのか判断に苦しんだ。
「え〜とね。カナミンはその魔法少女モノアニメの一つって言えば説明が早いかな」
結局、解答は保留することにした。
「インデックスさんはカナミンが好きなんですか?」
一見何でもないように聞こえる当麻の質問。けれど、インデックスにとっては違った。
わたしがオタクなのかとうまに試されているんだよ。
先ほどの流れがある以上、警戒は怠れなかった。
見栄を張るか。それともカナミンへの愛を貫くか。
インデックスの出した答え。それは──
「とうまがカナミンを大好きで、わたしもつられて一緒に見ているんだよ」
以前の当麻に責任を擦り付けるだった。
「えっ? 俺って……その、オタクだったんですか? カナミンたんハァハァとかしてたんですか?」
「さ、さあ?」
インデックスは否定も肯定もしなかった。カナミン好きは当麻という言質を守るため。
「でも、カナミンはとても面白くてわたしも大好きなんだよ♪」
そして自分は心軽やかにカナミンが大好きと告白できた。スッキリした。
「そっか、俺……オタクだったんだ。彼女がインデックスさんなの見るとロリも入ってんのかな?」
対照的に当麻は落ち込んでいる。
「カナミンショーを見ればとうまも色々思い出せるかもしれないんだよ。だから8月2日は絶対に来ようね♪」
当麻の右腕に抱きつく。魔術が施されていない普通の服なので当麻の右手が反応することもない。
修道服以外のお洋服もいいかも♪
当麻の右手の無反応を通じてインデックスはちょっぴりオシャレに目覚めた。
「さて、これからスーパーに入るに当たり、本日の戦略を申し渡すんだよ」
入口の前に改めて立ったインデックスが背筋をふんぞり返しながら大きな声を出す。
「戦略、ですか?」
「そう。戦略は戦術よりも戦闘よりもビッグで強いんだよ」
「はっ、はあ」
当麻から気のない返事が聞こえてくる。理解していないのは間違いない。喋っている本人もよくわかっていないのだから仕方ない。
「今日のスーパーにおける目標は2つ!」
「は、はあ」
当麻は圧倒されている。
「1つ。今日買う夕飯はお惣菜を中心に出来合いのものにするんだよ」
勿体ぶって喋りながら昼食の失敗から夕飯は難易度を下げることにした。千里の道も一歩から。料理を精進するためにまずは出来合い品をお皿に盛り直すことから始めることにした。
「…………そう、ですね」
当麻から特に異論は出ない。先ほどの昼食からインデックスの料理スキルがどの程度のものなのか推測したらしい。顔を横に背けている。
「2つ。おやつのお菓子は1人1個までなんだよ」
「…………そうっすね」
顔を寄せて凄むインデックスに対して当麻は一切目を合わせなかった。ただひたすらに遠い瞳でお惣菜コーナーに何があるのかチェックしていた。
「あの、インデックスさんに俺の分のおやつの権利も譲りますんで」
「ほんとっ!? ありがとうなんだよ♪」
インデックスの瞳がいつになく輝いた。こうしてインデックスはカナミンスナックを2袋入手に成功するという快挙に成功したのだった。
スーパーで買ってきたお惣菜をホームセンターで買ってきた食器に盛った夕飯が終わった。その後2人で並んで食器を洗った。新婚さんのようなこそばゆい気分になった。何故昨日まで当麻と家事することを拒んできたのかインデックスには自分が理解できなかった。
夕飯が終わり入浴タイムとなった。
「とうまが先に入って」
「えっ、あっ、はい」
返事はしたものの当麻はまごついて動かない。
「お風呂の入り方がよくわからないなら、一緒に入ろうか?」
「ひっ、ひとりで入ってきま〜すっ!」
当麻は赤くなりながら風呂場へと慌てて駆け込んでいった。
「ふふ。ちょっと可愛いかも」
インデックスは自分がお姉さんになったような気分になっていた。
「さて、とうまがお風呂に入っている間に寝る支度をしなくちゃね」
インデックスはテーブルを片して布団を床に敷いておいた。カエル医師の言い付けもあって当面は夜更かししないことに決めた。好きなゲームも夜は封印。
「その、上がりました」
約30分後、少しオドオドした様子の当麻が戻ってきた。アウェイにいる緊張感を漂わせている。
この反応が普通なのだろうと心の中で納得する。これまでの当麻は記憶があるフリをして主人的な振る舞いを取るのに余念がなかった。無理せずとも良かったのに。そう思う。無理をさせた原因が自分にあるので、今になって胸が痛い。
「じゃあわたしが入る番だけど……もう1度一緒に入る?」
「けっ、結構ですっ!」
緊張で直立不動の体勢を取る当麻に微笑みながら着替えを持って浴室へと入る。
湯船に入り天井を見上げた所でようやくひと息吐けた。
「わたしってこの1年間、何をやってきたんだろ?」
一息吐くと忙しかった時には考えなかったネガティブな考えが次々に浮き上がってくる。けれど、彼女にとってみればそれは仕方のないことだった。
「お料理は全然できないし、掃除もお洗濯もお買い物もひとりじゃちゃんとできないし。わたしって、何もできない……」
今日1日でとことん自分の家事スキルの未熟ぶりを思い知ってしまった。学校や研究で忙しいのならともかく、基本的に24時間暇をしていたのに生活能力がまるでない。
その気になればできるはずという思い込みが崩れたことは苦すぎる経験だった。
「わたし、とうまの助けになれてるのかなあ?」
弱気の虫が支配する。鏡に映った少女の顔はいつになく沈んでいる。自分が自分でない感覚が支配する。
「って、大変なのは記憶喪失になったとうまの方なのに、わたしが落ち込んでちゃダメだよね」
それでも、人を救うことを自分に優先してできる少女は気持ちを必死に切り替えた。
「うん。頑張ろう」
心の動力炉をフル回転させながら立ち上がる。
今できる精一杯のことを当麻にしてあげようとパジャマに着替えて浴室を出る。
そして気が付いた。
「えっと……俺たちって、その、夜は…………」
寝るだけ。ただそれだけのことが一番難しいことに。
当麻は床に敷いてある布団の上に立ちながら顔を赤くしている。
「ああ。それはね……」
インデックスは直感していた。
ここが最大の試練だと。処理を誤れば当麻も自分も傷つく展開になってしまう。
けれど、逆もまた言える。ここさえ切り抜ければ以降の平穏が見込めると。
天下分け目の関が原の戦い。最近プレイしたゲームを思い出しながら、少女は澄まし顔を作って返答を口にした。
「わたしととうまはラブラブカップルだから普段はベッドに2人で寝てるんだよ。でも今のとうまにはそれじゃあ刺激が強すぎるから床のお布団で寝てもらうから」
また、平然と嘘を吐いた。より正確には頬が染まっているので平然とはできていない。けれど、そんな些細な表情の変化に気が付く余裕がないほど2人は舞い上がっていた。
「俺たちってその、なんかスゴいっすね。インデックスさんは……シスターなのに」
「と、とうまがわたしのことをお嫁にもらってくれるって約束してくれてるから……教会にも話を通すって。だから……」
全身真っ赤になりながら自分の秘めた願望を口にする。昨日までの当麻には絶対に言えなかったインデックスの夢。
「でも、俺は昨日までの上条当麻ではないわけですし。同じ部屋で寝るというのはまずいんじゃないでしょうか」
「へって?」
当麻のぎこちない物言いにインデックスはハッと息を呑んだ。嫌な予感がした。そして当麻は間髪入れずに彼女が予感した通りのセリフを口にしたのだった。
「やっぱり俺、風呂場で寝ます」
「却下なんだよっ!」
気が付けば自分でも驚くぐらいの大声で当麻の意見を否定していた。
「前のとうまもお風呂で寝るって提案した。それがわたしのためになると思って。でも、わたしはそうは思わないんだよ。家主のとうまをお風呂場で寝かせて自分だけベッドで寝てたんじゃ気分は良くないよ」
インデックスはこの1年間、共同生活をするに当たって暗黙のルールとなっていたことへの不満を漏らした。そしてこの不満の根源がどこにあるのかも同時に強く理解する。
「……ああ、そっか。わたし、とうまと恋人になりたかったんだ」
この1年間、ずっと思ってはいたものの自分で気付かないフリをし続けてきた。本当の恋人でなくても擬似恋人体験を続けることができた。だからそれ以上の関係になろうとすることでこの生活が壊れてしまうのが怖かった。
そんな盤石に見えて実は薄氷の上に築かれていた生活は当麻の記憶喪失により脆くも崩れた。当麻の変化は、それに負けないほど大きな変化をインデックスにももたらしていた。
「とにかく、とうまはそこで寝るんだよ。お風呂場禁止」
「いや、そういうわけにも……」
「なら、わたしが床でとうまがベッドでもいいよ」
「俺が床でお願いします」
一度自分の心と向き合うと後は楽だった。ポンポンと言葉を連ねることができた。
「けど、君が一緒にいたんじゃ緊張してなかなか眠れない……」
「修行だよ。共同生活してるんだからとうまにも慣れてもらわないと」
「いや、そんなこと言われても突然銀髪美少女と一緒に暮らすことになって同じ部屋で寝るなんて漫画みたいな展開……あっさり受け入れられるわけがないでしょ」
「いいから寝るの。反論は受け付けません」
インデックスは電気を消してベッドに飛び乗り、タオルケットを頭からかぶった。
「おやすみなんだよ」
当麻の反論を断ち切るべく大声で就寝を宣言する。
「あっ、はい。おやすみなさいです」
当麻も諦めたのかそれ以上は反論せずに布団をかぶった。
10分ほどが経過した。
インデックスは布団に入ったとはいえ、緊張して眠気が全く襲ってこない。
鼓膜が破れてしまうのではないかと心配になるほど心臓がバクバクと甲高い音を鳴らしている。
「こんな騒音の中で眠れるわけがないよ……」
いくら頑張っても眠れそうにはない。当麻もきっと同じように緊張して寝付けないのだろうと思い、寝返りを打ちながらベッドの端に移動して様子を窺う。
「…………よく寝てる。なんか、腑に落ちないんだよ」
当麻はグッスリと眠りに陥っていた。
「まっ、仕方ないか。とうまは記憶喪失になって見るもの聞くもの全てが初めてだったんだもんね。疲れるよね」
2年ほど前のことを思い出す。
インデックスもまた魔術によって記憶を消されていた。脳内に記憶されている10万3千冊の魔導書を最適に保つために人間図書館とされたインデックスの人格は全く顧みられなかった。
魔導書の内容は知っているのに、自分の名前も年も知らない状態で目覚めたあの日。インデックスは教会に、そして教会の人間たちに強い不信感を抱いた。不安が募る。自分の居場所はここにはないと直感した。だから逃げ出した。安らぎを求めて。
「わたしはとうまの安らぎになれているのかな?」
当麻でないインデックスにそれはわからない。
「わたしはこの家にやって来てから……毎日幸せだよ」
けれど、当麻と出会いこの家で住むようになってから彼女は初めて安らぎを得た。
とうまにもわたしが感じている幸せを感じて欲しい。
そんなことを考えている内にインデックスは深い眠りへと誘われた。彼女もまた当麻の世話係という大役に疲れ果てていた。
「ふえっ?」
7月29日朝。インデックスが目覚めると視界いっぱいに当麻の顔が広がっていた。
「ふぇえええええええぇっ!?」
事態を認識するに連れてインデックスは更に大声を挙げてしまう。当麻が自分の寝顔を覗き込んでいる。同居して初めて起きた事態に少女はパニックを起こし掛けていた。
「すっ、すいませんっ!」
当麻が慌てて背中を向けながら遠のいた。それを見てインデックスは反射的に反撃に転じていた。
「とうまのエッチぃ〜〜〜〜っ!!」
当麻の背中に頭から体当りする。
「ぐわっ!?」
当麻がうつ伏せに倒れていくのを確認しながら少年の首と足首を腕を伸ばしてガッチリと掴む。頭を当麻の背中に付けた状態で逆立ちの姿勢を取る。後は頭を当麻に向かってより強く突き刺しながら両腕に力を込めて胸元に引き寄せるようにして当麻を締め上げるだけだった。
「カナミンの得意技、逆タワーブリッジなんだよぉっ!!」
アニメを見て覚えた魔法技を当麻にお見舞いする。
非力なインデックスに当麻を頭の上まで持ち上げる力はない。けれど、持ち前の俊敏さを活かしてお仕置きすることは可能だった。
「痛いっ! 痛いっ! 痛いですってば!」
「女の子の笑顔を覗き見るのはマナー違反なんだよぉ〜〜っ!」
「ぎゃぁああああああああああぁっ!!」
インデックスのお仕置きは恥ずかしさもあって、当麻の脳裏にタワーブリッジが強烈に刻み込まれるまで続いた。
「とうまのエッチ……」
「すんません。マジすんません」
タワーブリッジを解いた後もインデックスにより当麻非難は続いていた。当麻は正座姿勢で縮こまっている。
「インデックスさんの寝顔がとても綺麗だったので……つい、見惚れてしまっていました」
「ふ〜ん」
記憶を失ってからの当麻は随分素直に賛辞を口にする。
「わたしって、そんなに綺麗なんだ?」
冷たい口調を忘れずに尋ねてみる。
「ええ。スゲェ綺麗です。世の中にこんな可愛い女の子がいるのかって思えるぐらいに」
「ふ〜ん」
冷たい瞳を維持しながら頭の中で考えるのは3人の当麻の自分に対する認識の同異。
「やっぱり一昨日までのとうまはわたしへの対応が可愛くなかった」
今の当麻が可愛いと思ってくれるのなら、きっと以前の当麻もそう思っていたはず。なのに褒めてくれなかった。素直じゃない日常だったことを改めて思う。
「反省してる?」
「はいっ。してます!」
目を瞑って考える。というか考えるフリをする。実はもう怒っていなかったので許すタイミングを見定めているだけだった。
「また次やったら……タワーブリッジ・ネイキッドだからね。もっとスゴいんだから」
「はっ、はいっ!」
「じゃあ、立ち上がっていいよ」
お許しが出たところで当麻が立ち上がった。
「……可愛い女の子、かあ」
先ほどの当麻の言葉を頭の中で反芻させる。
「とうまがわたしをなかなか女の子扱いしてくれなかったように、わたしも女の子であることを忘れていたんだね……」
当麻に女の子として意識されたい気持ちはいつでもあった。けれど、一方で自分自身をマスコットキャラクターの如く振る舞わせて年頃の少女であることを当麻に意識させないようにしていた。
「花も恥じらう乙女が食欲キャラに甘んじるのは……うん。良くない」
言いながら、昨日から1人前分しか食べていないことに気付く。お世話をする側に回ると胃袋が小さくなるらしい自分を初めて知る。
大食らいは当麻との生活の平和の象徴と言えたが、同時に怠惰の象徴でもあった。当麻の前で無限の食欲を発揮したい思いもあるけれど、それはダメだと押し留める自分もいる。
「ほんと、生活態度を改めないといけないのはわたしの方だね……」
記憶を失った当麻との新生活は考えるべきことがいっぱいであることをインデックスは改めて自覚した。
「タワーブリッジ……マジパネェ」
少年の心に恐怖と憧憬を植えつけながら。
記憶を失った当麻との同居が始まって5日目となった8月2日土曜日。カエル医師による診察を終えた2人はカナミンショーを見物にスーパーの屋上へとやってきていた。
「結構な人がいますね」
当麻が首を動かして周囲を見渡しながら驚きの声を上げた。当麻の言う通り、週末のスーパーの屋上は人で賑わっている。
「カナミンは子どもからお年寄りまで大人気なんだよ。ショーともなれば人が多いのは当たり前なんだよ」
語るインデックスの瞳はキラキラと輝いている。
「今屋上にいるのは大半が子どもですけどね」
屋上に集まっているのは60名ほど。その内の大半は小学生。一方でカナミンが印刷されたTシャツを着た大きなお友達もまた会場には10人ほど姿があった。
「あの制服の女の子は、子どもと最前列を本気で取り合ってますね」
当麻が指差す方を見る。
「お姉ちゃん、背が高いんだから後ろに行ってよ」
「キルグマーの良さを一番知っているのは私なんだからここは譲れないのっ!」
インデックスの瞳には常盤台の制服を着たとてもよく知る人物が映っていた。最前列の中央に陣取った彼女はそこを動くまいと頑張っている。
「短髪……それは大人気ないんだよ……」
子どもと同レベルで張り合う学園都市最高能力者の姿を見てインデックスは寂しくなってしまう。
「もしかしてあの女の子、インデックスさんの知り合いなんですか?」
「第一印象がアレじゃあ可哀想だから、とうまのために知らないと言っておくんだよ」
インデックスはそっと涙を拭った。
そして決意する。カナミンは間近で見たいけど、今日は隅の方でこっそり見守ろうと。
「そう言えば、とうまは今日の検査で何も異常がなかったんだよね?」
手続きをしていたら診療結果を聞き逃してしまったインデックスは再度当麻に安否を尋ねた。
「ええ。特に問題はないみたいです。記憶もすぐにでも戻るかもしれないと言ってました」
「それは良かったぁ」
診察結果に安堵する。退院以降、当麻が体調を崩したり頭痛を訴えたりすることはなかった。けれど、記憶は失ったままであり健康体と素人判断することもできなかった。カエル医師のお墨付きをもらったことで少し気分が晴れる。
「ただ、頭部への衝撃には要注意だそうです。強い衝撃を受けると、7月28日から今日までの記憶がサッパリ飛んでしまう可能性があるそうです」
「またリセットしちゃうってこと?」
「まあ、そのようです」
「頭部への衝撃……注意するんだよ」
インデックスの胸に一抹の不安が走る。
記憶喪失になって以来、当麻はあまり外に出ていないこともあって不幸に見舞われていない。記憶喪失自体が不幸なのは間違いないが他の不幸が発生していない。だからこそそろそろ何かが起きるかもしれない。そんな嫌な予感が消えてくれない。
インデックスは唇を噛み締めた。
時刻は午後3時となりショーの開演の時間となった。屋上中に散らばっていた子どもたちもステージ前に集結している。インデックスと当麻も子どもたちの邪魔にならないように後方に陣取った。
そしてショーの出演者と思われる一行がやってきた。先頭にキルグマー、その後ろには赤いリボンを頭部に付けた黒ずくめの戦闘員7名が続く。
「スゴいですね。あの全身に包帯を巻いた眼帯グマ、機械ですよ」
当麻が感嘆の声を上げる。当麻の言う通り、本日のショーの主役の片側と言えるキルグマーはロボット機械だった。1.5mほどのクマはメタリックに輝いており、その上に巻かれた包帯はちょっとシュールな感じを受ける。
「学園都市の新技術のお披露目なのかな?」
インデックスはメタルキルグマーが腑に落ちない。こういうショーでは、少なくともキルグマーはかぶりもので行えば良いはずなのに、何故メカなのか。
更に気になることがあった。1分待ってもカナミンが現れない。進行役となるお姉さんも出てこない。キルグマーたちもパフォーマンスを見せるわけでもない。何も起きない。何かがおかしかった。
そして、インデックスが感じている疑問を説明してくれたのは会場に来ている大きなお友達たちだった。
「あの蝶々リボンは…………ピョン子至上主義過激派組織、モースト・ピョンコエストのものよっ!」
インデックスが短髪と呼んだ少女が戦闘員たちを指さしながら彼らの正体を語る。
「やっぱりそうやったんやな。ピョン子以外のキャラクターショーに乗り込んでは滅茶苦茶にして子どもたちにそのキャラクターを嫌いにさせる。全てのキャラを嫌いになった子どもたちはピョン子に帰依するはずだという馬鹿げた思想を抱える危険テロ団体や」
青い髪にピアスをした高校生ぐらいの少年が短髪の説明を引き継ぐ。
「やはりそうでござったか。全国の女児を苦しめる悪魔の化身ども。拙者たちが成敗してくれるでござる」
「他の会場ならいざ知らず学園都市で能力開発をしたこともない一般人が犯行を働こうとは愚かなりっ!」
「結果としてピョン子の評判を下げることしかしないお前らを俺はゲコラーとは認めん!」
10人ほどの大きなお友達たちはキルグマーと戦闘員たちを包囲する。それぞれ謎の拳法の構えを取りながら。大きなお友達ゆえに仕方がない。
「ほぉ〜。まだ一言も喋っていないのに我らの正体を見抜くとは大したものだな」
首領格の頭から角を生やした男がニヤッと笑ってみせる。
「正体を隠したいのなら、そんな派手なリボンを付けるなっての」
「だが、バレたところで我々のやることは変わらん。ここの子どもたちにカナミンとキルグマーに対する嫌悪感と恐怖を植え付けてやる」
「私のキルグマーを悪者にしてたまるかってのよ!」
一歩も引かない両陣営。しかし、学園都市最高レベルの能力を誇る少女も加わっている以上、勝敗は決したように見えた。けれど、インデックスの胸の不安は取り除けなかった。
「インデックスさん。まず子どもたちを安全な所に避難させましょう」
インデックスのやろうとしていることを先に口に出してくれたのは当麻だった。
「やっぱり……記憶をなくしてもとうまはとうまなんだね」
まず子どもたちの安全を優先する所は変わらなくてホッとした。
「みんな〜。争いに巻き込まれないようにこっちに来るんだよぉ〜」
モースト・ピョンコエストと大きなお友達が睨み合いをしている内にインデックスたちは子どもたちを階下へと誘導していく。不満を述べる子もいたが、何とか全員を屋内へと避難誘導させることに成功した。
「よしっ、これで最後だな」
最後まで渋っていた子どもを4階フロアへと下ろす。
「とうま……お疲れさま」
誘導をやり終えた同居人の労をねぎらう。戦い自体は能力者である大きなお友達に任せておけばいい。記憶を失った当麻には参加して欲しくない。それがインデックスの考えだった。だが、戦況はそれを許してくれなかった……。
「き、君たちが……子どもたちを誘導してくれたのか……ありがとう……」
身長2m近くありそうな筋肉ムキムキのカナミン(♂)が体をフラフラさせながらインデックスたちの元へとやってきた。
「かっ、カナミン……何それぇ〜〜っ!?」
あまりにもイメージとかけ離れたカナミンの登場にインデックスが硬直する。
「驚かせてしまったようだね。失礼」
カナミン(筋肉)はインデックスに小さく頭を下げた。
「僕はこのスーパー・マッスルの店長をしている者なんだが……今日はカナミンのアクションシーンも担当する予定だったんだ」
「は、はあ」
固まってしまっているインデックスに代わって当麻が気のない返事をする。誰の目にも大男の魔法少女コスプレはキツかった。
「カナミンのアクションにはカナミン・タワーブリッジ・ネイキッドをはじめとして豪快なプロレス…魔法技が多い。ドラマパートはともかく、アクションパートを女性が務めるのは困難なんだ」
「カナミン・タワーブリッジ・ネイキッド…………うう。かつての恐怖が蘇るぜ」
当麻はブルっと体を震わせた。
「ところで、メカキルグマーを従えた悪の一味は今どうしているのだい?」
「現在、観客の中にいた能力者の大きなお友達たちと睨み合いの真っ最中です」
「能力者だって? それはマズいっ!」
カナミン(筋肉)の大声にインデックスの意識が再覚醒する。
「あのキルグマーには能力を無効化する装置が搭載されている。僕たちもそれを知らずに戦いを挑んで敗れたんだ」
「「…………っ!!」」
インデックスには当麻が拳を強く握りしめる動作が見えた。
「能力レベルが高いほど強い頭痛が襲ってくるんだ。能力者を彼らと対峙させてはいけないっ!」
カナミン(筋肉)の話が終わる前に当麻は猛然と階段をダッシュしていた。屋上に向けて全速力で。
「やっぱり……記憶を失っても貴方は行くんだね」
いつものように当麻は何も言わずに危険に飛び込んでいく。記憶を失っても人を守ることを再優先に自分の身を顧みない生き様は同じだった。
「なら、わたしはそんな貴方をサポートしないとね」
インデックスもまた屋上へ向かって歩み始めた。
インデックスが屋上に辿り着いた時、目に映った光景は修羅場そのものだった。
「うっ…………クッ!?」
「短髪ぅっ!!」
真っ先に五感を刺激したのは聴覚。鼓膜が破れそうな騒音がメカキルグマーから発せられていた。
学園都市最強の能力者の1人である短髪は頭を抑えながら地面に倒れていた。能力者でないインデックスにはただの騒音だったが、高位能力者にとっては立っていられない苦痛を与えるものだった。
他の大きなお友達たちも半数は倒れ、残ったかろうじて動ける者は固まって身を守るのが精一杯だった。能力者であることが完璧に裏目に出ていた。
「うぉおおおおおおおおおおおおぉっ!!」
そんな中、孤軍奮闘しているのが当麻だった。
「ぎゃっ、ぎゃぁあああああああああああぁっ!!」
当麻は高速で移動を繰り返しながら右手1本でモースト・ピョンコエストの戦闘員たちを次々にK.O.していた。
「戦闘経験を覚えていないはずなのに……体は、戦い方を覚えてるんだ」
インデックスの目には、当麻の動きは以前と変わらないように見えた。
当麻の戦い方はごくシンプルだった。相手の攻撃を避けながら接近して顔面に右ストレートを叩き込む。ただそれだけ。
だが、その単純な攻撃がとても洗練されていた。全く無駄なく最短ルートでパンチを敵の顔面に叩き込んでいる。戦闘屋でもない彼らに当麻を止めることなど不可能だった。
「5っ!!」
鼻の骨が砕ける音がしながら戦闘員がまた1人吹き飛ぶ。
「6っ!!」
顎が歪に凹みながら戦闘員が更に1人吹き飛ぶ。
今の当麻に戦闘に対する深い考察などない。目の前の敵を反射的に倒している。敵の動きが見えるから、体が動くから。
戦い方は覚えていなくても当麻は戦えていた。それは能力者や魔術師相手に右腕1本で敵を倒してきた彼だからこそできる戦い方だった。
だが、その反射神経に頼った戦い方にも限界は存在した。
「とうま……危ないっ!!」
「うおっ!?」
インデックスの悲鳴に当麻は反射的に跳ね退く。当麻が立っていた地点をメカキルグマーの爪が鋭く空気を切り裂く。食らっていれば大怪我は間違いなかった。
「おのれぇっ! 我らの計画を邪魔してくれおって!」
敵の唯一の生き残りであり首領格の男はキルグマーに当麻の直接攻撃を命じていた。
人間より遥かに高速で繰り出される爪による攻撃が次々に繰り出されていく。
「はっ、速ぇっ!」
近寄ることもできず、当麻は徐々に後退していく。
「とうまぁ……」
息を呑むインデックス。そんな彼女に対して当麻は一瞬を脇目を向いてから小さく頷いてみせた。
「こんな時でも、自分よりも他人を優先するんだから……ほんと、とうまはとうまだね」
敵首領がメカキルグマーと共に当麻を追撃。その間にインデックスは地面に倒れ込んでいる大きなお友達たちを順々に階段へと引きずっていく。
「これがわたしにできるサポートだもんね」
相手が魔術師でもない限り直接的な戦闘力をインデックスはほとんど有していない。けれど、できることがないわけでもない。そして、当麻が何を一番優先するのか彼女は知っている。だから、全力で自分がなすべきことをなす。
「さあ、みんな。建物の中に入れば騒音が弱まって体調が良くなるんだよ」
当麻の無事を心の中で祈りながら。
「ほらっ、短髪。もうすぐ階段だよ」
最後に残っていた短髪を階段へと肩を貸しながら移動して扉を閉める。
短髪は荒い呼吸を繰り返しながらもほんの少しだけ気を持ち直したようだった。
「アイツ……何かあったの?」
インデックスが額の汗を拭いてあげていると短髪が小声を出した。
「私に向かって『大丈夫ですか、お嬢さん?』って言いながら周りの戦闘員をぶっ飛ばしたんだけど」
「あ〜、まぁ〜。ちょっとね……」
今このタイミングで記憶喪失に掛かっているとは言いづらかった。
「まあ、アイツが変なのはいつものことだから、いいんだけどね。今日も、助けられたし」
短髪は短く呼吸を繰り返し息を整えた。
「アイツに伝えてやって。あのメカキルグマーの弱点は腰だって」
「腰?」
短髪は小さく頷いた。
「あのメカは装甲を厚くしているから当麻が拳でいくら叩いても通じない。でも、高速機動を可能にしているから中身はスッカスカなんだと思う。だから、体内中央部に存在しているはずのシャフトを折れば中から破壊できるはず」
「じゃあ、シャフトを壊せばいいんだね」
「そう。で、装甲の中のシャフトを壊すためには、重心である腰に自重を利用して負荷を掛けるのが最適ね。あれ、倒れただけでも相当ダメージを受ける構造になってるから」
「腰、自重、負荷……わかったよ。とうまに伝えてくるっ!」
インデックスは当麻が戦っているはずの戦場へと向かって再び駆け始める。
「格好悪いけど、今回はアイツに任せるわね……頑張ってって伝えて」
「任せて。わたしの分も一緒に伝えるから!」
インデックスは大きく頷くと屋上へと通じる扉を開けた。
当麻は屋上の片隅へと追い詰められていた。隅に追いやられることで爪を避けるスペースがどんどんなくなっていく。
当麻の額には無数の汗が浮かび、その表情には余裕がなくなっていた。
「頑張れ〜とうまぁ〜〜っ!! そいつを倒すには自重を利用しながら腰の部分のシャフトを折るんだよぉっ!!」
インデックスは口に両手を当てて叫んでいた。危機だからこそその真価を発揮する一発逆転の秘策を。
「自重……そうかぁっ!!」
当麻は叫ぶと同時にキルグマーに向かって駆け出す。
「これでどうだぁ〜〜〜〜っ!!」
インデックスはとても珍しいものを見た。
すなわち、当麻による右手以外の攻撃を。
当麻はキルグマーの斜め後ろへと回り込みながらスライディングタックルを敢行した。
少年の足の裏が短く太い機械グマの足を刈る。元々バランスが悪いメカキルグマーは驚くほど呆気なく倒れた。短い前足というか手をついて衝撃を緩和したものの周囲に大きな音が鳴り響く。
「おお〜っ!」
インデックスは歓声を上げる。その間に当麻は仰向けに倒れた機械グマの腹の上に飛び乗る。そして腹の上で激しくジャンプし出した。
「打撃が通じねえんなら、中に衝撃を与えて折るまでだっ!」
ジャンプを繰り返す当麻を見てインデックスは今回もまた大逆転劇が成功していることを感じ取る。だが、一方で一抹の不安も消えないでいた。
「短髪は腰って部分を重視していた。でも、とうまはお腹を攻撃している。大丈夫なのかな?」
そんなインデックスの不安を的中させるかのように高笑いが響き渡る。
「惜しかったな、坊主。うつ伏せに倒せればお前の勝ちだったのに」
「何っ?」
敵首領の挑発に当麻が一瞬動きを止めたその瞬間だった。
「うぉっ!?」
メカキルグマーが短い手足を地面に着けた瞬間、その巨体が当麻もろとも宙に大きく浮き上がった。
振り落とされた当麻は反射的に受身の姿勢を取ったものの右足からコンクリートの地面に叩き付けられた。
「痛てぇな、畜生……っ」
太ももを擦りながら立ち上がる。インデックスの目にも当麻が苦しがっていることは明白だった。
一方、仰向けの状態で上空2mラインまで飛び上がったキルグマーは腹から何かをジェット噴射しながらバランスを取って立ち上がった。
先ほどの当麻の攻撃でシャフトが歪んだのか顔が正面を向かずに微妙にズレている。しかしまだ動いている。戦いは終わってはいなかった。
「キルグマーの弱点が腰であることに気付いたのは見事。だが、コイツは設計上うつ伏せに倒れることはない。腹側からいくら衝撃を与えようと致命傷にはならない。貴様はキルグマーには絶対に勝てん」
インデックスは自分で弱点を認める敵首領のマヌケぶりに呆れながらも、それが絶対の自信に基づくものであることも見抜く。
「とうま……」
当麻は圧倒的不利な状況に追い込まれている。今の当麻に逆転劇を自分で思い付けと求めるのは厳しかった。戦況を見つめる少女の胸が強く締め付けられる。
けれど、当麻の瞳はまだ諦めていなかった。
「俺がキルグマーに勝てないだと? ふざけんなぁ〜〜〜〜ッ!!」
当麻の大声が敵の首領を、そして負けを受け入れかけていたインデックスの心を打つ。
「お前のその笑えない幻想を俺がぶち殺すっ!!」
当麻はキルグマーを指さしながら首領に向かって啖呵を切ってみせた。
「とうま……その口上……」
記憶はないはずなのに、それでも当麻はかつてと同じようなセリフを言い放った。
「やっぱりとうまは……本物のHEROなんだね……」
まぶたに溢れてくる涙を指で拭い去る。
HEROをサポートして勝利に導こう。
インデックスは自分の心にそう誓い直した。
「威勢はいいようだが小僧。どうやってこのメタルキルグマーに勝つつもりだ?」
メカキルグマーの攻撃。駆動系をやられたのか先ほどに比べて随分と遅くなっている。
「畜生っ。体が思ったように動かねえ」
だが、足を負傷した当麻にとってはギリギリの所でしか回避できなくなっていた。
足の負傷は回避だけでなく、攻撃にも影響を与えていた。先ほどのようなスライディングができなくなっている。
インデックスには当麻がここぞという時に使うために温存しているように見えた。が、それとて1、2度が限度に違いなかった。
「とうまは次のスライディング攻撃であのクマを破壊しないといけない。でも、どうやって?」
当麻に代わり必勝の策を考える。
スライディングで足を刈ればある程度のダメージは与えられる。けれど、残された1度のスライディングで致命傷になるとは思えない。
腹の上に乗っても、謎のメカニズムであのクマは宙に浮き上がり、なおかつ姿勢を戻してしまう。もう何回か倒せば起き上がれなくなるのかもしれないが、当麻のダメージの方が先に限界を迎えてしまう。
「発想を逆転させないといけない……足を刈って倒すことを最終攻撃にするんじゃなくて、腰を攻めないとダメ。決着はつかない」
言いながら自分の言葉がどれだけ難しいことを要求しているのか気付いてしまう。腰に攻撃するといっても、撫でればいいわけではない。先ほど当麻が見せたように上に飛び乗ってジャンプを繰り返すぐらいの衝撃を与え続けないといけない。
けれど、キルグマーが大人しく背中を攻撃させてくれるとはとても思えなかった。
「そんなこと……カナミンじゃなきゃできないよ……」
インデックスの口から弱気が漏れ出る。
けれど、彼女は当麻のために諦めるわけにはいかなかった。
そして、弱気から発した自分の言葉に逆転勝利の鍵が隠されていたことに気が付いた。
「そうかっ! そうだよっ! 何で気付かなかったんだろっ!」
インデックスの前に突如明るい道が開けた。そして彼女は自分が得た逆転勝利の方法を大声で叫んで当麻へと伝えた。
「とうまぁ〜〜〜〜っ!! カナミンはキルグマーなんかに負けないんだよぉ〜〜っ!!」
敵にバレても困るので直接的には伝えられない。けれど、当麻になら真意が伝わるんじゃないか。そう期待を篭めて遠隔に逆転劇を授けた。
「この期に及んでアニメの話を持ち出すとはマンモス哀れなお嬢ちゃんだ」
敵にはインデックスの言葉の意味は伝わっていない。そして──
「そういうことかっ!!」
インデックスの言葉に反応して当麻の動きが素早くなった。
「キルグマーッ! これでお前も最期だぁ〜〜〜〜っ!!」
当麻はスライディングを敢行してキルグマーを仰向けに倒す。
「フン。足を刈って倒そうと無駄なことだ」
余裕を見せている首領。だが当麻の、そしてインデックスの狙いは転倒が目的ではなかった。
当麻が飛び乗らないままキルグマーが両手両足ジェット噴射の力で宙へと浮いていく。
クマの背中が当麻の首の高さに達しようというその時だった。
「この瞬間を……待ってたんだよッ!」
当麻がキルグマーの真下に潜り込み、その首と右足を腕を伸ばして掴みに掛かる。
「とうまぁっ! 腕を交差させながら掴んでっ!」
「わかったぁッ!!」
インデックスの声に反応し、当麻は首へと伸ばしていた右手で足を掴み、足へと伸ばしていた左手で首を掴む。
キルグマーの体の上昇を抑えこむべく、両腕を胸へと引き下げるように全力を込める。黒い弾丸と化した頭を奴の腰に向かって激しく突き立てる。
そして残された体力の全てを振り絞りキルグマーの腰を支点に『へ』の字にへし折りに掛かる。
「これが……上条式タワーブリッジ・ネイキッドだぁあああああああああああぁッ!!」
当麻は技の名を叫びながら雄叫びを上げていた。全身のありったけの力を振り絞ってメカキルグマーを内部から粉砕すべく締め上げる。
「スゴい、スゴいよとうまぁっ!!」
自分の狙い通りの技を繰り出してくれた同居人に涙が溢れる。
「あれっ? でも、とうまってタワーブリッジ・ネイキッドがどんな技か正確には知らないんじゃ?」
カナミンの放映日は明日。故に今の当麻は一度もカナミンを見たことがないはずだった。にも関わらず当麻は大技を正確に決めてのけた。
何か違和感を覚えるのだが、今はそれを追求している場合ではなかった。
「ああっ! キルグマーがっ!!」
だが、キルグマーも両手両足、更に首を激しく動かすことで技を解きに掛かる。
「ぐ……ぬぬぬぬぬぬぬぅ」
キルグマーの怪力に当麻の両腕が上方へと伸ばされていき、交差している腕も上方へと釣り上げられ当麻自身の首を締め上げていく。
その光景はインデックスが1週間前にアニメカナミンで見たものだった。
「とっ、とうまがっ! とうまが死んじゃうっ!」
インデックスは急に自分が選んだ攻略法が怖くなってしまった。
タワーブリッジ・ネイキッドは威力が大きい分、掛けた者が受ける反動も大きくなる。
まして、当麻は暴れ回るキルグマー振動を頭に受け続けている。ロードローラーで潰されるような激しい衝撃が何度も頭を襲っている。
「頭への衝撃…………あっ」
そして、最悪のタイミングで最悪な一言を思い出してしまう。
『ただ、頭部への衝撃には要注意だそうです。強い衝撃を受けると、7月28日からの記憶がサッパリ飛んでしまう可能性があるそうです』
自分が当麻の状態を考慮せずにキルグマーを倒すことに夢中になり過ぎてしまったことに気が付いてしまう。
「とうまぁああああああぁっ! もう止めてぇええええぇっ! 記憶が、大変なことになっちゃうよぉっ!!」
インデックスは目の前の事態が怖くてたまらなくなった。
当麻がまた記憶喪失になってしまったら。今度こそ記憶がどうなってしまうか予測もつかない。言語や生活全般における知識全てを失ってしまう可能性さえ否定できない。
もう二度と当麻に認識してもらえなくなるかもしれない。それは彼女にとって何よりも恐ろしいことだった。
「違うでしょ。インデックスさん……」
腕を引き千切られそうになりながら当麻はそれでも笑ってみせた。
「俺は世界の危機を何度も救ってきたHEROなんでしょ。だったら……今回程度の小さな事件、余裕で解決してみせろって。それがあなたのセリフですよ。うぉおおおおおおおぉッ!!」
当麻は両腕の力を全く緩めない。キルグマーの内部からミシミシと金属の軋む音が鳴り響く。両者の限界ギリギリの戦いが続く。
「でも、今の俺は危機に挑むのは今回が初めてだから……ご褒美にほっぺにチューぐらい欲しいかな?」
限界ギリギリの状況のはずなのに当麻は笑っていた。絶体絶命の場面でも希望を捨てない。インデックスの知る過去の当麻と何一つ変わらない姿。
「…………うん。ご褒美あげるから。だから、ソイツを早くやっつけてっ!!」
泣きながら叫んだ。当麻の勝利を信じて。無事を信じて。
「ご褒美確約いただきましたぁっ!! おりゃぁああああああああああああああぁっ!」
当麻は自分から頭を激しくキルグマーの背中に打ち付ける。何度も何度も激しい金属摩擦音が鳴り響く。当麻は内部に衝撃を与えるべく自らキルグマーの装甲へと頭を打ち据え続けた。そして──
「これで、最後だぁああああああああぁっ!!」
当麻がトドメとばかりに一度しゃがんでから勢い良く頭を突きつけた。
次の瞬間、キルグマーの内部からバキッという大きな粉砕音が鳴り響いた。それから一瞬置いて、キルグマーは内部から黒い煙と白いガスを吹き出した。
「へっ。これでご褒美のチューはいただ…………うっ?」
当麻は言葉を最後まで言うことができなかった。壊れたキルグマーを放り出しながら仰向けに倒れた。
「とうまぁっ! とうまっ! しっかりしてよっ!」
インデックスは当麻の元へと全速力で駆け寄り慌てて頭を抱き起こした。
「い、インデックスさん……」
当麻は意識を失ってはいなかった。けれど、その瞳は虚ろでいつ意識が途切れてもおかしくない状況だった。
「決着がついた今、我らがこれ以上留まるは無粋というもの。ではサラバだ」
「ちゃっかり逃げようなんて許されないんだよ!」
インデックスが投げたキルグマーの外れた腕が最後に残っていた敵首領の頭に命中。襲撃犯は全滅した。
「とうま……大丈夫?」
涙声で当麻の安否を尋ねる。
「インデックスさんが見ているからって、張り切り過ぎちゃいました」
力なくも笑ってみせる当麻。少年は大丈夫とは答えられなかった。それが嘘であることは誰の目にも明白だったから。
「やっぱり……彼女にはいい所を見せたいですからね。正確には俺じゃなくて、以前の俺の彼女ですけど……」
当麻を膝枕しているインデックスから大粒の涙が零れ出す。
「そんな頑張らなくてもとうまが格好いいことはよく知ってるよ……」
「今の俺が、格好いい所を見せることに意味があるんですよ。だって、俺が好きな子に、俺を好きになってもらいたいじゃないですか」
インデックスの涙の量が更に増えた。
「ばか……以前のとうまと張り合って負けたくないなんて本当に……ばかだよ」
以前のとうまにこんなにもハッキリ気持ちをぶつけられたことはない。全ては恋人同士という初期設定から積み重なってきた誤解によるもの。それでも当麻は、インデックスから見れば仮初めの関係に命を賭けた。
「俺のタワーブリッジ・ネイキッド……見事だったでしょう?」
息も絶え絶えに当麻が喋り続ける。何かを悟っているように。
「う、うん。すごかった。本家カナミンを超えてたよ」
当麻は本家の技を知らないはずなのに見事に使いこなしていた。
「タワーブリッジはインデックスさんとの思い出の魔法技ですから。だから、俺なりに色々調べて勉強したんですよ」
「あっ!」
今の当麻と暮らし始めて2日目の朝を思い出す。あの日インデックスはお仕置きで逆タワーブリッジを掛けた。当麻はそれをインデックスとの大切な思い出とした。それからタワーブリッジに関してインターネットやDVDを通じて密かに研究を重ね、その成果を今日インデックスに披露したのだった。
「インデックスさんのお役に立てて…良かったです……」
当麻の体がビクッと震えた。インデックスの膝に掛かる負担が急に増える。その意味を悟って少女の顔色が青くなった。
「その……ですね」
「う、うん」
当麻はもはや起こせなくなった顔で力なく笑ってみせた。
「キルグマーを倒したご褒美のほっぺにチューをもらえませんか……?」
「う、うん。わかったよ」
インデックスの双眸から涙が止まらない。
「命懸けのご褒美がほっぺだなんて……とうまは欲がなさ過ぎるんだよ」
「…………ほっぺで死ぬほど嬉しいんですが、できれば、泣き顔じゃなくて笑顔でお願いします」
インデックスはまぶたから溢れ出る涙を必死に拭う。
「それは、難しい注文なんだよ」
涙は拭っても拭っても次から次へと溢れてきた。
だから少女は涙を止めることを諦めた。
涙を流し続ける代わりに最高の笑顔を見せることにした。
「みんなを守ってくれて、本当にありがとう」
「俺の好きになった人は……やっぱり最高に綺麗です…………本当、あなたに会えて良かった」
当麻の瞳が閉じていく。意識が失われていく。
「とうま……わたしもずっと前から貴方のことが大好きだよ」
インデックスは意識を失いゆく当麻に優しいキスをした。
8月3日。
「食べ終えた皿はさっさと台所に持って来……って、ええっ!? もう運んで来たのかぁっ!?」
上条当麻は目の前の現実が信じられずに大声をあげていた。
「自分で食べたお皿を下げるぐらい当然のことなんだよ」
食べ終えた食器を重ねて持ってきたインデックスを見て驚いたのだった。
「でも今、カナミンの放映時間なんじゃ?」
当麻の記憶に従う限り、インデックスがカナミン放映中に家事を手伝ったことは一度もない。
「録画してるから別にいま見なくても平気だもん」
「かつて俺がそう言った時、リアルタイム視聴の重要性を延々と訴えたのはお前だろう」
当麻はやはり目の前の現実が信じられずにいる。
「ほらっ。そこちょっと詰めてよ。このお皿洗っちゃうんだから」
言うが早いか、インデックスは当麻の隣に立って水道水に食器を浸し始めた。
「食べたものを下げるのみならず皿洗いまでっ!?」
今日の当麻は驚き役に徹底している。
「今日は買い物にも一緒に来たし、食事を作るのも手伝ってくれた。一体全体、インデックスの身に何が起きたんだぁ〜〜っ!?」
驚きのあまり驚愕している。
「別に。生活に必要なことを実践しているだけだよ」
インデックスはサラッと答えて返した。
「何かあったのはとうまの方でしょ。1週間も丸々記憶がなかったんだから」
更にジト目で当麻へと返す。
「そんなこと言われても実感が沸かないんだよ。バナナの皮を踏んづけて転んで意識を失って気が付いたら病院のベッドの上。おまけに時間は1週間経ってたんだから」
「とうまは転んだ翌日には退院してたんだよ。昨日の戦いで怪我をして病院に運ばれたからずっと病院で寝ていたように錯覚しているのだろうけど」
「けど、丁度1週間分の記憶だけがないんだぜ。昨日の戦いってヤツも全然覚えがないし」
当麻が食器を洗う手を止めて頭を掻く。
「1週間前から昨日までいたのは3人目のとうまだったからね。記憶は共有してないんでしょ」
インデックスが僅かに落ち込んだ表情を見せる。
今朝目を覚ました時、当麻は以前の記憶を取り戻していた。すなわち、この1年間築き上げてきた記憶を。けれど、この1週間に関しては何も覚えていなかった。
それは少女にとってとても寂しいことだった。けれど、受け入れるしかないことだった。
「あ〜あ。あの時のとうまは優しくて格好良かったんだから。今のとうまとはえらい違いだよ」
けれど、愚痴は漏れ出た。当麻の記憶が戻ってくれて嬉しかった。けれど、この1週間積み上げてきたものがなくなってしまったことが誰よりも堪えた。
「俺はいつだって格好いいっての」
当麻にしてみれば全く覚えのない1週間のことを話されても対応に困るだけだった。それがわかっていながらインデックスの口は止まらなかった。
今となっては自分しか知らないもう1人の上条当麻の存在を消してしまいたくなくて。
「今のとうまなんて全然話にもならないぐらい格好良かったんだから」
「だから、そう言われても俺にはわからないっての」
「あのとうまはね、わたしのことが大好きで、何度も称賛と愛の言葉を囁かれちゃったんだから」
「なあっ!?」
当麻の全身が赤くなった。
「とうまってば、わたしのことを綺麗だとか可愛いとか褒めまくりだったんだよ」
「そ、それは……」
当麻は反論しようとして上手く口が回らないようだった。
「昨日はとうまに好きだって告白されちゃったし」
「えぇえええええええぇっ!?」
当麻は石化した。そんな当麻の変化に気付かないフリをしながらインデックスは惚気続ける。
「まあ、わたしも悪い気はしなかったからキスしてあげたんだけどね♪」
「キス…………」
当麻は砂と化して崩れた。
「昨日までのとうまはわたしのことを女の子扱いしてくれたし、大切なことを気付かせてくれた。今のとうまとは大違いだよ」
喋り終えたら少しだけ気分が晴れた。
「おのれ……昨日までの俺めぇっ!」
横目で様子を見ると当麻は憤っている。
「あれれ? もしかして昨日までの自分にヤキモチ?」
「そんなわけあるかっての!」
当麻は天井を突き破りそうな大声で否定する。その態度があからさま過ぎて可愛らしく見えた。
「そんな強がらなくてもいいんだよ。わたしのこと、大好きだって素直に言っちゃってもいいんだよ。むっふっふ」
勝ち誇った笑みが溢れる。そんな少女を見て、自分の恋愛に素直になれない少年は余計なことを言ってしまった。
「俺の好みは年上で管理人さん風のお姉さんだっての。ペチャパイでわがままなお子ちゃまなんか眼中にないってのっ!」
当麻の男子小学生並の恋愛力はインデックスを怒らせるに十分だった。
「とうまのばかぁあああああああああああああああああぁっ!!」
怒りは少女の体に眠る潜在能力を100%引き出させた。少年の体を軽々と自分の頭上に持ち上げてしまうほどに。
「インデックス式タワーブリッジ・ネイキッドなんだよぉおおおおおおぉっ!!」
「ぎゃぁあああああああああああああぁっ!! 死ぬ、死ぬ、死んじゃうってばぁっ!!」
当麻の悲鳴が男子寮の隅々まで響いていく。
「本当に本当にとうまのばかぁあああああああああああああああああぁっ!!」
インデックスの怒声と当麻の悲鳴が途絶えることはなかった。
けれど、いつもの痴話げんかだと思って、近隣の寮生たちが当麻たちの元へ駆けつけることはなかった。
こうして、寮生黙認のインデックスと当麻の同居生活は今日も続いていくのだった。
少しずつの変化を伴いながら。
了
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