とある ツインルームじゃなくてダブルルームすれば良かったわね |
とある ツインルームじゃなくてダブルルームすれば良かったわね
「御坂に俺と一緒に来て欲しい。俺のパートナーはお前しか考えられないんだ」
3月も月末となり春らしさがあちこちで見え始めたとある金曜日の夕刻のいつもの公園。
想いの篭った熱い言葉と共に差し伸ばされた当麻の右手。この世界の危機を何度も救ってきた奇跡以上の価値を持つ右腕が今はただ私に受け入れて欲しくて伸ばされている。
それは私にとって何よりも光栄なことであり、至上の喜びであり、そして恐怖でもあった。とりわけ今の私の心を多く占めているのは最後の項目だった。
私がこの手を取ることが何を意味するのか?
未来に待ち受けているものは何なのか?
その結果、私たちはどうなってしまうのか?
考えるほどに引っ掛かる物が多過ぎる。多分、当麻がわざと考えないようにしている部分を私は考えてしまっている。
心配のし過ぎと言われればそれまでかもしれない。でも、その心配を拭い去れない限り私はこの腕を掴むことはできない。当麻のためにも絶対に……。
「…………その、幾つか、訊いておきたいことがあるんだけど?」
「ああ。構わないぞ」
全く無反応だった私が言葉をようやく発したことで当麻は少しホッとしたようだった。でも、私が返事したわけでないことを理解して表情を引き締め直した。
「私さ、まだ16歳の高校生なんだけど」
後1ヶ月ちょっとで17歳になる。でも、どっちにしても高校のお勤めは後2年残っている。当麻のように高校を先週卒業してしまった人間とは社会的なポジションが違う。
「知ってる。去年の5月に俺も御坂の誕生日をお祝いしただろ」
「うん。あの時は本当に嬉しかった」
頷きながら去年の5月2日の誕生日のことを思い出してみる。
当初、私の誕生日は黒子や初春さんら女の子だけを集めてファミレスでささやかなパーティーを開く手筈になっていた。
けれど、当日になって佐天さんがサプライズで当麻を招待してきたのだ。私は思ってもみなかった嬉しい人物の登場にとても驚いた。けれど、私以外の子たちはほとんど驚いていなかった。佐天さんのサプライズは予想されていたらしい。
でも、サプライズはそこで終わらなかった。食事が終わっての二次会は当麻と2人きりになった。みんなの気の回し過ぎと思ったけれど、やっぱり嬉しかった。大好きな人と2人で誕生日という特別な日を過ごせるのだから。
内容は何件かお店を見て回って喫茶店でお茶しただけ。でも、当麻がデートと断言してくれたので、あの日の私たちはデートをしたことに間違いなかった。
あの日以来、私と当麻はより親しい関係になった。はっきり告白されたわけじゃないけれど、恋人同士と思われても全然不思議じゃないぐらいに親密に。
「アンタはさ……高校生の女の子を外国に連れ出して一緒に住もうって言いたいわけ?」
当麻の提案を受け入れるとはそういうことを意味している。
当麻は高校卒業とともに魔術サイドと科学サイドの調停機関に所属することが決まり、再来月には日本を発つ。そしてこれから10年間、学園都市を離れヨーロッパの某小国で暮らすことになる。
もし、当麻の提案を受け入れれば私は彼のサポート役として同地に赴任することになる。当麻を選ぶということは、すなわち日本に住む友人や両親たちとの別離を意味する。
「まだ16歳の御坂に過酷な環境を強いることになるのは重々承知だ。でも、それでも俺はお前に一緒に来て欲しいんだ」
当麻は私の瞳を見つめながらいつになく熱く語ってみせた。
言っていることはとても強引で自分勝手。なのに、私は彼の言葉を聞いて体が熱くなり、気分が高揚していくのをはっきりと感じ取っていた。
当麻に必要とされている。唯一無二の存在として求められている。その事実が私を嬉しくさせないわけがない。自分の恋する乙女ぶりにちょっと驚いてしまう。
「そっか。そっか」
できるだけ感情を殺して相槌を入れる。興奮しているのを知られるのは恥ずかしかった。
そしてこの興奮は私だけが感じているものなのか、当麻も感じてくれているのか確かめてみたくなった。
「それってさ……」
興奮を隠しそうと体に力を込めながら上目遣いに当麻を見る。
「私を一生のパートナーとして認めてくれるってこと?」
当麻の体がビクッと小さく震えた。
私と当麻の関係の核心に触れる質問。当麻が外国に活動拠点を移すなんて事態がなければ、後数年は遅くにしたに違いない質問。学生生活を終えた後にすべき問いを今する。私たちは一足飛びに大人に、ううん、大人のフリをしないといけない事態にいた。
私と当麻の今の関係はかなり曖昧。彼氏彼女の関係だと思っている人も多い。実際、2人で出掛けることも多い。かなりいい雰囲気だとは自分でも思っている。
でも、肝心な言葉を当麻の口から聞いたことはない。キスもしてもらったことはない。私のことを外国にまで連れて行くつもりなら、そこら辺はちゃんとして欲しい。
「当麻は私のことを、お嫁さんとして連れて行ってくれるの?」
当麻の思惑が私の予想と一致しているのか確かめるべくより直球な形で言い直す。
当麻の誘いを受けた場合、私は彼の補佐役として現地に赴くことになる。
仕事を一定以上の水準でこなしてみせる自信ならある。けれど、同時に理解もしている。科学サイドに特化してしまっている私では一流の調停役にはなりきれないことを。
「私は魔術サイドについてよく知らない。科学サイドに身を置く者として魔術体系を理解することを本能レベルで拒絶している。赴任して、魔術サイドの情報に大量に触れるようになっても拒否感はなかなか消えないと思う」
柔軟さが求められる空間において、科学に傾いた私は突出した存在にはなれない。当麻もそれは分かっているはず。なら、そんな私を何故連れて行こうとするのか?
それは結局、当麻が私に求めているのは能力というよりも私自身だから。論理的な追究からも女の勘からも同じ結論が導き出されている。それが本当なのか確かめたい。
「御坂は何をとっても俺より優秀だろ」
「そういうことを聞いてるんじゃないの」
当麻の目をジッと見る。私の一生が掛かっている。中途半端な逃げはして欲しくない。
無言で睨むようにして見ていると段々と当麻の顔に焦りが浮かんできた。そして諦めたように大きくため息を吐き出した。
「俺はさ、自分勝手で弱虫なんだよ」
「自分勝手で弱虫とってどういう意味?」
当麻から目を離さずに続きを促す。
「言葉も通じない外国に行ってさ。今まで好き勝手に殴って説教していただけの俺がさ、魔術サイドと科学サイドの調停機関の責任者になるんだぜ。向いてないっての」
当麻は眉をしかめて難しい表情を崩さない。今回の赴任措置に当麻自身が一番戸惑っているのは間違いなさそうだった。
事実、両サイドによる和平工作のための政治的な決定であることは誰の目にも明らか。当麻は和平と、その裏にまだ燻る疑念の象徴として表舞台に担ぎ出され、この都市から引き離されることになったのだ。
「赴任したら俺は何度も挫けそうになっちまうと思うんだ。だから、その、逃げてしまいそうになる俺を叱咤して守ってくれる、そんな子にずっと一緒にいて欲しいんだ」
当麻は表情を引き締めると腕を上げて私の両肩を掴んだ。顔を真っ赤に染め手を震わしながら訴えてくる。
「俺にはお前が、御坂が必要なんだ。御坂が隣にいて手を握っていてくれれば俺はどんな困難にだって立ち向かうことができる。だから、俺は御坂と一緒に日本を発ちたいんだ」
当麻はようやく喋ってくれた。私を選んだその理由を。それを聞けて私は心の底からホッとした。その理由は格好良くはないかもしれない。失礼だとも思う。でも……。
「やっぱり当麻は私のことが大好きで世界で一番可愛い女の子だと思っているから海外まで連れて行きたいと思っているわけね。私のレベル5第3位の力とか全然関係なく。フッ」
ちょっと皮肉を込めて当麻の話を整理し直す。皮肉めいて言葉を出したものの、私の心はとても浮かれている。当麻が私を能力ではなく女の子として選んでくれた。それは何よりも嬉しい。
「ああ、そうだよ。俺は嫁さんとして御坂に一緒に来て欲しいんだよ」
当麻は何かを吹っ切ったように大声で認めてくれた。
当麻のことを好きになって約2年。今この瞬間、私はこの恋愛で初めて優位に立てた気がした。
「ふ〜ん。そうなんだ〜」
嬉しさで気が狂いそうになる。そんなことが本当にあるなんて私は知らなかった。
心臓が高鳴り過ぎて破裂してしまいそう。血流が激しくなり過ぎて今にも走り出してしまいたい。大声で何でもいいから叫びたい。超電磁砲とか意味もなくぶっ放したい。
でも、そんな醜態を晒すわけにはいかないので必死に体を抑えつける。我慢することがとても苦しい。息をずっと止めなさいと言われているようなもの。何かガス抜きしないと耐えられそうになかった。
「まだ16歳の後輩高校生を嫁として海外に連れ去ろうだなんて……アンタも随分と鬼畜なことを考えるわよね」
ここで憎まれ口を出してしまうのが私という人間の可愛くなれない点だった。本当なら、嬉しいって当麻に抱きついた方が自分の気持ちを素直に表現できるのに。
「うるせぇ。俺はお前に上条美琴になってもらうってもう決めたんだ。世間一般より結婚が早いとか気にしてられないんだよ」
「私を上条美琴にする? 世界中どこへ行っても女を無自覚に引っ掛けるフラグ建築士のアンタの言葉なんか簡単に信じられないっての」
喋りながら改めて自分が相当な天邪鬼なのだという事実を思い知らされる。当麻の口から発せられた『上条美琴』という固有名詞に私の意識は一瞬飛び掛けた。けれど、その喜びを素直に表すどころかまた皮肉で返してしまった。
「大体私、貴方の彼女になった覚えはないんですけど? 彼女ですらない女の子にプロポーズするわけ?」
海外赴任、そして出発前のプロポーズ。
この2つを結び合わせて考えると、当麻が何で私に今まで告白してこなかったかは何となく想像がつく。
当麻の海外赴任は早い段階から決まっていたっぽい。すなわち、当麻の日本滞在はかなり前から有限になっていた。
恋人を作っても遠距離恋愛になってしまう可能性が高い。しかも任期は10年。そんな長い期間遠距離恋愛を続けられる自信がなかったので、私に告白しなかった。
でも、私のことが大好きで諦めきれないから。私を一緒に海外に連れて行ってしまおうと腹を括った。多分、そんな感じなのだと思う。私の自惚れでなければ。
そんな当麻の事情はわからなくもない。私だって離ればなれになることが前提で恋をできるかと言われると二の足を踏んでしまう。
けれど、それはそれとして、私の一生が掛かっている問題なのだからちゃんとして欲しいとも思う。私が安心して一生付いていけるだけの確信を示して欲しい。私だってそれだけこの恋に本気なのだから。
「なら、俺が本気であることを見せてやるよ」
当麻は大きく息を吸い込み、私の両肩に置いていた腕を腰へと回して抱き寄せてきた。
安心できる当麻の体温。私に恋愛というものを教えてくれた男性の凛々しい顔がすぐ目の前にある。
非常時を除いてこんな風に抱きしめてもらったことはほとんどない。私はずっと前からこうして欲しくて同じ高校にまで進んだというのに。私のヒーローさまは奥手過ぎた。
でも、ようやくこうして抱きしめてもらえた。それだけでもう私の胸はいっぱいいっぱいになっている。
だけど当麻はここで止まらなかった。私をお嫁に迎えるという覚悟を示すために、普段では決して見せない男気を見せてくれたのだった。
「その、今まで口に出さずにはぐらかしてきたけれど、ずっと前から愛してる……美琴」
初めての愛の告白。2年間待ち望んだ言葉をようやく聞くことができた。
世間一般で言えば遅過ぎる言葉かもしれない。言葉がなくても、私と当麻の関係は事実上既にそうなっていたのだから。でも、やっぱりケジメを付けてくれたのは嬉しい。
「うん……私も愛してる、当麻」
私も2年後しの想いをようやく告げることができた。
安心して、嬉しくて。温かいもので体中が満たされていく。
「………………美琴」
当麻は私の名前を呼びながら改めて抱き寄せて正面を向かせた。
そして、段々と顔を近寄らせてきた。
「………………っ?」
百聞は一見に如かず。その言葉が今私の脳内で何度もリフレインされている。
これから当麻が何をしようとしているのかは知識としてはわかっている。このタイミングで行われることは少女漫画では1つしかない。
けれど、私にはその経験がない。どうしたら良いのかよくわからない。
加えて今日初めて聞いた『愛してる』『美琴』の2つのワードに私の意識は半分ぶっ飛んでしまっている。
初めて尽くしの体験に、脳の整理が追い付かない。だけどその間にも、当麻の方は動いていたわけで。
「………………あっ」
唇が重なり合って、ようやく自分の身に何が起きたのか体と脳が理解した。
遅まきながら慌てて目を瞑る。彼の唇を、彼の心を深く受け入れる。
夢で何度も見てきた当麻とのキス。それは私の中では2年間も待たされた末にようやく訪れた。でも、訪れてくれたことに私はただただ安堵し、彼の特別になれたことを誇りに思っている。一言で言えばとても幸せな瞬間。
当麻の唇が最初はぎこちなく、けれど段々と大胆に動き始めた。当麻の唇の動きに合わせて私の唇も形を変えていく。当麻の唇のプルッとした感触が気持ち良い。そしてついに当麻の舌が私の口内へと入ってきた。
「…………えっ??」
自分に何が起きているのか考える。少女漫画ではほとんど描かれることがないある単語がヒットした。レディース雑誌と呼ばれる類の漫画ではよく見るそれは、ディープキスと呼ばれるものだった。キスそのものに快楽を求める唇と唇、粘膜と粘膜同士の接触。
「…………ええっ!?」
初めてのキスからそんな上級恋愛術を駆使してくるとは思ってもみなかった。私はただただ翻弄されていた。当麻の唇を拒むこともなく、かといって積極的に受け入れるわけでもなく。キスをしながら、当麻はやっぱり私より2歳年上の大人なんだと改めて確認した。
「………………スケベ」
長かったキスが終わり、私の唇と体はようやく自由を得た。目を開いた私は開口一番、どれだけ恥ずかしかったか端的に単語一つで表現してみた。恥ずかしくて死んでしまいそう。
「俺の本気が伝わったようで何より」
ところが当麻は私の嫌味さえも受け入れてしまった。大人ぶっちゃって何だか悔しい。
「私はまだ、当麻の奥さんになって外国に行くことを認めたわけじゃないのよ。なのに……強引過ぎだっての」
ギロッと睨んでみせる。もちろん本気で怒っているわけじゃない。半分は照れ隠し。当麻がリードしてキスしてくれたのは凄く嬉しい。でも、手順が間違っている。そして、なんだか当麻らしくない。
「悪ぃ悪ぃ」
両手を合わせてヘラヘラ笑ってみせる。その姿はいつものように見えなくもない。けれど、やっぱり普段とはどこかが違う。
「美琴には俺の本気を知ってもらいたいから。俺にずっと付いて来て欲しいんだ」
当麻が再び強い力で抱きしめてきた。それで気が付いた。当麻の心臓の鼓動もまた、尋常でないほどに速く大きく響いていることに。
「そっか。当麻も余裕ないんだ」
多分、当麻は私以上に焦っているのだと思う。
私が付いて行くと言わなければ独りで縁もゆかりもない外国に長期間行かなければならない。それがどれだけ辛いことかは私にもわかる。
「もう1度お願いする」
当麻が私を抱きしめたまま耳元で囁いた。
「俺と一緒に来てくれないか?」
祈りにも似た熱っぽい声。その奥には不安が見え隠れしている。
私の答えは本来であれば決まっている。でも、今はどうしても別のことを考えざるを得なかった。
「少しだけ、考える時間が欲しいの」
私は返事を留保した。その途端、当麻の体が大きく震えた。
異性関係で自信のない当麻のことだから私に断られたと早合点したに違いない。
そうじゃないということを伝えるために、私は彼を強く抱きしめ返した。そしてつま先立ちになりながら当麻に囁くようにして提案した。
「明後日、私とデートして」
「デート?」
当麻は意外だという声を出した。でも、私にとってその提案は必然だった。
「うん。当麻が私をどれだけ好きなのか。私がどれだけ当麻を好きなのか。確かめさせて欲しいの」
半分本当で半分本当でもない言葉を発しながら当麻を更に強く抱きしめる。
「デートの後であなたに付いて行くか……ちゃんと答えを出すから」
「………………わかった」
当麻は少し考えてから同意してくれた。
「日曜日の午前9時にこの場所で待ってる」
「うん。ありがとう」
デートの日時と待ち合わせ場所を取り決めて、当麻が私を放す。名残惜しかったけど私も当麻の腰に回していた腕を解いた。
「俺、美琴に一緒に来てもらえるように今度のデートを絶対に成功させてみせるから」
別れ際、当麻はそう熱心に語った。
「うん。私も、安心して当麻に付いて行きたい」
大きく頷いて見せながら、当麻の表情が浮かないことに違和感を覚えていた。
「当麻……やっぱり凄く焦ってるわよね」
私が今からやるべきことは私の中の不安を取り除くことだけじゃない。
当麻のために何がしてあげられるのか?
私の課題だった。
「…………という訳で、当麻からの誘いを保留して明日デートすることにしたの」
「詳細のほどは分かりませんが、その返答はなんだか御坂さんらしくありませんね」
土曜日の午後2時。ちょっと雰囲気のいい珈琲屋の中で私の話を聞き終えた佐天さんは小さく首を横に振った。
「キッパリ断った方が私らしかったかな?」
「いえ、逆です。細かい事情は全部すっ飛ばしてまず婚姻関係を結ぶのが僕たち私たちの御坂さんかなって思うんですよ」
佐天さんは飲み終えたコーヒーカップをスプーンで叩いて小さく音を鳴らした。
「私ってどんな変なイメージ持たれてんのよ」
ガクッと体勢を崩す。去年まで通っていた常盤台のお嬢さまたちとは違い、佐天さんはわりと容赦がない。
「御坂さんと言えば、恋にとても一途で上条さんのためなら地位も名誉も財産も何でも捨て去ることができる可愛いツンデレな女の子です」
「…………あうっ」
思わず固まってしまう。聞いていてこそばゆくて堪らない。ツンデレは余計だけど。
「ふふふ。御坂さんは本当に可愛いなあ」
佐天さんは私を見ながらニヤニヤと笑っている。年上の、威厳がない……。
「可愛い御坂さんを愛でるのは一時中断して、ちょっと質問いいですか?」
「いっ、いいわよ」
警戒しながら了承する。
「大事な質問ですのでちゃんと答えてくださいね。ツンデレとか要りませんから」
「わ……分かったわよ」
佐天さんは私の心の奥を覗き込むような深淵の瞳をしながら丁寧な声で尋ねてきた。
「御坂さんは今すぐにでも上条さんのお嫁さんになることに反対なんですか?」
質問は至ってシンプルだった。そして、逃げ場のないものだった。直球ど真ん中。私に向けられる真摯な瞳に下手な言い訳は認めない。
「当麻が心から望んでくれるのなら……私は今すぐにだってお嫁に行ってもいい。ビザの問題もあるし。その、向こうに行く前に……入籍しちゃいたいなって考えてはいるの」
自分の気持ちを正直に打ち明ける。
多くの日本人は海外に住んだことがないのでピンと来ないかもしれない。けれど、正式な夫婦であるのとそうでないのでは、海外に住む際に待遇が大きく変わってくる。当麻とずっと一緒にいるためには入籍しておくのがベストなのは間違いなかった。
「当麻が心から望んでくれるのなら…………ああ、なるほど。御坂さんが何に引っ掛かっているのか、大体分かりました」
佐天さんは大きく頷いてみせた。
「つまり、御坂さんは上条さんからのプロポーズのどこかに本気ではない部分を感じるということですね」
私が相談相手に指名した年下の友人は食蜂並に鋭かった。
「当麻が嘘を吐いているとか騙そうとしているとかは全然考えてないわ。ただ……」
「急展開を見せる状況に上条さんはとても焦っている。そして、色々なものを飲み込んですっ飛ばしながら御坂さんを求めているように思えると」
小さく頷いてみせる。
「上条さんが飲み込んでしまっているものを洗い直してしこりをなくしたいと」
「そういうことに、なるんだと思う」
もう1度頷いてみせる。
昨日の時点で何となく考えていたことを佐天さんは言い当ててくれた。私の知り合いの中で最も友達が多いだけあって、こういう相談に慣れているんだろうなあって感心する。
「では、単刀直入にお聞きします。御坂さんが引っ掛かっていることってなんですか?」
目を瞑ってしばらく考えてみる。けれど、幾ら考えても答えがまとまらない。
「色々あり過ぎてこれだっていう風には説明できない、かな。頭の中がごちゃごちゃしてる」
申し訳ないと思いつつ首を横に振る。
今回の事態は私にとっても当麻にとっても急展開過ぎて、整理が付かない部分が多い。
何しろ、私にとってみれば10年後でもまだ早いと言えるかもしれない結婚という問題が掛かっている。でも、同時に理解もしている。ここで付いて行かなければ私と当麻の仲は自然消滅してしまうと。だから、結論を早急に出すしかないのだと。
「ごちゃごちゃしてるって。それが普通なんですけど、それだと何も進展がないんで中核要素を炙り出していきましょう」
「う、うん」
佐天さんは人差し指を立ててみせた。
「じゃあ、最初の質問です。御坂さんは上条さんのことが好きですか?」
「……………………はい。大好きです」
昨日、当麻本人には告白して返したけれど、改めて聞かれると凄く恥ずかしい。
「じゃあ、次です。御坂さんは上条さんと結婚したいと思いますか?」
「は、はいっ」
頷くのが恥ずかし過ぎる。でも、嘘を吐きたくもなかった。
「3問目。旦那さんの上条さんが急に海外転勤になりました。御坂さんは外国まで付いて行くつもりですか?」
「…………はい」
素直に承諾する。佐天さんの質問はまさに今の状況と酷似していた。
「では4問目。学園都市勤務と外国勤務。御坂さんが旦那さんに望む職場はどちらですか?」
「…………あっ」
答えに詰まった。ううん、そうじゃなくて。私は自分が何を考えているのかその糸口を掴んだ気がした。佐天さんも小さく頷いてみせた。彼女もまた掴んだみたいだった。
「では第5問。学園都市勤務と外国勤務。上条さん自身はどちらを望んでいるでしょう?」
「………………そっか」
質問を重ねることで段々とはっきりと見えてきている。私が最も引っ掛かっていること。それは……。
「じゃあ最後の質問です。先ほどの質問と関連して、上条さんにとって大切なことは何なのでしょうか?」
私の顔をごく近くから覗き込んでくる佐天さん。その瞳は半分笑っている。多分、私も似たような表情を浮かべている気がする。
「ああ、なんだ。そういうことだったのね」
大げさに息を吐き出しながら手を叩いてみる。
「佐天さんのおかげで自分が何に悩んでいたのかようやく分かったわ」
「私も御坂さんが何に悩んでいるのか分かってスッキリです」
顔を見合わせて笑い合う。
「当麻は学園都市を出て行くことをどう思っているのか。当麻の希望が見えなくて私は不安だったんだ」
言葉に出してみると至極単純な問題だった。当麻がこの学園都市を出て外国に移り住むことをどう思っているのか私にはよくわからない。本当は嫌で嫌で仕方ないのかもしれない。だから私は当麻が外国に飛び立てるように背中を一生懸命に押してあげることができないでいる。そんな単純な構図だったのだ。
「上条さんって記憶喪失、なんですよね?」
「うん。一昨年の7月以前の記憶が無いはずよ」
当麻には私との初遭遇の記憶がない。私にとっては絶対に忘れられない嬉しくてもの凄い腹立たしいファースト・コンタクト。なのに当麻はそれを欠片も覚えていない。
でも逆に言えば、当麻が知っていることはここ2年間の出来事が全て。この都市で過ごしてきた日々の記憶に他ならない。
「それじゃあ、上条さんにとって学園都市は人生のほとんど全てを過ごした場所ってことになるんですよね。ホームタウンっていうか、むしろほぼ全部?」
「そう、なるわね」
学園都市の学生たちはその大半が幼い頃に両親と離れてこの都市で暮らし始める。当麻もそうだったらしい。でも、当麻には両親と過ごした記憶もなければ、故郷にまつわる思い出もない。そういう意味で上条当麻の記憶が繋がる場所はとても限定されている。
もちろん、純粋な場所だけという意味なら当麻の活動範囲は日本に住む大半の者より遥かに広い。ユーラシア全域とハワイまで及ぶ。私が知らないだけでもっと色々な所に行っているのかもしれない。
でも、それらは大概が巻き込まれた結果その地に辿り着いただけ。生活の拠点としていたわけじゃない。当麻の生活世界はあくまでもこの学園都市となる。
「学園都市からいなくなるっていうことは、上条さんにとってどういうことを意味するんでしょうね?」
「多分、本人にもわからないんじゃないかな」
当麻の話しぶり、私へのプロポーズ。それらの言動は、海外行きを受け入れているように思わせる。学園都市を出て行くことを念頭に動いているのは確かだろう。
けれど、当麻が心からそれを納得しているのかと考えてみると、正直微妙なのだろうとは思う。考えないようにしている部分だと予測がつく。
「例えばですけど、御坂さんが上条さんに付いてこの学園都市を出て行った場合、私たちはもうこうやっては会えなくなりますよね」
佐天さんの質問は身につまされるものだった。私が考えないようにしていたことを指摘されてしまった。
「そうなるわよね」
両手に力を込めながら頷く。
「もちろん、今はメールやアプリなんかが発達しているから連絡が途絶えるってことはないと思う。でも、直接会うことはできなくなるわよね」
ビデオチャットも携帯電話一つでお手軽に楽しめる時代。国を超えて互いの顔をリアルタイムで見ながら会話もできる。むしろネットアプリは距離の概念をなくす。日本の時間帯さえ知っていれば、まるで隣にいるかのように交信は可能。
でも、直接会わなくなった人間といつまで友人関係を維持できるのかという根本的な問題点については疑問符がつく。
仲の良かった友達も、クラス替えになってクラスが別れれば疎遠になってしまうこともしばしば。同じ学校に通っている時でさえそうなのだから、全く顔を合わせない状況で今のような親密な仲を維持するのは正直難しいと思う。何しろ、人間関係というのは常に更新されていくのだから。
「私が寂しいので御坂さんに行かないでください。って、言ったらどうします?」
「エグい質問するわね」
思わず笑ってしまう。でも、佐天さんの質問は核心を突き過ぎていた。
「私は上条さんと御坂さんに捨てられようとしているんですよ。これぐらいの質問は許容してもらわなくっちゃ」
ニッシッシと笑う佐天さんは本当に痛い所を突いてくる。でも、当麻だけでなく私も向き合わないといけない。私たちが抱えている問題に。
「そうね。私にとって当麻は誰よりも大切だから。だから……ごめんなさい」
佐天さんに向かって頭を下げる。佐天さんは大切な友達。でも私はその友達よりも当麻を選ぶ。それは、もう私の中でハッキリと答えが出ている。
「頭を下げる必要なんてありませんよ。だって私が御坂さんの立場だったら、相談なんてまどろっこしいことはせずに外国に移住して上条さんを独り占めしてますもん」
「…………さすがは佐天さん。凄いわね」
私の友人は凄いメンタルの持ち主だった。
「何はともあれ、御坂さんの中で答えは既に出ているんですね」
「そうなる、わよね」
佐天さんたちには悪いけど、私の中で優先順位はハッキリしている。私は当麻を選ぶ。
「じゃあ、御坂さんが上条さんに行くのを止めてってお願いしたらどうなりますかね?」
唐突に発せられた佐天さんの疑問。それを聞いて私は……ああっ、なるほどって思った。
「多分その問い自体がちょっとおかしいんだと思う」
「なんだか哲学的なことを言いますね」
「哲学じゃあないんだけど……まあ、おかげで答えが出たわ」
哲学でも何でもない。単にスッキリしたいだけ。
「…………私、結婚祝いには友達のお祝いの言葉で埋め尽くされた色紙が欲しいなあ」
とりあえず当麻の問題が解決してからのことを口にしてみる。
「答えが出たと思ったら、いきなり結婚祝いの催促ですか?」
今日はじめて佐天さんをびっくりさせられた。
「だって、正式な結婚式とか開いている暇ないもの。今日プロポーズされて、5月に海外赴任じゃ結婚式している暇なんてないもの。貰うものだけもらっときたいわ」
「私が聞いた限りでは、御坂さんはまだ上条さんのプロポーズに返事をしていなかったのでは?」
「元から問題を解決したらプロポーズを受ける予定なんだから。その後のことをもう考えてもいいでしょ」
佐天さんは鼻から息を吐き出した。笑っている。
「まあ、色紙なら安いから私としても万々歳ですけどね。百人ぐらいに書いてもらいましょうか?」
「それは文字の大きさがお米に写経みたいな感じになりそうだから、そこまで気合い入れなくてもいいわ」
顔を見合わせてクスクス笑う。
「正式な結婚式は難しくても、友達同士で祝う会ならセッティングできますから。派手な会を開きますんで、さっさと上条美琴になっちゃってください」
「そうなれるように最善を尽くすわ」
「その言葉、忘れちゃ駄目ですよ。じゃあ今日は、結婚祝いってことで私の奢りで」
佐天さんは楽しそうに鼻歌を口ずさみながらレシートを持って席を立ったのだった。
翌日の日曜日の午前8時55分。
私は約束の場所である公園へと入っていった。
「よっ、早かったな」
……スーツ姿の当麻が右手を上げて軽い調子で挨拶してきた。その姿を見て、佐天さんに見立ててもらった七分袖と半袖シャツの重ね着にパンツルック姿の私は面食らってしまっていた。
「アンタ、私の両親に挨拶でもしに行くつもりなの?」
当麻のスーツ姿を見たのはこれが初めて。格好いい♪
じゃなくてっ!
「それもいいんだが、今日は別の用事があってな」
「用事?」
デートには相応しくない面倒な単語が出てきた。
「今日はさ、俺の仕事の一端を見て欲しいんだ」
「働く当麻の姿に惚れ直して欲しいというわけね」
「まあ、そうなるな」
当麻の提案に結構驚かされている。
デートということで甘酸っぱい、ニパニパしたくなるような体験を提供してくれるのかと思った。当麻のことだからアウトドアかなって思ってスカートじゃなくてズボン仕様にする気遣いもみせた。
けれど、当麻はそんな予想を裏切って自分の仕事ぶりを見せるときた。そんな部分に、結婚という文字が見え隠れしているのに気付く。
ただの恋する16歳の乙女ではいられない。そんな私であることを再確認する。
「それで、スーツ着てこれからどこへ行くの?」
「福岡」
「福岡?」
当麻は頷いてみせた。
「そう。魔術サイドの過激派が支援しているヤバい団体がいるんでな。ソイツをまあ…………潰すことになるんだろうなあ。話し合いが通じる連中とも思えないし」
当麻は大げさにため息を吐き出した。
「当麻って調整官じゃなかったの?」
「話し合う余地のある連中はひたすら話させるよ。けど、魔術だの科学だの、普通の人間じゃ持ち得ない力を持つと自分が選ばれた特別な存在みたいに増長する奴らはどうしてもいるからな。そうなっちゃった連中には人語が通じない場合もある」
「レベル5の大方も痛い目見る前は大体そんな感じだったものね」
人間は個人の身には大き過ぎる力を持つと、すぐに自分が選ばれた存在で何をしても良いと錯覚しがちになってしまう。レベル5第1位も第2位もそんな感じだった。一方通行に恐怖を植え付けられる以前の私もそんな気はあった。
痛い目を見ないとなかなか気付けない厄介な病気なのかも知れない。
「魔術の断片を手に入れて増長し、テロを目論んでいる連中を説教する。美琴の力が必要なんだ。一緒に来て欲しい」
当麻が手を伸ばしてきた。私が手を取るのを待っている。
「魔術素人とはいえテロリストなんだし……私の力がもしかしたら必要になるかもしれないわね。行ってあげるわよ」
適当に理由を口にしながら手を取る。
当麻にはもう危ない目に遭って欲しくない。海外で調停官になるのなら、銃弾や魔術や科学兵器の飛んでくる場所に立っては欲しくない。安全地帯にいて欲しい。
でもきっと当麻はそれで自分の役割を良しとはしない。だったら、私がフォローして当麻を少しでも危険から遠ざける。それが、私の仕事なのだと確信する。
私はガッチリと当麻の手を握り締めた。
「じゃあ、今から空港に向けて出発だ」
「うん」
こうして私たちの一風変わったデートが始まりを告げた。
「私が必要って……こういうことだったのね。ええ、どうせそうだろうと思ってたわよ!」
福岡空港へと向かう飛行機の中、私はとても不機嫌だった。
「何を怒ってんだよ?」
「アンタ、私のことをお財布かクレジットカードだと勘違いしているんじゃないの?」
当麻が私を必要だと言った直接的な理由。それは福岡までの交通費と滞在費を捻出させるためだった。
「飛行機代もホテル代も経費で落とせるんだが、一旦建て替えてからの後払いなんだ。けど、今現金の持ち合わせがなくてな。あっはっは」
「ちっとも面白くないっての」
当麻も当麻だし、この金欠貧乏高校生に活動費も渡さずに仕事を依頼する機関もおかしい。私が必要だと熱く語っておきながらこの仕打ち。当麻は私ではなく、私の財布が必要だったのだ。本当に腹立たしくて仕方ない。
「あ〜私、人生の選択を誤った方向に選ぼうとしている気がしてならないわ」
「そんなことないって。美琴はちゃんと正しい方向を常に選ぶように努力を怠っていない。俺が保証する」
「アンタのせいでそう思ってるんだっての」
当麻は私が頭を悩ませているポイントをなかなか理解してくれない。そういう奴だってことは昔から知っているのだけど。
「まあでも、美琴がいてくれて安心してるんだ」
「お財布がいて?」
「そうじゃねえよ」
首を大きく横に振る。
「俺は今までの戦場を生き残ってこられたとはいえ、無能力者で特別な力が使えるわけでもない。鉄砲の1丁でも持ち出されたら、いつだって大ピンチに陥る」
「ほんと、当麻の場合はよく生き延びてこられたわねって言葉しか出ないわよ」
当麻にはきっと、漫画でよくある主人公補正みたいなものが働いてるんじゃないかって思う時がある。当麻の身体能力、特殊能力から考えれば、そうとしか結論を出せない。
「でも、美琴の能力と戦闘経験なら、増長しているだけのテロリスト相手に後れを取ることはないだろう。だから、安心できるんだよ」
「まっ、相手が素人なら3桁だって負けやしないから大船に乗ったつもりでいなさい」
喋りながら気付くのは、私は、ううん、私たちは当麻の戦闘力を過大評価することに慣れ過ぎてしまっていること。当麻が挙げた武勲はこの世界の誰よりも凄いが、一方で当麻は鉄砲玉1つ確実に避ける手段も受ける手段も持っていない。
戦果と能力が極めてアンバランスな偏りを見せるのが当麻という存在だった。そしてそのアンバランスは当麻を不安にさせているに違いなかった。私はヒーローである当麻を当然視するあまり、彼が抱える不安を軽視していたと言わざるをえない。こんなこともわからないようじゃ、私の方が嫁失格だっての。
「美琴が強いのはよく知ってる。けど、無茶はすんなよ」
「無茶しなきゃいけないような相手でないことを祈るわ」
私と当麻の共通点としてすぐ無茶をしてしまう点が挙げられる。無茶をしないという言葉はあまり意味を成さない。状況が無茶をしないで済むものであることを祈るしかない。
「後、可愛い女の子が当麻に惚れちゃうような展開にならないことも祈っておくわ」
「何でそんなあり得ない展開を心配するんだよ?」
「自分の過去をよく思い出してみなさいっての。この、天然ジゴロが」
自覚がなく女の子を惹きつけてしまうのは今の私にとっては本当に勘弁して欲しい。
そして、腹立たしい。
当麻との会話を打ち切って、福岡までの短いフライトを寝て過ごすことにした。
午後8時、私たちは市内のホテルのフロントへとやって来ていた。
「上条当麻さま、美琴さまですね。ただいまお部屋の準備を整えておりますのでしばらくお待ちください」
戦闘を経験してくたびれたスーツ姿となった当麻は書類の必要事項に記入するのに忙しい。気になったのは宿泊者名の部分。
『上条当麻 上条美琴』と記入している。言いたいことは色々あるけれど、ここでそれを口にするわけにはいかない。態度にも出さないように気を使う。
「お部屋の準備が整いました。係りの者がご案内いたします」
「行くぞ、美琴」
「あっ、はい」
荷物を持とうとしたら当麻が代わりに持ってくれた。係員が持とうとしたが当麻はそれも拒否した。
まあ、私が持ってきたトランクには、先ほど壊滅させた組織の悪事の証拠となる武器だの魔術用の道具などが入っている。中身を見られるわけにはいかないので当麻が運ぶのは道理だった。
「ほらっ、ボォっとしてるな。係りの人を待たせちゃダメだろ。行くぞ」
「う、うん……あ、あなた」
宿泊名簿の設定に合わせて呼んでみた。
アンタとあなたはたったの1文字違い。
でも、呼ぶ時のニュアンスが全然違う。感情がまるで違う。
恥ずかしくて照れくさくて嬉しい。
呼ばれた当麻も頬を赤く染めて立ち止まっている。
「ほっ、ほら。あなたこそ係の方を待たせちゃ駄目でしょ。早く、行きましょう」
「おっ、おう」
当麻と並んで案内係の後ろを歩き始める。たったそれだけの行動が少しだけ誇らしかった。
ツインルームの部屋に通されて、ようやく2人きりの空間になる。
当麻は上着を脱ぐなりベッドの上に寝転がった。私はベッドに腰掛けて首を回して肩の凝りをほぐす。
「あ〜疲れたぁ〜。魔術礼装を手放すように言うなり全面抗争なんだもんなあ。やってらんないぜ」
「当麻の仕事って……調停っていうより不穏分子の制圧なんじゃないの?」
相手サイドは最初から話が通じる連中には見えなかった。珍しい武器を手にして増長していた。で、早々に戦闘開始。20人ほどの構成員を全員ボッコボコにして組織を解散させたのが今日の午後の出来事だった。
全員素人だったので、制圧はそう難しくはなかったけど、数が多いのでとにかく疲れた。
「俺みたいに語学力も学歴もない奴を雇おうってんだから、実際には揉め事担当なんだろうな」
当麻は別に自分の状況を嘆くでもなくただ面倒くさそうに間延びした声で語ってみせる。
「当麻はそれでいいわけ?」
「口で調停するのは頭のいい奴がやればいい。俺は俺にできるやり方でこの世界を少しでも平和にできればそれでいいんだよ」
当麻の言葉に葛藤のようなものは感じられない。自分の役目を受け入れている。少なくとも私にはそう聞こえた。
「私、当麻は学園都市を出なきゃいけないことをもっと嫌がっているのかと思ってた」
ちょっと拍子抜けだった。当麻の本心を引き出して私と心通い合わせるのに2時間ドラマぐらいのドラマが待っていると考えていたから。
「嫌がってたし、出ないようにしようって心に誓ってたぞ。少なくとも一昨日まではな」
「一昨日……」
一昨日と言えば、私と当麻が会って、当麻が私にプロポーズした日。
「美琴に嫁になってもらって一緒に来てもらおうって腹を括ったら悩み事でなくなったんだよ」
惚気に違いないセリフを枕に頭を埋めて眠そうに言ってくれる私にプロポーズした人。もう少しこう、ロマンチックに言えないものかしらね?
「アンタって、ドラマの盛り上がりさえもイマジンブレイカーしちゃう人なのね」
当麻が外国行きをどう思っているかわからないので背中を押してあげることができない。
それが昨日佐天さんと話してまとめた争点だった。
けれど、当麻が外国行きを受け入れてしまっている以上、問題は再び私へと戻ってきてしまっている。すなわち、私が当麻の支えとなり、妻として一緒に付いて行くか否か。
結局、当麻ではなく私の決断が求められている。この構図、何かちょっと悔しい。
「じゃあさ。禁断の質問をしていい?」
当麻のベッドに飛び乗ってみせながら尋ねる。
「…………お手柔らかにお願いします」
枕から顔を上げた当麻の顔は半分引き攣っている。
でも、そんな顔をしたぐらいで許してはあげない。
一番重要な問題を私に押し返してきた当麻を簡単に許すことはできない。
「結婚してあげるから学園都市に残ってって言ったら、当麻はどうするの?」
我ながらかなり意地の悪い問題を出してみた。
仕事と私、どっちが大事なの?
あのノリの質問。多分、男にとっては一番答えたくないタイプの問題。
ちなみに言えば、私の今後の人生を決定するとても重い質問でもあったりする。
「結婚して付いて来てくださるという回答は駄目でせうか?」
「駄目。二者択一なの」
当麻の逃げ道は塞いでおく。
今の私は主人公兼ラスボス。
当麻の真意を問い質したい。
「私か仕事か。どっちなの?」
当麻が口を噤んで硬く目を瞑る。如何にも苦しそうな表情。
「そんなに悩むような難しい質問なの?」
「いや。背後を考えない単純な二択なら答えは最初っから出てるよ」
当麻は寝転がったまま私の手を取った。
「その答えとは?」
「…………美琴だよ」
私の手を握る力が強まった。
「へぇ〜。私を選んでくれるんだ」
ドキドキしながら、でも、今のラスボスなのは私なわけで余裕を崩さないように必死に悪女を演じ続ける。
「独りで外国に行きたくないから私にプロポーズしたのに?」
「だから、背後を考えない単純な二択ならって前提条件を付けただろ」
当麻はちょっと嫌そうな顔を見せる。
「そりゃあ究極的な選択肢を迫られれば美琴を選ぶよ。けど、究極の二択を選ばないと生きていけないような息苦しい世界にしないために俺は頑張りたいんだよ」
「…………ごめん。意地悪な質問だった」
当麻にちゃんと頭を下げて謝る。
究極の二択というのは結局、敵と味方を分けて敵を排除するための論理に内包されてしまう性質を持つ。
当麻が抱えている問題で言えば、科学か魔術か選んでもう一方を排除しろと言っているようなもの。そんな世界にならないように当麻は学園都市を出ようというのに、私の質問は無神経だった。反省。
でも、おかげで決心がついた。
「当麻が私を選んでくれる限り、私はあなたの仕事を応援し続けるから。どこへでも付いて行くから」
先ほどの質問への返答を述べる。私の中で、答えはハッキリ出た。
「えっと……それって……」
ベッドの上で正座し、三指をついて頭を下げる。
「不束者ですが末永くお願いします」
ずっと憧れていたシチュエーションをようやく実現することができた。
私がドラマお決まりの挨拶をすると当麻も飛び上がって上半身を起こした。そして私と同じ姿勢を取って頭を下げた。
「こちらこそ末永くよろしくお願いします」
ちょっとコミカルだけど、私と当麻の永遠の契約が結ばれた瞬間だった。
「あ〜あ。当麻との交際をまだママにも伝えていない内に結婚が決まっちゃうなんてねぇ」
改めて考えると急展開にも程がある。その方が私たちらしいと言えばそうなのだけど。
「…………せっかくだから、明日は神奈川に行って両家に挨拶してくるか」
「私の旦那さまは意外に律儀だわ」
私の頭の中ではパパが難色を示してひと波乱起きている。わざわざそういうゾーンに自分から足を踏み入れようというのだから当麻も物好きだと思う。
「この機会を逃すと次いつ学園都市出られるかわからない。だから、ちゃんと挨拶しておきたいんだよ」
当麻の口調は真剣だった。
結婚、というのは愛しあう男女2人の問題。でも同時に家と家を結ぶ家族の問題でもある。両家の親をないがしろにするわけにはいかなかった。
「そうね。ママに2年越しで大物捕まえたって自慢してやらなくちゃ」
ママの喜ぶ顔を見るのは楽しいことに違いなかった。当麻のご両親にも気に入ってもらいたい。
こうして明日の予定が決まっていく。明日は学園都市行きではなく羽田行きの飛行機を予約することになった(私のお金で)。
「じゃあ、後は明日に備えて寝るだけだな」
当麻の口調はとても軽い。何も考えていない。
2人きりで過ごす初めての夜だと言うのに。
だから、私は言ってやった。
私たちの関係が結婚の契りを交わした恋人同士であることを。
「ツインルームじゃなくてダブルルームすれば良かったわね」
「…………えっ?」
今日はとても幸せな夜を過ごそう。
当麻に自分からキスをしながらそう心に誓った。
ちなみに言えば、ツインルームとダブルルームの違いはベッドの数が2つか1つかという違いだったりする。
「それでは、先日めでたく入籍を済まされました上条当麻さん、美琴さんのお祝い会を始めたいと思いま〜す。みなさん、思いっきり祝福してあげてくださ〜い」
佐天さんの宣言と共にクラッカーが店内のあちこちから鳴り響く。
5月中旬の日曜日。3日後に出国を控えた状況で、私と当麻の友達有志がファミレスを借りきってお祝いの会を開いてくれていた。
「3月末から女っぽさにやたら磨きが掛かった新婦の御さ……美琴さん、何か一言お願いします」
佐天さんにマイクを渡される。
「急で、その、年齢的にも早過ぎる結婚だというのはわかっているのですが……こんなにも多くの方々にお祝いに来ていただいて私は本当に幸せです。心から感謝申し上げます」
常盤台中学時代の友達、とある高校に進学してできた友達、校外で知り合った友達。全部で30人以上の子が祝いに駆けつけてくれた。
「お姉さまぁ〜〜〜〜っ! 16歳で、いえ、今現在は17歳でご結婚だなんて、しかも新婚早々海外移住だなんて早まったご決断ですわぁ〜〜〜〜っ!」
一部に祝ってくれてない子もいるけれど。私を追い掛けてとある高校に入学した黒子にしてみれば不満が出ないはずはないのだけど。
「それでは、世界一の美少女と噂高い美琴さんを嫁にした世界一の幸せ男当麻さんにも一言ご挨拶をいただきましょう」
マイクが今度は当麻に渡される。
ちなみに今私たちは真っ白いウェディングドレスとタキシード姿でみんなの前に立っている。時間がなかったのでオーダーメイドはできなかったけど、レンタルで気に入ったものが借りられた。
正式な結婚式をやる時間的な余裕はなかったけど、こうして大好きな人たちにウェディングドレス姿を披露できて私はとても感動している。
「え〜、ご紹介に預かりました世界一の幸せ者、上条当麻です。もう不幸だとは言えないですね、はい。上条さん、アイデンティティ・クライシスです」
軽く笑いを取りに入る私の愛する旦那さま。ファミレス内では夫の狙い通りに小さな笑いが巻き起こっている。
「海外赴任に当たってずっと心に引っ掛かっていたのが美琴のことでした。彼女を置いて日本を離れたくはなかったので、ダメ元覚悟でプロポーズしてみたところ、世界一の幸せ者になることができました」
当麻は私の手をみんなから見えるように掲げてそっと握り締めた。
「まだ16歳だった美琴を妻に迎えたことで、彼女には大きな苦痛を強いてしまっています。通っていた高校も辞めることになり、また、仲良くしてくださっているみなさんの元から引き離してしまうことになりました」
ちなみに私たちは今、学園都市内のホテルで暮らしている。学生寮は退寮というか、高校自体1学年修了を以って退学した。既婚者が高校に通うには色々と問題も多く、また新年度で通える期間は結局1ヶ月ほどしかない。だったらということでスッパリ辞めた。
そういうことに関しては、当麻のお嫁さんになることを選んだ時点で受け入れている。だから、当麻が気に病む必要もない。私はそう思っている。
「俺は彼女に新婚早々多大な苦労を掛けています。でも、だからこそ、その分彼女をより深く愛し、厚く守り、2人で幸せになりたいと強く心に誓っています。俺はみなさんに誓います。妻を、美琴を必ず幸せにすると」
当麻の宣言に店内の至るところから感嘆の声が上がる。まあ、無理もない。かなりこっ恥ずかしいセリフが臆面もなく真剣な表情で飛び出たのだから。
第三者が聞いてもビックリするに違いない。だって、当事者である私は……。
「おお〜っとぉっ! 新婦である美琴さんが感極まって泣き出したぁ〜〜っ」
泣かずになんかいられなかったのだから。当麻にこんなにも思ってもらえる自分が世界で一番幸せだって思う。
「これから俺たちは日本を離れることになりますが、美琴と2人必ず幸せになります。だから、みなさんの変わらぬ友情と温かい声援をこの学園都市からよろしくお願いします」
当麻がゆっくりと頭を下げる。私もそれに倣って頭を下げる。割れんばかりの大歓声が私たちを包み込んでくれた。
「それでは、お二人にご結婚のお祝いの品を贈呈いたしたいと思います」
佐天さんの手に、色とりどりのペンでメッセージが書かれた色紙が見て取れた。
私が以前、お願いした通りのプレゼントだった。
私はこれから当麻とともに日本を離れることになる。
寂しくなることもあるんだと思う。
そんな時、みんなの想いが篭ったものを見ることができたら。
みんなの肉筆と想いが篭められた色紙はきっと私の力になってくれるに違いない。
「それでは、みなさんの上条夫妻への想いが篭められた色紙をプレゼントしたいと思います。新郎新婦は2人で受け取ってくださいね」
佐天さんから手渡される色紙を当麻と2人で左右から持つ。
色紙が私たちの手に渡った瞬間、万雷の拍手が鳴り起こる。
「当麻と2人で日本を離れることになりますが、私たちの心はこれからもみんなと一緒だから。だから、だから……本当に、本当にありがとうございます」
当麻と2人、遠い異国の地でもきっと上手くやっていける。
それを私は確信したのだった。
了
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