また別の差別と陰謀について? |
自分の得意分野と同レベルか近いレベル、あるいはそれよりももっと超えた能力や才能、技能がないと何も認めたくない、また同時に近いレベルでないと友達になってはいけない、過去友達であっても縁を切らせる、そのような考えの人が世の中には非常に多いように思います。
そして、それと共に、自分よりあらゆる面で能力が劣っていたら、たとえあるところの上司に似ていたとしても認めないで無視して他のタイプにすり替えて虐めてもいい、またその逆にあらゆる面で能力が優秀でレベルが高い人はどこの上司に似ていなくても同じ素質の分野の仲間に支えられたり協力されて偉いタイプのふりをさせ続けてもらえたり、崇拝され続ける、そんなことも実際多いようです。
何が本当で嘘なのか、さっぱり分からない状態が、何かの特技や技能の差で如実に現れてくるから不思議です。確かに能力があるないは、とても重要なことで大事なことかもしれませんが、自分達と同じ趣味や思想の中である程度のレベルに達していないとまともな扱いは絶対にしたくない、同じレベルか近くなるまではずっと無理やり勉強させて羽交い絞めにしてコケにしてやるという考えはどうしても好きになれません。
ある技術があるないは、その技術に価値を持っている人達同士だけの問題であって、自分より劣っている人を見ると虐めたくなるそういう人間性の方が実は大きな問題だと私は思うからです。その人達は、今後もそのような行動を続けて行く気なのでしょうか?
また、そのような行動を受ける、つまり何らかの技術の強制学習―主に文章だと思います―を強いられる人達はたいがい、強いられる直前までは、いつも自由奔放にやりたい放題にしていて、ただそれだけで思わぬ大金やラッキーを掴めていたはずだと思います。そして同時にすぐ身近にとにかく外見だけはとても美しい―たとえそれが整形であったとしても―知人や友人、交際者がいたはずです。
私が思うに以上のようなカラクリの内容は、マノン・レスコーという小説を読んでも分かりますが、美しい交際者や知人、友人を持つ人物がある日突然うらやましく妬ましく思え、邪魔になり―つまり邪魔になった人の美しい交際者や知人、友人を欲しくなったのだと思います―追っ払ったり消すために、殺すには十分な理由がないし恨みも足りないので、色々と出鱈目な因縁をつけて現在ではとても重宝している便利なネットスペースに何を言っているかよく分からないから教養を身に着けさすなどの滅茶苦茶理不尽な名目で無理やり閉じ込めて、毎日一歩も外に出さず強制文章学習、あるいは苦手な分野の教育を受けさせ、学習づけで閉じこもっている間に邪魔な人物の美形の知り合いを自分の物にしたり、自分の作品、あるいは尊敬している人の作品の代用品、または利害関係のある相手のご機嫌取りとしての邪魔な人物の美形の知り合いを売り飛ばして儲けているに決まっていると思うのです。
こんな状態で、周囲の人を心から慕ったり、素晴らしい人達だと思うことは絶対に無理だし、海外のマノン・レスコーの時代からそういう風潮は消えておらずずっと続いているところを見ると、ハッキリと明確に実態がばれても今後もそのような行動を続けて行く気なのか?ということと全てを見透かされているのにシャーシャーと接近してきたり、お付き合いをできると本気で思っているのか?などの疑問点がたくさんあり、このような状況を解決したり、打破するにはどうしたら良いのかをまず考えないといけないなと真剣に考えたり、思っている状態で、当たり前のようにそれら陰謀の使途だと思う人達に接近を図られても心から素直にありがとうという気持ちにはどうしてもなれないですね。
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また別の側面から考えた差別と苛めについて書いて見ました。文章クレン中です。ぼやきと妄想でもあります。>< | ||
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