真恋姫無双幻夢伝 第七章7話『五丈原の戦い 下』 |
真恋姫無双 幻夢伝 第七章 7話 『五丈原の戦い 下』
翠の馬が戦場を駆ける。その行く手を防ごうとした者は、ことごとく蹴散らされていく。
「どけっ!」
彼女の槍が躍動して、魏軍の兵士の腹を貫く。そして翠が槍ごと振り回し、その兵士は腹から血の雨をまき散らしながら宙を舞った。兵士の血が彼女の頬につく。
どんな戦いでもそうだった。西涼の馬が駆けると、敵の陣形はいとも簡単に崩れ、敗者はちりぢりになって逃げて行く。彼女たちは常に勝者の余裕を持って戦ってきた。
ところが、この魏軍は怯えるどころか、新しい兵士が次々と挑んでくるではないか。翠はともかく、部下の騎兵は、盾を持って襲ってくる敵兵に手を焼き、その度に走る速度が遅くなる。
出口のない迷路を走っているようだ。まるで追い立てられる獣のように。
「ちくしょう!いったん退くぞ!」
戦闘開始から半刻(1時間)、彼女は手綱を引いて、馬首を味方の陣に向けた。一度、体勢を立て直すしかない。
まだ対岸の味方が動いたという報告はない。頼れるのは自分たちだけだ。
(何度でも突撃してやる!李靖!お前に負けたと認めさせるまで!)
翠は固く決意して、手綱をピシリと鳴らした。
だが、彼女のその思いは、本当に意外なところから打ち砕かれることになる。
「お、おい!どうしたんだ?!」
馬が動かない。いくら手綱を動かしても、馬の脚はそこに留まったままだ。
周りを見ると、部下たちの馬も動きを止めて立ち尽くしている。彼女たちは馬がとても辛そうな表情をしていることが分かった。
「過信したな、馬超」
突然、声がかかる。振り向いたそこには、憎き敵である李靖の姿があった。複数の騎兵を引きつれて、こちらを眺めている。
「李靖!!」
「叫んでも馬の脚は動かないぞ」
口角を上げている彼の表情を見ると、この状況は彼の策略のせいのようだった。
「あたしたちの馬に何をした?!」
「したのはお前らだろう。馬にも疲労というものがある。よく考えてみろ」
周囲から無数の敵兵が取り囲んできている。焦りの色が汗となって背中を伝う。“疲労”と聞いて、彼女には思い当たる節があった。
「“渡河”したことか…」
「そうだ。お前たちの馬は船に慣れていない。精神的にも肉体的にも、その負担は予想以上に大きいはずだ。それにだ…」
と、アキラが答えている間にも、彼女たちを取り巻く魏軍の包囲は着実に狭くなってきていた。翠は平静を装いつつ、彼を睨み続ける。
「戦場を長躯したことや敵陣を駆けずりまわったことも、そうだとは気づいていないのか」
「なっ!あれもだって言うのかよ!?」
わざと太鼓を鳴らさなかったことや、犠牲を強いても抵抗を続けさせたことも、彼らの馬を疲れさせる策であった。普段から馬の訓練を欠かしていない彼女たちは、一刻(2時間)の戦闘でも馬は疲れないものだと信じている。しかし中原に比べて西方は河川が少ない。河を渡るのは初めてだという馬も多いはずだ。
月から聞いた情報が役に立った。
手負いの獣のように、汗だくになりながらこちらを睨み続ける翠に、彼は降伏を促す。
「もうあきらめろ。その状態では戦えまい」
「黙れ!あたしたちを見くびるな!」
彼女は槍を持ちなおし、手綱で強く馬の背を叩いた。この会話の最中に体力を回復した彼女の愛馬は、彼女の念に応えるように、アキラに向かって駆け出した。
「覚悟しろ!」
「まだそんな余力が!?」
彼は愛刀の南海覇王を抜き、胸元で彼女の槍を受け止めた。しかし彼らしくも無く不覚を取った。正面から受け止めてしまい、彼女の槍の衝撃が体の芯に伝わってくる。
彼は苦痛に顔を歪める。
「ちっ!お前ら、下がれ!」
「李靖!!」
彼女の槍がブンブンと音を立てながら、彼に打ち下ろされる。彼はまだ体勢を整えてきれず、かわし続けるしかなかった。彼の指示を受けた魏軍の兵士たちもそれを見守るばかり。
しかし彼女の優勢もすぐに終わった。力尽きた彼女の愛馬が、前脚から崩れる。
「うわぁ!」
前に一回転して地面に放り出される。そして地面に背中から叩きつけられた衝撃で、手から槍を離してしまう。
アキラはすぐに馬から降りると、倒れた彼女の元に駆けた。そして動けない彼女の首元に剣を当てた。
「終わりだ、馬超」
「………」
翠は太陽を背にしたアキラに見下ろされる。彼女は強烈な不快感を持った。
「…そんな目で、あたしたちを見下ろすな!」
彼女はそう叫ぶと、素早く剣を抜いて振り回す。アキラは後ろに飛び退いた。彼女は立ち上がろうとするが、座ったまま動けない。足をくじいてしまったらしい。
もうおしまいだ。それでも彼女は叫ぶことを止めなかった。
「お前たちはいつもそうだ!あたしたち遊牧民を蔑み、虐げ、そして重税を課していじめる。だから母上やあたしたちは立ち上がった!お前たちと対等になるために!」
「………」
敵味方関係なく、静かに彼女の話を聞いている。遊牧民を代表する彼女の嘆きは止まらない。
「なにが文化だ!なにが身分だ!お前らの豊かさなんて偽りだ!あたしたちをもっとよく見ろ!どこが違うっていうんだよ!」
彼女の目から涙があふれ出す。その涙は、彼女が守ってきた全ての者たちの感情の塊なのかもしれない。
天下万民からずっと虐げられてきた汝南の君主であるアキラには、彼女の言葉に共感するところがあった。しかし彼は剣を持ち直して、彼女に近づく。
「もっと早く、お前と話すべきだった」
「ち、ちくしょう…!」
アキラの剣が彼女の頭上に振り上げられる。彼女は涙を流し続ける目を瞑った。
ところがその時、翠の耳に彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「お姉さまー!」
「蒲公英?!」
新たな騎馬隊がこちらに駆けてくる。先頭の騎兵がアキラに向かって攻撃してきた。
「くっ!」
アキラは彼女から目標を変えて、その騎兵に向き直る。その騎兵が彼の隣を駆け抜けるのと同時に、彼の剣がその騎兵の腹を切り裂いた。
「お姉さま!こっちに!」
その隙に、後続の蒲公英が馬上から翠に手を伸ばす。翠は力を振り絞って立ち上がると、その手を掴んで馬に飛び乗った。
「待て!」
彼の声は届かない。彼女たちは西に進路を取って、魏軍がひしめく平原を駆け抜けていった。
「稟、馬超は見つからないか」
「はい。韓遂は自害しているところを確認しましたが、彼女と馬岱の足取りは依然として不明です」
夜になって長安城に戻ってきた彼らは休まずに、事後処理に没頭している。任務を終えて帰ってきた月と恋もそこにいた。
アキラは鎧を脱ぎながら、彼女たちの報告を聞いている。
「馬超軍の残存部隊はどうなった?」
「指導者を失って、今はちりぢりですよ。もう心配はないかとー」
「あのぅ、アキラさん?」
月が彼と風の会話に割り込んできた。曇った表情で彼に尋ねる。
「中立してくれた遊牧民さんたちは、どうなりますか?」
「約束通り、元の領地に無地に帰そう。もう反乱に加担しないことが条件だがな」
「わぁ!良かったです」
彼女の愁眉が開いた。アキラは微笑んで、彼女の頭を撫でる。
「よく頑張ったな、月」
「へぅ〜」
月は顔を真っ赤にする。その隣から、恋が無言で自分の頭を差し出してきた。アキラは声を漏らして笑いながら、彼女の頭を撫でる。恋が気持ちよさそうに目を細めた。
「あのー、お兄さん」
「私たちも…」
「ちょっと、いい?」
風と稟を押しのけて、小蓮が彼女たちの前に割り込んできた。
「やっと帰ってきたわね。言ったとおり、話があるの」
「分かった。悪いがちょっと席を外してくれ」
稟と風の表情がこころなしか、むくれる。
「……仕方ありません。行きましょう、風」
「お兄さん、また来ますからねー」
「うん?お、おう」
彼女たちと一緒に、月たちも部屋を去った。アキラは椅子に座ると、小蓮に顔を向ける。
「それで、話っていうのは」
「どうして、シャオを助けたの?」
唐突な質問に、彼は言葉を失った。小蓮は話し続ける。
「アキラってば、シャオのお腹を蹴飛ばしたぐらいだから、最初は本気で倒しにきたでしょ?なのに、なんでシャオの顔を見た途端に許しちゃったのかなって」
「…なぜ、そんなことを聞く」
「聞きたいからよ!もしかして、本当に捕虜交換に使う気なの?」
彼は黙り込む。小蓮は心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「なに?どうかした?」
目の前の彼女の顔が、彼の頭の中の“あの人”の顔とまた重なる。じっと見つめるアキラの視線に、彼女はとうぜん気が付いた。
「ねえ、シャオの顔になんかついてる?」
「……いや」
「じゃ、なんでシャオの顔を見ているわけ?もしかして一目ぼれ!」
「…いいや」
なによーと頬を膨らます彼女に、彼はようやく答えた。
「よく、似ていたから」
シャオはピクリと体を震わす。そして静かに尋ねた。
「アキラって雪蓮姉様のこと、好きだったの?」
「ああ」
「じゃあ、さ、その雪蓮姉様とシャオが似ているから、もしかしてそばに置いてくれたの?」
彼は彼女から目を逸らして言う。
「……そうかもしれない」
突然、彼女は彼の頬を叩いた。パチンと大きな音が鳴る。
「ばっかじゃないの!?」
彼女は激昂した。
「シャオはお姉様の代役じゃない!シャオはシャオよ!そんな同情なんていらない」
「…シャオ……」
「シャオのこと、ちゃんと見てよ!」
彼女は部屋を飛び出そうとした。彼は立ち上がって追いかけようとした時、彼女は扉の近くで振り返る。その目からは大粒の涙がこぼれていた。
その表情とは裏腹に、彼女は微笑んで言い放った。
「覚えていなさい、アキラ!もっと、もーっと魅力的な女になって、雪蓮姉様を追い越しちゃうんだから。その時、後悔することね!」
彼女はそう言って部屋を走り去っていった。彼は呆然と立ち尽くし、そして彼女の言葉を口に出す。
「ちゃんと見てよ…か」
彼は翠も似たようなことを言っていたことを思い出した。彼は苦笑いを浮かべ、ため息をつく。
「やれやれ、今日は怒られてばっかりだ。俺もまだまだだな」
翌日、小蓮の姿はどこにもなかった。置手紙も残さず、彼女は去った。数日経っても戻ってこなかった。月や恋は大いに心配したが、アキラは彼女を追いかけもしない。彼らが汝南に戻ってきた頃には、彼女のことは各自の心の中に固く封じられていた。
彼らがまだ長安にいた時、華琳の病状はやっと快方に向かっていた。
「華琳さま、書類をここに置いておきますよ」
「ありがとう、季衣」
「華琳さま、おかゆをお持ちしました」
「流琉もありがとう。そこに置いておいてもらえる。後で食べるわ」
寝床からはまだ離れられないが、華琳は体を起こして政務を行っていた。春蘭や秋蘭が征伐した方面も片が付き、魏の国内は再び平穏さを取り戻していた。
桂花が華琳の寝室を訪ねてくる。
「あの、華琳さま。大変申し訳ないのですが、謁見してもらえないでしょうか」
「あら?珍しいじゃないの。あなたは私が仕事をするのを嫌がっていたと思うけど?」
桂花はバツが悪そうに頷く。
「ええ、それは勿論、お体に障りますから。寝床で政務を行うなんてありえませんからね!」
と言って、華琳の代わりに、手伝っていた季衣たちを睨み付ける。2人は小さくなって身を寄せ合った。
華琳は2人を庇うついでに、桂花に尋ねた。
「それで、誰が会いに来たの?」
「それが…」
桂花は華琳に近づいて耳打ちした。
「襄陽の劉gからの使者です」
「……なんですって?」
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