艦これファンジンSS vol.29「着るラ着る」 |
開け放した窓から潮風がそっと吹き込んでレースのカーテンを揺らす。
春の暖かな陽気に、風が一迅舞いこんでも、もう寒いとは感じない。
もとより、彼女自身は暑さ寒さには辛抱強いほうだった。
そんなものを気にするよりは、ほのかに鼻をくすぐる潮の香りを楽しめる方がいい。
ベッドに寝そべって、目の前に雑誌を広げながら、彼女はそう思った。
肩で切り揃えた柔らかな栗色の髪、セーラー服にも似た青と白の衣装。
だが、その髪は潮風に灼けていて、見る人が見れば、只者ではないと見抜いたろう。
この鎮守府に集う仲間達のほとんどがそうであるように、彼女もまた、見た目どおりの普通の女の子ではない――ひとたび鋼の艤装を身につけて外洋に出れば、敵を打ち倒す無類の戦士へと変わるのだ。
艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。
ただ、いまは艤装もはずし、寮の自室で安穏と時間を過ごしている。
雑誌には様々に着飾った年頃の少女たちの写真が、色鮮やかにあふれていた。
それらを熱心な眼差しで見つめる彼女の横顔は、戦いとは無縁の、ただの女の子にしか見えないこともまた事実なのであった。
重巡洋艦、「摩耶(まや)」。
それが彼女の艦娘としての名前である。
「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。
それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。
彼女たちが身にまとう衣装は、元になったモチーフがありながら、しかし同一ではないデザインをしている。明らかに普通の人間の少女が着る服とは異なるそれは、艦娘にとっては制服であり、自己を構成するアイデンティティである。それゆえに、それが変わるとなると、なかなかの一大事なのであった。
ドアを軽くノックする音がして、摩耶は顔も向けずに、
「どうぞー」
と、おざなりな返事をした。
誰が来たか予想はついたし、また、誰が来ても同じ対応をしただろう。
ドアが開けて入ってきた人物が、ベッドに寝転がる摩耶を見てため息をついた。
あきれ半分、あきらめ半分の声で、彼女は言った。
「またごろごろしてるんですか、摩耶姉さん」
その言葉に、摩耶はちらと目線だけ向けた。
長い黒髪、温和そうな顔立ち、理知的な印象を与える丸っこい眼鏡。衣装は摩耶とお揃いのものを着ていた――姉妹艦の鳥海(ちょうかい)だ。
「ごろごろしてねーよ。雑誌読んでんだよ」
「読書するなら座って読みましょう。寝転がってなんて、目を悪くします」
「うっせーな。あたしの勝手じゃんかよ」
「姉さんも眼鏡かけてみたいんですか?」
ちょっと冷ややかな鳥海の物言いに、少々だだをこねすぎたかと摩耶は思い、身体を起こしてベッドに腰掛けた。艦娘が近眼になるなど聞いたことがないし、眼鏡をかけている鳥海も視力が低いわけでもないのだが、この妹が機嫌を損ねるとなにかと大変なのだ。
温和そうに見える人こそ、怒ると怖い。人間でも艦娘でも共通の事例である。
あらためて、鳥海を見た摩耶は、妹が小脇に本やノートをいくつも抱えているのに気づいた。ぱっと見の題名で『戦術応用概論』などと読み取れるのを認めて、摩耶はうわーと小さく声をあげて、言った。
「また研究会行ってたんだ」
「ええ。日々の練成は、実戦演習だけではありませんから」
当然だ、という顔で鳥海が答える。
「姉さんも顔を出した方がいいですよ。きっとためになります。そもそも摩耶姉さんは素質はあるのですから、もっと理論面で研鑽を積み重ねれば、いまよりも大きな戦果をあげることができるはずなのです。研究会はそのために艦娘が自発的に討議できる場で、せっかくの機会があるのにみすみす参加を見送るのは――」
また始まった。滔々と始まった鳥海の言葉を聞き流しながら、摩耶は内心で舌を出してみせた。妹の静かなお説教がいつものことなら、それを聞いているふりをしながら右から左へ流すのもまたいつものことだ。
出撃にも遠征にも出てない艦娘は、非番で休暇をもらっているのでもない限り、やることは二つだ。訓練か、雑用である。練度を上げ、磨き続けることは、戦場での生き死に直結する。かたや、鎮守府が拠点として機能するためには、炊事・洗濯・掃除といった日常の雑務を誰かがやらねばならない。新人の艦娘が真っ先に教えられることが水上機動のイロハと廊下のモップがけであるゆえんだ。
よって、平時の艦娘はあらかじめ決められたスケジュールに従って訓練を行い、空き時間に交代で雑務をこなすことになる。
とはいえ、例外は存在する。「即応要員」と呼ばれる艦娘がそれで、緊急出撃に備えて定例の訓練以外は待機しておかねばならない。これは練度の高い艦娘が指名されることが多く、彼女たちは雑用が基本的に免除されている。難敵に遭遇した味方部隊の救出に出なければならないときに、ジャガイモの皮を剥いていて出られないなどということがあっては論外だからだ。
とはいえ、何もせずに待つというのも手持ち無沙汰なものである。そこで、一部有志の艦娘が集まって戦術研究をしようというのが、「艦娘による対深海棲艦戦術戦略自主研究会」、略して「研究会」である。講師から教わるのではなく、あらかじめ用意されたテーマに従って自由に意見を述べ合い、改善策をまとめ、頭脳面での練度向上を目指すのがその趣旨だ。非公式の集まりではあるものの、話し合われた内容は訓練や演習の内容に反映されたり、あるいは、まとめ役の艦娘を通じて提督の耳にも入る。
間接的な形ではあるが、提督の意思決定に艦娘の意見を反映させられることができる重要な集まりといえた。
その研究会だが、またの名は「鳥海学校」とも呼ばれていた。
そう、この研究会のそもそもの発起人はほかならぬ鳥海なのである。
なぜか、というと、この鎮守府で鳥海は最古参とは言わないまでも二番目に古参の重巡であり、鎮守府発足の黎明期に最前線を支え続けたベテラン中のベテランである。その彼女が、実戦の中で気づいた課題について話し合おうというのが研究会の始まりなのだ。
その後、研究会も規模が大きくなり、鳥海も主要な運営メンバーからは外れたが、いまも重要なご意見番として欠かさず参加を続けている。
「――というわけで、わたしの目算では、研究会に三ヶ月参加を続けて理論分野の経験値を積めば、摩耶姉さんの対空戦闘演習の成果も二割増しを見込むことができるのです。どうですか、参加してもらえる気になりましたか?」
お説教が一区切りついたところで、摩耶はふうと息をつき、こともなげに言った。
「うん、あたしにはたぶん向かないわ。ごめん」
さらりと切って捨てた摩耶の答えに、鳥海がやっぱりかという顔をしてみせる。
馬鹿に艦娘は務まらない、とはよく言われることである。弾道計算と航法は基礎中の基礎であり、座学でみっちりと叩き込まれる。戦術の理論面も教え込まれるのは訓練において欠かせないひとつである。
ただ、摩耶の場合は、自分のものとしては会得できるのだが、それを理論立てて意見として述べたり、ましてや話し合ったりというのが不得手なのだ。無理に自分から出そうとすると、直感的に「これは良いと思う」「それはうまくいかないと思う」という形になって、「じゃあそれはなぜか」と問われるとうまく答えられなくなってしまう。会得している証拠として、身体を動かす訓練や実戦ではきっちり結果を出してみせるのだが。
一番上の姉をして「摩耶ちゃんは天才肌だから」と言われたこともある。もっとも、そのときの口ぶりはどちらかというと褒めていなかったが。
実は、鳥海に無理やり連れられて摩耶は一度だけ研究会とやらに出たことがある。しかし、喧々諤々と話し合う議論の輪に参加できず、黙って聞いているうちに居眠りを決め込んでしまったのだ。自分が白い目で見られるのは摩耶は気にも留めなかったが、自分を連れてきた鳥海が申し訳なさそうに頭を下げているのはさすがにいたたまれなかった。
向かないものは無理にやらないこと――それが摩耶にとってベターな選択なのだ。
鳥海は、束の間、摩耶の目をじっと見つめたあと、ふっと笑んでみせた。
「まあ、いいですけど――それじゃあ、自主訓練をもう少し増やしたらいかがですか。即応要員は待つことが任務とはいえ、ごろごろしてるようじゃおなかに余計なバルジがついてしまいますよ」
「なっ……そんなもんつかねーし! 腹筋とかは欠かしてないし!」
思わず顔を赤くして摩耶は声をあげた。反論してみせつつも、手は無意識にわき腹に伸びてしまう。実はひそかに気になっていたりはするのだ。
「それならいいんですけど。気づく前に行動しないと遅いですよ」
「……わーってるよ」
してやったりな鳥海の笑みを見て、摩耶は内心で悔しがりながらも、それぐらいの言葉しか返せない。
実のところ、摩耶はこの妹が苦手だった。というより、姉妹艦としては一番下にあたるはずの鳥海が、姉妹の中では最古参のベテランで、しかも頭も切れるというのが姉としてはやりづらい。鳥海が妹の分別を守って摩耶たちには敬意を払って接してくるからなおさらである。
けっして仲が悪いわけではない。鳥海がことあるごとにお説教をしてくるのも姉を心配すればこそであるし、摩耶がそのお説教を辛抱強く最後まで聞いているのも妹を気遣えばこそである。とはいえ、普通は姉が妹に説教する立場ではなかろうか。そのあたりを考えると、立ち位置の微妙さがやけにくすぐったい心地もするのも事実なのであった。
「ところで、何の雑誌を読んでいたんですか?」
鳥海が机の上に参考書やらを積むと、摩耶の隣に腰かけてきた。
ふかっとベッドがはずみ、二人の身体を揺らす。
くっつきそうなほど近い距離で、摩耶は雑誌を差し出してみせた。
「買い出し組が調達してきたファッション雑誌。参考にしようと思ってさ」
摩耶の手から雑誌を受け取った鳥海がぱらぱらとめくる。
写真を見ながら最初に出た感想が、
「色使いもデザインも、一時に比べるとだいぶ華やかさが戻ってきましたね。わたしが来た頃なんて暗い色彩が目についたのに――海上護衛による輸送ルートの確保、効果はあがっているようですね」
「……この雑誌見て、そんな感想が出てくることが驚きだよ」
摩耶はあきれて苦笑いを浮かべてみせた。
「写真見てて、これかっこいいとか、これ着てみたいとか、思わねえ?」
「わたしたちには決められた衣装があるじゃないですか」
鳥海はそう答えながら、自分の服をつまんでみせた。セーラー服に似た袖なしの青い服が、二人の衣装だ。丈の短いスカートは白く、襟にかけているリボンは赤い。シンプルだが露出の多い服は、ともすれば脇やへそが見えて、なかなかに人目を引く。
「鎮守府内では、各自は決められた服を着ていることが規則ですし、鎮守府から外へ出ることはめったにないですから、これがわたしたちの制服かつ普段着でしょう――摩耶姉さんは何か不満があるのですか?」
顔を覗き込んで訊ねてくる鳥海に、摩耶は頬をかきながら答えた。
「いや、ほら……あたしの改装が近いって噂があるじゃん。改装になったら衣装のデザインや色使いも変わること多いからさ、どんなのが来るかなあ、と思って」
「……それで、そわそわして待ちきれずに、気を紛らわせていた、と」
鳥海の目つきが心なしかじとりとしたものになる。ぱらぱらと雑誌をめくって、その中のひとつを指して、鳥海は真面目な声で言った。
「姉さん、こんなコケティッシュな服を普段使いにしたいんですか」
「ちげーよ! あたしが着てみたいのは、こんなの!」
摩耶は雑誌をひったくって、あわててページをめくって、目当ての写真を突き出す。
鳥海はというと、眼鏡を指で押さえてくいっと直して、言った。
「――まあどうせ、こんな雑誌見て悶々としても、仕方がないと思いますよ。わたしたちの服って上からのお仕着せじゃないですか。デザインも普通の人が着るようなものでは、ちょっとありえない形のものが多いし」
摩耶と鳥海の衣装はまだしもおとなしいほうだろう。中には、袴をモチーフにしたミニスカートを履いている艦娘もいたりする。丈が限りなく短いくせに、袴と同じように腰の辺りが開いていて、そこから肌が露出していたりするのだ。艦娘どうしであっても目のやりばに困ることがある――誰の、とは言わないが。
「そこだよ! お仕着せだってあきらめる前に、希望があれば、提督にちゃんと伝えるべきじゃんか。やっぱり自分の好みの衣装を着た方がテンションも上がるしさ」
「住めば都、じゃなくて、着れば晴れ着、だと思いますよ」
「誰の言葉だよ……それ」
「わたしの言葉です――でも装備品のデザインって、提督に決裁権あるんでしょうか」
「……どうなんだろうな」
鳥海の何気ない疑問に、摩耶が黙りこくってしまった、その時。
ノックもなしに、ドアがいきなり開いて、
「ぱんぱかぱーん。二人ともいる?」
底抜けに陽気な声が部屋に響いた。
摩耶はすかさず入り口から顔をみせた人物をにらみつけ、
「ちょっと姉貴! 部屋に入るときはノックぐらいしろよ!」
そう声を荒げてみせたが、当の“姉貴”は納得いかない様子でふるふるとかぶりを振ってみせた。長いふわふわの金髪が、光の粒子を撒き散らしているようだ。
「お・ね・え・ちゃ・ん」
一文字ずつ区切って発音してみせた姉の言葉に、摩耶は目を三角にした。
「なんだって?」
「姉貴なんて乱暴な言葉遣いをしちゃだめ。ちゃんと“お姉ちゃん”って呼ばないと」
青い目が真剣な光に満ちている。摩耶は目を細めてじとりとした眼差しをしながら、
「――あのさ、姉ちゃん」
その言葉に、また金髪の姉はふるふるとかぶりを振って言う。
「もう、『お』をつけましょうよ、『お』を」
摩耶の中で、束の間、プライドと妥協が取っ組み合いをしていたが、
「――何の用だよ、愛宕(あたご)お姉ちゃん」
妥協が勝利してそう言うと、愛宕と呼ばれた艦娘は満面の笑みを見せた。
「はい、よくできました!」
のみならず、小さく拍手までしている。摩耶はひそかに舌打ちをした。
愛宕。摩耶の姉妹艦で、上から二番目の姉にあたる。摩耶には、しばしばこの姉が阿呆なのではないかと思えることがあった。艦娘としての能力は一級品で、重巡の中でも最精鋭の一人であろう。ただ、性格や言動が能天気にすぎる。出撃においては、その楽天的な気質は艦隊の士気を保つ大事な要素となるが、平時においてはやたらと陽気さを振りまく一種はた迷惑な艦娘でもある。
「まさか、駆逐艦どもにも、お姉ちゃんと呼ばせているんじゃないだろうな」
摩耶がじとりとした目でにらみつけると、愛宕は目を丸くして、
「まさか。わたしもそこまで厚かましくはないわ」
そうして、えへんと胸を張って――豊満なバストなので迫力満点だ――言った。
「提督や長門(ながと)さんの前では『愛宕さん』、それ以外では『愛宕ちゃん』と呼んでもらうようにしているわ」
堂々とのたまう姉に、摩耶はげんなりした。使い分けを要求される艦娘が気の毒だ。
「――それで、何のご用なんですか?」
摩耶と愛宕のやりとりを黙って見守っていた鳥海が、ようやく機を得たと口を開いた。そう、二人がこんな調子なのは、いつものことで鳥海もわきまえているのだ。
「ああ、そうだったわね。忘れるとこだったわ」
ぽんと手をたたいて、愛宕はにこやかに言った。
「摩耶ちゃんと鳥海ちゃんを提督がお呼びよ」
提督執務室。
艦娘にとってはなかなか敷居の高い場所である。
提督自身は執務室にこもりきりというわけではなく、鎮守府内を見回って艦娘の様子を見たり、声をかけたりする。艦娘にとって、そういう時に見かける提督は、話もしやすい上官だった。冗談が飛び交うことさえある。
だが、その提督が執務室にいると怖さ百倍増しになるというのは、艦娘共通の認識だった。黒い執務机にどんと構えて座る提督から何か申し渡されるときというのは、褒賞されるときか譴責されるときか、さもなくば提督じきじきに命令を下す特別任務ということである。褒められるのが怖いというのはおかしな話に聞こえるが、評価されるということはすなわち、より重い責務を言い渡されるということで、単純に喜べるものでもない。
そんなわけで、大概の艦娘がそうであるように、摩耶たちもひとつ深呼吸をしてから、扉をノックした。
すぐに「どうぞ」と応答が来る。艦娘の声だ。本日の秘書艦だろう。
「失礼します」
摩耶と鳥海が執務室に入ると、まず目に入った人物は、青い服に身を包んだ艦娘であった。ちょうど書類の束を机から手にとったところで、肩までのさらさらした黒い髪がふわりと揺れる。その艦娘は、摩耶と鳥海の顔を見るや、ふっと微笑んで言った。
「いらっしゃい、摩耶ちゃん、鳥海ちゃん」
声に親しみがあふれている。見知ったどころではない。摩耶たち四人姉妹の長女にあたる、高雄(たかお)だ。摩耶にしてみれば、まともな方の姉であった。
「なんだ、今日は姉貴が秘書艦なのか」
「姉さんが務めるなんて珍しいですね」
摩耶と鳥海がそろって感想を述べると、高雄は肩をすくめて、
「提督の気まぐれにも困ったものだわ――二人とも、ほら、敬礼」
高雄の言葉に、こほんと咳払いが重なる。
摩耶と鳥海はあわてて執務机に向き直り、脇を締めた敬礼をした。
執務机の書類の山脈の向こうに、鎮守府の主がいて、返礼をする。
白い海軍制服に身を包んだ提督は、いつものように実年齢不詳の顔をしていた。
「なおれ――そんなに緊張しなくていいぞ。たいした話じゃない」
提督の言葉にほっと息をついた摩耶を見て、提督は口の端を持ち上げた。
「先般から耳には入っているだろうが、このたび摩耶の改装を行うことが決まった。いろいろと準備に手間取ったが、改装措置は明後日、工廠にて執り行う。当日は朝十時までに工廠へ来るように――防空能力をさらに高めることになる予定だ。改装後の能力試験が楽しみだな」
提督の言葉に、摩耶は「よしっ」と小さくガッツポーズをしてみせる。その様子を見て提督は愉快そうな表情をしてみせたが、すぐに顔を引き締めて、鳥海の方を向いた。
「それから鳥海。君もこのたび改装を行うことになった」
そう言われて、鳥海は眼鏡をそっと指で押して直した。不審そうな顔をして、
「――艦としてのわたしの記憶では、改装をほどこされたおぼえがありませんが」
鳥海はそう言った。
艦娘が改装を受けるとき、艦としての記憶を手がかりにして行うと言われている。記憶を引き継いだ艦が実際に改装などを受けている場合は、艦娘も改装がしやすいのは経験則から明らかになっていることだった。
摩耶たち四姉妹が記憶を引き継いだのは、高雄型重巡洋艦である。そのうち最終的に改装を受けたのは高雄に愛宕、それから摩耶であって、鳥海は結局改装がされないまま艦としての運命を全うしている。
その自分がなぜ――鳥海の疑問はもっともなことだった。提督が高雄をちらと見やり、それを受けて高雄が真面目な顔でうなずく。そうして、高雄は鳥海に書類を一束差し出してみせた。受け取った鳥海が手早く目を通し、はっと息を呑んだ。
「改装設計図を用いて大規模改修……」
「そうだ。たしかに艦としての鳥海は改装を受けていない。だが、その武勲は確かなものだし、そもそも艦娘としての君自身も早期から前線で戦ってきたベテランだ。今回はその戦闘経験を土台にして、さらなる能力向上を図る」
提督が淡々と説明するのに、摩耶は眉をひそめて訊ねた。
「でもさ、設計図を使った改装って、かなりきついんじゃなかったか? 実際に受けた艦娘もまだ少ないっていうしさあ……」
「無論だ。まだ実例が少ないため、事例ごとの実験的措置になるのは否めない。だから、この手の改装にはかならず艦娘の承諾を俺はとっている――無論、今回もそうする。鳥海が今のままでいいと思うのなら、俺は無理に実施に移すつもりはない。なにしろ艦娘の魂に相当の負荷をかける措置になるからな」
提督はそう言い、鳥海の顔をじっと見つめた。
見つめられた鳥海は目を閉じ、しばし考えていた様子だったが、静かに目を開け、
「だいじょうぶです。改装措置を受けます」
決然とした答えに、提督が再度訊ねる。
「本当に、いいのかね」
念押しの確認に、鳥海はふっと笑んでみせた。
「驕るつもりはありませんが、艦娘としてそれなりに経験は積んできたつもりです。改装措置を受けてもくじけない心構えはちゃんと備わっていると思います」
鳥海の言葉に、提督が満足そうにうなずいた。
「そう言ってくれると助かる。君には昔から世話になったからな。こんな形でしかお返しはできないが、受け入れてくれるとありがたいよ」
「いいえ、とんでもありません」
「まあ、君の負担が最小限になるように、手配はするつもりだ――摩耶」
提督に不意に呼ばれ、摩耶は目を丸くした。
「ん、なんだい、提督?」
「君にひとつ頼みがある。君自身の改装措置は午前に行い、鳥海は同日午後に行うが――その際、鳥海の改装措置に立ち会ってもらいたい。彼女の負担ができるだけ少なくなるように力を貸してほしいのだが」
その言葉に、摩耶は眉をひそめた。
「なんだなんだ? この前のム号計画みたいに体にいっぱい電極つけるのか?」
「まあ、近いことにはなると思う。ム号ほど精神的なストレスはかからないが」
ム号計画、とは、艦娘である武蔵(むさし)建造のプロジェクトであった。その際に摩耶は武蔵に縁の深い艦娘として駆り出されたのだった。まるで人体実験されているような措置と、自身の記憶を掘り返す作業は、思い出すと少々つらい。とはいえ。
摩耶は鳥海の顔を見て、こくりとうなずいてみせた。
「いいぜ、なんたって妹のためだ。あれぐらいどうってことないさ」
摩耶の視線を受けて、鳥海がそっと目を伏せる。
その口元がうれしそうにほころんでいた。
「摩耶ちゃんも、たまにはお姉さんらしいところ見せないとね」
高雄が愉快そうにそう言うのを聞いて、摩耶は口をとがらせた。
「うっせーよ。ほっとけ」
「まあ、よろしく頼む――この件で、何か質問があれば受け付けるが」
提督がそう言うのに、摩耶はすかさず手を挙げた。
「はいはいはい――あのさ、服はやっぱり変わるんだよな、改装で」
「無論だ。生まれ変わった君たちにふさわしいものが用意されている」
「あのさ、どんな衣装を着るのか、できれば前もって教えてくんないかなあ。試着して、着心地とか見た目とか確認して、そんでもってちょっと直したりとか――」
「――だめだ」
期待に弾むような摩耶の声は、提督のそっけない言葉でさえぎられた。
「改装後の艤装と同じく、服もそれに合わせて仕立て直されている。改装措置が終わるまでは公にはできないし、試着はもちろん、それを受けての修正など認められない」
存外に提督の声は、硬く、冷たかった。
摩耶にはそれが気に食わなかった。むすりと頬をふくらませて、
「いいじゃん、服ぐらいで。そんなに堅苦しくしなくてもさ」
「だめなものはだめだ。服といえども機密に該当する」
「いーよ、わかったよ……ちぇっ、融通きかねえな」
最後は提督に聞こえないように小さく言ったが、鳥海は横目でじろりとにらんだ。
その視線を受けて、摩耶は肩をすくめてみせる。
「さて、他に質問はないかな。なければ下がってよし――ああ、高雄」
「はい」
「疲れてないか? 少し休憩をとるといい。許可する」
「いえ、わたしは――」
高雄は言いさして、提督の目線に気づくや、うなずき、
「そうですね、では、お言葉に甘えて」
そう言って、高雄はにこりと微笑みながら、摩耶と鳥海の背を押すように手を添えて、三人連れ立って執務室を後にした。
「あ、出てきた出てきた。どんなお話だったのかしら?」
執務室を出ると、ふわふわの金髪が待ち構えていた。
そのわくわくした目の輝きを見て、摩耶が眉をひそめ、鳥海が苦笑してみせる。
「愛宕姉さん、待っててくれていたんですか」
「姉貴、いつの間に待ち伏せしてたんだよ……」
「あーん、だめだめ、摩耶ちゃん。ちゃんとお姉ちゃんって呼んで」
「……鳥海は『姉さん』呼びでよくて、なんであたしは『お姉ちゃん』なんだ?」
「だってえ」
愛宕が金髪をいじりながら、困ったような目つきで見つめてくる。
「摩耶ちゃん、言葉遣い可愛くないんですもの。呼び方ぐらいは可愛くしてあげようと思って――ちょっとした姉心じゃないの」
どこか上目遣いの愛宕に、摩耶はひきっと頬をひきつらせた。
一瞬でも妥協したのが間違いだった。ぜってー姉貴呼びで通してやる。
「はいはい。愛宕ちゃん、いじけない。摩耶ちゃん、怖い顔しない」
高雄がぽんぽんと手を叩きながら、言う。
「それから――だめよ、摩耶ちゃん。提督がおっしゃるように艦娘の服はたしかに機密事項なんだから、あまりわがまま言っちゃ」
「だってさあ、たかが服じゃねえか」
「たかが服、なら、文句言うんじゃありません」
「されど服なんだよ――あたしらの要望を入れてもらってもいいじゃねえか」
口をとがらせて言う摩耶に、高雄は少し困った顔をしながら、声をひそめて言った。
「ここだけの話だけど――服に関する機密は提督でもどうすることもできないの。大本営からの機密指定なのよ。艦娘が着用すれば機密は解除だけれど、それまでは艤装と同じ扱いになるのよ」
思ったより重い話に、摩耶はげっと声をあげて、自分の服をつまんだ。
「あたしらの服って、そんなに大ごとな話だったのか?」
その言葉に、鳥海が眼鏡の端を持ちながら、摩耶の衣装をまじまじと見つめて言う。
「あくまでも推測ですが――艦娘の服はどんな環境下でも耐えられますし、それにこれさえ着てれば大概の悪天候は切り抜けられます。デザイン的にどうこう、ではなくて、機能的に色々と盛り込まれているのではないでしょうか」
「でも、摩耶ちゃんはデザイン的なところが気になるみたいね」
高雄がふっと目を細めて言うのに、愛宕が首をかしげて訊ねてくる。
「あらら、摩耶ちゃん。いまの衣装、不満があるの? 着飽きちゃったとか?」
「別にそういうわけじゃないけどさ――普通、姉妹艦ってのはお揃いの衣装じゃん」
そう言って、摩耶は、自分と鳥海の服を、次いで、高雄と愛宕の服を見た。
摩耶と鳥海はお揃いだ。セーラー服をモチーフにした軽快な青と白の衣装。
だが、高雄と愛宕は、摩耶たちの衣装とは異なる。青を基調にした、露出の少ない、いわばより軍服らしい衣装である。
「同じ高雄型なのに服が違うってさ、なんていうか変な感じっていうか、前々から疑問だったっていうか、なんていうか……」
ぶつぶつと言う摩耶を見て、高雄と愛宕が顔を見合わせた。
次いで、そろって片頬に手をあて、笑みを浮かべて声までそろえて、
「「あら、まあ、摩耶ちゃん可愛い」」
ハモって発せられた言葉に、途端に摩耶の顔が赤くなる。
「な、なんだよ、なんでそうなるんだよ」
「姉冥利につきるわねえ。妹が姉と同じ格好したいだなんて」
「摩耶ちゃん……さみしかったのね。お姉ちゃんたちと同じ服じゃなくて」
「ち、ちげーし! ただ、変だと思っただけで!」
「姉さん、あきらめましょう。わたしにもそういうふうにしか聞こえませんでした」
「鳥海! おまえまでそういうことにしたいのかよ」
わたわたする摩耶の肩に高雄をぽんと手を乗せ、愛宕が摩耶の手をきゅっと握る。
「それなら摩耶ちゃん」
「試しにお姉ちゃんたちの服着てみる?」
にこにこしながら言われた提案に、摩耶は目を白黒させた。
「それじゃ、外で楽しみに待ってるから、着替えたら声をかけてね」
うきうきした声で高雄がそう言い置いて、ぱたんと扉を閉めた。
部屋に残された摩耶は、はあーっと深く息をつき、目の前のテーブルを見つめた。
折りたたまれた青の衣装。高雄のものだ。
「どうしてこうなった……」
摩耶は頭を抱えた。あの後は、あれよあれよの出来事だった。高雄が服を取ってくる間に、愛宕が摩耶の手をぐいぐい引っ張って、鎮守府内の空き部屋のひとつに連れ込んだのだ。鳥海はそそくさと逃げ出そうとしたが、愛宕が満面の笑みを向けて見せると、ため息まじりに後をついてきた。抜け出したらただではすまないと覚悟を決めたのだろう――
(すまねえ、鳥海。うらまないでくれ)
隣の部屋で――あっちは愛宕の衣装を押し付けられているであろう妹に向けて、摩耶は心の中でわびた。
大きく深呼吸して、目の前の服を見つめる。
なんてことはない。ちょっと着替えるだけだ。
高雄の衣装は、自分たちのものより露出は少ないし、奇天烈なデザインでもない。
着て恥ずかしいことはないはずだ、うん。
自分にそう言い聞かせて、摩耶が意を決して服を手にとったとき。
はらり、と黒い布きれが、服の隙間からこぼれて床に舞い落ちた。
それをつまみあげた摩耶は、両手で広げてみて、ひきっと顔をひきつらせた。
「おい、ちょっと姉貴!」
たまらず大きな声があがってしまった。
『なあに、摩耶ちゃん?』
扉は閉めたまま、それごしに高雄が返事をかえしてくる。
摩耶は、その布切れを手にとったまま、叫んだ。
「なんで下着まであるんだよ!」
『ちゃんと全部着替えるのよ? 下着はおしゃれの基本なんだから』
事もなげに言った高雄の言葉に、摩耶は眉をぴくぴくさせた。
「マジかよ……これ履くのかよ」
摩耶は手にとったそれをひっくり返してみた。
黒を基調に紫を配したパンティだ。ヒップは繊細なレース使いになっていて、履くとお尻がすけるのではないだろうか。それに、フロントの生地は隠す程度にしか布がなく、フロントとヒップは二重の紐でつながれている。
結構、セクシーでフェミニンな一品である。能天気な愛宕に比べると、まだ高雄は真面目という印象なのだが、あの着こんだ服の奥でこんなものを身につけていたのか。
『摩耶ちゃん、ひとついいこと教えてあげる』
扉の向こうから高雄が声をかけてくる。
『服装は規則で決められているけど、下着は艦娘が自由に選べるのよ? 結構、隠れた常識だったんだけど、もしかして知らなかった?』
衝撃の事実に、摩耶は目を丸くした。
「マジかよ……」
いや、だからと言ってこんなレース使いのものを履きたいとは思わないが。
下着はシンプルな方がいい。摩耶自身の好みからするとそうだ。
いっそ、元の自分の下着をつけておいて、こちらの黒いのは隠しておこうかと思ったが――なにせ、高雄は秘書官を務めるほどだ。注意力は並大抵ではないし、抜け目もないだろう。ごまかしたりしたら笑顔のまま服をひんむいて下着を身につけさせかねない。愛宕に比べれば高雄はそれほど奇矯な性格はしていないが、それでも強引さは五十歩百歩だ。なにせ愛宕の姉なのだから。
大きくため息をつき、摩耶は服を脱ぎ始めた。
セーラー服のボタンをはずして脱ぎ、スカートのホックをはずして床に落とす。
向かいの鏡に自分の姿が映る。
下着に手をつけた自分の顔は、やや頬を染めながら、困ったような表情をしていた。
(なんだよ、そんな顔すんなよ。情けねえな)
鏡の中の自分に向かってそう悪態をつき、摩耶は一糸まとわぬ姿になった。
改めて、あの黒いレースのパンティを手に取り、意を決して足を通そうとした矢先。
『あ、そうそう、言い忘れていたけど』
高雄の声。実は覗いているんじゃないかというタイミングだった。
『ちゃんとガーターベルトとストッキングを着けてからパンティを履くのよ?』
言われた手順を想像した摩耶は、たちまち頭のてっぺんまで湯だった。
「――それ、なんのこだわりだよ!」
『あら、そうしないと用を足すときに不便でしょう?』
当たり前だと言ってのける高雄の言葉に、摩耶は絶句した。
自分を取り戻すのに数秒を要して、摩耶はガーターベルトをとった。これも揃いなのだろう、黒いレース使いに紫の色合いを配している。
どっちが前か後ろか迷ったが、おそらくこうだろうと思い、腰にまきつける。
ホックを止めると、きゅっとかすかに腰を締め付ける感触があった。
「あんっ……」
慣れない感覚に思わず声をあげてしまい――それが自分でも思いもよらないほど、甘い声だったので、たまらず摩耶は口を押さえた。
(落ち着け、落ち着け、あたし。こんな小さな声、聞こえるはずがない)
そう言い聞かせて、摩耶はストッキングを手にとった。
ストッキングは履いたことがなくはないが、普段の衣装だとソックスだ。
足を通していくと、慣れない感触が、すねに、ふくらはぎに、ふとももに、ぴったりと密着してくる。さわさわとした感覚がはだをくすぐるようで、落ち着かない。
どうにか両脚ともにストッキングを履き、ガーターベルトで留める。
ついっとストッキングが吊られる感覚に、背中が思わずぞわっとした。
「…………」
ちらっとだけ鏡をみる。
白い裸身に、黒いガーターベルトとストッキングだけ。。
そのあまりにもあんまりな姿に、摩耶は顔を赤くして、慌てて目を背けた。
改めてパンティを手に取り、足を通してひっぱりあげる。
体型が似ているせいか、高雄のものなのに、意外としっくりする。
それでも本来は他人の下着だと思うと、気恥ずかしい思いが消えるわけではない。
次いで、ブラを取り――これも黒いレース使いが細やかな品だ――身につける。
カップが合うかが気になったが、乳房を収めるとぴったりだった。
高雄も愛宕もスタイルが良いことで有名である。出るべきところは豊かに出て、ひっこむところはちゃんと引き締まっている。駆逐艦たちが「さすがは重巡洋艦だ」と揃って賞賛するぐらいなのである。まあ、どこが「重」なのかはさておくとして。
摩耶も二人に及ばないまでも、それなりに体型には自身がある。おなかに「バルジ」がついてしまいそうになるのがいつも気がかりだが、それとて目立つものではない。
ブラまで着けてから、摩耶は大きく息をついた。
下着だけなのに、というか、下着だからというべきか。ずいぶん大仕事な気がする。
改めて、摩耶は鏡を見てみた。
健康的な白い肌に、黒い下着は良く映えた。
レースから透ける肌が少々恥ずかしいが、こうしてみるとなかなか格好いい。
「へえ……」
ちょっと感心してしまい、慌てて摩耶はかぶりを振った。
(いやいや、お試しだから。あたしの趣味じゃないから)
そう言い聞かせて、摩耶は白いブラウスを手にとった。
しゅるりと袖を通して下着を隠すと、ほっと安堵するのを感じた。
それでもブラウスは白くて薄いから、下着の黒が透けて見える。
それを鏡で確認して、うらめしそうに摩耶は自分の姿をにらみつけると、今度はスカートを手にとった。青いタイトミニなのだが、前にも後ろにも二本のスリットがずいぶん深く入っている。高雄が身につけているときはさほど気にも留めなかったが、いざ自分が履くとなると、これはスカートの機能を果たせるのかと疑問に思える。
タイトミニに足を通し、ホックを留め、ジッパーを引き上げる。
スカートが、きゅっと腰をしめるようだった。
次いで、ブラウスの襟にスカーフを巻きつける。
そして、ようやく上着だ。長袖の上着は着慣れない。袖を通すとそこそこの重みを感じた。前のボタンを留めると、ブラウスは襟元以外は完全に隠れる。
最後に、青いベレー帽を頭にかぶった。
「――できた」
そうひとりごちると、摩耶は鏡で自分の姿を確認した。
高雄が着ている服を自分が着ている。
その奇妙な光景は、違和感があるようで、それでいて不思議としっくりともくる。
ただ――どうにもこそばゆいこの感覚はどこから来るものか。
『摩耶ちゃん、どう?』
高雄の声が扉越しに聞こえた。摩耶はひとつ深呼吸して答えた。
「ああ、うん。着替えたぜ」
そう答えるや、すぐに扉が開いて、高雄が入ってくる。
「あらまあ」
摩耶の姿を見て、高雄がうれしそうな声をあげた。
まじまじと見つめてくる姉の視線に、摩耶は思わず身じろぎした。
足の先から頭のてっぺんまで。高雄の視線はなんども往復したが、
「うん。よく似合ってるわ、と言って差し上げますわ」
そう言って、実にうれしそうに、にっこりと笑んでみせた。
「そ、そうかな……」
摩耶はもじもじとしながら、鏡を見つめた。
軽快で動きやすい普段の衣装に比べると、高雄のそれは、下着から上着まで、幾重にも身体を締め付けてくるようだった。慣れない感覚に、どうにも落ち着かない。
なにより、ストッキングが妙にこそばゆいのだ。脚がこすれるたびに、さわさわした感覚が肌に伝わり、くすぐったい。しかも脚を動かすたびに、タイトミニのスリットから垣間見えるガーターベルトの黒い線がちらちらと動くのだ。
露出度で言うなら、摩耶の普段の衣装の方がずっと素肌の部分は多いだろう。
それでも――高雄のこの衣装は、真面目なように見えて、実はすごく恥ずかしいのではなかろうか。摩耶としてはそう思わずにはいられない。
「うふふ、お揃いね」
背中に回った高雄がそう言い、摩耶の両肩にぽんと手を置いた。
摩耶は頬を染めながら、応えた。
「あ、あたしだって、ちゃんと着こなせるだろ? ただ、まあ……ちょっと堅苦しすぎるかなあ。あたし的には、もうちょっと、こう――」
「――はいはい、それじゃお披露目しましょうか」
言いかけた自分の言葉に、高雄がさらりとかぶせてくる。
えっ、と摩耶が問い返す隙も与えずに、高雄が背中をぐいぐいと押して、摩耶を部屋の外へと連れて行った。
「うわあ、すごい」
「摩耶さん、よくお似合いです」
「かっこいい……」
「高雄とはまた違った雰囲気があるな」
摩耶を見た艦娘たちが口々に歓声をあげる。
部屋の外には、いつの間に集まったのか、二十人ほどの艦娘たちが待ち構えていた。駆逐艦が目に付くが、重巡や戦艦までいるようである。
「ちょ、なんだよ、なんだよ、これ!」
慌てて摩耶が顔を真っ赤にしながら問うと、高雄がくすくす笑いながら、
「服を抱えて走っていたら、どうしたんだって道々聞かれちゃって」
「教えたのかよ!」
「みんな、こんなもの滅多に見れない、って」
高雄の答えが悪魔的に摩耶の耳に響く。たまらず摩耶は声をあげた。
「見世物じゃねえよ!」
その悲鳴に、ギャラリーの艦娘たちからは、
「いいじゃない、減るものじゃないし」
「むしろ見てもらうことで魅力が増すよね」
言いたい放題のさえずりに摩耶が頭を抱えていると。
「ぱんぱかぱーん。こちらも仕上がったわよ」
底抜けに明るい愛宕の声がして、艦娘たちの視線が一斉にそちらを向く。
愛宕の手に引かれて、鳥海がおずおずと歩いてくる。着ているのは愛宕の衣装だ。
愛宕の服は上半身は高雄と同じだが、腰から下はコートのように裾の長い、それでいて前が大きく開いたスカートになっている。ストッキングを履き、そして下着が見えないように前には黒く薄い竹の短い布が幾重にもあるが――それでも、やはり恥ずかしいのだろう、鳥海は薄布を手で押さえている。
鳥海の姿を見た艦娘たちからは、またもや歓声があがった。
「はい、ならんでならんで」
愛宕がそう言い、摩耶の隣に鳥海を立たせた。
愛宕の姿をした鳥海は新鮮でもあり、そしてよく似合ってもいた。
困惑気味のその目を見て、摩耶は苦笑いをしてみせた。それを受けて、鳥海も恥ずかしそうにそっと笑みをこぼす。お互い、落ち着かないのは同じらしい。
「はい、写真です! 写真を撮りましょう!」
鎮守府の新聞記者を自称する重巡洋艦の青葉(あおば)が声をはずませてカメラを持ち出してくる。
「こんな二人の姿、めったに見られるものじゃありません。記念にどうですか」
その言葉に、摩耶は胡乱な視線を向けた。
「本当に記念だけなのか?」
「そりゃあ……こんなネタ、記事にしなきゃもったいないじゃないですか」
「だめだだめだ。こんなの鎮守府中に配られるなんてぞっとしねえ」
摩耶が眉をしかめてみせると、高雄が横から、
「あら、いいじゃないの。みんな喜ぶと思うわ」
「あたしは別に喜ばすために着たわけじゃあ……」
「まあ、そう言わずに」
「――あきらめましょう、姉さん」
悟ったような鳥海の声に、摩耶が思わず天井を仰いだとき。
「――何の騒ぎだ?」
歓声の中を、凛とした声が貫いた。
一瞬で、その場の喧騒が静まり、艦娘たちがそろりそろりと脇に下がる。
ゆっくりと歩いてきたのは、艦娘たちのまとめ役、艦隊総旗艦の――
「あっ、お疲れ様です、長門さん」
青葉が軽い調子で挨拶してみせるのをじろりとにらみながら、
「何の騒ぎかと聞いている」
そう訊ねつつ、長門の目が摩耶と鳥海に向けられる。
射すくめられるような眼差しに、摩耶は思わず肩をすくめた。
「……なにかと思ったら。艦娘は自分の服が定められているだろう。試しに着せてみたい気持ちはわからないでもないが、規則は規則だ」
ぴしゃりと言ってみせる長門の言葉に、その場の艦娘たちが黙りこくる。
摩耶は、高雄と愛宕の顔をちらと見た。申し訳なさそうな表情を見てとった途端――自分の心がめらと燃え立つのを、摩耶は感じた。
「姉貴たちは悪くねえ。ただ、あたしがちょっとわがまま言っただけさ」
両の拳をきゅっと握り締め、摩耶はあえて長門に言い放った。
「いいじゃねえか、たかが服なんだ――艦娘の服が決められているからって、規則だからって、たまには違うもの試してみるぐらい! それとも、服がそんなに大切なのか」
「ああ、そうだ。大切なものだ」
摩耶の問いかけを、長門は真正面から受け止めて、小揺るぎもしない。
「艦娘にとって、自分の衣装は、制服であり、戦装束であり、晴れ着であり――そして、万が一のときは死に装束だ。だからこそ、職人がひとつひとつ丁寧に仕立てている。なぜ艦娘の衣装が姉妹艦では似ているとはいえ、それぞれで異なっているかわかるか?」
長門は、摩耶を、そして、その場の艦娘たちを見回しながら、言った。
「艦娘それぞれは他に代えられない存在、十把ひとからげの存在ではないことを、目に見えて示すためだ。服は艦娘にとって欠けることのできない要素で、それは決して出来合いのお仕着せではなく――艦娘それぞれを表す重要なものなのだ」
長門は摩耶の目をひたと見据えた。その眼差しの強さに、摩耶は、彼女が艦隊総旗艦と呼ばれるゆえんを見たような気がした。
「だから、たかが服などと言うな。分かったか?」
摩耶は、こくりとうなずいてみせた。
それを確認して、長門がふっと目元をやわらげてみせた。
「そうそう、改装後の摩耶たちの衣装だがな。きっと気に入るぞ――いま着ている高雄たちの衣装もたしかに似合っているが、新しい衣装の方が百倍は似合っていて、お前たちらしい仕上がりだ」
その言葉に、摩耶たちはじめ、艦娘たちがそろって目を丸くした。
「長門さん――あたしたちの新しい衣装を知ってるのか?」
「ああ、一足先に見せてもらった」
「ど、どんなのなんだ?」
摩耶は目をきらきらさせながら訊ねた。
そんな摩耶の顔を見て、長門はにやりと笑うと、
「まだ、機密事項だ」
「そんなあ」
摩耶ががくりと肩を落とすのを、鳥海がそっと手を置く。
長門は艦娘たちを見回しながら、言った。
「摩耶たちの改装は明後日の予定だ。夕方には仕上がる。どうだろう、夕食に二人のお祝いと新衣装のお披露目をかねて、パーティというのは!」
その提案に、艦娘たちがそろって顔を見合わせて、次の瞬間、大きく歓声をあげた。
「いいですね、それ!」
「楽しみだなあ!」
「記事にしていいですか?」
「ご、ごちそう出るんでしょうか?」
「無論だ。わたしから提督にかけあおう」
長門の言葉に、歓声がまた一段と大きくなる。
艦娘たちを見回して、長門が摩耶と鳥海に目を向ける。
その目に愉快そうな光があるのを見てとって、摩耶は親指を立ててみせた。
長門は――われらが艦隊総旗艦は、ふっと口の端で笑むと、きびすを返してその場から去っていった。
「とんでもないことになっちまったな」
「わたしの計算とは随分違ってしまいました」
「すまねえな。なんか巻き込んじゃって」
「いえ、これはこれで楽しいですし――それに」
「それに?」
「改装も楽しみになってきました。どんな服になるのか」
「やっぱり――気になるだろ?」
「姉さんの考えがわたしにも伝染っちゃったかしら」
摩耶と鳥海は顔を見合わせ、くすりと微笑んだ。
艦娘の歓声が聞こえなくなってから、長門はふうと大きく息をついた。
摩耶たちに語ったことは、本当のことだ。嘘はついていない。
だが、「本当のすべて」ではないのも確かなのだ。
鋼の艤装は、戦うためだけのものではない。
独特の衣装は、その身を飾るためだけのものではない。
心に宿した艦の記憶は、戦訓として活かして支えるためだけのものではない。
それは、艦娘が艦娘としてあり続けるために必要なもの。
あるいはそれはくびきであり、手綱なのだ。
人類という種が、艦娘を繋ぎ止めるために課した枷とさえ言える。
「服を――単に服だと思えるのは幸せなことだ」
無邪気に喜んでいた艦娘たちを思い出しながら、長門はそうつぶやいた。
その顔は凪のように静かで、わずかな乱れもない。
煩悶なら、とうに乗り越えている。
あの人から、すべてを告げられた、あの時に。
工廠は壁も床も天井も真っ白でのっぺりしている。
その中にいると空間感覚を見失いそうだが、摩耶は動揺などしていなかった。
ただ、ベッドに横たわる鳥海の寝顔を、椅子に腰かけ、じっと見つめていた。
改装当日。先に措置を終えた摩耶は、鳥海の改装に立ち会い、いまはこうして彼女が目覚めるのを待っていた。改装には負担が伴う。艦娘には麻酔を施すのが常であった。
握っていた鳥海の手が、ぴくりと動いた。
顔の表情にさざなみが立ち、その閉じた目がかすかに震える。
「鳥海――起きたか?」
摩耶の言葉に、鳥海が、そっとまぶたを開けた。
何度か目をしばたたかせ、傍らの摩耶を見る。
「うん――おはよう、ございます」
そう鳥海は言うと、上半身を起こして、摩耶の姿をまじまじと見つめた。
「新しい衣装、それなんですね」
「ああ、うん。どうかな」
摩耶は立ち上がって、その場でくるりと回って見せた。
前の衣装の面影を残しつつ、デザインを大幅に変えたその服は、軽快さを失うことはない。それでいて――
「襟元が、ちょっと高雄姉さんたちに似てますね」
鳥海の言葉に、摩耶はうれしそうに笑みを浮かべた。
「そうなんだよ。これ見たら、姉貴たちどんな顔すっかな」
「きっと、喜ぶと思いますよ」
「そっか。そうだよな――ああ、そうだ。こっちが、鳥海のぶん」
摩耶はそう言うと、畳んであった衣装を手に取り、鳥海に手渡した。
「左右がちょっと違うけど、あたしとお揃いなんだぜ」
「うれしそうですね。摩耶姉さん」
鳥海がふっと目を細めるのに、摩耶が照れくさそうに頬をかいた。
「ほら、前もお揃いだったじゃん? やっぱり、新しい衣装もそうだといいなと思って――そんでもって、ちゃんと、そうなったからさ」
「気に入りましたか?」
「お前とお揃いで、しかもこんなに格好良いのに、文句いっちゃバチが当たらあ」
摩耶はそう言うと、鳥海の前でポーズをとって、ウィンクしてみせた。
それを見て、鳥海がぷっと吹き出し、やがてくすくすと笑い出した。
釣られて摩耶も笑い出す。
工廠の部屋に、二人の嬉しそうな笑い声が満ちていった。
〔了〕
説明 | ||
もわもわして書いた。やっぱり反省していない。 というわけで艦これファンジンSS vol.29をお届けします。 これで3月はウィークリー投稿達成ですね。やりました。 さて、改二が来たので摩耶を主人公に、高雄型姉妹のやりとりを書こうと思いたち、 このところシリアスな戦闘回が続いていたので日常回が書きたいと考えてプロットを切りました。 ネタとしては、前にとあるイラストで見た摩耶と鳥海をベースにふくらませましたが、 途中のあのシーンは完全に趣味です。だいじょうぶ、R-15かもしれないけどR-18ではないはず。 一番悩んだのはタイトルでしたが、終盤の長門の独白から考えて、この題名にしました。 いやー、あのアニメはなかなかに面白かったです、ハイ。 最後に、お約束の文言として、 「うちの鎮守府」シリーズは、どのエピソードから読んでも お楽しみいただけるように、気を使っております。 vol.29ではありますが、本作から読んでもらってもだいじょうぶですし、 また気になったら他のエピソードもつまみ食いして頂けると作者冥利に尽きます。 それでは皆様、ご笑覧くださいませ。 |
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