ほんわさんとじぶんらしさ |
ある秋の日のことです。
ほんわさんがアイスクリームを買おうとコンビニに行くと、なんだかとても元気のなさそうな、それなのにスーツはやたらぱりっとした若者がいました。
「また、お祈りされた……」
ほんわさんが季節外れのアイスを食べている横で、若者がつぶやきます。ほんわさんはお祈りされるというのはなんだかとても慈悲深いように思いましたが、それはほんわさんが世間知らずなだけです。やさしい若者は、そんなほんわさんに自分が就職活動をしていること、そしてお祈りというのはその活動が失敗した証であるという、社会のとんだゆがみを教えてくれました。
「もう、まわりで内定がないのはぼくだけなんですよ」
季節はもう十一月です。ほんわさんにはピンときていないようですが、なるほどさすがに内定がないことに心がみだれる季節なのかもしれません。冬も間近にせまる十一月の秋風は、彼の春物のリクルートスーツにはさぞかし染みることでしょう。
「なにがいけないんだろうなあ、ぼく」
そんなことを言われても、ほんわさんにはわかりません。ほんわさんは絵を描くのがお仕事のイラストレーターですし、そもそも人間じゃないですし。
「明日も面接があるんです。それがダメだったら、もうタマがなくなります」
タマってなんだとほんわさんは思います。就職活動はどうにも業界用語が多すぎるとほんわさんは眉をひそめましたが、目の前のかわいそうな若者をはげます意味と、興味半分で明日の面接についていくことにしました。
よくじつ。
若者は、とある会社の廊下に緊張の面持ちで座っています。
「御社ノ企業理念ニ共感シテ、ココデ自分ヲ生カシ、社会ニ貢献スルコトガデキタラコレ以上ノ幸セハナイト想イ……御社ガ第一志望デ……」
若者が焦点の定まらない瞳で、怪しげな念仏をつぶやいています。ほんわさんには何を言ってるのかさっぱりわかりません。でも、きっと彼も自分が何を呟いているのかはよくわかっていないのでしょうね。
「次の方、どうぞ」
「は、はい!」
ついに若者の面接の順番です。若者の緊張はここにきてピークです。面接のことなどよくわからないほんわさんですが、彼の状態があんまりよろしくないことだけはわかりました。
けれど、さすがに今まであまたの面接を落とされ続けていただけあってか、若者は意外にも面接
官の質問にはすらすらと答えていきます。
「正直なところ、きみは結構面接慣れしているみたいだけど、それなりに数はこなしてきたのかな?」
そんな若者に、面接官のするどい一撃がくりだされます。就活生の心を容赦なくえぐる、社会からの洗礼です。
「いやあ、はい、そうですね。なかなか、内定が取れなくて……本当に、面接ばっかりうまくなってしまって」
しかし、若者もふんばります。そんな若者のよこで、下手な嘘をつかないところが正直でよろしいと、何故かほんわさんは上から目線でうなずいています。
「大変でしょうねえ。今の若い子達は」
面接の雰囲気はなかなかグッドです。面接官も、いじわるな感じではありません。ここまではとっても順調かもしれません。若者もすこしは手応えを感じているのか、なかなかにリラックスした感じです。
「じゃあ、そうだね。きみは、自分の強みってなんだと思う?」
しかし、面接のしゅうばん。
面接官は、いきなりそんな難しい質問をなげかけてきました。
「わかりやすくじぶんらしさ≠ナも構わないけど」
「…………じぶんらしさ、ですか?」
若者が、ここで固まりました。
さっきまでそれなりにスムーズに回っていたはずの舌が、まるで凍りついてしまったかのように動きません。
そのまま、どのくらいの時間が流れたでしょうか。
五秒くらいだったかもしれませんし、十秒くらいだったかもしれません。
でも、
「じぶん、らしさ」
若者は、ついに答えられませんでした。
その場を取りつくろうような言葉も、うまいこと受け流すような台詞も、なんにも出てきませんでした。
「まあ、難しい質問でしたね。あまり気にしないように」
「あ、す、すみません。その……すみません……」
結局、それで面接はおしまいでした。
最後には面接官にまで気をつかわれてしまいました。
会社を出るとき、若者はがっくりと肩を落として、ちょっとだけ泣いているようでした。スーツは今日もぱりっとしているのに、心の中はもうよれよれのようです。
「――なんだよ、じぶんらしさって」
面接の帰り、駅を行き交う人達を見つめながら、ちょっとだけ若者がカッコ付けながら言います。気分は悲劇のヒーローです。
「そんなもの、本当にみんな持ってるのかな?」
さあ、どうでしょう? それはとってもむずかしい質問ですね。
「ほんわさんは、持ってるの?」
訊かれたほんわさんも、悩みます。
ほんわさんはイラストレーターですから、若者よりはそういうものをもっているのかもしれません。悩みごとなんてなんにもなさそうなのんきな顔をしていますが、ほんわさんだって仕事のことでうんうんと悩んだりもします。イラストレーターの世界というのは、なるほどなかなか大変ですね。
でも、たぶんそれはイラストレーターに限った話ではないのです。
ほとんどの大人は、みんな厳しい世界で戦っているのです。
ほんわさんはゲームがだいすきですが、現実よりも難しいゲームは今のところ知りません。
【たたかう】のコマンドは山ほどあるけれど【まほう】や【アイテム】のコマンドはありません。【にげる】のコマンドもなくはないですが、使えない場合がほとんどです。
攻略本なんてありません。本屋にいけば攻略本みたいなものが山ほどありますけど、だいたい書いてることは嘘っぱちです。
「クリアできる気がしないなあ」
そんな話を聞いて、若者がさらにしょんぼりしてしまいます。ほんわさんのもふもふ感をもってしても、元気にならないくらいしょんぼりです。
そんななやめる若者に、ほんわさんは何が言えるでしょうか?
その小さな頭でいっしょうけんめい悩んだ末に、ほんわさんはこう言いました。
「むずかしいけど、ゲームオーバーにはあんまりならない……」
若者、ぽかーんです。
ほんわさんも、慣れないことを言うものじゃないですね。大人しくいつものように、お腹すいたとか、もふもふとか、そんなことを言ってればよかったのに。
でも、
「あっはっはっ!」
ほんわさんの言葉が正しい答えなのかは、わかりません。誰もわかりません。
でも、若者は笑いました。それはそれは大きな声で。
「そりゃまあ、そうなのかもしれないけどさあ?」
若者はよほどおかしかったのか、まだくすくす笑っています。
ほんわさんの助言に救われたというわけではないでしょうけど、すこしは元気が出たのかもしれませんね?
「ありがとう、ほんわさん。もう少しだけ、がんばってみるよ」
まだ面接の結果は出てないのに、若者はもう落ちたつもりでいるようです。まあそのくらいの気持ちでいたほうが、色々とうまくいくかもしれませんね。
「じゃあまたね、ほんわさん!」
若者は、最後にはちゃんと笑顔になって、背筋をのばして、人ごみの中に消えていきました。どうやら、ほんわさんも少しは役に立ったみたいです。
若者とさよならしたあと、ほんわさんは何やら難しい顔をしながらコンビニでおしるこを買っています。やっぱり今日もアイスにすべきだったかと後悔しているわけではないようです。どうやら若者に触発されて、じぶんらしさについて、自分らしい絵について、ちょっと真面目に考えているようです。
その答えは、やっぱり誰もわかりません。
でも、だからこそきっと絵を描くのはこんなにも楽しいのだと、ほんわさんは熱々のおしるこをすすりながらそんな結論を出して、今日もゲームで遊ぶのでした。
おわり
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著者:八重野統摩さん | ||
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