一杯の水・ライジング
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ミーンミンミン

 

 蝉の声がうるさい。

 いけない!

 集中力を乱すな!

 俺、釶打山(なたうちやま) 茂は高校2年生!

 夏休みが何時までもあると思うな!

 今年こそ最初で宿題を終わらせるんだ!

 毎年の夏休み後半を思い出せ!

 目の前にあるのは、科学の教科書、辞典代わりのスマホ、ノート、シャーペンと消しゴム、それを収める筆箱だけだ。

 そして、その向こうには何より大切な物がある。

 それは、安全保障にかかわる重大なものだ。

 誰にも奪われるわけにはいかない!!

 これだけに集中するんだ!!

 

カチャカチャ

「ハハハ」「ホホホ」

 

 食器のこすれる音、笑い声もある。

 それも、満員御礼だ。

 夏休みシーズンだから、子供が多いファミレスはもっと騒がしいと思い、ちょっと大人向けの喫茶店で勉強することにしたんだ。

 だが、うかつだった。

 ちょうど窓際の席にいたから、外を見てみる。

 この街は市町村合併の前から市だったから、それなり多くの店がひしめく商店街がある。

 駐車場にはバイクと車がすずなりだった。

 この辺りは自然が多いことで有名だから、長期の休みになるとツーリング客が道路を埋める。

 店を今埋めるのは、そんな遠くの地方までわざわざやって来る元気のある、ありすぎる、たぶん大学生ぐらいの若者たちだ。

 まったく、迷惑なくらい!!!

 

 いや、ここはお店だ。

 人がいることは、いいことなんだ。

 出るのは、この紅茶を飲んでからにしよう。

 

カランカラン

 

 入口のドアを開けるとなる、鈴の音。

「こんにちは」

「いらっしゃい」

「今日も暑いね」

 客と店主の声もうるさい。

 いやいや、あの程度のあいさつは、当然のことだ。

「今日は仕事じゃないはずだけど、どうして? 」

 初老の男性店長の声。

「たまには、店長のコーヒーをじっくり飲みたくてね。あ、ケーキセットと一緒にね」

 ん? 仕事?

 俺が振り向いた先にいるのは、我が高校の同級生、鷲矢 武志だ。

 そう言えばあいつ、アルバイトでピアノを弾いてるって言ってたな。

 視線を店の奥に。

 そこには黒光りするグランドピアノが。

 共にある楽器も豊富だ。ドラムや何本ものギター、キーボード、トランペット。

 壁一面を飾るのは、古いレコードたち。

 今流れている曲も、たぶんそのうちの一枚だろう。

 ここの店は、ジャズ喫茶で有名なんだ。

 いつか生演奏で聞いてみたいな……。

 いかん! いかん!

 

「あ、茂じゃないか。元気だったか? 」

 武志が話しかけてきた。

 肉のついていない細身の体に、地味な顔。それにメガネ。

 見るからにひ弱そうな男だが、騙されてはいけない。

 ……まあ、今日は気にすることはないだろう。

「あんまり〜」

 そう言いながら、俺は重要物を見つめ続ける。

 今の俺は集中しなければ。

 と思ったら、武志の奴はとんでもないことをしやがった!

 

「ああ、水おいしそう。もらうね」

 そう言って重要物の入ったコップに手を伸ばした。

 そこに入ってるのは、一杯の水。

 それを事もあろうに、つかみあげた!

「あー! せっかく集中してたのに! 」

 武志はぎょっとして手を止めた。

「ど、どうしたんだ。いったい? 」

 このうかつ者に俺は、怒りをしばしおさえて説明してやることにした。

 オレはコップの中に右手を入れた。

 そして、水を上にはね上げる。

 水は武志の顔にかかるわけではなく、ゴムのように空中で弧を描いて飛んだ。

 そしてすべての水は、俺の掌にボヨボヨした塊となってまとまった。

「俺の細胞を極限まで濃くして混ぜてあるんだ。飲むとおなか壊すぞ」

 俺は水を操る異能力者なんだ。

 俺の細胞は水を取り込むとアメーバのように変化し、動かしたい方向へ細胞をどこまでものばしていける。

 自分で触れている間は自在に動かせるけど、体から離れても10秒程度なら決められた動きをさせることもできる。

 後、細胞から鞭毛をのばせば空中の熱を出し入れすることで、蒸発させたり氷にすることもできるぞ。

「今年の自由研究は、コップ一杯の水をどうやって有効利用するかにした―」

 

 この説明は、突然上がった客の叫びによって断ち切られた。

「あっ! すげー! 異能力者だ! 」

 その叫びを聞くと、他の人たちも立ち上がった。

「えっ? どこ!? 」

「あ! あそこ!! 」

 たちまち、お客が立ち上がり、俺のまわりに人だかりができた。

 お、おれはとりあえず、水を紐状にして、ぐるぐるまわしてみる。

「おお〜」

 感嘆の声が重なり、カメラが次々に向けられた。

「ちょっと! 写真を撮るなら許可を取ってからにしなさいよ! 」

 人だかりの向こうから声がした。

 それに対する答えは。

「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」「写真、撮っていいですか? 」

 とてつもない、うるささだ。

「い、いいですよ」

 スマホよりも本格的なカメラが多いな……。

「エクスティンクションだ! あんたエクスティンクションだろ!? 」

 客の男に気付かれた。

「え、ええ、そうですけど」

 どうやら、ここにいたのは全員異能力者オタクだったらしい。

「エクスティンクションさんて、何をしてるんですか? 」

 他の客から、よくある質問。

「か、火事の時の消火。主に人命救助のお手伝いです」

 エクスティンクションは英語での消火でしょ。とは言わなかった。

 しかしやばい、俺はじろじろ見られるのが苦手なんだ。

 あの何もかも見透かしてやろうという視線で見つめられると、親でもないのになんでそんなことするんだ! という怒りがわいてくる……。

 が、思ったより視線が少ないな。

「……何してるんですか? 」

 人だかりの何人かは、俺ではなくスマホを見ている。

「え? 」

 目の前でスマホをいじっていた女性は、「あっ」そう言って自分が質問されたことに気付いた。

「あの、WIKIであなたのことを検索していました」

 本人が目の前にいるのに、することか?

 迷惑をかけたくないなら、道を開けるぐらいするべきじゃないのか!?

 もう、こんな所にいたくない!

 俺は、文房具たちをカバンに放り込む。

 超濃度細胞水は、まとまってるなら濡れる心配はない。

 ポケットに突っ込んだ。

 立ち去る前に、陽動作戦だ。

「あのね、ここにはもう一人ヒーローがいます」

 視線が完全にこっちを向いた。

「レイドリフト・ワイバーンです!! 」

 俺はそう言って、武志の手を取り、高々と上げて見せた!

 お客の視線がスマホに集中した。

 これでお客が詮索をはじめれば、時間が稼げる。

「レイドリフト・ワイバーンだってぇ!? 」

 さっき俺を見抜いた男だ!

「最強のサイボーグ戦士! いくつもの異世界に召喚され、そのたびに救いをもたらした、真の英雄! 」

 1秒しか足止めできなかった!

 だが、計画に変更はない。

 二人で逃げよう!

「ちょっと待って! 僕のコーヒーとケーキは!? 」

 武志が抗議する。

 後でおごってやります! 店長! こいつの無念の分まで代わりに味わってください!

「待って! お話しさせて! 」

 にやにや笑いをうかべて、あの鋭い男が駆けてくる。

 

カランカラン

 

 入口のドアを開けるとなる、鈴の音。

 外は、やっぱり暑い。

「待って! 話を聞いて! 」

 今度は女の声だ。

 さっき俺の前でWIKIを見ていた人。

「レイドリフト・ワイバーン! あなたがやってる事はいけないことよ!

 異世界で戦って自分の政策を押し付けるのは侵略というのよ! 」

 すると、にやにや男が厳しい顔で突っかかっていった。

「なんだと! 彼のやっていることは、相手世界も承知している正当な行為だ!

 我が世界には異世界に関わる資格がないって言うのか!? 」

 うわあ、面倒くさい。

「武志! 飛べ! 」

 ああ、何が悲しくて男同士で手をつないで走らなきゃならないんだ。

「え? でも、どこへ? 」

「どこでもいい! お前だってこのままじゃ、もみくちゃにされるぞ! 」

 後からは諦めないオタクたちが、俺たちを追いかける。

「……わかったよ」

 武志はそう言うと、俺に追いついて背中側から脇の下に手を通し、抱きかかえる格好になった。

 

 カシャカシャン

 

 武志の背中から短い機械音。

 あいつの背中に仕込まれたジェットパックが、背骨に沿ったレールに導かれ、首の後ろから飛び出した音だ。

 ジェットパックからは左右に金属製の羽が伸び、ついにジェットエンジンが火を噴いた。

 武志に抱えられた俺はこれで悠々空の旅へ―。

 

 どすっ

 

 ぐふっ!

 腹に重くて硬い物がめり込んだ!

 両手で持っていた俺のカバンが、急激な加速で風にあおられた。

「あ! 痛かった!? 下そうか? 」

 心配する武志の声。

「いや、おろさないでくれ。そうだ。鍵山ダムに行ってくれないか? そこで自由研究の実験がしたい」

 本当は喫茶店で、計画をまとめてからにしたかったんだけどね。

 鍵山ダムは、この街の山奥にある水道用ダムだ。

 その下には水道水のための浄水場がある。

「うん、わかった」

 武志はそう言うと、スピードを落とした。

 代わりに半ズボンをはいた足の両太ももの皮膚が割れて、腿に仕込まれた2つのジェットエンジンが現れる。

 その噴射が浮力を生み出した。

 そのままゆっくりと、山へと向かう。

 ああ、いい風だ。

 

 ふと、下の商店街を見てみた。

 学生を見れば、片端から写真を撮るやつがいると聞いたことがる。

 そいつは後で異能力者だとわかれば、週刊誌だかどこかに売りつけるという、悪徳カメラマンだ。

 他にも異世界人や異星人でも撮りまくるらしい。

 ま、ここから見てわかるわけないか。

 

************************************

 

 今から20年前、世界は不思議で溢れた。

 世界中の人間の中から、それまでに知られていた物理法則とは全く違う現象を起こす者達、異能力者が現れた。

 なんでもない人が突然、異能力を得たパターンもあるが、俺は生まれついて能力を持っていた。

 当然、世界中が大混乱。

 犯罪発生率はうなぎのぼり。紛争も激化の一途をたどったそうだ。

 だが、思わぬ喜びもあった。

 先にそのような異能力を利用していた異世界の住人がこっちに興味を持ち、使者がやって来るようになったのだ。

 武志が今使っているサイボーグの体も、そうした世界との協力の中で造られた。

 骨格はチタン。エネルギー原はコメなどの炭水化物を使った燃料電池と、人口内臓による食物消化の併用。

 これがなければ、こいつの命は2年前に異世界から怪獣が攻めて来た日に終わっていただろう。

 そんな異世界の協力もあり、日本政府は異能力者たちを集めた研究機関を作りあげた。

 今左側に見える山を、ふもとから頂上近くまで、らせん状に囲むように建物が並んでいる。

 緑の葉が茂る桜の木に囲まれた、幼稚園から大学院までそろった超次元技術研究開発機構。

 通称、魔術学園だ。

 その周辺は日本有数の、異世界人や異星人がいる地域になった。

 治安は……まあまあかな?

 

************************************

 

 まあ、それはそれとして。

 俺達は鍵山ダムにやって来た。

 ダムのてっぺんは一般に開放されていて、それなりにカッコいいデザインの手すりが並んでいる。

 来てよかった。

 ここに来るのは、小学校の時以来だ。

「僕は時々来てるよ。防犯パトロールでだけど」

 俺を下すと、武志はジェットをしまった。

 外れた皮膚はごく小機械の集合体、ナノマシンで作られている。

 傷は残ることなくふさがった。

 

 このダム、前に来た頃はできたてで、コンクリートも真っ白だった。

 今では隙間にゴミがたまり、黒ずんでいる。

 道路沿いの草は真夏の日を浴びて伸び放題。

 道にアスファルトの隙間があれば、そこまで草が生えている。

 誰も来ていないことは無いのだろうが、何となく物悲しい雰囲気だ。

 

「で、どうするの? 」

「ダム湖に超濃度細胞水を投げ込んで、性能を試してみる。

 風呂では水が少なすぎたし、学校のプールでは怒られるし」

 まずは今日の日付と時間、それに気温だ。

 ノートに書き込む。

「7月27日。温度計は……」

 書き込みが終わると、ポケットから硬い粘土状になった水を取り出した。

 この連日の暑さでダム湖の水は減り、それまで水に隠れていた草木が生えていない山肌が見えていた。

 ダムの反対側、堰の口から出る水も、ちょろちょろだ。

 それでも、ダム湖には人口2万人を支える水がある。

「凍れ! 」

 そう念じて細胞水を投げた。

 投げる直前に粘度を消した水は、バラバラになって湖に落ちていく。

 そして投げ込んだ後から瞬時に凍り始めた。

 

 パキッパキパキ

 

 氷同士がくっつき、それでも氷結が止まらないため砕けて散らばる。

「ふ〜ん。北極の氷山みたいだ」

 武志、なかなか風流な事を言うな。

「南極だと大陸の上を氷が滑るから、真っ平らな氷山ができる。

 でも北極に大陸は無い。海水が凍ってできるから、あんな風にとがった氷になるんだよね」

 そうそう。と相槌を打ちながら、俺はカメラで湖が凍りつく様子を撮影していた。

 どれだけ凍ったか、正確に測れればいいのに……。

 

「あれ? なんだあれ? 」

 湖の奥、まだ凍っていない深みで、水の青さが歪んで見える。

 その歪みが、俺の氷に向かってきた。

 そして氷の下に潜り込むと、すごい力で持ち上げ始めた!

 

 バキッバキバキ!

 

 氷を割り、突き出した物は緑色で、直径1メートルはある長い蔦だった。

 その表面はトゲで覆われている。

「あ! 何するんだよ! 」

 何本も現れた緑の蔦は、せっかくの氷を堰の口から捨てやがった!

「誰かが先にここで自由研究してたのかな? 」

 武志が気の毒そうに声をかけてきた。

「俺、こんな目にあわされるほど悪いことしたか!? 」

 俺が怒っていると、蔦の一本が山の中に伸びていった。

 その先には人間大のつぼみがついており、それが開くと真っ赤な花が咲いた。

 あれは、バラか?

「悪いですね」

 静かだが、怒りを込めた声。

 ダムの上の歩道は、山の中を散策する道へ繋がっていた。

 木陰にいたそいつは、開いたバラの花に乗ってやって来る。

 華やかな身のこなし、というのかな。

 そいつの体型は痩せ型だが、武志の見た目のように運動嫌いが小食でそうなった感じじゃない。

 何というか、無駄なく引き締まった刀、レイピアみたいな感じだ。

 そのくせ胸は大きい。

 高い鼻にきりりととがった顎。

 モルガン・ローズ。

 こいつもクラスメートで、バラを操る能力者。

 ヒーローとしての名は無い。

 いかなる遺伝子か、与えられた能力による作用か。

 銀色の髪とこの真夏日にも関わらず雪のような白い肌。

 目は右が赤で左が青のオッドアイ。

 

 ちなみに俺は、目も髪も黒。

 肌は焼けた黄色。

 軽肥満。

 ……恥ずかしい。

 モルガンはルルディという異世界からやって来た留学生だが、同じ異能力者でこうも違うのか。

 

「ここは夏休み前から、私が研究のために使っていました。

 氷を作ると薔薇が弱ります」

 俺たちの前に降り立ったモルガンは、そう言いながら蔦から下りて近づいた。

 そいつが乗っていた太い蔦から、今度は普通サイズの枝が伸びる。

 そして、普通サイズの赤いバラが咲いた。

 モルガンはそれを手織り、俺に差し出す。

「どうか、お引き取りを」

 相変わらずキザな奴だ。

「約1万字の短編小説が、お前のセリフで半分超えたぞ

 よそに行けるわけがないだろ」

 それでもモルガンはクールな表情を崩さない。

 かっこうは水色の作業着と帽子、それに長靴。

 しかも、ところどころ土汚れがついている。

 ダムの作業員と言っても通じそうだな。

「このダムのあちら側は、私のホームステイ先の土地なのです」

 あいつは自分がやって来た山を指さした。

「松の木が多いでしょ? 秋にはマツタケが出ます」

 それは楽しみだな。

「ですが、この夏の暑さでは、マツタケの菌が死滅する恐れが出てきたのです」

 それは心配だな。

「この薔薇は、ヴィヴィアンと言います」

 アーサー王に聖剣エクスカリバーを授け、騎士ランスロットを育てたという湖の精霊か。

 いい名前を付けるじゃないか。

 この時代、この程度の教養がないと異世界とは話ができない。

 時にアーサー王やランスロット本人がいる世界に出くわすこともある。

 そう言えば、モルガンもアーサー王伝説の登場人物だな。

 まさか……いや、苗字が違うな。

「わたしは、ヴィヴィアンの根から山へ水分を送り込み、それを凍らせることで、山の地温……地面の熱を冷やす研究を行ってきました。

 そうすれば、マツタケの菌が死ぬのを防げると考えたのです」

 こいつのホームステイ先は、一家で林業の会社をやってる。

 生活かかってんだな……。

 まてよ。

「氷で地温を下げる? そんな能力を持つバラなんかあるのか? 」

「以前、あなたが凍らせた氷を保存していました。それに使われた細胞から能力をコピーしました」

「へえ、そんなこともできるんだ」

 一般に、ルルディの異能力者は俺たち地球の異能力者より多くの能力を扱える。

「パクリじゃないか」

 俺たち、異能力者の能力は、新技術としてとても価値がある。

 それを工業化するためには、とんでもない複雑な手続きと、とんでもない使用料を払わなくてはならない。

 そのための法律もある。

 

 ミーンミンミンミン

 

 しかし、この暑いなぁ。

 こいつと証拠物件のヴィヴィアンを警察署まで連れて行くのは、嫌だなぁ。

「よーし! 」

 突然、武志が決意の雄たけびを上げた。

「とりあえず遊ぼう! 」

 これぞ救いの声!

 彼こそ英雄!

 

 パイクリートというものをご存じだろうか。

 氷におがくずを混ぜることで作られる複合材料で、通常の氷より解けにくく、丈夫だ。

 第二次世界大戦中のイギリスで、氷山で巨大な空母を作ろうという計画があった。

 その立案者である発明家、ジェフリー・パイクが発明した。

「混ぜるのは古新聞でもいいんだけどな」

 一番近くにあるモルガンの家から持ってきた。

 湖面へはヴィヴィアンの蔦で降り、そのまま足場にする。

 湖面に新聞紙を広げては俺が凍らせる。

 まず、畳ほどの大きさの灰色の氷ができた。

 それをヴィヴィアンの蔦で支え、新しく作ったパイクリートの板を凍らせてつなげる。

 船の形になってきた。

「涼しくなってきた! 」

 武志が喜ぶが、サイボーグが夏の暑さでばてるのって、どうだろう。

 生身では、この氷に座るのは冷たすぎるな。

「薔薇の花びらの上にのれば、いいでしょう」

 モルガンが蔦の上で乗っていた、あれか。

 一輪のせてみると、何ともファンタジーな出来になった。

 でも乗り込んでみるとつめたくないし、いい感じだ。

 氷の船は、すでに軽自動車くらいの大きさになっていた。

「よし! これで川下りしよう! 」

 船の回りに俺がちょいちょいッと加工すれば。

 岩場でも安心、分厚い水で包まれた。

「水のクッションだ。勢いよく滑るぞ! 」

 さっきモルガンからもらった普通サイズのバラは、胸ポケットに入ったままだ。

 そのバラを船首につける。

 船首旗の代わりだ。

「氷山の一角ってよく言うけど、すごく浮いてるね」

 武志が嬉しそうに驚いた。

「それだけ、うまくできたという事でしょう」

 モルガンも、嬉しそうだ。

「出港! 」

 堰の口から飛び出した。

 降りる間、武志のジェットが頼みだ。

 そして、川下りがはじまる。

 ああ、薔薇の香りと冷気、そして風を切る爽快感!

 さっそく急カーブだ。

 俺は船に取り付けた水をジョイスティック風に固めて握ってる。

 舵のつもりだったが、無理だ。

 川が浅すぎる!

 

「ブレーキは僕か! 」

 武志があわてて前に出てジェットをふかした。

 がんばれよー。

 武志がふかすたびに、熱気が迫る。

 あいつのジェットエンジンは強いエネルギーを持った光、レーザーを鏡で反射させ続けることで空気を爆発させる。

 燃料を使うジェットエンジンと違い、煤が出ないのはいいな。

 

 川を下るたびに、山に張り付くように立った家が、ぽつぽつから徐々に増えてくる。

 川が長い間に蛇行を繰り返し、地面を均してきた平地が広がるからだ。

 田んぼも川沿いにどうにかして造られた物から、大きなものに変わる。

 風になびく緑の田んぼは、見るからに生きる希望! って感じで好きだ。

 

 スピードは自転車とそう変わりないはずで、それなりに時間がかかったはずだ。

 でも、楽しい時間はほんとにあっという間だね。

「ここまで来ると、川幅も広く、穏やかです。

 そこの河川敷から陸に上がりませんか? 」

 以外にも、モルガンが妙案を思いついた。

 もっと堅苦しい奴だと思ってたんだが。

 俺は意識を、パイクリートの船体に集中した。

「周りの水を分厚くして、粘度を上げれば、陸に上がっても大丈夫そうだ」

「よーし! 行くぞ! 」

 武志が船の後ろに回り、ジェットをふかした。

 目の前には川を隔てる堤防。

 そこに生えた雑草をなぎ倒してのぼり、堤防上の散歩道へ滑り込んだ!

 

 ザッパーン!

 

 あまりに勢いが強すぎて、水がはじけた!

 やばい! 急いで下に水を集中させないと!

 川の水は汚いと言われるが、今回は気にならなかった。

 一番きれい好きそうなモルガンさえ、興奮して笑っていた。

 なんだ、かわいい顔もできるじゃないか。

 

 川下り&道下りもそろそろ終わり。

 もうすぐ海だ。

 そしたら旅の始まりである商店街ももうすぐ。

「あ、誰かかけて来るよ」

 武志が気付いた。

 ほんとだ、俺たちの後から何人も駆けてくる。

 俺たちを見に来たのかな?

 手を振ってみる。

 ところが、その人たちはこっちには目もくれず、商店街へ行ってしまった。

 

 ウウー!ウゥ ウウー!ウゥ

 

 目の前の道路に、パトカーがサイレンを鳴らしてやって来た。

 まさか、捕まる!?

 一瞬、みんなが身構えるのがわかった。

 と思ったら、そのまま通り過ぎた。

「な、何だぁ? 」

 拍子抜けして、思わず間抜けな声が出た。

 あのパトカーも、走る人たちも、商店街へ向かっているようだ。

 それも、さっきの喫茶店の方に。

 

「お前が悪いんだー! 」

「違う! お前が悪いんだー!! 」

 な、何だ、これは。

 つい、さっきまでいた喫茶店が、恐怖で噴火したような怒声に包まれていた。

 窓ガラスが何枚も割られている。

 並んでいたバイクは倒れ、ハンドルは曲がったりミラーが割れていた。

 暴れているのは、店にいた客たち。

 それをパトカーと警官たち、そして心配そうに見つめる人々が取り囲んでいた。

「てっ店長!! 」

 そう叫んで武志が駆けだした。

 その先では、警官と暴れる客が格闘していた。

 客の手に光る物が見えた。

 あれは、ナイフ!?

 

 バチッ !

 

 稲妻のような音とともに、ナイフが地に落ちた。

 料理では使うはずのない、分厚くて長い奴だ。

 ジェットの噴射、その目もくらむ速さから放たれた武志の掌が、サバイバルナイフを叩き落とした。

「ギャー! 」

 客はナイフを持っていた手をおさえて、もんどりうって倒れた。

 骨は折れたかもしれないが、我慢しろ。

 武志は無力化した暴徒を警官に渡すと、店に飛び込んだ。

「店長! どこですか!? 」

 

 乱闘はまだ続いている。

「ぎゃあああ!!! 」

「きゃあああ!!! 」

 2人の男女が悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。

 さっき、俺と武志を追いかけながら争っていた2人だ。

 その2人を追うのは、柄が1メートルはある箒をもつ、知らない青年だ。

「そこで土下座しろ!! 」

 鬼のような形相で箒を二人の頭に叩きつけた。

 男女はその迫力に押され、青年に向き直って、熱いアスファルトの上に土下座した。

 青年は獣がかぶりつくように二人に詰め寄ると、男の頭を踏みつけ、女の長い髪を引っ張り上げた!

「よくも偉そうな主義主張で、俺様のバイクを壊したな!

 お前らのような奴はお仕置きだ! 」

 そう言って、箒を振り上げる!

 

 俺は手で握っていた水のロープを引いた。

「モルガン! ヴィヴィアンは君が使いな」

 水のロープからの指示を受け、氷の船がやって来た。

「分かりました」

 あいつの目は、暴徒達をまっすぐ見据えていた。

 その横顔は、ものすごくハンサムだ。

 船の中から薔薇の蔦が伸び、花は4本足のモンスターになる。

「行くぞ! 」

 船底についた水の層を、ぐるぐると回転させることで、路上を走らせる。

 水のキャタピラだ。

 土下座と箒の3人へ向かわせ、ぶつかる直前で水の層を跳ね上げる。

 船は上下が逆転し、3人を飲み込んだ。

 そのまま警官が多く居るところまで滑らせていき、船を再び跳ね上げた。

 あたりを警官に囲まれた客は、あっという間につかまり、ようやくおとなしくなった。

 さあ、次を捕獲だ!

 

「まどろっこしいですね」

 モルガンがつぶやいた。

 空から、赤い花弁が舞い降りた。

 

 ひらひら ひらひら

 

 それも大量に、暑い夏の日が陰るほど。

 商店街の上に、バラの枝が何本も伸びていた。

 モルガンが手を付けたヴィヴィアンからの物だ。

 花弁は風にも関係なく暴れる客に張り付いた。

 はがそうとしても、さらに多くの花弁が手足を、顔を覆っていく。

「眠りなさい」

 そう彼女がつぶやいただけで、客はバタバタと倒れていった。

 倒れた者から花弁ははがれていく。

 能力の提供が止まった薔薇の大樹は、霞のように消えてしまい、モルガンの手に普通サイズの花が残った。

 暴徒達は眠り続ける。

 花弁が大量にまきついているため、ケガはなさそうだ。

「まったく、とんでもない奴らだな」

 俺はそう言って、捕まる暴徒達を侮蔑の視線で見送った。

 

「店長、大丈夫ですか? 」

 武志が、店から店長と一緒に出てきた。

「ああ、怪我はない」

 体にケガはないようだが、明らかに気を落としている。

「わたしは40年間、この店で喧嘩を起こしたことがない。

 20年前の異能力者発生現象が起きてからもそうだった。

 それがこんなことで……おしまいだ……」

 店長は、そうつぶやくと警官隊の指揮官に駆け寄った。

「あの、彼らを罰しないでくれませんか?

 彼らは、熱射病になっただけなんです」

 店長は店が壊された悲しみよりも、客への思いやりを優先していた。

 なんて人だ。

 警官も、そのことは分かっていただろう。

 だが、客がしたことを考えれば、それはできない。

 結局、暴れた客はパトカーに乗せられ、連れて行かれた。

 店長は、悲しげな表情でそれを見送った。

 

「……店長、店を止めるとか、言わないで下さいよ」

 武志が声をかけた。

「今回のことで店長を悪く言う人なんて、いませんよ。

 むしろ責任があるなら僕の方です。

 ここにはもう来ません」

 そう言って立ち去ろうとする武志を、店長は呼び止めた。

「いや、君がやめる必要は無い! 私もやめるつもりはない!

 さっきも言ったとおり、これは熱射病によるものだ。

 彼らが言い争いを始めた時、私は彼らを店の外に追い出した。

 それが原因になったのは事実だ。

 これからは、夏の暑さから人々を守るような経営をしなくては。 

 だが、どうすれば……」

 

 その時、俺の頭に一つのアイディアが浮かんだ。

「あの、店長。よかったら俺に、軒先を貸していただけませんか? 」

 あの時の店長の顔は、数日後に思い出したら吹き出してしまいそうなほど、不思議そうな表情だった。

 

 知り合いにプロスキーヤーがいるんだ。

 その人が言うには、市販のスポーツドリンクを水で半分に薄めた物が、体にいちばん吸収されやすい物なんだそうだ。

 それを作って格安で売る。

 同時に、普通の1杯分で2杯売る。

 その2杯目を道行く人にあげれば、キャッシュバックする。

 その売れ行きを調べるんです。

 熱射病も防げるし、今は観光客でいっぱいだ。

 アンケートをすれば、全国レベルのデータだって集められる!

 

 店長は、了承してくれた。

 でも、これで夏休みはつぶれそうだな。

 それでも、こういう商売をした方が、みんなに「豊かな社会って、平和って素晴らしい」と感じてもらえると思うんだ。

 

説明
前作と同じく共幻文庫短編小説コンテストへの作品。
テーマは「一杯の水」
それと、拙作レイドリフト・ドラゴンメイドの世界観です。
異能力者が送る創造的な夏休み!
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