真・恋姫†無双 〜夏氏春秋伝〜 第九十六話 |
馬騰との一件があってから幾度かの月の満ち欠けを経た頃。
魏の都たる許昌の調練場内では相も変わらず武官たちが鍛錬に勤しんでいた。
ここ暫くの期間の中で注目すべき成長を果たしたものが幾人か出てきている。
一人目は凪。
元々の武の素養の高さ、一刀の教えを素直に受け入れ、すぐにでも実践に移す真面目な性格、そして特殊な武官の多い魏の中にあって更に特異な氣の使い手であることが、凪の著しい成長を支えていた。
何より凪の実力を一気に花開かせたのは、以前に一刀との仕合でも見せた連撃である。
ここぞという勝機を見出した時、凪はそれを繰り出す。
今までは氣弾として飛ばしていたそれを身に纏うことで減衰がかなり抑えられているのだろうか、破壊力は抜群。
一撃一撃が必殺の武器となり、単純なプレッシャーとしての意味も上がっている。
だが、凪の連撃の真髄は別にあった。
氣を纏うことはどうやら一時的にその部位の能力を格段に上昇させる効果も持っているようで。
回転を主軸にすることによって隙を極力無くした凪の連撃が、仮に途中でもう通らないと判断した場合、無理矢理に回転を止めて異なる行動へと移すことが凪には可能なのだ。
つまり、いなすなり余裕を持って避けるなりで凪に隙を作り出そうとしても、これが中々上手くいかなくなってしまった。
こうして並べると利点ばかりが目立つ凪の新技法だが、当然欠点もある。
その最たるものが、燃費の悪さであった。
氣弾を飛ばして攻撃するという、一種無茶苦茶な技たる”猛虎蹴撃”も氣の消費が激しかったが、この連撃はそれ以上なのだそうだ。
この話をされた時、一刀はふと気になって凪に問い掛けた。
曰く、氣を消費し過ぎるとどうなるのか。
それに対する凪の答えは比較的簡単なもので、重い疲労感と身体能力の低下が引き起こされるとのことだった。
氣は精神力が見える形となって表れたもの、と表現されることがある。そこから、前者は納得出来る。
問題は後者だった。
原因は、一刀にはなんとなく理解出来る。
以前、貂蝉から教えられたことからすれば、氣を消費することはすなわち”将たるべき身体能力”を失うことになるのだ。
こうして考えてみると、無自覚の氣は一見便利なようで、しかし使い手にとっては厄介極まりない存在なのではなかろうかと思えてしまう。
最悪の場合、戦闘中に一般兵と同等の膂力にまで落ちてしまいかねない。
そのような危険があるものだから、一刀は今度、凪とじっくりと二人でその辺りのことについて話し合おうと決めていたのであった。
さて、凪に次いで頭角を現して来たのは、意外や意外、斗詩である。
彼女もまた、オーソドックスとは程遠い戦闘スタイル。
切り替えた当初こそ、沙和に細かく教わりながら修練や鍛錬を行っていたのだが、数週もする頃には沙和を追い抜いてしまっていた。
尤も、現状の沙和は役萬姉妹のマネージャー的存在として彼女達と共に募兵の担当である。
従って、その任のために大陸中を飛び回る必要があり、武官としての任や義務は基本的に外されている。
元々二刀流の使い手であったとは言え、鍛錬を行っていなければ短期間で追い抜かれるのも当然と言えば当然だろう。
閑話休題。
斗詩は二刀流の動きなどを大体覚えた後、自らに適した動きを様々な角度・状況を想定して徹底的に検証した。
それは即ち、斗詩にとっての『型』を一から作り上げたのである。
そうして作り上げたそれが効率的なのかどうか、それは実戦の場に無ければ分からないところもある。
だが、この『型』の完成によって、斗詩は格段に強くなったのである。
”活奪”による防御主体の一刀流、そして”炎天”による攻撃一辺倒の一刀流。
加えてそれら二本を同時に操る、当初から想定し鍛錬を積んでいた二刀流。
状況に応じてこれらを使い分け、有利になるようにというよりも不利にはならぬように。
こう言うと一見消極的に思われるかも知れない。
実際、斗詩が自身の構築するこの型の考えを語った時、勝つことと負けないことは似て非なるものだ、と言われもした。
しかし、斗詩はそれに対してこう答えたのである。
負けないことを大前提としてその為の技を磨き、然る後に勝ちに繋ぐ術を築く。守りを主とする自らの型にはこれが最も効率的で効果的なのだ、と。
守りを主体とすると宣言しただけに、梅を引き合いに出す者もいた。
だが、梅は同じ守り主体の型ながらも交叉法を用いていることで勝ちにいく型が構築出来ている。
対して斗詩はそのような高度な技術は持ち合わせていないので、相手のミスを誘うか待つことが求められる型と為らざるを得ないのだった。
ちなみに、斗詩の型に関して全く異を唱えなかったのは一刀である。
一刀の価値観としては、戦の最前線に出たとて、生き残ってなんぼ、なのである。
負けない、とはつまり、生き残ることに全力を尽くすこと。それ故に一刀には異を唱える理由が無いのであった。
このように凪や斗詩が急速に伸びる一方で、どうしても伸び悩んでしまう者もいた。
主に季衣、流琉、そしてまだ日が浅いため何とも言い難いが鶸である。
彼女達に共通しているのは、得物が大変特殊であるため、扱いを教えられる者がいない、ということ。
鶸に関しては槍であるとも言えるのだが、通常の槍の運用法をそのまま用いるのでは折角の彼女の武器の特殊性が勿体無いと思えてしまう。
勿論、だからといってそれを鍛錬していないわけでは無い。
だが、やはりその形状から発生する、重心や空気抵抗等、通常形態の槍との相違点が鶸を伸び悩ませているのであった。
彼女達に求められるのは、自身の得物の性能を十二分に発揮することの出来る運用法の構築。
それは斗詩が行ったような、一からの型の創造とほとんど同じ意味を持つ。
実践の中で組み上げるにしても理論立てて机上から組み上げるにしても、どちらであれ非常に難題である。
それでもコツコツと積み上げることしかしようが無い。
そこで腐らなかったのは三人のモチベーションが高かったからだろうか。
兎にも角にも、ここにきて周りよりも歩みは遅くなってしまうことに若干ならぬ焦りを感じながらも人一倍の頑張りを見せてくれるのであった。
さて、この頃になると元より実力のあった将官の方も一層の実力向上を見せていた。
一刀が打ち出して始めた過酷な鍛錬の日々に真っ先に慣れたのもやはりと言うべきか彼女達であったのだから、当然と言えば当然である。
春蘭は相手の様々な動きを頭に詰め込むことによって、より一層戦闘勘に磨きがかかっている。
秋蘭は手技のみでなく足まで含めた身体全体を用いた新たな戦法を見出し、射撃戦を制する能力の強化に成功した。
菖蒲は決めの大技に移行するための小技を多く身に付け、小回りの利く戦闘も可能となっている。
そして、霞。彼女はこの面々の中でも更に頭一つ抜け出しそうな程の武を誇る。
元々、色々な戦法をそつなくこなせるという逸材振りを発揮していた霞。
その持ち合わせた技術に、彼女の戦闘狂とも言えるほどの戦い好きな気性が交わることで目を見張るような伸びを見せていた。
その伸びを支えた大きな要因は、やはり霞が自身の長所をはっきり自覚し、そこを徹底的に磨くことに余念が無かったからだろう。
霞の長所、それは言わずもがな、”疾さ”である。
疾さを極限まで高め、間断なき斬撃の嵐を相手に見舞えば、勝利は必然たるもの。それが霞の理想形らしい。
文字通りの理想論ではあるが、実際に成し遂げてしまいかねないと思わせるほどに、近頃の霞は速度が極まってきていた。
更に、霞の強さを支えるもう一つの要因として、随所における判断の速さが挙げられる。
一刀はこれを、霞の率いる部隊の性格上身に付いた技能だと推測した。
霞――張遼の部隊と言えば、今やかの馬軍騎馬隊に勝るとも劣らぬと言われるほどに名を知られた、精鋭の騎馬部隊である。
当然、霞自らが鍛え上げた兵たちも馬の扱いに長け、部隊の出す速度は他の魏の部隊の誰にも追随を許さないほど。
そんな部隊を率いて戦場に出たとあらば、当然部隊の速度に応じて素早い指揮判断が必要となる。
そんな経験を幾十幾百とも積めば、目前の情報から即断即決してしまう能力は自然と身に付くだろう。
それが対人戦闘にも十分に生かされているのであった。
そしてそして、更に更に。
そんな霞よりも恐ろしい者が一人。
当然のことながら、飛将軍・呂布――恋である。
抱えていた問題が解決した途端、今までのスランプのような状態がまるっきり冗談であったかのような状態となった。
諸々解決したと言っても、まだ事あらば一刀を見つめてはいるのだろう。
一刀が直接恋に教える技術は言わずもがな、他の者との仕合に数度用いただけの技ですらほとんど完成した状態でコピーしていることすらあったのである。
”無型の型”に多種多様なレパートリーが増え、加えて規格外の膂力。
スランプ脱却直後までは対等に渡り合っていた一刀でさえ、今では中々勝機を見出すことが出来ないほどになっていたのだった。
幸いと言うべきか、そんな恋の飛び抜けっぷりは決して悪い方向へは向かなかった。
他の軍ならいざ知らず、魏軍の武官達は皆、以前の一刀の発破によりモチベーションが高い。
今は無理だがいずれ恋にも追いつき、追い抜いてやる。或いはもう少し低めの目標で、恋から一本取りたい。
皆、そうして恋を目標にし始めたのだ。
身近に目に見える形で目標が存在していることはモチベ―ションの維持にも効果的である。
結果的に切磋琢磨がより活発化し、武官の平均実力がグンと伸び上がる結果となっていた。
かように、魏の武官に関しては概ね順調と言える一方、文官側ではここにきて苦労することが増えてきていた。
具体的には情報収集の面のことである。
現在、魏を除いた大陸に残る有力な勢力は、蜀と呉の二国。
気が付けばよく知られる三国志の世界の構造が出来上がっていた。
今後はこれらの二国とそれぞれぶつかっていくことになる。
となれば、当然ながら後々の戦を有利に運ぶため、綿密な情報収集が必須。
しかし、これが思わしくない状況なのであった。
ペラ、ペラ、と一定の間を置いて断続的に紙を捲る音が聞こえる室内。
そこには二人の人物の姿があった。
情報統括室長・桂花、そして黒衣隊長・一刀である。
大陸各地に隊員を散らせて集められた情報は、こうして二人が取捨選択して纏め上げ、有益な情報を選別していっているのだ。
玉石混交の情報の中から稀に混ざる玉たる情報を求める作業はその分量に対して非常に退屈なもの。
いつしか会話らしい会話も無くなって黙々と情報を浚う作業となっていた。
「ねえ、一刀。あんたの方に呉に関する有益な情報、ある?」
「いや、無いな。正直、城内部にまではどうあっても踏み込めないんだろう。
町人の噂話だけなら腐るほどあるぞ」
「それは正確な判断が難しすぎて単体では用いれないものでしょうが!
はぁ……やっぱりあっちは厳しいわね」
思わず桂花が漏らした溜め息も、これは仕方が無いだろう。
二国の片方、呉に関してはこれ以前からずっと情報面での守りは堅かった。
鉄壁にも感じられるその守りを支えているのは、魏で諜報に携わる者が最早その名を聞き飽きた甘寧と周泰。
現在この二人が呉王・孫堅に徹底的に扱き抜かれているために、今までよりは呉から情報を得ることが出来ているのは以前にも記した通り。
ところがそれも、日が経つに連れあの二人にも余裕が出来てきたのか、諜報活動が進まなくなっていっていた。
二人の会話から改めて言うまでも無いことだが、一般の間諜のみでなく、黒衣隊員ですら状況は同じなのである。
欲しいどころか手に入れねばならないとすら言えるほどであるにも関わらずこの状態では、桂花でなくとも溜め息の一つや二つ出ようというものだった。
「ほんと、呉の方も蜀と同じくらいに進めばもっと楽なのに……」
「それは……すまない」
「ああ、いや、別にあんたを責めてるわけじゃ無いわよ。
……って、そう言えば蜀の情報って、あそこに散らばらせた隊員以外からも情報を得ているんだったかしら?」
「そうだな。主な情報源はやっぱり劉備の近くまで潜り込ませられた”あいつ”なんだけど。
早々に蜀の中枢に食い込めたのは流石といったところだったな。
でも、その他の細々した情報や噂、蜀の民間事情なんかは、以前に俺が大陸中を飛び回っていた時に、間諜のついでに築いておいた繋がりが多分に活きているよ。
出来ればそこで誰の息も掛かっていなかった有力な将候補ともっと関わることが出来れば良かったんだが……それはほとんど叶わなかったな。
桂花くらいか。魏になくてはならない存在と巡り合えたのは」
「あの時のことね。あれには感謝しているわ。
あんたが私を引き抜いてくれたおかげで、今こうして華琳様に仕え、その覇道をお支え申し上げることが出来ているのだから」
この言葉通り、桂花は陰にも日向にも華琳の覇道を支える最も大きな存在であることは間違いない。
初めこそ、歴史の流れに任せて、桂花が魏に来ることを待とうかとも考えたものだったが、外史としての世界の構造を知って以来、実はあれはファインプレーだったかも知れないという考えも出来ることに気が付いていた。
その意味では、桂花たった一人と言えども、将候補との巡り合わせも十分な成果があったと言えよう。
だが、一刀が先ほど思わず謝ったのは、そことは関係の無い話となる。
一刀はかつて、各地で商人や豪族と何かしらの事柄で友誼を結び、後々に情報を流してもらうというパイプ作りも行っていた。
念のために、一応、といった消極的ながら進めたこれが、今にして非常に役立ってきているのだ。
しかしながら、それは主に大陸の西側、つまり蜀の国がある地方においてよく効いている一方で、その段階からして東側、つまり呉の地方では活動が難しかった。
「やっぱりどうにかして東の有力商人なんかとも繋がりを作っておくべきだったかな」
「あんたらしくも無いわね。今更それを言ったところでどうしようも無いでしょう?
それよりも今後どう呉に対応するかの方が大事よ」
「ん……全くだな。すまない」
思うように集まらない呉の情報には流石に一刀も弱気な発言を漏らしてしまった。
それを桂花に窘められ、反省する。
何事においても手持ちのものだけで済ませられるようで無ければまず意味が無いのだ。
特に情報を扱う者にはその傾向が強い。
現状で出来ることは何か、と一刀は思考を巡らせた。
「そうだな……呉に出す隊員の退き際の設定を引き下げてみるか?
甘寧や周泰が捕殺の任に本腰を入れるまでなら、少しは大丈夫かと思うが」
「やっぱりすぐに取れる対策なんてそんなものよね。
もっと潜入に特化した隊員を育て上げることは出来ないの?」
「それは難しいかな。そもそも、黒衣隊の設立目的が隠密潜入からの重要情報奪取に期待を寄せてのものだから、その手の訓練や鍛錬は厳しく行ってる。
現状行っている隊特有の武器を用いた戦闘訓練の時間をそっちに割き直したところで、結果はあまり変わらないだろう。
はっきり言って、呉に関しては相手が悪すぎる。
将たる者の高い身体能力が余すところなく間諜としての能力に発揮されているわけだからな」
「それは嫌なことを聞いたわ……
つまり、甘寧や周泰が本格的に復帰したら、もう呉の中枢に関する情報はほとんど望めないというわけね」
「何かしらで陽動を掛けて遠方の地へ二人を釣り出すことが出来れば可能性はあるが……
あれの部下達も相当に優秀な間諜能力持ちみたいだし、厳しいだろうなぁ」
掘り下げれば掘り下げるほど、改めて呉の情報面に関する堅さばかりが浮き上がり、一刀と桂花の意気は下がってしまう。
一体どうしたものか、と二人して頭を悩ますのだが、実はこのやり取りはもう何度目になるか分からないほどなのであった。
「……………………はぁ、仕方が無いわ。
ひとまずはさっきのあんたの案で指令を出し直しておくとするわ。
隊員個々の能力はあんたの方が詳しいでしょ?なるべく早く、新しい基準を決めて持って来てちょうだい」
「ああ、分かった。かなりギリギリで設定するつもりだが、それでいいか?」
「ええ、この際だし構わないわ。
さて、呉の件はこんなところね。次は蜀だけれど……」
桂花の言葉と共に二人は今までとは別の紙の山に手を伸ばす。
それらは少し目を通しただけでそれまでの沈んだ気分を吹き飛ばしてくれるような代物だった。
「へぇ……兵の増員、将の強化共に順調、ね。特に将の強化が捗っているみたいね」
「そこは馬騰の影響だろうなぁ。案外、一から鍛え直されているのかも知れないぞ。
関羽も張飛もかなり強かったが、我流故に粗もあった。そこを修正した上で力を付けたとしたら、厄介かもな。
そういった意味では趙雲や馬超も怖い。黄忠や厳顔も、一度相対したが、実力の底は見えなかった」
「随分とまぁ……いつの間にか劉備も華琳様の覇道の障害として足る輩になっていたのね。
文官の方は……こっちは諸葛亮、?統に徐庶が加わって万全の布陣、といったところのようね。
この徐庶とやら、蜀の臣にして中々骨がある人物らしいわね」
「以前の定軍山の件、どうやらあれは徐庶の独断だったらしいからな。
彼女も劉備に心酔している一人とは言え、悪い意味での心酔では無いらしい。
劉備に対して従来からの他の臣が退く場面でも意見が違えば反駁するし、かと言って単に頑固なわけでも無い。
自身の打ち出した策に意見されたとて、そちらの方がより良いと感じれば即座に修正を掛ける柔軟性も持ち合わせている」
「そして徐庶に関しての特筆事項が、常に冷静、だったわね。なんだか余分な一文もあったようだけど。あの後あれは〆たの?」
「成都に向かわせた隊員を通して〆ておいた。まあ、間諜の仕事に関して直接指導出来たわけじゃ無いから、少しかわいそうではあるんだがな」
会話を交わしながらも両者の目は書類を追っている。
蜀の情勢が事細かに記されたそれらは情報部の二人にとってはまさに宝の山なのであった。
「それにしても、よくぞここまで根こそぎ情報を集めて送ってこれるわね。
馬騰が蜀に付いてからも大して変わっていないでしょう?」
「単純に性質の問題かな?
直接向かい合って感じたことだけど、馬騰は純然たる武人なんだと思う。
平時において周囲を嗅ぎ回る者に対して鼻を利かせるのは苦手な部類なんじゃないかな?
それに、蜀は呉と違って間諜向きな能力を持った将がいない。それが一番大きいな。
ただ、この報告を見る限り、約一名、その方向で鍛えれば大成しそうなのがいるけどな。まあ……大幅な矯正が必要そうだけども……」
「ああ……なんとなくあんたが今見てるのがどれか、分かったわ……」
桂花の返答には若干ならぬ呆れ成分が含まれていた。
桂花が呆れ気味であることにも理由がある。
丁度二人が話題に上げている報告書にはこう題されていた。
『美と正義の使者・華蝶仮面について』。
至極簡単に説明すれば、どこで見つけてきたのか、揚羽蝶を模った仮面、所謂パピヨンマスクを被った趙雲が華蝶仮面を名乗り、成都の暴漢を懲らしめている、という内容である。
何を馬鹿なことを、と思うかもしれないが、それだけが二人を呆れさせたわけでは無い。
報告によれば、彼女の正体(?)を見抜いているのがほんの一部の人間だけだと言うのだ。
先程話題に挙がったばかりの関羽や張飛、馬超ですらどうしてか、本当にどうしてか、その正体を見破れていないらしい。
暴漢や喧嘩の現場に現れては件の三人の内の誰かと演劇にも似たドタバタ喜劇を繰り広げ、毎度のように逃げ遂せるとのこと。
一見馬鹿らしい行動の報告でしかないようでいて、その実、中々興味深い情報が混ざっている。
それが、毎度逃げ遂せている、という点。
関羽、張飛、馬超のいずれか、或いは複数に追われ、それでも逃げ遂せてしまうその能力は注目すべきものと言えよう。
が、いくら能力が凄かろうと取る行動の内容が内容だけにどうしても呆れが先行してしまうのだ。
「あんたや華琳様の目に留まったほどの人物だと記憶していたはずなんだけど、見当違いだったかしら?」
「……実際、趙雲の武は凄いものだと思うぞ?それにずっと旅をしていたからなのか物事の見方というのも劉備達より分かっていた。
そういった、総合力と言う意味では趙雲はそれこそ蜀一の実力かも知れない」
勿論、馬騰を除いてだが、と一刀は付け加える。
それでも桂花にとっては一刀のその評価は注目すべきものだった。
「あんたは趙雲の戦いを直に見たことは無かったのよね?
報告では関羽や張飛と同等ということだけど、それでも趙雲が一番だと言い切れるものなの?」
「確かに直に面と向かったのは劉備達が魏領を抜けようとしたあの時だけだな。
だけど、あの時だけでもそれなりの情報はあったぞ。
俺があの時、劉備に説教をかましたことを覚えているか?
それに対して関羽や張飛なんかは頭から煙を上げんばかりに怒っていたが、趙雲だけは冷静で、逆に彼女達を制していた。
内心ではどうだったかはさすがに分からないが、あの場面でただ怒りを顕わにするだけでは何にもならないことを理解していたんだろう。
どんな場面であれ常に冷静でいられるということは戦場において重要なことだ。
恐らく、通常の戦において趙雲が引き際、攻め時の判断を誤ることはまず無いだろう。
逆に言えば、関羽や張飛あたりは頭に血を昇らせてしまえば、引き際を誤らせて包囲、圧殺することが出来ると俺は踏んでいる」
「あんたがそこまで言い切る程なのね。
ただ、一ついいかしら?あんたが今言った敵の弱点、あの馬騰が気付かないなんてことがあると思う?」
「そこが問題なんだよなぁ……まず間違いなく、気付く。ほんの少し同行して、先の一件で顔を合わせた程度の俺でも気付いたくらいだからな。
正直、人間の本質はそう簡単には変わらないから、少なくともその作戦は有効ではあるんだろうけど……
決定的なものには既にならないかも知れない。馬騰が身内にいてそんな勝手で軍全体を乱させかねない要因を放っておくとは考えにくいからな」
だから馬騰の蜀加入は厄介なことだと言ったんだよなぁ、とは一刀の言だが桂花の実感でもあった。
「取り敢えず、蜀の方に関しては今まで通りの対応で問題は無さそうね」
「それで問題無いだろうな。
いや、むしろ蜀の方に出す黒衣隊員の数は減らしてもいいかも知れない。
正直、予想以上に”あいつ”が頑張ってくれているからな」
「確かに、そうね。分かったわ、その辺りも少し考えておくことにするわ」
この桂花の台詞を最後に、どちらからともなく広げていた書類を片付け始めた。
この日の情報整理はこれにて終了となる。
ただ、各々の一日の仕事はまだ残っている。
従って、これからそれぞれの次なる仕事場へと別れていくのであった。
「そう言えば、武官の鍛錬の件、私も報告を読ませてもらったわ」
ふと思い出したように桂花が手を止めずに声を掛ける。
一刀も作業を維持したまま、耳だけを傾けて聞く体勢を作った。
「恋に霞、それに斗詩。伸びの著しい者の内の三人のことよ。
いずれもあんたの繋がりから得た人材とも言えるわよね?
それだけに、少し恐ろしいとも思ってしまったわ。
もしもあんたが魏にいなかったら……それこそ呉にでもいられたら、私達は、魏国は一体どうなってしまっていたのだろう、ってね」
「それは論じても答えは出ないものだな。
俺がここまで積極的に魏国の強化、華琳の覇道に協力しているのは、元を辿れば夏侯家への恩義から来ている。
仮に、例え俺が最初に呉の周辺地域に飛ばされていたとしても、それで今の俺が引っ張ってきた戦力がごっそり呉にあったとは限らない。
場合によっては行動は必要最小限に留め、御遣いを名乗ることにすら消極的であった可能性もあるんだ。
そういった可能性の話なんて、それこそどんな結論にでも達してしまうぞ?」
「……それもそうね。ごめんなさい、ちょっとどうかしていたわ」
思うように仕事が捗っていないからか、桂花が珍しく少しだけ弱音を吐いた瞬間だった。
その後は特に会話も無く片付けを終え、廊下周辺に人の気配の無いことを確認してから情報室を後にする。
そして別れ際、一刀は反対方向に廊下を去る桂花の背に向けてこう言った。
「桂花。さっきの話の補足だが、例えどんな状況になっていたとしても、桂花なら立派に華琳を支えていたと思うよ。
情報の重要性の理解度、それにその扱いは、俺の知る限り桂花が大陸一だ。
普通、この手の仕事は上手くいかないことの方が多いもんだが、桂花はそうじゃない、或いはそう感じさせていない。
これはとても凄いことだ。十分に誇っていいことだと思うよ」
「…………ふ、ふんっ!当たり前よ!
私を誰だと思っているの?」
「そうだったな。”王佐の才”荀文若様には余計な言だったよ」
「分かればいいのよ、分かれば」
そう言って去っていく桂花の足取りは、しかし幾分か軽いものになっていたのであった。
説明 | ||
第九十六話の投稿です。 この話をもって一度魏から離れ、他勢力の様子を見る回へと移します。 これが今年最後の投稿ですね。 今年も一年、このような拙文を読んでくださりありがとうございました。 来年も出来る限り皆さまに楽しんでいただけるよう、頑張っていきたいと思います。 それでは皆様、良いお年を! |
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コメント | ||
>>牛乳魔人様 さすがにそこまでは……w 次回がまずは蜀ですので、彼女達がそこまででは無いと祈りましょう(ムカミ) 蜀って色々勘違いしてそうで怖い…「馬騰さんが皇帝陛下の所じゃなくてウチに来てくれたんだから自分達は正しいんだ」とか…こうなりゃ一刀・両陛下で蜀訪問してやろう(牛乳魔人) >>心は永遠の中学二年生様 おっと、本当ですね。ご指摘ありがとうございます、修正いたしました。(ムカミ) 誤字発見 『ファンプレー』→『ファインプレー』(心は永遠の中学二年生) >>バハムル様 これは……w 某掲示板まとめでよく見るジェロニモみたいなことになっていますねw すみません、ご指摘ありがとうございます、修正いたしました。(ムカミ) 誤字発見です。『先程話題に挙がったばかりの関羽や趙雲、張飛ですらどうしてか~』→『関羽や馬超、張飛〜』かと。(バハムル) >>本郷 刃様 元々が義勇軍からで出遅れ&将の中に間諜系がいない、というのが蜀のネックでしたからね。これから盛り返してくれるはずです。 恐らく、きっと、メイビー(ムカミ) 魏の恋姫は特に好きだと改めて実感した今日この頃w 蜀はホントに情報スカスカな状態ですね、こんな状態で大丈夫なのでしょうか? 大丈夫、問題ない(フラグ) 今年一年もお疲れ様でした、来年も楽しみにしております…それでは良いお年を(本郷 刃) >>nao様 重要だと改めて主張する必要も無く情報の価値をお互いによく理解している。互いに仕事やその他の面で補い合える関係を築いている。そんなところが長年の時を経て信頼へと結びついたのでしょう(ムカミ) >>アストラナガンXD様 以前のコメ返でも書いたような気がしますが、桂花の男嫌いは袁紹の下で無碍に扱われ続けた結果、として考えているからですね。こっちの桂花さんも基本的には男嫌いですが、麗羽軍から引き抜き、華琳の下へと誘ってくれた一刀は信頼している、という設定です(ムカミ) なんか一刀と桂花のやり取りがお互いを信頼してる感じがしていいですな〜!(nao) 今更ながらに思うは、一刀が桂花の信頼を得ている事が(原作を考えたら)凄い話だよなぁ・・・・。(アストラナガンXD) |
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