田中くんは 白石さんのライバルは太田くん |
田中くんは 白石さんのライバルは太田くん
「ね、ねえ。た、田中くんが一番仲が良いのって誰だと思うかな?」
ある日の放課後の教室。自分でもわかるぐらいにさり気なさ演出失敗した震える声で友達のきっちゃんとみよちゃんに尋ねてみる。
本当のところ、聞く前から私にだって答えはもうわかっている。でも、一縷の望みを託して質問せずにいられなかった。
「そりゃあ太田くんだろ」
「他にいないよね〜」
2人は全く躊躇することなく予想通りの返答をして寄越した。0.1%ぐらいの確率で私と言ってもらえるかと密かに期待した。けれど、それは無理な注文だった。
「やっぱり、田中くんと太田くんは仲、いいよね?」
2人が田中くんと太田くんの間柄をどう想っているのか確かめるべく更に切り込んでみる。私が抱いている想いと同じなのか確かめてみたかった。
「あの2人、いっつも一緒にいるもんな」
「太田くん。田中くんの世話焼き女房って感じだよね〜」
「にょ、女房……うっ」
私と太田くんの差を再認識してしまって立ちくらみを起こしてしまった。
やっぱり、私じゃ太田くんのポジションに全然届いてない。私と田中くんが一緒にいても夫婦とか女房なんて絶対に言ってもらえない。気分が重い。
「田中くんは太田くんにプロポーズしたって言うしね」
「つまり〜あの2人は本当にそういう関係なのかもしれないね〜」
なんか2人してニヤニヤしてる。田中くんと太田くんが恋人同士の場面を妄想して楽しんでいるのかもしれない。
でも、そんなのは私にとっては認められないものだった。
「そっ、そんなわけないよ。ま、漫画の中ならともかく、現実で男の子同士なんて……」
言いながら私の頭に浮かんだのは少女漫画家夢野咲子先生の新作漫画本の中身。漫画の中では男の子同士が恋愛を狂おしいほどに育んでいた。それが頭から離れなかった。
地味で根暗でぼっちな中学時代を送った私にとって、乙女心の代弁者と呼ばれる夢野先生の描く漫画は憧れの世界を表したものだった。何度も何度も夢中になって読み返した。
高校生になってしばらく漫画から離れていた。けれど、先日本屋を訪れたところ、夢野先生の新刊が発売されていた。私はそれを夢野咲子という作者名だけで衝動買いした。
そして、夢野先生が新境地に挑戦したというその本は私に忘れられないほど大きな衝撃を与えたのだった。
{さあ、みこみこりんさん。そんなに俺を拒絶したいのならこの縦四方固めを解いてくださいよ}
{やっ、止めろ。まゆまゆ〜〜っ!!}
イケメン過ぎる男の子同士が全力でぶつかり合う荒々しい恋愛模様。それは私のそれまでの恋愛観を吹き飛ばしてしまいかねないほどに強烈なものだった。
漫画に過度に影響を受けるのはいけないことだとわかっている。なのに、男の子同士の恋愛って身近にも本当に存在するんじゃないかって思ってしまった。何しろ、尊敬する夢野先生の本に書いてあるのだから。
田中くんと太田くんは仲が良い。それを邪推しちゃいけない。漫画と現実をごっちゃにしちゃいけない。
2人が本当に恋人同士だとか妄想したら田中くんにも太田くんにも悪い。そして何より、私の精神状態に良くなさすぎる。
でも、その可能性を考えるとどうしようもなく不安になってしまう。万が一ってことを憂慮して泣いてしまいたくなる。
『俺は嫁にもらうなら太田の方がいいな。運んでもらえるし』
田中くんが、お嫁さんにするなら私よりも太田くんの方が良いって言うのを盗み聞いちゃったことがある。
あれは単に田中くんが楽して生きたいために太田くんを選んだだけ。それはわかってる。でも、夢野先生の本を読んだ後だと邪推が混じってしまう。
田中くんと太田くんがそういう仲だという話題を続けるのはもう限界だった。
「え、えと、ほら。あの、た、田中くんと一番仲が良い女子って誰かな?」
話題を変えながら機運の向上を図る。今の私は太田くんには敵わないかもしれない。でも、女子の中じゃ結構田中くんとはたくさん話している方だと思う。10%以上の確率で私の名前が挙がる気がする。ちょっと期待しながら2人の返答を待つ。
「そりゃあ、宮野さんだろ」
「師匠、師匠〜って子犬みたいに周りを付いてて見てて可愛いもんね〜」
「…………ですよねえ」
期待とは違ったけれど、予想した大本命の名前が出てきて少し落ち込んでしまう。
でも、今回気落ちしているのは少しだけ。
宮野さんは田中くんのことを恋愛対象として見ていないのをもう知っているから。それどころか、宮野さんには私の恋心を知られていて応援してもらっている。
だから、宮野さんの名前が一番に出る限り、強力な恋のライバルが現れたことにはならないのだ。
「じゃ、じゃあ。2番目は?」
宮野さんを除けば私が繰り上げで本命になるはず。クラス委員長としてお話することもいっぱいあるんだし。さあ、きっちゃん、みよちゃん。遠慮せずに私の名前を挙げてっ!
「う〜ん。誰だろ? 思い当たらないなあ」
「該当者なしじゃないかな」
えっ? 何で、私の名前が挙がらないの!?
私と田中くんが噂になるのを友達として遠慮しているの?
「私、とか。結構田中くんと話してるの多いと思うんだけど……」
自分から切り出してしまった。恥ずかしい。
でも、これで私と田中くんの関係が周囲にはどう思われているのかはっきりするはず。
「ああ。白石はクラス委員長として田中くんにもよく話し掛けてるね」
「しーちゃんは委員長だから。クラスの誰とでもたくさん話すんだよね〜」
「………………そう」
クラス委員長の部分が強調され過ぎて私個人が田中くんとお喋りしている面がまるで認識されていない。
つまり、私と田中くんが一緒にお喋りしていても仲の良い男女だって思われてない。
きっちゃんとみよちゃんにそう思われてるのは仕方ないかもしれない。でも、田中くん本人にまでそう思われていたら?
クラス委員長だから話し掛けられているのだと誤解されているのだとしたら……。
「私、クラス委員長を辞めようかな」
「「えええええっ!?」」
…………本気で心配されちゃいました。
何にせよこの日のきっちゃんとみよちゃんとの会話で、私と田中くんの距離は思った以上にまだ開いていることがわかったのだった。
私の好きな男の子は恋愛にあまり興味がないらしい。
恋愛にというか、生きること全般にけだるげで恋愛にも力を使いたくないから興味がないと言った方がわかり易い。
彼、田中くんは何をするにもけだるげで学校生活を送る上で必要最小限度のことさえも危ういほどに動かない。
でも、彼はクラス内で別に苛められてもいなければ邪険にもされていない。むしろ、男子からは太田くんをはじめ人気が高い。友達も多い。
それはきっと田中くんの人徳に拠るところが大きいのだと思う。
田中くんはいつもけだるげ。けれど、無関心でも冷たいわけでもなく優しくて大らかな心を持っている。
田中くんと接していると優しくて温かい自分になれる。多分、そんなところが人気の秘密なんだと思う。
もっとも、だからといって大半の女子にとって田中くんは恋愛対象としては映らない。
恋人にするにはちょっとやる気がなさ過ぎる。というか、恋人になったら苦労しそうだって誰にだって簡単にわかる。
よほどの世話好きさんじゃないと田中くんの恋人は務まらないと思う。そして、わざわざ苦労したがる女の子なんて早々いない。
だから、当面の間恋のライバルが現れなさそうなことに私はちょっと安堵している。
そう。私は田中くんに恋をしていた。
田中くんを好きになったきっかけはわりとありがち。
地味でノリが悪くてダサい芋女な本当の私を誰よりもよく受け入れてくれたから。
『眩し過ぎると目がちかちかして近付けないから』
コンプレックスになっているありのままの私を受け止めてくれる男の子に恋をしてしまった。その心の惹かれ方は、まるで少女漫画のヒロインになったよう。
でも、その恋がなかなか成就しないのが漫画のヒロインというもの。私の恋は時間ばかりが過ぎていくだけで成就する気配を全く見せてくれない。
しかも、私がヒロインだなんていう保証はどこにも存在しない。恋のライバル役どころか、ただのモブキャラAで終わってしまう可能性だってある。
自分の気持ちに正直になって気持ちを本人に打ち明ければいいのはわかってる。でも、元芋女で根暗な私が告白だなんて大それたことなんてできるわけがない。
だから結局、お友達のクラス委員長という立ち位置をキープしたままぬるま湯な時を過ごしている。
でも、それじゃあ駄目なことは2人の友人の間接的な駄目出しで十分に思い知らされた。
変わらなきゃいけない。でも、どうやって?
きっちゃんにもみよちゃんにも言えない秘密を抱えて悶々とした時間を過ごす。
それが、私の今の悩みだった。
「あああっ、もうっ! どうしたらいいのか全然わかんないよ〜っ」
普段の私は教室では極力隙を見せないように気を張り詰めている。前よりは緩めたとはいえ、人気者の白石さんを崩さないようにしている。
でも、今日は無理だった。放課後に入った途端人気者の白石さんを続ける気力がなくなってしまった。
理由は簡単。田中くんと太田くんの仲の良さを今日1日観察して再認識してしまったから。
『田中。次、移動教室だぞ』
『太田。運んで』
『仕方ないな。授業に遅れては先生に迷惑が掛かるからな』
『田中。お昼時間だぞ』
『太田。食べさせて』
『仕方ないな。決まった時間に食べないと胃腸に優しくないからな』
『田中。放課後だぞ』
『太田。家までおぶって』
『仕方ないな。夜遅くまで帰らないと田中妹が心配するからな』
田中くんはいつでも太田くんに頼りっ放し。太田くんは嫌な顔一つせずに田中くんを助けている。
そして2人の距離がやたら近い。小脇に抱えたり食べさせたりおんぶしたり。0距離で接してることが多すぎる。
夫婦と称されても何にも違和感がない間柄。
羨ましい。そして、私には色んな意味で太田くんの代役は無理だった。
{田中くん。次、移動教室だよ}
{白石さん。運んで}
{ふんりゃあああああぁっ!! ……って、男の子を持ち上げられるわけがないよ〜っ!}
{田中くん。お昼時間だよ}
{白石さん。食べさせて}
{仕方ないなあ。はい、あ〜ん…………って、そんな恥ずかしいことできないよ〜っ!}
{田中くん。放課後だよ}
{白石さん。家までおぶって}
{ふんりゃあああああぁっ!! ……って、息、吹き掛けないで。ば、バランスがあっ!?}
イメージすると絵的に無理があり過ぎる。それに、そもそもこんな近い距離で過ごせるのなら私と田中くんは恋人同士になっているはず。
恋人になった後ならあり得るかもしれない光景。それは、恋人未満の現在は絶対に起こり得ないことが確定している。
夢野先生のBL漫画の影響が抜けない私にとっては2人の仲の良さへの邪推が抜けなくてダブルパンチだった。
元来根暗な私は、太田くんという壁の高さに気疲れして机に突っ伏すしかなかった。
とてもじゃないけれど、割って入れる気がしない。
どんどん思考がネガティブな方へと傾いていく。こういうところ、高校デビューに成功しても根っこの部分は変われてない。私は地味で根暗な芋女。
「貝になって深海に潜ったまま過ごしたいよお……」
その時の私はいくら何でも捨て鉢になって無防備過ぎたかもしれない。
「白石さんは貝になりたいですか? 私も貝になれば落ち着いた大人の女になれるでしょうか?」
「!?!?」
背後から声が聞こえてそれはもう驚いた。教室には誰もいないと思い込んでて油断した。
「み、み、宮野さんっ!?」
振り返る。そこに立っていたのはクラスで一番元気で小柄な宮野さんだった。
私よりも頭1つ分以上背の低い彼女を見落としてしまったみたいだった。
「宮野さん。えっと、貝になりたいというのは……」
何て言い訳しようか迷っていると宮野さんの瞳がキラっと光った。
「白石さんの悩みならお見通しなのです」
「えっ?」
宮野さんが私をズドーンと指差した。
「ズバリ! 師匠との恋が進展しなくて悩んでいるなのですね」
「………………うん」
思い切りバレバレだった。
宮野さんは普段はそんなに察しが良い子ではない。でも、私の恋心に関しては唯一、しかもごくアッサリと見破ってしまった鋭い観察眼を持つ。その意味で私の師匠だった。
「えっと。わかり易い、かな?」
「他の人は知りませんけど。私には、白石さんの恋愛不完全燃焼オーラが見えますです」
「そんなオーラが出てるんだ」
地味にショックを受ける。宮野さんにしかわからないんだろうけど、私が恋愛脳になっちゃってることがバレるのは地味に恥ずかしい。
「でも、安心して下さい。私は、白石さんの恋を応援しますですから」
宮野さんは胸を叩いてふんぞり返ってみせた。
宮野さんは私が好きな男の子を唯一知っていて、応援もしてくれると断言している恋愛面の唯一の理解者。
田中くんに最も近い、というかグイグイ行く女の子が恋のライバルにならなくて心底良かったと思う。
太田くんに宮野さん。田中くんに近い二大巨頭が両方ライバルだなんて認識した瞬間に私は自室に長い間引き篭もるに違いなかったから。私の心はかなり弱い。
「ありがとう」
「私は師匠のことを恋愛対象として見たことありませんし、他の男の子をそういう目で見たこともありません。でも、私に任せてもらえれば絶対に大丈夫なのです」
宮野さんは再び胸を叩いてみせた。彼女の自信がどこから来るのかはよくわからない。でも、根暗な私から見ればとても眩しいものであるのは間違いなかった。
そして宮野さんは私の返事を待たずして恋の応援プランを語り出したのだった。
「恋愛の極意。それはしょーうまなのですよ」
「しょーうま?」
「将を射んとほにゃららならまず馬をほにゃららせよっていう例のアレです」
「ああ。将を射んと欲すればまず馬を射よね」
宮野さんは高校生としてはかなり怪しい国語力だけど言いたいことはわかった。
「そうです。しょーうまなのですっ!」
「それで、しょーうまっていうのはどういうことなの?」
質問に対して宮野さんはフッフッフと不敵な笑みを浮かべながら答えてみせたのだった。
「白石さんもけだるさを習得するのです。そうすれば、回り回って田中くんのハートをゲットできることは間違いないのですよっ!!」
「そ、そうなの?」
宮野さんの言いたいことはよくわからない。
でも、宮野さんのこの自信。何か秘策があるに違いなかった。
「さあ、白石さんも田中くんの弟子入りして、私を兄弟子と慕って下さい。そうすれば、恋愛なんてちゃーさいなのですよ」
「お茶の子さいさいって言いたいのね。何かよくわからないけれど……私、けだるげを頑張ってみるよ」
煮詰まっていた私は宮野さんのアドバイスに従うことで現状打破を試みることにした。
私のけだるげライフはこうして始まったのだった。
つづく
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