Baskervile FAN-TAIL the 17th.
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「おねーサマ。ペンギンさんだよ〜」

朝のテレビには、氷の上に乗ったペンギンの赤ちゃん達の様子が映し出されていた。

小さな羽をぱたぱたさせてとことこと歩く様が実に愛らしい。

「ペンギンさんは、こーりの上でさむくないのかなぁ?」

セリファ・バンビールには、触ると冷たい氷の上で平気でいるペンギンが不思議でならないようだ。

そんな妹に話しかけられた姉のグライダ・バンビールは、

「ま、ペンギンだからね」

答えているようで実は全く答えになっていない返答。

それでも返事をしてくれた事が嬉しいのだろう。セリファは目をきらきらさせてテレビ画面に見入っている。

彼女達が住むシャーケンの町は、割と温暖な地域にある。冬でも氷ができるほど寒くなる日は少ない。

だからこの町の人間にとって、氷や雪は珍しい物なのだ。

「数日前、氷山が海を漂流し出した、なんてニュースもあったばかりだしね」

と、同居人のコーランは首をかしげると、

「コーラン。その流氷に赤ちゃんペンギン達が取り残されたってニュースなんだけど」

グライダがジト目でテレビを指差す。

赤ちゃんペンギンにとっては、海面まで高さがありすぎて飛び込む事もできないらしい。

その流氷は海流に乗ってゆっくりと南下しており、このまま南下して氷が溶けた場合、暑い地域に適応していないペンギンは大変な事になる。

その赤ちゃんペンギン達の救出を試みよう、という趣旨のようだ。

「じゃあ、ヘリコプターか何かを使って、ペンギンを空から救出ってとこかしらね」

事実コーランの言った通りで、沿岸海域の国から救助用のヘリが飛び立った、と報道は結んでいた。

 

 

世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。

ここにも、朝はきちんとやってくる。

同時に、面倒な騒動までやってくる。

平穏な日は、一日としてなかった。

この広い街のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。

だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。

 

 

「でっかい氷ねぇ。かき氷にはできねぇか」

実にしょうもない発想をした武闘家バーナム・ガラモンド。ボサボサの黒髪をがしがしとかきながら、大あくびをしている。

「目測だが、あの氷の体積は相当な物。溶ける迄にかなりの時間がかかるだろう」

淡々と味気ないコメントを出した戦闘用特殊工作兵――ロボットのシャドウ。

町のメイン・ストリートにある特大オーロラ・ビジョンの画面から、流氷のニュースが流れている。

「ですが、あの体積のままどこかの港に漂着したら、港が壊滅しかねませんよ」

心配そうに不安そうに巨大画面を眺めるのはオニックス・クーパーブラック神父だ。

実際、港が大きな流氷によって壊滅的な被害を被った話は聞き知っているのだ。

「この辺は暑いからな。空から氷でも降ってくれればちっとは涼しくなるかな」

「其れは((雹|ひょう))や((霰|あられ))と云う自然現象の事だな。だが天から落ちる氷の塊は、秒速十メートル。時速にして三十六キロメートルで落下する。当たれば『痛い』では済むまい。雹や霰が自動車の車体や屋根に穴を開けたと云う被害報告も有る」

バーナムの冗談もシャドウには通じなかったようで、本気で忠告してくる。

バーナムはその真面目ぶりがどうも腹に据えかねたらしく不機嫌な顔になると、

「冗談ぐらい分かるようになれよ」

シャドウの胸板を裏拳で軽く叩き、

「クーパー。ホントに今日なんだろうな、屋台が来るの」

バーナムの言葉にクーパーも静かに時計を見ながら答える。

「屋台の主人はそう言っていましたよ。指定時間通りならば、そろそろ到着する筈です」

三人の目当ては、近頃シャーケンの町で話題の創作料理の屋台だ。

魔界出身の主人が作る、人界と魔界の材料から生み出される新しい味。それがこのシャーケンの町で、密かで小さなブームになりつつあるのだ。

だが、毎日同じ場所にはいない。日によって場所を変えているのだ。

彼の屋台を営業妨害しているチンピラを、通りがかったシャドウとクーパーが追い払った事が縁で、今日ここで店を開く事を教えてもらったのだ。

もちろんロボットであるシャドウに料理を味わう機能はない。だからバーナムを連れて来たのである。

「シャドウの兄貴! クーパーの旦那!」

不意に聞こえてきた大きな声。振り向くと金属光沢を放つマント姿の小柄な男が、屋台をひきずりながらやって来るのが見えた。

「来てくれたんすね。感激っす!」

妙に元気な少年という印象の男。彼がこの屋台の主人・イノフリーである。

「自分では味が分からない。其れ故に人間を連れて来た」

シャドウは傍らのバーナムを紹介する。

「兄貴の友達なら大歓迎っす! 今下準備しちまうっす!」

笑顔でてきぱきと屋台を展開させ、早速下準備に取りかかった。

バーナムとクーパーは忙しそうに、それ以上に楽しそうに働く彼をじっと見ていた。

長命の者が多い魔界の住人だけに実年齢は分からないが、外見通り本当に若いだろう。

妙に凹凸の少ない顔に小柄で浅黒い肌。太陽光を反射すると緑色に輝いて見える薄茶色の髪……。

そこまで考えて、同じ特徴を持った魔族と一度戦った事がある事を思い出した。

「なぁ。ひょっとして、人界に兄貴とか来てねぇか?」

バーナムのいきなりの問い。イノフリーは下ごしらえの手を休めずに、

「はい、いるっす。ナカフリー兄貴っす。けど、今どこで何してるかは、分からないっす」

魔界では成人したら親の一切の庇護下から離れて暮らすのが普通で、その前後に独り立ちするケースが多い。その時に親兄弟と疎遠になる事も珍しくない。

「何か在ったのか、バーナム」

「ああ。ずいぶん前にこいつそっくりの魔族と戦った事があってな。まさか兄弟とはな」

縁とはどこでどう繋がるか分からない。その奇妙さにはいつも驚かされるものだ。

「ナカフリー兄貴は((魔闘士|まとうし))っすから。『強い奴が好きだ』ってよく言ってたっす」

魔闘士とは武闘家のように(基本的に)素手で闘う者の事だ。

似ているので分かりにくいのだが、そこには明確な違いがある。

武闘家が「気」を駆使して闘うのに対し、魔闘士は「魔法」を組み合わせて闘う。

武闘家の場合は、拳や蹴りの威力を倍増させるために「気」を使う。

魔闘士の方は魔法の威力と効果範囲を極度に一点集中させるために肉弾戦を用いるのだ。

同じ力で突くにしても、丸太と針の先ではどちらが痛いかは明白。それは針の先の方が力のかかり方が大きくなるためだ。弱い魔法でも一点集中させれば威力は高い。そういう理屈だ。

そのため「闘士」と名がついていても基本的には「魔法使い」でしかない。

「其の勝負は、((何方|どちら))が勝ったのだ?」

シャドウの当然とも言える疑問に、バーナムはため息一つつくと、

「引き分けだよ。こっちは体力切れ。向こうは魔力切れだ」

きちんとした試合ではなく、半分ケンカのようにして始まった勝負だった。

決して相手を侮った戦いではなかったが、結果はダブルKO同然。きっちりと決着のついた勝負ではなかった。

「ナカフリー兄貴と互角っすか。そいつは大したモンっすよ」

イノフリーは応対しながらも手は休めない。

屋台の貯蔵庫からカチカチに冷凍された鮭一匹を取り出した。彼はそれをまな板の上に乗せ、ばしんと上から叩く。

すると、凍っていた鮭が一瞬で解凍され、その場でバタバタと大暴れしだした。これには三人とも目を奪われる。

「見事ですね」

「へぇ。魔法も使いようだな」

鮮度が命の食材を凍らせる事は簡単だが、解凍の方は難しい。一旦凍った細胞が上手く元に戻らないためだ。

しかし彼の場合は違う。純粋に冷凍させる直前に戻っている。いくら魔法でも、ここまで見事に解凍できる者は少ないだろう。

「あんたも『氷』を使うのか」

バーナムが真剣な目で尋ねる。イノフリーは小さな包丁を取り出すと、

「そうっす。物を凍らせたり元に戻したり。『氷』を司る一族っすから」

得意そうにそう言うと、小さな包丁一本で鮭を捌き始めた。もちろんその技術も大したもの。見る見るうちに「解体」されていく。

それからほぐした鮭と、魔界原産の土色の芋を皮のまま輪切りにして鮭と共に鉄板で焼く。

その香ばしい匂いに釣られて周囲から人が集まって来る。

イノフリーはギャラリーが集まって来た頃合を見計らって、瓶の中の赤い液体をパッと鮭に振りかけた。

その途端、一瞬だけ大きな炎が巻き起こり、周囲から驚きの声が上がる。

それに気をよくした彼は作り置きしてあった生地に焼いた鮭と芋を乗せて包むと、

「今日のは名付けて『鮭と芋のナン包み』! 一つたったの三百((EM|エム))だよ〜っ!」

大声を張り上げるイノフリー。その声と料理のいい匂いに引き寄せられるように人が集まってきて、たちまち行列ができる。

しかし屋台という事で持ってきている材料は少ない。数百人分ほどで材料を使い果たして閉店となってしまった。

すっかり日も暮れそうになっている広場で、満足そうに片づけをしているイノフリー。

三人は特に手伝わなかったが、何となくつきあって残ってしまった。

「シャドウの兄貴。クーパーの旦那。それからバーナムの兄貴。今日はどうもっす」

イノフリーの礼に、二人は少々困った声で、

「自分は何もしていない。礼を言う必要は無い」

「そうですよ。むしろお邪魔だったのでは?」

「いいじゃねぇか。感謝してんだから素直に受け取れよ」

バーナムは彼の作った「鮭と芋のナン包み」最後の一つを頬張っている。

脂の乗った鮭とバターのように濃厚な味の芋。そしてちょっと甘辛い味つけが思ったよりも合った。

鮭は人界の物。この芋は魔界の物。こういう平和な「異文化交流」ができるのが、この町最大の魅力なのだ。

だが、そののんびりとした味わいの時間を打ち壊す報道が、特大オーロラ・ビジョンから流れた。

巨大な流氷に取り残されたペンギンの赤ちゃんを救出しようと飛び立ったヘリコプターが、全機引き返して来たと言うのだ。

しかも、『氷の塊』に攻撃されて近づけなかったらしい。さらに、その流氷の上に小さな人影を確認している。

その見覚えのあるシルエットに、バーナムとイノフリーは嫌な予感を感じていた。

 

 

それから数日後。イノフリーはシャーケンの町の魚市場の近所で屋台を出していた。

その時、思わず我が耳を疑うニュースが飛び込んで来た。

「流氷が町の沖に迫ってる!」

気候が温暖なシャーケンの町に流氷が来るなどありえない。だが、その「ありえない」事が現実に起きている。

慌てて海の方を見ると、確かに遙か沖に流氷らしい氷の塊が見えた。遙か沖にもかかわらずかなりの大きさである。

あんな「氷の塊」がこの町へ来たとしたら港は簡単に壊滅するだろう。たかが氷と侮るなかれ。そのくらいはできてしまうのが流氷のパワーなのだ。

数日前のニュースでチラリと見えた姿。

もしあれが自分の想像通りだったら。しかし、いくら何でもそこまでは。二つの考えがぐるぐる回る。

だが自分にはそれを確かめる術はない。

「……探したぜ」

息切らせた声に顔を上げると、そこに立っていたのはバーナムだった。

「オレはこれからあの流氷まで行って来る。そこで多分、いや、間違いなくあんたの兄貴と戦う事になるだろうな」

画面越しにチラリと見えただけだったが、バーナムにはその姿が彼の兄・ナカフリーだと確信できた。

「挑戦状のつもりだろうぜ。『おまえが逃げれば町に被害が及ぶ』ってトコだろうな」

バーナムの言葉を黙って聞いていたイノフリーは、

「行くんすか!?」

「売られたケンカは、買う事にしてる」

バーナムの表情が引き締まる。その顔は、まさに「戦いに赴く戦士」であった。

「けど行く手段がな。海があんな調子だから船は出しちゃもらえねぇし……」

「いたいた。ホントにあんたって考えなしね」

遠慮のない声が後ろからし、振り向くとそこにはグライダとセリファの姉妹がいた。

「あの流氷の『主』ってのが、あんたに挑戦状叩きつけてたわよ。ニュースで取り上げられてたわ」

事実グライダが言った通りで、その内容も「自分と戦え。さもなくば町は壊滅する」としっかり脅してきたほどだ。

「町の命運があんたにかかってるってのは、かなりシャクだけどね」

グライダがそう言ったのには訳がある。

もちろん魔法があるこの世界。氷なら火の魔法で溶かしてしまえばよい。

しかし、火を出す魔法は数多いが、遙か沖まで届く物がないし、それだけ強力な火力のある術を使える術者が町にはいないのだ。

もちろん届く距離まで接近してからでは間に合いっこない。

それに体積が極端に大きいとなると、火の魔法でもそう簡単には溶けないし、この世界のあらゆる銃火器は国の正規軍しか持つ事ができない決まりになっている。今から要求したのでは間に合わないのだ。

それに、先日の報道で救助用ヘリが攻撃されている事もあり、ヘリや船を出す者そのものがいない。

町のピンチであっても、町では対策がないのである。

「……しょうがねぇ。自力で行くしかねぇか」

「あんた。たった今『行く手段がない』って言ったじゃない?」

グライダの疑問にバーナムは、

「ああ。これだと後で面倒なんだよ」

彼は肩にかけたままのボロボロのマントをばさりと広げた。それを翻して「袖を通す」。

グライダやセリファもそのマントを何度となく見ているが、袖があるという事は正確にはマントではない。これは初めて知った。

丈は短めのコートくらいだが、その袖が奇妙だった。袖だけを見るならばまるで法被のようだ。色もかなりむらのある黒で、とても既製品とは思えない。

おまけに、なぜか片袖しかなかった。

バーナムは胸の前で拳を軽く打ち鳴らし、

「……我が背に宿る((八卦|はっけ))の陣よ。今こそその力を解き放て!」

呪文のような言葉が終わると、彼の背中に魔方陣のような記号が淡く浮かび上がった。

それと同時に彼の全身に無気味な文様が浮かび上がり、皮膚の一部が鱗のようにひび割れていく。

実はこの服。彼の拳の流派・((四霊獣|しれいじゅう))の拳に伝わる、四つの霊獣の加護を借りるための戦闘服なのだ。

自分の力を最大に引き上げてくれる代償として、時間が経つと全身がバラバラになるような激痛と疲労感に襲われ、立つ事すらできなくなる。

それを分かっていて使うのだから、バーナムもそれ相応の覚悟を決めたという事だ。

バーナムは沖合の流氷を睨みつけると、

「おい。今日の料理は何なんだ?」

気合い負けしたイノフリーは、

「イ、イカのピーブン詰めっす!」

ピーブンとは魔界の豆の粉でできた細い麺の事だ。魔界ではスープを吸わせて食べる。

「……『二人分』とっとけ。いいな!」

そう言うと、海へ向かって数歩駆け出す。

まるで幅跳びでもするように力強く地を蹴ると、そのまま文字通り「宙を駆けて」一直線に遥か沖の流氷めがけて突進していった。

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一方流氷の上では、少々薄汚れたマントを着込んだ人物が、双眼鏡でその様子を見ていた。

空中を「走ってくる」男の姿を見て、小さく微笑む。

「正面から来るとはさすがバーナム・ガラモンド。俺が見込んだだけの事はある」

氷山と呼んでも差し支えないほど規模の大きな流氷の上。周囲の気候はともかく、氷の上にいるのに全く寒そうにしていない。

妙に凹凸の少ない顔に小柄で浅黒い肌。日の光を受けて緑色にきらめく薄茶色の髪。

ナカフリー――バーナムの読み通りの人物は、彼がここまで来るのを今か今かと待ち望んでいた。

これまでやって来たのは勘違いした漁船やらうっとうしいマスコミの報道ヘリばかりで、溜まるのはストレスばかり。

それらを驚かす程度では、とてもストレス解消にはならなかった。

「……もうそろそろ着くか」

双眼鏡に頼らなくてもはっきり見えるようになったバーナムを見て、ナカフリーは不敵に笑う。全身を覆っていたマントの前をはだけ、邪魔にならぬよう肩から後ろに追いやる。

その姿はどこにでも売られていそうな薄着。氷の上で立っていられるような防寒性は期待できない。

それとも、氷を操る力があるから氷の上でも大丈夫という理屈なのだろうか。

やがてバーナムは氷の上に着地を決めた。

「ずいぶんハデなご登場だな、おい」

足下に広がる氷の大地は、ちょっとしたグラウンドほどあるのではないかという広さである。

「以前は魔力と触媒に恵まれなかった……」

以前戦ったのは荒野の真ん中にぽつんとある小さな町だ。そんな環境では氷はもちろん水も少ない。

どんな偉大な術士でも、呪文と魔力だけで魔法が使える訳ではない。「魔法をかけるのに必要な材料」。つまり触媒を介して術を使うものだ。

「……だが今回は勝ち目はないと思え」

そう凄まれても、周りではニュースでやっていたペンギンの赤ちゃん達がパタパタと駆け回り、これから戦おうという雰囲気に欠ける。

ナカフリーが足でトンと氷を叩く。すると赤ちゃんペンギン達が氷に開いた穴に次々と落ちていった。

その光景に一瞬ギョッとなったバーナムだが、その耳は、数十秒後に小さく何かが飛び込む水音を確認した。

あの穴がシュートのようにペンギン達を逃がしたのである。

「これで文句はなかろう。約束通り全力で戦えるな」

「確かに今度は『手加減抜きでトコトンやろう』って約束はしたけどな」

バーナムも戦闘服の背に淡く輝く「八卦の陣」をチラリと見る。

どこまで自分の身体が持つか分からないが、これがなければ『手加減抜きでトコトンやろう』という約束は果たせない。意外と律儀である。

「じゃ、始めるか」

バーナムは相手に対して身体を横にして左腕を突き出す。右腕をぐっと引き絞って四霊獣の拳に伝わる「((弓引絞|きゅういんこう))」の構えを取る。

ナカフリーは祈りでも捧げるように胸の前で手を組んでいる。だが呼吸を整えるのと同時に気を張りつめ、瞬時の攻撃に備えている。

しばしどちらも動かず、静寂が続いた。

その静寂を破ったのは、どこからか聞こえてきた、氷にひびが入る音だった。

その音と同時に二人が動く。

バーナムは右手を一瞬握り直し、気を込めた一撃を放つ。

ナカフリーは彼の手前に飛び込むように手をつき、そのまま逆立ちしながら腰をひねり、脚をブンと振り回してその一撃を受けとめ、

「氷よ!」

同時に術を発動させる。バーナムの右手が一瞬だけ凍りついた。

バーナムは苦し紛れに左手でナカフリーの膝頭を狙い、失敗。その反動を利用して後ろに転がって間合いを取り直す。

ナカフリーは独楽のように数回転した後、

「凍らなかったか。そっちも腕を上げてるね」

「あったり前だ。前と同じと思うなよ」

凍りついていた右手が完全に治り、バーナムは不敵に右の中指を立てる。

ナカフリーも逆立ちから普通に立ち直し、

「じゃあ、もう一度行こうか」

ナカフリーは文字通り氷の上を滑るように移動。右に左にジグザグの蛇行走行でバーナムに迫る。

だがバーナムは慌てず騒がず、すんでのところでしゃがみ、素早く足を払う。

しかしナカフリーも蹴りを避けるため、余裕を持ってジャンプ。なんと、そこへバーナムがいきなり飛び上がって蹴りを繰り出した。

予備動作のほとんどないその動きに防御が遅れ、魔法を込めていない普通の防御だけで、彼の気を込めた一撃を受ける羽目になった。

筋肉が一瞬押し潰され、骨にまで衝撃が走り、ミシミシときしむのを感じながら、ナカフリーは高く弾き飛ばされた。

どうにか足から着地できたのは幸運だった。更に攻撃を受け止めた腕が折れも吹き飛びもしなかったのは奇跡といってもいいだろう。

動きを読まれないために予備動作をしなかった事で、普段より込める気が少なく、威力がなかったのだ。

だがそれでも腕は激しく痺れて、しばらく使い物になるまい。

強い奴と戦うのはやはりいい、と感激すらしたが、いつまでも感激していられない。

そう判断したナカフリーは攻撃を腕ではなく脚に切り替えた。しかも魔法を込めた一撃とそうでない一撃をランダムに織りまぜて。

普通の攻撃ならいいが、魔法を込めた攻撃は、気を使った防御でなければ完全には防げない。

だがバーナムにはどれがそうなのかの判別ができない。だから全部の攻撃を気で受けねばならないために、消耗が激しくなる。

さらに四霊獣の加護を得る戦闘服の副作用ともいえる激痛と疲労感がじわじわと襲ってきているのが分かる。

だからバーナムは一か八かの賭けに出る事にした。

ナカフリーの攻撃に一切の反撃をせず、ただ耐えるだけとなったのだ。防御を固め、あらゆる攻撃に耐えて、耐えて、耐える。

バーナムらしからぬ戦法ではあるが、その戦法に苛立ったのはナカフリーだった。

「どうした、攻撃してこないのか!」

ようやく痺れの取れた腕と脚の連続した攻撃を矢継ぎ早に繰り出す。もちろんそのことごとくに魔法を注ぎ込んで。

だから、バーナムの腕や脚はうっすらと凍りついている。部分的に凍傷を起こしているかもしれなかった。

「貴様はそれでも武闘家か!」

散々なじっても、バーナムは一言も言い返さない。じっとナカフリーを睨みつけ、防御を固めるのみだった。

その態度に、ついに堪忍袋の緒が切れたナカフリーは、

「よし分かった。一気に白黒つけてやろう!」

力強く蹴った反動で一旦離れて間合いを取る。それから呼吸を整え、口の中で呟くように呪文を唱え出した。

呪文が進むにしたがって、バーナムの周囲に何かキラキラした物がふわふわと、少しずつ舞い出した。

呪文の長さから相当大がかりな魔法だという事は、魔法には素人のバーナムにも分かる筈なのに、それでも彼はピクリともせず身を固めるだけだった。

その態度にナカフリーは大きな空しさとわずかな呆れを感じていた。強さを認め、お互いに全力で戦った以前の彼はもういないのだ、と。

そうしている間にも、バーナムの周囲にキラキラした物が舞い続けている。それはさらに多くなり激しく吹き荒れ、バーナムの腕や脚の氷をどんどん大きく厚くしていった。

そう。宙に舞っていたのは極めて微細な氷の欠片。ダイヤモンド・ダストであった。

その量は、もはや彼の姿を直視できない程であった。総ての生命を死に追いやる猛吹雪を、彼の周囲だけに出現させたのだ。

「……氷の中で朽ち果てろ」

防御の姿勢のまま、氷の中に完全に閉じ込められたバーナム。完全に凍りついた彼を、失望した目で冷たく見つめるナカフリー。

「……終わったな」

額からは滝のような汗が流れ、疲労困憊で肩で息をしながら空しくため息をひとつ。

絶対に勝ってやると懸命に修業したその成果を出す戦いが、こんなにもあっけなく終わってしまうとは。

勝利した喜びなど全くない。かつてこんな情けない相手と引き分けたのかと、自分自身が情けなくなってきた。

そんな愚か者に背を向け、立ち去ろうとした時だ。

なんと、バーナムを覆っていた氷が見る見るうちに溶け出したのだ。溶けた氷で全身ずぶ濡れのバーナムが、重々しく口を開いた。

「だいたいだな。オレが使う四霊獣龍の拳。その加護となる『龍』は水神。それを水や氷で殺せる訳ねぇだろ」

もう彼の身体を覆う氷はない。バーナム・ガラモンドの完全復活である。

「……なるほど。水神相手に氷とは、こちらが迂闊だったな」

内心の動揺を隠してナカフリーが強がる。

もちろんナカフリーとて氷以外の魔法を知らない訳ではない。だが、得意技が通用しないと分かったその精神的な衝撃は決して小さくはない。

「……オレはずっと疑問だったんだよ。何でてめぇが『氷の山に乗って来た』のかがな」

ナカフリーの魔法は「氷」である。それは以前の戦いから学習済みの事である。

無から有を生み出す事は不可能ではない魔法だが、既にある物を活用する方が魔力の消費も少なくて済む。

だが自然界に氷のある場所は限定される。そこへ誘い出せば「罠がありますよ」と言っているようなものだ。

かといって普通に氷を用意したら、時間が経てば溶けてしまうし、人一人が持ち歩ける氷の量などたかが知れている。

しかし巨大な氷に乗ってやってくれば、自分が乗っている足場の氷を魔法の触媒としていくらでも使う事ができるし、大きいだけになかなか溶けない。

万一の時は海の水を凍らせれば、いくらでも氷を作る事ができる。触媒に不自由しない。それがナカフリーの考えだったのだ。

「けど、ちまちま氷を壊したって、こんな海の上じゃすぐ氷を作られちまう。だからよぉ……」

ナカフリーは初めて気がついた。バーナムの身体の内に圧縮された気の塊を。

ずっと防御を固めて打たれ続けていたのは、莫大な気を吸収し、それを凝縮して強力な一撃を放つ準備だった事を。

「全部を一気に吹き飛ばすっきゃねぇだろ!」

戦闘服に隠れてよく見えないが、バーナムの全身に無気味な文様が鮮やかに浮かび上がる。その無気味さに、さすがのナカフリーも飛びかかるのを一瞬躊躇してしまう。

ォォォォォォォォォォォォォォ。

バーナムの喉の奥から、とても人間とは思えない低いうなり声がした。それも、複数の者が一度に喋ったように混ざった声で。

その時、バーナムの右手に青白いオーラが。左手に赤黒いオーラが立ち上った。しかし立ち上ったオーラはかなり弱々しく、安定していない。

(ひょっとして、使いこなしてない技か!?)

ナカフリーは千載一遇のチャンスと判断して一気に間合いを詰めた。得意ではない火の魔法を唱えながら。

いくら水神の加護とて、火の魔法を受ければ無傷では済むまい。

それを迎え撃つバーナムの全身は、耐えがたい激痛がかけ巡り、骨がきしみ、筋肉が震え出す。皮膚がひび割れて全身のあちこちから血が流れ出していた。

戦闘服の持つ副作用。とうとうバーナムの限界が来てしまったのだ。

(ざけんじゃねぇ。ここで負けてたまるかってんだよっ!!)

歯を砕かんばかりに噛み締め、両手のオーラに残る気を総て振り絞って注ぎ込む。

だが一瞬早くナカフリーの拳が決まった。同時に叩きつけた拳の部分だけがかあっと熱く燃え上がる。拳を受けた胸が焼ける、嫌な臭いが立ち込める。

「……ありがとよ。これだけあれば充分だ」

バーナムは痛みをこらえて無理矢理口の端で笑うと、ナカフリーにはお構いなしに、両拳を足元の氷に叩きつけた!

青白いオーラと赤黒いオーラが大砲のように飛び出し、氷を壊しながら下へ下へと突き進む。その影響で、足元が地震のようにぐらぐらと揺れ出した。

それだけではない。流氷の上面だけではなく側面、底面、いたるところが次々とひび割れて壊れていく。

巨大な質量を持つ堅い流氷が、まるでガラスの塊のように易々と砕けていくのだ。

バーナムは叩きつけていたままの拳を放し、力強くバチンと合わせた。

「暴れろおぉぉっ!!」

次の瞬間、二人の視界は一瞬で真っ白に染まり、同時に天高く弾き飛ばされた。

 

 

バーナムが気がつくと、目の前に広がるのは青い空だけだった。

それから、何か大きな物の上に寝かされているのに気づく。自分の上にかけられているのは、魔族がよくつけている、金属光沢のマントだ。……ボロボロではあるが。

「気がついたか」

声が聞こえた横の方を向く。声の主ナカフリーはバーナムに背を向け、あぐらをかいて座っていた。

「まさかあの氷をバラバラにされるとは思わなかった。俺の負けだ」

「ち、ちと待てよ。気絶したのはオレの方だ。勝ちはそっちだろうが!」

思わずガバッと起き上が……ろうとする。

だが身体の節々がズキズキときしみ、起き上がる事はできなかった。痛みがさっきほど強くないのが救いか。

「あの爆発で両手がボロボロだ。指の骨が何本も折れた。これでは寝首もかけない」

仰向けになったままのバーナムの眼前に、とんでもない方向に折れ曲がった指だらけの両手を見せるナカフリー。その火傷だらけの両手の気味悪さにそっぽを向くバーナム。

「あの爆発から身を守るのと、こいつを呼び出したおかげで魔力の方は空っぽだ。しばらくはアイスだって凍らせられないよ」

バーナム達が乗っているのは、魔界に住む空飛ぶ巨大なエイだった。それが空をゆったりと飛んでいるのだ。

「それに、あれだけの氷をあっという間に壊されちゃあ、白旗を上げるしかないさ」

ナカフリーの視線の先――氷が浮かんでいたところには、まるで隕石が落ちたクレーターのように、その部分だけぽっかりと海の部分が無くなっている。

技の威力がまだ持続しているのだった。

四霊獣龍の拳・((龍哮|りゅうこう))と鳳の拳・((鳳鳴|ほうめい))。

気を凝縮させて飛ばす技だが性質が違う。その違う気の塊二つを同時に使う、いわば合体技。

本来二人でやるものを一人でやったのだ。全身にかかる負担は並ではない。

「オレも身体がボロボロだ。これじゃ続きもできねぇ。決着がついたとは言えねぇな」

「少しは後先考えろ」

元々恨みや憎しみで戦った訳ではない。戦いが終われば、酒すら酌み交わせる仲にだってなれる。

「お前の弟が、シャーケンの町で屋台を出してる。そこでメシ食ってこうぜ」

「……そうだな。久しぶりに弟の顔を見るのも悪くはない」

弟を思い出したのか、少ししんみりとするナカフリー。

痛みを我慢して起きたバーナムは、こちらを向いて膝立ちのナカフリーを見た。そのボロボロになった服が爆発の凄さを物語っている。

体毛が少ない種族らしい、つるつるの肌のところどころに火傷らしい痕が残っている。ほとんど裸同然という事もあって見るからに痛そうで、かつ寒そうだ。

だが。

その胸はほんのわずかではあるが確かに膨らんでいた。下半身の方も、あると思っていた「モノ」がついてなかった。

そこで初めてバーナムは気がついた。

「お、お前……女だったのか!?」

泡喰うバーナムに対し、ナカフリーの方は平然としたまま、

「ああ。それがどうかしたか?」

「どうかしたかじゃねぇよ。あいつお前の事『兄貴』って呼んでたぜ!」

「嫌いなんだよ。女扱いされるのは」

至極単純な理由である。

呆れると言うか困ったと言うか。そんな態度のバーナム。

バーナムは急いでマントを放って返す。マントは彼、いや彼女のそばに落ちた。その反応に、無感情というよりは不思議そうな顔で、

「何だ。意外と純情なんだな。こんな貧相な裸なぞ、見たって嬉しくないだろうに」

「外で素っ裸の女なんざ、人界にはそうそういねぇよ」

何だかからかわれている気分になったバーナムは、むっつりと押し黙ってしまった。

「けどバーナムくらい強い奴なら……女扱いされてもいいな」

聞きようによっては爆弾発言にも聞こえるナカフリーの言葉に、彼の表情が引きつる。

バーナムは、吐き捨てるように呟いた。

「恥じらい無くしちゃ、女とは言わねぇよ」

説明
「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。
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Baskerville FAN TAIL 世界 部隊 魔法 魔獣 クリーチャー 日常 秘密 

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