夜摩天料理始末 1
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「羅刹は怪我とか無かったか?」

 問いかけながら、こちらを見る男の視線を避けるように、羅刹は顔を背けながら、熱くなる顔をごまかすように鼻を鳴らした。

「ハン、あんな雑魚共、相手にもなんないよ」

「そうか、良かった……それはそうと、お前まで冥府になんぞ来ちまって大丈夫なのか」

 この期に及んで、なお自分より彼女たちの方を心配する男に、羅刹は若干の呆れと、好ましさを綯い交ぜにした顔で、返事を返した。

「冥府は、元々ウチら鬼族の稼ぎ場さ、見なよ、角の生えたのがあちこちに居るだろ?」

 落ち着いてぐるりを見渡せば、なるほど彼女と似たような出で立ちの鬼がそこかしこから、こちらを睨んでいる。

「それじゃ猶更、仲間をぶっ飛ばしちゃ不味かったんじゃないか?」

「……男のくせに細かいね、どーでもいいだろ、そんな事」

 正直に言えば、最初にぶん殴って十間ほど空を飛ばせたのが近所の兄ちゃんだったんで、里帰りは暫く出来そうも無いが……まぁ、別にどうでも良いし。

 そもそも、ウチだって、別に暴れたい訳じゃない。あの獄卒共が、この人を手荒く連行しようとするからキレちまっただけで、アタシは断じて悪くないぞ。

 思考が妙な方向に漂いだしそうになった事に気が付き、羅刹は自分がなぜ冥府に来たのか思い出した。

「それより、ご主人、アンタは何で死んじまったってのに、そんなにのほほんとしてんだ!」

「心外だな、のほほんとなんぞしとらんぞ」

「のほほんは言葉の綾だよ、何でそんなに落ち着いてんだ、アンタって人は!」

「慌てても仕方ねぇだろ」

「そりゃそうかも知れないけどさ……なぁ、ご主人がそう泰然としてると、冥府まで無理やり付いてきたウチが、なんか馬鹿みたいじゃんかよ」

「……わりぃなぁ、羅刹が焦ってくれてるのも判るし、有りがたいとも思ってるんだぜ、なんだが……どうも死んだ実感に乏しくてな」

「呑気だねぇ、ほんと」

 アンタらしいけど……さ。

 苦笑しながら、羅刹が先ほどの立ち回りで、少し乱れた髪を無造作にかき上げる、その浅黒く、しなやかに筋肉の付いた綺麗な腕に男が目を留めた。

「おい、腕に傷負ってるじゃねぇか!」

 慌てて傷を洗おうと焼酎入りの水筒を取り出す男を押さえて、羅刹が顔を赤らめた。

「良いよ、こんな物ほっとけば治る」

「見た感じ結構深いぞ、ほっといて良い傷じゃねぇ、ごちゃごちゃ言わず手ぇ出せ!」

「い、良いからウチに触んなーーーーっ!」

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「……何とも、珍しい物を見せて貰えます事で」

 あの戦鬼と謳われた羅刹が、乙女の顔をしているではないか。

 物陰から二人の様子を一通り見てから、夜摩天は無言で眼鏡を外して、それを磨きだした。

 なるほど、羅刹が暴れた理由は何となく判った。

 彼女が式姫となってまで力を貸す主、揚句に想いを寄せている相手に、獄卒がいつもの横柄な調子で手を出したというなら、怪我で済んだ事を喜ぶべきだろう。

 まぁ、それはさておき……だ。

(どこが良いんでしょうね)

 正直、あの羅刹が惹かれる程に、冴えた男には見えない。

 大戦の途次とは聞いたが、多勢を率い、指揮する覇者や王者の風はとても見えない。

 普通よりは多少良い程度の風采に、優しそうではあるが、反面、若干覇気に乏しい顔。

 中肉中背の体は戦士として鍛えられている様子も見えるが、武を以て聳え立つ天下無双の豪傑ではない。

 では、智謀の士でもあるのか……それとも学識か。

 

 いずれにせよ、前代未聞の式姫数十人を引き連れて戦を起こしているような男には到底見えない。

 本気で怒った鬼神の式姫一人で、一つの国が壊滅した。

 山神の気まぐれな愛を受けてしまった男が、住まっていた町一つ巻き添えに氷漬けになった。

 いたずら貉の色仕掛けで、大国が内紛の揚句に滅亡した。

 そんな逸話が珍しくもないのが式姫である。

 それを数十人も率いているのが、この平平凡凡たる男とは……。

 

 だが、非凡な所もある。

 この男、冥府に身を置きながらにして、この自然体。

 恐怖という感覚その物を持ち合わせないのか、それとも胆力か。

(計りかねますね)

 外見や僅かな情報から全体を計ろうとする事の困難と危険は承知の上だが、それでも尚、数多くの人を見て裁いてきた夜摩天にしても、この男は良く判らな過ぎた。

 

 磨いていた眼鏡を、再び掛ける。

 考え事をする時の癖になったこの行為も、いつからの事だろう。

「見る目、嗅ぐ鼻」

「は」

「本日の審理は、本件除き、全て中止する旨、各所に伝達」

「なんと」

 今朝の夜摩天の言いぐさではないが、次代への輪廻の行先を求める亡者の群れは閻魔庁の前に群がっている。

 日々処理していかないと増える一方……なのだが。

「今回の件、軽々に判断できる話ではありません」

 式姫数十人を従える程の男。

 陰陽師によると思われる、閻魔帳の改竄。

 そこから導かれる、謀殺の可能性。

 そして、その男を守らんと、冥府まで付いてきた……どうも理性的な話が通じるか怪しい羅刹。

 そして、思惑が良く判らない神の介入。

 現状で少し数え上げただけで、これだけややこしそうな話である。

 慎重に進めるにしくはない。

「……確かに」

「仰せの通りですな」

 二人の言葉に、夜摩天は軽く頷き手を出した。

「調べ書きを」

「これに」

 差し出された調べ書きに目を通すにつれ、夜摩天の眉宇が暗さを宿す。

(これは何とも……)

 無為徒食とは言わないが、事も無く、平穏に暮らしてきた前半生に比べ、ここ数年の激動は凄まじいの一語に尽きる。

 降って湧いたような、式姫を従える少女の訪ないから巻き込まれた戦。

 それを収めた武神、建御雷との約定に基づき、黄龍の封を為すべく戦いに明け暮れる日々。

 その間に増えていく式姫達、拡大する戦線……だが、それを淡々と受け入れ戦い続ける。

(なるほど……)

 調べ書きを繰りながら、夜摩天は独り言ちた。

 淡々とした報告からすら、その戦いの苛烈さは伝わってくる。

 この男に羅刹が力を貸すのも、どこか頷ける程の大戦。

 

 知れば知るほどに、これは、近年にない程に、危険な判断を迫られる予感がする。

 選択を誤れば、それこそ冥界がひっくり返るほどの……。 だが、見る目嗅ぐ鼻を見送る夜摩天の口元には、薄く鋭い笑みが浮かんでいた。

 不謹慎ではあるが、実に何とも。

「……面白い」

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 夜摩天様、御出座、という声が広々とした空間に木霊する。

 その声に応じ、いつものように男を平伏させようと、棒を片手に近づいてきた獄卒に、羅刹は殺意と呼ぶのも生易しい、凄まじい視線を向けて、拳を握りしめた。

「ウチらの大将に何させるつもりだ、テメェ」

 最前の羅刹の暴れっぷりを思い出したか、ひるむ獄卒を横目で見ながら、男は苦笑して羅刹を押さえた。

「良いよ、下げて今更価値が下がるほど、結構な頭じゃねぇ」

 軽く頭を下げて、片膝を付こうとする男に、羅刹が何か言い返そうとするより先に、上から涼やかな声が降ってきた。

「無用の虚礼の為に、部下を怪我させるのは本意ではありません。お二人とも、そのまま楽に」

「女性?」

 低い声で男が驚きの声を上げる。

「言ってなかったっけ?今代の夜摩天、閻魔、お二人とも女性だよ」

 怖い人たちなのは、変わらないけどね。

 そう小声で付け加える、羅刹の声に、畏敬の念が籠もる。

「なんてこった……」

 頭の中に居た、赤ら顔の威厳に満ちた大男の姿がガラガラと崩れていく音が聞こえた気がして、男は覚えずこめかみの辺りを押さえた。

「日ノ本は、岩戸神楽の昔より、女ならでは世の明けぬ国……か」

「何のマジナイだい、そりゃ」

「いや、別に」

 どうも顔を上げるのが逆に怖い。

 声は綺麗だったが、あの羅刹がおっかながるって、どんな女丈夫なんだか。

「審理を始めます……顔を上げてください」

「は……」

 渋々上げた男の目と、こちらを見下ろす夜摩天の目が合った。

 こんな地の底だというのに、男はその目に、地上の世界が見えた気がした。

 どこまでも高い空と、果ての見えない海。

 そんな色を宿した、とても綺麗な青い瞳。

 浄眼。

 この世界の邪悪の全てを見破ると言われたその目が、男を静かに見据えていた。

「では、何か最初に言って置きたい事があれば伺いましょう」

「最初にか……そうだな」

 この男には珍しく、言いよどむ様子を少し見せたが、やがて意を決したように、男は顔を上げた。

「どうだろう、俺を生き返らしちゃくれまいか?」

 

説明
式姫の庭で、夜摩天がいかなる経緯で仲間になったか、という二次創作です。
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式姫 式姫の庭 夜摩天 羅刹 夜摩天料理始末 

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