夜摩天料理始末 2
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「彼は死んではいない」

 半日掛りで診察、投薬を終え、熊野は静かに一同を見回した。

 旧知のおつのに引っ張り出されて渋々来たが、なるほど珍しい上に強力な毒が盛られて昏睡した彼は、名医と呼ばれた熊野の手にしか負えなかっただろう。

 嘆く彼女たちには悪いが、熊野にしてみると、実に何とも面白い経験が出来たし、結果も満足の行く物であった。

 とはいえ……彼女たちが望んだような結果とは、言い難いか。

「では……」

 何か口にしようとしたこうめより先に、熊野の言葉が続く。

「だが、生きているとも言い難い」

「どういう事じゃ?」

 訝しげな仙狸に、熊野は肩を竦めた。

「彼が飲まされたのは、蠱毒を元にした、途方もない強力な毒だよ、普通なら飲んだら絶対に助からない」

 その熊野の言葉に、一部の式姫の顔が強張る。

「……毒ですって」

「やはり」

 おゆきの低い声に、天羽々斬が軽く頷く。

 この辺りを束ねている領主と、妖怪討伐の為に共闘関係を結ぼうという事で催された酒宴から帰った後に、ふっと倒れて昏睡状態に陥った主。

 疑いは有った……それが確信に変わっただけ。

 

「だが彼は、元々が何か途方もない力で守られているらしいね、その毒に耐え、そして、私の投薬で彼を蝕もうとしていた毒は消え去った、五臓五腑の損傷も食い止めた、肉体は問題ないんだ」

「でも、ご主人様が起きないってどういう?」

 いぶかるおつのに、熊野は困惑したような顔を向けた。

「魂が冥府に呼ばれてしまった後らしい」

「完全な死を待たずに、魂が冥府に……?」

 こちらは、天女があり得ないと言いたげに、天狗と共に眉をしかめる。

 

「医者としての私から言えるのはそれだけだね、体の方は当分は死にはしない、後は魂が帰還すれば」

「ご主人様……帰ってくる?」

 飯綱と白兎が涙で真っ赤になった眼を、縋るように向けてくるのから、熊野は目を反らした。

「私からは何とも言えないよ……ただ」

「タダ?」

「……何か希望でもあるのかな」

 こちらも旧知の大天狗、鞍馬と、彼女に縋って泣いていた小柄な式姫の言葉に、熊野は肩を竦めた。

「羅刹君が魂にくっついて行ってるらしいじゃないか、普通の人よりはよほど希望がある状況だよ」

「……とはいえ、わっちらは祈って待つだけか……歯がゆいのう」

 

 否。

 

「うん?」

 天羽々斬の低い呟きが聞こえた気がして、仙狸はそちらに顔を向けたが、彼女はすでにそこには居なかった。

「はて、わっちの気のせいか」

 だが、顔を戻した仙狸は、広間から、天羽々斬以外にも、数人の式姫が姿を消している事に気が付いた。

「ふむ」

 事の真相を聞き、姿を消した彼女たち。

 これから何が起こるか、多少の想像は付く。

(お主は好かぬだろうが、許せよ、主殿)

 席を立とうとする仙狸と、鞍馬の目が合った。

 あやすように、泣きじゃくるコロボックルの髪をなでながら、鞍馬は黙って頷いた。

 自分の分まで頼む……と。

「忝い、後は頼む」

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 浄玻璃ー世のあらゆる事を映し出すと言われる、冥府の裁判官が持つ鏡ーの中に映る光景に、夜摩天と男は軽く顔をしかめた。

「……ひでぇな、俺一人殺すために、部下十人以上巻き添えかよ」

「領主殿は解毒薬を飲んでおき、多少苦しむだけで済ませ、後は貴方や他の人を信用させるために、部下たちにも同じ酒瓶から呑ませる……ですか」

 しかもその中には彼の子も含まれていた。

 自分への疑いを反らし、寧ろ被害者だと言い張るための布石……悪辣な考えを進めれば、それを口実に彼が式姫と共に安定させてきた土地を襲う事もやりかねない……。

 

 とはいえ、その辺りは推測になってしまう。

 浄玻璃は、実際にあった事は映し出してくれるが、残念ながら、人の内心や思惑までは見せてはくれない。

 それは、見る目嗅ぐ鼻の纏める報告書も同じ。

 だが、夜摩天はそれで良いと思う。

 常時揺れ動く人の心の一時を取り出して見せ、そこに悪を見て断ずるなど、思い上がりも甚だしい。

 ゆえに、彼女はその人が実際に為した、その事跡に応じて判断を下すだけの己の職分に満足している。

 心を裁けるのは、神や仏ですらない……結局は己自身で為すべき事。

 

 見る限りこの領主は、甘言に乗っただけの、その辺に幾らもいる、下種で欲深い者でしか無いと判断しても良いだろう。

 問題はもう一人の方。

 浄玻璃は、領主の側近くに仕え、この薬を調合し、酒瓶に投じる人の姿も映し出していた。

 だが、その姿、顔かたちははっきりしない。

 恐らくは何らかの術で己の姿を誤魔化しているのだろう。

 だが、逆にそれは、この人物の術の心得を証明するようなもの。

 

 こいつだ。

 

 勘でしか無いが、閻魔帳の改竄も含め……すべて、こいつの差し金。

 そう判断するために、更に綿密な調べを行うべきだと、自分の理性は声を上げている。

 だが、時間を置くと、この男に逃げ道を与えてしまう。

 そう感じる自分も居る。

 この男はおそらく陰陽師、そして、冥界の調べや裁きを誤魔化す術を把握している存在。

 こちらの通常の手続きは全て把握されていると思った方が良い。

 では、こちらも常には無い対応をせねばなるまい。

 とはいえ、性に合わない事ではある。

 仕事と割り切っているが、気分の良いものではない。

 外からは判らない程度に眉を顰めて、夜摩天は何かを考え始めた。

 

「……殺す。絶対にぶっ殺して、その後で三途の川に石抱かせて沈めてやる!」

 男の隣で、羅刹が物騒な言葉と共に、うなり声を上げる。

「落ち着けって羅刹」

「これが落ち着いて居られるか!あいつら、アンタをだまし討ちにしたんだぞ!あー、もう、今すぐ現世に戻りてぇ」

「あのなぁ」

「戻っても良いですよ……いえ、むしろ一度戻って頂けませんか?」

 二人の間に、夜摩天の声が割って入る。

「ご主人は?一緒に戻れるのか?」

「それは無理です、羅刹、貴女一人でですね」

「んじゃ、ウチは動かねぇぞ」

「彼の損になる話ではありません、ちょっとこちらに」

 常にない夜摩天の様子に、呼ばれた羅刹だけではなく、見る目嗅ぐ鼻をはじめとする鬼たちも訝しげな様子を見せる。

「内緒話とは珍しいね」

「まぁ、偶には良いでしょう」

 夜摩天が身を伸ばし、羅刹の耳元に口を寄せ、何かを一言二言呟いた。

「……良いのかい、んな事しちまって?」

「構いませんよ、是非お願いします」

「冥府の裁判長の願いとあっちゃ仕方ねぇな、引き受けた」

 羅刹は、修羅を食らう鬼と呼ばれた、その物の顔でニマリと笑い、男の方を振り向いた。

「大将、ウチはちょいとあっちの世界に行ってくるよ」

「……あんまり手荒な真似はせんでくれよ」

 その言葉に何も答えずに走り出した羅刹の姿が、すなわち答えだろう。

 現世でこれから起きるだろう事を想像して、男は僅かにため息をついて、夜摩天を見た。

「何を羅刹に頼んだんです?」

「重要な証人を、ここに連れて来て欲しいとお願いしただけですよ」

「冥府に連れて来いと」

「ええ、手段も問わないと言ってあります」

「……意外に手荒いですね」

「閻魔帳の改竄は、確定した段階で地獄送り確定の重罪ですから。それに貴方の謀殺に関わっているのは間違いない事実です、多少手荒い事をして、お越し願っても問題は無いと判断しました」

「多少手荒く……ねぇ」

 俺を殺した奴を、多少手荒くしてでも連れてこいとか、そりゃ嬉々として羅刹がすっ飛んで行くわけだ。

 人間の形を留めたものがここに来られりゃ良いんだが……。

 低く唸ってから、男は表情を改めた。

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「……それで、羅刹を唆して席を外させて、俺にだけ言いたい事は何です?」

 ほう、と僅かなものだが、夜摩天の口と目が、感嘆の意を示す。

「良く気が付きましたね」

「羅刹への頼みも嘘じゃ無いんでしょうけど、まぁ何となく……」

「判っているなら、話は早いです……貴方に選んで頂こうかと思いまして」

「……どの地獄に行きたいかというなら、どれでも構いませんが」

「いいえ、そういう話でしたら、私の方で決めますし、迷いもしませんよ」

 その者の生前の行いに対し、相応しい処遇を定める……それはある程度定まった基準もあり、難しい判断が要るとはいえ、彼女にしてみれば慣れた話である。

「羅刹の居ないうちに、俺に地獄行きを宣告するのでなければ、何を?」

「……何か勘違いしているようですが、彼女がいかに強かろうが、貴方に刑を宣告する必要が有れば、私が彼女を取り押さえるだけの事です」

 荒事からは遠ざかって久しいが、彼女は鬼神の王の一人。

 羅刹とて、彼女の前ではその力を一歩譲る。

 淡々と事実だけを伝えるような彼女の言葉に真実を感じたのか、男は僅かに肩を竦めた。

「……成程、では何を?」

「貴方の状況は極めて珍しい物です……正直私も考えあぐねているのですが」

 そこで言葉を切った夜摩天が、眼鏡を中指で押し上げながら、男を見据えた。

「人間界に戻りたいと言いましたね?」

「許されれば」

「そうですか……」

 その願いを、貴方は抱き続けらますか。

「では、尋ねましょう、人界への帰還と天界への道……選べるとしたら、貴方はどちらを選びます?」

説明
式姫の庭二次創作小説。
夜摩天がいかにして庭主の味方となったのか、第二話です。
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式姫 式姫の庭 夜摩天 羅刹 夜摩天料理始末 

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