真祖との絆語り |
「オガミー、起きてるー?」
ある冬の日の早朝のこと。部屋の外から聞こえてくる、珍しい目覚ましの声。
俺が返事をする前に障子が開いて、真祖が顔を覗かせる。
「真祖?」
「真祖だよー」
こんな朝っぱらから一体なんなんだ。上半身を起こして目をこすりながら、心の中で愚痴をこぼす。
寝起きで機嫌の悪い俺とは裏腹に、真祖の声は明るかった。
「ふああぁぁ……ったく。お前、これから眠る時間じゃないのか」
真祖を含む吸血種達は、日の出と共に眠りに就いて日の沈む頃に起き出すという習性がある。
まさか血を吸いに来たワケじゃないだろう。
闖入者は寝ぼけ眼の主に断りなく、部屋へ入ってきた。
後ろ手に何か持っている。トマトジュースかな。
「はい、これあげるー」
「ふあ?」
目の前に突き出された、白いリボンで装飾された茶色の包み。
「なんだこりゃ」
「ちょこだよー」
「チョコ……?」
「もう、しっかりするのー。今日はばれんたいんでしょー」
「あー?…………あー今日だったか、そうかそうか」
情けないことに、すっかり忘れていた。そんな俺の粗忽な態度に、真祖は少しふくれっ面になる。
「ごめんごめん、ありがとう真祖。眠いのを我慢して、一番乗りで渡しに来てくれたんだな」
チョコを受け取ってから頭をよしよしと撫でてやると、ふくれっ面が徐々に緩んでいった。
さて、もらったはいいが流石に今は食べる気になれない。
かといって、朝食まではまだ時間がある。
「…………」
「どうしたの?元気ないね」
「ん、まぁ、ちょっと……な」
「もしかして、気に入らない?」
「いや、そうじゃないんだ。すげぇ嬉しいよ。ただ……」
ただ、釈然としない。
うまく言葉にできない、心の底にもやもやしたモノが漂っている。
「ちょっと、散歩しないか」
唐突な主の提案に真祖は最初キョトンとしていたが、やがて首を縦に振った。
手早く服を着替えてから、真祖を連れ立って屋敷の外を歩く。
珍しく、外界には辺り一面を覆う程の濃い霧が漂っていた。江戸の町を行き交う人々にとっては迷惑な事この上ないだろう。
これを喜ぶのは顔を見られる事を拒む罪人か、もしくは隣を歩く黒衣の吸血鬼くらい。
無風だが、陽光がうまく届かない朝の地上はそれなりに冷える。俺は鼻をすすりながら、もう少し厚着で来ればよかったと悔やんだ。
「真祖はさ、誰の為に戦う?」
「それはー、オガミの為だよ」
「だよな……」
「どうしたのー?」
真祖の問いかけには答えず、俺は淡々と歩き続ける。
式姫が戦うは主の為。そんなの分かり切っている。
何故尋ねたのかというと、真祖なら違った答えを出すかもしれないと心のどこかで期待していたからだ。
最近まで読んでいた古い文献には、かつて陰陽師は式姫と共に前線で戦っていたという記述がいくつか見られた。
妖との戦闘は幾度も経験してきたが、それは俺自身が直接刃を交えてきたわけではない。
というか、矢面に立てばまず真っ先に殺される。故に、いつだって安全な場所から指示を下すのみ。
それに対して苛立ちや不安を覚えるのは今回が初めてではないし、恐らくこれが最後でもない。
陰陽師にはマニュアルがない。規則や規範もない。いや俺が知らないだけかもしれないけど。
それでも、陰陽師は式姫の行動全てに対して責任を持たなければならないという心得を忘れた事はなかった。
それは時折、プレッシャーとなって容赦なく俺の背にのしかかってくる。
これで良かったのか。
自信はたやすく瓦解し、心の奥底に閉じ込めていた自分の弱さが顔を出す。
そこから目を逸らし、自分に酔っている方がどれだけ楽か。
同じ時を過ごし、同じ釜の飯を食べ、同じ屋根の下で過ごしているのに、俺は――皆とは違う。
彼女らは命を持たない存在。この世の理の外から招かれた異世界の住人。
人と同じように扱うのは、それこそ愚劣というモノではないのだろうか。
「真祖、ごめんな」
「?」
どんな理屈を並べても、俺は自分を好きになれない。それこそ、心中に渦巻く霧の正体。
だから自信を持たない自分の為に戦ってくれる真祖や他の式姫に対して、非常に申し訳ない気がしていた。
ましてや彼女からの好意を受け取る事が――怖かったのだ。
自分で言うのもなんだが、情けない主だ。だけど、この弱さこそ俺である事の証。
誰も俺を咎めず、諫めてくれないのなら、自分で自信をへし折らなくてはならない。
そうでもしなければ、いずれ取り返しのつかない事をしてしまいそうな気がしていた。
「すまんな、勝手に連れ出して」
「んーん、真祖は気にしてないよー」
一人悶々と悩む主に対して、真祖も色々と言いたい事があるだろうに。
俺の心中を察して、じっと黙っていてくれたのかもしれない。
唐突に歩みを止めて、真祖に向き直る。
「なぁ、真祖。俺にして欲しい事はないか?」
「えー?」
とりあえず、悩むのはこれ位にしておこう。話題を切り替えねば。
いくら悩んだ所で解決するワケがない事も、俺はよく知っている。
「いやなに、チョコをもらっておいてお返しの一つも無しってんじゃあ流石の俺も納得しないからね」
真祖が喜びそうなものはトマトジュースくらいのものだが、お返しがそれではつまらなさすぎる。
「んー……それじゃあ、ちょっと目閉じて」
「何?」
「いいからいいからー」
「ん、うん……」
じゃりじゃりと真祖が近付いてくる気配。そっと肩に手が置かれて、俺はビクリと震えた。
まさか、ここで血をちょうだいーガブリなんてやるんじゃないだろうな……。
不安で目を開けたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえる。
んちゅっ。
「…………ッ」
首筋に牙が突き刺さる事どころか、唇と唇が触れ合ってしまったではないか。
顔がかああぁっと熱くなる。霧が出ているとはいえ、こんな往来の真ん中で堂々と……。
五里霧中ならぬ五里夢中か。これは夢か、それとも幻か?ここがロンドンでない事だけは確かだ。
誰かに見られていないかと狼狽する俺の目の前で、真祖が柔らかに微笑む。
「えへへー。少しは元気出た?」
「えっ?あー……?」
「何か、悩んでるみたいだったから。あれこれ考えるより、スッキリしたでしょ」
もしかして、俺を元気付ける為に?
「ま、まぁ、ちょっとは、元気出た、かな」
「真祖でよければー、いつでも相談に乗るからねー」
「あー、あぁ……」
ようやく何が起こったのか理解してくると、別の感情が溢れてきた。
お前って奴は、こんな俺でも愛してくれるんだな……。
ぐすっ。
「あれー?オガミ、泣いてるの?」
「泣いてない」
「泣いてる」
「泣いてねぇよ」
「泣いてるー」
「うるせぇ目に霧が入っただけだ。ほらさっさと帰るぞ!」
「あー、待ってよー」
俺は神様なんて信じていないけれど、さっきまでは疎ましかったこの霧を生んでくれた神様には少しだけ感謝しよう。
なんだかんだで、二つもプレゼントをもらってしまった。
今日だけで、一生分の運を使い果たした気がする。
だけど、たとえこの先運がなくとも。
この強くて優しい式姫と、もう少しだけ共に居させて下さい――。
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