封鎖された世界と黄金の熊
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封鎖された世界と黄金の熊

 

 

 

 私は“出席番号30番”だ。

 それ以外に私のことを示す言葉はなくて、だから私は30からの語呂合わせで「ミオ」という名前で呼ばれるようになった。

 この学校は何もかもを自分たちでする世界で、先生もみんな、この学校で育っていた。

 だけどあの日……私の友達の“35番”が去っていった。

 彼女は、この閉じた世界を狂った世界だと棄却して、学校の塀を乗り越えていってしまった。

 私は、彼女に続こうとは思わなかった。

 だってここは、去るにはあまりにも惜しい世界だと思ったから。

 誰になんと言われようと、私はここにいたい……。だって。

「私はこの学校のことが大好き。一緒に勉強を受けている仲間が。勉強を教えてくれる先生が。……なんで、外なんてよくわからないものに憧れるの?健全な人間の生活って何?この学校に死ぬまでいたら、その健全な人間の生活は送れないの?こんなにここでの暮らしは楽しいのに?」

 ルームメイトである35番。ミコ。彼女のベッドに向けて、そうつぶやく。いや、責める。

 どうして、彼女は行ってしまったんだろう。なんで、どうして……よりによって、私を置いて。

 私がいるこの世界が、彼女は嫌いなの?

 

 それから、私は塀の外を見ることが多くなった。

 そこに憧れているからじゃない。ただ、ミコが。そこに行ってしまったミコのことが、気になっていた。

「……きっと、死んじゃったんだ」

 一ヶ月して、私はそう思い込むことにした。

 ここが本当に狂った世界だというのなら、脱走者は許さない。学校を抜け出した瞬間に殺されてしまうんだ。

 そう、信じた。

 そう信じることで、私はもう、ミコの存在を思い出すことがなくなると思ったから。

 ――彼女のことを思うと、胸が痛む。チクチクと、短い針に刺されるようで。血が出るほどではないのだけど、むしろだからこその痛みが私を苛む。

 だけど。

 

「きっと、生きてるよ」

 彼女はあの塀の向こうで、彼女が夢見た自由を手にしている。

 わかっていた。

 私は彼女に軽蔑され続けていた。檻の中で飼われることを幸せだと思い込んでいる、愚かで、甘ったれた私を。

 でも、それを受け入れたくなくて。

 私は彼女のことを尊敬していたから。尊敬している人に軽蔑されていたなんて、思いたくなかったから。

「――驚いたな。本当にあった」

 夜。夜間の外出は禁止されている。だけど、別に見回りがいる訳でもないので、私は最近、校舎から出て――校門を。彼女が出て行った方を見ることが多かった。

 すると、塀を上ってくる人がいる。――私が知らない人。背の高い、なぜか白いスーツを着た、金髪の男性……。

 その姿はまるで花婿のようで。でも、タレ目がちな目が鋭く絞られているその顔つきは、仕事人のそれだと思った。

 私は直感する。彼は、ミコと同じ人だ。きっとこの学校を否定する。そして、外部からわざわざやってくるということは、この人はこの学校を――。

「やあ、君はここの学生さんかな?」

 男性は、私が彼の険しい表情を見ているのを知らない。にこやかに笑って、そう話しかけてきた。

「は、はい……そうです、けど」

「夜間の外出はいいのかな?いや、別に責める訳じゃないよ。むしろ、君に出会えたのは好都合だ。――この子を、知ってるよね」

 男性はぴらり、と一枚の写真を見せてきた。

 今時、データじゃない写真を使っている人なんて、どれぐらいいるのだろう?でも、彼が見せたのは印刷された写真だった。

 そこには、茶髪の女の子が映されている。少し不機嫌そうな、厭世的な表情。私がよく知る、ミコのいつもの表情――。

「知って、ます」

「もしかして……ミオちゃんかな」

「っ!?は、はいっ……!!」

「そうか、やっぱり。黒い長髪に、150センチぐらいの身長、彼女より胸がある――と聞いていたからね」

「ミコに、ミコに会ったんですね!?」

 私はもう、ほとんど頭の中が真っ白になってしまっていた。

 だって、そうだ。ミコが生きている。生きて、この人に会ったんだ。そして、この学校のことを伝えた――なんのために?この学校を潰すため。ミコは、そうする人だ。

「ああ、今は“まともな名前”を自分から名乗っているけどね。もう察しが付いているだろうけど、僕は君たちをこの学校から救い出しに来た。――この学校はね、本来ならもうなくなっているはずなんだ。だから、僕は初め未来(みこ)ちゃんから話を聞いた時、存在していることを信じられなかった。でも、彼女がそんなウソをついているとは思えない。そして、彼女が聞かせてくれた気の遠くなるような“思い出”は、取り潰されたはずの実験学校のカリキュラムそのままだったからね……信じずにはいられなかったんだよ」

「……この学校が、本来ならなくなっているはず、ですか?」

「うん。僕はそう認識している。だが、その通達が上手くいかなかったのだろう、あるいは内部に暴走があった――この学校は実験的に“大人”を排しているんだ。子どもだけで学校を運営することで、学校という小さな社会の安定化を図る――という目的だったんだけどね。結果はご覧の通りさ。君はきっと、この学校のあり方に疑問を持っていない。だけど、僕のような外部の人間からすれば、異常でしかない。未来ちゃんはよく、自分から気づけたよ。今回の件の英雄は、間違いなく彼女だ」

「この学校を、潰すんですか?」

「本来なら潰れているものだからね」

 男性は悪びれる様子もなく言う。

「……私たちは、この学校が好きなのに、ですか?――あなたたち“大人”は、そうして“子ども”に自分たちの“善意”を押し付けるんですか?だから、この学校が作られたんじゃないですか?“私たち”だけで生きていくために」

「興奮しないでくれ。僕は君の敵じゃない。未来ちゃんから話を聞いているんだよ?」

「……ミコは、私たちの敵です!」

「本心だとは思わないでおこう。彼女は泣きながら、君のことを案じていたからね。彼女の想いが一方通行なものだとしたら、あんまりに可哀相だ」

「っ……!?」

「正直、もっと劣悪な環境だと僕は思っていた。もっと校舎もボロボロな、幽霊屋敷みたいなところで、それが当たり前だと信じて勉学に励んでいる洗脳された子どもたち――それが僕の想像だったんだ。あんまりに未来ちゃんが辛そうに話すからね。でも、この外観なら、内装も立派だろう。今に至るまで学校が続いているということは、少なくともこの学校内では上手く回っている。だから、君がここまでこの学校を守ろうとするんだろう。それはよくわかった。

 だったら、僕はいきなりここを潰そうとは思わない。実力行使することもできるんだけどね。ただ――そうだな。ゲームをしよう」

「ゲーム……?」

「そう、ゲームだ。ルールは君たちが勝手に決めてくれていい。毎回、別のことをしてもいい。ゲームで、僕とここの生徒とが争う。君たちが勝てば、僕は何もしない。僕が勝てば、負けた子をここから連れて行こう。そうして、生徒、教員の全員が連れ出されれば、校舎も壊させてもらう。負の遺産をいつまでも残しておく訳にはいかないんだ。――一人でも勝てば、校舎内に生徒が残ることになる。校舎は壊さない。……どうだろう?」

「な、何をめちゃくちゃな……!そのルールだと、もしも生徒が一人だけ残ることになったら、誰もいない学校で一人生活するんですか!?」

「まあ、それが望みだというのなら。でも、この学校が本当に“成功”しているなら、僕のような場末の警官一人、全員が簡単に負かすことができるんじゃないかな?言っておくけど僕、警察学校は出たけど、自分でも警察に入れたのが不思議なぐらいの落ちこぼれだったよ。見た目はいいから、マスコットキャラ的に入れられた、とかも言われたね。後、これは僕自身が否定する悪評だけど、女性の警察幹部と寝ただとか。……おっと、未成年には刺激が強い話だったか」

「今、真剣な話をしているんですよね!?そんな、この学校の行く末をゲームなんかで……!!」

「真剣だよ、僕は。それがお気に召さないなら、全生徒と喧嘩でもするかい?落ちこぼれだけど、運動神経はそれなりにいいんだよ。素人相手なら格闘術で負けるつもりはないけど」

「……議論を」

「うん?」

「議論で、論戦で、戦いませんか?私たちは、この学校のいいところをたくさん知っています。あなたがこの学校を否定するのなら、議論で言い負かすぐらいのことはしてください。ここは学び舎、知を深める場所です。遊びや格闘で競うより、ずっと適した戦い方でしょう」

「――なるほど。僕の不得意分野だな。なら、専門家を呼んでこようか。……未来ちゃん、予想通りの展開だ。君は彼女のことをよく知っているね」

 突然、男性は電話をかけた。……電話の先に、聴き慣れた『だって、私の親友のことだもん』と言っている声が聞こえた……気がする。

「じきに来るよ。出席番号35番の少女。現在の名前、大羽(おおば)未来。――君の対戦相手だ」

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