Baskerville FAN-TAIL the 25th.
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「うげ」

テレビのニュースを見ていたコーランが珍しく妙な声を上げる。

人間とは違う魔界の住人である彼女がこんな反応をするなど珍しい。それがかえって興味を引いたのだろう。一緒に住んでいるグライダ・バンビールが画面をのぞき込み、

「……なに、この穴?」

画面には地面にぽっかりと開いた穴が映し出されている。奥の方はよく見えない。

「聞いた事ない? 地下に作られたお墓」

地下に作られた墓地。((地下墳墓|カタコンベ))と云われるものだ。

墓地を地下に作ったというよりは、地下の洞窟や空間を墓地に利用したという解釈の方が正しいかもしれないが。

限られた土地の有効活用と言えなくもないが、古くからある町では、忘れられた地下墳墓が工事などで出てくる事がたまにある。そういうニュースだ。

確かに気持ちのいい話題とは言えないが、かつて魔界の警察機構にいたコーランが驚くような話には聞こえなかった。

「昔、嫌〜な奴と戦った事があってね。人界の地下墳墓で」

コーランの言う嫌な奴。奴とは言ったが明確な意志を持った相手ではない。

なぜなら相手は「カビ」だからだ。

だが、たかがカビと侮るなかれ。ちょっとした刺激で勢いよく周囲に胞子を撒き散らすタイプで、その胞子をちょっとでも吸おうものなら、手当をしなければ待っているのは確実な死なのである。

だが高温の火には滅法弱く、火の魔法を生まれながらに使えるコーランは、調子に乗って焼き尽くそうとしたが失敗して辺り一面胞子だらけにしてしまい、危うく死ぬところまで追い込まれたのだ。

今だから笑って話せる話、というものである。

 

 

世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。

ここにも、朝はきちんとやってくる。

同時に、面倒な騒動までやってくる。

平穏な日は、一日としてなかった。

この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。

だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。

 

 

このシャーケンの町には盗賊ギルドというものが存在する。泥棒の組合と言えばその通りなのだが、盗みをやる人間達の集団という訳でもない。

盗賊の持つ特殊技能を活かした様々なサービスを行っている。開かなくなったドアや金庫の鍵開け。犯罪者の視点から考える防犯対策。冒険行の共から町の様々な情報収集まで、仕事の分野は多岐に渡っている。

善かれ悪しかれ表沙汰にはできない汚れた仕事も多いのだが。

実際に盗みを行うギルドのメンバーも多いが、現行犯以外では捕まえられない決まりがあり、またメンバーが捕まってもギルドは一切関知しない決まりもある。

まだまだおおっぴらに町を歩けるという訳ではないが、盗賊ギルドのメンバーというだけで不当な扱いを受ける事は少ない。

とは言うものの、堂々とそうだと名乗る人間はさすがにいないのだが。

グライダの友人であるルリールも、そんな盗賊ギルドに属する一人だ。そんな彼女がグライダの家に電話をかけてきた。

「酒場が壊れたぁ?」

『そうっす。正確には酒場の地下の酒蔵っす』

まるで少年のような口調で話すルリール。もちろんれっきとした女性だ。

久し振りに飲もうと前から約束していたのだが、その行きつけの酒場で酒蔵の壁が壊れたそうである。

もちろんそれだけで営業を休止するほど酒場という場所はヤワではない。だが、その壊れた壁の向こうに地下墳墓に続く洞窟があったと言うから穏やかではない。

さっき見ていたテレビの場所とは違うのだが、こうも同じような事が連続して起こると、何か関連性があるのではと勘繰りたくもなる。

そんな理由で引っ切りなしに警察や調査団が頻繁に出入りしているのではゆっくり飲めやしない。そう判断して中止にしようという電話だ。

だが、こんな話を聞いて家でのんびりしているほど、グライダは穏やかな性格はしていない。

むしろ「どんな様子か見に行ってやろう」と興味が湧き、結局酒場に向かう事にした。

コーランと、双子に見えないほど幼い外見の妹・セリファを引き連れて。

 

 

三人が酒場に着くと、十数人の野次馬が取り囲んで、店には入れない有様だった。

これでは来た意味がないと張られた立入禁止のロープを潜ろうとするが、さすがに警察の目が光っていてそれも叶わない。

「グライダさん、コーランさん、セリファちゃん、こっちっす」

三人を呼ぶ小声に振り向くと、そこにいたのはルリールだった。

後ろ髪をバッサリと切った、これまた少年を思わせる風貌の少女である。まだ高校生だが立派な盗賊ギルドの一員である。

「こっちからなら入れるっす。行くっすか?」

小声でそう言った彼女は抜け道に案内してくれるという。その辺はさすがに盗賊ギルドのメンバー。抜け目がない。

三人はこそこそと野次馬の群れを出て、酒場から離れた。

その抜け道というのは、少し離れた裏道にある別の酒場だった。うらぶれた雰囲気のある暗い酒場だが、盗賊ギルドの支部の一つがここにある。

といっても、その事は町の誰もが知っており、警察とて用がなければやってくる事は決してない。

ルリールが言うには、万一に備えた脱出口の一つが、件の地下墳墓に続いているそうだ。

だから盗賊ギルドの方も、警察の捜索でその脱出口が見つかるのではと神経を尖らせているのだ。そこへ案内しようと言うのだからもう呆気に取られるしかない。

一同が酒場に入ると、そこに余りにも場違いな人物を発見した。

グライダ達と仲のいい神父オニックス・クーパーブラックである。

「クーパー、どーしたの?」

彼に懐いているセリファが真っ先に駆け出して、彼に飛びついた。クーパーはセリファを優しく受け止めると、

「お酒を買いに来たんです。今夜来客がありましてね」

聞けば相手はかなりの酒豪との事で、美味しい酒を求めてわざわざ来たというのだ。

実際この酒場で独自に作っている酒は味も香りも大変よく、知る人ぞ知る「銘酒」なのである。

「皆さんはこれからお食事ですか?」

酒場という名ではあるが、日中は普通に食事を出す店が多い。ここもそんな店の一つだ。

もっとも、そちらの方はあまり評判がよろしくなく、いつも閑古鳥が鳴く有様。

盗賊ギルドの支部の役員を兼ねる酒場の主人は「盗賊ギルドを賑やかにするのもな」と苦笑しているが、実際は料理があまり美味くないだけだ。

店の中で五、六人の男達が昼間からちびちびと酒を飲んでいるが、彼らは皆盗賊ギルドのメンバーだ。

さすがに盗む時とそうでない時の場はわきまえていて(?)、たとえ盗みをやる者でも、ここで盗みを働く事はない。

「ほら。そこで見つかった地下墳墓の様子が、こっちからも見られるんだって」

グライダがクーパーに説明する。

ところがそれを聞いた酒場の主人が、

「ルリール。いくら顔馴染みとはいっても、あんまり部外者を中に入れてくれるなよ」

やんわりと止めに入ったのは、店の地下にこそ盗賊ギルド本体があるからであり、案内するにはその地下へ行かねばならないからだ。

いくら「この店に盗賊ギルドがある」と知られていたとしても、堂々と部外者の立ち入りを許す事ができないのは組織としても常識としても当たり前だ。

特に今は脱出口の一つが見つかるかもしれない瀬戸際なのだから。

ルリールは「大丈夫っす」と一言漏らすとクーパーを見送り、店の奥に皆を案内した。

店の奥の小部屋には、小さなテーブルに両足を乗せて、ワインをラッパ飲みしている白衣の老人が一人いた。老人はルリール達を一瞥すると、

「どっか……具合でも悪いのかい?」

少し酔いの回った間延びした声で尋ねてくる。ルリールは自分のお腹に両手を当てて、

「お腹が痛いの」

その返答に一瞬グライダ達はぎょっとなるが、老人の方はカラカラと笑うと、壁に立てかけてあった木の棒を持って、壁の一点をゴンとこづいた。

すると何もなかった筈の壁にぽっかりと黒い穴が開いた。隠し扉だ。

「地下墳墓の様子でも見に行くのかい?」

「ええ。この人達も一緒にね」

ルリールの言葉に老人は再びカラカラと笑うと、

「気をつけてな」

短い言葉を送り、棒で「行きな」と促す。

「さっきの……合言葉?」

「そうっす。けど内緒っすよ」

コーランの問いにルリールがみんなの方を向いて、指を口に当てて「しーっ」とやる。

それから手招きして地下への階段を下りようとした時だった。

その地下から上がってくる人影が見えたのだ。階段は狭いので、先に外に出てもらおうとルリール達が道を譲る。

しかしその人影はげっそりとした顔で上がってきた途端、その場にどさっと倒れてしまった。思わず駆け寄るルリールだが、

「近寄っちゃいかん!!」

白衣の老人は外見からは信じられない迫力で一喝して、かろうじてそれを止めた。

倒れているのはルリールと同じ盗賊ギルドのメンバーだ。全身に黒い発疹が浮かび上がり、激しい運動直後のようにぜーぜーと荒く息をしている。

それにしては全身から血の気が完全に引いている。明らかに「何かあった」証拠だ。

白衣の老人は注意深く倒れた男に近づくと、

「……こいつは何か毒にやられたな」

男の症状からそう見当をつける老人。どうやら見かけ通り医療の知識はきちんとあるようだ。

それを聞くが早いか、コーランは自らの左腕を掲げると、

「いでよ、ソウラン!」

白い左腕がすうっとかき消えると同時に姿を現わしたのは、全裸に羽衣のみを纏った若い魔族の女性だった。彼女は無表情のまま何か呟くと、高々と両手を掲げる。

すると掲げた両手から黄色い光の粒子が巻き起こり、小さな部屋の中にキラキラと舞い落ちる。

「……やっぱりそうなの、ソウラン!?」

「ハイ。ドウヤライルヨウデス」

光の粒子を見て顔がこわばるコーランの問いに、ソウランと呼ばれた羽衣の女性が淡々と答える。

「い、いるって、何が?」

話が全く判っていないグライダがコーランに尋ねる。セリファは無言で震えたままそんなグライダにしがみついている。

「……イグニス・ファッツァス。朝話したでしょ? 私が昔死にかけたカビ。あれよ」

「カビじゃと? ワシは光の浮遊体と聞いているが?」

老人が不意に口を挟んでくる。コーランは「そうとも言う」と言い捨てる。

その時だった。セリファが急にへなへなとその場に崩れ落ちたのだ。その身体に先程の男と同じ黒い発疹を浮かび上がらせて。苦しそうに呼吸を荒げて。

そして、それから少し遅れてグライダやルリール、老人にもその症状が表れてしまった。

 

 

コーランは自分の携帯電話を取り出すと、すぐクーパーに電話をかけた。

彼は携帯電話は持っていないが自宅の電話は留守番電話だ。せめてメッセージを入れておけばと考えたのだ。

だが運はコーランに味方したようで、留守番電話に切り替わる直前にクーパー本人が電話に出た。

コーランは早口でイグニス・ファッツァスの治療に必要な血清や治療薬の手配をしてくれるよう彼に頼んだ。

イグニス・ファッツァスは人界にしかいないがたくさん潜んでいる者ではない。普通の病院ではそれらが置いていない可能性があるのだ。

だがクーパーは「イグニス・ファッツァス」と聞いた途端震えた声で、

『申し訳ありません。イグニス・ファッツァスの血清や特効薬は、まだ実用化されていない筈です』

その声の、何と悔しそうな事か。

「じゃあ魔法は? 強力な治療の魔法なら……」

『無理です。薬も魔法も、イグニス・ファッツァスには通じるものはありません』

もちろんクーパーは意地悪でそう言っている訳ではない。本当に存在しないのだ。

それから彼は詳しい説明を始める。

イグニス・ファッツァスの正体は、発光するカビの塊である。明確な意志はなく、宙をふわふわと浮かんでいるだけだ。その様子は墓場に現れる鬼火によく似ている。

だがその内部には強い殺傷力を持った病原菌が詰まっており、ちょっとでもショックを与えようものなら外殻の発光カビが割れ、病原菌が周囲にバラ撒かれてしまう。

その病原菌は空気感染し、感染した者の身体に付着すると、その生命力を急激に搾り取って成長していく。その証が全身に出る黒い発疹だ。

そして感染者の皮膚が真っ黒に染まった時、その者の命運は尽きる。

そこまで黙って聞いていたコーランは急激な寒気を覚えた。かつてそんな恐ろしい病原菌に感染した事でだ。

だが、治療法のない病原菌に感染した筈の自分は、今もこうして生きている。おまけに他の人間達が倒れる中、自分だけは全くの平気だ。発疹すら表れていない。

『救いは空気に触れた病原菌の寿命がとても短い事。それに、一度感染した人間には抗体ができて二度目以降は発症しない事。この二つだけです』

もちろんその抗体から治療薬を作る研究が進められている。

一応理論上は完成しているようなのだが、感染ケースが少ない上にまだ大量生産できる段階にはないという報告だそうで、薬の実用化は何年先になるか分からないと言う。

今言えるのは、病原菌が死滅するまで生命力が持てば助かる。そうでなければ死ぬ。それだけだ。

だが、さっきソウランは魔法を使っていた。イグニス・ファッツァスに魔法は効かない筈なのに。聞くと、

「アレハ肉体ノ抵抗力ヲ上ゲル魔法。少シデモ時間ガ稼ゲレバ……」

己の無力さに唇を噛み締めるソウランの姿がかき消えていく。そして元のようにコーランの腕が戻った。

「……コーランさん」

自分の足元からか細い声が。見るとルリールが震える手で携帯電話を操作している。

「話は聞いてたっす。今からこれで、抗体のデータを調べるっす」

電話で何ができる、とコーランは思ったが、ルリールのものはネットへのアクセスが可能なタイプだそうで、そちらで調べてみると言うのだが、そんな簡単に見つかるとも思えない。

そもそも魔法で抵抗力が上がっているとはいえ、動いていては無駄に体力を消耗するだけだ。

「平気っすよ。あたい魔法過敏症っすから」

脂汗をかく顔で笑ってみせるルリール。

魔法過敏症とは、魔法の効果が大きく表れすぎてしまう体質の事だ。

治療でなら便利にも思えるが、傷が塞がりすぎて筋肉が変に凝固したり、解毒のつもりが人体に有益な菌などまで死滅させたりして、かえって害を招いてしまうのだ。

それほど多くの報告例がある訳ではないが、改善法などもかなり研究が進んでいる。

その体質のおかげで抵抗力を上げる魔法が極度に強められ、意識を失わずに済んでいるようだ。

確かにグライダやセリファ、それに白衣の老人に比べると病状の進行速度が極端に遅くなっている。

だが、症状が全く出ていない訳ではない。

黒く小さな発疹が全身を覆っているのは間違いないし、ぜーぜーと喉の奥から絞るような荒い息。全身から血の気の引いた青白い皮膚。どれをとってもイグニス・ファッツァスの症状だ。

「これから研究施設にハッキングをしかけて、データを調べてやるっす。それで何か情報を……」

ルリールは携帯電話を両手で掴み直すと、横になったままでボタンを親指で押している。その表情も真剣そのもの。とても口を挟めるものではない。

以前彼女からパソコンは詳しいと聞いていたが、ネット関連の事も詳しいらしい。

コーランも携帯電話を使っているが、さほど使っている訳でもないし使いこなしている訳でもない。彼女の好きにさせる事にした。

ただ。このまま何もしない訳にはいかない。

コーランは再び電話をかける。その相手は仲間である戦闘用特殊工作兵のロボット・シャドウであった。

『何が在った』

間髪入れずに電話に出たシャドウの合成音声が聞こえる。コーランは現状を手短かに説明すると、

『ハッキングは自分にも出来るが、イグニス・ファッツァス掃討の方が向いて居る』

ロボットであるシャドウなら、カビの病原菌に冒される事もない。確かに適任だ。

『其れから先程、地下墳墓にバーナムが突っ込んで行ったが、彼は大丈夫なのか?』

バーナムとは彼らの仲間であり、武闘家のバーナム・ガラモンドの事だ。

シャドウの言葉に、さすがのコーランも開いた口が塞がらなかった。一体何を考えているのやら。

彼はすぐにバーナムの後を追うと言い、電話を切った。

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コーランは電話を切ると、倒れた皆の様子を見る。

ルリールはさっきから懸命に携帯電話の画面とにらめっこしたままだ。ハッキングすると言っていたが、進んでいるのかはさっぱり分からない。

他のメンバーも先程の魔法の効果か、症状そのものはさほど進行していないようだ。

魔法が効かない特殊体質のグライダも、体力が低下しているためか魔法が効いているらしく、それについては安堵する。

だがこの中ではセリファが一番危ない。年齢敵には二十歳になっているとはいえ、その身体は事情があって十歳程の子供でしかない。その分抵抗力が低いのだ。

シャドウはああ言っていたが、イグニス・ファッツァスの掃討に一番向いているのは自分なのだ。弱点の炎が使えるし、何より抗体があるので感染の危険がない。

だがこの場を離れてしまっては、グライダ達の治療ができなくなる。ソウランが実体化していられるのはほんの短い間のみ。しかもそう離れる事はできない。

治す事はできなくとも、症状を抑える事ができるのだから。自分がやらなければならない。

コーランはもう一度左腕を振り上げ、ソウランを実体化させた。

 

 

警察を振り切って地下墳墓に突入したバーナム。周囲には撒き散らしてしまったイグニス・ファッツァスのカビが舞い踊っている。

だが、そのカビも内包された病原菌も、彼の身体を蝕んでいる様子はない。

それは、彼の全身をくまなく覆う、水のような薄いベールのようなもののおかげだ。

武闘家である彼の流派「((四霊獣|しれいじゅう))の拳」。

人外の者と戦うため編み出された無数の技の一つ、龍の拳「((龍膜|りゅうまく))」だ。

本来は熱や炎から身を守るための技だが、こうして微細な外敵からの防御にも使う事ができる。それに病原菌とてこの水を通過してバーナムを害する事はない。

その代わり物理的な攻撃に関しては脆いと言わざるを得ない。これよりワンランク上の「((龍鱗|りゅうりん))」という技もあるのだが、まだ彼の実力では使えない。

だがそれでも行動に不自由はない。今度はカビの塊を刺激しないよう、注意深く複雑な迷宮のような地下墳墓を駆けて行く。

さすがに今の位置に人の気配は全くない。同時に明かりなども全くなく、完全に真っ暗闇だ。バーナムも懐中電灯一つ持っていない。

そんな中でもバーナムは壁にぶつかる事なく地下を進んで行っているのだ。これも武闘家としての実力が為せる技なのか単なる慣れなのか。

少し先の分岐路に何かいる事を察知したバーナムは、一見気づいていない振りをしてそのまま間合いをつめる。

その「何か」から二メートル程離れた位置で立ち止まると、

「……シャドウかよ。何の用だ」

真っ暗にもかかわらず、保護色のような黒いボディのシャドウの存在をはっきり見抜いたバーナム。

「バーナムこそ何の用だ。失われた地下墳墓で墓荒らしの真似事でもして居るのか」

暗闇の中から聞き慣れた合成音が聞こえる。その声に彼を非難する雰囲気はなかった。もっとも平坦な合成音なのでそこまでの雰囲気は元々ないが。

「警察の包囲を抜けて入ったろう。皆が心配して居る」

「余計なお世話だっての」

心配されているのは有難いものだが、何から何までとなるとさすがに鬱陶しく感じる。

バーナムは闇に慣れた目でシャドウを観察すると、その小柄な身体を活かしてシャドウの脚の間をすり抜けた。

「心配するなって言っときな」

そう言って走り去るつもりだったバーナムの足が、少し離れただけでピタリと止まった。シャドウもその異変に気づく。

暗視カメラでその様子を見つめたシャドウは「成程」と思い彼の後ろに立つ。同時にジャキッと鋭い金属音がしてシャドウの右手が引っ込み、代わりにごつい電極が伸び出てきた。

なぜなら。二人の目の前には件のイグニス・ファッツァスとおぼしき光るカビの塊の大軍がふわふわと漂っていたのだから。

暗視カメラではもちろんの事、闇に慣れた目には眩しい、ぼんやりとした淡い光達。

しかしその中には、人間を軽く殺す事ができる病原菌が無数に詰まっている。

シャドウは知識で、バーナムは「何となく」という勘でそれに気づいている。

病原菌は種類によって異なるが、基本的にカビは適温環境で水分と栄養分さえあればいくらでも生き延びられる。

この忘れられた地下墳墓の湿った空気にはそのどちらもが豊富に存在しており、イグニス・ファッツァスにとってはここはまさしく理想郷。

「何を((為|す))る積もりかは知らんが、避けて通る事は出来ないのか?」

「無理」

バーナムがシャドウの言葉に即答すると、闇の中漂うカビの群れを観察する。

バーナムが使う「四霊獣龍の拳」はその名の通り龍の加護を持つ強力な技を使うものだ。だが龍は水を司る霊獣。別に直接水を出す訳ではないが、水ではカビは倒せない。

一方のシャドウは高熱を出すビームガンを所持しているが、射程距離は長くとも有効範囲がとても狭く、大量のカビと対峙するにはいささか頼りない。

シャドウはバーナムより数歩前に出ると、右手の電極を最大電圧でスパークさせた。

バチバチバチチッ!!

明るい場所でも目を眩まさんばかりの火花が墳墓内に激しく散る。その瞬間だけ辺りが明るくなる。そしてその五十万ボルトの電圧が生み出した火花が、カビに次々と引火して燃えていく。

ビームガンよりはマシだが、それでもイイ効率とは言えない。奥にいるカビは無傷である。

「((如何|どう))したもの((哉|かな))」

大して期待していなかったのだろう。シャドウは事態の割に軽い口調でバーナムに問う。当然そんな事バーナムに分かる訳もなく、

「んなもん俺が知るか。大体カビはどうすりゃ死ぬんだよ」

「黴は適度な温度と湿度と酸素、其れから栄養と((成|な))る有機物を必要と((為|す))る。其の何かでも欠ければ存在が難しく成る」

「ったく、相変らず小面倒な言い方だな」

「燃やす事が出来れば簡単だが、其れは黴内部の病原菌を空中に撒く結果に成るだろうな。此の病原菌の方は少々の火では死滅しない」

意志なきカビがふよふよ漂うのを見ながら、バーナムとシャドウの会話は続く。

「黴を一カ所に隔離して、其の黴のみを一千度以上の火力で消却させれば或いは……」

あいにく今のシャドウにはそれを行うだけの装備がないし、バーナムもそれができる程の技はあいにく持っていない。

つまり。大の男が二人もいながら手をこまねくしかなかったのだ。

 

 

かたわらに立つソウランの両手から溢れる光の粒子。だが心なしか、その量も勢いもさっきより弱々しく見えた。

いくら魔法を使う事に長けた魔族とはいえ、何度も連続して魔法をかける事ができる訳ではない。

だがそれでも、短い時間しか実体化させられないソウランの魔法で、どうにか病原菌に蝕まれるスピードを遅らせている。

こうも連続して実体化させ続けるのはあまりやらないので、コーラン自身の体力もだいぶ落ちていた。

そんな彼女の足元で、横になったまま携帯電話でハッキングを続けているルリール。その顔には疲労の色が濃く出ており、普通ならとっくの昔に倒れているだろう程だ。

そんな時、店の外から小さく悲鳴が聞こえてきた。

その悲鳴を盗み聞くと、どうやら近所の酒場から入った警察にも、このカビの被害者が出たらしい事が分かった。

だが空気感染とはいえ、大急ぎで逃げれば感染する事はおそらくあるまい。

先程クーパーからその対策に呼ばれた旨は聞いている。つまり、グライダ達を助けるのに彼の助力は得られないという事だ。

だが彼が来たところで、今は時間を稼ぐくらいしかできない。治療法がないのだから。

疲れているソウランには悪いが、もう一回同じ魔法を使ってもらおうと決めた時、

「コ、コーランさん。見つけたっす……」

げっそりとやつれ焦点の合わない目。そんな顔で嬉しそうに携帯電話の画面を見せるルリール。コーランはそれを奪うようにして画面を見た。

それはルリールがハッキングして見つけた、とある新薬研究所の実験データだった。

 

『イグニス・ファッツァスはカビなのだがら、カビを退治する方法がそのまま使える。問題の病原菌も、ナトリウムには弱い事が判明した。』

 

画面に出ている文章をスクロールさせながら無言で読み続ける。読み進めるうちに、コーランは新薬研究所が「大量生産に踏み切っていない理由」をおぼろげながら察した。

一つは、イグニス・ファッツァスの出現率が極めて低い事。

もう一つは仰々しい薬を作る必要が全くなかった事。それはつまり、一般家庭にある物でも充分以上に代用が利く事が判明し、わざわざ新薬を開発する意味がなくなったから。

さんざん時間と費用を注ぎ込んで研究した成果がそれでは、研究員達もさぞぽかんとした事だろう。うやむやにしてごまかしたくもなろうというものだ。

 

『ナトリウム単品でも効果は望めるが、ナトリウム1・炭素1・水素1・酸素3の割合で結びつけばより効果がある。』

 

コーランに化学的知識はあまりないが、そこまで読んで「だったらその割合じゃなくて、それでできている物質の名前でも早く挙げろ」と思うコーラン。

理数系の人間の話は、どうしてこう回りくどい上に酷くもったいぶるのが多いと嘆きながら。

一応その後にそれらしき物質の名前が書かれてあるようなのだが、

「炭酸水ソソディウム……?」

炭酸水は分かる。だが「ソソディウム」などという物質は、化学にうといコーランの知識にはなかった。

「ソソディウムって何!?」

 

 

「湿気に強いって事は、凍らせてもムダって事か」

シャドウの詳しい解説(バーナムには鬱陶しくしか感じなかったが)を聞き流しつつ、カビを睨むバーナム。

「凍らせても死滅する種類は居るが、在の黴は活動が鈍るだけで死滅はしない」

シャドウは嫌な顔一つせず律儀に解説を入れる。

「強行突破はしないのか?」

いつものバーナムならそうしているだろうと、シャドウは尋ねてみた。すると、

「あいにくもう時間切れだよ。しばらくはダメだ」

バーナムは全身から水の膜が消えている事を忌々しく思っていた。元々長時間持つ技ではないがここまで持続時間が短いとは思わなかったのだ。

もう一度やるには疲労した気の回復を待たねばならない。だがそんな時間を取る余裕もなさそうだ。

自分達の後ろから、何者かが近づいてきているのに。懐中電灯らしき明かりが近づいてくるのに!

「……やっと見つけた」

いきなり聞こえた声は、コーランのものだった。バーナムは「何の用だ」とチラッと見ただけだが、事情を知っているシャドウは、

「二人は大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。運が良かったもんでね」

コーランはずかずかとカビに向かって歩いていく。片手に懐中電灯。もう片手には大きな袋を持って。

「炎で焼き尽くす積もりか」

確かにコーランの炎ならカビを総て焼失させる事も可能だろう。だが彼女は懐中電灯をバーナムに渡してから大きな袋の口を開けると、

「こっちの方がいいわ。魔力使わなくて済むし」

無造作に袋の中に手を入れ、中の物を強く叩きつけるようにカビめがけて撒き散らした。

するとどうだろう。その粉状の物がカビに触れるとその衝撃ででもカビは破裂していく。

だが肝心の病原菌が撒き散らされている様子は全くない。むしろ病原菌の活動がみるみるうちに弱くなって死滅しているのが、シャドウには分かった。

「新薬研究所のデータでね。この病原菌の弱点が分かったのよ」

コーランは力なく持っている袋を掲げて二人に見せる。バーナムが向けた懐中電灯の明かりに照らされたその袋には「重曹」と書かれてあった。

重曹。重炭酸((曹達|ソーダ))ともいう。化学的には「炭酸水素ナトリウム」。

お菓子作りにも使われるベーキングパウダーの主成分であり、堅い肉を柔らかくする下ごしらえにも使われる。毒性はないし大量摂取しない限り人体に危険が及ぶ事もない。

また茶渋や手垢、油汚れを落とすのにも使えるなかなかに便利な物質で、気の利いた雑貨屋や薬局で簡単に購入できる。

理由や原理までは調べる事ができなかったものの、この病原菌の意外な弱点がこの重曹だったのだ。

ルリールが調べたデータにあった「炭酸水ソソディウム」とは、単に炭酸水素ナトリウムの誤変換であり、ソディウムとはナトリウムの別名らしかった。

「そうと分かった時は、さすがに脱力したわよ、実際」

勢いよく重曹をばら撒きながら、コーランはため息をつく。自分が死にかけた病原菌の弱点が、簡単に手に入る重曹では無理もないが。

試しに重曹を少量飲ませてみたところ、ものの十分と経たぬうちに黒い発疹は薄くなった。もう少し経てば病原菌の寿命が尽きて死ぬ事はないだろうというのが、駆けつけた医者の見立てだ。

そうしてばら撒いているうちに、イグニス・ファッツァスは病原菌ごと全滅した。いともあっさりと。シャドウのレーダーで見てもカビも病原菌も総て死滅している。

それに致命的な弱点が分かっているのだ。万一感染してしまったとしても、もう怯える事はない。

「それにしてもバーナム。あなたこんな地下墳墓に何しに来たのよ」

警察の包囲をも振り切って真っ先に飛び込んだその様子は尋常ではない。聞きたくもなろうというものだ。コーランの気持ちは良く分かる。

バーナムは言いたくなさそうに、また言いにくそうに口をヘの字にしてそっぽを向いていたが、やがて「他言無用」と念を押して口を開いた。

「この地下墳墓に、オレの全財産を隠してあるんだよ」

この地下墳墓は人が入らなくなって随分経つ。おまけに存在は知られていない。まさしく「隠し場所」には絶好の場所だ。

だがアクシデントで地下墳墓の存在がバレてしまった以上、見つかる可能性は高い。どのくらいの額かは知らないが、見つけた人間が持って行く確率はかなり高いだろう。

二人は「成程」と思った。全財産の危機であれば慌てるのも当然か。

だが、それを聞いても疑問は残る。

「ならば銀行等に預ければ良いだろう」

シャドウがその当然の疑問を口にした。コーランもそうそうと言いたげにうなづいている。

確かに銀行に預けておけばこうした意味の盗難は心配ないし、わずかでも利息がついてお金も増える。

バーナムは「やっぱりそう来たか」と呟くと、バツの悪そうに頭をかきながら、 

「銀行はダメなんだよ」

「信用できない?」

意地悪そうに即返答したコーランの言葉に、バーナムは「分かってんだろ」と言わんばかりに腹を立てて言った。

「オレにキャッシュカードとかATM……だっけか。そんなの使える訳ねーだろ」

バーナムの極度の機械オンチを二人とも忘れていたのだ。それは電卓すら満足に使えないレベルなのだから。

かといってキャッシュカードの暗証番号入力はもちろん、こまごまとした金の引き出しを他人に頼む訳にもいくまい。

二人は「そうだったな」という顏をすると、シャドウが代表するようにこう言った。

「一人暮らしなら、其の位覚える((可|べ))きで有ろう」

説明
「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。
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Baskerville FAN TAIL 世界 部隊 魔法 魔獣 クリーチャー 日常 秘密 

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