夜摩天料理始末 47 |
閻魔と夜摩天の二人が、都市王を迎え撃つ。
振るわれる速く重い剛剣を、だが、こちらも一歩も退かずに、夜摩天が真向から受け止める。
冥王最強を謳われた彼女が、最も慣れた得物を手にした今、例え殺生石の力を都市王が得たと言えど、その武に些かも劣る所は無い。
「ふっ!」
刃が噛み合う、その間髪を入れずに手にした斧に力を込めると、それが瞬時に紅蓮と燃え上がる。
一方の都市王も、流石に武を以て夜摩天の位を伺った存在である、刃を噛み合わせ、相手の武器を破壊しようとする夜摩天の動きを外し、最少の動きで、彼女に切り返しの一撃を放つ。
その時、彼の視界を僅かに掠め、閻魔が身を低くして踏み込んできた。
夜摩天に対応しようと、意識と体が、完全に彼女の方を向いた一瞬の機を逃さず、彼の死角に最短で滑り込んでくる動き。
その閻魔に、慌てて対処しようと、都市王が、一方の手にした鞘を振るおうとする。
その動きを牽制するように、夜摩天は、都市王の切り返しを躱しつつ、閻魔とは正反対の方向に一歩を踏み込んで、斧を振るった。
流れるような二人の連携。
かつて戦場で肩を並べて戦った二人が、阿吽の呼吸で放った攻撃が、一瞬どちらに対処しようか迷った都市王の体を綺麗に捉えた。
閻魔の攻撃が都市王の左脛に、夜摩天の攻撃は、都市王の右手首に、斧の重厚な刃が食い込み、灼熱の刃が肉を焼き焦がす嫌な匂いが辺りに立ち込める。
ごつりという骨を断つ音が、そこに重なり、どさりと切断された手首が落ち、脛を断たれた体が地に転ぶ。
常ならば、それで勝負が付く一撃。
「がぁぁっ!」
苦痛の叫び……一瞬そう思った二人だったが、その響きが別のそれである事を、本能が感じ取った。
それは、攻撃に移る時の、殺気に満ちた気合声。
それを悟ったのとほぼ同時に、閻魔と夜摩天の体に衝撃が走った。
「なっ!」
予想だにしていなかった位置からの攻撃が、さしも武の達者たる二人の体を冥府の法廷の床に転がした。
「ったぁ!……何なのよ、一体?」
咄嗟に翳した腕が折れ、防ぎきれなかった衝撃が体を走り、さしもの閻魔が動けない。
右手にした斧を離す事は無かったが、体に力が入らない。
一方の都市王も、流石に左脛を完全に切断されては、彼女達に追撃までは出来なかったらしく、その場に座り込んでいる。
だが、二人がその光景に安堵する事は無かった。
彼が、切断された左足を拾い上げ、傷口に近づけると、それが融着を始めようと、肉が盛り上がり血が湧きだす。
その盛り上がった肉が焦げ、血が沸騰する嫌な匂いが辺りに漂う。
冥王の操る地獄の炎に焼かれた傷はその炎を宿し続ける。
「産地直送の地獄絵図とはぞっとしないわね」
「……ええ、でもいかに、獄炎といえど、あの再生を阻むのは、長続きはしないでしょうね」
あの再生能力では、あの炎を乗り越え、あの肉と血が、切断された体を融着するのは時間の問題。
だが、その力以上に、閻魔と夜摩天を驚かせたのは、彼の姿の変容ぶりだった。
その背中から、元の腕とは別に、四本の腕が伸びる。
蒼黒く変色した逞しい上半身から六臂(ろっぴ)を生やしたその姿、それはさながら。
「……明王(多数の顔と腕を持ち、仏敵を調伏する仏)の戯画のつもりですか、相も変わらず悪趣味な」
「あんちくしょーは、あたしら一人当たり腕三本使える訳ね……こっち二本なのにずるいわー」
「……何呑気な事言ってるんです、初級の算術でもあるまいに」
体の痛みで乱れる呼吸を、軽口を叩きながら何とか無理に鎮める。
呼吸法により、真気で体を満たし傷を癒しながら周囲を見渡した夜摩天は、その時、自分の視界の隅がひび割れている事に気が付いた。
最前の一撃で、愛用の眼鏡を壊された事を悟り、珍しく口の中で一しきり悪態をついてから、閻魔の方に顔を向けた。
「閻魔、動けそうですか?」
「……暫く無理、そっちは」
「そちらよりは、多少は良い……程度ですね」
実際、彼女自身も、まだ体に力が入らない。
冷静さは保ちつつも、焦りをにじませて、夜摩天は前を向いた。
その視界の中で、座り込んだ都市王の左脛が、そして、右の手首も、沸騰する血が絡みだし、再び繋がろうとしていた。
「どちらが先に動けるようになるか」
それが、勝負を分ける……か。
その時、互いに身動きが取れず、睨みあう三人の側面から淡い光が差した。
「今度は何よ?」
冥府では珍しい、燐光や灯火とは違う柔らかい光を訝しみながら、閻魔がそちらに目を向ける。
「……グ……ウ」
都市王が不興気に呻く……いや、それは殺生石に残り、この肉体を操る玉藻の前の意思か。
彼女が最も憎み、忌み嫌ったその光を避けるように、それは、忌々しげに目を反らし、顔の前に手を翳した。
「これは」
夜摩天の体の痺れが、僅かに薄れる。
方術である癒しの光のような力は、その光には無い。
優しく傷ついた体に手を添え、さすり、励ますような、そんなささやかな力。
人が誰かの為に、その幸せを願い、涙を拭う事を願い、痛みに寄り添おうとする願い。
そして、次の世に、大事な想いを託して、少しずつ世界を変えてきた。
この光は、そんな原初の、全ての方術や道術の元になった大いなる……そして人が誰しもが持っていた力。
「……祈りの光」
大地が再び鳴動した。
屋敷が轟音と共に崩れ、夜闇の中に紅蓮の炎を吹きあげ、火の粉を高々と舞い上げる。
その地獄絵図のような様も、揺れすらも感じていないかのように、こうめは、無心で男の体に文字を書き付けていた。
なぞってみて判ったが、この文字に込められた呪の、本来の力は尋常な物では無い。
一文字一文字に、式姫を召喚できるほどの、そう、神を降ろすだけの力を込めた文字。
彼の魂がある冥府から、この現世に届く程の力。
それだけに、こうめはこの、うっすらと浮かび上がる文字を、その意味する仏尊を読み誤る訳にはいかない。
恐らく、一文字間違えれば、この呪は失敗する。
もし失敗したら……その恐怖は確かに有った。
しかしこのまま手を拱(こまね)いていても、呪の文字が判読不能な程薄い現状では、術の力は、この世界に届かず、術者の意図する力が顕現する事は出来無いだろう。
いかに困難であろうと、向うから伸ばされた手を、こちらで取り、引っ張る。
やるしかない、ならば躊躇ってはいけない。
文字を何度も何度も指でなぞり、その形を頭に思い、必死でその形を梵字から探し、その種子が意味する仏を記憶から掘り出し、何度も己の中で反芻し、納得できてはじめて墨でその字をなぞる。
現在までこうめは六文字を彼の体に書写し、七文字目の解読に着手していた。
毘沙門天、十一面観音、如意輪観音、不動明王、愛染明王、聖観音。
解読している隣に、うっすらと八文字目が浮かぶ。
まだ、この種子を書いている人が為そうとしている事が何か、こうめには判らない。
だが、判らない事を嘆き、焦る事は無かった。
自分の力が、これを理解できる所にないなら、今はただ、この文字を追う事だけに全力を傾ける。
今、こうめの頭を占めていたのはこの事だけだった。
三昧境。
一種の悟りに近い境地で、こうめは、ただただ、この文字を読み解く事に、己の全てを没入していた。
「……見事」
そのこうめの様を見ながら、蜥蜴丸は一つ大きく頷いた。
この少女は知っている。
人が一人で何かを為さんとする時、己の不足を嘆き、尻込みする人ではなく、己の持つ全てを賭して事に当たる人にこそ、道は開かれる事を。
並の人では、いや、僧だの神官だのでも、中々に到達出来る物では無い境地に、今この少女は至っている。
それは、この少女が、普通の幸せな少女ではありえなかった事の裏返しでもあるが……。
蜥蜴丸は、初めて彼女を、主が保護している少女では無く、こうめという存在として認識し、そして、畏敬の念を覚えた。
正直に言えば、主がこの世に戻ってくる可能性は極めて薄いと蜥蜴丸は思っている。
なのに、不思議とこの少女の姿に、そんな自分の思いを超えて、信じるに足る何かを感じる。
とはいえ、残された時は短い。
あの妖狐の姿が見えないのは、鞍馬が何らかの術なり策を用いて、抑え込んでいるのだろう。
だが、最前から続く不気味で不自然な揺れが、その抑えが効かなくなっている証である事を、蜥蜴丸の戦士の本能は悟っていた。
戦いが近い。
未だ、かつての力の半分も取り戻せていない我が身ではあるが、不思議と、蜥蜴丸の心は、この状況にあって、非常に静かな境地にあった。
ただ、我が一剣に、今まで練磨したる全てを込める。
この少女のように、今自分に出来る事がそれしかないなら、それを為すのみ。
蜥蜴丸は、もう、主の体を抱え、逃げる事は考えていなかった。
どの道、この庭から出る事が叶わない以上、先は無い。
ならば、ここに留まり、何か、この少女が為さんとしている事が実を結ぶ事に賭けようと……蜥蜴丸はそう決意していた。
貴女が為さんとしている事を完遂するまでの時間程度は、今の私でも稼げるでしょう。
「心残り無きよう、存分になさいませ、こうめ殿」
貴女の身には指一本触れさせません……例え、この身が折れようと。
式姫の庭を遠く見る事ができる丘の上。
その場所でも足下に強い揺れを感じて、彼女は憂わしげに眉を顰めた。
あの庭から距離を隔てたここまで、大地の揺れが伝わってくるという事は、八門の迷陣が次々に破られ、あの妖狐が現世に更に近寄って来た、それは証。
「七の門まで破られましたか……鞍馬さん、どうするおつもりです」
残る守りは一つだけ。
あれを破られては、邸内に残っている式姫達だけでは、玉藻の前が残した怨念の化身たる、尾裂妖狐に対抗するのは難しいだろう。
天羽々斬、紅葉御前、童子切、鈴鹿御前は、庭の方に向かっているが、合流には今しばらくかかる。
おゆき、仙狸、羅刹は動けず、明王に化身する秘術を使ったおつのは力を使い果たし、戦う力は残っていない。
庭の周囲に展開した式姫達は、まだあの尾裂妖狐、藻の放った金の獣の妨害を突破出来ずにいる。
このままではまずい。
今ほど、この世界への干渉を禁じられている我が身が疎ましく思えた事は無い。
とはいえ、これ以上、自分に出来る事は無い。
いや、本来であれば、今回の件では、彼女の干渉は既に度を越していると言われても仕方ない。
もう、後は閻魔や式姫達に託し、その結果を受け止めるしかない。
見守るしかないのだ。
己に言い聞かせるように、再び庭に、その眼鏡の奥で静かに光る千里眼を凝らす。
紅蓮と燃える広大な庭で、砂粒一つを探すかのように。
そんな彼女の目が、それを見た。
「これは?」
それはとても小さな、だけど、目を離せない光。
彼女の唇が僅かに綻ぶ。
これは面白い。
「私を、誘(いざな)いますか?」
ナンジニ、トウ。
妙な声が聞こえた。
それが、眠っているようだった自分の意識を呼び覚ます。
自分が今どこにいるとか、そもそも今どうなっているとか、不思議と気にならなかった。
いや、どこかで、自分がその声に答える以外、何も出来ない事を、悟っていたのかもしれない。
何を問う?
発そうとした声が音にならない事を訝しく思ったが、どうやら「それ」には通じたらしい。
ナンジ、ナニヲノゾミ、セイヲネガウ?
生きる事に理由が必要なのかね……。
だが、この問いが、それ程単純な物では無い事を、彼はどこかで悟っていた。
人としての生は喪ったが、より安逸という天界での再生を約束されたのに、それを拒絶し、人としての生を望んだ。
生きる事に理由が要らないと言うなら、何故俺はより楽な方に乗り換えなかったのか。
何故俺は、躊躇いなく、人の生を選んだのか。
彼の中でも全てが整理されている訳では無い……その答えを求められている。
ナンジ、セイジャゼンアクヲ、ナントカンガエル?
同じような、だが別の響きを伴う声が、更に問いを発する。
これもまた、大仰な問いだ。
これに答えられて、ある程度の人を納得させられりゃ、宗教の開祖様位にはなれるんじゃねぇのかな。
正邪善悪は、立ち位置や人生に応じて変わる皮相な物。
少なくとも、俺の認識はそうだ。
だが、本当にそうなのか、人の浅薄な知見で、断言するのは傲慢では無いのか。
そもそも、先の考えからすれば矛盾ではあるが、俺はこの世に正しさなんて無いと思って生きているのか。
そうでは無い……だが、自分の生き方が正しいとは断言もできない。
ナンジ、イノチト、ソノ「シ」ヲ、ナントカンガエル?
そして、第三の声。
生きてある事、死とは何か。
人の生とは、そして式姫の生、妖の生。
そこに差は有るのか、長短は置いて、根源的な意味において、差は無いのか。
生きる事、その可能性を奪う死という物を、どう扱うのか。
ぼんやりとしか考えていなかった。
ただ、常に心の隅に引っかかっていた疑問。
コタエヨ。
性急だな。
面壁九年じゃねぇが、名僧知識が一生掛かっても、そのうち一つでも、満足の行く答えが出せれば上等だろうに、一介の凡夫たる俺なんぞが……。
コタエヨ。
答えは出せるのか。
コタエヨ。
そも、答えを出す事に、意味は有るのか?
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式姫の庭の二次創作小説です。 前話:http://www.tinami.com/view/985816 |
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