戦禍のファンタジア 戦争と革命の世紀の愛 第2話 神に授けられた運命 |
第一章 神に授けられた運命(1911年ロシア帝国)
アレクサンドルの生い立ち
それは”氷の帝国”とも言えるほど寒さのイメージの強いロシアでも焼けるように感じられた暑い夏だった。1891年8月13日、僕ことアレクサンドル・アンドレエヴィチ・ヴォロノフは、そんな夏の夜にペルセウス座流星群という星の雨に見守られながらロシア帝国の都サンクトペテルブルクに生を受けた。父アンドレイはロシア皇室に仕える宮廷画家でサンクトペテルブルクに住む名誉市民であり、母ナターリヤはフランス革命でロシアに亡命してきた貴族の家系である伯爵家の娘で、僕はその二人の長男として生まれたのだ。父と母は、当時貴族社会でも流行り始めていた恋愛結婚であると同時に格差婚であり、母の身分の方が尊かったため、僕をはじめとする子どもたちは母方の親族の影響を大きく受けて成長することになった。
アレクサンドルという名は古代史の英雄アレクサンドロス大王に由来し愛称はサーシャ、姓であるヴォロノフはロシア語でワタリガラスを意味する。ワタリガラスは世界の神話を見渡せば神の使いであったりする神聖な鳥だ。ロシアにはアレクサンドル・ネフスキーという中世のロシアを救った伝説的英雄もいる。僕は偉い名前を付けられたものだが、僕は救国の英雄とかましてや神聖な英雄にはどう転んでも資質がない男だ。でも僕にアレクサンドルという名をくれたのは母方の祖父で彼の名もまたアレクサンドルと言った。祖父は無類の歴史好きで様々な国の歴史に通じていたが、日本人の血を引くこともあって日本の歴史や文化には殊に造詣が深く、趣味が高じてサンクトペテルブルクにロシアではこれまでになかった本格的な日本語学校を創設し校長になったほどの人だった。それに加え歴史好きの性なのか、祖父はそんじょそこらの政治家に負けないほど優れて先見の明があり、世の中の動きを大局的に把握し、極めて理知的で冷静な人であった。日本人やフランス人といった複雑な血を引く祖父は当時世界を支配していた民族主義的差別観を是としなかった。無宗教ではなかったが過度に宗教に依存はしない近代的な人であった。そんな祖父は僕にとって憧れであり尊敬すべき人生の模範であった。アレクサンドルという名はそんな祖父にこそ相応しい。僕はこの祖父から日本語や日本の歴史、文化を学んだ。祖父は第二の祖国とも言える日本の文明を心から愛していたのだろう、僕は幼い頃祖父に連れられて何度か日本の土を踏んだ。だから僕にとっても日本は第二の祖国だと思っている。祖父は僕に何を期待して偉大な自分の名前をくれたんだろう。今はまだ分からない。僕が祖父から受け継いでいるのは、祖父のように先見の明があるわけではないが世の中を一歩引いて醒めて見ている冷静さと、過度に宗教に期待しないニヒリズムくらいなものだ。そんな僕にとって忘れられないのは祖父の人生観そのものだ。
「いくら信心深く神を信仰しても神は自ら行動しない者は助けない。結局自分の人生を切り拓くのは自分自身で、それを怠る者を神は救ってはくれない。求めよさらば与えられん、とはそういう意味を表わしていると思うんだ。逃げてばかりではダメだ、人にはそれぞれ神に課された宿命というものがあって、それに真剣に立ち向かえた者だけが真の人生の勝者となれる気がするんだ」
おじいさま、あなたは人生の勝者になれたのですか。僕はあなたのように強くなれない、いつも逃げる事ばかり考えている気がする、それでも逃げようとするとあなたの言葉が頭の中のどこかで響き渡る。おじいさま、本当は僕だってあなたのようになりたいんだ。だから僕には相応しくないかもしれないけどアレクサンドルという名をくれたあなたに感謝している。あなたの残した言葉はこれからの僕の人生の指針になってくれるのだろうか。あれほど日本を愛しロシアと日本、二つの祖国の友好を願っていた祖父は、1905年この二つの国の間の戦争のさなかに世を去った。僕はその時十四歳だった。祖父はさぞかし無念だったと思う。僕が無意識のうちにロシアと日本の架け橋になりたいと思ったのはこの頃からかもしれない。祖父は別れの際にこうも言い残した。
「できるならより多くの世界に触れ、見聞を蓄えなさい。それが将来のお前の役に立つはずだから」
僕は小説家になりたかったらその言葉は天命のように聞こえた。僕の平凡な両親は僕に帝国の役人になって欲しかったらしいが…しかしながら祖父とは異なり今ある生活にしか関心を払わなかった両親の下、それからの六年間は僕は世間の情報にはあまりにも無知になってしまった。それは過保護すぎる両親の教育方針であり、我が家の置かれた事情にも問題があったのだ。もちろん僕が臆病で祖父のように果敢に社会や世界との繋がりを持とうとしなかったせいでもあるが。それでもこの同名の祖父が僕の人生に残した波紋は決して小さなものではなかった。
祖父が亡くなって僕は時代の魁を生きた祖父に感化された部分が大きければ大きいほど一抹の虚しさと寂しさを感じた。大半の人びとは父や母と同じで空前の人口の増加、技術の発達、世界的なグローバリゼーションの形成という驚異的で夢のような時代であった19世紀という時代が瓦解するなんて思ってなかった。20世紀は19世紀の延長線上にあった。祖父のアレクサンドルは特殊だ、父や母をはじめ周りの人間は僕を除いて皆そう考えているようだった。あまりの文化の爛熟の速さに、キリスト教的終末思想で怯える人はヨーロッパの知識人層などにいたけれど、祖父は旧き時代の終焉と新たな時代の胎動を感じていたのであって、キリスト教的な世紀末に怯えていたんじゃない。ただ、新たな時代の動きに備えよと自らの名を与えた孫に生への警告を与えたのだ。あえていうなら皆時代の華やかな面しか見なかった時に祖父のアレクサンドルは時代の暗い側面を指摘していただけなのだ。人間の性格が明るい面と暗い面の両方を誰もが持っているように、人間の歴史にもまた明暗があると…その両方を受け止められる人間だけが強いのだ。祖父の人生はその体現であったと思う。父と母は偉大な祖父アレクサンドルに比べると僕の中では比重が相当に軽かった。母は美人で大変明るく行動的な中々愉快な人だったが、反面父親に似ず物事を深く考えることが嫌いな人であった。父は美男であったが母とは対照的に大人しくかといって義父のような鋭い観察眼など望むべくもなかった。家業である宮廷画家の仕事をしているといっても、画家としての器量は時代の流行を左右するような画家と比べれば凡人並みだし、19世紀にはカメラというものが生まれ肖像画家の稼業を脅かしつつあった。現に時のロシア皇帝ニコライ二世一家は大のカメラ好きだった。肖像画を全く依頼されないわけではないにしても、そう遠くない将来肖像画は写真に取って代わられるということくらいは分かっていたのだろう、父は息子に家業を継げとは言わなかった。しかし父はそのニコライ二世と私的な意味では大変親しかった。父曰く「周囲が猛反対する結婚を自分たちの意志の強さで押し通した」という意味で甚だ共鳴し、以来父アンドレイはニコライ二世が皇太子の時代から今日に至るまで腹心の友としての席を宮廷に遇されてきたのだった。逆にいえばニコライ二世とその后アレクサンドラ皇后の印象が貴族社会にも一般国民にもそれだけ評判が悪かったということなのだが…父にはそんなことさえ察知できない間抜けなところがあった。だが皇帝はそんな父だからこそますます信頼し、皇帝夫妻の三番目の娘であるマリア皇女の養育を僕の両親に託したのである。同じ頃ヴォロノフ家ではコンスタンチンという僕の弟が生まれたばかりだった。
運命のプリンセス
マリア皇女は僕から遅れること八年後の1899年6月26日に生まれた。彼女は生まれ落ちた瞬間から至って元気な女の子で、運命の神は、血友病という宿痾に悩まされた弟のアレクセイ皇太子や結構病弱気味だった姉妹の皇女たちとは違う人生を彼女には用意してくれた。彼女が兄弟姉妹と運命を異にしたのはそれだけではない、彼女は彼女の母である神経質で繊細なアレクサンドラ皇后や穏やかで気弱だが頑なな面もある父の皇帝ニコライ二世とは違い、陽気で素直な優しい性格で誰とでも仲良くなれるという僕よりもたくましい武器を持っていた。いやこんなことを言うと不遜なのかもしれないけどマリア皇女は僕の母にそっくりだった。皇女はいつも自信に満ち溢れ自分が願うことは叶わないはずがない、と思える幸福な人間であった。彼女と出会った衝撃は僕が祖父に与えられた人生観や価値観と同じくらい大きいような気がした。とはいえ僕がマリア皇女と結婚するなんて考えてみたことはない。僕らは弟のコンスタンチンを含め兄妹のような幼馴染みに過ぎないし、皇族が貴賎結婚するなんて建前上あってはならないことだ。ルネサンスの巨匠ボッティチェッリの描く天使に似ているという愛らしい容貌、明るい茶色の髪に大きな青い瞳をしたその姿は可愛いとは思うけど、僕は情熱的な恋愛なんて御免被りたい。幸いかな、彼女はロシアの兵士と結婚してたくさん子どもを産みたいと呑気なことを言っているし、僕は兵士とは対極にある男なのはむしろ救いだ。僕の母同様面食いで「私が見た人の中ではアレクサンドルが一番の美男子よ」と言っているのは少々不審だけれど。それにしても何で皇帝は僕の両親にマリア皇女の養育なんて頼んだのだろう。あんなに子どもたちを公にはおろか宮廷にも出させたがらなかったのに。マリア皇女は両親や兄弟姉妹のいる宮殿を僕に送り迎えさせながら通ってすくすくと成長した。ロマノフ家の一員というよりこれではヴォロノフ家の一員だ。それでは家族との性格や価値観が違ってくるのも当然ではないか。でもそれが幸いしたと言うこともある彼女は家族の誰より臣下や国民に愛されたのだ。とにかく彼女はただの皇族では収まりきれないパワー(怪力だし)を発揮した。もう少し世間を勉強した方がいいとは思うけど、盆暗なうちの両親は僕にもコンスタンチンにもマリア皇女にもそうした教育はしなかった。ただ僕の父を唸らせるほどの絵の才能には恵まれていた。
僕は祖父のアレクサンドルが生きていた頃は大いに祖父に感化されたが、その祖父が亡くなってからは、弟の双子のような幼馴染みであるこの心優しくパワフルな皇女様に振り回されることが多くなった。そのために「世界の動きに目をそらすな、世の中の声にしかと耳を傾けよ」という祖父の遺訓に背きつつあった。けして忘れたわけじゃないけど何しろマリア皇女ったらどこへ行くにも僕を連れて行くんだ。サンクトペテルブルクから鉄道で一駅離れたツァールスコエ・セローにあるニコライ二世一家の住むアレクサンドロフスキー宮殿にも、サンクトペテルブルクの街のお忍びの散策にも、僕が皇女のお供をしない場所はなかった。マリア皇女は多分彼女の持つカリスマ性からどこへ行っても人々の笑顔で迎えられた。だからこそつい僕は忘れそうになるんだ。僕らの立っている生活がけして盤石な基盤ではなく、一つの石飛礫でも投げられればガラガラと崩れ落ちる脆い屋台骨に支えられているということを。現に僕が生まれる十年前の1881年3月13日には、マリア皇女の曾祖父である皇帝アレクサンドル二世が、ナロードニキ(人民主義者)と名乗るテロリストたちに爆弾を馬車に投げつけられ暗殺された。それだけじゃない、ロシアと日本が戦争中の1905年1月9日には、血の日曜日事件という皇宮に請願に向かう労働者の行進に軍隊が発砲し夥しい数の死傷者を出した事件のせいで反政府運動が起こりそれが全国に飛び火した。労働者の請願は戦争の中止、憲法制定会議の招集、労働者諸権利の保証、その他あらゆる人間的自由の確立などで、彼らは搾取と貧困に限界だと自分たちを支配する政府に訴えたのだ。先祖がフランス革命を経験した祖父のアレクサンドルは「革命が来る、革命が来る…」と病床で戦慄していたものだ。結局この二年に渡る革命騒動は、武力による鎮圧や憲法制定の動きなどで沈静化し、1907年6月19日のストルイピン首相のクーデターで終息した。だがこの血の日曜日事件以降、僕の周りの人びとは今までの生活を支えてきた絶対的自信を失ったかのように怯えながら生きていた。皇帝一家がツァールスコエ・セローに引きこもってしまったのもそのせいだし、もしかしたら僕の父や母も恐怖のあまりひたすらに世の中への無関心を決め込み、子どもたちを来たる革命の恐怖から守ろうとしたのかもしれない。特に母は、今や仰ぎ見るような革命の手本とされているフランス革命の恐怖政治の有り様を父親から聞いていたのかもしれないのだし。そんな生活の中だからこそ、マリア皇女の無邪気な明るさと優しさはまるで天使の微笑みのように薄暗い世の中を照らす光になった。マリア皇女は恐れなかったのであろうか。それとも恐れすら克服する芯の強さを運命の神は彼女に与えたのだろうか。彼女はどんな人とも仲良くなろうとする心がけをいつも忘れなかった。お忍びとはいえサンクトペテルブルクの街にゆき倒れる貧しい労働者の子供にも喜んで手を差し伸べ施しをした。そんなマリア皇女の強さを直向きさを僕は祖父のアレクサンドルに畏敬するのと同じくらい尊敬して余りある。臣下か民衆か誰が言ったか知らないが間違いなく彼女は神に下された運命のプリンセスだ。彼女の生みの母であるアレクサンドラ皇后は、ドイツの小国ヘッセン大公国から嫁いできた頃、同じドイツ民族であるオーストリア出身でフランス革命で断頭台に散った悲劇の王妃マリー・アントワネットの肖像画をよく眺めていたそうだが、革命で平凡な女性から生まれ変わったというマリー・アントワネットのような誇り高さや気高さを真に内に秘めているのはアレクサンドラ皇后ではなくマリア皇女なのではないか。マリー・アントワネットだってオーストリアの皇女時代はマリア・アントニア皇女、すなわちマリア皇女だったのだから。でもそれじゃ足りないかな、アントワネットはその誇り高さで旧き時代に殉じた王妃だけれど、マリア皇女なら新しい時代にもその素晴らしい順応性を発揮できる気がする。僕はそう思う。
運命の1911年8月13日
「今の時代に身分なんて…」
そう言ったのは僕の弟のコンスタンチンだった。彼は文系で不甲斐ない兄を持ったせいなのか、やたらと勇ましく男らしい性格の持ち主…であろうとしていた。というか彼は、マリア皇女が同じ屋根の下で育った幼馴染みなのに、ほぼ同じ時期に生まれた自分ではなく八歳も年上の兄ばかり気にかけることが気に食わないのだ。彼は兄妹のように育ったはずのマリア皇女に恋をしていた。だから父や母があれほど猛反対したのにも関わらず陸軍幼年学校に入る と言って聞かなかった。1905年〜1907年の革命騒動の時はコンスタンチンは六つから八つになる年だった、マリア皇女も同い年だから二人ともあの時の革命騒動の怖さをぼんやりとしか憶えていないかもしれない。でもいくら幼い子供でもいや子供だからこそ心の底に楔を打ち込まれる出来事であったはずなのだ。だが、コンスタンチンもマリア皇女もあの時は怖かったとはけして言わなかった。もっともコンスタンチンはこうは言った。
「戦争であれ暴動であれ僕は絶対にそれを叩き潰す、この手でね」
本当はコンスタンチンは怖かったのだと思う、ただ父や母のように世の中から目を背けるのではなく反革命の闘士として戦おうとしていたのだ。恋するマリア皇女のために。とはいえマリア皇女はコンスタンチンをただの幼馴染み以上には見れないようだったが、コンスタンチンは僕に向かって「僕のマリア様を取らないで」と真剣に言うのだった。まだ十二歳になったばかりだと言うのに。果たして僕が十二歳の頃はこんな情熱はあっただろうか。
「コンスタンチン、僕が取るも何も皇女様は、いつかどこかの国の立派な王子様と結婚するんだよ。一緒に暮らしているとつい忘れそうになるけど彼女はれっきとしたやんごとない皇女なんだ。コンスタンティノープルのローマ帝国を継いだ第三のローマ帝国の皇女殿下なんだぞ。まあ、今の皇帝陛下と皇后陛下は自分の娘たちを手放したくないから親戚の大公に嫁がせるんじゃないかという噂もあるが、間違っても僕たちの出番じゃない。それは貴賎結婚と言って皇女の格を落とすことになるからだ。大体安心おし僕はお前のマリア様の理想とはかけ離れている男だから。皇女様が僕を男として見るなんてことは絶対にないよ」
「今の時代に身分なんて…絶対じゃないよ。僕らの父さんや母さんだって身分違いの恋で結婚したんじゃないか。マリア…言ってたお兄ちゃんの顔が好みだって。マリア…はお兄ちゃんが好きなんだよ。何故分からないの、いつだってマリアはお兄ちゃんと一緒じゃないか」
コンスタンチンはいくら僕が宥めすかしても悲嘆した顔を崩そうとしなかった。それが1911年8月12日の夜のことだった。コンスタンチンは幼年学校の休校期間のために帰宅し、肝心のマリア皇女は自室ですやすやと夢を見ていた。
もちろん僕はこの世でたった一人の弟からマリア皇女を奪おうなんて思ってもいなかった。コンスタンチンは可愛い弟じゃないか、もしもマリア皇女が皇女ではなくただの貴族令嬢か何かだったなら、僕は弟のために口を利いてやっただろう。でも彼女は崩れそうでも世界一広い面積を誇る偉大なるロシア帝国の皇女なのだ。彼女の人生は彼女のもののようで彼女のものじゃないのだ。マリア皇女が好むのが強いロシアの兵士であれ、コンスタンチンの言うように万が一僕であっても、彼女の人生に自由なんてありはしない。自由を要求する人民たちは知らないかもしれないが、この世で最も尊き身分に属する彼女であっても自分の望む人生なんて歩めない。僕には恋愛をしない自由も結婚をしない自由もあるが…僕はそこまで考えてなんだかマリア皇女にもコンスタンチンにも申し訳ない気持ちで一杯になった。十二歳はまだまだ夢を見ていたい年頃だろうに彼らには自分の望む人生が手に入らないなんて…こんな残酷な事実が他にあるだろうか。
1911年8月13日それは僕が二十歳になる誕生日だった。僕は朝目覚めるまでその日が毎年家族とマリア皇女に祝われてきたちょっと騒々しいけど賑やかないつもの誕生日になることを信じて疑わなかった。事実、低血圧気味の僕がうっすら瞼を開こうとした時、いつもと同じようにシャーッとカーテンを開く音がして続いて歌声が聞こえてきた。ただいつもは母と弟とマリア皇女の合唱なのに今日は若々しい少女の歌声だけが鮮烈に僕の耳をノックした。
「ハッピバースデートゥーユー…ハッピバースデートゥユー…ハッピーバースデーディアアレクサンドル…ハッピーバースデートゥユー!おめでとう!アレクサンドル!」
一体何がどうなっていると言うのか…いつもとは若干違うシュチュエーションに驚き戸惑いつつ僕が半身をベッドから起こしかけたところに、そのバースデーソングを独唱した少女が抱きついてきた。もちろんそれは目をキラキラと輝かせ大変興奮している様子のマリア皇女だった。僕はマリア皇女に腕を引っ張られたり組まれたりすることなんかはしょっちゅうだけれど抱きつかれたのは初めてでいよいよ何のことか混乱し、昨夜弟のコンスタンチンが恨めしそうに言った言葉がふと頭をかすめた。
「マリアはお兄ちゃんが好きなんだよ…」
僕はピッタリと抱きついて離れようとしないマリア皇女を振り解く力もなく呆然とした。本当にマリア皇女は僕を男として意識してきたのだろうか。それを今まではそれとはっきりと僕には悟らせずに生活してきたのか。でもそれは皇女と臣下という報われてはいけない恋の立場を知っていてわきまえていたからではないのか。強いロシアの兵士と結婚し沢山の子どもを産むという夢のカモフラージュまでして…それなら何故今更…
「ごめんなさい、混乱させてしまったわねアレクサンドル。でもアレクサンドルもいけないのよ。あんなこと言うから」
マリア皇女はようやく僕の胸から頭を離し僕の目をちょっと恨めしそうに見つめ口を尖らせた。
「え?僕が何か言いましたか…」
「言ったわよ。ほら先週の日曜の教会のミサの帰りに聞いたじゃない。アレクサンドルは将来どんな人と結婚するのって。アレクサンドルももう二十歳だしいつお嫁さんを迎えてもおかしくない年頃じゃない。そしたらアレクサンドル『僕は結婚なんて考えてない。僕には到底無理でしょうね』って寂しそうに笑って言ったのよ」
「…寂しそうに僕が?確かに似たようなことを言ったかもしれないけど…」
それは皇女様の勘違いですよ、と言おうとした僕をマリア皇女は遮りガシッとした怪力で僕の肩を掴んで、それから両手で僕の顔を包み込んだ。
「愛の神アモールの再来とナターリヤおば様が言ったけど本当だわ。まさにあなたはロシア帝国の明けの明星よ、アレクサンドル…たとえ他のどんな女性と合わなくても心配しなくていいの…いいえそれ以上にそんな女性が出てきたら私悲しくて死んでしまいそうになるわ」
いやだから僕は色恋には積極的になれないから女性の心配なんかしてない…って言おうとしている僕にマリア皇女は威厳をもって命じた。
「目を閉じなさい、アレクサンドル!」
顔を両手で掴まれている僕は渋々言われた通り目を閉じたが内心ヒヤヒヤした。そしてその予感は的中した。唇に少女の柔らかな唇が触れてきたのだ。それで僕も恐れ多くも確信せざる得なくなった。何故今日になってそれを告白する気になったのかは分からないけど。
「お誕生日おめでとう!アレクサンドル、これが今年のバースデープレゼントよ。私のファーストキスをこの世で初めて異性として大好きになったあなたに捧げるわ」
「こっこんなことしちゃダメですよ、皇女様。いいですか、あなたはいずれ異国の身分の高い王族か、それに相当するお方に嫁がなければならないんですよ」
「ああんマリアって呼んでよ、この家ではナターリヤおば様もコンスタンチンもそう呼ぶわ。皇女としての堅苦しい生活ではなく普通の人間としての幸福も味わってもらいたいって。私はその普通の人間として幸せになりたいの。皇女としての幸福なんて求めてないわ。もし外国に嫁いで王妃なんかになってもあなたが教えてくれたマリー・アントワネットのようになってしまうわ。あなたは私のフェルゼンなのよ。でもマリー・アントワネットとフェルゼンは絶対に結婚できない運命だったけど私たちは違うわ。なのにアレクサンドルは何故いつも一歩下がったところで私を見るの?八歳も下じゃ女として見てもらえないの?」
そうか僕は忘れていた。マリア皇女はロマノフ家の一員でロシア帝国の皇女である前に、ヴォロノフ家のある意味自由で開放的な家庭で育った普通の女の子なのだ。そんな彼女が自分の手で自分の人生を切り開こうとするのも彼女の生育歴を鑑みれば当然なことだったかもしれない。けれど僕はどう答えたらいいんだ。確かに最近は、西洋でもロシアでもわざわざ王族の身分を捨ててでも自分の好きな相手と結ばれることを望む王族はいるが、僕にはそんな大きな逆境に耐えられる度胸も情熱もない。第一僕はマリア皇女が僕を幼いながらも愛してくれているように彼女を女性として愛しているのだろうか。マリア皇女は僕が彼女にとって、マリー・アントワネットの生涯の恋人であったスウェーデンの貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンだというけれど、フェルゼンは僕と違ってフランス王妃であるアントワネットとは結ばれようがないから生涯独身を貫いたというものすごい情熱の持ち主なのだ。僕にはフェルゼンのような愛も情熱もない…マリア皇女を愛しているが結ばれようがないからではなく色恋の情熱に興味がないから結婚なんてしなくてもいいと僕は言ったのだ。なんだかそれを彼女は自分の都合の良いように誤解しているようだ。その誤解の仕方がまた彼女らしいといえばらしいのだが。
「マリア皇女…いやマリア…冷静になって考えよう。僕が君のフェルゼンだなんてようく考えて発言すべきだと思うよ。初恋なんていつのまにか過ぎ去るものだし、君の生涯の伴侶はきっとこれから現われるんだから。僕が君を一歩下がって見るのはどうあがいても僕は君の臣下で臣下としてお仕えする以上当然の礼儀だし、第一僕は今まで誰のことも女性として見たことはないよ」
だがマリア皇女はそこで引き下がらなかった。
「違うったら違うの!だって私、今日夢で見たんだもの。イエス様が私の枕元に立って告げたのよ、安心なさい君の願いは必ず神が聞き届けられる…って。だから私居ても立っても居られなくておば様やコンスタンチンに協力してもらったのよ。私はアレクサンドルと結婚することがずっと幼い頃からの夢だったの」
「…夢は夢だ。僕があまり宗教を信仰していないのは知っているよね。夢は神であれ何であれ与えれて実現するものではなく自分の手で掴み取るものなんだ。大体僕のどこがいいの?僕はコンスタンチンのように男らしくも勇ましくもない、男性としての魅力なんて特別何もないじゃない。容姿が美しいのは若いうちだけだ。それでも君は僕を愛せるのかい。それに世間は身分違いの僕たちをきっと好奇な目で見るだろうそれは大変なことなんだよ」
「もう、アレクサンドルって本当に鈍感なのね。私があなたの容姿しか見ていないと本気で思っているの。私は好きよ、アレクサンドルの誰のことも公平に理解しようとする優しさも。世の中を一歩冷めた眼差しで見るクールさも。全部全部がそう大好きなの。あの革命騒ぎの時もあなたは冷静ですごいなぁと思った。私はあなたがいたから怖くなかったの。多分その頃から私はあなたが好きだったのかもしれない。夢が掴み取るものだと言うなら私は掴んでみせるわ。私があなたを愛しているという事実だけで身分なんか関係ないし世間にどう思われたっていいわ。アレクサンドルは私の人生に必要不可欠なんだから!求めよさらば与えられんって聖書にも書いてあるじゃない」
マリア皇女の表情は真剣そのものだった。身内にマリアの青いソーサーと言われている二つの大きな青く美しい瞳が僕を射抜くように見ていた。僕はこの愛らしくも何事にも直向きなそれ故に偉大な皇女の愛情を受けるに本当に値するのだろうか。マリア皇女は未だ精神的に幼いからどんな障害がある恋も厭わないと言えるんだ。僕には世間の好奇な目や批判の声などとても耐えられない…耐えられないはずなのに何故だろう、その先に運命の神が僕に与えた崇高な使命が待っているような気がする。
「自信がないな…」
「どうしてよ…私はあなたとならどんな人生でも耐えて見せるって言ってるのよ」
「僕は人間としてまだまだ未熟だ。世の中の真実がどんなもので今の世界がどのように動こうとしているのか知らない…知らないけどこのまま平穏な毎日が続くとは思えないんだ。僕は君に愛される以前にもっともっと世の中や世界に出て勉強しなければいけない。成長しなければいけない…それが僕の母方の祖父が僕に残した遺言なんだ」
「待ってるよ、アレクサンドル…私アレクサンドルが成長して私が好きだと言えるまで待ってるから…その頃までには私もうんと成長して今よりずっと魅力的な素敵な女性になるわ。だからお願い約束して…私以外のどんな女性にもプロポーズしないって」
「待つことができるか…旅に君は連れていけない。それも何年かかるか分からないけど待つことができるか」
「…一緒に行きたいけど私たち二人がいなくなったらみんな変に大騒ぎするよね。淋しいよ、辛いよ、けどそれであなたが振り向いてくれるなら待ってみせる!」
強いな、そしてやはり直向きだな、僕はこの皇女の強さには敵わない気がする。今の僕が彼女を愛しているとは言えないかもしれないのに…僕の気持ちが自分に振り向くことを信じて疑わないのだから。
二十歳の旅立ち
おじいさま…僕は相当成り行きとはいえ今度こそあなたとの約束を果たすことができそうです。その前提にとんでもない約束をマリア皇女とする羽目になったのだけれど…。ただ
彼女の協力無くしては僕はあなたの遺言を履行するタイミングを永久に失っていたかもしれないと思えるのが不思議です。僕は知らないうちにマリア皇女には数え切れないほど助けられ教えられてきたんですね。僅か十二歳の少女に僕は完敗しました。彼女のことを思うなら僕は彼女を振るべきでした。色々とある社会との利害を考えれば。でも彼女の人生はやはり彼女のものだと思います。皇族も貴族も民衆も身分に関係なく自分の夢を追い求めることができる世界が来ることを僕は心から望んでやまないのです。誰もが自分の夢を追い求めて社会や国家の変革を期待するなら僕は大いに賛意を彼らに表します。そうだとすればたとえどんな変化が世の中に起きようとそのゴールは誰しもにとって幸せなものになるからです。マリア皇女も社会が日に日に変化していることを体感はしているようです。
「社会はこれからのロシアはいい方に変わるわ。誰もが自分の夢をみたいように見れる世の中になるわ。お父様やお母様は世の中の変化を恐れているけれどそれは違うと思うの。多くの人が自分の将来に希望を持って今の生活を良くしたいと思って活動しているのなら私はそれを受け入れ応援するわ。あの革命騒ぎもそういうふうに考えればちっとも悪いことじゃないわ。だってそれは私の夢も叶うということですもの。だから私はたわごとを捨てて本音で生きることにしたのよ」
しかしながら僕は彼女の意見は楽観的過ぎるように思えます。誰もが今の生活を良くしたいと思っていることは事実でしょうけれど。やはりそこがマリア皇女の見れる世の中の限界ですね。おじいさまはフランス革命は民衆の世の中に対する怨念が生んだ、いやそういう側面もあったとおっしゃいました。だとすればこのロシアでフランス革命の理想を叫び、あるいはそれに共感する人というのは今の世の中に相当な恨みつらみを抱えているのでしょう。憤りや怨念で世の中を変えようとする先に待っているのが果たして幸福なのかは大いに疑問に思うところです。フランス革命はその後フランスに二転三転する動乱の時代を招きました。憤怒はローマのカトリック教会でも七つの大罪とされているそうですが、僕も憤怒とは悪徳の一つというか人を不幸に導く導火線の一つだと思うのです。憤怒で起こされた革命は悲劇の序曲の幕開けではないのですか。人びとは意識しないだけでみんなが幸福になれる世の中よりもみんなが平等に不幸になる世の中を望んではいないでしょうか。おじいさま…僕は不安なのです、僕は恵まれた境遇で何不自由なく育ちました。「人民」と呼ばれる人から見れば引き摺り下ろしたい対象でしょう、僕は彼らがお前だけ幸福だなんて許せない、お前も不幸になってくれ!と言っているようにも聞こえます。ロシアでは今ポグロムというユダヤ人に対する差別いや迫害も深刻です。民衆はユダヤ人を見つけては殴る蹴るの暴行を働き殺してしまうのです。民衆はやる場のない怒りを社会的弱者に向けて発散しているのです。僕は時々その現場に遭遇することがあり、政府が止めてくれるよう皇帝陛下に願い出ましたがあまり色よい返事は期待できないようです。マリア皇女も一緒に願い出てくれたのですけれど、僕は皇帝夫妻からも両親からも「皇女に変な考えは吹き込むな」と遠回しにですが釘を刺されてしまいました。何せ皇帝ご一家はそれどころではありません。たった一人の皇子である皇太子が血友病という重い病に生まれつき罹患し、その病状の一進一退にかかりきりで、ラスプーチンというどこの宗派に属するのかも分からない無名の祈祷僧の治療に効果があるということで彼を「我らの友」とか「聖なる男」と呼びたいそう彼に心服しているようです。特に皇后陛下は皇女たちにまでラスプーチンの肖像画入りのロケットペンダントを持たせる始末ですから。皇后陛下にとってはラスプーチンは神に遣わされた聖者、いやイエス・キリストの再来と言ったら言い過ぎでしょうか。僕の見た感じではものすごい眼力のあるみすぼらしい僧侶にしか見えませんけど。ただ現在のロシアでは神秘主義が貴族たちの間で流行しているのは確かでラスプーチンは皇后陛下はじめ多くの貴族の子女から熱烈な尊崇を集めているらしいです。「何であんなにみんな夢中になるのかしら?」と面食いのマリア皇女は不思議そうに僕に尋ねますがマリア皇女がヴォロノフ家で育ってくれて良かったとつくづく思います。まああなたの娘である母も同じことを言いますが。おじいさま…父さんや母さんの前では言えないけれど皇帝ご一家は世の中のことを疎みすぎです。民衆にふれあうどころか宮廷社会とも滅多にお付き合いなされません。1905年の血の日曜日事件の前までは民衆にもツァー崇拝という皇帝崇拝幻想はありましたが、このところ全くそれを感じる機会がありませんのでそれも気がかりです。皇后陛下はあまつさえ「ドイツ人女」呼ばわりです。国王一家がヴァレンヌに逃亡した途端王家への崇拝を止めてしまったフランス国民を思い起こしてください。あの革命騒ぎ以降皇帝ご一家は白い目で民衆から愛想をつかされ、宮廷の貴族たちの話にも耳を傾けようとしないため実質孤立無縁な状態です。
「一国で変化が起きる時は必ず世界にも動きがある」
おじいさまは昔そうおっしゃいましたね。僕はその世界の動きを見てなんとかとしてこの巨大な悲劇の渦となるかもしれないロシアの潮目を変えたいのです。フランス革命のような誰かに不幸をもたらしそれが戦争という最悪の花を開かせる事態にだけはしたくないのです。僕一人の力では何もできないかもしれないけど、何もしないで後悔はしたくないし、何より僕には臣下や民衆に少なからず尊敬され愛されているマリア皇女が味方にいるということが何よりの希望であり一筋の光なのです。まあマリア皇女に告白されるまで彼女を女性として見ようとしなかった僕が言うのもなんですが、マリー・アントワネットを救うために並々ならぬ奔走をしたフェルゼンのように、僕もマリア皇女を救うため…というより彼女と一致協力してこの恐ろしい革命の波を幸福な革命へと変え誰もが血を流すことない平和な世界をこのロシアに築きたいのです。それでこそ真に新しい時代が来たと言えるのだろうと僕は思うのです。それが運命の神に授けられた僕のさだめだと…
「話が違うじゃないか。お兄ちゃんはマリアを取らないと言ってたのに」
コンスタンチンにはひどく恨みを買いました。でもね、おじいさま、マリア皇女に告白されたことを僕は僕なりに考えてみて大きな夢を見てしまったのです。これはすごいことができるんじゃないかと。おじいさま…僕は今まで一人で生き一人で死んでいくつもりでした。誰かと生涯を共に歩み、何か事を成し遂げようとは思ったことはありませんでした。でも僕がおじいさまに畏敬するぐらい尊敬するマリア皇女に告白され、彼女への愛に気づいたとかいう俗に言う陳腐なことではなくて、この人となら何かものすごいことができると直感で確信したのです。だから無意識のうちに彼女の告白を受け入れる態勢にならざるおえなかったのです。今回の旅というか世界留学の話はもちろん両親には反対されましたがマリア皇女の説得もあり渋々ながら認めてくれました。おじいさま…僕の夢は見果てぬ夢だけれど頑張ります。行動する前に諦めてはいけない、 そう教えてくれたのはマリア皇女でした。おじいさま…どうか星の上から見守っていてください。僕とマリア皇女の歴史への挑戦となる航海を。
こうして1911年8月31日僕はロシアを出国した。とりあえずの行き先はフランスのパリだ。そこでまずフランス革命は何故起こってどういう経過を辿ったのか、おじいさまに少しは聞いているけれど今度は自分の目と耳で勉強してみたい。そうしてゆくゆくは僕の血にも流れる日本の地をもう一度踏みしめたい。日本はロシアに辛勝とはいえ勝って以来、なんだか夕没に向かうようなロシア帝国とは違い朝日が昇る勢いで成長し欧米列強をヒヤヒヤさせている。僕は日本に行ったら先祖の故郷を訪ねてみるつもりだ。そこは緑が生い茂る杜の都だという。おじいさまと行こうねと約束してとうとう行けなかった場所だ。そこにはどんな出会いが待っているだろうか。
説明 | ||
この物語の前半の主人公アレクサンドルの妻となる第一部のヒロインはロシア帝国最後の皇帝・ニコライ2世の第三皇女マリアです。史実ではエカテリンブルクの商人の館で家族と共に処刑されてしまった皇女ですが、彼女の前向きさ幽閉中と言えども折れなかったメンタリティの強さは人間的に偉大な女性だったのだろうと思います(どんな状況にあろうと最後の最後まで生きる望みを捨てなかった)。この作品に登場するマリア皇女はそんな史実をベースに父親同士が親しいアレクサンドル(アレクサンドルの父は宮廷画家)の実家で養育されておりラスプーチンとは少し距離のある皇女として登場しています。とにかく強くてパワフルで愛らしいマリア皇女、僕は大好きです。戦争や革命という悲劇の渦にもきっと凛として立ち向かってくれるはずです、アレクサンドルと共に。そういう作品ということを頭に入れて読んでください。実際の歴史に忠実とかそういうものではありません。小説はコピペしているので文章や会話文が変なんところに飛んだりしているかもしれません。 | ||
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歴史創作 世界戦争 革命 | ||
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