カッティング〜Case of Shizuka〜 2nd Cut |
思い出すたび後悔するのに、何度でも思い出したくなる。
恋愛とは、なんと困った感情だろう。
そんな悶々とした気分での家路は、現実感の薄いどこか知らない場所を彷徨い歩いているような感覚だ。
キスの後はほとんど覚えていない。
まともに会話をすることもできず、それでもただ一緒にいたいという、妙な気分に陥っていた。
人生で初めてのキスの後、なんと声をかけていいのか分からない、ろくに思考が働かず焦燥感だけが募っていく時間に耐えることができず、僕は逃げるようにシズカの部屋を出た。
シズカはこんな僕に幻滅しただろうか。いや、告白されたのに面と向かって返事をできなかった僕を受け入れてくれたんだから大丈夫だ。でも、キスの後の惨状を考えると嫌われてしまったかもしれない。
答えの出ない堂々巡りの難問を抱えたまま、気がつくと我が家の玄関前に到着した。
いつ最後の曲がり角を曲がったのかさえ記憶が曖昧な頭で玄関を開け家に入る。
「ただいま」
家の中からドタドタとものすごい足音で光が玄関に突進してくる。
「兄さん、大丈夫だった」
「友達の家に遊びに行ってただけなのに、大げさすぎ」
僕を心配する光を見ていると徐々に現実感が戻ってくる。
靴を脱ぎ、階段を一段上ったところで
「何もなかったの?」
光の一言に思わず足が止まる。
あった。何もかもがあった。
すべてを明確に思い出すことができる。シズカを抱きしめたときの体温も、重ねた唇の柔らかさも。
「映画を見てた」
嘘は言っていない。
僕は再び階段を上る。
光はまだ僕の背中を見つめているようだが、そんなことはどうでもよかった。
幸福の感触を思い出しながら階段を上りきり、廊下を進み、僕は自室の中に入る。
ベッドに腰掛け携帯電話を取り出す。
もう一度会うべきだ。
恋人同士だから当然だろう。
でも、今日のふがいなさを思い出すと、もう一度会ってまともに会話をできる気がしない。
どうすれば、恋人同士らしくいられるだろう。
最大の問題点は緊張して上手く話せないことだ。
世の恋人同士の人たちは、どうやってあの恥ずかしくて幸せな時間を過ごしているのだろう。言葉を紡ぐという人として当たり前の行為が、ここまで難しいと思わなかった。
今までどうやって僕らは会話をしていただろう。
再会したのは映画館だった。その後、喫茶店で映画の感想を語り合った。次はカラオケ。今日はシズカの家で映画を見た。
それなりに会話をしたのは、再会した日の喫茶店ぐらいじゃないか。なんだか安心した。会話がなくても僕らは二人の時間を楽しんでいたんだ。
目とか心で通じ合ってるわけじゃないけど、必ずしも会話が必要なわけじゃない。
今度、映画に誘おう。映画なら上映中は何も話さなくていい。むしろ会話はマナー違反だ。それから、喫茶店で感想を語り合おう。
僕は早速この前の映画館の上映スケジュールを調べ始めた。
僕はいつもの通る道で映画館に向かう。
いつもなら一人での映画鑑賞だけど今日は違う。
シズカと映画館で待ち合わせをしている。
映画に誘おうと決めた次の日に僕はシズカにメールを送り、今日のデートに誘うという偉業を成功したわけだ。
上映中はただ黙って映画を見るだけなのに、誰かと映画を見るのがこんなにも楽しみだとは思わなかった。
普段一人で映画を見に行くときよりも、ずいぶんと軽い足取りで歩く。
誰かじゃなくて、シズカとだからこんな気分になるのかな。
映画館のロビーに入り、あたりを見回す。
こんな風に誰かを探したことなんて初めてだ。
平日の昼間だから人がまばらなロビーは、何度来ても少し得をした気分になる。
「おーい」
シズカが手を振りながらこちらに歩いてくる。
「おまたせ」
僕もシズカに歩み寄る。
上着を手に持って肩から鞄を提げたシズカの服は、袖が少し長めだ。
シズカの手首に自然と意識が向いていたことに気づき、僕の脳裏に一瞬だけ見えた手首の傷が浮かぶ。
他人の袖の長さなんて、初めて気にした。
「大丈夫、まだ、時間はあるから。あたしは楽しみでつい30分前に来ちゃったけど」
時間を確認すると、まだ上映開始まで15分ほどある。
「じゃあ、チケットを買いに行こうか」
「先に買っておいたよ」
シズカが二枚のチケットを鞄から取り出す。
「ありがとう」
どうしよう、何を話そう。開場は大体10分ぐらい前だから、あと5分ぐらい何か間を持たせないと。いや、席に座ってから上映開始までの予告編の時間も黙って座っているだけじゃだめだろ。
「どうしたの、黙り込んじゃって」
なんて返事をしよう。素直にどんな会話をすればいいのか分からないと、言ってしまった方がいいのだろうか。
「もしかして、私に見とれてた?」
「うん、すごくかわいいよ」
シズカが微笑む。
さらっと言ってしまったけど、すごい恥ずかしいんだけど。自分でも顔が赤くなっているのが分かる。
「そんなに顔を赤くしなくても。でも、ありがとう。うれしい」
なんて、返事をすればいいんだ? うれしいっていうのは、僕がかわい言ったことに対してだよな。じゃあ、僕はなんて言えばいいんだ? ありがとうって言われたんだから、ここは、どういたしましてでいいのか。それだとなんか違うよな。え? あれ?
「そんなに緊張しなくていいから。何も言わなくても、一緒にいてくれるだけでいいから。まずはそこから。な」
まるで包み込んでくれるような優しさと、どこまでも見透かされているような感覚が僕を襲う。
それはとても心地よくて、でも少しだけ、自分のだめなところを見られる恥ずかしさが混ざり合った不思議な感覚だ。
シズカが僕の手を握る。
「今日、映画に誘ってくれたのも、話さなくても一緒にいられるからだろ。もうすぐ、開場の時間だ、行こう」
シズカが僕の手を引いて入場口へ向かう。
シズカが二枚のチケットを劇場スタッフに渡し、僕らは手をつないだまま入場した。
僕らは予告編が流れている間も、会話をすることなく上映が始まった。
映画の内容はアクション物の洋画であまりデート向けではなかったが、以前シズカの部屋で見た映画もアクション物の洋画だったから選んだ。
どうやらその選択はよかったようだ。
チラリとシズカの様子をうかがうと、とても楽しそうにスクリーン見つめる横顔が僕の心を落ち着かせ、映画鑑賞に集中することができた。
しかし、最も僕の心に安心感を与えてくれたのは上映中ずっと握ったままだったシズカので暖かさだった気もする。
まだ暖かな季節の遠いこの時期に、外から入ってきたばかりの僕の冷たい手を、ずっとシズカは握って暖めてくれた。
じんわりと伝わる暖かさは、とても幸せな温度だった。
クライマックスのシーンでは、シズカが熱中するあまり僕の手を強く握りすぎて、少しだけ痛かった。
そのことにシズカ自身は気がついていないようだったが。
スタッフロールが終わり、劇場が明るくなる。
映画という夢の世界から現実へは引き戻され、僕は今更、上映中ずっと手をつないでままだったことに恥ずかしさを覚えた。
そんな僕の気持ちに気がついていないのか、気づいたうえで無視しているのか、まるでシズカが僕の手を離す気配はない。
なんてシズカに声をかければいいのか分からない、手をつないだ恥ずかしさで余計に僕の思考が回らない。その上、側にいてくれるだけでいいと言われた安心感で、僕は一切シズカに何も言えず、そのまま、以前に行った喫茶店へ行くことになった。
昼間だというのに、ひどく寒い風が僕を震え上がらせる。
日向を歩いてもまるで寒さがましにならない。
それでも僕らは手をつないで喫茶店を目指す。
こんな寒い中を歩いているのに、シズカはとても楽しそうな笑みを浮かべている。
言葉もなく、ただ側にいるだけ。手をつないで歩いているのがそんなに幸せなのかと僕は思う。
でも、寒いからこそつないだ手から伝わるシズカの体温が、ささやかだけど確かな幸福をしっかりと感じることができる。
喫茶店に入って席に着くとき、僕らはようやく互いの手を離した。もちろん、向かい合って座るためだ。
二人ともコーヒーとサンドイッチを注文する。
「側にいてくれるだけでいいとは言ったけど。まさか、ずっと手を握っててくれるなんて思ってなかった」シズカはそう言って無邪気に笑う「でも、こんなに長い間、手を繋いでいたんだから、大分普通に話せるようになったんじゃない」
確かに、映画を観る前のより自然と手を繋いでいられた。
「うん、そう言われると緊張が解けた気がする」
僕の返事に、シズカは満足げに頷く。
「それはよかった。そうでないと映画の感想を私が一方的に話すだけになっちゃうから」
「僕はそれでもいいけどね。僕の手をかなり強く握っちゃうぐらい熱中して観てたから」
以前、この喫茶店で映画の感想を語り合ったときはお互いによくしゃべったけど、シズカの感想は僕とはやはり違っていてそれがとても楽しかった。だから、シズカの感想を一方的に聞くだけでも楽しい時間が過ごせそうだ。
「そんなに強く握ってた?」
やはり、シズカには強く握っていた自覚はないようで、少し驚いた声を出す。
「気づかないぐらい熱中して観てたんだ。選んでよかった」
映画館での様子からあんまり心配してなかったけど、しっかりとシズカは映画を楽しんでくれたようだ。
そして、僕らはコーヒーとサンドイッチを食べながら、映画の感想をとても楽しく語り合った。僕はさりげない伏線を、シズカは役者の細やかな演技について話し、互いにそれに気がついていなかった。誰かとおもしろい映画の感想を話すのはとても楽しい。僕はそれを改めて思い知った。恋人同士ならなおさらだ。
今日は映画に来て本当によかった。映画に来たからギクシャクしかけてた関係もなんとかなったし、何よりこんなに楽しくて幸せな時間が過ごせたんだ。
楽しい時間はあっという間だ。気がつくとかなりの長時間喋っていた。僕らは会計を済ませ店を出る。
再び、僕らは手を繋いで歩く。今度は無言ではない。
「次はいつ会おうか」
もうすぐしたら、僕たちは離れてしまう。それがとても寂しく感じる。その寂しさを耐えるためにも、今のうちに次に会える日を決めておきたい。
「また、私の部屋に来る? それとも、ほかの映画を観る。でも、別の場所でもいいかも。どこがいいかな」
楽しそうなシズカの横顔を観ていると、僕は自然と口が動いて
「シズカの側に居られるならどこでも」
言ってしまってから、今のはさすがにキザだっのではないかと少しだけ恥ずかしくなる。
「じゃあ、次は私がどこへ行くか決めよう。あんまり人が居ないところがいいな」
僕らに別れの時が近づいていた。
この横断歩道の向こうで、それぞれの家路につく。
それを意識すると、まだ離れたくない未練と寂しさが僕の胸に去来する。
握った手をシズカが離す。
そして、僕は突き飛ばされた。
一体何が起きたのか、それを考えようとしたとき、衝突音が僕の鼓膜を揺さぶる。
聞いてはいけない音だ。何がぶつかったのか見ていない、視界にはアスファルトと白線だけなのに直感した。
誰かの悲鳴が聞こえる。
見るな。振り返ってはいけない。そう、僕の心のどこかが激しく訴えている。
それでも、僕には振り返ることしかできなかった。
シズカが倒れていた。
僕は慌てて立ち上がり、シズカに駆け寄る。
走らなければならなかった距離が、衝撃の強さを僕に思い知れと言っているようだ。
その距離はシズカの命を刈り取るには、十分すぎる距離だ。
シズカの元に駆け寄った僕にあたりの血の量が、希望を打ち砕き、絶望が襲いかかる。
「シズカ!」
僕の叫びにシズカは弱々しい声で、かすれて聞き取るのが精一杯の返事をする。
「さようなら」
確かに僕にはそう聞こえた。
そんな、寂しいことを言うな。言わないでくれ。ずっと側にいるから。また、手を繋いで映画を見よう。そう言いたかったけど、僕の喉からは言葉にならない震えた声が出るだけで、手も自分の物とは思えないほど言うことを聞かず、何もつかめなかった。
救急車のサイレンが聞こえてきた。
サイレンの音が僕の精神をほんのわずかに平静さを取り戻させる。
同時にそのわずかな平静さが僕に現状を認識できる余裕を与える。
改めてシズカの状態――息絶えた彼女の遺体が冷たい地面に横たわっている――が僕の目に入ってくる。
サイレンが僕に現実をたたきつける。
Inter/Cut
これでお別れだ。
私はまた死ぬ。
だから、私は別れの言葉を口にする。
精一杯の、この生で最後の言葉。
彼と過ごした時間は本当に楽しかった。彼なら私を救ってくれる、その希望にすがりつくしかなかった。
でも、そんな希望は幻に終わった。
二度と彼には会えないだろう、たとえ、黄泉返ったとしても。
説明 | ||
2年も翅田大介の新刊がでてない。orz | ||
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