式姫漫録 童子切
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屋敷の敷地内の一角に存在する道場。

悪天候の時でも修行ができないかという複数の式姫達の要望によって建てられたここは、施錠こそされていないが滅多に使われる事はない。

「見聞を広めたいので」

「今日はちょっと遠くまで行ってきますね。お土産は何がいいですか?」

「遊びに行ってくるでし!」

とまあ、こんな具合である。

俺とていちいち修行の方法に口出しはせず、基本的に彼女達に任せている。

なんか一人だけあからさまにおかしい台詞が混ざっているが、気のせいという事にしておこう。

掃除道具を一式抱え、道場の扉を開く。

誰もいないと思っていたが、今日に限ってそこには先客がいた。童子切である。

「…………」 

ガラガラという耳障りな音は聞こえていた筈だが、当の本人はこちらを振り返るわけでもなく、真っ直ぐに背筋を伸ばしたまま正座していた。

いわゆる座禅というヤツだろう。

普段、童子切といえば酒を呑んでいるか妖を斬っている場面しか見た事がなかったので、つい見惚れてしまった。

遠目から見ても、割とサマになっている。

一瞬、足を踏み入れるのを躊躇したが、結局室内へ立ち入り後ろ手に扉を閉めた。

暦の上ではちょうど春が始まったばかりだが、ここには時の流れを惜しむかのような身に染みる冷気で満ちていた。単純に温度が低いというだけの冷たさではない。恐らく、童子切の放っている霊気がそう感じさせるのだろう。

その辺に道具を置いて、ぺたぺたと間抜けな足音を立てながら彼女の傍に近寄る。

手の届く距離まで近付いても、全く動じる気配がない。『動じ』ない『童子切』か。

まぁこの式姫は大抵、何があっても動じないんだけど。

もし一か月の禁酒を命じれば流石に……いや、それは止めておこう。戦闘では何かと頼りになる彼女が、妖怪酒呑ませろに変じてしまっては後生が悪い。

待てよ、もしかするとああやって座禅に勤しむ事で、酒への欲を断ち切ろうとしているのではなかろうか。

「童子切」

座禅の邪魔をするのは気が引けるが、いつまでも黙っていては拉致があかない。

主の呼びかけに対し、彼女は横一文字に結んだ口をわずかに綻ばせた。

「おや、オガミ様」

「座禅の邪魔をしてすまないな。まさか誰かいるとは思わなくて」

「いえいえ、お気になさらず」

童子切はふふっと笑った。

一見柔和に見えるこの笑顔は、ひとたび戦闘になっても変わる事は殆どない。彼女の笑顔は、紛れもない強者の証。

それに気付かず、瞬く間に斬り飛ばされてきた妖は数知れない。

本人は知らないだろうが、俺の中の本気で怒らせてはいけない式姫ランキングの上位に入っている。

「それで、酒への未練は断つ事が出来たのか?」

「はい?」

「いや、その、俺はてっきり……はは」

勘が外れたようだ。俺は苦笑しながら頭を掻いた。

「オガミ様、残念ながら私はそこまでできた式姫ではありませんよー」

童子切の方も困ったという表情を浮かべている。正座はいつの間にか崩していた。

「座禅と言っても、ただの真似事ですよ。本気で煩悩を断ち切るつもりはありませんから」

「刀はよく切れるのに、煩悩は切れないってか」

「あはは、うまい事言いますねー」

俺という雑念が混ざってしまったせいか、足を踏み入れた際に感じた場の空気がいつの間にか弛緩している。

俺は来訪の目的を忘れたまま、童子切との歓談を続けた。

「オガミ様も、たまには座禅なんてどうですー?」

「俺には無理だ。童子切以上に煩悩まみれだからなぁ」

自分で言うのもなんだが、駄目な主の見本である。

「そもそも煩悩を断ち切ってしまったら、陰陽師じゃなくて仏僧になっちまう」「禿頭にしなくてはいけませんねー」

「おいおい、そりゃあ御免だぜ」

人の世を救うという点では陰陽師と似通っているが、余人の悩みを訊いたり一日中経文を読み上げるよりは体を動かしている方が俺にとっては楽である。

体がついていかなくなる歳になったら、一度考え直してみるか。

とはいえ、はたしてそこまで長生き出来るかどうか……陰陽師は妖怪を退治する危険な仕事故、短命な者が多い。

「いかな私でも煩悩を切る事は出来ませんが、迷いを断つ事は出来ますよー」

「その為の座禅、か」

「はい」

居住まいを正し、童子切の話に耳を傾ける。

「これは刀を振るう上で……いえ、刀に限った事ではないんですが、戦いの最中に迷うというのは致命的なので」

特に、貴方を御守りする身となれば尚更。童子切はそう付け加えた。

「童子切でも迷う事があるのか?」

「んー、絶対に無い、とは言い切れないのが悔しいですねー」

何やら含みのある言い方である。

「斬る事と護る事を同時にこなすには、まだまだ私も修行不足ですー」

「その無茶を何度もこなしてきた身で、今更謙遜する事もないだろうよ」

童子切の力量を素直に称賛する。

長い付き合いの中、刀を振るう様は飽きる程に見てきたが、稽古の時ならまだしも童子切の剣筋など目で追えるものではない。

気付いたら斬られてた、という具合に。

色々と思う事はあるが、一言で纏めるととても人間技とは思えない。その感想は、今も昔も変わりはなかった。

実際、彼女は人間ではなく付喪神である。

「お褒めに預かり光栄ですー」

「ですが、どうせなら酒瓶の方が嬉しいですねー、とか言いそうだな」

「…………」

「…………」

「ふふふー」

「コホン、今のは冗談だ」

そう言うと、童子切は露骨に残念そうな顔になった。

やはり、酒への未練は断ちきれそうにない様子である。

「迷いは太刀筋を鈍らせ、切れ味を落とします。切れ味だけならまだしも、オガミ様の命まで落としてしまっては――」

童子切はそこで言葉を切り、言い淀んだ。

「……まぁ、その時はその時だ。刀の切れ味一つで決まる程、命運てのは単純なモンじゃない」

「はあ、呑気ですねー。そんな事が言えるのも今のうちですよ」

もちろん俺とてそんな最期を迎えたくなどない。

呆気なく死ぬのは御免だが、主を護れなかったという死よりも辛い後悔と自責の念を彼女に負わせたくなかった。

「だがな童子切。それはお前にだって言える事だ」

「と仰いますと?」

「死に別れになった時、背負わされるのはいつだって生き残った方だからな」

足が痛くなってきたので、俺は肢体を投げ出して天を仰いだ。

殺風景な天井に視線を這わせながら、言葉を選んでいく。

「お前を喪ったまま生きるのは、俺だって辛い」

「…………」

「そう簡単に死んでくれるな」

「それは難しい注文ですねー」

「そこははい必ずやって答えて欲しかったな」

「簡単に人が死んでいく様を、数えきれない程見てきましたから」

「全く、物騒な世の中だな」

「だからこそ、仏僧が必要とされるのですよ」

「…………」

童子切の駄洒落に沈黙した。

民草にとってはそうだろうが、俺にとっては仏よりも式姫達の方が必要なのだ。

「安心しろ、さっきも言ったがまだ髪を剃る気は毛頭ない」

「ふふふ。その時は、私にお任せ下さいねー」

「げえ、それはやめてくれ。……何だ?」

「いえいえ。実に分かりやすい性格だなーと」

「それは、褒め言葉なのか?」

「素直なのは良い事ですよー。その方がからかい甲斐がありますからー」

童子切の意地の悪そうな笑みを見て、俺はため息をついた。彼女の剣の腕は頼りになるのだが、たまにこういう悪癖が出る。

一度だけ注意した事があるのだが、これは強者の特権ですよーと一笑に付されてしまった。

からかう相手は俺以外にも、他の式姫が数名ほど。ただ、誰彼構わずというわけではなく、相手は選んでいるらしい。

人選の基準は分からないが、からかって面白い者を適当に選んでいるのかもしれない。

「ところで、オガミ様。後で一緒に酒でも買いに行きませんかー?」

「えっ、いや俺は……うーん。それより、暇なら掃除を手伝ってくれないか?」

「ふむ……ではこうしましょう。買い物に付き合って頂けるなら、掃除も手伝いますよー」

童子切が人差し指を立てて提案する。成程、そう来たか。

大好物である酒を買いに行くのにわざわざ主を誘うという事は、十中八九、俺の財布をアテにしているのだろう。

童子切の選ぶ酒は間違いなくどれも美味いのだが、困った事に値段もそれなりに張るのだ。

それを知っているが故に俺は即断できなかった。今月は家計が苦しいんだが……。

生憎と俺はたまに嗜む程度なので、酒豪の童子切ほど酒に執着していない。

指先の向こう側にある童子切の笑顔としばらくにらめっこした後、俺はしぶしぶ決断を下した。

「仕方ないな、じゃあ頼むか。ただしあまり高い酒は勘弁してくれよ」

「ふっふっふ、交渉成立ですねー。では少し着替えてきます」

笑顔を浮かべながら、立ち去っていく童子切。

俺は彼女に気付かれないよう小さな溜息をつきながら、その背を見送っていた。

 

酒屋を後にする頃にはやはり人選を間違えたと頭を抱える事になるのだが、

それはまた別のお話。

説明
9月8日に開催されるこみっくトレジャー34で頒布する小説のサンプルです。
かるら:http://www.tinami.com/view/1002129
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