ラブライブ! 〜音ノ木坂の用務員さん〜 第2話
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―――チュンチュン、チュン

 

「……ん、ぅ?」

 

ぼんやりとした意識の中、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

薄らと目を開けると、閉じられていたカーテンの隙間から光が差し込んでいた。

 

「っ……眩、しぃ」

 

今が何時かはわからないが、これだけ眩しいのだから早朝ということはないだろう。

いつもなら電車の関係上、朝早めに出ないと出勤時間に間に合わないから「やべっ、遅刻だ!」と飛び起きていた所だ。

だけど、すでに仕事を辞めた俺にその心配はない……少し虚しいけど。

目に当たるその光が煩わしく、手で目元を隠しながら顔を背ける。

 

(……あ、あれ?)

 

なぜか妙に体が気怠い。

俺はどういう事かと思い体を起こし……起こそうと思ったけど、急に来た吐き気に再び横にならざるを得なくなった。

 

(そ、そっか。昨日、自棄酒したから……)

 

「……う、うっぷ……気持ち……わるっ……」

 

胃からせり上がってくるのが感じられて、かなり危なかったけど何とか歯を食いしばって堪える。

とにかく今動くのは色々とマズそうだ。

俺は少しでも落ち着かせようと目を閉じ、吐き気の波が過ぎるのをただ待った。

 

 

 

 

 

横になり少し時間が過ぎて、さっきよりは落ち着いてきた。

それでもまだまだ体は怠く、吐き気も抜けきってなくて、今は何をする気も起きない。

もう、今日はこのまま横になっていようか。

 

(……ていうか、ここ……どこだ?)

 

重たい瞼を無理やりあけて視線だけ彷徨わせる。

カーテンが閉めてあるせいで薄暗く、目もボンヤリしているから中々に見づらい。

それでも暫く視線を彷徨わせていると、その部屋の内装が自分の見知った場所であることに気が付いた。

 

(……俺の家か)

 

それは俺が大学に通い始めた頃から今まで住み続けている、秋葉原にあるマンションの寝室だった。

住み始める数年前に立てられたばかりの、比較的新しいマンションである。

外には駐車場もあり、近所にはコンビニ、そこよりも少し歩けばスーパーもある。

駅へは徒歩で30分くらいと少し離れているのが難点かもしれないが、それでも歩いて行ける距離だし、バスを使えばもっと早く行けることを考えれば、立地的にもそう悪くない場所だろう。

当時大学にそこそこ近く立地も悪くないからここを選んだが、正直一人で住むには少し広く、家賃は月に約8万円くらいと少しお高めなことから別の場所にしようとも考えた。

だけど田舎に住んでいる両親が、大学への進学祝いということで奮発して借りてくれたのだ。

もちろん卒業して就職した今では自分で支払っている。

もはや我が家と言えるくらいに住み慣れたこともあり、もう少ししたらローンを組んで購入に踏み切ろうとも密かに思っていた……会社をクビになる前は、だけど。

そんな自分の住むマンションのベッドで、いつの間にか横になっていたというわけだ。

 

「……なんで俺、家に帰ってきてるんだ?」

 

ぼんやりとした思考のまま昨日のことを思い返す。

確か俺は昨日、居酒屋で飲んでたはずだ。

そして、途中で小鳩さんが来て一緒に飲み始めて……。

 

「飲みすぎて潰れたのか。ってことは、俺をここに運んでくれてのは小鳩さんか?」

 

なんだか薄らとだけど、誰かに体を支えられながら歩いた覚えがある。

それにしても、一緒にいたのが小鳩さんだったからよかったものの、下手すれば知らない人に財布だのなんだのと持ってかれていた可能性もあっただろうことを考えると、少し不注意だったかもしれない。

 

「あとで、お礼を言っとかないとな」

 

そう決めると、ヨロヨロと鈍い動作で重たい体を何とか起こす。

まだ気分が悪いけど、二日酔いのせいかすごく喉が渇く。

あまり腹に何かを入れる気分にはならないけど、水を一杯飲めば少しはマシになるかもしれない。

フラフラと揺れる体を何とか倒れないようにバランスを取り、苦労しながら寝室を出る。

台所に着くと冷蔵庫を開ける。

冷蔵庫から流れてくる冷気がまた心地いい。

 

「おー、あったあった」

 

ミネラルウォーターの入ったペットボトルを取り出し、コップに注ぐこともせずに直に口をつけて飲む。

一人暮らしだからこそできることだ。

誰かと共同生活してたらできないだろうな、こんなこと。

 

「んく、んく……はぁ、うまい」

 

冷蔵庫でいい感じに冷やされた水が、二日酔いで火照った体を内側から冷やしてくれる。

気持ち的に、さっきより少しはマシになった気がする。

 

「……あれ?」

 

蓋をして戻そうと冷蔵庫を覗き込む。

するとさっきはボーっとしていて気付かなかったけど、何やら入れた覚えのない小さい鍋が冷蔵庫に入っていた。

 

「なんだこれ……ん? 紙?」

 

そして、蓋の所に一枚の紙切れがセロテープで止められていた。

はがして見てみると、少し雑な俺の文字とは違う丁寧な文字で、こんなことが書かれていた。

 

『直くんへ。二日酔いには生姜を入れたお味噌汁が効くから、食べられるようなら温めて食べてください』

 

「……小鳩さん。マジで頭あがらないわ」

 

家まで送ってくれただけでもありがたいのに、俺のこと気遣って味噌汁まで作ってくれるなんて。

 

『P.S.』

 

「ん?」

 

『3日後の木曜日に音ノ木坂の理事長室に来てください。昨日の続きを話しましょう。別にスーツなんて、かしこまらなくていいからね? ラフな服装で来てください』

 

「……昨日の?」

 

P.S.に書かれていた内容に首を傾ける。

昨日、俺は小鳩さんとどんな話をしただろうか。

 

「えっと、確か俺が退職した話を酔いに任せて暴露したのは覚えてるな」

 

その話だろうか?

いや、それならわざわざ音ノ木坂に呼び出さなくてもいいだろう。

なら、それ以外にいったい何の話をしただろうか。

 

「……えっと……えーっとぉ?」

 

退職の話をする前のことは……特にそれらしい話はしてなかったはずだ。

ということはその後だろうか?

退職の話をした後……昔、小鳩さんが俺に言ってくれた言葉……昔の出来事を覚えてくれていてうれしかったというのは覚えてる。

その話をして、酒の勢いもあってそこからどんどん意識が揺らぎ始めて……。

 

『……ねぇ、直くん』

 

……確か。

 

『もし直くんがよければ』

 

…………確か。

 

『うちで働かない?』

 

「……あ、思い出した」

 

薄れゆく意識の中で聞こえた小鳩さんの声。

意識が朦朧としていたこともあり、夢か聞き間違いではないかと思っていたのだけど、それ以外に昨日のことで合致するものが思い浮かばない。

 

「……夢じゃ、なかったのか」

 

前の会社を退職したからまた就活しなければと考えていたけど、どうやらその必要はなくなったらしい。

……だけど。

 

「小鳩さんと一緒の職場で、か」

 

そのことが少しだけ、俺の心にモヤモヤとした気持ちを生む。

別に嫌なわけではないし、むしろ小さいころから憧れの小鳩さんと一緒の職場で働けるのは素直にうれしいと思う……うれしい反面、気まずい気持ちがあるだけだ。

まぁ、これはあくまで俺の一方的な気持ちの問題でしかないのだけど。

 

「……って、あれ? まだ続きが」

 

紙切れを裏返して見ると、そこにもまだ続きがあった。

 

『P.S. 直くんもやっぱり男の子なのね。でも、ベッドの下って安直じゃないかしら? 一人暮らしだからって、油断しすぎね♪』

 

「……」

 

とりあえず二日酔いが落ち着いたらまず、ベッドの下の“物”をどこに隠すか考えようと決めた俺であった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「……ふぅ、やっとついた」

 

結構長い階段を上りきって一息つく。

そして音ノ木坂学院という看板が掛けられた門の前で、その広い敷地に建てられた大きな校舎を見上げる。

来る前に簡単にネットで調べたところ、なんと創立から100年以上も続く伝統のある古い高校らしい。

俺が通ってた田舎の高校は創立から70年くらいのはずだけど、それと比べてもこちらのほうが何倍も綺麗で立派に見える。

都会の高校だからなのかもしれないけど、もっと頑張れよ俺の母校……。

周辺の手入れも行き届いているらしく周りに目立った雑草もないし、校庭の樹木もいい感じに剪定されている。

その様を見て、俺は少しだけ懐かしさを覚えていた。

 

「久しぶりだなぁ、音ノ木坂に来るのも」

 

というのも俺は昔、何度かこの音ノ木坂には来たことがある。

それは年に一度開かれる音ノ木坂の学園祭の時、ここに通っていた小鳩さんに招待されて参加していたのだ。

朝早くに小鳩さんと一緒に地元からアキバまで電車で来て、音ノ木坂までの道のりを小鳩さんお気に入りの店をあれこれ紹介されながら歩いたものだ。

あの時は確か8時くらいだったから、まだ開いてる店なんてほとんどなかったけど、都会なんて中々来ることのなかった俺は見るものすべてが物珍しく、見ているだけで飽きなかったのを覚えている。

今から20年近く前のことなのに、思い返してみれば結構思い出せるものだ。

 

「……っと、とりあえず事務室に行くか」

 

いつまでもここでボーっと突っ立ってたら、不審者扱いされかねない。

ここは女子高だ。

まだ小さかったあの頃ならまだしも、いい年した大人がじっと女子高を見ているのを誰かに見られたら、一発で通報されること間違いなしだろう。

思い出を懐かしむのもそこそこに、来客用の入り口に向かうことにした。

来客用の入口から入ってすぐところに小窓がある。

どうやらそこが受付けになっているようだ。

 

「あのぉ、すみません」

 

女子高にいるという本来ならあり得ない状況に少し萎縮し、いつもよりも遠慮がちな小さい声で呼びかける。

 

「……?」

 

少し待っても返事がない。

誰もいないのかと覗いてみると、窓から少し離れたところに4つほど机が並んでいる。

そのうちの1つに、事務員らしき人が座ってるのが見えた。

 

(ちゃんといるじゃん。声が小さくて聞こえなかったのか?)

 

その人は白髪が目立ちもう60歳は超えているだろうと思えるような、穏やかそうなおじいさんだった。

おじいさんはコックリコックリと舟をこいでいて、まるで寝てるかのような……。

 

(……いや、普通に寝てない?)

 

「あ、あのー! すみませーん!」

 

そう思った俺は気を取り直して、少し大きな声でおじいさんを呼ぶ。

 

「……ん? おぉ、お客さんですかな?」

 

呼び声に目を覚ましたおじいさんはこちらに気付くと、椅子から立ち上がり近寄ってくる。

 

「えっと、小鳩さ、じゃなかった。南理事長と今日、会う約束をしている松岡直樹です」

 

「あぁ、話は聞いてます。なるほど、君が松岡君ですか。いやはや、中々に元気そうな若者が来てくれたものだ!」

 

朗らかに笑うおじいさんを見ていたら、なんだか少しだけ力が抜けてしまう気がした。

それにしても居眠りをしているところを見られて取り乱さないとは、ある意味すごいと思う。

俺だったらばつが悪く、キョドりながら変な対応をしていたかもしれない。

これが年季の差という奴なのだろうか。

 

「わしは源弦二郎(みなもとげんじろう)、この学院の用務員をしております」

 

……用務員。

ということは、この人が小鳩さんが言ってた人か。

 

「えっと、他の人はいないんですか?」

 

居眠りするようなおじいさん一人での留守番で大丈夫なのかなと思った俺は、そんなことをおじいさんに聞いてみた。

 

「事務員は一人いるんですが、ちょいと出払ってましてなぁ。時々こうして、事務員の仕事も兼任してやっとるんですよ。なにぶん人手不足でしてなぁ、はっはっはっ!」

 

……確かネットでは生徒数が少ないのと同時に、教職員の数も少なかったのは覚えてるけど。

用務員と事務員が合わせて2人しかいないのって、仕事量的に大丈夫なのだろうか。

まぁ、このおじいさん……弦二郎さんがのんびりと居眠りをしながらでも留守番まかせられるくらいだし、できないことはないのか。

 

「と、こんなところで立ち話もなんですな。さっそく理事長室に向かいましょうか」

 

そう言うと弦二郎さんは俺にゲストカードを手渡し、先導して校内を案内してくれた。

 

 

 

 

 

「……なんというか、寂しいもんですねぇ」

 

「そうですなぁ。わしがここに勤め始めたころ、もう何十年も前のことなのですがね。その頃にはまだ、たくさんの生徒達で賑わっていたものです」

 

理事長室への道すがら、校内を歩いている時に感じた感想をそのまま弦二郎さんに伝える。

外から見て分かっていたけど校舎はとても大きく、それに伴い教室の数も結構ある。

昔は弦二郎さんの言うように、たくさんの生徒達で賑わっていただろうことがうかがえる。

俺の記憶にある音ノ木坂も、学園祭時期だったからかもしれないけど、たくさんの人で賑わっていたのを覚えている。

現在この学校は1年生は1クラス、2年生は2クラス、3年生は3クラスというように、年々生徒数が減少していってるらしい。

今は丁度授業時間のようで、校舎内で生徒たちの声が聞こえないのも、どこか寂しさに拍車をかけているように感じられる。

 

「ん? ……これは」

 

周りを見ながら歩いていると、廊下にいくつか並んでいる掲示板を見つけた。

その中の一枚を何気なく見てみると、そこに書かれていた内容に俺は思わず足を止めてしまう。

 

『廃校』

 

タイトルにでかでかと書かれたその2文字。

 

「……噂では聞いてましたけど、本当に廃校になるんですね」

 

「そうですなぁ。儂もここには長く勤めていて、思い入れもいろいろあります。それが廃校になるなんて悲しいもんですが、これも世の流れというやつなのでしょうな」

 

「世の流れ、ですか」

 

そう語る弦二郎さんを見ると廃校の知らせに目を向けてはいるが、しかしその目はどこか別のところを見てるように俺には思えた。

 

(……似てる、な)

 

弦二郎さんのその目を見ていると、俺は既視感を覚えた。

それは遠い昔、まだ俺が子供の頃のことだ。

俺が小学校に入学する前に亡くなってしまった祖父が、亡くなる少し前に見せた目にそっくりだったのだ。

あの時はどうして祖父があんな目をしてるのかわからなかったけど、大人になった今では何となくの予想はつく。

そして多分、弦二郎さんもあの時の祖父と似たような想いを抱いているのかもしれない。

もう二度と会えなくなってしまう家族との別れを惜しむ、そんな切ない想い。

どこか祖父と被って見えてしまう弦二郎さんを見続けることができず、張り紙の方に再び目を向ける。

詳細を見てみると、どうやら今すぐどうこうなるという話ではなく、来年度からの新入生募集を打ち切って、今いる生徒たちが卒業するまでは運営を続けるらしい。

 

(それでも、3年後には……)

 

「さあ、先に進みましょう」

 

「……はい」

 

弦二郎さんに促され足を進める。

昔を思い出していたせいもあるのだろう、心にモヤモヤとした気持ちが生まれていた。

ここは俺にとっても思い出のある場所だけど、小鳩さんにとっては母校だ。

何度か来たことがある程度の俺よりも、いろいろな思い出がたくさん詰まった大切な場所なのだ。

そんな中であの張り紙を張らなければならなくなった時、小鳩さんはいったいどんな気持ちでいたのだろうか。

そんなことを考えながら廊下を進んでいくと、弦二郎さんは一つのドアの前で立ち止まった。

他の部屋とは違い木製の重厚な作りになっていて、いかにも偉い人の部屋といった見た目だ。

 

「さぁ、ここが理事長室ですぞ」

 

「わざわざ、ありがとうございました」

 

「なぁに、かまいませんよ。松岡君とは短い間とはいえ、一緒に働く同僚になるのですからな……おっと、まだ決まってはいないのでしたかな? はっはっは、これは失礼」

 

そう軽い調子で笑い、肩をポンポンと叩いてくる。

それから弦二郎さんは、話しが終わったらまた事務室の方に来てほしいと言い残すと、そのまま来た道を戻っていった。

 

「……同僚かぁ」

 

その言葉を聞き、前の職場の同僚たちを思い出していた。

そこまで深い付き合いはなかったけど、仕事上一緒に取り組んできた同僚、上司、部下はいる。

色々と忙しくて大変だったけど、なんだかんだで5年近く勤めていたからか、あの会社にもそこそこ愛着が湧いていたのかもしれないと今更ながらに思えた。

まぁ、弦二郎さんの音ノ木坂を想うそれには全く届かないだろうけど。

 

「……いつまでも小鳩さんを待たせるわけにはいかないな」

 

そんな思いを今は頭の隅っこに置きながら、俺は理事長室のドアをノックした。

 

 

 

 

 

「いらっしゃい、直くん。久しぶりに来た音ノ木坂はどう? まぁ、久しぶりと言っても、だいぶ昔の事でしょうけど」

 

理事長室に入ると、あの時と同じ紺色のスカートスーツを着た小鳩さんが出迎えてくれた。

 

「こんにちわ、小鳩さん。久しぶりでしたけど、あの頃とあまり変わってないなって思いましたよ。あ、それと、あの日は迷惑かけてすみませんでした」

 

「あらあら、あんまり気にしなくていいのよ? なんたって私達の仲なんだから……だけど、これからは飲みすぎには注意してね?」

 

「は、ははは……気を付けます」

 

メッという風に人差し指を立てて注意してくる小鳩さんに、俺は苦笑で返すしかなかった。

あの時は気が滅入っていて酒で紛らわせたかっただけ、なんていう言い訳をしても通用しないだろう。

ここは多く語らないのが吉だ。

 

「……それで、だけど」

 

そういうと、小鳩さんは少し真剣な表情に変わる。

今まで見てきたどれとも違うその表情、これが小鳩さんの理事長としての顔なのかと、そう思った。

 

「ここに来る途中であの張り紙、見たわね?」

 

「……はい」

 

あの張り紙、それだけで何のことか察しが付く。

 

『廃校』

 

そうタイトルにでかでかと書かれた、あの張り紙。

そのことについて言っているのだ。

 

「直くんのことを誘っておいてなんだけど、この音ノ木坂は3年後には廃校になる可能性が高いわ」

 

「みたい、ですね。噂では聞いてましたけど、実際に来てみてようやく実感が出てきた感じです」

 

「……それで、改めて聞きたいの。直くん、それを知っても、ここで働いてくれる気はある?」

 

そう言う小鳩さんの表情は相変わらず真剣で、でもどこか不安の色も見えた。

その言葉を受けて俺は少しだけ考える。

 

(……3年、かぁ)

 

廃校になったらまた新しく就職先を探さなくてはならないのだが、3年後というと俺はもう三十路。

三十代からの就活となると、きっとこれまで以上に大変になるのだろうな。

学生時代に受講した就活支援講座の講師が、年齢が上がっていくごとに就活が大変になっていくという話をしていたのを覚えている。

本来なら先行きが不透明どころか、廃校がほとんど確定しているところに勤めるなど愚の骨頂だろう。

例えるなら航海に出たら沈没することを事前に知っていて、それでもタイタニック号に乗船するようなものだろうか。

……例えとして出したけど、危険すぎるというか完全に自殺行為だな。

 

「……そう、ですね」

 

俺にとってこの話しはどちらかといえばデメリットが大きい、それはわかっている。

……それでも。

 

「それでも、俺はここで働きたいって思います。3年っていう、限られた期間でも」

 

「……本当?」

 

「えぇ、本当です」

 

というかメリットデメリットなんて本当は関係なく、小鳩さんにこんな不安そうな表情をしてほしくないというのが俺の偽らざる本音だった。

俺が答えるまでの間、小鳩さんの表情が少しずつ曇っていくのがわかった。

小さい頃から憧れていて、そして俺の初恋だった……まぁ、それは叶わない恋だったけど。

とにもかくにも、小さいころから色々と助けてくれた小鳩さんに、こんな顔をしてほしくないのだ。

3年後の就活が大変になる? だからどうしただ。

 

「小鳩さん……いえ、南理事長。俺を、ここで雇ってください」

 

「……ありがとう」

 

そう礼を言う小鳩さんの顔には、どこか申し訳なさと一緒に安堵の色が見えた。

 

「それじゃぁ、直くん……いえ、松岡直樹さん。これから詳しい話に入らせてもらいます」

 

「はい、よろしくお願いします!」

 

「あ、その前に」

 

「はい?」

 

本格的に話が始まると思った矢先、小鳩さんが一端待ったをかける。

何か他に話しておくことでもあるのだろうか。

 

「……音ノ木坂学院へようこそ。直くんのこと、歓迎するわ」

 

「ッ!? ……は、はい」

 

先程までとはうって変わった、とても綺麗な笑みを浮かべる小鳩さん。

その不意打ちに、少し胸が高鳴ってしまった。

 

 

 

 

 

こうして、めでたく俺の新しい仕事先が決定した。

ここが女子高であることや3年後の廃校問題、それに初めてでよくわからない用務員の仕事だったりと、色々と不安はあったりする。

だけどそれと同時に、この音ノ木坂学院で新しい何かと出会える、そんな不思議な予感やわずかな期待が俺の中には生まれていた。

 

(……って、なんだそりゃ。新しい何かと出会える? 不思議な予感? 子供かっての!あぁ、はっずい!)

 

年を考えろと、自分の考えに恥ずかしくなってくる。

とりあえず早いところ新しい仕事に慣れて、弦二郎さんや小鳩さんにあまり負担をかけないようにしていこう。

そう決意を新たにする。

 

 

 

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2話目です。
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