痕 メイドでおまかせ |
「おっ、手紙なんて珍しいな」
大学から帰宅した俺は郵便受けを確認する。いつもはチラシが数枚入っているだけなのだが今日は違っていた。一通の手紙が入っていたのである。
「柏木耕一様……俺宛だな」
宛名を確認する。確かに俺宛である。最近、連絡は電話で取ることが多くなっていたので、手紙はある意味新鮮に感じられた。
「差出人は……梓か」
封筒を裏返して差出人を確認する。そこには梓の名前と住所が書かれていた。
俺は封筒とチラシを分けると封筒を大事に持って部屋へと移動した。
カギを開け部屋に入る。チラシにざっと目を通し、重要なものが無いのを確認するとごみ箱に捨てる。
いつものことだが、重要なチラシが入っていたことなど一度も無い。たまに公共料金の請求書が入っている程度だ。一人暮らしの郵便受けなんてそんなものである。
俺は改めて手紙に目を向ける。
「なになにっと……」
中に入っている便箋を切らないようにして封筒の口をハサミで開ける。普段やらないことなので、中の便箋まで切ってしまわないか緊張してしまった。
中からは一枚の便箋とチケットらしき紙が入っていた。手紙はかわいらしい犬のプリントの入った便箋に、丁寧な字で書かれていた。
チケットはまた封筒に戻し、便箋を読み始める。
「今度学園祭があるから良かったら来ないか……か」
手紙には他にも多少の挨拶らしい言葉が書かれていたが、大筋ではそれが言いたいようだ。
俺はカレンダーを確認する。その日は祝、土、日と続く三連休の日曜日だった。レポートの締め切りもその日の近くには無い。こちらの都合としては断る理由は見つからなかった。
「よし、隆山に行くか」
一度決めるとその後は速い。俺は行く旨を伝えるため電話をする事にした。
トゥル……ガチャッ
「耕一ですけど……おう、梓か」
電話に出たのは梓だった。それも一回目のコールが終わらないうちに。驚くべき速さである。
「……元気だって、そっちこそいつもの元気がないようだけど……あぁ、手紙な。さっき読んだ……」
梓との会話が続く。珍しく他の姉妹はいないらしい。
いつもなら四姉妹による電話の争奪戦が始まったりするのだが、今日はゆっくりと話が出来ている。
「学園祭なぁ、どうしようかなぁ……レポートがなぁ」
わざとらしく答えを渋る。もちろんレポートが無いことは確認済みである。すでに行くと決めているのだがすんなり答えるのは面白くなかった。今回はゆっくりと話が出来るのだから答えるのも伸ばしてやろうと言う気になっていた。
梓の声が微妙に沈む。
「……嘘だって……あぁ、行くよ」
俺が行くと告げた後の梓の声は一転して明るいものへと変わっていた。本人は隠しているつもりなのだろうが、こちらまでその嬉しさは伝わってきていた。
「ちょうどその週の木曜は午後の講義が休講だから、木曜の夜にそっちに着けるよ……おう、よろしく」
言いたいことも告げたので電話を切る。
こうして俺の隆山行きは決まったのである。
「まだ5時前か……さすがに早く着きすぎたな」
本当なら夜に着くはずだったのだが、朝大学に行ったら午前の講義までもが休講になっていた。そのため予定を繰り上げて移動したので、夕方前には隆山に着いてしまったのである。
コンコンッ
「おじゃましまーす」
外で待っているのもなんなので、ノックして玄関まで入ると奥に声をかけて、荷物を降ろす。
「は〜い、今行きます」
奥から可愛らしい声が聞こえてくる。
居間からヒョコッとアンテナのような髪の毛が見えてくる。四姉妹の末女、初音ちゃんである。
「あれっ、耕一お兄ちゃん?!」
パッと表情が明るくなる初音。しかし、その表情はどこかすっきりとしない感じがある。まるで、ここにいないモノでも見ているような、そんな違和感を含んでいるように見える。
「こんにちは、初音ちゃん」
そう言って、俺はにっこりと初音ちゃんに微笑みかける。
「そろそろ『こんばんは』だよ、耕一お兄ちゃん」
苦笑しながら初音ちゃんは応えてくれた。
ドタドタドタッ
家の奥の方からそんな音が響いてくる。そして初音ちゃんの表情が乾いた笑顔に変わる。
俺にもこの音の主が予測できた、千鶴さんだ。千鶴さんは、俺が来たときはいつも慌てて玄関まで挨拶に来てくれる。その時と同じ音である。多分、先ほどの初音ちゃんの声が聞こえたのであろう。
「いらっしゃい、耕一さぁぁ……キャッ!」
やはり先ほどの足音は千鶴さんであった。勢いが付きすぎてうまく止まれず、初音ちゃんにぶつかってようやく止まった。
「おっと……」
俺と向かい合って話していた初音ちゃんは後から押された感じになってしまった。そのため、ちょうど俺の胸に飛び込む形になり、俺は初音ちゃんをを優しく受け止める。
「ごめんなさい、耕一お兄ちゃん」
顔を真っ赤にしながら見上げるように初音ちゃんは俺のを見る。
「い、いや、かまわないよ」
俺も初音ちゃんを見つめる。二人だけの世界がそこに形成されていた。
「コホンッ」
わざとらしい咳が聞こえてハッとなる。千鶴さんが鋭い視線でこちらを睨んでいる。
俺は慌てて初音ちゃんと距離を取る。初音ちゃんも同様だ。
ジーッとこちらを見つめる千鶴さん。
数秒だろうか、数分だろうか、沈黙が続く。空気が重い。
「でも、どうしたんです?」
千鶴さんはやっと普段と同じ表情に戻る。そして俺に尋ねてきた。
「どうしたっていうのは?」
俺には質問の意味がわからなかった。
「いえね、来るって連絡もらってなかったものですから」
首を傾げながら千鶴さんが言う。
「えっ?」
その言葉に俺は驚いた。梓に学園祭に誘われたからこっちに来たのだから、てっきり皆に来ることが伝わっていると思っていたからだ。もちろん梓にも確認の電話を入れている。
「梓に伝えておいたはずですけど……」
そういえば、普段なら到着時間を伝えておくと四姉妹のうちの誰かが玄関で待ち構えて出迎えてくれていたのだが、今回は誰もいなかったことに気づく。てっきり到着時間が早まったからだと思っていたのだが、どうやら違うようだ。来ることが伝わっていなかったというのなら納得がいく。
「梓お姉ちゃん、最近学園祭の準備で忙しかったから私たちに言うの忘れちゃったのかな?」
初音ちゃんが言う。その言葉には、姉を心配する優しさが感じられた。
「そうね、かなり疲れていた様子だったから」
千鶴さんも初音ちゃんに同意する。
「ただいま〜」
ちょうどその時、梓が玄関を開けて帰ってきた。よほど疲れているのか、いつもの梓とは比べ物にならないほど動作がゆっくりしている。
「そうだ。言い忘れてたけど、今夜耕一が来るから……」
梓は靴を脱ぎながら告げる。すぐ横に俺が立っているのに気づいていない様子だ。千鶴さんや初音ちゃんが言うようにかなり疲れているのだろう。パッと見で目の下にうっすらとクマが出来ているのがわかる。
「おつかれ、カバン持つよ」
俺は梓のカバンを受け取るために手を差し出す。横では千鶴さんと初音ちゃんが苦笑している。いや、笑いを堪えていると言ったほうが良いだろう。
「あぁ、ありがと」
梓は、手を差し伸べているのが俺だと気づかずにカバンを預けてくる。俺は恭しくカバンを受け取る。
「プッ……フフフフフ」
「アハハハハ」
堪えられなくなったのか、千鶴さんと初音ちゃんは声を上げて笑い始めた。俺も腹を抱えて笑い転げたい衝動に必死で耐えていた。
「えっ?なになに?なんで笑ってるの?」
梓一人だけが何が起こったのかわかっていない。なんで笑われているのかわかっていないのである。
梓は千鶴さんと初音ちゃんの視線の先、つまり俺の方をゆっくりと向く。
「な、なんでもう居るの?」
やっと俺が居ることに気づく梓。なんで笑われたのかも理解したようだ。俺自身がすでにここに居るのに、今日着くから、と言っても滑稽なだけである。
「午前の講義が休講でな」
俺は笑いを我慢しながら答える。
バツが悪そうにうつむく梓。
「あっ、カバンありがと……っと!」
靴を脱ぎ終わると、梓はいそいそと俺からカバンを受け取ろうとする。しかし、足元がふらつきバランスを崩す。
「そんなんで学園祭当日は大丈夫なのか?」
そんな梓を軽く支えてやる。梓は足取りも危なっかしいほど疲れているように見える。いくら学園祭のためだからと言っても、準備が忙し過ぎて当日倒れるようでは本末転倒である。
「うん、明日と明後日は業者に頼む作業があるんで生徒は校舎には入れないんだ。だからゆっくりと休めるから」
大丈夫、と笑顔を見せる梓。その笑顔も疲れのためか、多少沈んだ印象を受ける。
「そっか、あまり無理するなよ、ってもう終わったのか」
本人が言うのだから大丈夫だろう。それに、二日休めると聞いて安心できた。
「そうだね、おかげで準備万端だよ。当日は楽しみにしててよ」
「学園祭……に呼ばれたんですか?」
千鶴さんが会話に参加してくる。そういえば、俺が来ることさえ知らなかったのだから、何をしに来たのかも知らなくて当然である。
俺は、梓から手紙で学園祭に誘われたことを話す。
「へぇ、手紙で……」
一瞬だけ千鶴さんが鬼モードに突入したかのような殺気を放つ。もちろん相手は梓である。
梓がビクッと反応する。
「梓の学校の学園祭は日曜ですから、明日と明後日は私たちに付き合ってくれますよね。ねぇ、耕一さん」
微笑を浮かべながら千鶴さんは言う。先ほどから距離は変わってないというのに、なぜか千鶴さんの顔が大きくなったような錯覚を起こす。
俺は無意識のうちに頷いてしまっていた。それも力いっぱいに、何度も。
「そうですか、では明日は皆でショッピングにでも行きましょうか」
千鶴さんはそこで言葉を一度止めると梓の方に向き直る。そして鋭い眼光を梓に向ける。
「あ、わっ、わた……」
何か言いたいのだろうが、梓の口は思うように動いてくれないようだ。何を言っているのか聞き取れない。
「梓は家でゆっくり休んでていいのよぉ」
口調こそ優しげだが、千鶴さんの声には有無を言わさぬ気迫が感じられた。
千鶴さんの提案通り、俺は祝日の金曜と土曜は千鶴さん、楓ちゃん、初音ちゃんの三人と一緒に街で買い物をして過ごした。梓はなぜか部屋で簀巻きになっていたのだが、怖くてなにも言えなかった。
「っと、じゃ交代の時間なんで」
学園祭当日、お昼過ぎ。陸上部の出し物のある教室。
時計を見ると、梓はそう言って他の部員に挨拶をし、エプロンを外し廊下に出る。
梓の所属する陸上部の出し物はメイド喫茶だった。部員の一人が言った冗談が元で決定してしまった企画である。
メイド服系のファミレスの経営者に知り合いがいる部員がいて、制服が借りれるかも、という話が出た途端に「着てみたい」だの「あの服かわいいよね」だのという意見が出て、そのままトントン拍子に進んでしまった。
梓はその店の名前ぐらいしか知らなかったのだが、制服を見たら他の部員が騒ぐのもわかる気がした。
その制服は黒のメイド服を基本にして微妙なアクセントが付けられており、その辺の既製品には無いかわいらしさと清楚さ、そしてちっと大人びた雰囲気が演出されていた。ロングスカートにフリフリのアクセント、さらに胸には大きめのリボンという、いかにもマニア心をくすぐるようなデザインなのだ。着る人を選ぶデザインというのはこういう服のことを言うのだろうという見本である。
ただ、梓はそれが自分に似合うかどうかは真剣に悩んでしまったのではあるが。梓自身、スタイルに自信がないわけではない。逆に自信はある方である。だが、こういうフリフリな服が似合うかという自信はない。
「あっ、柏木さん疲れっ!」
梓は、廊下で梓と同じようにウエイトレスの格好をした部員に声をかけられる。
「あとよろしくね」
梓も、その部員の挨拶を返す。梓と入れ替わるように何人かの部員がウエイトレス姿で教室に入っていく 。
部員は、学園祭の開始から終了までの六時間を、二時間ずつ三交代制でウエイトレスをすることになっていた。
メイド喫茶の制服は、それなりの数を借りることが出来たのだが、さすがに部員の数だけ揃えることは出来なかったので、着替えて次の人に渡すことで部員全員が参加する事になっている。三交代制はそのためだ。何かあったときのために予備として何着かは用意されているのだが。
部員の中には、今日一日しかこの制服を着れないのでわざわざ一日中ウエイトレスをかってでた部員もいる。
もちろん梓はそんなことはしない。出来ればウエイトレスなどしないでずっと耕一と一緒にいたいと思っているほどだ。他の部員の手前それは出来ないが、それでも出来るだけ耕一と一緒にいられるようにちゃっかりと一番最初の番にしてもらっていた。これなら昼から学園祭終了まで一緒にいられるのである。
「耕一に見せてから着替えるか……」
自分の服装を見ながら梓はつぶやく。
梓は、たまには女の子女の子した服装を耕一に見せつけてやろうと、この時間を耕一との待ち合わせの時間に指定したのである。見せた後に学校の制服に着替えなければならないが、この喫茶店でコーヒーでも飲んでてもらえばいいと計画していた。
「そろそろ時間なんだけどな……」
梓は忙しなくキョロキョロと周りを見渡す。しかし、耕一の姿は見えない。
ゾクッ
急に背筋に冷たいものを感じる梓。梓は瞬間的に振り向いていた。そして振り向かなければ良かったと後悔する。
「ゲッ!」
梓の目には、ものすごい勢いでこちらに向かってくるかおりの姿が映っていた。
条件反射で脱兎のごとく逃げ出す梓。かおりに捕まると何か悪いことが起こる、梓の直感がそう告げていた。
「先輩、なんで逃げるんですか!」
かおりが梓に向かって叫ぶ。
梓はこっそりと逃げ出したつもりだったのだが、かおりにしっかりと捕捉されていた。いや、梓がかおりを見つけたときには、梓はすでにかおりに捕捉されていたのだ。
逃げる梓、そしてそれを追うかおり。学校は広大な鬼ごっこの場へと変化していった。
「かおり、ウエイトレスの当番は?」
梓は逃げながらもどうにかしてかおりを足止めしようする。かおりも陸上部員、自分と一緒にウエイレスをしていなかったのだからこの時間か、この後の時間にウエイトレスをするはずである。うまくすればかおりを喫茶店に戻せる、そう考えての質問である。
「あの服を一日中着ていたいという人に替わってもらいました!」
そういう部員もいるとは聞いていたが、まさかかおりがそうだとは梓は思ってもいなかった。
耕一と会うことばかりに集中してしまい、かおりに対して何も対策を立てていなかったことを後悔する。後悔するが、すでに遅い。
「それより、なんで逃げるんですか!」
かおりは先ほどと同じ質問を梓に投げかける。
「なら、なんで追っかける!」
逃げながら梓が言う。もちろんその間も速度を落とそうとはしない。
廊下には人が大勢いるが、梓は人混みの僅かな隙間を見つけてスピードを落とさずに走り抜けていた。
それに対して、かおりは梓とは対照的に一直線に走り向けてくる。大声で、しかもものすごい形相で走ってくるので人が自ら避けてくれるのだ。まるでモーゼの十戎である。
「もちろん先輩を愛しているからです!!」
かおりにきっぱりと答えられ、梓は言い返すことが出来なくなってしまう。
実力で逃げるしかないとばかりに、梓は本気で走っていた。そう、このとき梓は一陣の風になっていた。
「この辺りのはずだけど……」
俺は入り口でもらったパンフレットを見ながら辺りを探す。案内を見る限りではこの先の教室が陸上部の出し物のはずだ。
目星をつけた教室の近づくと、梓から聞いていた喫茶店の名前が張り出されていた。
「それにしても、昨日の買い物は疲れたなぁ……」
誰に言うでもなく、俺は一人愚痴ていた。三人の買い物の荷物持ちで前が見えないほどの量の荷物を持たされていた。買い物がよほど嬉しかったのだろう、三人とも服やらなにやらいろいろと買い込んでいた。
「あった。ここだ、ここ」
そんなことを考えながらも、梓との待ち合わせ場所に到着する。
待ち合わせはここのはずだけど、と俺は腕時計を見ながら梓が居ないか探す。時間も場所も正しいはずなのだが梓の姿は見当たらない。喫茶店での作業が終わってないのかも、と店の中も覗いてみるがどうやら居ないようだ。
ドダダダダダダダッ
そんな時、廊下の遥か彼方からすさまじい足音が聞こえてきた。まるで象の大群が行進しているかのような地響きと共に。
「……梓?」
俺は音が気になって、その方向に顔を向ける。そこには梓の姿があった。普段見ることがない真剣な表情をしてこちらに向かって走ってくる。
陸上部で走っているときはこんな顔なのかな、と場違いなことを考える。ここが廊下であることと、梓が黒を基調にしたロングスカート姿であることはもっと場違いなのであろうが。
俺は梓がメイド喫茶をやっていると聞かされていたことを思い出す。これがその制服なのだろう。
俺と梓との距離は瞬く間に短くなっていく。タイムを計ったら日本新記録でも出るのではないかというほどのスピードだ。
梓もこちらに気づいたのか、チラッとこちらを向く。
「あ、梓。なに走って……てぇーーーーー!」
俺は最後まで言葉を言うことが出来なかった。梓とすれ違いざまに小脇に抱えられるように連れ去られてしまったからだ。
「動かない!喋ると下噛むよっ」
走りながら梓は言う。こちらを一瞥しようともしない。完全に荷物と同様の扱いになっている。ここで喋ろうとしたら梓の言うように舌を噛むだろうから喋ることも出来ない。
なにがあったんだろう、俺は梓が走っている理由を考えようとするが、思い当たるようなことがなかった。しかし、すぐにその答えがわかる。後方からなにやら聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。
「梓せんぱぁぁぁぁぁぁい!!」
俺はどうにか首だけ動かして声の主を見る。確か梓の部活の後輩で前に隆山に来たときに梓にべったりとくっついていた娘だ。梓が俺と話をしているときに、まるで親の敵でも見るような目で俺を睨んでいた娘だ。
俺は瞬時に梓がこの娘から逃げていることを察知する。
「梓、校舎裏かどこかで人目のつかない所に行け!」
俺は梓に指示する。セリフだけならかっこいいのだが、相変わらず梓に抱えられたままである。しかも、言った後に軽く舌を噛んでしまった。
コクンとうなずく梓。俺がなにを言いたいのか、梓は瞬時に理解したようだ。
しばらくすると人混みが無くなってくる。俺が言ったように、梓は出し物が何もない方に走ってくれたようだ。もちろん、俺は梓に抱えられたままなのだが。
バタンッ
梓は目の前の扉を開ける。そこは校舎裏だった。人影はない。梓はようやく俺を降ろす。
「はぁ……はぁ……」
梓は完全に肩で息をしていた。それはそうだろう、俺を抱えたまま走り回っていたのだから。
「梓、行くぞ」
俺は梓にそれだけを告げると梓を抱きかかえた。お姫様抱っこというやつであろうか。
梓は、俺の首に腕を回すとコクンとうなずく。
他の姉妹に見せたら殺されかねない状態である。特に千鶴さんに見られたらと思うと背筋が凍る思いだ。しかし今はそんなことをは言ってられない。
「はぁっ!」
俺は鬼の力を解放して、一気に校舎の屋上まで飛び上がる。一階から屋上まで一気に移動してしまえばあのかおりという娘も追いかけては来れないだろう。追いかけて来れたとしたら彼女も同族かもしれない。
俺はこっそりと下を覗き見る。かおりは辺りをキョロキョロと見渡すと、とある方向へと走り去ってしまった。
「梓、もう大丈夫だぞ」
梓に話しかけるが梓の反応はない。
「梓、梓……」
いくら呼んでも反応は返ってこなかった。
「すぅ……すぅ……」
梓からはリズムの良い寝息が聞こえてきていた。緊張の糸が切れたのだろうか、それとも先ほどの走りが堪えたのだろうか。その両方かもしれないが、少なくとも病気や怪我ではないのがわかってホッとしていた。
「校舎内に戻って、またさっきの娘に見つかるのもなんだし……」
俺は梓を見る。梓は陸上部のウエイトレスの服を着たままだ。こんな服装では見つけてくれと言っているようなものである。
「このまま屋上にいるのが良いかもな」
校舎と屋上とをつなぐ扉は施錠されていた。生徒が屋上に出るのを防ぐためであろう。
俺は日陰に移動すると、梓を降ろして膝枕をしてやる。梓の寝息を聞きながら、俺も昨日の疲れからか、心地よい睡魔に誘われてそのまま眠ってしまった。
「う……ん……」
梓がゆっくりと目を開ける。
「目が覚めたか?」
俺は梓に話しかける。梓が寝てから、かなりの時間が経っていた。すでに辺りは暗くなり始めている。
「こ、耕一?」
ガバッと目を見開く梓。俺の顔がすぐ目の前にあったことに驚いたらしい。
「あたし、どうしたの?」
「疲れて寝てたんだよ」
そういう俺も先ほどまでは眠っていた。目を覚ましたのはほんの数分前だ。
「そっか、寝ちゃってたんだ……」
あくびをしながら梓は起きあがる。自分でも疲れていたのがわかっていたのだろうか、眠ってしまったことに疑問はないらしい。
梓が起き上がってくれたので、俺も立ち上がる。
「おとととと……」
ずっと梓に膝枕していたせいか、足が痺れてしまっていた。そのため、うまく立つことが出来ずに梓のほうに倒れこむ。
「きゃっ」
梓も、俺を支えることが出来ずに二人して重なるように倒れてしまった。完全に俺が梓に覆い被さる形になってしまった。
「ご、ごめん……」
俺は慌てて起きあがろうとするが、またも足がもつれてうまく立ち上がれない。とりあえずどうにか体勢を立て直そうと腕に力を込める。
ムニュッ
不意に手のひらに柔らかな感触を感じる。普段感じたことのない感触に、それが何かを確認するようにもう一度握ってみる。
ムニュッ ムニュッ
「なにをやっているのかな……耕一くん……」
怒気を含んだ、それでいて冷めた感じするの梓の声。俺は自分の手が何を触っているのかを確認する。
「こ、これはその……」
俺が触っている物体、それはまさしく梓の胸であった。
どおりで柔らかかったはずだ、とこんなことを考えている場合ではない。俺は急いで手をどけようとする。が、慌てているせいかうまくどかせられない。
「い・つ・ま・で……触ってるつもりだぁ!」
俺が手をどけるよりも早く、梓の拳が俺の右頬にヒットする。その衝撃で俺は梓の上から飛ばされていた。
「いいコブシだ……」
頬をさすりながら俺は言う。足が痺れたのは梓を膝枕していたからなのだが、当の梓は聞き耳持たずと言った感じで俺のことを睨んでいる。
「それより学園祭は……?」
ジトーッとした目つきで梓が尋ねる。と同時に校内放送が流れる。
ピンポンパンポーン
『只今を持ちまして学園祭を終了させていただきます。ご来場の皆様、どうぞお気をつけてお帰り下さい』
これ以上は無いというタイミングで学園祭の終了を告げるアナウンスが入る。
「……だそうだ」
俺は苦笑しながら言う。
「……耕一と一緒に学園祭楽しみたかったのになぁ」
学園祭の終わりのアナウンスを聞いて、残念そうに言う梓。
「終わったものは仕方ないさ。それに……」
そこまで言って、俺は梓に視線を向ける。
「それに……?」
「ずっと梓のウエイトレス姿見ていられたから」
俺の言葉で、梓はかぁっと顔を赤らめる。そしてやっと自分がウエイトレス姿のままだということに気付く。
「あっ、服返さないと……」
自分の服を見ながら梓がつぶやく。照れ隠しもあるのだろう。俺と目を合わせようとはしない。
「……今度、うちの学園祭あるから来るか?」
思い出したように言う俺。今日は梓と一緒に学園祭を回れなかったからどうにかして埋め合わせをしようと、なにか良いイベントがないか考えていた。そして、来月に大学の学園祭があったことを思い出す。今まであまり行く気はなかったのだが、梓と一緒に行くのもいいだろう。
「でも、千鶴姉や楓たちがなんて言うか……」
一瞬、梓の表情はパッとが明るくなったが、すぐに沈んでしまう。他の姉妹に悪いと感じてしまったのだろう。
「そっか……」
俺は他の手はないかと思案する。そして、とあることに思いつく。梓が受験生だということに。
「じゃ、大学の下見に来るか?学園祭の日に」
はっきり言って邪道だとは思う。しかし、そうでも言わないと梓はうんと言いそうになかった。そして、梓の答えは予想通りのものだったのである。
「大学の下見……それならいいかな」
梓は自分に言い聞かせるように、うんうんと頷いている。
梓自身、行きたいという気持ちは大きいのだが、他の三姉妹のことを考えると素直に「うん」と言えなかったのだろう。だが、自分を納得させれる理由が見つかったので踏ん切りがついたようだ。
「向こうに帰ったら連絡するよ」
俺の言葉に、梓は嬉しそうに頷いた。
「そうだ……耕一……」
モジモジしながら梓が近寄ってくる。
「この服なんだけど……似合ってる?」
「あぁ、似合ってるよ」
またもや一瞬で顔を真っ赤にする梓。そんな梓を見て微笑ましくもあり、楽しくもあった。ずっとこうしていたいという気持ちが俺の中で大きくなっていた。
「……梓」
俺は後ろから優しく梓に抱きつく。
「ちょっと耕一……」
慌てたように梓は言うが、それでも拒否している口調ではない。逆に俺の腕の上に手を持ってきた。
「しばらくこのままで……」
俺の言葉に梓は無言で頷いていた。
そのままで何分過ぎたであろうか、学校から完全に人の気配がしなくなってから、俺は梓を抱えて屋上から飛び降りる。もちろん鬼の力を使っているので着地に何の問題もない。
そうして、俺と梓は家路についた。
「あれ、また手紙か……それも三通も」
隆山から帰ってきてから一週間が過ぎた頃、郵便受けに俺宛の手紙が入っていた。最近は手紙が流行っているのだろうか、俺はそんなことを考える。
「……今度は千鶴さんと楓ちゃんと初音ちゃんからだ」
そう、手紙はその三人からであった。それもそれぞれ一通ずつ。
「千鶴さんのはっと……」
俺は千鶴さんの手紙の封を開けると、中に目を通す。そこには『今度会社で社員の家族も参加できる簡単なパーティーがありまして、都合がつきましたら是非隆山に』と書かれている。しかも、文面の最後に『耕一さんのために、バニー姿でお酌しますね』と追記されていた。今回の梓のことに触発されて、無理やりねじ込んだ企画のような気もしないでもない。
「楓ちゃんのは……」
嫌な予感がしながらも、俺は楓ちゃんの手紙に目を通す。嫌な予感というのは大抵当たるものだが、今回もその通りだった。その手紙には『学園祭で喫茶店をするので是非いらしてください。袴姿でお出迎えいたします』と書かれていた。
「もしかして初音ちゃんのも……」
予想通り、初音ちゃんの手紙も学園祭絡みだった。こちらは『今度の学園祭の出し物で、巫女さんの姿でウエイトレスするから来てね』という内容だった。
今、隆山ではウエイトレスが旬なのであろうか、俺はそんなことを考え始めてしまった。
俺は三人のそれぞれの姿を想像しながら、カレンダーを確認していた。たとえレポートの提出日と重なろうとも絶対に隆山に行こうと心に誓いながら。
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リーフ「痕」の二次創作。 これも2000年に書いた物ですね。前にも書きましたが、リニューアル版はやっていないので設定違うかもしれません。 |
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