松ノ木 |
その家の庭には立派な松の木が植えられていた。
一族が呪いを受けてからの数十年、その松の木は庭から彼らを見ていた。
……そうしたら、ある日。
***
「当主様、ご近所さまからまた……」
朝食が終わった後、おずおずとイツ花が当主である梓(あずさ)に告げた。梓は麦茶を口に含みながら聞く。
「ははーん、またアレの苦情だろ」
「は、はい」
「やんなっちゃうよなァ、京の人とは仲良くしたいのに、またお化け屋敷とか言われちゃうよ」
言いながら、こってもいない肩を叩いてみせる。
悩みの種は今でも窓から見える松の木だった。あの木は先月からおかしくなり始め、今月に入ってそれが如実になってきたのだ。
どうやら化けたらしい。
「俺たちがあーんなトコやそーんなトコに行ってるから、あの木もあてられたんだろうなぁ」
「いかがなさいますか?このままだとまた通行人を叩いたり、松ぼっくりの海を作っちゃいますよ?」
松の木はすでに前科持ちだった。
梓は唸る。
***
それをこっそり聞いていた宮柊(みやび)は気が気でなかった。
あの松の木は元々別の地にあったものを初代の父、源太が移したものだと宮柊は聞いている。
なので彼にとっても、この松の木は慣れ親しんだものだった。なのに、だ。
切られるかもしれない。
それは嫌だった。
「ねえ宮柊、聞いた?松の木がまたやらかしたって」
宮柊が松の木のことを考えながら書斎に居ると、ひょいっと顔を覗かせた四方(しほう)がそう聞いてきた。最近の我が家はこの話題で持ちっきりである。
「ええ……四方さんも心配ですか?松の木のこと」
「うーん、あまり木を可愛がる方じゃないんだけど、色んな意味で心配ね」
「私は……やっぱり心配です。だって松の木自身は悪くないんですよ?化けたくて化けた訳じゃないでしょうし」
宮柊は手に持っていた本を棚に戻し、腕を組んでしばし考えた。
そして、
「……当主様にお話してきます」
と小さく言った。
宮柊が梓の部屋の前まで来ると、そこからイツ花が出てきた。
「あらっ、宮柊様も当主様にお話しですか?」
「え、あ、はい」
「じゃあ後でお茶を……」
「い、いや、それはいいです。ありがとう」
出来れば落ち着いて話したい。宮柊は断ると、フスマをそっと滑らせた。
「しつれいします」
「なんだ、今日はやけに来客が多いな〜」
キセルの掃除をしていた梓はその手を止め、宮柊に座るよう勧めた。
「で、なんだ?」
「単刀直入に言います。……松の木をあのままにはしてはおけませんか?」
梓は眉だけを動かす。
「なぜ」
「可哀想ですよ、あの松の木はずっと我が家を見守ってきてくれたんですよ?故郷から離されたっていうのに」
「あれ、お前ってそんなに木ぃ好きだったっけ?」
梓はそうちゃかしてみたが、その顔が嘘だったかのように真剣な低い声を出した。
「無理だ」
「え」
唐突に言葉で切り捨てられ、宮柊は思わず黙ってしまった。代わりに梓の……当主の顔を見る。
すがめた目、閉じられた口、有無を言わさぬ目線、それらに色を与えているかのような鮮やかな赤毛。
いつもはひょうひょうとしている梓だが、時たまこういう顔をする。
それが、なんだか深淵を覗いているかのようで怖いのだ。
しかし宮柊は退けない。
「な、なぜですか」
「俺もな、本当ならあのままにしておきたかったさ。でも無理だ」
「……まさか……」
「そう。アレはさっき、人に大怪我をさせた」
イツ花はさっき、それを報告しに来ていたのだという。
宮柊は一瞬息をとめることしか出来なかった。そんな彼をよそに、梓は再度口を開く。
「俺は人を傷つけたものを放っておけるほど優しくないんでな」
「………」
「あいつはもうしばらくすれば、明確な意思を持つようになるかもしれない。そうなったら厄介だ。だから、その前に……」
「ま、待ってください!そんな」
「あのな、宮柊」
梓はふっと表情を緩めた。それだけで、何か周りで張り詰めていたものが和らぐ。
宮柊はそんな梓に視点をあわせた。
「宮柊、お前は優しすぎるよ、ホント」
「当主様……」
「庭にゃ他にも色んな植物が生えてるじゃないか。あれらだけじゃ駄目なのか?」
「当主様は……沢山あるからといって、ひとつのものを粗末に出来るんですか?」
くはー、と梓は息を吐く。
「質問に質問で返すなよぉ」
「あっ、す、すみません」
「もうお前は自室に帰っときな。これは俺が決めることだ。つまり俺がどうやって責任を取るか決める。いいな」
「……はい」
宮柊は頷く。
言いたいことは言えた。しかしどんな結果になるのか予想も出来ない。
梓はあの松の木を切るのだろうか。燃やすのだろうか。それともどこか知らない地へと移すのだろうか。
梓の部屋を出た宮柊は、少し考えた後自室には向かわずに庭へと足を進めた。
古い廊下はギイギイと音をたてる。しばらくして、例の松の木が見えてきた。
「あ……」
枝の一部に赤いものがついている。
あの枝で人を……。
「……よし」
宮柊は周りに誰も居ないのを確認し、草履を履いてそっと松の木に近づいた。
松の木は人の接近を知り、枝を振るわせる。針状の葉がいくつか下に落ちた。
「こ、言葉、もうわかりますか?」
恐る恐る声をかけてみる。が、松の木は返答らしい動きは見せない。
宮柊は生唾をのみこみ、更に松の木に近づいた。
「なぜ人を傷つけたりしたんです?このままだとあなたは切られてしまうかもしれない」
思い切って言ってみたが、やはり反応は無かった。
と、端の方にあった細い枝が突然しなる。
「!」
風を切る音をさせて、まるでムチのように枝が目の前を横切った。顔を触ると頬が浅く切れている。それを確認したと同時に、二撃目が左から来た。
「ちょっと、待って、くださいっ」
並みの鬼よりも速い。しばらく枝をかわしていた宮柊だったが、突然、
ぼこっ
……と頭上に何かが落ちてきた。
「っ!」
気をとられた瞬間、狙っていたかのように太い枝が横なぎに脇腹へ食い込む。
足が地を離れたかと思うと、次の瞬間にはもう地面に倒れていた。
「う……」
足元に松ぼっくりが転がっている。これが落ちてきたらしい。
いや、気をそらすために松の木が自分の意思で落としたのだ。
(当主様の言っていたことが本当に……?)
起き上がって松の木を見る。どうやら一定の距離を保ってさえいれば攻撃はしてこないらしい。
だが植わっているのは壁際。その壁の向こうは歩道になっている。いくらなんでもこの松の木に近づかないでくださいという張り紙をするのは横暴というものだろう。
宮柊は脇腹を押さえながら、一旦家へと引き返した。
「うわぁ、すごい跡」
四方は感心しながら宮柊の脇腹に薬を塗る。頬の傷は既に止血済みだ。
「派手に縁側から落ちまして」
「それで石にココぶつけた、と。ここまでトロいとは思ってなかったわ」
「ト、トロいですか……ッぃたたた!」
四方はバスンと脇腹を叩く。
「はい終わり!時間が経ってもめちゃくちゃ痛かったらイツ花に言ったほうが良いわよ」
「……今ので倍痛くなりました……」
流れそうになる涙を堪えながら、宮柊は床に落としていた袖へと腕を通す。
倒れた拍子にぶつけたところがチクチク痛むが、耐えれないほどではない。ただ少し風呂が心配なくらいだ。
(しみるだろうなぁ)
「あっ、そうそう」
「はい?」
「さっきイツ花に言ったほうが、って言っておいてなんだけど、今イツ花居ないから」
「お買い物ですか?」
「いやいや、ほら、松の木」
宮柊はどきりとする。
「あ……えっと、人に大怪我させたんですよね……?」
「そうそう、その見舞いよ。とりあえず治療費も持っていったみたい。帰って来るのは夕方かもね」
「そうですか……」
「なに不安そーにしてるのよ、その間に恐ろしく痛くなったら私が医者に連れてってあげるって」
そういうわけではないのだが、宮柊は曖昧に笑っておいた。
大怪我、というくらいだから、あの松の木に襲われた人は自分よりも痛い目に遭ったのだろう。
そう思うと松の木を叱りたくなる。いや、何がやってはいけないことなのか教えたくなる。
きっとそれさえちゃんとしていれば、共存だって出来るはずだ。
……だが、やり方がわからなかった。
なにか、物音が聞こえた気がする。
しかし眠気に勝てない。
……話し声?
薄く目を開けてみるが、まだ周囲は暗闇に包まれていた。ただ障子の向こうが少し白んでいる。早朝、だろうか。
だが宮柊は起きることが出来なかった。
そして朝、愕然とすることになる。
松の木が無い。昨日まで鎮座していた場所には窪みがあるだけだ。
(まさか当主様が……)
根が無いということはどこかへ移されたか。しかしそんな早く移せるものなのだろうか。松の木の重量はかなりのものである。
「あっ、おはようございます宮柊様」
「い、イツ花」
「どうされました?」
イツ花は宮柊の向いていた方向を見る。
「ああ、あの松の木ですね」
「そ、そうそれ。どこへ……」
その時、足音が近づいてきた。
「俺が話そう」
「当主様」
「宮柊、最初に言っておくぞ」
梓は宮柊を見据えて言った。
「たぶん、結果はお前の望んでいたことではない」
フスマを開けると懐かしい顔があった。
「あ、安部晴明さん?」
選考試合で一度会ったことがある。その人が何故我が家に居るのかわからなかった。しかも茶をすすって。
「邪魔してるぞ」
「あ、はあ、どうも」
「晴明、こいつが言ってた宮柊だよ」
梓は親指で宮柊を指すと、慣れた感じで晴明にそう言った。
「当主様、安部晴明さんとお知り合いだったんですか?」
「あー、おう、小さい頃にちょっとな。それよりホラ」
梓が言うと晴明は懐からフダを取り出し、宮柊に見せた。
「ここにあいつが入ってる」
「……って、え!?」
「悪いが封じさせてもらった」
「……ふ、封……」
いまいちピンとこない。
「お前の望みはあの松の木を切らずに家に置いておいてほしいってことだったんだろ?けどやっぱりそれは無理だ。いつか均衡が破れるに決まってる。だから」
「私がわざわざあんな朝早くに呼び寄せられたわけだ」
さらっと厭味を言う晴明に、梓は少し顔を歪ませる。
「木の眠っている間に封じた。向こうもまだ何が起こったかわかっていないだろう」
「そんな可哀そうな……」
「いいや」
晴明はぎらりと目を光らせる。いや、実際には光ってはいなかったが、それくらいの迫力があった。
「私がしっかりと教育してやろう」
「きょ、きょう、いく?」
「それにな、宮柊とやら。封といってもコレはVIP待遇なフダだ。そうそう悪いことはない」
そう言われても宮柊にはVIPの意味がわからない。しかしそれでも、悪条件の揃ったところに居るのではないと知りホッとした。
「まぁ少しばかり庭が寂しくなっちゃうんだが、良いよな宮柊?これは望んでなかったこととはいえ、最悪の結果じゃないだろ」
「はい、当主様。……あの……晴明さん」
「なんだ?」
「もし松の木が話せるようになったら、私と会わせてはくれませんか」
「ほう、そんなに怪我をさせられたのにか」
う、と宮柊は言葉に詰まる。言ってもいないのに怪我の理由を言い当てられてしまった。
「そ……それでも、です」
「よし、いいだろう。次に会う時はところかまわず攻撃しまくる奴ではなくなっているだろうがな」
(き、教育ってなんなんだろう……)
やっぱりちょっと可哀そうかもしれない。
それでもまた松の木と対話出来る機会が出来る。宮柊の気分は自分でも驚くほど、そうは落ち込まなかった。
晴明はフダを宮柊に差し出す。
「しばしの別れでも言っておけ」
「……さよなら」
そして言った。
「今度はちゃんと話をしましょう」
フダの中の松の木が聞いていたかはわからないが、宮柊はしっかりとそう約束した。
了
説明 | ||
「俺の屍を越えてゆけ」の二次創作小説。こちらもサイトにUP済みのものです。 一族キャラは既にオリキャラのようなものですが、後半に特にオリキャラに近い人が出てくるので、苦手な方はご注意ください。 |
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