カッティング〜Case of Shizuka〜 3rd Cut |
人生で初めて救急車に乗った。
まるで夢の中にいるみたいだ。それも、とびっきりの悪夢の中に。
目の前で息をしていないシズカというリアルに、僕は叩きのめされていたにもかかわらず、未だに状況を飲み込むことを拒む心が現実感の無い悪夢の心地に陥れていた。
何に使うのか分からない様々な医療機器が積まれているのに、やはり、白い印象を与える車内。
僕はただ黙ってシズカを見つめていた。
何もできなかった。呼吸すら忘れてしまいそうだ。涙さえ流れてはくれなかった。
すごく悲しいはずなのに、まるで思考が働かず自分が悲しんでいるのか分からない。ただ時間だけが過ぎていく。時間にさえ置いて行かれたような、虚無だけが胸に去来する。
悲しいのか自覚できない、名状しがたい感情に支配され僕は気がつくと病院のくたびれたベンチに座っていた。
いつ救急車を降りて、どうやってこのベンチにたどり着いたのか、記憶はあるが寝起きに思い返す夢のように朧気だ。
記憶をたどれる程度には、ほんの僅かに自分が平静さを立て直したと思う。
ふと顔を上げると黒ずくめのスーツを着て軽薄な笑みを浮かべた男がいた。
「私,こういうものです」
病院で見ず知らずの男から名刺を渡されるなんて、やはりこれは夢ではないか。そんな考えが頭をよぎる。
僕は渡された名刺を受け取る。
国立汎生体研究所監査役
黒威 兼互
いきなり名刺を渡してきて、誰なんだこいつ?
なんとも現実感の薄い男が僕の意識を現実に引き戻す。
「何かようですか?」
「シズカさんのお父様と我々は、ビジネスパートナーといったところでして」
宇宙服のような防護服を着た一団が、様々な機器と共にカプセルに入ったシズカをどこかへ運んでいく。
僕はふらふらと立ち上がり、覚束ない足取りでカプセルに歩み寄る。
あいつらは一体シズカをどうするつもりなんだ。
「大丈夫ですよ、シズカさんはすぐに黄泉返りますから」
僕は振り返る。黄泉返る? 何を言っているだこの男は。
黒威は何でも無い、ただの世間話をしているかの様な、薄っぺらい笑みを浮かべていた。
「さあ、行きましょう。あなたも知りたいでしょう、最愛の人の秘密を」
「行くってどこへ?」
「とっても怪しい秘密結社の研究施設です」
黒威の笑みが悪魔の笑みに見えた。
どうやら、僕は現実で悪夢を見ているらしい。
たとえ悪魔の誘いでもシズカの側に居れるなら構わない。僕は黒威と名乗る出来の悪いブラック・メンに連れられて車に乗る。
後部座席に乗った僕は時折、共に走るトラックに視線を向ける以外、目を開けて入るがどこも見てはいなかった。
トラックにはシズカの遺体の入ったカプセルが乗っていた。
トラックを視認すると、まだシズカが側にいると思えて僅かな安堵に浸る。
僕はただシズカが側にいる、その思いに縋り付いているだけだった。
やがて、車は山中にある建物の前で停車した。
黒威に言われるまま、僕は建物に入る。
あれからどれぐらいの時間がたったのだろう。シズカの事故から僕の時間感覚は完全に狂ってしまった。まだほんの数十分しか経っていないようにも、十数時間が過ぎ去ったようにも感じる。
時間など些末なことが気になったのは、ここの壁が白くてどこか救急車の中を思い起こさせるからだろうか。
黒威の案内で建物の中を進む。黒威が何かを自慢げに話しているが、そんな物は僕の耳には不快なノイズでしかない。
エレベータに乗り辿り着いた先はどこか虚無感を覚える冒涜的な場所だった。
円柱形の水槽にぷかぷかと様々な臓器が入っている。
「すべて本物です」
他にも黒威が何か言っているがそんなことはどうでも良い。
「これがあればシズカが生き返る」
「そうです。ですがそれだけではありません――」
黒威が続けて何か話しているけど、どうだって良い。シズカが生き返る。最初に黄泉返ると言われた時はたちの悪い悪戯だと思っていたけどここにある吐き気すら覚える水槽を見れば、本当にシスガが生き返るかもしれない。背徳的な希望が僕の胸の中で幽かな光を放ち始めた。
僕は黒威に案内され、さらに別の部屋に案内される。
その部屋は隣の部屋を観察するためのものらしい。
隣の部屋はやはり白を基調としている。
僕は椅子のに腰掛け隣の部屋のカプセルを見ると、中にはシズカがいた。
シズカの側にいることができる安心感と同じ部屋に入れない寂しさが、まだ僕にはシズカの死を受け入れることができていないのだと実感させる。
やがてカプセルの中でマジックアームがシズカの躯を切り開いていく。
カプセルに浮かぶシズカが、人は優秀な機械なのだと言外に諭している。そんな錯覚が僕の心をじわじわと浸透してくる。
次々と新しいパーツに交換されていくシズカのパーツ。徐々に事故の傷跡は修復され、事故が本当に非道い悪夢だったかのような気にさせる。
黒威が僕に何か話しかけるが、目の前のシズカに視線だけではなく心までも釘付けにされ、黒威の声は僕の鼓膜に届いても心までは届かない。
しかし、黒威の言うことを聞いていれば良かったと後悔することになった。
三本のアームがシズカの頭部を開く。
その光景を見てはいけないと理性が絶叫している。でも、僕には視線をそらせない。見ることしかできない。人の尊厳を嘲笑し、魂を侮蔑する様を。ただ凝視することしかできない。
僕は来たときと同じ車に乗せられ自宅の側まで送ってもらった。
「ただいま」
玄関のドアを開ける音か僕の声、どちらか分からないが光が僕の元までやってくる。
「どうしたの」
光が悲鳴のような声を上げる。
「え?」
「顔色がすごく悪いけど」
どうやら今の僕は相当酷い顔色をしているらしい。
「大丈夫だよ、でも少し疲れたからもう休むよ」
「少しって――」
僕は何か言おうとする妹を無視して自分の部屋へ向かう。
ベッドに倒れ込むように横になる。
今はただ眠りたい。起きたときには今日の出来事はおぞましい悪夢になっていることを願って。
そう思ってベッドの上にいても一向に眠気はやってこない。
頭の中でぐるぐると今日の出来事が繰り返されるばかりだ。
時計を見ると時間はすでに深夜だ。
一体、僕は何時間ベッドの上で過ごしていたのだろう。未だに僕の時間感覚は狂ったままのようだ。
僕はベッドから降りると台所へ行き水を飲む。
自分が飲んだグラスを見ると、それが日付の上ではすでに昨日だが感覚の上では今日、シズカが入っていたカプセルを思い出させる。
反射的に水を口から吐き出した。
自分がしたことに驚いて僕はグラスを落としてしまう。
グラスを床から拾いぬれた口元を拭う。
今の音で誰か家族が来ないうちに僕は再び自室に戻る。
何をやっているのだろう、シズカは生き返ったんだ。あの黒ずくめの男が言っていた、来週にはシズカは退院しているだろうと。また会えるんだ、シズカの側に居れるから、これで元通りなんだ。
なのに、どうして僕はこんなにも落ち着かないのだろう。シズカが側に居ないからだろうか。これまでもずっと側に居たわけではないから違う気がする。
では僕は何に焦っているのだろう。もしかしたら不安なのだろうか、でも何がそうさせるのだろう。
それも会ってみればわかんことだ。僕は布団にくるまりそう考えることにした。今度こそようやく眠ることができた。
それからの一週間は理由の分からない焦燥感と虚無感が僕を支配した。
何もかもに現実感がなく、ただ虚しさが僕の胸に去来さする。
そんな感情に蝕まれ何もできないのに何かをしないと落ち着かない、そんな時はもうすぐシズカに会える、その日を数えることで少しだけ気分が落ち着く。
でも、心の中では何かが僕を追い立てる。
やはり一度死んだシズカが生きている状況を理性では分かっていても、感情が納得していないのかもしれない。
早くシズカに会いたいと思う一方、何故か会うのがとても恐ろしいことに思えてくる。
一体、僕は何に怯えているのだろう。理由の分からない恐怖が僕をいたたまれなくする。でも、今の僕に出来ることは何もない。ただ時が過ぎるのに身を任せるだけの無意味な一週間が過ぎ去った。
そして僕は今シズカのマンションのインターフォンを押す。
説明 | ||
翅田大介著/『カッティング』シリーズの二次創作です。 今回から原作の設定がいっぱい出てきます。 |
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