痕 敏腕記者危機一髪!
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「私はオカルト記事を書きたくって記者になったんじゃないんですからね」

 その日、隆山に有る駅の改札から一人の女性が現れた。名前は相田響子。雑誌記者を生業としている女性である。

 響子は誰に言うでもなく愚痴を言いながら歩いている。今回の取材目的の場所に向かって。

「『怪奇、現在に甦る妖怪伝説』ってタイトルで取材してこいだなんて、編集長もなに考えてるのかしら……」

 それが今回の響子の取材目的であった。

 すべては一通の投書から始まったのである。響子が所属する雑誌社のとあるオカルト系雑誌の編集部に届いた手紙。そこには、妖怪がいるから取材に来てくださいという内容の文章とそこの住所が書かれていた。

 もちろん、そのオカルト雑誌は響子が担当している雑誌とは違う。しかし、響子は以前隆山に取材に来た事があるので白羽の矢がたったのだ。実際のところは、今回の妖怪物は特集で、全国で取材をするためその編集部だけでは記者が足りなくなったので、響子がヘルプとして手伝う羽目になったのだ。

「編集長に言われた住所はここね……あら、ここって」

 一人愚痴りながらも響子がたどり着いた場所、そこに響子は見覚えがあった。以前に柏木グループの取材で来た事がある、柏木千鶴の家だ。

「確かにここなら私が取材に来たほうが早いわよね……」

 響子は、編集長が自分を取材によこした理由にちょっとだけ納得した様子を見せる。それでも畑違いである事には違いないので完全には納得できていないようだが。

「すみませーん」

 玄関から声をかける。

 しばらく待つが何の反応も無い。

「出てこないわね、留守かしら……」

 もう一度声をかけようと思った時、家の中から玄関に向かってくる足音が聞こえてきた。

「はい、なんでしょう?」

 玄関が開き、一人の男性が姿を現す。柏木耕一である。耕一はゴールデンウィークを利用して隆山に遊びに来ていた。

「あれ、前に取材に来た記者さんですよね?」

 耕一が響子に話しかける。

 耕一は響子の事を覚えていたようだ。耕一がエルクゥの血を制御できるようになる少し前に、若くして柏木グループをまとめる事になった千鶴さんの取材に来た記者。しかしその時は、父親や叔父の事故死についてとの関連も執拗に尋ねてきたとこもあり、邪険にした覚えがあった。

「えぇ、前の時はきちんと取材できなかったけどね。耕一くん」

 苦笑いを浮かべながら響子は答えた。

 響子も耕一の事は覚えていた。人物の顔や名前を覚えるという能力は、記者としてとても重要な事だ。響子の能力は、記者の中でも上位に入るものである。

「……今回も前回と同じ用件なんですか?」

 時間は経ったがまた同じ事を聞きに来たのだろうか、耕一は身構えながら尋ねる。

 親を殺して権力を手に入れた人でなし、そういった内容のゴシップは人気があるという事は耕一も知っていた。たとえ真実でなくても、読み手は自分より身分の上にいる人物を貶める事で、自分自身を慰めるのだと聞いた事がある。千鶴さんをそんな馬鹿げたものの対象にはしたくない。それが耕一の思いだ。

「今回は違うわよ。今回は妖怪物だから……」

 手をパタパタと振って耕一の言葉を否定する。馬鹿げてるでしょ、とでも言いたそうな表情を浮かべながら。どうやら響子自身は妖怪は信じていないようだ。

「妖怪物……ですか」

 無関心を装いながらも、耕一は内心ビクビクしていた。この地で鬼と呼ばれた伝説、エルクゥの血、そういったものが現実としてこの柏木家には受け継がれているのだから。それがバレたのでは、耕一はそんな不安を抱いていた。

「私だってこんな記事は書きたくないのよ。でもね、上から言われたらやらなきゃいけない事ってあるのよ。大人の世界は大変なの、毎日ご飯食べるためには大変なんだから……」

 そんな耕一の心配をよそに、響子は小声でぶつくさと愚痴を言い始める。

 よっぽど今回の取材が乗り気ではないのだろう。その愚痴はなぜかいい訳じみていた。まるで自分に取材をする必然性を刷り込むように。

「あ、あの……記者さん?」

 そんな響子の様子を不信がり、耕一は声をかける。しかし響子はまったく反応を返さない。

「前なんて事故原因をスクープしろって○○○や○○○○の原子力潜水艦に潜り込めなんて言われるし……」

 声は小声になっていくのだが、愚痴の内容はどんどん深いところに潜り込んでいく。。

「もしも〜し?」

 耕一は響子の目の前で手を振ってみるが、響子の目にはまったく映っていないようだ。目前で手を振っているというのに瞬き一つしない。

「そりゃね、スクープ出来なかったわよ。でもね、近くまでは行ったのよ。けど銃を持った兵士に囲まれたら普通逃げるわよ。ね、そうでしょ?」

 急に同意を求められたため、耕一は反応する事が出来なかった。

「そうよね? そうだって言ってよ」

 無反応だったのが気に入らなかったのか、響子は耕一に詰め寄るとガタガタと肩を揺すりながら執拗に同意を求めてくる。その取材中によほどの事があったのだろうか。響子は完全に我を失っている。

「大丈夫ですか? 記者さん」

 逆に響子の肩を押さえて落ち着かせようとする耕一。それが良かったのか、響子の目に段々と光が戻ってくる。

「はっ……えぇ、大丈夫よ」

 どうにか現実世界に戻ってきた響子。

「ごめんなさいね、取り乱しちゃって」

 響子はゆっくりと深呼吸をして自分を落ち着かせる。

 耕一も響子が完全に落ち着くまで待っている。

「そうそう、記者さんって言うのは止めて欲しいかな。はい、これが名刺」

 どうにか落ち着きを取り戻した響子は、胸ポケットから一枚の名刺を取り出すと耕一に差し出す。

「相田響子さん……ですか」

 それを受け取り、書かれている文字を読む。その名刺は雑誌社の名前と響子の名前が書かれているシンプルなものであった。

「それで取材させて欲しいんだけど……いいかな?」

 そう言って、お願い、と頭を下げる響子。

 本来ならこういった取材は受けるべきではないのだろう、耕一もそれはわかっているのだが先ほどの響子の様子を見ていたら無下に断る事が出来なくなっていた。

「……必ず取材を受けると断言は出来ませんが、一応話は通しておきますよ。今は千鶴さんが居ないので、家に人を入れるわけにはいかないんです。今度の日曜日にまた来てくださいませんか?」

 取材を受けるかどうかの判断は千鶴さんに任せるのが良いだろう、耕一はそう判断した。響子の話では、なんらかの証拠があるわけではなくそういった投書があったから調べているという事なので、その妖怪物の話とやら完全に否定しておいたほうが後々良いような気がしたからだ。

「そうね、やっぱりいきなりじゃ無理よね。それじゃ取材させて欲しい旨伝えておいてくれるかしら」

 ある程度肯定的な答えがもらえたので響子も納得できたようだ。少なくとも以前の取材のように邪険にされる事はなさそうなので安心したのかもしれない。

「はい、名刺も渡しておきますね」

 響子に対して微笑みかける耕一。

 響子は満足そうな表情を浮かべて柏木の家を後にした。

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「すみませーん」

 日曜日の昼過ぎ。一人の女性が柏木家を訪ねて来た。もちろん取材に来た相田響子である。

「いらっしゃい、響子さん。取材はOKだそうです」

 待ち構えていたように玄関に現れる耕一。

 千鶴さんと話、というよりも相談をしたところ、変に怪しまれるよりは単なる噂だったと結論付けてもらおうという結論に達したのだ。

「ほんと! 耕一くん、ありがとう」

 嬉しさのあまり、ギュッと耕一の手を握り締めてくる響子。

 女性に手を握られて、耕一も悪い気はしない。頬が赤くなっている。

「ゴホンッ!」

 耕一のすぐ後ろからわざとらしい咳が聞こえてくる。柏木千鶴である。耕一と響子が親しげにしているのが気に入らなかったのであろう。コメカミの辺りには微妙ではあるが青筋が浮かんでいる。

 千鶴の怖さを知っている耕一はすぐに響子の手を離す。

 ちょっとだけ残念そうな表情を浮かべる響子。それが余計に千鶴を苛立たせる。

「どうも、柏木千鶴です」

 ニッコリと微笑を浮かべてはいるが、目が笑っていない。しかも、コメカミには青筋を浮かべたままだ。

「相田響子です」

 そんな千鶴をサラッと受け流す響子。今までの記者生活の中で培った技であろうか。見事と言うしかない受け流しだ。

 二人の背中にオーラが起ち込めるのを耕一は感じていた。

 二人は無言のまま見つめ合う。

「……ま、まぁ立ち話も何なので、中にどうぞ」

 そんな二人の間に挟まれた耕一はたまったものではない。耕一は圧迫感で息が苦しくなっていた。どうにかして雰囲気を和らげようと居間へと移動させようと提案する。

「そうね……」

 千鶴が頷く。最初から決まっていたことだ。家の中も見せて妖怪など居ないという事をアピールするために。

「お邪魔させていただきます」

 響子もゆっくりと話が出来たほうが取材がやりやすいので、すんなりと承諾する。

「退いて退いて退いて退いてぇ!」

 三人が居間へと移動しようとした時、そんな声が聞こえたかと思うと玄関に一人の女性が飛び込んでくる。柏木梓である。

 梓は飛び込んできたかと思うと、その場に崩れるように倒れ込む。

「梓、部活終わったのか?」

 耕一が梓に声をかける。今日は部活があるからとほんの二時間ほど前に出かけたばかりのはずだが。

 いつから走っていたのだろうか、梓の制服は汗で湿っていて梓自身も肩で息をするほど疲れているようだ。

 梓は話す事が出来ないようで、手だけを振って違うと意思表示している。

 部活以外で梓がここまで走ってくる理由は一つしかない。耕一は梓の走ってきた方向に目を向ける。

 その方向からは砂煙が尋常ではないスピードで迫ってきていた。そしてその砂煙の発生源には一人の女性がいた。梓の後輩の日吉かおりである。

「女の子!?」

 響子は驚愕の声をあげる。かおりの姿を初めて見る響子が驚くのは無理も無いだろう。短距離走の世界記録保持者でも相手にならないのでは、と思えるスピードで制服を着た女の子が走ってくるのだから。

「梓、逃げるんなら外に逃げなさい」

 響子の驚きをよそに、いたって冷静な声で千鶴が告げる。

「千鶴さん、それはあんまりじゃ……」

 耕一が梓の援護に回ろうとするが、千鶴に一睨みされて黙り込む。

「以前、あのスピードのまま彼女が家の中に突っ込んできた時、家の中がどうなったかわかりますか?」

 ため息をつきながらそう尋ねてくる千鶴。

 耕一は何も言い返せなかった。その様子が想像出来てしまったために。かおりは、その辺のミサイル兵器よりも威力があるのではないかと思えてしまう迫力を持っているから。

 梓も逃げるかどうか悩んでいるが、その間にも砂煙との距離は狭まっていく。

「梓せんぱぁぁぁい」

 目をハートマークにして、さらに投げキッスをしながらかおりは走ってくる。

「来るな来るな来るなぁっ!!」

 そんなかおりの姿を見て、梓は一目散に外に逃げ始める。

 かおりは相変わらず投げキッスを続けたまま、梓のトップスピードに負けないスピードで追い駆けていった。

「もしかして、わたしの出番、これだけぇ!?」

「かおりは先輩と一緒なら平気ですぅ」

 そんな事は叫びながら、二人の姿は瞬く間に見えなくなっていった。

「……あ、あの子もある意味妖怪みたいよね」

 絶句しながらの響子の言葉。

「ま、まぁ、いつもの事ですから……」

 苦笑しながら、耕一はそれだけしか口にする事が出来なかった。

 三人は先ほどの梓の事は忘れて居間へと移動していった。

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「それで、取材というのは……」

 響子の隣に座った千鶴が尋ねる。大まかな話は耕一から聞いているが、響子の口からもう一度聞いておこうと決めていたからだ。

 柏木楓と柏木初音も合流して計五人でテーブルを囲んでいる。

「うちの雑誌社ではオカルト雑誌も発行しています。こういう本なのですけど」

 響子は雑誌を一冊取り出すと千鶴に手渡す。

 千鶴はパラパラとめくってみる。文字までは読まないが、掲載されている写真からそれがオカルト雑誌である事を確認する。

「その雑誌の中に読者からの投稿コーナーがあるんです」

 響子がページ数を教えると、千鶴がそのページを開く。そのページには「身の回りで起こった怪奇現象を教えてください」と書かれていた。

「それで、その雑誌の編集部にこちらの住所が書かれている投書が来まして……私はその編集部ではないんですけど、上から取材してこいと……こんな取材は本位ではないんですけど、お給料を貰っている身では……」

 最初に耕一と会った時のように愚痴モードに突入し始める響子。

「もしも〜し、響子さん?」

 すでに一度同じ体験をしていた耕一は、響子の肩を揺すって現実の世界へ引き戻す。

「あっ、これがその手紙です。コピーですけど」

 今度はすぐに現実世界へ戻ってきた響子。みんなの前に一通の手紙を取り出す。

 

――前に友達の家に行った時の事なのですが、その友達の家で凄い体験をしてしまったんです。

 その日は泊まり込みで遊びに行ってたんですが、夜中にふと目を覚ますと何か擦る音が聞こえてきたんです。それで気になって音の方へ歩いていたのですが、そこで見てしまったんです。長髪を振り乱して包丁を研ぐ不気味な女性の姿を。しかも何かを調理しているらしく、時々異様な笑い声まで上げていたんです。私は怖くなって、布団をかぶって朝まで震えていました。

 次の日、友達にその事を言うと、目を逸らして何も語ってくれませんでした。でも、その友達は、たまにすごくやつれて学校に来る事があるんです。

 あれはきっと鬼婆に違いありません。是非取材に来てください――

 

 響子が差し出した手紙にはその文章とここの住所が書かれていた。

「差出人は書かれてないんですけど、消印はこの町なんですよ」

 耕一、千鶴、楓、初音の四人は覗き込むように手紙を見つめている。

 その文章を読んでなにかを思いついたのか、表情が変化する耕一。

「なぁ、これって……」

 耕一は小声で初音に耳打ちする。

「うん、多分……この消印の前日に友達が遊びに来てたから……」

 耕一の言葉に初音が頷く。初音も耕一と同じ考えにいたったのであろう。隣を見ると楓も頷いている。

「……だよなぁ」

 初音と楓が頷くのを見て、やっぱりといった感じで納得する耕一。

 この鬼婆と間違えられた人物は千鶴なのである。そして、手紙の送り主も初音の友達で間違いないだろう。やつれている原因は千鶴の手料理に違いない。耕一は確信を持った。

 そんなこととは気付かない千鶴だけが、一人手紙を見つめたままだ。

「なにか心当たりはありませんか?」

 響子が訊いてくる。

 耕一、千鶴、楓、初音の四人ともが頭を振って否定する。千鶴はごく自然に軽く。それ以外の三人はまるで頭から何かを振り払うかのように強烈に。

「そうですよね、鬼婆なんているわけないですよね」

 最初からその存在を否定していた響子は、四人の反応に何ら不満を感じていなかった。記事としてはつまらない物になるが、取材はしたけど見つからなかったっと書けば良いだけの事だ。

「お茶請け、まだありますからどうぞ」

 千鶴が気が付かなくって良かった、そう思いホッとした耕一は、響子にお茶やお茶請けを勧める。

「あ、ありがとうございます」

 響子も勧められるままにお茶請けに手を伸ばす。

 そして、無意味な雑談の場へと変わっていった。記者だけあって響子は話し上手、聞き上手で雑談は楽しく、時間だけが過ぎていった。

「あら、もうこんな時間……夕飯の支度しなくちゃ」

 時計の鐘が鳴り、いつのまにか夕食の準備の時間になっていた事に気付く。

 梓はかおりに追い駆けられたままで、まだ帰っていない。梓が居ない時の食事の準備は順番にすると決まっていた。いや、千鶴に無理やり決められたのだが。今回はちょうど千鶴の番なのである。

「ち、千鶴さん! 今日は止めた方が良いと思いますよ」

 耕一は慌てて千鶴を止めようとする。千鶴の料理の犠牲者を増やさないために。

「うん、今日は私が替わるから」

 初音も同様に千鶴を止める。

「いいわよ、私の当番だし……鍋で良いわよね。なんでしたら響子さんも食べていきます?」

 そんな千鶴の提案。

 耕一たちは響子に止めろと念を送ったが、変な電波が飛ばせるわけでもなく、その念は響子に届くことはなかった。

「そうですね……ご迷惑じゃなければご馳走になろうかしら」

 真実を知らないという事は罪なのだろうか。それとも不幸なのだろうか。響子は千鶴の申し出をすんなりと受けていた。

 自分の料理を食べてくれる人が増えたのが嬉しいのか、千鶴は足取りも軽く台所へと移動していった。

 しばらくは千鶴を除いた四人で談話していたのだが、ふと響子の耳に聞こえてくる音があった。何かを擦るような音と、怪しげな笑い声が聞こえた気がしたのだ。

「何の音です?」

 話を止め耳を澄ませる。

 それに慌てたのは耕一、楓、初音の三人だ。その音が何なのか知っている三人はどうにかして隠そうとする。

「いえ、何も聞こえませんが……」

 白々しく否定する耕一。もちろん耕一の耳にもその音は聞こえている。

「そんなこと無いですよ、何かを擦るような音が……台所から?」

 さっと立ち上がると響子は動き始める。

「台所に行っちゃ駄目ですって!」

 耕一は慌てて止めようとするが一歩及ばず、響子は台所へと足を踏み入れた。そして響子は見てしまったのだ、投書にあった鬼婆の姿を。

「駄目だったか……」

 耕一たちもすぐに台所に行くが、すでに遅かったことを知る。

「イヒヒヒ……良い感じだわ」

 そこでは千鶴が包丁を研いでいた。ただ包丁を研ぐだけなら鬼婆とは言われないだろう。しかし千鶴は怪しげな笑い声を上げ、鍋からもどう表現したら良いかわからない煙が出ている。誰が見ても『怪しい』のである。

 千鶴は料理と包丁研ぎに熱中しているのか、響子が入ってきて事に気付いていない。

「千鶴……さん?」

「……呼んだぁ?」

 響子に呼ばれて、ゆっくりと千鶴が振り向く。千鶴の顔にはニターッとした笑みを浮かんでいた。

「お、鬼婆……」

 その単語をつい口に出してしまった響子。

 そして、その言葉を千鶴は聞き逃さなかった。

「だ……」

 その場に居た全員は、ブチッと千鶴の中で何かが切れる音が聞こえた。

「誰が、鬼婆ですってぇ!!」

 鬼気迫る迫力というのはこのような事を示すのであろう。千鶴は髪を振り乱し、包丁を持ったまま響子に迫る。

「い……いやぁぁぁぁぁあああああ!!」

 響子は一目散に逃げ出していた。この時の響子の速さは、梓を追い駆けるかおりの速さに匹敵していたかもしれない。それほどの速さで響子の姿は消えていた。おそらくは妖怪を信じていないのではなく、怖いので信じないようにしていたのだろう。

 この場で逃げたおかげで千鶴の料理を食べなくってすんだのは幸いだったかもしれない、耕一はそう思った。

 千鶴が料理途中に包丁を研いでいた理由だが、千鶴は自分の料理が上手くいかないのはすべて道具が悪いと結論付けていた。そのため、料理中でも包丁を研ぐようになっていた、料理がおいしくなると信じて。もちろん、他の誰も反論など出来るはずもない。誰も何も言わないので、千鶴は一層信じ込んでいたのだ。

 今回のことで、千鶴が料理を作ることを絶対に止めさせようと思っても、それが口に出せずにいる三人であった。

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「へ、編集長。無事取材してきました……」

 ボロボロになりながらも、無事編集部へとたどり着く事が出来た響子。木の枝を杖代わりにしているが今にも倒れそうだ。

 結局、あの後すぐに電車に飛び乗り、電車の中で記事を書き上げていた。響子にとって、実体験を交えた自信作である。会心の作と言ってもいい。

「あぁ、あの企画ポシャッたから原稿出さなくっていいって」

 響子の方を見ずにそう告げる編集長。

 響子は音も無く、その場で灰になっていった。

 

 

「わたし、結局逃げてるだけぇ?」

 響子が灰になっている頃、隆山では梓とかおりの追い駆けっこは続けられていた。しかしその足取りは重く、移動速度は歩くのよりも遅い。

「せんぱぁい、いい加減に諦めてくださいよぉ」

 諦めることなく梓を追い駆けるかおり。そのかおりも一歩ずつしか足を進める事が出来なくなっていた。

「あんたが諦めれば……いいで……しょ……」

 言葉の途中で力尽き倒れる梓。

「今が……チャンスぅ……」

 梓の元にたどり着くことなく、かおりもその場に倒れた。

 その夜、二人の不明人のアナウンスが町内放送で流れていた。

 

説明
リーフ「痕」の二次創作。
2001年に書いた物ですね。前にも書きましたが、リニューアル版はやっていないので設定違うかもしれません。
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