ラブライブ! 〜音ノ木坂の用務員さん〜 第12話
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「はい、直樹君。お茶が入りましたよ」

 

「いつもすみません、田中さん」

 

「いえいえ」

 

事務室の俺がいつも座る席で食後の一休みをしていると、事務員の田中喜美代(たなかきみよ)さんがお茶の入った茶碗を俺の前においてくれた。

田中さんがいる時には、基本的に田中さんがお茶を淹れてくれる。

以前、お茶入れは新人の俺がやるべきじゃないかと田中さんに言ったのだけど……。

 

『ふふふ、そんなこと気にしなくていいんですよ。これは私が好きでやってることですから。それとも、直樹君は私のささやかな楽しみを取り上げるつもり?』

 

『い、いえ、そんなことは』

 

『だったら私に任せて頂戴、おばさんの我儘だと思って』

 

と、弦二郎さんに似た柔らかい笑顔で言われてから、お茶入れは田中さんに任せている。

 

「ズズッ……はぁ、やっぱり田中さんのお茶はおいしいですなぁ」

 

「はい」

 

「うふふ、そう言ってもらえてなによりです」

 

隣では弦二郎さんも、俺と同じように田中さんからお茶を淹れてもらって啜っている。

実際、田中さんのお茶はおいしい。

確か市販の安い茶葉を使ってるはずだけど、俺ではここまでの味は出せないだろう。

淹れる人が淹れると、同じものでもここまで味が違うのか。

自分の分のお茶を淹れた田中さんは、弦二郎さんの対面の席に座りお茶を啜る。

……この二人を見てると、なんだか縁側でゆっくりと流れる時間を、お茶を飲みながら楽しむ老夫婦のように見えてくる。

別に二人はそういう関係ではないのだけど。

 

「そういえば直樹君、静香ちゃんとはもう仲直りしたのかしら?」

 

「……はい?」

 

「少し前から、なんだか静香ちゃんのこと避けてるみたいだったから。折角同じ職場にいるんだし、いつまでも喧嘩してたら居心地も悪くなっちゃうわよ?」

 

まったりとお茶を楽しんでいたら、田中さんがそんなことを言ってきた。

いや、別に喧嘩をしてるわけじゃないんだけど。

そもそも避けてたのだって、あくまで俺の一方的な苦手意識からであって、片桐先生としては特に何とも思ってもないだろうし。

 

(……それはそれで、ちょっとどうかと思うんだけどなぁ)

 

あれから、何度か片桐先生とはちょっとしたやり取りはあった。

例えば……。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

改めて言うまでもないかもしれないけど、用務員の仕事というのは雑用の様なものだ。

普段は学校の備品の管理をしたり、校庭にある草花の手入れをしたりしてるが、学校イベントの時には駐車場案内をしたり、受付をしたり、事前準備や後片付け、その他諸々と、結構やることは多い。

学校によっては生徒達が主体になって行うところもあるし、音ノ木坂でもそれは同じなのだが、ご存じの通り音ノ木坂は現在生徒数が不足しているため、手の足りていない場所にちょくちょく手伝いとして駆り出されている感じだ。

普段でさえ忙しいというのに、イベントがある時なんて比喩でもなく本当に目が回るかもしれない。

それでもどこかで問題があれば、校庭の隅から隅まで駆けずり回り対応に当たるのが、俺たち用務員の仕事である。

この音ノ木坂の中で最も雑務において秀でているのは、間違いなく俺達用務員なのだから……俺達というか、主に弦二郎さんだけど。

 

「松岡〜、そっちのコピー終わった?」

 

「……はい、今終わりましたよ」

 

そして、こういうことも仕事の一環らしい。

今、俺は仕事の片手間にコピーを頼んでくる片桐先生の指示に従い、コピー機を稼働させているところだ。

職員室の備品の追加に来て、仕事中の片桐先生につかまってしまったのが運の尽き。

他の先生はこの程度のことは自分でやってくれるのだけど、片桐先生は結構人使いが荒いようで、ちょくちょく仕事を任せてくる……主に俺に。

齢も近いらしく、俺も新人ということで、都合のいい舎弟か何かと思われてるのではないだろうか。

もはや仕事というか、パシリにされてる感覚すらある。

 

(……ったく。こっちは気まずいままだってのに、なんであの人は全然気にしてないんだよ。なーんか、不公平だよなぁ。てか、そこは気にしろよ! むしろ多少はこっちに気を遣ってくれてもいいだろ!?)

 

あれから特に変わりのない普段通りの片桐先生を見て、俺だけ気にしてるようで僅かな悔しさが湧いてくる。

 

(というか、このくらい自分でやれよ。こんなのすぐじゃん、一分もかからないじゃん)

 

新人ということもあって口には出さないけど、やはりこういう不満は出てくる。

まぁ、以前の職場でもよくやってたし、不満はあってもやりはするけど、ほんとしぶしぶだけど。

だけど少し前に、たまたま忙しい時に声を掛けてきたものだから、苛立ちを含ませつつ「これくらいのこと、自分でやってほしいんですけど」と言ってしまったことがある。

言ってからちょっとだけ後悔したのだが、対する片桐先生はというと……。

 

『いやぁ、あたしこういう機械とか苦手なんだよなぁ。いわゆる機械音痴ってやつ? パソコンだって色々便利だから何とかやりかた覚えて使ってるけど、出来れば手書きでやりたいくらいだし』

 

などと、軽く笑いながら言っていた。

俺の言ったことを気にした様子なんて微塵も浮かべずに。

 

「……あー、しっかしマジで指つりそうだわ。何年経っても慣れる気しないなぁ」

 

片桐先生が顔をしかめながらそう言うと、キーを打つのを止めて両手を組んでぐっと伸びをした。

それから両指をグニグニと解していると、その指の関節がポキポキと小気味良い音をたてているのが聞こえてくる。

そういうところを見ていると、苦手と言うのもあながち嘘でもないように思える。

けど正直、機械音痴なんていう人には今まで会ったことがないから、今一判断に困るところだ。

タイピングも俺から見ても確かにスローペースだけど、それでもある程度は普通に打てているように見えるし。

 

「ちなみにパソコン使い始めたのって、いつくらいからなんですか?」

 

「んー? パソコン自体は高校の時から授業でやってたよ? 生憎自分用のパソコンなんて持ってなかったから、ほんと学校でだけだけど。大学の時はレポートとかは手書きで済ませてたし、本格的に使い始めたのはここに来てからになるかな」

 

かれこれ5年くらいになるという。

5年、それだけあってもまだ慣れないものなのだろうか。

……まぁ、前の職場で同じくらい働いていても、ミスしまくっていた俺が言えたことではないけど。

 

「ちなみに松岡は?」

 

「俺ですか? まぁ、俺も高校の時から、授業でそこそこやってましたけど。大学からは自分のパソコン買いましたから、レポートとかも可能なものはそっちでやってましたね。手直しとか手間もかからなくて色々便利ですし、どちらかといえば俺は手書きの方が苦手ですよ」

 

大学以降はパソコンを使った作業の方が多くて、今となっては手書きだと若干違和感を覚えるほどだ。

昔は習字やペン習字といったものをやっていた時期もあって、そこそこ綺麗に書けていたのだけど、これもパソコンに慣れてしまった弊害と言うやつなのだろうか。

 

「へぇ。じゃぁ、パソコンの方が慣れてるわけだ……だったらさ、試しにあたしの代わりにパソコン打ってみてくれない? 文面は口頭で言うから」

 

「試しとか言って、仕事押し付けようとしないでくださいよ。お断りします」

 

「なんだよぉ、即答するなよ。別にいいじゃないか、減るもんじゃないだろうに」

 

「減ります、主に俺の仕事時間が」

 

まったく、まだ俺の仕事だって残ってるというのに。

むしろ少しでも手伝っているのだから、これで満足しておけというのだ。

俺の返答を聞くと「そっか、だよなー」と再びパソコンに向かい始める。

その言い方から本気で言ったわけではないとわかったが、だったら初めから言うなと呆れてため息が出てくる。

 

「……片桐先生ってクール系気取ってますけど、ほんといい加減な性格ですよね」

 

「はぁ? 別にそんなの、気取ってなんかないけど? あたしはいつだって、普通にしてるだけだよ。まぁ、いい加減なのは自覚してるけど」

 

「素でそれですか、羨ましい限りですね。生徒達からも受けはいいみたいですし、もう少しクールなキャラ、イメージしてみてもいいんじゃないですか?」

 

「キャラ付けとか面倒なだけじゃないか。いいんだよ、そういうのは。少なくとも生徒達に悪く思われてるわけじゃないんだし、今のままで十分だよ。それでクール系? ってやつに見えてるんだったら、それでいいじゃないか。誰に文句言われるでもなし」

 

「……絶賛文句が言いたくなってる人がですね、ここに一人いたりするわけですが?」

 

「ありがとな、いつも助かってるよ」

 

「……はぁ」

 

感謝の気持ちの込もってない言葉だけのお礼が、これほど嬉しくないものだと知る日が来るとは思わなかった。

最初に会った時から今まで、遠慮も何もなく関わってくるこの人を見ていると、だんだん取り繕うのも馬鹿馬鹿しく思えてくる。

そのせいで最近では今までの社会生活で身につけた、出来るだけ丁寧な態度や口調をつい崩してしまったり、皮肉交じりな言葉を投げかけてしまうこともあったりする。

その皮肉すら、彼女にとって気にも留めていないところがまた腹が立つ。

せめてもう少し先生らしい姿を見せてくれたら、俺だってこんな気持ちにはならないだろうに。

 

(……先生らしい、先生らしいかぁ)

 

一番最初に思い浮かべたのは、昔見た学校物のドラマに出てくる熱血教師だけど……。

 

「……うん、無いな。片桐先生に限ってそれはない」

 

『いいか、みんな! 人という字はね、人と人とが支え合って出来ているんだ!』などと熱く語っている姿は、想像の中だけでも全く似合っていなかった。

むしろ『せんせー、それ支え合って無くないですかー? 片方が寄りかかってて、楽してるように見えまーす』とか言ってるほうが、似合っているように思える。

 

「……なんかよくわかんないけど、そこはかとなくバカにされてる気がするんだが」

 

「いやいや、バカになんてとんでもない。片桐先生の性格を、自分なりに再分析してただけですよ」

 

それを聞くと少し興味を持ったのか、片桐先生は目を細めてこちらを見てくる。

 

「ほう。それで、結果としては?」

 

「……まぁ、ある意味すごい人だなという分析結果ですよ。つまり前から変わらずです」

 

「はっ、なんだそりゃ」

 

俺の話を鼻で笑って、興味を失ったかのようにまた仕事に戻る。

 

(……自分の仕事はする人、なんだよなぁ)

 

少なくともパソコンに向き合う片桐先生は、気怠そうなところは変わらないが、俺と話してる時より少しだけ真剣そうな表情に見える。

今やってるのは明日の授業で配る予定の、資料の作成だっただろうか。

こういう姿を見てると少しは先生らしいと思えるのだけど、どうせなら俺と話す時とかもそういう感じでいてほしいものだ。

 

「……そういえばさ」

 

「はい?」

 

「松岡って、まだ顧問続けてんの?」

 

「……そりゃ、続けてますよ」

 

「へぇ、まじめだねぇ」

 

なんだか、少しだけ意外だった。

あの日以降、片桐先生とアイドル研究部に関しての話題になるのはこれが初めてだ。

普段は全然気にしてないように見えたけど、片桐先生は片桐先生で彼女達のことを気にしてはいたのだろうか。

 

「気になります?」

 

「まぁ、少しはね。なんだかんだで押し付けた形になったわけだし」

 

「……少なくとも、押し付けられたものだからと言って、一度任されたことを簡単に放り投げることなんてできませんよ。任されたからには責任がありますから」

 

「そっか……うん、偉いな松岡は。責任感のある大人って感じ? すごいなー、憧れるなー」

 

「なんですかそれ? もしかして馬鹿にしてます?」

 

「勘ぐるなって、本心だよ本心」

 

そういう片桐先生は相変わらずパソコンに視線を向けていて、こちらに見向きもしない。

本当に本心なのかふざけて言ったことなのか、俺には知る由もない。

片桐先生がそんなんだから、俺はまた内心でモヤモヤしてしまうのだ。

 

「……まぁ、でも」

 

「んー?」

 

「勝手に押し付けられたことかもしれないけど、少しくらいは感謝してますよ」

 

用務員の仕事もまだまだ弦二郎さんの域にまで至ってないし、彼女達のことも気にかけないといけないしで、色々気苦労も多い日々を送っている。

それでも俺は彼女達の顧問になれてよかったとも思っている。

確かに大変だけど、それ以上に充実した楽しいと思える日々でもあるからだ。

片桐先生が顧問を押し付けてこなかったら、俺はこんな気持ちで今を過ごせてなかっただろう。

だからそんな時間を譲ってくれた、このいい加減でまだまだ分からないことも多い片桐先生には、少しだけ感謝している。

そんなことを考えている俺を、片桐先生は驚いたのか少しだけ目を見開いてみていた。

そして少し神妙な表情を浮かべ、何やら考えているようだ。

片桐先生は俺を見ながら、ゆっくりと口を開き……。

 

「松岡、あんた……もしかして、ツンデレってやつ? なに、あたしを攻略しに来てるの? いや、逆か? まぁ、どっちでもいいけど。別に松岡のことは嫌いじゃないけどさぁ、もっとフラグ建てないと難しいよ?」

 

「……犬のウンコ踏んでスッ転べ」

 

「ははっ、やーなこった!」

 

神妙な顔でアホなことをぬかす片桐先生に、自然と辛辣な言葉が口から飛び出したけど後悔はしてない。

というかツンデレとか攻略とか、見た目によらずギャルゲ脳かこの人は。

仮に俺がツンデレなんて属性があったとしてもだ、この人の攻略をしようなんて俺が宝くじで1等に当たるくらいに在り得ない。

一転して愉快そうに笑う片桐先生に、一瞬でも感謝したのが間違いだったと思い直す。

金輪際何があっても、この人にだけは絶対感謝なんてしてやらない。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「……」

 

「直樹君?」

 

他にも、こんなこともあったな。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「すいません、日替わりのからあげ定食一つお願いします」

 

「はいよ!」

 

昼休みも半分くらい過ぎた時間、俺は少し遅めの昼飯を食べに学食に来ていた。

今日は少しガツンとした物を食べようと思ってメニューを見たら、日替わりが今日は唐揚げ定食らしく、一目で「これだ!」と決められた。

メニューは白米に味噌汁、付け合せの漬物に、千切りにされたキャベツの上に大きめの唐揚げが4つのせられている。

 

「おまたせ。ちょっとおまけしといたよ」

 

「おぉ、こんもり。あ、ありがとうございます」

 

そう言ったおばちゃんは白米を少し多めによそってくれた。

おかずが唐揚げだから御飯も大いに進むし、これはうれしい。

 

「さて、空いてるところは……うわぁ」

 

周りを見渡すと、どの席も生徒達で埋まっていた。

もちろん空いている席も所々にあるのだが、どこも隣は見知らぬ生徒で、そこに平然と入っていく勇気は俺にはなかった。

時間も時間ということで、今が一番生徒達の多い時間なのかもしれない。

いつもなら生徒達がまだ授業中の昼休み少し前くらいに来ているのだが、今回は午前中にちょっと急ぎの仕事があってそれをしていたら遅くなってしまった。

昼休みに入って生徒達もたくさん来てるだろうけど、もう時間も半分過ぎてるし席も開いているだろうと楽観視していたらこの有様である。

食べ終えている生徒もいるようだが、そういった生徒も食器を返却して立ち去る様子はなく、その席で友達と会話を楽しんでいるようだ。

 

「うーん、どうするかなぁ」

 

いっそのこと生徒が近くにいても気にせずに、空いてる席に座りに行こうか。

このまま突っ立っていたら変な目で見られかねないし、それならば多少気まずくても思い切って席に座ってしまった方がいい。

俺は意を決して、空いている席に足を向ける。

 

「お、松岡じゃん。なに、あんたも昼飯?」

 

その途中、近くで俺の名前を呼ばれてそちらを振り向いた。

 

「……片桐先生」

 

そこにいたのは席に座り、こちらに箸を持った手を軽く振っている片桐先生だった。

というか行儀が悪いから箸を持った手を振るなと言いたい。

 

「あんまり食堂じゃ見なかったけど、今日はここなんだ?」

 

「いえ、今日は少し所用で遅れてしまいましてね。いつもなら、もっと早くに昼は済ませてるんですよ」

 

「ふーん、そっかぁ。あ、席捜してるならここ座んなよ。丁度開いてるしさ」

 

そう言い対面の空いている席を指す……だから箸で指すなと。

見ると他の席と同じように近くに生徒はいるけど、同じ大人が近くにいるだけ幾分かマシな気はする。

 

「じゃぁ、お言葉に甘えて」

 

ここで断る理由もないし、俺はその誘いを受けることにした。

 

―――ヒョイ

 

「……ちょっと、なにするんですか」

 

「ムグムグ……うーん、外はカラッと中はジューシー。今度は唐揚げ定食にするのもいいわね」

 

俺がトレーを席に置いて座ろうとした瞬間、皿から唐揚げを一つ盗られた。

いきなりのことで対応できなかった俺はジトーっと睨むが、片桐先生は気にせず咀嚼した唐揚げを飲み込んで一呼吸置き、両手を組んで口元に持ってくるゲンドウポーズをきめて俺に視線を向けてくる。

 

「覚えておきなさい、松岡。世の中のことはギブ&テイク、大抵はこれで回ってんのよ」

 

「……いや、これ俺からのギブだけでテイクになってないですけど?」

 

なんかキメ顔で言ってくるのがまたイラッとする。

ギブ&テイクを語るなら俺にも何かおかずをよこせと遠まわしに言ってみるが……。

 

「席に誘ってやったでしょ? どこもかしこも年頃の女の子ばかりで、まるで初心な少年のようにオロオロしてた松岡君?」

 

「お、オロオロなんて、してない、ですけど?」

 

片桐先生のにやにやとしたいやらしい笑みから、さっと視線を外す。

 

「それにさぁ、こんな美人と一緒に食事できるんだから、唐揚げ一個くらい安いとは思わない?」

 

……自信過剰、とは言えないのがこれまたなんとも。

確かに片桐先生は美人の部類に入るだろう……ただし頭に残念がつく美人だ。

他の男はどうかは知らないが、生憎と俺はこれまでの片桐先生との付き合いを通し、いくら美人でも彼女と一緒に食事が出来て心が踊るほどの好感度は持てていない。

だから今目の前でわざとらしくにこっと微笑まれても、ちっともドキッとしない。

お返しにジト目で返してやる。

 

「俺としては自分でそういうこと言う人って、正直どうかと思いますけどね。というか、それとこれとは話は別でしょう? 食べ物の恨みは恐ろしいって知りません?」

 

「知ってるよ。仮にあたしがあんたに同じことされたら、あんたの頭ひっぱたいてるね」

 

「でしょうね」

 

俺みたいに口で文句言うよりも先に手が出そうというのは容易に想像できる。

しかもこの人、俺相手には妙に遠慮がないから困る。

下手すればひっぱたくと言いながら、手のひらじゃなくて拳が飛んできそうだ。

 

「というか、それは暗に俺も手を出していいって言ってますか?」

 

「別にいいんじゃない? まぁ、大人しくやられてやるほど、お淑やかな育ちはしてないけど」

 

「……知ってましたよ」

 

それがわかってるからこそ、俺は下手に手を出せずに口を出すのだ……元々手を出すつもりもないけど。

そもそもお淑やかなら、まず人の唐揚げを無断で盗らないだろう。

 

「……はぁ。せめて何かと交換ってのが、筋なんじゃないですか? それこそギブアンドテイクでしょうに」

 

「何か? ……あるように見える?」

 

そう言われて片桐先生の皿を見ると、すでに食べ終えた後らしく何も残ってはいなかった。

というか自分のだけじゃ足りないから、俺の唐揚げを横取りしたのか。

唯一残ってるものと言えば、エビフライの尻尾の所くらい。

 

「……食うかい?」

 

「それを俺が欲しいと本気で思ってるんだったら、頭の病院に行くことをお勧めしますが?」

 

「いや、だってお前、ジッとこれ見てたじゃん。欲しかったんじゃないの?」

 

「 い り ま せ ん !」

 

箸でひょいっとエビフライの尻尾を取って、俺の方に差し出してくる片桐先生に語気を強めて否定する。

どうせくれるのなら、せめて丸々一本残ってる時によこせと。

片桐先生は、そりゃ残念と肩を竦めて尻尾を自分の皿に戻した。

その残念というのは、俺に残飯を押し付けられなくて残念という意味なのだろうか。

 

「……今回のは、貸し一ってことにしときます」

 

「ほほう、貸し一か」

 

せめてもの反抗として絞り出すように言うと、何やら面白そうな表情を浮かべる。

 

「なんというか、みみっちい貸しだねぇ?」

 

「どんなにみみっちくても貸しは貸し。それに、そんなみみっちい貸しを作った人に言われたくないです」

 

「はははっ! そりゃそうだね!」

 

言い返すと片桐先生はさも愉快そうに笑う。

よくわからないけど、俺のこのささやかな反抗が片桐先生にはお気に召したようだ。

さしずめ、喧嘩相手が何の抵抗もしてこないと張り合いがない的な考えだろう。

 

「ま、借りはいつまでもあると気持ち悪いし、そのうち返すよ」

 

「そのうちが“覚えてたら”にならないことを祈っときます」

 

「あぁ、期待して待ってな」

 

そう言うと機嫌のよさそうな笑みを浮かべたまま、トレーを持って去って行った。

 

「……まぁ、あんまり期待しないで待ってるとするか」

 

正直、片桐先生に貸しを作ったとしても、そのまま借りパクされて忘れられてしまう展開が容易に予想できてしまう。

いや、あの人も意外に義理堅いところもあるにはあるし、小さいとはいえ自分がした約束をそう簡単に反故にするような人ではない、か?

少なくとも自分からこうすると約束したことに関しては、ちゃんと果たそうとする人だと思いたい。

 

「……っと、俺も早く食べないとな」

 

時計を見ると昼休みもそろそろ終わる。

周りにたくさんいた生徒もいつの間にか大分減っていて、残っている生徒もいそいそと学食を後にするのが見えた。

別に皆のように授業があるわけじゃないからそこまで焦らなくてもいいのだけど、午前中の仕事でいくつかやり残していることもある。

あまり遅いと弦二郎さんの手を煩わせてしまうかもしれないし、他にも色々と仕事はあるのだからこっちばかりに時間を取られているわけにもいかない。

 

「まったく、あの人のせいで昼飯もろくにゆっくり食べれやしない……あ、ほんとにおいしい」

 

愚痴を零しつつ唐揚げを頬張ると、片桐先生の言っていた通り確かにおいしかった。

けれど、おしゃべりに時間を取られたせいで少し冷めてしまっている。

それでもこれだけおいしいのだから、熱々の時はもっとおいしかったのだろう。

今度唐揚げ定食が日替わりで出る日は片桐先生よりも絶対早く来るようにしようと、俺は密かに決心した。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「……まぁ、あれです。片桐先生とは別に喧嘩なんてしてませんから、そんな気にしなくても大丈夫ですよ」

 

「そう? それならいいんだけど」

 

いい思い出なんてそんなにないけど、かといって険悪な関係になる相手でもない。

いい加減で、ちょっと面倒臭い人、それが今の俺の中での片桐先生への評価である。

きっとこの評価は、これから先もそこまで変わることはないだろう

 

(……そういえば、片桐先生からまだ借りを返してもらってないな)

 

まぁ、別にいつまでという期限も決めてないし、そもそもそこまで期待もしてないから別にいいんだけど。

なんなら片桐先生が面倒事を任せてきた時にでも、借りの話を持ち出して突っぱねてやればいい。

……あの人の性格考えると、そんなの知ったことかと押し付けてきそうだけど。

もう少しくらい遠慮というものを覚えてほしいものだ。

そんなことを考えながら、少し温くなったお茶を飲み干した。

 

 

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(あとがき)

特に理由はないですけど、今回は片桐先生編みたいな感じです。

それにしても、ラブライブなのにμ's全然出せてないしストーリーも全然進まないなぁ(汗

 

今回のオリジナルキャラクター、田中さんの紹介です。

 

○田中喜美代(たなかきみよ)

優しくて世話焼きな50代のおばちゃん。ARIAのグランマみたいなおばちゃんをイメージしてます。

弦二郎さんほどではないが、20年近く勤めているベテランの事務員。

もう少し学生がいた頃は事務員は田中さん含めて3人いたのだが、年々生徒数が減っていくごとに辞めていき、今では田中さんだけが残っている。

事務室ではお茶当番を率先して引き受け、自分の淹れたお茶をおいしいと言ってもらえるのが嬉しい。

仕事がある程度片付いて時間に余裕が生まれる午後のひと時、お茶を飲みながら同僚とまったりと過ごすのがささやかな楽しみ。

 

 

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