一章四節:マミ☆マギカ WoO 〜Witch of Outsider〜
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 遠くから未だに続く建築の残響が聞こえる。

 頭を下げ軽い別れの言葉を口にしながらエレベーターのある方へと足を向けるまどかとほむら。

 見送りも兼ねて玄関から通路まで三人揃って出てみれば、傾いた日の光を受けたマンションはすでに全体が茜色に染め上げられていた。窓から窺えていた情景の変化や時計の針よりもいよいよ解散の頃合いだと皆に分からせてくれる。

 マミは少女二人の姿が通路の陰にある奥の昇降口へと消え見えなくなるまで小さく手を振り続けた。

 そうして、さして時を置かず気配が下へと降りていったのを知覚するや、呆れたように重く息を吐く。

 それは二人のうち片方にであり、あるいは自分への嘲笑めいたものでもあり……なにより懲りずにぬけぬけと寄ってきた新たな"来訪者"への皮肉と侮蔑が多分を占めていた。

 振り返れば、姿が見えもしない人間がいることが今となっては羨ましい部分もある。細い手すりの上で絶対的な安定感を見せているのは、白猫の胴体と四肢を持ちながらも似つかない大きな耳と尾を揺らす『獣の形』だった。

 マミにすれば皆目見当つかないが。ソレは視認出来ない人間からすれば透明な存在のはずなのに、夕暮れ時の斜光に同じく染められその身の一部には濃く影を落としている。

『やぁ、気分はどうだい?』

 キュゥべえの挨拶は、なんとも社交辞令的だった。声の抑揚を欠いているのもあって、安否など端からどうでも良いような印象をマミは抱いた。そもそも気遣いというものに価値を持ち合わせているかも怪しい。

 これでも不本意ながら何度か顔を合わせてきたではないか。でなくとも、キュゥべえという存在からすればすでに分かりきっている事柄であろうに。

 マミは冷めた視線を返しながら言葉を流す。ただ僅かにでも呼び出したい気持ちがあったのは事実だった。テレパシーもあるが――時間帯もあってか、((誂|あつらえ))え向きに身辺どころか((人気|ひとけ))はどの扉の近くにも感じない。

「どうせ聞いてたんでしょ? ……質問しようと思ってたところよ」

 早速本題へと入ろうとしたマミに、キュゥべえはさして気にした様子もなく小首だけを傾げた。

『なんだい? 回答可能な範囲でなら応じるよ』

「あの子……暁美ほむらの話は本当なの?」

 魔法の使者。それがキュゥべえの正体の一つだ。マミを含め、これまで数多の少女の願いを叶える名目のもと魔法少女への契約を行ってきたのは他ならぬこの白い獣とキュゥべえから直に聞いたことがある。ならばほむらが話した内容が真実か否かは容易に立証できるはずだ。

 以前耳にしたように男子生徒に限らず評判受けしそうな細身の体型と整った美形の顔立ち。内面はといえば"それなりに明るく"、知性と思慮も持ち合わせている。それらがマミのほむらから受けた大まかな雰囲気……と思えて、だがどことなく感じる胡散臭さ。

 なんにせよ聞くだけの情報としては本人からよりもキュゥべえの方がまだ正確だろう。

『それは、よく分からない、とするのが現段階だと適切だろうね』

 そう踏んでいただけにキュゥべえの返答は大きく予想外のものだった。

「どういうこと?」

『僕等の履歴にはこれまであの一個体と契約した記録がないんだ』

"……?"

 マミは思わず疑問に眉をひそめた。キュゥべえの言い分通りならば、よもや魔法少女となるにはこの白い獣と願いを対価に契約する以外にも方法がある、ということだろうか?

「なによその突然降ってわいたような言い方」

『事実局地ではその表現が正しいのかもしれない。暁美ほむらは以前から存在していたが、魔法少女としての暁美ほむらは突然出現した』

 声や表情に出ずともキュゥべえの側も判断の材料を探している様子だった。もちろん他に方法があるのならば把握していないのも妙な話であり、隠している疑いもあるが――ただでさえ湾曲とはいえ真実を語ってきたことには変わりない存在が、今のマミに素直にならず無駄を省かない理由も見当がつかない。

 やはりほむらは虚偽を持ってマミに接していると思って間違いはないのだろうか。情理を覆す奇跡を起こし法則を捻じ曲げれる力を行使できるようになるのが魔法少女、となれば本来は正規の契約をしていたとしても非常に特化した魔法性質ならば偽装くらいやってのけられるだろう。

「じゃぁ暁美ほむらが戦い方を教えてもらったっていう前の街にいたらしい魔法少女は? この街に近々ワルプルギスの夜が来るらしいことも知ってたそうじゃない」

『それも該当は無しだ。契約時の肉体の生命活動が停止した魔法少女の記録もとってあるんだけどね』

 魔法少女たちの実情からすれば、この街がマミの縄張りといっても過言でないことから表面上でも穏便に済ませるのには意味はある。

 だがほむらが嘘まで交えて接触してきたのは何のためだ……マミに取り入って得でもあるというのだろうか?

 ほむらは己の魔法性質の欠点を改善するためにマミに指南を申し出てきた。純粋にそれが狙いとして、たとえその成就の先に良からぬ企みがあるとするなら、ひとまず下手になってマミの力量や弱味などを熟知するのも策としてはなくもない。

 もしくは『ワルプルギスの夜』を討伐することこそが本命なのだろうか。そうした実力の向上やマミの協力によってより確実に仕留めることで、ほむらに恩恵があるとも考えられる。正義感や使命感のみならず、絶大な魔女の落とすグリーフシードとなればその報酬が発する効力への想像を((逞|たくま))しくしてもなんら不思議ではない。

 だとしても暁美ほむらという少女の目的は本当にそこで終わりなのだろうか。報奨については想像の範疇を出ないのかあるいは有力な情報を握っているのかは定かではないが――あれだけ語りながらも『ワルプルギスの夜』を倒すことが一つの段階にすぎないような、そんな印象をマミは拭えなかった。

 それに言葉の含む真偽とは異なるが、気になることもあった。

 ほむらとの会話は特に長い間途切れた覚えはない。が、うまくマミは表現できないでいたが……何故かしてやまないのだ。時折ごっそりと切り取られ体裁の良くなるように上と下だけをくっ付けたような不自然な感覚が。

 そしてたとえ偶然でも――避けた。

『とにかく謎が多すぎる。僕としてはそんな不安要素のありすぎる分子は取り入れないで、これから有力な新戦力を加えた方が、暁美ほむらが提案したワルプルギスの夜との戦闘だってずっと確実性が増すと思うよ』

「その新戦力が鹿目さんだって言いたいのよね」

 キュゥべえが言わんとすることを、聞き飽きたと言わんばかりの((憫笑|びんしょう))交じりにマミは返してやった。

『あぁそうさ。前も言った通り彼女には力がある。それも膨大な――』

「その提案こそ却下だわ。いい加減学習したら?」

 銃を向けないのは優しさではなく効率が悪いことをマミはすでに知っているからだった。後になって、"あの時"に頭に響いた音のズレが、ほとんどそのものだったことをしっかりと見せられてみれば……もはや手すりにいるキュゥべえを潰そうという気すら今となっては失せてしまっている。

 消せない――苦痛も意味をなさない。通常の人間よりも力を得て、にも拘わらずそうした二拍子揃ったモノが受け入れられる余地さえない相手と分かれば、傍にいるだけで((憔悴|しょうすい))ものだ。

 どうしようもない害だとしても、取り除ける想定が僅かでもあるからこそ怒りも嘆きも湧く。あまねくが徒労にしかならないならば、むしろ下手に動かない方が反動も少ないことをマミはすでに心得ている。幸いなことに並みの魔法少女よりも才のあるマミでさえ、キュゥべえ側のからすればもはや頓着する理由もほぼ無いときていた。

 以前のような親密な付き合いは愚かだ。コレは当てにならない情報を引き出せる端末か、自然現象の一部として割り切り受け入れるくらいが丁度よい。……だとしても棘くらいは、『人』として常に含ませてもらうが。

『邪見か。いいだろう。でも僕たちは君のことを、僕達の目的とは反した部分で、評価していけるだろう対象にはしているんだよ』

「……何が言いたいの?」

 太陽の動きに白い体表の上でますます影が濃くなるのとは裏腹に、赤い瞳はあたかも大きさを増すような実在の強さを示す。所詮はマミの感性にすぎないが――些細な頭部の動きにキュゥべえの眼球が生き生きと煌めいた。

『君がこれまでの功績に、必要はあっても必要以上に執着するのをほぼ完全と言っていいほどに諦めてるからさ。逆にこれから積み立てる方に比重を置いている。そして自らの個体の存続にも特にこだわっていない。経路はどうあれ必ずもたらされる結果を作ることこそ主眼、というところかな』

「…………」

『地球という星の人類、いいや魔法少女としては珍しい部類さ。それは根本的な箇所においては、未知なる外部との接触を行うには実に適切な状態と同一だ。その内心や、暁美ほむらにこれからしようとしていることは、この星の道徳観だけとっても決して褒められたものじゃないんだろうけどね』

「そのしようとしていることに、今だけあなたを混ぜても良いのよ」

 ((嘯|うそぶ))き気味になりながらマミは左手の薬指にはめた指輪を擦った。力の源の一つの形態、キュゥべえからしても見慣れた品である。

 とはいえ魔力の引き出しに意識を傾けることさえしていない気まぐれなのを感知しているのか、キュゥべえの体躯は反応らしいものをみせもしない。((慇懃|いんぎん))な口弁は、なおのことだった。

『これでもそれが本気じゃないことと、それに"感情が無く"ても((暗喩|あんゆ))というのも分かっているつもりだ。不快を持たせてしまったのならばすまない。ただねもう少し付け加えさせてもらえるなら――』

 キュゥべえは取り繕いこそしてマミに関心を寄せながらも、悠々とした調子は耳にされぬことも途中で閉ざされることも全く恐れていない態だった。

『このあいだ"見せた"通り僕たちは僕でもある。逆も然り。そして現在を軸にしているだけで過去と未来に僕達の間での差はない。

 それは僕に対する時間による劣化や変化がこの世界の法則が突然の転換でもしない限りは絶対のものでないということだ。僕達にとっての、『感情が無い』っていうのは、未来永劫約束されたそういう意味も込められているのさ。

 もちろん僕たちのような情報伝達の構成や行動理念を地球の人類が会得出来たとしても、それは宇宙規模で長期的な話だ。だけど一段階人類の理から離れた者なら、極少でも近づくことはあるかもね。

 今の君ならたとえその肉体が滅んでもすぐに破滅するような精神じゃないだろう。そこからさらに発展した形で存続し、いずれこの星の人類全体が地球というものに少しでも縛られない時期が来たのなら、そのときは君がどれほど僕達と似ているかより明確になっているだろうさ。

 僕に変わらない要素が無いなら、変わるのは君しかいないんだから』

「……それが評価だって言うの?」

『そうさ。そしてそこからでもある。君は時間経過によって人類と魔法少女、二つの種類の展望をもたらしてくれるかもしれないんだから。

 魔法少女とはまさに劣化が約束された肉体の枷から解き放たれた人類だ。その前提で時間というものがどれほどの影響を及ぼしていくのか――なおかつそれに耐えうるに相応しい精神状態が維持されることで、あるいは"ジェム"の輝きと濁り方さえ変えてしまうのかとなれば、情報として得てみれば普遍的な価値があるかもしれないだろ。

 今まで人類史内で長大な期間を存続した魔法少女は幾つかいたが……マミのように過去の肯定法を改めた者は、全くいなかったとした方が正確だったしね』

「あいも変わらず勝手ね……出がらし風情には光栄ですわ」

 マミは呆れて鼻を鳴らした。新たに何を求めているかと思えば、生態の分からない野生動物に発信器を付けた範囲のことではないか。

 他方で、キュゥべえにしてみれば残すは過程だけで役目をほぼ終えたと踏んでいたが、別な目線を向けられていることにマミには少なからずとはいえあくまで((俯瞰|ふかん))した事実としての驚きがあった。

 用済みに付き合うにはそれなりに理由があるというところか。決して喜ばしいものではなく、キュゥべえ側が積極的に干渉することで延命を手助けしてくれるわけでもなさそうだが……ならばこうして情報源として活用することも、マミが極端な行動に出て拒否を示さない限りは今後とも行えるだろう。

『あぁ、もし鹿目まどか僕たちを滅ぼすと契約しても、僕たちでは確認できなくなるのか。すまないこちらの法則で話しすぎたよ』

 キュゥべえはさも今思い出したといった風で継ぎ足した。

「そのわりには余裕ね」

『自分たちが滅んでも別の同じような種が魔法少女に関する任に就くだけだからさ。何かの未来に利他的になるには、自分たちが存在しなくなったときのことまで考えて行動しなくちゃ』

 キュゥべえの言い分は、上澄みだけ取ればマミにも理解が及ばないものではなかった。むしろ先に長々と語ったように、マミの変化した考え方を知ってのこのわざとらしさと後付けなのだろう。

 言葉を選ぶというのがこの生物にとっていかに容易いことか――

「そういう種族は、地球以外にはたくさんいるの?」

『いるとも。君たちが思い描けるくらいには。感情がない生命体はそれよりもっと多い』

 だからこその人類だ――マミは分かりやすく肩をすくめて見せる。

 暁美ほむらの件のついでと少々話に付き合ってやってみはしたが、マミの想像から逸脱した応えは返っては来なかった。

 よしんばあったとしても己の脆弱な部分を露呈するほどこの白い獣は愚かではないはず――すでにキュゥべえに一点の害どころか要素すら与えることさえ、己の力を全て天秤に賭けたとしてもまるで足りないと諦めをつけている。それを後押しする情報がさらにもたらされたに過ぎない。

 むしろ地球が一度破滅でもしなければ取り巻くものが変わっていかないのなら、それはそれで都合が良いほどに未練もなくせる。

『さてさて。部屋に入れる気もないんだろ? だいぶ日も落ちてきたし、僕はお暇させてもらうよ。また何かあったら呼ぶと良いさ』

 あるいはマミの今後への心の動きを見抜いた上で、こうしてより明確にさせようとキュゥべえはわざわざ出向いてきたのか――とはいえキュゥべえはこれ以上伝えることは無いといった態で((踵|きびす))を返し、マミにいたっても掘り下げる言葉をかける気もさらさらなかった。

 キュゥべえはおもむろに小さな跳躍を見せると、夕焼けの虚空へと身を投げ出す。

 猫よろしくな体型と四肢を有してはいる……とはいえマミの部屋のある階はたとえ本物の猫であったとしても一概に落ちて無事に済むとは考え難い高さだった。だが大きな耳を翼のように左右に広げると、緩やかな滑空をしながら地上へと降り立っていく。

 わざわざ最後まで目にせずとも気配を感じ取るに徹していたマミには、見る者がいれば仰天しそうな鮮やかなキュゥべえの着地も魔法とは異なる何らかの作用によるものだと識別がつけば、手に取るように白い獣の姿が遠のき消えていくのも明確な((想像|ビジョン))として脳裏に描くことが出来た。

 マミは己の部屋の扉に背を押し当てると、静かに肩の力を抜いていく。

 慎重を要して話す相手がいなくなれば、それだけで((心持|こころもち))は楽だった。既知なだけに暁美ほむらとは異なった接触を迫られる。だとしてもどちらも目の前から消えれば表面上の気が軽くなったというだけで、今や胸の奥にしかとあってしまっているどうしようもない空漠に色を付けるだけの癒しは無い。

 人の気配は依然マンション内部に多く把握できたが、反して同時にマミには周囲と切り離されていくような自覚があった。だが、前は本質的な意味で独りなことを理解すればその度に感傷と呼べるものが自然とあったはず……なのに今や価値観を構成していた足腰をことごとく砕かれてみればただただ認識以上の余計な感情が湧かない。

 遠望する建築物の群れは早々と黒く染められている。烏の大群も舞う。まだ鮮やかな茜空にも拘わらず――美を感じるどころか、まるで燃えカスとなった街並みを執拗に炎上させている悪趣味な光景に思えてならなかった。そう印象を持ったはずなのに……それは知性のみで判別した感想の域を出ず、心は何一つ感受していない。

 それはマミの知る『巴マミ』ですらなかった。巴マミの殻を被って動いている何かだ。

 今いるのは、かつての巴マミならばこうしていただろう、という機械的な存在に過ぎなかった。キュゥべえへの悪態も、単に本心の伴わない人間の真似事でしかない。紛れもなく巴マミ本人であるはずなのに、マミの中にある触れられないもの全てがいつの間にか別のモノに成り変わってしまっていた。

 そして時間が前に向かって進むしかないならば、どんなに((希|こいねが))おうともう二度と『巴マミ』を取り戻せないことも、かつて持っていた"当たり前"を奪われたマミには、ひどく冷静に理解が及んでいる。

 自分は自分に非ず。本当の己とは何か。第二次性徴期に差し掛かった子女の悩みとしては特に取り立てることではないかもしれないが……それはあくまで原点が何度でも帰れる場所にあると、実のところ失っても零を超えることなど無いのだと、知っても知らずとも考えにあるからこそ成り立つ思案と固執の迷宮なのだ。

 気付けばそもそも最初に目標と打ち立てた出発点どころか到着点さえまやかしに過ぎないならば、もはや悩み立ち止まることすらマミには許されない。

 マミは中学三年生にありながらすでに足を止められない速度で走っていた。それもただ駆けていたのではなく、己で定めた指針に首に縄をかけられ、知らずとずっと引かれていたのだ。

 失うということの段階を一度踏んでいたとしても、少女一人にはさらなる消失に備えるだけの術は無い。取り戻せないならば、新たに入手すれば良い――そんな((細|ささ))やかな望みが永遠に手に入らない幻だったのならば、今度は最たる脅威に変貌し立ち尽くすことすら叶わせず、マミを首が分かつまで引き回すだけだった。

 理解の名の元に崩落しそうなところを、たまたま生きながらえ、なんとか"肯定"への((縁|よすが))を見つける((猶予|ゆうよ))を持てた……今ドアにもたれ掛るのは、そうしてバラバラになりながらも生き残った巴マミの思いの断片のかろうじての寄せ集めに過ぎない。

 だからこそ、何をしてでも『形』として迎えられるのならばそれで良い気がしていた。たとえ”自身を含め”誰をどのように扱おうとだ。もうそれしかマミの見えざる手が持っていなくとも、それだけあれば少なくとも"結果"としては救われる。

 そう考えを改めて初めて((邂逅|かいこう))した魔法少女が暁美ほむらというすぐさま判別付き難い相手だったのは、"((誤射|テスト))を合格する"ような少しだけ望み通りであっても、やはり不運に属するのだろう。

"……なら、やるしかないか"

 思案に夕暮れの空から天井にふと視線が向けば、どこから来たのか――天面の角に大きな蜘蛛が巧みに巣を張っていた。絡まった蝶か蛾と思しき虫を、((蠕動|ぜんどう))しながら糸でくるんでいる最中だった。

 すぐ側に夜間灯る照明があるためか、あのような場所であっても獲物は寄り付き捕まるらしい。以前は自然と身に付いた学識はあっても見つめ続けるのは出来れば遠慮したい部類の生物だったが、こうして達観した心情で目を向ければあの頃の巴マミよりも一瞥だけで遥かに"捕食する側"がどういったものなのかへの了解が持てた。

"くだらない"

 知見から手慰み程度に廻った考えにしては僅かとはいえど時間を取った方だったかもしれない。"妙な連想"までしかけたところで、愚にも付かないと頭からはね除けた。

 マミはポケットから携帯電話を取り出す。液晶画面に目当ての人物の名を見つけると、発信ボタンを押した。

「もしもし鹿目さん? えぇ巴マミです」

 数秒の間をおいて、耳に押し当てた携帯電話からはマミの求めた声が返ってきた。

 知りながらも知らない。マミが巴マミであったころと同じ、知性と心が一致した声だった。

 もしも彼女がマミの言葉の真意に気付けば、いったいどのように思われるだろうか……あるいはこの声さえも変えてしまうのだろうか……

「そう。暁美さんとはもう別れたの。……ううん、いないならいいの。あのね、あなたに」

 だとしても――たとえこの出会いが運が悪かったのだとしても、心構えがあるのならばどうとでもなる。目先の分かりやすい在り様になど意味など無い。この声"だけ"を崇めぬことで、他の脅威を前にしていったい何が手に入るというのか。

 キュゥべえはマミの存在が自分たちに近づいていると言っていた。あの受け入れがたい存在に、だ。

 だが……ならば良し。その分だけ、得るものを得てやるだけだ。

「お願いしたいことがあるの」

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【あらすじ】
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