三章五節:マミ☆マギカ WoO 〜Witch of Outsider〜 |
窓の向こうの濃くなるばかりな闇に((黎明|れいめい))の兆しが微かに覗き出る。まだ不完全とはいえ送り出した者を再び迎え入れるには不足ない段階に至ってから時間の経過は少しばかり早く思えていた。
外界との隔たりが無いような暗さの中で生物を感じさせる動きで跳ね上がったのは"リボン"の先端だ。
重力に抗えず落ちるということはない。針金でも仕込まれているかの如く固く張った帯は、そこからさらに螺旋を描くとこれまでの軌道を残しながら緩やかに加速。伸長しながら台所の方へと滑り込んでいく。
巴マミは一人、自室の隅で座していた。部屋という部屋の虚空は既に幾重にも絡み合った先ほどのリボン――今も長さを増長するそれが生み出した硬質で幾何学的な造形により浸食の限りを尽くされている。
もう片方の末端部分を指に絡ませているのはマミ自身だ。目を瞑ったマミには、しかし鋭敏にリボンの先を操りさらに隙間を縫っていく。人間に備わったものではない魔法少女ならではの感覚によって。
量は魔法で無尽蔵とも捉えられそうなほど増していくが、すでに二時間以上この調子での行使である。表情にほぼ出ないが、前髪を張りつかせる額の脂汗が魔法少女としての才能では全て補えない精神への負担を表していた。一方でマミの集中も途切れることは無い。
"案外できるものね――"
例えばマスケット銃の召喚。元来の性質ではない魔法なら尚更その高速化には心象の固定が重要である。だが如何に迅速に倒すかの刹那を争う命を懸けた戦いの中で、正確に想像を膨らませることなど本来はなはだ容易ではない。
敵への恐怖や嫌悪感。それらを筆頭に平常心を乱す幾らでも人間なら持ち合わせている邪魔な感情を、より的確な思考を行う為に魔法少女となった者は自然と排除してしまうのだ。それは時には"痛覚"といったものにも無意識に作用していた。魔法を得たことでの副産物とも言い換えられる。
かつて廃倉庫で暁美ほむらに経験から教えたことよりもずっと単純な、生命維持の根源からくる魔法を、生死の境に立たされるたび巴マミは自覚なくこれまで使い続けていたのだ。
これはその発展である。今や不要な感情を抑え込むようにソウルジェムに干渉すれば、幾分かの"濁り"を代償に、異常なまでの冷静さと集中力それらを阻害し難い身体の状態を維持することを可能としていた。現状抑止は不完全ではあるが、その気になれば記憶や感情そのものを切り取り選別出来る確信もある。
つまりは、巴マミは身体のみならず魂さえも、もはや人形同然だったのだ。細胞が時間をかけ代謝し似て非なる身に作り替えるように、魔法の力は知らぬところでマミを助け、((溺|おぼ))れさせ、戦闘に都合の良い肉体と精神に仕立て上げていた。
魔法少女になる前の自分とはどうであったか、それが今も残っているのか。このような技さえ使えるようになってしまえばなおのこと怪しかった。ソウルジェムを運用する為の外付けの((設備|ハードウェア))と化した((肉|ししむら))と、電源の要領で制御し切れてしまう感情。
考えれば考えるだけ巴マミが描く人間像ではない結論に行きつく。
だが――あるいは少なくともそこだけは元から変わりない巴マミという人格なのかもしれないと考えが回っても――なによりすでに冷め切ってしまっていた。真実を知り過去から断絶され、あまつさえ受け入れてしまったのだ。
『今の巴マミ』には不要を除去する作業性はあっても、そこに感傷を抱く人間性は半分欠如していた。
"これくらいかしら。あとは――"
さらなるリボンの伸長と操作も魔力がある限り同じく続けられると((得心|とくしん))がいったところで、押さえていた感情を必要なものから順に切り替える。すぐさま魔法の((伝播|でんぱ))が乱れを起こし部屋中を支配していた帯の束が((蝋|ろう))が溶けるように崩れ、家具や床に触れる前に消えていった。
残ったのは数メートル程。依然命無き蛇となって動く先端部分が、次に標的としたのはこの為にと事前に目に付く場所に置いていた紙コップだ。空間をするすると移動し目標に静かに軽く巻き付いていく。
突如淡い光がコップの全体を輝かせる。力を失い落ちたリボンが先ほどの大量の束と同様の結末を辿り跡形もなくなった間際には、紙コップではなく真鍮製を思わせる"ティーカップ"が置かれていた。
"――よし"
瞳を開け疎くなっていた感覚を瞬時に戻しながらマミは傍まで寄ると念の為ティーカップを手に取ってみた。すでに知覚しているよりも新たな情報はなく、手中の物には知っての通り魔法が掛かっている。
ジェムをあてがい魔力を吸い取ってやると、途端に形状を蠢いて失うや数秒で元のコップに戻っていく。
「成功ね」
深く息を吐き、巴マミは自身の理論に基本的にはなんら不足がないことを悟った。あとは使い道を増やす為により洗練していけば良い。それもそう時間を必要とすることではないはず。
『ワルプルギスの夜』に対する暁美ほむらとの共闘。これでマミ側はほぼ準備が整ったことになる。
同伴者はいたが街の巡回は予定通り三分の二を消化し残りは日々の警戒範囲を少し広げれば済む。これも含めその先はもう一人の首尾次第だが……ありえなさそうとはいえ、行方をくらまそうともすでに単独で動ける計画は密かに練っていた。丸ごと無駄になることはない。
未だに暁美ほむらという魔法少女の底は見えずにいた。その上達の速さと"収納"能力の有用性を除いただけで、現状維持で背中を預けるに相応しいかどうか、容易な判断を下すのを妨げる危惧が消えずにいた。どうあっても会話などの伝達の円滑さに気質が合うのとは別の"何か"が多く混じっていると思えてならない。
その正体はおそらく"魔法"だ。リボンを伸ばすのに乗じて探索もしてみればほむらのものであろう魔力が微少に残っていた。入念に調べても"砂粒が流れ落ち続ける"光景の他は頭に浮かばず、痕跡を多く得ても半端なら何の魔法かまでは推測さえ立てれそうにないが、この部屋で――もしくは他でも――何度も使用したのは間違いない。
解析に長けた付加能力やそうでなくとも心象から次々と連想出来る才があれば"直接の害はなさそう"という他にも話は変わったのかもしれないが……巴マミの眼を盗んだことだけは確かだ。答えは見えなくとも、これが悪影響を与えるものなら寝首を掻けもするだろうとはマミも空想を((逞|たくま))しく出来る。
そして暁美ほむらの平素を自分よりも知っているであろう鹿目まどかの言葉。
憶測だが。暁美ほむらは魔法少女という仕組みが夢や希望に満ちてないことを知っているのではないか?
それでいて何故絶望に飲まれないかはマミには分からず……ひょっとするとまだ希望があるとすがれる段階までしか知識が無いのかもしれない。だからといってこの期に及んで((韜晦|とうかい))を決め込んでいる様子ならば無暗に探りを入れ危険を冒す必要も無いだろう。
初めから仲間はまだしも友人と呼ぶにはマミの側からだけでも愚か極まりない歪な繋がりだった。ほむらの助力はこの段階でも強大な魔女を迎え撃つ下準備に少なからず寄与していたが、他方でより強力で純粋な武器を取りに行けないのはおかしいではないか。
常に厳重な警戒と監視がある場所では気配を消すのも並の魔法少女ならなおさら複雑になる。欺き騙すのは人の眼ばかりではない。能力を過信しないなら行動しない選択も一理ある。
がどうもその様なこまごまとしたことで避けているとはずっと思えなかった。
根本から持ち出す方法がほむらが語ったものとは違うのではという疑問視も力を付けてきている。秘密にしているのはそれがこれまでの関係に大きな影響をもたらすと相手も分かっているからでは――
今から丁度留守にしている暁美ほむら宅へ忍び込めば少しは得られるものもあるか。といって巴マミの中の暁美ほむらなら全く対処していないとはまず考えられず、加えて罠の一つは張っているだろう。そして魔法が絡むなら解除後どれだけ上手く戻そうともそれは誤魔化しでしかなく当然碌な結果も招かない。
だが少なくとも今日までの観察で利害は一致しているとマミは結論を出そうとしていた。通過点としなくてはならない『ワルプルギスの夜』と当たるのに、これを超える理由は必要ない。
懸念は倒した後の方に回すべきだろう。万が一討伐にかける意気込みは本物でもまどかの言うような人物ではなかった場合は、それはそれで都合が良いだろう。短くならともかくこの関わりが続いたとして……どちらかが魔法少女として最悪の結末を辿っても、余計な感情から共倒れするのだけは回避出来るはずだ。
なにより自分だけはそうあらなくてはならない。巴マミの思い描く未来には、これから何度だってそれと同じことをしなくてはならないのだから。
「……」
最近――よく"夢"をマミは就寝中見るようになっていた。少女時代と魔法少女時代の狭間を思い起こさせる世界を眠りの中で体感し寝苦しさに起きた日から、己の理想の為に現実を強く意識する度にだ。ならば今日もまた、見ることになるのだろうか。
再び車に乗ることも子供になることもなかった。代わりにあの夢の中でマミを救った炎の如く揺らめく影がただただじっと動けなく動かないでもいるこちらを"見つめている"。
日に日に、影は人の形に近くなっていった。影は、槍を持った赤の衣装を身にまとった少女の姿に――だが顔が形作られる前に変化は止まっていて、ずっとそれきりだ。((悍|おぞ))ましく燃える面容は……なのにどういう訳かマミには"悲しんでいる"と思えてしかたがなかった。
――その表情から伝わる感覚に覚えはなくともその姿形は記憶にある。
昔何度か共に戦ったことがある魔法少女だった。快活な雰囲気が印象的な――まだまどかと出会う前の、魔法少女がどういうものであるか知らない頃に出会った娘だ。
確か親の都合で遠方に引っ越した。"本部"に認められたからと話していた覚えもある。それ以来どうなったかは分からない。一方は照れもあってか教えるような人物ではなく、もう片方は深く聞けるような人物ではなかったのだ。そういえば下の名前は一回だけしか耳にしたことはなかったからか今考えても曖昧だった。赤い少女の顔もまた、詳しく思い出せずにいる。
であっても過去とは美化されるものらしい。少しでも記憶を((漁|あさ))ってみれば((林檎|リンゴ))が好物だったぐらいしかよく知るところのない相手でも一度限り共にしたクレーンゲームや外食にしてはひどく親密な時間を一緒に過ごしていた気さえしてくる。
それでも、それはやはり過去。如何に煌びやかなモノであろうと、立ち塞がるのであれば踏みにじらなければいけない。
((縊|くび))る躊躇いはきっともう自分の中から消えてしまっている。枕元の熊のぬいぐるみが教えてくれた。ふと気付いた時、いつの間にかぬいぐるみはそっぽを向いていなかったのだ。ソレの有り得ないはずの目線が不快になり配置を変えたのに、戻したのも無論また自分だった。あまりに自然に直したのは、ようやくその目線に無関心でいれるだけの欲した自分が完璧に染み付いたから。だから、"出来る"。
マミが願うなら、この娘もいつかは葬り、そうやって思い出を一つ一つ潰さなくてはならないのだ。
それがこの拾い上げられた、それでいて乾燥しきってしまった魂の唯一の拠り所だから。
魔法少女を増やす"根源"は絶てない。ならば"真実"と共に魔法少女は((斯|か))くあるべきという、マミがかつて思い描き信じた輝かしい使命に((殉|じゅん))じる姿をより多くの同胞に広め、体現出来る者のみを選別あるいは迎え入れる価値観を追加で構築する。
それを目指すことだけが、すでに魔法少女である巴マミが己のこれまでの行いと助けられなかった命が無駄ではなかったと肯定し得る新たな"願い"であり、それでいて最後の手段だった。ひとたび歪んでいても大志を抱いてみれば己を引きずり落とそうとしたあれだけ怯えた絶望の穴はすっかり跡形も無い。
だから暁美ほむらもすぐには切り捨てずにまずは囲い込んだ。足掛かりであり、いつでも"ソウルジェムを砕ける"ように――そしてもしマミのソウルジェムが濁り、自身で砕き損なった時の不確かでも保険とするために。
この手に掴むべき未来があった。たとえ、全てを騙してでも。
己もまた掲げた理想への供物でしかない。
「キュゥべえと変わらないわね……」
自嘲だ。かつてマミに使命に対して過去や現在の比率が希薄だと語り、それを評価したことがあった。
あれは自分たちの性質と似ているからだ。だから褒められなくとも、評価はしたのである。
一点を除き、その通りだった。使命という未来を本気で見据え、すでに出来ることが分かり切っているのなら、思い出という積み重ねに身を委ね過ぎるのがどれほど愚かであるかマミは知ってしまっている。
だが決定的な違いもマミは知っていた。今の自分の内で、使命への傾きが大きいことだ。その象徴こそ鹿目まどかだった。
魔法少女にまどかがならないことがもっとも分かりやすい形での巴マミの理想の実現なのだ。
あのまどかの持つ優しさに救われ、マミは再び光を見た。行為自体はほんの些細ではあったが――この他者を想う慈愛の深さを存続出来るのならばどのような地獄の只中でも魔法少女としての希望を持っていられる。それが、まどかだけが持つ特別では無いと、既に愛と知恵をくれた両親の存在から確信し、そしてマミはこれまで幾度も魔女から人を助ける中で悟っていた。
この世界には守るだけの価値あるモノが沢山ある。だから濁りが頂点に達した時にソウルジェムが"グリーフシード"に変わりそれを打ち壊す魔女を生むことになるのは、自分ならば尚更許せはしない。例え今胸の内で((現人神|あらひとがみ))同然に崇め、契約しても変わらぬ眼差しを向けるであろう、まどかであっても。
だが濁りを増させる感情が押し寄せるそのいつかは、今ではない。それはもうまどかに救われる形で知っている。あるいはこの部屋にいない"二人"から既に教わり、思い出した。次は、そのいつかが来ない時があるのだとキュゥべえとマミ自身に教え込む番だ。
たった一つそんな記憶があれば、いつまでも自分は絶望せずに済むだろう……。
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